2006-11-22
■[経済] フランク・ナイトは本当にミルトン・フリードマンを破門したのか?

まだ調査中途だけれどもあえて書いてみます。ミルトン・フリードマンがポンドの空売りという「投機」を試みたことにフランク・ナイトが「激怒」し破門した、というエピソードをもとに、例えば内橋克人氏は次のように書いてフリードマンを批判しています。
「ナイトはリベラリズム経済学を唱えていて、経済上の行為にも人間としての尊厳を守らなければならないという哲学を強く持っていました。「お金さえ儲かれば何をやってもいいんだ」というフリードマンの考え方には我慢できなかったのでしょう」(内橋克人『悪夢のサイクル』(文藝春秋社、97頁)。
この内橋氏の批判の構成はナイトによるフリードマン「破門」から、フリードマンの人格攻撃に基づいて、フリードマンの経済学を「市場原理主義」として「お金さえ儲かれば何をやってもいいんだ」経済学として批判するという、一種の議論のすり替えを行うというものになっています。もっとも今回はその議論の構成自体にはふれません。
ここで問題にしたいのは、ナイトがフリードマンを破門した、という「事実」の検証です。
内橋氏はこの破門事件を宇沢弘文氏からの伝聞によると紹介しています。その内容を箇条書きしましょう。
1 「宇沢さんがシカゴ大学にいた1965年に、フリードマンがイギリスの通貨ポンドの空売りをしようとしたというものです」〔95ページ)
2 「このときは近々イギリスのポンドが切り下げられることが確実にわかっていたのですが、ポンドが切り下げられる前に今の価格で空売りしておけば、実際に切り下げられたときには確実に儲かるのです。そこでフリードマンは銀行に行って、「一万ポンド空ウリしたい」と申し出たわけです。ところがその銀行のデスクはフリードマンの申し出に対して、「われわれはジェントルマンだから、そういうことはやらない」と言って断ったのです」(96ページ)。さらにこの断った銀行はコンチネンタル・イリノイ銀行であり、この銀行は投機目的の融資を禁止する34年改正の銀行法にしたがったのだ、という内橋氏の紹介あり。
3 「しかし断られたフリードマンはかんかんになって帰ってきて、ランチの席で宇沢さんを含む同僚の教授たちに向かって「資本主義の世界では、儲かるときに儲けるのがジェントルマンなのだ」と真っ赤になって大演説をぶったそうです」(96ページ)。
4 「このエピソードを見ても、フリードマンは先物による商品や通貨の取引は、投機によるものも含めて全面的に自由化すべきだと考えていたことがわかります」(97)
5 「この話には後日談があって、シカゴ学派の指導者の1人でフリードマンの先生でもあったフランク・ナイトがこうした話を聞いて激怒し、フリードマンとスティグラーを「今後、自分のところで博士論文を書いたと言うことを禁止する」と言って破門してしまったというのです」(97頁)
以上が宇沢氏からの伝聞による内橋氏の破門事件にかかわる主な記述です。この話はネットでも流通しているようで、また書籍では伊東光晴氏の本にも紹介されてます。検索されればよくわかるでしょう。
で、検証しましょう。
1 まずポンドの切り下げが噂されそれが実行されたのは1967年11月でした。フリードマンが空売りを試みたのも同じく196711月のことです(フリードマン夫妻のTwo Lucky People、351ページの記述より)
2 同じくTwo Lucky People、351ページの記述から、フリードマンはシカゴ中の主要なすべての銀行に聞いた。銀行からの返答は、通貨の先物は特定の顧客か商業目的に制限されたものであった。銀行からの具体的な発言としては「連銀は(イングランド銀行も)先物取引を好まないだろう」というものだった。これは宇沢ー内橋らの「ジェントルマンだから云々」という伝聞とは異なる。まさに取引が規制されていたことが事実としてあっただけで、銀行がジェントルマンを理由に断ったのではない。実際には銀行は特定顧客と堂々と取引をしていた。
3 フリードマンはジェントルマンがどうのこうのという理由に怒ったのではなく、彼は即時にこの通貨の先物取引の規制を撤廃するように(たぶん怒って???いや、冷静にだと思うけどw)『ニューズウィーク』のコラムに規制撤廃の記事を投稿する。繰り返すが銀行のジェントルマン性に怒ったのではない。
4 は正しい。ただし内橋氏は「投機」をモラルに劣るものとみているらしいが、内橋氏に情報を与えた宇沢氏が「投機」に長けたケインズ(理論)の支持者であることも衡平にふれるべきだと思うが。ちなみに私はそんな論点(投機はジェントルマン性にもとる、という論点)はばからしいので論点にもならないと思う。ところでこのフリードマンの主張を目にしたChicago Merchantile Exchangeの会頭であったレオ・メラメッドがフリードマンのもとにきて、ここにシカゴに通貨の先物取引市場という「マネー革命」が起きたことは、NHKの番組をみた人なら良くご存知でしょう。もちろんフリードマン夫妻の伝記にも書いてありますが。
5 フリードマンはナイトのところ(シカゴ大学)で博士号をとっていない。フリードマンはコロンビア大学で博士号を、クズネッツと一緒に行った所得調査研究の成果をもとにした研究で授与されている(書いてたのももちろんコロンビア大学)。つまりナイトが上記のようなことをいうことは考えられない。スティグラーについては群馬に資料があるのでまだ調査中。
さらにフリードマン夫妻の伝記には、ナイトとは彼が引退後も研究会や私的にも親密につきあったという記述がある。妻のローズはナイト一家と家族ぐるみのつきあいだったことを回想している。およそ「破門」の雰囲気はつたわらない。またうろ覚えだが、スティグラーの自伝にも「破門」の記述はなく、むしろナイトと人間関係が悪化したケースとしてダグラスを例にしていた(これはフリードマン夫妻の本も同様)。
ただしナイトの主張とフリードマン、スティグラーの主張が経済思想的に対立していたことは研究者も指摘している*1。しかしそれと「破門」によるフリードマンの人格攻撃(それに基づくフリードマン学説批判)はまったく別問題。
以上、僕のいまのところの調査では、「破門」事件の存在そのものを疑っています。何か情報あれば教えてほしい。
さらに再三念のためにいうが、ある学説の主張とその主張者の人格や帰属先とを関連づけるような批判は批判ですらないのはここで何度も強調しておきたい。
■[経済] The Economist セレクション 情報

バカげた誹謗中傷よりもこのセレクションを読むほうが比較できないほど有益。
「木を見て、森も見てみると:森林は増えている」
http://cruel.org/economist/economisttrees.html
「再生可能エネルギーは補助金次第のバブル」
*1:というかナイトの経済思想では簡単にいうと銀行などの企業に「倫理」ここでの「ジェントルマン性」が内在しているという主張自体を採用するわけもなく、銀行が「ジェントルマン」を理由にフリードマンの依頼を断ったならば、まずは銀行のその欺瞞を批判するんじゃないのかしら? ご参考http://cruel.org/econthought/profiles/knight.htmlの特に『競争の倫理』のところ
http://www.tbs.co.jp/news23/taji.ram
私、元為替ディーラーなのですが、フリードマンのポンド空売り話はスペキュレーターの擁護論みたいに、昔働いていた銀行のディーリングルームでもシカゴ帰りにより「テキトー」に語り継がれていたような気もし、ソロスなどもそうなんでしょうが民間伝承として、この手の話が大げさかつ不正確に変質して行くのは、なんとはなくですが、わかる気もします。
「アメリカや中国はこの両国より大量の樹木を伐採しているけれど、でも失った材木の量で見るとこの両国のほうが上だ。」ちょっと理屈がつながらない感じがして、原文を見たのですが、
both countries lost greater volumes of timber than America and China even though America and China harvested more wood.
ブラジルとインドネシアは「伐採」(harvest)以外の方法で、木を失っているということですよね?(火事とか、腐朽とか) なので、「失った『樹木』の量」としたほうがよいのではないでせうか>訳者様
>Kmori58さん、ネタの提供ありがとうございます。相変わらずですね、あの番組w しかし多事争論という言葉はたしか福沢諭吉の言葉(少なくとも由来のひとつ)で、彼の考えはよほどフリードマンに近く、さらには競争市場と補完的ゆえに多事争論が可能だ、という主張だと理解しているんですが(福沢専門家の皆さんこの単純化を許されよw)、100年以上経過すると多事争論の意味も変容するんですね 苦笑
>なんちゃって教授さん、はじめまして。これは貴重な証言をいただき助かりました。実はこの悪夢本はフリードマンの事例を「きちんと」wソロスと印象比較してまして、まさにその意味でもある種の定番なものなんですよね。
「太陽光発電に的をしぼったサンノゼでの別の類似イベント」の前の段落がまるごと抜けています。>訳者様
入れ違いにて失礼しました。こんどからメールにします。
軒先お借りして失礼しました>田中様
ところで、以前、朝日の書評をここに貼り付けた者でございます。あのときは「なんちゃって大学教授」としましたが、「なんちゃって」が大学にしかかからないと捉えられると、I先生に見つかると怒られるかもしれないので、正確を期したわけでございます。
ちなみにI先生はE田先生でもないです 爆
を読むと、宇沢弘文は
1.67年当時といっていますね。
5.「破門」なんてことも言っていませんね。
ただ、「No, we don’t do that, because we are gentlemen.」という言葉は紹介しています。
でも、「紳士」云々ということよりは、空売りをするための「証拠金を融資するわけにはゆかない。我々は法律を守る紳士だから。」くらいのことを言ったのではないでしょうか?
もしフリードマン先生が、自前で空売りのための保証金を準備していたら、銀行ですもの、断る理由はないでしょう。
どうも、そんな気がしますね。
でも、投機で稼いだのはリカードだって、他ならぬケインズだってやったことです。フリードマン先生だけにこんなエピソードがネガティブに伝えられるのは、きっとそういうスノブ的な匂いが先生にあったんでしょう。
もちろん、道徳的なことと学問成果とはなんの関係もないことは、言うまでもありませんが。
5すでにこれはコメントしましたが、内橋本でも『ヴェブレン』でもニュアンスは「破門」ですが、それでも「そういうことが重なってナイト教授が我慢できなくなり、フリードマンともうひとりの仲間のスティグラーの2人と仲間皆を呼んで、2人を前にして「あなたたち2人は私の最初の学生である、しかしお前たちのやることは目に余る。今後私のところで勉強したということを言うことを禁止する」ということをあなたは「破門」ではないと解釈されてますが、それだとすればどういう意味でこれを宇沢さんは紹介したんでしょうか? 勉強したことは事実ですのでその事実そのものを否定するというのはナイトほどの人はできないでしょうね。となるとやはり「勉強したということは禁止する」というのは内橋・宇沢のニュアンスのとおり破門ではないでしょうか? ほかにどんな読み方をされたか教えてくれませんか。
またナイト71年のスティグラーの本の序文ややはり67年以降版を重ねた『競争と倫理』のフリードマンの序文にはふたりがナイトの学生であったことが公にされているわけでして、「破門」であってもまたあなたの解釈される?非「破門」であってもともにおかしいことになりますね。
あの「証拠金」の話と「スノッブの匂い」というのはまったくあなたの空想に基づくなんの事実の提示もない話ですね? どうしてそういうふうに勝手に事実を捏造して人を批判できるんでしょうか? そういう行いはご自分の中で処理してもらえませんか?
まず、先のわたしのコメントの「5.『破門』なんてことも言ってませんね。」というところは、「5.『博士号云々』なんてことは言ってませんね。」に訂正させていただきます。
わたしの書いたことは、単に、ふたつのファクトについて、内橋は「誤記している」ようですということです。したがって先生の論旨には逆らっておりません。(・・・と、ひたすら恭順の意を示す)
ほんとうは「以上」とすべきなのかもしれませんが、以下、「事実の捏造」とおっしゃられたところを中心に。
まず「破門」につながるポンドの空売り事件はどういうことだったのだろうかということ。フリードマン自身が、自著で2・3のように「ジェントルマン」にふれず、「ジェントルマン」のように書いているのは、人間としてごく自然な話のように思いますが、ポンドの空売りをしようとして法規制にぶちあたり、その不合理(?)に(小さく)怒ったということは、おそらく、間違いのない事実なのではないでしょうか。
わたしは常識的な人間なので、先に挙げたURLにある立教大学での講演で、宇沢がウソを言ったとは思えません。(講演で宇沢は「僕は、金融論も教えていましたが、マネタリーディシプリン、銀行が持つべき職業的な倫理を説明するときに、フリードマンの話をよく使っていました」と言っています。たぶん、金融論を教えていたのはフリードマンのいるシカゴ大学でのことでしょう。−−もっともこの言葉自体がウソならばお手上げですけれどね)
ですから、フリードマンが「資本主義のもとでは儲かるときに儲けるのがジェントルマンの定義である」と言ったことと、銀行のデスクが「No, we don’t do that, because we are gentlemen.」と言ったこと、つまり「ジェントルマン」という語が「こだわって」使わているふたつの言葉が成立するケースを推定して、「そんな気がしますね」と書きました。けっして「真相はこうだ」あるいは「これ以外にはない」などと断定したわけではありません。
でも、そんなことはおまえの胸にとどめておけ、あるいは、「事実の捏造」をしていると読めるとおっしゃるのなら、お詫びします。
最後。「スノブ的な匂い」というのは、先生が眩暈を覚えたほどのネタが流布しており、わたしもそのいくつかを読み聞きしているための偏見です。そのいくつかについて、「真相はこうだ」を明らかにしていただき、我が偏見を解消していただけるのを心待ちにしております。
ところで、投機で財産を築いたはずのケインズに、この手の「人格攻撃」エピソードはあるのでしょうか?、品質保証が専門の門外漢ですから、専門家による公平(衡平という語もなかなか味がありますね)なところをお願いできないでしょうか。
僕はナイトとフリードマン+スティグラーの経済思想はやはりかなり別物と理解してまして、思想の水準での対立を宇沢・内橋両氏が言及されるならばなんの問題もないと思います。しかしナイトの著作での競争市場での人間のある種の尊厳を担保する、という主張と、人間の人格や尊厳を否定する「破門」という行為が僕のナイト理解では全く結び付きません。これが従前からのこの宇沢発言への違和感でした。で、内橋本や今回のフリードマンの逝去にともなう各種メディアの報道に接してこの種の話が多く聞かれたので事実を調べようとしました。するとどうもナイトの行為(自身の本の再版でスティグラーらの新規の関与やまたフリードマンの継続的関与を認めている)は破門の行為と明らかに異なります。またスティグラー、フリードマン夫妻の自伝でもナイトとの思い出は家族ぐるみの話も含めていわゆるいい思い出です。日本で流布してフリードマンらの批判につかわれているエピソードの「意味づけ」=破門とはおよそ異なる事実と自伝の事実があります。あなたの書いたことはそれのいずれにも依拠しない、誤記と推測だけの産物ですね。
1ジェントルマン発言のあなたの「そんな気がしますね」を支える事実が全然ないです。それを長く書くことであなたは満足するでしょうが、それ以外は私は迷惑ですね。もうこの手の議論にはご存知かもしれないけどアメコミ、量子ファイナンス論争?以来、この種の議論をやられる方のタイプと落ち着き先がわかっているので早めに「自分の内部で処理してください=もうここで演説しなくていいよ、何かくかわかってるし意味ないから」とシグナルを送るようにしてます。これはかなり率直に書きましたがわかっていただけない方が多いのでやむなくより鮮明に表現させていただきました。ご不快かもしれませんが、いままで二度もコメント欄で同じことを書いてますのでその時間的損失を最低限にしぼりたいのでご容赦ください。ともあれ、おわかりいただけなかったのが残念ですね。
2 「スノブの匂い」は偏見ですか? あなたの偏見を解消する義務もなく、こういうことを書く人を説得する自信もないです。
僕にはあなたが「人格攻撃」に便乗してフリードマンを批判しているようにしか残念ながらみえないんですよ。というわけであなたご自身認めてらっしゃるように、誤りと偏見と類推の発言でしかなかったようなのでそれでいいのならそれであなたはお考えくださいな。