異父兄弟である日本人と韓国人

 

 日本人の起源

 「大和民族」は数万年前から日本列島にいた人々(縄文人)と、大陸から2、3000年前に渡ってきた渡来人が混血してできた人種である。ここでいう日本本土人とは日本の本土3島(九州、四国、本州)に居住した人々を主に指すことにする。また朝鮮半島人を韓国人と書く。なぜなら、ほとんど総ての遺伝子の資料は北朝鮮ではなく、韓国で得られたものだからである。

 アイヌ人と沖縄人は、より縄文系が強いと考えられている。さらに日本の周りには朝鮮半島や満州、中国、そして太平洋の南方諸島がある。これらの人々と日本人はどんな関係にあるのだろうか。

 20世紀には日本人は、言語や体の形態から朝鮮半島の人々に近いと考えられてきた。水田稲作と金属器が始まった弥生時代は人骨の形態も変化するが、それは大陸からの大量の移民のためだと考えられた。さらに『日本書紀』などにも朝鮮半島からの大量の帰化人が記載されていることもある。

 とはいえ大陸からやってきた渡来人と、それまでにいた縄文人が混血の割合は最近まであまり正確に分からなかった。しかし、分子生物学の進歩によって、遺伝子の解析がされるようになって段々と正確な推定がされるようになってきたのである(註1)。

 

 

 ミトコンドリアや常染色体からみた日本人

 初期の血液型に代表される遺伝子の多系の研究や、常染色体上の遺伝子の解析では、従来の通説通り、本土人は朝鮮半島人と近いと言う結果であった。正確に書こう。常染色体上での昔から知られていたよく知られた機能遺伝子15個の頻度の比較では、日本人は韓国人と最も近く、ついで北部中国人やアイヌ人に近い。アイヌ人は日本人に近いが、北部中国人とは離れている。

 常染色体の遺伝子で見ると日本人と韓国人の関係は非常に近い。一般的には地理的な分布も考えれば、「モンゴル−韓国人−本土人−アイヌ人」となるはずなのに「日本人」と「韓国人」の位置が逆になったことを示す論文もあるくらいである。これは日本人と韓国人の遺伝子の頻度が場合によっては区別できないほど近いことを表している。

 平均的にいえば、

Omoto and Saitou, 1997)のような、関係を示す論文が多い。

 しかし、各DNAは数も多いだけでなく、機能遺伝子には環境からの淘汰がかかるので類縁を正確に示すとは限らない。また両親から伝わるので系統が複雑になる。このようなわけで、最近多く用いられるのが、母系からのみ伝達されるミトコンドリアDNAと、父系からのみ伝達されるY染色体DNAである。これならば、祖先をたどる系列が単系列になって祖先の理解が簡単である。

 ミトコンドリアは解析が比較的に簡単だったので、全生物で早くから調べられていた。ミトコンドリアは母親から子にしか伝わらないから、息子に行ったミトコンドリアは子孫を残せず、単系統の母系遺伝になる。ただ、人間に応用する場合、進化スピードが遅く、民族の混合の時に混じってしまうので、どの集団でも多様性が高いことが多くなる。小人種(だいたい隣接民族に対応)などの細かい分析では、一目見ただけでわかるようなはっきりとした結論は出にくい。それでも統計的な処理を使って、多くの研究がされてきた。結論は、下の図5の中に挿入されているように、やはり本土人と韓国人が極めて近く、沖縄人やアイヌ人が少し離れている。日本人は現代の山東省の人々とも近い。

 この研究でもそうだが、常染色体やミトコンドリアの研究で、ときどき韓国人が本土人より少しだけ沖縄人やアイヌ人に近いという結論が出ることがある。これは研究の分析限界、つまりサンプルや手法の誤差だと考えられている。つまり、ミトコンドリアからの分析では韓国人と本土人はまったく区別がつかないくらい似ているのである。

 ミトコンドリアの頻度について具体的には以下のようなものになる。

 

(日経サイエンス2007年6月より)

 

各型の頻度の違いはあるが、台湾先住民を除いてどれも似ている。本土人は韓国人に近いのみならず、沖縄人に多いM7aというタイプを除けば、山東・遼寧人とも非常に似ている。M7aは縄文系のミトコンドリアと推察される。ミトコンドリアでは、本土人は北部中国人ともかなり近い。

 

 

 Y染色体から見た日本人

 ミトコンドリアDNAの分析に遅れて、分析しがたかったY染色体上のDNA配列が分析できるようになってきた。Y染色体は父から息子に伝達されるので、ミトコンドリアと対称的な父系の単系統である。これに基づいて人間の起源や類縁性が論じられるようになり、当然、日本人にも応用された。

 その結果だが、ミトコンドリアや常染色体の遺伝子と違って、本土人と韓国人、そして北部中国人はあまり似ていないのである。

(日経サイエンス2007年6月号より)

 

 とりわけ異なるのは、Yap+という染色体である。これは下図の世界分布でのDという染色体に相当し、日本以外ではチベットでしか多くない、起源の古いY染色体である。ちなみに中国人に多いM175は概ね、下図のOにあたる染色体である。

 

http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf を元に作成)

 頻度が微妙に違うのは、調査した集団の違いのためだと思われる。実はこの染色体D(Yap+)は、沖縄やアイヌではもっと多い。アイヌではほぼDとCである。縄文人の染色体はあまり分かっていないが、Dが多いと推測されている。

 ちなみにアイヌ人や沖縄人に似ている縄文人は、20世紀後半にはシベリアのとりわけバイカル湖付近で発生した北方由来の人種と思われていた。これはY染色体ではC型かN型である。しかし、Y染色体の研究が進んだ今では、むしろ南方由来のD型の要素が4倍ぐらい強いことが分かる。上の図を見てもエスキモーと日本人はあまり関係がない。そしてイヌ橇で有名なエスキモー犬と、大和犬やアイヌ犬も全然近くないのである。常識が変わったのである。

 要約すると常染色体やミトコンドリアと異なって、Y染色体は大陸の人々とは余り似ておらず、アイヌ人や沖縄人に似ているのである。アイヌ人はほとんどが、D型であり、少数がC型である。

 下図で、概ね赤(ht4)がO型、水色(ht7)がC型に当たる。

 これはギャップである。

 日本本土人の常染色体やミトコンドリアでは朝鮮南部とほとんど差がなく、アイヌ人や沖縄人との差のほうがずっと大きいことは、母系の大多数が渡来人の系列であることを意味している。しかし、Y染色体の約半分がアイヌ人と共通であり、沖縄人とも似ていることから、父系の約半分は縄文人由来なのである。つまり、父系と母系の頻度が異なっている。日経サイエンス2007年6月号「対談 DNAで探る日本人の起源」の中で、人類学者の篠田謙一博士の言葉を借りると、「すると「渡来人は全員女だった」と言う話になるんです。これは絶対あり得ない」というほどである。

 人類集団で性比は例外なく1:1から大きく外れない。そして、もちろん渡来人が女性中心だったことはありえない。移民は先住民の領域に進入し、土地を多かれ少なかれ奪い取るのだから、武力の中心である男性も多かったはずである。というより、過去を見ると、集団で移動するのは男の方が多い。それにもかかわらず、なぜ、Y染色体が縄文人に近いのかは、謎に見える。

 

 

 Y染色体の特徴

 しかし、私の専門である人間を含む動物の進化生物学の分野では、これは謎でも何でもない。このようなパターンは実際にあり得ることで、第一に考える説明も決まっている。

 それはオスとメスの潜在的な繁殖能力の違いによる説明である。好条件にあるオスは多くのメスと交尾できて、多くの子孫を残すことができるのだが、メスはいくら好条件があってもそれほど子孫の数が増えない。このため、シカなどでは社会で優位なメスはオスを産みやすことなどが知られている。子供のある程度、メスの健康状態や地位を受け継ぐので、オスを産んだ方が孫の数が増え、遺伝子がより残せるのである。このような例は『行動生態学』や『社会生物学』に関係する教科書に必ず書いてあることなので、興味のある人は読むことをお勧めする。

 要するに社会的な地位の高い哺乳類のオスは、社会的な地位の高いメスより子孫の数が多いということなのである。

 これ以外の説明が絶対にできないことはないが、そのような説を主張するには、該当するY染色体の増殖率が異常に高い、性比が極端にメスに偏っているなどの特別な理由とそれを示す証拠が必要なのだ(註2)。

 よって、まず人間でも常識的な説明を採用するのが自然である。

 人間でも男と女の配偶パターンは若干違う。人類は基本が一夫一妻だが、一夫多妻や乱婚的な要素を持っている。だから男は権力や財力によって多くの妻を持つことや、征服によって女より多くの子供を残す可能性がある。このようなことから、先住民と移民の遺伝子は、母系と父系では異なることが知られている。

 実は人間でも、Y染色体からみた人種民族集団の類似度と、ミトコンドリアや常染色体からみた類似度が異なるような例は、もう既に知られている。ラテンアメリカの例、散在する太平洋諸島の例、インドの例である。現在のラテンアメリカ諸国は16世紀以降スペインやポルトガルに征服された。やってきたのは主に男性である。兵士として来た人や新天地で一山当てようとした人々が主なのだ。その結果、ラテンアメリカ諸国では白人系のY染色体が多いのに対し、ミトコンドリアなどでは白人由来は少なく、先住民のものが多くなっている。同様なことはポリネシアのヨーロッパ諸国の植民地でも起こっている。「原住民」のミトコンドリアを調べても白人系のミトコンドリアは全くなかったのに、Y染色体は白人系が多く見つかるのである。グアムなどのマリアナ諸島などではもっと酷いと考えられる。スペインの圧制に対して大反乱を起こした原住民は大虐殺にあい、大人の男は残らなかったと記録されているので、現地人のほとんどのY染色体が白人系なのに対し、ミトコンドリアはミクロネシア系だと考えられるのである。(ブライアン サイクス『アダムの呪い』ソニーマガジンズ, 2004、スティーヴ ジョーンズ『Yの真実-危うい男たちの進化論』, 化学同人, 2004などを参照)

 インドの場合は、3000年以上前にアーリア人(白人の一人種)が中央アジアからインドに侵入し、上層階層を形成した。その結果、父系は母系に比べてアーリア人が比較的に多いのである。

 

 

 ジンギスカンのY染色体

 Y染色体が圧倒的に増殖した一つ極端な例をあげよう。13世紀に世界最大のモンゴル帝国を創ったジンギスカンのものらしきY染色体が発見されたのである(Am. J. Hum. Genet. 72:717–721, 2003)。この遺伝子は、中央アジアを含む近年の世界的規模でのY染色体調査で発見された。この話題を、テレビを初めとするマスメディアで聞いた人も多いと思う。しかし不正確で不十分な理解がされていることが多いので、ここでは詳細に紹介したい。

 このY染色体はたったの千年程度で急速に広がった染色体である。現在の技術レベルでも千年間でも17以上の突然変異が分かっており、Y染色体の識別能力の高さを示している。下図、水色の枠の内部がそれと推定されている遺伝子である。

(Am. J. Hum. Genet. 72:719, 2003)より引用、

 このY染色体は、モンゴルの影響下にあった遊牧民で広く見られる(しかし、全体でも8%以下である)。総計1千万人以上が持っていると推定されている。このことから、好色で子孫も多かったジンギスカンのY染色体と推測された。

 ちなみにジンギスカンのY染色体を十数億人が持っているという一部報道は間違いである。ただし、千年前の先祖はダブっている者も含めれば1兆人いるので、ジンギスカンの遺伝子を少しでも持っている人間は、それぐらいになるかも知れない。誤記・誤解であろう。

 ただし、このY染色体は中央アジアの旧遊牧地帯の国家で多いが、他の地域では少ない。モンゴル軍を撃退した日本は言うまでもなく、二百年間程度、モンゴルの占領下にあった韓国や中国でもほとんど見られず、ロシアや中東などの他の主要民族でも少ない。一部に言われている常識と反対に、中国や韓国が遺伝的にモンゴル化したという証拠はない。

 

(Am. J. Hum. Genet. 72:719, 2003)より引用、青い部分がジンギスカン由来のY染色体と推定される部分。

 

 このように、一時的にモンゴルの占領下にあった主要民族でジンギスカンのY染色体がほとんどないことは、Y染色体というのは百年ぐらいの短期間の占領では、文化の壁を越えて広がらないことを意味している。民族が融合するほどの長い期間、社会の上層部にいる必要があるのである。

 こういうことから、縄文人と渡来人が融合した上古代の社会の上層部は、縄文系が渡来系より遥かに多かったことを示しているのである。要するに縄文人は、移民してきた渡来人集落をかなりの確率で征服したのだ。縄文人を祖先とする比較的少数の人々が社会の上層部にいて、多数の渡来系の人々を支配していたのである。これ以外のパターンはあり得ない。

 しかし朝鮮半島では、この縄文系の人々による征服は起こらなかった。もともと半島には縄文人はほとんどいなかったのだろう。だから、Y染色体と他の遺伝子では頻度が違うのである。

 

 常染色体とミトコンドリア

 常染色体は父親と母親の両方から遺伝する。すると常染色体はY染色体とミトコンドリアの中間の頻度を示すように思える。しかし、前述のように日本本土人と韓国人の常染色体の遺伝子頻度はミトコンドリアに近く、Y染色体とはまったく異なる。これはなぜだろうか。

 これを解説するには、少し細かく議論する必要がある。

 実は、頻度が中間の値を示すのは父親が縄文系で母親が渡来系の場合の一世代子孫だけ考えたときなのである。Y染色体は息子にしか伝達されないが、常染色体は半々の確率で息子と娘に伝達される。社会的な地位が親から子へ伝達されるとすると、増殖率が決定的に異なるのである。最も単純なモデルを考えてみよう。

 まず、ミトコンドリアで日本人と韓国人で違いが少ないことは、初期の弥生人の集団で縄文人由来の人間が渡来人よりずっと少なかったことを意味している。そこで、渡来人の大集団の中へ縄文人が少数進入したとする。娘の増殖率が1として、息子の増殖率がとする。すると世代後のY染色体は倍になるのに対して、常染色体は 

 

で増える。一世代の増殖率が2倍ぐらい異なる。常染色体の頻度差がほとんどないにもかかわらず、Y染色体だけ半分程度異なるには十分な世代だけ、縄文人のY染色体が社会の上層部にいる必要であることが分かるだろう。

 厳密に調べれば、常染色体の頻度はミトコンドリアとは少しずれて、Y染色体に近いはずである。しかし現在、人間の系譜を調べる研究はもっぱら単系遺伝をして解析が単純なミトコンドリアかY染色体になってしまっており、常染色体からの研究はまったく流行らなくなっている。当分、このことは正確には分からないだろう。

 

 日本語、韓国語、琉球方言

 縄文系のY染色体の異常な増殖は、言語学による知見とも整合する。日本語は朝鮮語と余り似ていないのである。

 安本美典博士による計量言語学の研究によれば(『日本語と日本語の起源』[1991]毎日新聞社、『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』[1991]JICC出版局などを参照)、首里語(琉球方言)は日本語に近く、孤立語の日本語からするとほとんど方言にすぎない。しかし、日本語と韓国語はかなり異なる。文法以外に類縁性を見いだせないほど離れている。韓国語と日本語より、日本語とアイヌ語の方が近い。

 また、上古日本語(奈良時代ぐらいの近畿方言だと考えて良い)と現在日本語(東京方言)も、首里方言ぐらいの差しかない。古代朝鮮語はほとんど分かっていないため、高麗朝の中期朝鮮語と現代朝鮮語を比べても余り変わらない。言語は時間に対して頑健なのである。

 しかし、日本語は現代語も上古代語も、現代および中期朝鮮語とはかけ離れている。基礎二百語の音の類似度から測って、日本語と現代朝鮮語の距離がどれだけ離れているかを他言語と比較すると、日本語とカンボジア語、ネパール語、ベンガル語、インドネシア語、アタヤル語(台湾先住民の方言の一つ)くらい離れている。ついでに安本博士の計った言語の中で日本語と5%有意に関係のある言語を述べると、クラマス語(アメリカ先住民の言語の一つ)、中期朝鮮語、北京方言、客家語である。

 その上、中期朝鮮語より、現代朝鮮語の方が、なぜかずっと日本語に近い! 古代の朝鮮語と日本語が現在より似ていたという証拠はほとんどない。むしろ逆なのである。

 琉球は『日本書紀』や『古事記』には出てこない。出てくるのは種子島までである。もちろん、朝鮮半島に関係する記事は大量にある。しかし、古代には既に日本語と朝鮮語ははっきり異なっていて、そのころから既に琉球語が、日本の方言であったのである。古墳時代以降の大量の帰化人がその後の日本語に大きな影響を与えた可能性は少ないといえる。もし、影響を与えたのなら上古代や現代の日本語は、影響を受けていないはずの琉球語と大きく異なるはずだが、現実は上古代日本語と現代の日本語と同じぐらいしか、上古代日本語と琉球語は離れていない。単なる時間変化とほとんど区別がつかないほどである。これは弥生時代の初期に日本語が成立して、以後、余り変わっていないことを意味している。また、沖縄人が縄文人の血を強く受けていることを考えると、日本語は弥生時代の渡来人系由来の言語ではなく、縄文の影響を強く受けている可能性が高い。

 文法的には、日本語と朝鮮語はアルタイ語の特徴を持っており、類似性はあるのだが、それでも日本語と(札幌方言の)アイヌ語程度の類似でしかない。

 これも常染色体やミトコンドリアから見ると謎であった。本土人は沖縄人より韓国人に近く、アイヌ人とは大きく離れているからである。

 しかし、Y染色体の類似度はこの謎にも答えを与えている。

 言語は父系伝達の要素のほうが大きいのである。たとえばフィンランド語、エチオピア語、インドのデリー方言などである。さらに社会の上部層から下層に流れる傾向もある。10世紀ぐらいの古代英語はオランダ語に近く、現代英語とはかなり離れている。これはフランスのノルマンディー公がイングランドを征服してノルマン朝を作り、フランス語の影響を受けたからである。また、南米の多くの国家では先住民系の遺伝子のほうが高いにもかかわらず、征服者であるスペインやポルトガル語に統一されてしまった。宗教もそうだが言語も遺伝子よりも強く征服者の影響を受ける。例外は文化レベルが圧倒的に被征服者の方が高いか、あるいは圧倒的に人口が多い場合のみである。

北部インドの言葉がインドヨーロッパ語族なのもそのためである。さらに文化の高い方から低い方へ流れる傾向にあることは言うまでもない。清朝で満州人が漢化された例を考えればわかるだろう。

 縄文人のY染色体の異常な増殖は、弥生から古代にかけて社会の父系支配層が縄文系だったことを意味している。そのおかげで、もともと渡来系の集団の言語が強く縄文化したのである。弥生時代の渡来人の言葉は原韓国語(今はよくわからない古代の朝鮮半島南部の言葉)に似ていたと考えるのが一般的だが、必ずしもそうとは言えない。何度も言ったように琉球方言が日本語方言に過ぎない事を考えると、朝鮮語の成立の過程で北方の単語を取り込んで大きく変遷を受けたのかも知れない。また、言語の縄文化という文化の強弱から考えると、渡来系よりも縄文系の文化が圧倒的に遅れていたわけでもなさそうだ。

 ついでにいえば、上の最初の図で示しているように常染色体からみるとアイヌ人と沖縄人はあまり似ていない。日本列島の最北と最南に別れていたので、縄文時代にあまり混血せずに別れていたのである。そして沖縄人の方が本土人に近い。だから、言語もアイヌ語は日本語とも沖縄方言ともかなり違う。

 この日本語の起源は、弥生時代を作った渡来人がいつどこから来たのかと関係している謎である。隣接し、遺伝的にも近い韓国語とは極めて薄く似ているに過ぎない。むしろ、南方系のビルマ・チベット語族やカンボジア語に似ている。

 ところで、安本博士の研究ではアメリカ先住民のクラマス語が、わずかではあるが日本語と有意に似ていた。はたしてこれは偶然なのだろうか。Y染色体やミトコンドリアDNAの研究ではいくつかのタイプが、アイヌ人や縄文人とアメリカ先住民の類似性を示しているという研究が増えてきたし、形態もアイヌ人とアメリカ先住民が似ていると指摘されている(Brace et al,2001, PNAS,98:10017)。その名残の可能性がある。

 

 縄文人の例外的な部分

 先に中南米、太平洋の島々、北部インドなどで母系と父系の頻度が異なるという例をあげたが、日本人の場合は、状況が例外的に違う点もある。

 父系と母系が異なる場合のほとんどは、後からきた移民の方が父系の割合が多く、母系の割合は先住民系が多い。南米、太平洋の島々など、欧米人が植民して混血した地域はほぼ例外なく、このパターンである。Y染色体は白人由来が多く、ミトコンドリアでは原住民由来が多いのである。インドもこのパターンである。

 これは、移民が征服を伴うのが普通だからだ。先住民の方が移住者より軍事的に強いと、そもそも移民できない。移民が可能なのは移住者の方が強いからであり、これは兵士になる男の割合が多いほど有利である。その結果、父親は移民であり、母親は原住民という組み合わせが多くなって、母系のミトコンドリアと父系のY染色体の由来が違ってしまう。

 これを普通に当てはめると、日本人も渡来人系の方が父系のY染色体に強く出ており、縄文人は母系のミトコンドリアに強く残っているはずだ。

 しかし現実は逆である。

 縄文人は、軍事的に強かったようだ。実際、古代社会で日本の辺境にいた蝦夷や熊襲は、縄文の血の濃い人々だったが、彼らは人口が少なかったはずなのに、記紀の記録によれば大変に精強で大和朝廷を悩ませたのである。

 これに対して、渡来人は、あまり縄文人が利用しなかった平野の沼地に植民した。それも縄文人の人口が割合に少なかった西日本に入植したのである(縄文人の数が多い東日本には長い間入植できなかった証拠がある。これらについては後述する予定)。縄文人は数が圧倒的に少なかったが、多くの渡来人植民地をたちまち制圧し、支配下においた。つまり支配層の少なくない部分、というよりほとんど総てが縄文系で置き換わったのである。こう考えないと、入植者系と原住民系が世界史の通例とは逆パターンの母系と父系の頻度の違いが説明できない。

 

 縄文人とアイヌ人

 前世紀の常識では縄文人は奇妙な土器を作る狩猟採集民と考えられていた。遺伝的にどの人種よりもアイヌ人に近いため、アイヌ人と同じような生活をしていたと考えられていたのである。実際、アイヌ人は農耕のレベルも定住のレベルも低い。

 だが、縄文人がアイヌ人のような生活をしていたという考えは否定されつつある。もともと北方から少数の原日本人が来ていたのだが、縄文人は南方の海を渡ってきた大海洋人種であり、高度な海洋渡河能力があった。アイヌ人は原日本人と縄文人の混血の最北端にいた周辺的な一派なのである。

 むしろ、縄文人は南方系の農業を持っていて、その分派であるアイヌ人は北海道や千島か樺太といった寒冷地に移民したときに、寒冷地に適さない農業を忘れて(捨てて)狩猟採集に特化した縄文人であることの可能性が高くなってきている。縄文時代末には下北半島でも農業が行われていたのである。

 縄文人の遺伝子が南方系要素の方が強いと述べたが、アイヌ語や日本語は言語学的にはアルタイ語に似ている。この意味するところは縄文人自体が二層になっており、最初に北東アジア出身のアルタイ語系の人種がやってきたあと、ビルマ、チベット、カンボジアと共通する別人種が南方から強力な文化を持ってやってきて混血したためだろう。縄文人の遺伝子は、今はまだ研究例は少ないが、南方の方がずっと強いようだ。今後、もっとはっきりしてくるだろう。

 遺伝的に縄文人とアイヌ人は近く、古い人種である。他のどの人種とも離れていて、独自の古い形質をもっている。アイヌと縄文の頭蓋骨のマイナー変異を組織的に調べた百々博士によると、比較的に三大人種(黒人、白人、黄色人種)から離れていると言われるアボリジニ(オーストラリア先住民)よりも、隔絶した形質を持っている。曰く「三大人種のいずれにも属していない。誇張した表現をすれば、モンゴロイドの大海どころか、現世人類の大海に浮かぶ“人種の孤島”といえる」(百々幸雄「縄文人とアイヌ人は人種の孤島か?」遺伝61,No.2,p.50-54)

 アメリカへのモンゴロイドの移住は最低、二回ある。一回目は一万二千年前から1万5千年前頃の氷河期でベーリング海に回廊ができた時であり、二回目は5千年から2千年前にイヌイット(昔の名前でエスキモー)が北極海沿岸で生活する能力を獲得した時期である。イヌぞりなどで有名なイヌイットは比較的に最近生まれた民族なのである。実際、アイヌは北方に生活するにもかかわらず、イヌぞりなどを持たなかった。

 アメリカ先住民の由来を形態的に分析した論文では、アメリカ先住民とアイヌ人や縄文人は似ており、一回目の移民は縄文人に似た人種が、アメリカに移民したと結論している(Brace et al,2001, PNAS,98:10017)。20世紀の後半に多数意見であったアメリカへの最初の移民は「新」モンゴロイドであることは否定されつつある。むしろ、アメリカ先住民にあるC型Y染色体やミトコンドリアのD型の変異は古い型であって古モンゴロイドの系譜を伺わせるのである。最初の移民もベーリング海を伝っての経路が現在の通説だが、将来は海を渡って来たことになる可能性もないわけではない。

 

 抜歯と支石墓

 このような遺伝子の理論と証拠から、考古学の形態的な証拠を再び吟味してみることは必要である。

 事実、改めて考えてみると、渡来人がやってきて誕生した弥生時代の最初期から、社会の上層部が混血していたことを示す証拠はたくさんある。

 例えば、抜歯である。後期の縄文人には抜歯が流行っていた。

 一部のモンゴロイドは顎が退化したのに歯の進化が追いつかず、歯が重なって生えることが少なくない。少なくても当初は、この特有の醜くて、不都合な八重歯を抜くという意味があったと考えるのが妥当だろう。

 この抜歯は、かつては縄文人の風習と考えられていた。しかし弥生時代の渡来人の人骨群であるはずの土井ケ浜集団でも盛んに行われており、これは謎だったのである。

 また支石墓は、紀元前千年頃に満州発祥で朝鮮半島に広がり北部九州まで到達した墓文化である。日本では縄文末から弥生時代初期に見られる。ちょうど、日本人が形成される頃である。支石墓は起源からして北方系渡来人の風習のはずである。しかし、渡来系の中心であったはずの、九州最北部、糸島半島の新町遺跡にある支石墓からは、縄文系の遺骨が発見されている。埋葬された人骨は当然、社会の上層部の人と考えられ、抜歯を伴っている。

 このように渡来人が、すみやかに征服されたと考えるのは妥当なのである。

 20世紀には、弥生時代や記紀の時代の上流階層である皇室や豪族は、大陸からの渡来人の血を濃く受けていると考えられてきた。渡来人は「先進的」な技術を持って渡ってきたことと、実際に記紀を初めとする文献に渡来人を祖先とする名族が記載されている例があるからである。これは今なお有力な説ではある。しかし、Y染色体とミトコンドリアや常染色体の違いから考えると、稲作の導入によって日本人が爆発的に増えた弥生時代の豪族や貴族と言った支配層は縄文系が多かったことは疑いない。進化生物学は、そう予言するのである。上流階層に比較的に渡来人の割合が多くなったのは、人口の増大が落ち着いたもっと後の時代なのである。

 私としては、初期の弥生人の人骨のみならず、ぜひ古墳や天皇陵に葬られた古代の貴人の骨に残っているY染色体DNAの研究を待ち望んでいる。

 

 

 

(註1)総説として、斉藤(2002)地学雑誌(Journal of Geography)111(6) 832―839 2002

http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-6/p832-839L.pdf

が、入手しやすくよくまとまっている。

 

 

(註2)私は進化生物学者なので、特定のY染色体の異常増殖についての例外的な説明についても触れておくことにする。それは次の三つ以外ではほぼありえず、これ以外の説はまったく聞いたことがない。

 

(1)分離歪み(マイオティック・ドライバー)遺伝子がある。

(2)その地域の特異的な環境に適応している

(3)オス化の度合いが違い、攻撃性などに現れる。

 

 しかし哺乳類のY遺伝子は概して機能遺伝子が少ない。人間でもそうである。これにはW.D.ハミルトンによる興味深い学説がある(Hamilton, W. D., Extraordinary sex ratios, Science(N.Y.), vol.156, pp.477-488. 1967)。簡単にいえば、Y染色体に多くの機能を持たせると、さまざまな悪さをするから、減らすように(種淘汰によって)進化したというものである。よって哺乳類のY染色体は小さく、機能する遺伝子も少ないというのである。だから、Y染色体の各タイプによって、行動や適応度の違いを説明することは、よほどの証拠がない限り滅多にない。つまり、Y染色体は淘汰に中立性または有害性を仮定する。有害性は競争力で不利になり経ると言うことだから、D型の増殖はこれではあり得ない。

 

 

 

 

 (付録)遺伝子解析のびっくりする結果

 

 ジプシーの起源

 遺伝子の解析から、20世紀には考えもつかなかったような説を生み出している。いくつか上げよう。ヨーロッパの流浪の民ジプシーの由来は不明だった。中世にヨーロッパに忽然と現れたのである。しかし、遺伝子の解析の結果、南部インドの主要人種であるドラヴィア人と共通性が発見された。移動経路は不明だがドラヴィア人を祖先としている可能性が出てきたのである。また、古代中国人の人骨の遺伝子から、北部インド、イラン、ヨーロッパを含むコーカソイドの要素が見つかることが多くなっている。古代中国人は現代の中国人とはかなり異なっていたのである。

 

 ネアンデルタール人と現代人との関係

 現在の遺伝子の解析技術は、5万年以上も前のネアンデルタール人のミトコンドリアやY染色体を骨から取り出し、現代人と比較できるほどになっている。

 20世紀まで、ネアンデルタール人は現在の人類の亜種か別人種ぐらいに考えられてきていた。たとえば哺乳類化石の専門家で断続平行説の提唱者であるスティーブン・ジェイ・グールドなどは、現代人とネアンデルタール人はほとんど外見上区別がつかず、別人種ぐらいの差に過ぎないと主張していた。「地下鉄でネアンデルタール人が服を着ていても区別が付かない」というように書いている。

 しかし遺伝子解析の結果、ネアンデルタール人の遺伝子は現代人にほぼ残っていないことが明らかになった。現在の多数説は、われわれ人類とは交配しなかった別種とする説である。グールドは人間の遺伝子のよる違いを一貫して軽視する傾向にあったのだが、骨の形態の類似性は主観に大きく左右されることを示す好例である。形態の類似は、伝統的に錯覚が多いのである。

 少し脱線したが、遺伝子の解析は数万年前の化石からでもできるレベルに達しているので、数千年前の縄文人や弥生人から遺伝子を取り出して比較する研究は今後、大量に行われるようになることは疑いない。

 

 中国人の位置

 以下はミトコンドリアから見たものである。中国北部(斉の辺り)に幾つかの時代の骨が出土している場所があった。そこでその遺伝子を調べてみたのである。すると驚いたことに、戦国時代頃はヨーロッパ人に近い遺伝子だったが、漢代あたりから、今の中国人に近い染色体になっているというのである。これがこの地域だけのことで、そこに住んでいた人が、どこかヨーロッパか中東あたりから移民してきた後、どこかへ消えたのか、それとも昔は北部中国全体がヨーロッパ系に近く、その後、今の中国系になったのかは今後の研究しだいだろう。

 つまり、春秋自体の人骨は、母系的にはヨーロッパ人に近いトルコ人よりのヨーロッパ型である。以後、段々と現在の東アジア人に近づいている。

 

 

 犬の起源

 分子生物学から動物の起源を探ることが本格的に始まったのは1980年代なのだが、この頃のちょっと古い文献を紹介したい。それは田名部雄一博士の『犬から探る古代日本人の謎』(1985)である。この本は、「犬」と題名がついているけれども、実際のところ日本人論であり、縄文人が直接、弥生人に進化(変化)したという鈴木尚博士らの説を否定することを主題にしている。対立する説は混血説、つまり縄文人と渡来人が混血して弥生人になったという説である。この直接進化(変化)説は、「東京大学人類学教室出身の学者たち」によって熱心に主張されたため戦後には有力な学説になり、はげしい議論になった。今は完全に否定されていて、この時代の人類学会の常識がわかる。

 考古学の資料では犬は一万5000年から二万年ほど前に家畜化された最初の動物である。(犬を飼わない主要人種はいないので、これは実は疑問の余地がある、もっと前かも知れない。)そして、おおむね人間の移動と共に各地に移動した。

 現在は犬の起源は北部中国、シベリアなどの東北アジアで、かつ単一起源説が有力になってきている(文献上げる!) サンタが乗るので有名なトナカイの家畜化の起源も牛と同程度は古いので、もともと牧羊犬の類だったのかも知れない。しかし20年前は、世界の多くの地域でほとんど独立に各地の野生のオオカミから家畜化されたという多起源説が否定できなかった。本書では、どちらとも言っていない。

 日本には縄文時代から犬の骨がある。縄文人は初期から犬を持っていた。犬をつれて日本列島にやってきたと考えるのが妥当かもしれないが、縄文時代の始まりがかなり古く、犬の家畜化と同じ程度であるから、あとからやってきたのかも知れない。縄文時代には犬は大切にされ、犬と人骨が一緒に埋葬されていた例もある。

 ところが、弥生にはいると犬の待遇が変わり、叩き殺した跡や各部がバラバラになった犬の骨、肉をそぎ落とした傷のある骨が発見されるようになる。これは犬を弥生人が食べていたことを示していると解釈されている。中国や韓国には犬食の習慣が残っていることに注意すべきである。犬食は特殊な文化である(『フランダース』の犬で主人公ネロが、愛犬パトラッシュを焼いては食べない)。渡来人と韓国朝鮮人の文化が近いことは疑えない。

 その後、飛鳥時代にはもう既に日本人は犬を食べなくなったのである。そして『犬から探る古代日本人の謎』では、これを犬の分子生物学から再確認した以上の結果は出ていない。

 ただ縄文犬は南方起源らしいと示唆されている。現在の日本古来の犬は、縄文犬にたぶん北方由来の弥生犬が混血して誕生した。そして、アイヌ犬には北方犬の要素はない。

 ついでに言えば、人間の移民に寄生して広がるハツカネズミも、日本の北部になぜか中国南部の遺伝子型が残っているが、北陸以南から沖縄まで大陸北方型であり、南方型は台湾に行かないといない。また成人T型白血病ウィルス(ATL)は日本人特有のウィルスのキャリアは、アイヌ人や沖縄人に圧倒的に多く、大陸では少ない。これはニューギニアやアフリカの一部にしかない希なウィルスなのだ。B型肝炎ウィルスのタイプも、沖縄や北海道(アイヌ)、東北が南方型の割合が強く、本土は大陸型が多い。これらの傍証からも縄文人は南方起源の要素が強いことは疑いもない。とりわけ、ATLはD型Y染色体と一緒に移民してきたような古い関係を示唆している。

 しかし、もうひとつ本書には特徴があり、大陸由来の物はなんでもかんでも朝鮮半島経由であると断定していることである。現在の半島には何の痕跡がない場合でもである。そもそも半島固有の文物は、少ない。犬の場合でも固有種は半島南西部の珍島犬だけしか残っていないのである。

 現在、半島にはない南方性の二化性カイコや南方系イネの直接伝播が示唆されており、大陸から直接伝播の可能性は否定しきれなくなっている。縄文人だけでなく、弥生人も華南からの中国南方系の直接移民と、朝鮮半島や山東半島からの北方系移民があったものと考えられる。

 

 

 稲作の伝来

 今の人類はアフリカ起源であるとされる。その理由はアフリカの黒人に遺伝的な多様性が高い、つまり古くから分岐した多様な遺伝子が他地域の人類に比べて多いからである。そこから別れた子孫が別の地域に移住すると、先祖の数が少なくなって、遺伝的な多様性が下がるのである(これをボトルネック効果という)。さらに後からの移住者はよほど優れた何かがない限り、先に言質の気候風土に慣れた先住者には勝てない。この推論は、人類に限らず生物進化を遺伝子から考えるときの根本原則なのだ。

 これをイネの遺伝子に当てはめるとどうなるのだろうか。

 20世紀では朝鮮半島の方が大陸に近いというきわめて漠然とした理由から、稲作はちょうど仏教の伝来のように朝鮮半島に中国から伝わり、つづいて日本に伝来したとされていた。

 しかし、生物学的に考えてみよう。

 稲は熱帯性の作物だ。初めは熱帯か亜熱帯でしか栽培できなかったのだ。それが何千年もかけて徐々に寒さに強いように品種改良されてきて、栽培地域が北上してきたのである。(もっとも植物学、農学、遺伝学の発達した19、20世紀の品種改良の圧倒的な進歩は絶大だが)。今はアジアの温帯全域で栽培されている。

 日本は朝鮮半島よりも南にある。とりわけ西日本はそうである。

 反対に朝鮮半島は寒い。例えば済州島は韓国の最南端にあり、韓国のハワイと称されている。日本で言えば、沖縄のようなものだ。この済州島は韓国では柑橘類の産地として知られている。日本では西日本全体でとれる柑橘類は、朝鮮半島では済州でしかとれないのである。これぐらい気温の違いがある。日本では暖かいとは言えない東京でも、平均するとソウルに比べて5度ぐらい高い。ビョンヤンとは10度ぐらい差がある。

 韓国は東北、北朝鮮は北海道に近い気候である。満州は言うまでもなく、華北も稲作には適していなかった。馬とは違って大陸から半島、そして日本に北回りの陸づたいに稲作が伝来することはあり得ない。半島づたいに伝来する経路があるとするなら、南部中国から海づたいに半島南部に伝来して、その後、日本に伝来したということになる。これが前世紀から知られていた初等的な事実である。

 現在、縄文時代にも陸稲が栽培されていたことが分かっている(もちろん、カロリー的に重要であったという証拠も、人口爆発の証拠もないから、ほそぼそとであろうが)。また弥生時代が紀元前十世紀に遡る可能性が強くなってきている。その時代に中国南部から朝鮮半島へ渡ってくる航海能力があるのなら、九州に渡ってくるのも簡単である。そして九州のほうが暖かくて稲作に向いているのである。

 日本人の核DNAのマイクロサテライトを比較した研究では、日本人や沖縄人は、北方中国人より南方中国人のほうが近かった(Hum Genet [2006] 118: 695–707)。これは南部中国からの人と稲の直接伝搬を示す証拠かもしれない。

 さて本題なのだが遺伝子の証拠はどのようなものなのだろうか。

 日本で栽培されている品種は熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカである。そして熱帯ジャポニカの遺伝子は日本に多く残っているが、ほぼ韓国では発見されていない。さらに温帯ジャポニカ種の遺伝的な多様性は日本の方が朝鮮半島より高いのである。つまり、進化論の常識を当てはめると、稲作の伝来は日本の方が古いとすべきなのだ。熱帯ジャポニカ種のイネの多様性や類縁性の比較については、今後、より正確な研究が出てくるだろう。しかし、半島に先に伝来したという可能性はまずない。考古の資料も(日本と半島のどちらも正確とはいえないが)逆転している。

 逆に朝鮮半島のイネが日本に残るイネの品種の子孫である可能性は高く、有史に記録のある唐辛子や鉄砲のように南方から直接日本に伝来し、それが半島に広がったという説のほうが21世紀には有力になるだろう。