<新宿>流にキャラクターの性格・設定が大崩壊しています。その点にご注意を。
『 Fate / the WickedCity <Shinjyuku> 』
『 遠坂 凛とアーチャーの場合 』
これはIFのお話。
もし、もしも聖杯戦争が冬木の地ではなく、かの“魔界都市<新宿>”で行われていたなら?
第四回聖杯戦争を前に新宿区を襲った“魔震”がもたらした変貌、すなわち“魔界都市<新宿>”の誕生が行われていたなら?
遠坂の家は新宿の管理者であったなら、マキリが新宿に居を構えていたなら、アインツベルンが新宿で聖杯を造りだしたなら、■■士郎が<新宿>に住んでいたなら。
これはそんなIFのお話。
“英霊の座”。そう呼ばれる場所で、数多いる守護者と呼ばれる存在達の中のひとつが、唐突に召喚されている事に気づく。存在の強制的な移動。供給される魔力、提供される知識、授与される肉体、覚醒する意識。閉じたまぶたを開けばそこに写るのは―― 眼下に人造の光を煌びやかに灯す、暗闇の空。
「……」
肌を痛いほどに叩く風。それは重力に従って真っ逆さまに堕ちる自分が切り裂く空気であった。一瞬の思考、結論は出た。自分は
「落下している」
もし見る者がいれば、赤い布と黒い皮鎧らしきものを身につけた白髪に褐色に焼けた肌の、長身の青年が頭から落ちている様子を見ることが出来ただろう。そのまま成す術なく地面にダイブすれば、真っ赤な血の花が咲き、跡形もない肉片と、粉々に砕けた骨のかけらが辺り一帯にブチ撒かれるだろう。
ああ、ゴッドよ。…………なんでさ?
聞くに耐えぬ無残な崩壊音と共に、彼はそのまま一直線に落下して洋館の屋根へとぶち当たり、物理的な影響を受けぬはずの霊的存在なのに、屋根をぶち抜いて居間らしい部屋に落ちた。
ガラガラと落ちてくる天上の破片と、一緒に邸内に雪崩れ込んだ瓦礫に埋もれた体を引き起こし、傾いた瀟洒なソファを見つけてそれに横になる。褐色の肌には傷一つない。
おそらく間も無くこんな目にあわせてくれた張本人が来るだろう、とあたりをつけて、ソファの肘かけに肘を乗せて頬杖をつき、まるで寛いでいるかのような姿勢をとる。調度品や間取りからして落下したのは居間らしかった。いま腰かけているソファやテーブル壁に掛けられた時計に燭台、シャンデリア、キャビネット、いずれもよく吟味されたセンスの良さと庶民には手の出ない価格が伺える品ばかりだ。
もっとも、今は天井の崩落によって渦巻く埃にまみれてその価値を百分の一程度にしか見えぬ汚れに塗れていたが。
妙な事になったものだと我知らず嘆息した時、居間の入り口であるドアの向こうに気配が生じる。直ぐに入り込んでくるかと思ったが
(なかなか見事な気配の消し方だな)
と、少なからず感心する。獲物を背後から狙う猫科の動物を、彼は連想した。彼の耳を持ってしても、足音一つ捉える事が出来なかったのだ。どうやら召喚者が、自分に気付き、警戒するか心の平静を整えているのだろう。さて、この身を召喚した者はどんな反応を見せてくれるのやら……
ギイっと音を立ててドアが開いたが、そこに人の姿は無く、代わりに
「銃口?」
ぽっかりと小さな黒い穴をのぞかせた拳銃の銃口が向けられていた。思わず驚きの声を発したと同時に、銃口から鉛の玉が盲目射ちでばら撒かれた。
ドアの隙間から見えた引き金を引く指の動きに合わせて跳躍し、ソファの後ろに隠れる。が、すぐに無駄と知れた。着弾と同時にソファにぽっかりと拳大の穴が次々と開いてゆくではないか。おそらくは対象内部でマッシュルーム状に膨れてエネルギーをぶちまける弾頭か、ハイドラショックでも使っているのだろう。護身用ではなく殺人の為の銃弾だ。
「ちい、戦争狂か殺人鬼か、イカれたガン・マニアにでも召喚されたか!?」
拳銃=シグ・ザウエルP226から9ミリパラベラムが次々と吐き出され、驚くほど正確に彼を狙い続ける。だが、彼はこの世ならぬ人の高みに昇った超越者の端くれ。そうそう当たってやる道理も、またかわせぬ道理も無し。もっとも通常の弾頭は通じぬ身の上なのだが。
銃弾を回避しつつ、部屋を並々ならぬ速度で駆け抜けて、縦横無尽の機動であっと言う間に居間のドアに駆け寄り、壁の向こう側の召喚者に向かって拳を見舞う。ドアをやすやすと突き破った彼の拳に驚いたのか、銃の持ち主がドアから姿を見せる。
まだ若い、十代後半頃の少女。艶やかに電子の光を跳ね返す黒髪を黒いリボンを使って二箇所で括ったツインテールの髪型。赤い上着と黒のミニスカートに同色のニーソックスを穿いている
顔の輪郭の曲線のラインも美しく弧を描き、きりりと引き締まった唇と目を飾る眉は職人の一筆が描いたものか。少し呆然とした色を浮かべる瞳は本来なら見惚れるほどの輝きを放つのだろう。輝かされるのではなく自分から輝く。そんな少女だ。
彼の記憶のどこかで、少女に見覚えがあると、囁く自分がいた。しかし思考に時間を割く余裕を目の前の少女は与えなかった。右手に握ったシグの狙いを付けるのと、左手に握っていたベレッタM92FSの狙いを彼に定めるのは同時だった。彼我の距離は一メートル。射殺の運命をいかにしてかわす?
ドアを突き破った左手を強引にずらして、ドアを破砕しながら裏拳を放つ。少女は慌てて裏拳をしゃがみこんでかわし、シグを発砲。彼は避けるどころか逆に踏み込んで少女を見下ろす位置から右足で前蹴りを放つ。その傍らを銃弾は通過していった。
少女は素晴らしい反射神経を発揮して、しゃがみこんだ位置からそのまま宙返りし、ベレッタを彼の眉間に突きつけた。ガンカタにでも覚えがあるのか、人魚の飛翔にも似た一連の動作の優美さに、彼は心中で惜しみない賞賛を送った。
だが現実は厳しいものと相場が決まっている。下段からアッパーの要領で右手を振るい、ベレッタの遊底を少女の拳ごと握り締めて発砲を阻止、同時に前蹴りを放っていた右足をそのままのモーションで振り上げて右手に握られたシグを蹴り飛ばす。常人には出来ぬ速度と精密な「仕事」だ。
このまま右手の逆を取って間接を抑え込み、話を聞かせてもらうか、と努めて冷静に彼が思考した時、カチリ、と小気味よくスイッチを押す音が聞こえた。わずかに、少女の左足の爪先が、廊下の一端を押し込んでいる。
それを認識するのと同時に左足一本で彼はその場から後方へと跳躍した。回避行動をとった事が正解だった証拠に、天井からたっぷりと艶光る位に猛毒を塗りたくった鏃が雨あられと降り注ぎ、彼がコンマ01秒前まで立っていた床を貫いたからだ。バネ仕掛けのトラップらしく、鏃は時速300キロの速度を誇っていた。
彼と距離が離れたのを認識し、少女は必殺のトラップがかわされた事を悔しがるそぶりも見せずに、ヒップホルスターからSWのM29・四四マグナムを抜く。 一・三五キロの拳銃を五百分の一秒の速さで抜き放ち、どうみても年頃の少女の華奢な腕としか見えないのに、微動だにせずに保持する様は、なんらかの筋力強化処置を受けているせいだろうか。
そのまま少女はぴたりと狙いをつけたM29の引き金をなんの躊躇もなく引く。銃口の先端から毒々しい火が吹き出し、大口径の銃弾が獲物に追いすがるべく次々と放たれる。
一発、二発、三発と撃ち続け、一発の着弾もない事に少女はかすかに眉を寄せる。美人画の巨匠が精魂を込めた一筆の様に美しい眉が歪む。左手に握っていたベレッタを脇のホルスターに戻し、五発目の発砲と同時に壁に隠してあるステアーSMGを引っ掴んで、三ミリ針弾全九十発が装填済みである事と安全装置が外れている事を一瞥して確認し、四四マグナムが空になるのと前後して引き金を引いた。
先程からひっきりなしに鼓膜を叩く銃声と視界に常に映る銃火に、忙しく飛び回る彼はわずかに苛立たしげな素振りを見せた。このような状況になってしまったとあっては、言葉で解決する手段などあろうはずもない。
生憎と彼は、言葉で相手の意思を奪う、視線を合わせる事で魅了する、などといった異能とは縁のないタイプだ。
年代もののステンドグラスを使った美しいランプが、少女が張る弾幕によって微塵に砕け、白磁器の花瓶も見るも無残に砕ける。その度に少女の頬がかすかにぴくんと痙攣するのを見る余裕が、まだ彼にはあった。不意の侵入者を迎撃するためとはいえ、秒単位で増えて行く被害額に頭の痛い思いをしている。
(さて、どうしたものか)
かなり広めの居間とはひっきりなしに銃弾を浴びせ掛けられ、忙しく駆け回り跳ね回るのも限度がある。いっそのこと、ただの銃弾ならどんな大口径の弾丸だろうと無効なのだろうから、弾幕の中を悠々と歩んで行き、召喚者であろう少女の鼻を明かしてやろうかと、悪戯っぽい考えがむくりと頭をもたげる。
どこぞの名画の描いた朴訥な風景画の掛けられた壁を蹴り、さらにそのまま天井を蹴って、三次元的な機動で銃弾をかわし続けていた彼は、いつまでも受けに回っていても埒が明かぬかと、テーブルを蹴りあげて互いの視線を遮る。
一秒とおかずに無数の弾丸がテーブルに叩きこまれマホガニー製の豪奢なテーブルは、瞬く間に無数の木屑と破片に砕けた。そのわずかな時間で、彼には十分な筈であった。しかし、たまたま彼の頬を掠めた弾丸が強行突破の選択肢を思いとどまらせた。
偶然にも頬に一筋の傷を刻んだ弾丸は、<新宿>警察特製の対妖物妖魔用の呪殺弾であったからだ。徳の高い高僧の祈りに匹敵する霊的攻撃力を持つ。生半な悪霊なら、一発で消滅させられる。すでにこの屋敷事態が邸内に侵入した彼が、霊的存在である事を分析し、主である少女に告げ、情報に従って少女は戦法を変更している。
ステアーを撃つ合間に右手のM29を放り捨てて、今度は天井のウェンポン・ラックをリモコン操作で引き下ろして、対霊的存在用の弾丸を叩きこんだM16Aライフルを右手に持つ。
今度はステアーも投げ捨てて、ウェポン・ラックからレミントンM870を引っ掴む。スライド式の円筒弾倉に爪であるOOBの直径約八ミリの粒弾は、すべて少女が精魂を込めた魔力を帯びているし、職人に頼んで一ミクロンの狂いもなく刻んである魔術文字は十分に退魔の効力を発揮してくれるはずだ。
右手のM16から間断なく吐きだされる弾丸の反動が伝わり、荘園がうっすらと靄状に立ちこみ始め、足元には散らばった無数の薬莢が小さな山を造り始めている。五十連発の特注弾倉の中身が残り十発になった時、不意に敵の姿が見えたのに気づく。
それまで蜃気楼かなにかを相手に立ち回りを演じていたかの様な錯覚に襲われて、一瞬少女は忘我したが、すぐに背後に生じた新たな気配に反応する。生来の魔術師としての素養、魔界都市と謳われる背徳の都に生を受けた事、その都市に今日に至るまで生き抜いてきた経験が、少女に二つの銃口を左後方へと向けさせる。
その二つの銃口が虚空に生じた二つの手に握り潰された。身を隠す羽衣を剥いだ様に唐突に姿を現した侵入者に、舌打つ間も惜しみ少女はそちらへと向き直りながらバックステップを踏む。
硝煙たなびき、銃弾による無数の破壊と落下物による天井の崩落という舞台に相応しくない優雅さと、若い生命の躍動に満ちた動きであった。そう見せるまでにその少女は美しい。
足が床を踏むよりも早く少女はミニスカートのポケットから小石ほどの大きさの宝石を掴みだしていた。左手の五指の間にトパーズ、ルビー、サファイア、エメラルドをそれぞれ一つずつ挟み込み、それを思い切りよく投じる。
低い呟きが少女の整った造りの唇から零れると同時に、侵入者である赤い外套姿の男の間近で宝石が苛烈な閃光を放って内に秘めた魔力を開放させる。ロケット弾の直撃に耐える装甲を持った妖物も殺傷せずにはおかぬ破壊力だ。
廊下の壁やら床やらが無残な体を晒している。引き下ろしたウェポン・ラックが誘爆しないように計算していた。銃器はもちろんのことカールグスタフや携帯用低反動ロケット砲やら、三〇ミリレーザーキャノンと物騒なものも収納していたから当然の処置ではある。
続けてゴルフボールサイズの人体用手榴弾を取り出そうと伸びた右手を、ごつごつとした若い男の手が捉えた。
そのまま右手の逆を取って少女の体を優しく廊下に叩きつけて、腕を捻る。折る寸前の力を加えておく。姿を消した時と同様、実体化していた体を霊体化させて、とっさに地下に潜ったのが功を奏した。さてこれで話が出来るだろう。
「いった~~」
「まったく、乱暴な召喚だけでなくこの仕打ち。私は狂人にでも召喚されたのかな?」
おどけた口調に殺気を込めて彼は呟いた。頭を打って痛がる少女が動きを止めて彼の顔を見つめる。半信半疑、いや七割は信じているだろう曖昧な表情である。
「やっぱりアナタは私のサーヴァントなの?」
「残念ながら、状況から推察するとな。とても物騒な主のようだが。しかし君は正気か? 家の中であれほどの銃弾をばら撒き、爆発物を使うとは。銃声を聞きつけられて警察にでも通報されたらどうするのかね」
それから捻っていた彼女の腕を解放し、立ち上がった少女と向かい合う。一応彼と少女との間には彼を現界させるために不可欠な『繋がり』と魔力を感じてはいる。少女は腕を組んで挑みかかる様にして彼と向き合う。
そのおのずから輝きを放っている様な瞳に見つめられると、不満や不平といったものが、不思議と薄く消えて行く。
「人を狂人扱いなんて失礼なサーヴァントね。ああ、それと銃声のことだけど別にどうもしないわ。どうってことないのよ。この街じゃ」
「…………病院は近くにあるか? 入院をお勧めするが」
「元区役所に世界一の医師がいるわよ。さてと、漫才はもうこれくらいにしない? 大事なのはあなたが私のサーヴァントかどうかってことなんだけど? クラスは……セイバー?」
“クラス”。聖杯と呼ばれる願いをかなえる願望器をめぐり行われる七組の魔術士とサーヴァントによる戦いで、輪廻から外れた高次空間である“英霊の座”からの被召喚者達に用意される或いは当てはめられる称号だ。
剣のセイバー、弓のアーチャー、槍のランサー、騎乗兵たるライダー、魔術のキャスター、暗殺者たるアサシン、狂戦士バーサーカーの計七つ。イレギュラーと呼ばれるクラスもあることにはあるが、正規のクラスに当てはめての召喚の方が優先されるだろう。
これはそれぞれのクラスに該当する英霊に絞って召喚することで人の手に余る“英霊”をサーヴァントという劣化存在として使役する聖杯戦争のメカニズムの一つだ。クラスの適正に外れた能力は制約を受けるか、使用不可となるが、そも英霊を使役するというこのシステムは、魔術の造形に深い者の観点からすれば非常識にもほどがある一種の奇跡に等しい行いだ。先人たちは称えるに十分な仕事をしたと言ってよい。
「はあ、……生憎と違う。期待を裏切るがセイバーでは無い」
「おわっちゃ~~やっちゃった。あんだけ宝石使ったのに。あ~あ、しょっぱなからミスかあ。……まあ良いわ、人生前向きにいかないとね。で、あなたどこの英霊、真名は?」
「クッ、言いたい放題言ってくれる。生憎とこの身はアーチャーとして召喚されている。確かにアーチャーでは派手さにかけるだろうよ。いいだろう、後でその暴言を後悔させてやろう」
「気に障ったの? ――案外子供っぽいのね――ええ、必ず私を後悔させてちょうだいアーチャー、そうしたら素直に謝らせてもらうわ」
「ああ、忘れるなよマスター。己が召還した者がどれほどの者かを知って、聖杯にでも感謝するがいい。もっとも、先ほど言った通りそう簡単には許しはしないがな。ああ、それと」
「何?」
「記憶のことだがさっぱり思い出せん。おそらくは先ほどの乱暴極まりない君の召喚の影響だろう。召喚の仕方を間違えたのかどうかは知らんが、場所まで間違えるとはどういう理由かね? ちなみに私が眼を開けたら何故だか空中にいたのだがね」
「……ふうん」
少し言い過ぎたか、と思うと同時に少女の“ふうん”が聞えてくると、何故だか一斉に全神経が危険を訴えかけてきた。
(バカな、いかなる戦場においても不敗のこの身が恐怖を刻むだと!?)
拭いがたい恐怖感に思い出せぬ記憶が刺激を受けたのか、無意識の思考が徐々に目の前の少女に対するキーワードを拾ってきた。“学園のアイドル”、“女狐”、“貧乳”、“師匠”、“カレイドルビー”、“守銭奴”、“うっかり”。ああ、そして決定的な単語、すなわち“アカイアクマ”。
(な、なんだこの単語は?)
おもわず後じさり、少女の反応を恐る恐るうかがう自分が情けない。うつむいた少女はブツブツ呟いていたが、すぐにぱっと顔を上げてこう聞いてきた。心無しか、頬が桜色だ。何故にWhy? 訝しげにアーチャーも少女の瞳を見つめる。
「とにかく、アナタが私のサーヴァントってのは間違いないんでしょう?」
「ん? ああ、君から私に魔力が供給されているからな。確認してみたらどうかね? 先程はああは言ったが、君から供給される魔力の量は一流だぞ。ケタ違いの魔術師らしいな君は」
「ありがとう、お世辞でもうれしいわ。ラインは繋がっているんだし……ねえアーチャー」
「何だ」
「ベッドに行くわよ」
「…………は?」
「は? じゃないわよ。何耳も遠いの?」
「いや、そんなことは無いが。君は自分が何を言っているのか分かっているのか? 若い身空でそんな、少しは慎みというものをだね」
あたふたとアーチャーはまるで愛娘の思わぬ一言に狼狽する過保護な父親みたいに慌てだす。見ていて面白い位、ボディーランゲージも交えて少女に説教を始めようとする。
「ジジくさいわねえ。あのねえ男と女がベッドですることなんてひとつっきりでしょうが。過去も未来も今もおんなじだと思うけど。言っとくけど、ラインの補強も兼ねているし、ひょっとすればマスターとの肉体的・精神的接触で何か思い出すかもしれないでしょう? そうじゃなくても魔力の補給になるんだから二利はあっても一害無しよ。第一って言っても貴方の生きた時代のことは分からないけど、魔術師にとって欲望を制御し、理性をいかなる場合においても保つようにする、なんてのは常識中の常識。性欲のコントロールを含めた性魔術なんて基礎中の基礎なのよ」
「……」
アーチャーは何か違和感を覚えつつ愕然としている。顔には出さないが。思い出せぬ記憶の中で確かに拭えぬ違和感が疼く。しかしまあ、大胆なことを言う少女だ。そんなアーチャーに少女は矢継ぎ早にまくし立ててゆく。ふうん、と一つ漏らしてズイっと顔を近づけて甘く囁いた。
「それともなあに? アーチャーは女の扱いも知らないネンネなのかしら? ふふ」
「ッ、さすがにそれは無いな。マスター」
悪戯っぽく微笑を湛えて囁く少女の様子は、まるで手管に長けた娼婦のように、魔性の魅力を秘めた妖婦のように危険な毒の花。一言紡ぐたび、吸い付きたくなるような色鮮やかな唇からは、脳髄に染み込んで侵す吐息が、ギリギリの駆け引きを楽しむ危険な遊戯のように零れて、アーチャーの鼻孔から忍び寄って肺を甘く侵してゆく。
アーチャーは鉄のように固めた精神の下で疼くオスの本能を御していた。
「……まあ良いわ、あんまり乗り気じゃないみたいだし。……私もまだその……ほ、他に何か言いたい事ある? 今度は私が質問に答えてあげる」
「あ、ああそれなら……そうだな。では先程の銃撃について納得のいく説明を要求するマスター」
ほっと心の中で胸を撫で下ろしたアーチャーがさっきの理不尽な戦闘についての説明を求めた。正直なところ、動揺を鎮めるための時間稼ぎも兼ねている。
「ん~あれの事? ひょっとしたら妖物がどこかから侵入したのかもしれないし、あるいは何かの憑依霊にあなたが憑かれていたかもしれないじゃない? あるいはカメレオンウェアを着込んで入ってきた強盗や犯罪者かもしれない、と判断したの。一応侵入者用の撃退用のトラップや警報システムは用意してあるけど、それを突破してきた可能性もあるしね。で、ああして射ちまくったってわけ」
「なんとも無茶な。それで私が君のサーヴァントで、傷の一つも負っていたらどうするつもりだったのかね? まあ結果からすれば私は君のサーヴァントで、こうして無事なわけだが。それにしても死人が出たら警察沙汰だぞ。いや出なくてもだ。確認の一つ位したらどうだね」
「まずサーヴァントだけど、いらないわ。そんな、人間に傷を与えられるような弱いサーヴァントなんて。私が欲しいのはこの聖杯戦争を勝ち抜ける力を持ったサーヴァントよ。次に警察云々だけど、別に射殺されたって犯罪者に人権なんかないわ。警察に状況を説明して、それが実証されたそれでおしまいよ。まあ、死なないように手当てをしてふん縛るくらいはするつもりだったけど」
「犯罪者に人権はない、か。随分と荒んだ言葉だな、マスター」
「何言ってるのよ。私なんかまだ優しい方よ。“凍らせ屋”なんか犯罪者は逮捕じゃなくて退治だって公言しているくらいだし。まあ、あなたはここ出身ってわけでもないだろうし、第一サーヴァントだものね。おかしいと思ってもおかしくないわ」
よっ、と言って瓦礫に腰掛けて、少女はふうと息を抜いた。長い説明に少し疲れたのだ。アーチャーか“この街”という言い方に引っ掛るものを感じて訝しげに眉を寄せる。わけの分からないことが多すぎる。
「この街?」
「そ、この世の全ての悪徳と罪悪を集めた街。現代に蘇ったソドムとゴモラ。四番目に生まれた魔界都市。“魔界都市<新宿>”よ」
「……<新宿>?」
その言葉は<世界>の眷属たる彼には禁忌として刻まれる言葉。無闇に手を触れたてならぬ巨悪の街、破滅の街。ばかな、と心のどこかで否定する声が聞えた。表情に出ていたのだろう、少女が心配そうに覗き込んできた。
「やっぱり知らない? それともどこか調子が悪いの?」
「いや……」
「ふうん、色々ありそうねえ? ま、コレくらいで良いかしら。ふう、なんか体がだるいのよね」
「サーヴァントを召喚したんだ。かなりの量の魔力を消耗したのだろう。無理をせずに休みたまえ」
「……そうね。じゃあアーチャー。マスターとして最初の命令を下すわ」
「ほう。この状況でどんな命令を与えてくれるのかな? マイマスター」
にっこりと少女は微笑んだ。この笑みを見るために、なんでもする、そう言う男共がいてもなんら不思議ではない。それほどに美しく、水晶細工の様に可憐な笑み。ほうっとアーチャーでさえ見とれた。
「ここ、片付けておいてね?」
「は? ちょ、ちょっと待ちたまえ。君はサーヴァントを何だと思っているのかね」
「なあに? 令呪でも使って欲しいの? 私としてはこんなつまらないことで使いたくはないのよね。いざという時の切り札にもなるんでしょう、令呪は。賢いサーヴァントならそれ位理解してくれるわよね? それに私だってなにもしないわけじゃないのよ。
貴方が多穴開けてくれた天井とこの屋敷の結界の修繕をしなきゃいけないんだから。放っておいたら、風喰らいや肉食の雀やら鴉やら何十単位で襲い掛かってくるわよ。対空機銃や高射砲やや火炎放射機で迎撃するのはいまいち効率悪いしね」
なにやらやたらと物騒な単語が聞こえてくるが、つとめて聞こえないふりをして、別の重要な単語に意識を集中した。
『令呪』。マスターが有するサーヴァントに対する絶対命令権。はるかに劣る人がサーヴァントを使役するための、『枷』だ。コレがあるからこそ高潔な英雄が多いであろうサーヴァントがマスターに従っている例も少なくあるまい。少女の場合は左手の甲に、幾何学的な模様に神秘的なニュアンスを混ぜたような模様として浮かび上がっている。
令呪を盾にニコニコ、ニコニコと少女は微笑む。ああ、このアクマめ。
「クッ、了解した。地獄に落ちろマスター」
「何言ってるのよ。魔術師なんて地獄に落ちるのが当たり前の外道の人種どもなのよ? 言われなくても私は地獄に落ちるわ。ましてやここは」
―――<新宿>なのよ―――
年齢にはそぐわぬ、微笑み一つで男の運命をいくらでも弄べる希代の妖女の如く艶然と少女は呟き、妖しい微笑みと共にアーチャーを置いて部屋を出て行った。アーチャーはそんな少女の背をただ見つめるきり。
青年の姿をこそしているが、幾百年の生きて疲れ切った老人の様な眼をしていたが、今は、不意にコケティッシュな魅力を振りまいて行った己の主へのなんともいえぬ感情の色が浮かんでいた。きっとこれからいろいろと苦労させられるのだろうな、と確信していたのかもしれない。
「…………」
翌朝。
「う~~」
いつもの低血圧と言うか朝に弱い自分に悩まされながら少女は目を覚ました。ベッドの傍らの目覚まし時計を見ると、鉛が変わったような溜息を吐き吐きしつつ、
「完璧遅刻ね。……決めた。今日は自主休学よ」
よいしょっとベッドから降りて身支度を整えて昨日のあの居間に行く。
「へえ」
零れる感嘆の吐息も仕方ないだろう。屋根に大穴が空き、漆喰は壊れて一部の構造材がむき出しになっていた居間は、完璧と言って良い位に修復されている。置時計やテーブル、椅子、インテリアの位置も記憶とさして違いはない。
別の意味で有能なサーヴァントを手に入れたらしい。いやサーヴァントを使い魔・奴隷と翻訳するなら、正にその通りの仕事ぶりか。
「ようやく起きたか。ひどい顔をしているぞ。ふむ、流石に本調子とはいかないようだな。紅茶でもどうだね? それなりに味は悪くないと思うぞ」
暖めておいたカップに紅茶を注ぐ、赤い長身の男が出迎えてくれましたとさ。何か、何かが間違ってない? 聖杯戦争って、もっとこう……と思いつつ溜息をこらえて少女が椅子に優雅に座ってカップを受け取る。憂愁な雰囲気を纏った朝の一時。絵にはなるが当人の気分はさしてよろしく無い。
「美味しい」
自然と頬から余分な力が抜けて、少女の表情がほころぶ。美味しいものは人の心を和ませる。アーチャーもほんの少し満足げな色を浮かべている。執事属性か家政夫属性でも持っているのだろうか? 勘ぐりすぎだろうか。
「ご馳走様、美味しかったわ。ああそれと遅くなったけど、おはよう」
「ん、おはよう」
挨拶を欠かさないように躾は行き届いているらしい、と場違いな感想をアーチャーは抱いていた。
「そういえばマスター。この家の時計は一時間進んでいたが、何か特別な意味でもあるのかね? 勝手だが不便だろうから、直しておいたぞ。いやなかなかの労働だった」
仕事を終えた後の良い顔をしたアーチャーがそう告げると、何故かがくっとうなだれるマスターの様子にんん? とアーチャーが眉を寄せる。してはいけない類の質問だったのだろうか。
「……自分が嫌になるわね、前から分かってはいたのに……はあ、一応ありがとう。それはそれとして、あのねアーチャー。わたしは貴方を茶坊主に雇った覚えは無いの。でもお茶は美味しかったわよ? また淹れてね。……で、わたしが求めているのは戦力としての使い魔よ」
「そうか。だがしてはいけないという事ではないのだろう? なに、ちゃんと己の本分は果たすさ」
なんだか自信ありげなアーチャーであった。不遜とも取れるその様子に、頼りになりそうねと少女は心中で評価する。
「それより貴方、自分の正体は思い出せた?」
「いや」
そう、と答えて美貌に影を這わす様子に、アーチャーは心持ち申し訳なさそうにするが、うなだれた少女は、アーチャーの表情を見逃していた。
「あなたの記憶はおいおい対策を考えるとして(いざとなったらトンブさんに脳みそでもいじらせるしかないわね)、アーチャー。召喚されたばかりで勝手が分からないでしょ? 街を案内してあげるから、するような支度は何かある?」
「出かける支度? そうだな霊体化すればすぐ出られるが。霊体化について知識はあるかな?」
「ん~~確か、魔力の供給をマスターとサーヴァントのどちらかがカットして、サーヴァントを観測不能にすることよね。そのマスターとサーヴァント同士なら知覚出来るそうだけど。一応“遠坂”の家は聖杯御三家だからそれ位の知識ならあるわよ」
「なら結構」
「それじゃあ私は準備してくるから玄関で待っててちょうだい」
「ふむ。それは良いのだが……まだ気が付かないのかな? 私と君はまだ契約を終えてはいないぞ。契約において最も重要な交換をな」
え、と不意を着かれた形で少女が動きを止めてアーチャーを振り返った。契約? まだ何かあったかしら? う~んと思い悩む様子にアーチャーはやれやれと肩をすくませる。
「……君は朝に弱いのだな、本当に」
「――あ。しまった、名前」
「ようやく目が覚めたか。それでマスター、君の名前は? これからはなんと呼べばいいのかな?」
マスターとサーヴァントの関係は使い魔と主従、しかも期限限定だ。それでもマスターの名前を知っておきたいと、アーチャーは言っているのだ。少女は嬉しそうな顔をしたと思ったら急に仏頂面になり、ぶっきら棒に――照れ隠しだろう――こう言った。
「私、遠坂凛よ。貴方の好きなように呼んでいいわ」
少女=凛の名前を聞くと、アーチャーは何か噛み締めるようにその名前を聞き、こうのたまった。
「それでは凛、と。……ああ、この響きは実に君に似合っている」
(て、天然なのかしら? だったらタチの悪いジゴロだわ)
頬が熱くなるのを感じて凛は、本人には言えないような感想を抱く。で、その元凶は顔を赤くした凛を不思議そうに見て
「凛、どうした? 何やら顔が赤いが」
「な、なんでもないわよ。私は用意してくるから、それでも読んでから、玄関でおとなしく待ってなさい!」
「? 了解した」
区発行の<新宿>ガイドマップを投げ渡し、それから地下の一室に篭るため、急ぎ足で居間を後にした。地下室でウェポン・ラックを壁から引き出して、数百丁の武装の中からいくつかをチョイスする。その作業の中、凛は
「何よ。サーヴァントってもっと威厳に満ちているって言うか、近寄りがたいものかと思ってたけど、ずいぶん違うのね。……まあ悪い奴じゃ無さそうだけど」
と口調とは裏腹にうれしそうに重火器を弄繰り回していた。ファッション雑誌の表紙を飾ってもなんらおかしくない美少女が笑顔を浮かべながら、ガンオイルに輝く銃器を引っ張り出している様子は、シュールな絵づらだった。
二十分後、凛の姿を見たアーチャーの感想はこうだった。
「君は戦争でもするつもりかね?」
凛は昨日の赤いセーターとミニスカート、ニーソックスは変らないが、その上に血で染めた様な赤いコートを着ていた。防弾防刃は勿論、呪術よけのおまじないを施した特別な繊維で仕立ててもらった逸品だ。
愛用のシグ・ザウエルP226とベレッタM92FSは脇につるしたホルスターに収め、腰には戦闘用のベルトを締めて後ろ側に箱状に降り畳める個人携帯機関銃PSMGをくくりつけ、両腰にはコルト・ガバメント四五口径と拳銃型の火炎放射器。
腰の戦闘用ベルトに括った二つのパウチの片方には溶解粉入りのカプセル百錠入り二瓶、チューブ入りのプラスチック爆弾二百グラムと信管を十本、リモコンは二つ。もう片方には予備のマガジンと<新宿区民>なら誰でも持っている救急医療セット。
コートの右内側には銃身を切り詰めたショットガンを万能テープで貼り付けて、反対側には9番ゲージの弾をパックに入れてはっつけてある。コートの袖には厚さ二センチの特殊鋼も切り裂く、長さ八センチ、幅一センチ、厚さ三ミリの柳葉状のナイフを十本ずつ仕込んである。
手首をちょっとしたコツでひねればたちまち滑り落ち、凛の手腕があれば飛んでいる蠅も百メートルの彼方から狙い落とせる。
所々でコートが膨らんでいるのは、小指サイズの人体用手榴弾や、米軍主力戦車のエイブラムスも一発で破壊する高性能炸薬満載の手榴弾でも入れているに違いない。
また首には先日見つけた膨大な魔力が込められた宝石を使ったペンダントと、妖物除けのタリスマンをさげている。肩に提げている合成牛革のバッグにも<新宿>の魔虫用の殺虫スプレー(人間にも有効)、パルスレーザーガン、赤ん坊の二の腕位のハンドバズーカやら、物騒な代物でいっぱいだ。
加えて凛自身が優れた魔術師である事を加味すればこれらの武装を全て失ったとしても、人間の百人や二百人虐殺する手管くらいは持っているに違いない。
上記したコートもそうだがセーターの下には五〇口径弾の直撃もかるく弾き返す厚さ0.01ミリの金属装甲箔を張り付けたシャツを着こんでいるし――動きを阻害する事はない――、セーターの方も摂氏六〇〇〇度まで熱は一切通さないし、達人が振るった日本刀の刃も押し留める耐刃性・衝撃吸収能力もある。
これでも完璧な防備とはいえないが、ま、単なる街の案内ならこの程度の装備でも大丈夫だろうと、凛は判断した様である。
<新宿>の外で凛と出くわした生物は人間こそ世界最強の生命だと実感するだろう。命を引き換えにして。
「まあちょっと大仰な装備だけどね。命には代えられないでしょう? それに今日は最後にちょっと一仕事する予定だし。ホントのとこ、対戦車ライフルとかアンチマテリアルライフルでも持っていこうと思ったんだけどね」
「た、対戦車ライフル? しかしだね、そもそも人の目と言う奴があるだろう」
「平気よ。ちゃんと許可は取ってあるし」
何でもないわよ、という凛の言い方に、アーチャーは頭を抱えた。このサーヴァントどうにも現代風に常識的というか理屈っぽいと言うか。<新宿>のことを知らないからでしょうね、と凛は結論付けた。ちなみに<新宿>では簡単な手続きで一般市民も拳銃を初めとする銃火器を所持できる。そうしなければ生きることさえ難しいからだ。
198X年、9月13日午前3時に新宿区のみを襲った“魔震”が産み出した<新宿>には、崩壊した市ヶ谷の遺伝子研究所から脱走したサンプルたちから生まれたおぞましい遺伝子合成獣たちや、夥しい死霊に、世界中から集った悪鬼の如き犯罪者達、外道の魔術の徒たちがたむろし、そこにあるのは善か悪かではなく、敵か味方か、生か死かの論理なのだ。
「さ、行くわよ」
「……フルアーマー・リン」
「何か言った?」
「いや、なんでもない。少し電波を受信しただけだ。さあ街案内をよろしく頼むぞ、凛」
「はいはい。にしても意外と今風の常識を持ってるのね、アーチャー」
凛の住んでいる洋館は、完全倒壊し、一大農耕地帯へと区が変えた喜久井町に、奇跡的に無事残った土地に建てられている。
時は二月、<新宿>の冬だった。とりあえずはガイドマップを参考に、高田馬場魔法街や歌舞伎町、西新宿、河和田町、下落合、左門町などをはじめ、京王プラザホテル、旧区役所跡に建つメフィスト病院、風林会館や伝説の念法VS水鬼の戦いが行われたBIG・BOXに、新宿駅跡を巡る。
特に凛が注意したのは、<最高危険地帯>――モースト・デンジャラス・ゾーン、通称MDZだ。新宿中央公園、旧フジテレビ跡、新宿御苑の三箇所である。いずれもが、近代装備に身を固めた軍隊の一個中隊程度では虚しく妖物と魔性の餌食になるしかない場所で、これまで何百、何千という人間とそれ以外の生命を食らってきた。
「凛。君がその格好を気にしなかった理由が今ならよくわかる」
「理解が早くて助かるわ」
それもそうだろう。コレまでの道程でアーチャーが目撃した連中ときたら、肩からガトリング砲やミサイルポッドを生やしたサイボーグだの、蛇やトカゲとの混合人間だの、六本腕や八つ目の人間だの、とんでもない連中ばかりだからだ。一応まともな人間もいたが観光客らしいの以外は周りの異形連中を気にもせずに通りを歩いている始末だ。
人妖混合。伝説の中の人と妖との交わりはこの街では、今行われている現実であり、サイボーグやブーステッドマンなどのSF染みたオーバーテクノロジーも、この街の今の現実だった。
アーチャーの疲れたような雰囲気を感じていた凛が足を止めて、ある公園に注意を向けた。
「この公園が前回の聖杯戦争の終結の場所よ。そして十年前の大火災の中心地。分かる?」
「ああ、それでこれだけ怨念に満ちているという訳か。サーヴァントというのは霊体だ。その在り方は怨念、妄執に近い。故に同じ“怨念”には敏感でね。この街はどこもかしこも呪われたような土地だが、ここはそれでも尚怨念が強い。私見だが固有結界のそれに近いな」
“固有結界 リアリティ・ノーブル”
通常の結界を元からある土地や建物に手を加え、外敵から身を守るモノとするなら、固有結界は魔術師の心象風景が現実そのものを侵食して結界を構成し、既存の世界を塗り潰し、陵辱し、侵食し、新たな世界を作り出すもの。
魔法に近い魔術。ある種、魔術師の最秘奥にして禁忌の魔術。決して魔法ではないが、限りなく魔法に近い矛盾を孕む魔術。何故それを、弓兵たるアーチャーが知るのか?
(アーチャーとして召喚したわけだけど、それ以外のクラスに適性がないってわけじゃないものね。ひょっとしたら既に召喚された別のクラスだったかも知れないわけだし)
と凛は感心して、
「アーチャー、あなた魔術にも心得があるのね。ちょっとは思い出したのかしら?」
「フッ、揚げ足を取られたかな。目端の利くことだ。ま、少しはな。だが君の期待に応えるほどではないよ」
「そう。……ここの公園ね、色々な宗派の高位の僧や神父や牧師が浄化しようとしたのだけど、<新宿>の妖気と混ざり合い、パワーアップした怨念の前に白骨にされてしまったの。それ以来ほっとかれているわ。今じゃここは<第二級危険地帯>、セカンド・デンジャラス・ゾーンよ」
それだけ言うと、凛は背を向けてアーチャーを促した。何かの思い入れでもあるのか、振り切るような背の向け方だった。
*
「アーチャー。私考えたんだけれど、一度あなたの実力を確認しておくことが必要だと思うの。客観的に考えて、戦力を把握しておくことは大切だわ」
「一理あるな。その意見には賛成だ。ああ、だが凛」
「何?」
「この身は君に召喚されたサーヴァントだ。それが最強でないはずが無かろう? よって君と私が組む以上、いかなる相手だろうと我らに敗北の二文字を刻むことは出来ない」
「アーチャー……」
信頼を込めた視線と、面映いような褒め言葉に、ちょっと凛が感動していた。何でこう、言われた方が恥ずかしくなるようなことを真顔で言うのだろう。この赤服は。
まあ、そんな光景も凛が、廃墟の影から飛び出てきた体長1メートルを超える肉食の大ねずみ四匹を、見もせずに二十分の一秒で抜き放った、シグの銃弾十二発(一匹きっかり三発)で息の根を止めていては、やや感動も盛り下がると言うものだった。
「かっこいい事言うじゃない。ならそれを証明して見せてよね」
「で、そのための場所がここなのかね?」
「そ、<第三級危険地帯>。適当に妖物を片付けてちょうだい。出かけるときに一仕事、そう言ったでしょ? ココの事よ。区からここに住んでる妖物を駆除すれば報奨金が出るの。百五十万位だけどね。・・・・・・ちょっとうざいわね」
ゴソッと凛がコートの内側に手をやって、キイキイと鳴いてこちらを見ていた妖物に、手榴弾を投げつけた。きっかり三秒待ってから投げた手榴弾はジャストのタイミングで爆発し、妖物を破壊する。
手馴れた凛の様子に、実体化し、飛んで来る四散した妖物の肉片を片手で避けながら、アーチャーが軽く絶句していた。アーチャーの心凛知らず。
「じゃ、行きましょうか」
「……ああ」
心なしか、寂しげなアーチャーを引き連れて、凛は余丁町の外れにある五階建てのビルの廃墟へと足を踏み入れた。
「ここは魔震の影響で発生した妖気の溜まり場の一つでね、すぐにここに入っていた会社とかは引き払ったの。ちょうと第二次復興計画とかと時期が重なったんだけど、区や区外の連中はここみたいな小規模なところより、中央公園みたいな大きな所を優先したから、今も放置されているってわけ」
そう言いながら先頭に立つ凛は、両手に持ったシグとベレッタで、顔を出す妖物を容赦なく射殺していく。もう深夜の時刻だが、明かりのないこの暗がりの中を、まるで昼のように見渡しているのは、簡単な手術か訓練でもしているのだろう。魔術を使った様子は無い。
「なるほどな。ところで凛。私の株がさっきから君に奪われっぱなしなのだが?」
マガジンウェルから、空っぽになったマガジンを新しいものと取り替えながら、凛は階段の先を顎で示した。アーチャーの出番はこの先らしい。ジャキン、とチェンバーに新たなマガジンから一発弾丸を叩き込む音が響いた。
コツンと足音をひとつ立てて足を踏み入れると、ソコには赤い瞳を飢えに満たして輝かせる妖物達が待ち受けていた。数は二十かそこらだろう。唸り声には憎悪が物質化寸前の濃度で込められている。
「さあ、アーチャー。叩いたビッグマウスの責任を取ってちょうだい。相手は<新宿区民>よ。痛い目を見ないようにね」
「クッ、いいだろうマスター。君こそ、その口が開いて塞がらない、等という事の無いよう気を付けろ」
とはいえ、こちらが勝手に向こうの縄張りに足を踏み入れ、しかも目的が金銭の為に、とあってはいささかアーチャーも気乗りはしない様子であった。すくなくとも、手前勝手な事情で無為に血を流す事を好むようなタイプではないということだろう。
そんなアーチャーの心情を匂わせる背中を見ていた凛が、苦笑とも失笑とも取れる笑みを浮かべて、
「アーチャー、いい事を教えてあげるわ」
「なにかね?」
「この付近でね、大体二か月くらい前から失踪事件が相次いでいたの。もとから日常茶飯事で起きている様な街だけど、大体週に一、二度のペースで、一度に平均6、7人が行方不明になっていった。警察ももちろん動いたのだけれど、事件の犯人を暴いたのは奥さんが事件に巻き込まれたモグリの占い師だったわ。」
凛の言わんとしている事に気づき、アーチャーの眦がかすかに痙攣するように動く。話の続きを求めたアーチャーの声音は岩の様に固く凛の耳に聞こえた。
「それで、その犯人がここを住み家にする妖物、という事かね?」
「その通りよ」
凛の答えを保証する様に、闇の彼方から赤く汚れた白いものがアーチャーの足元に放られた。からからと音をたてて、転がりながらアーチャーの足にぶつかりようやく止まる。
それは、あまりにも小さな人間の頭蓋骨であった。生まれたての赤ん坊のものよりも小さい頭蓋骨の脳天に丸い小さな穴がいくつも穿たれている。
アーチャーは静かにその頭蓋骨のがらんどうの瞳を見下ろしていた。
「占い師の奥さん、妊娠していたそうよ。初めての子供だったらしいわ」
「……そうか」
冷たい凛の声に、さらに冷たく硬いアーチャーの声が重なり廃墟の中に木霊する。凝、と闇の静寂が凍りついた。アーチャーの総身から吹き出し始めた目に見えざる気配の所業であった。アーチャーの瞳に残っていた躊躇いは、すでに消え去っている。
ジャリ、という音だけを置き土産に、アーチャーの姿が白を交えた赤い旋風に変わり、妖物の真っ只中に突っ込む。その両手には、黒白の剣が一振りずつ、何時の間にか握られている。
(あれがアーチャーの宝具? てか、アーチャーなのに剣が武器なの?)
アーチャーの剣は、中央に陰陽マークの入った黒白の違いこそあるものの、全く同じ様式の剣だ。強いて言えば中華風か? なだらかな曲線を描く刃は、まるで優雅な鳥の翼のように、見るものを魅了する美しさを持っていた。
飛び込んだアーチャー目掛けて、暗がりから妖物たちが群がる。妖物の正体は双頭犬。<新宿>に住む悪鬼の一種だ。大型犬を上回る体躯に、高い知能、強靭な生命と、特殊鋼なみの爪と牙を併せ持つ。何よりも、その性情が獰猛・残虐だ。
踊りかかった二頭の双頭犬の首、計四つを、白と黒の剣光が弧を描いて薙いだ。切られた側はそのことに気付いたかどうか。あまりにあっけない、しかし鋭い斬閃の仕業であった。
あっという間に二頭を仕留めたアーチャーが、更に双頭犬たちへと駆け出す。一見無謀に見えてその実、アーチャーの位置は最も双頭犬からの攻撃が少なく、逆にこちらからは動きを把握しやすいポジションだ。
最高のタイミングで、最適な動作で、最強の一撃を、最短の動きで。次々とアーチャーはそれらを行い、双頭犬たちを翻弄してゆく。黒と白の双剣が、常によどみなく動き、優雅なダンスのようにその刀身を、忍び込む月光に煌めかせる。それは命が最後に放つ輝きであったろうか。
凛はアーチャーの剣技に見惚れていた。
階段の脇で、アーチャーの戦闘を見惚れるように見ている凛に、足音を忍ばせた双頭犬三頭が近付く。二メートルの距離は彼らにとって無いに等しい。獲物の片方の味に、彼らは期待を募らせる。身になるのは男だが、味は女の方が上手い事を、彼らはこれまで体験から知り尽くしていた。ポタリ、と滴った涎が床を叩くと同時に跳躍!
十二の瞳は、獲物が自分たちに背を向けたまま、腕だけ回し、狙いをつけている二つの銃口を認識した。気付かれていた!? 驚愕は遅きに失した。散らばる金の薬莢、発砲の音は連続して重なり双頭犬達の頭部を次々と粉砕してゆく。
双頭犬たちは、並みの弾丸なら数十発の直撃にも耐えるタフネスだが、生憎と凛のシグとベレッタには高性能火薬を詰め込んだエクスプローディングブリット=炸裂弾が装填されている。
着弾と同時に、体表と体内で炸裂し、双頭犬たちの強靭な筋肉と神経を破砕しつくした。
跳躍の余韻で、自分の傍らに落ちた双頭犬たちの死骸にはさしたる興味もくれず、凛は呼気を整えた。何時までもアーチャーに任せていたら、あの皮肉屋に調子に乗られる。
「……同じ<新宿区民>同士、血で血を洗って、死肉の山を築き合おうじゃないの。アーチャー、<新宿区民>の怖さを私も教えてあげるわ」
宣誓。誰に聞かせるでもない、遠坂凛が、遠坂凛に刻む誓い。いや、そんなたいしたものじゃあない。意地。そう、意地だ。誓いなんて気取った言葉よりも、泥臭いこっちの方が合っている。
前方で四方八方から襲い来る双頭犬と渡り合っているアーチャー目掛け突進し、突き出した二挺の拳銃から殺戮の弾丸をばら撒く。足に腹に頭に喰らった双頭犬たちは、新たな苦痛を糧に憎悪を滾らせて凛をねめつける。喉の奥から零れる恫喝の唸り声は、それだけで大の大人の心臓を止めるような凶悪さを含んでいる。
「ハッ、そんなんでいちいちビビりゃしないわよ! こっちも<新宿区民>よ」
「余所見をする余裕があるのかね?」
いとも容易く双頭犬たちを切り裂く双剣と技とを併せ持ったアーチャーが余裕さえたたえて、新たな犠牲を強要した。迫る双頭犬の爪牙を風にたなびく柳のようにしなやかにいなし、振るわれる牙と爪とを反撃さえ加えて捌いてみせる。緩やかな風邪に潜む黒白の二刃。
ボンっと音を立たせて双頭犬を一頭血祭りにあげ、走り寄った凛がアーチャーと背中を合わせる。
「何をしているのかな、凛? この場は私に任されたと思ったのだがね」
「あら、ごめんなさい。私もそうするつもりだったんだけど、どうやら私、見ているだけ、守られているだけの女じゃいられないみたいよ? 憶えておいてね」
「やれやれ、勇ましいマスターだ。それとも好戦的というべきか」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
それだけ言葉を交わし、互いの正面の敵に挑む。双頭犬の数はすでに十頭を切る。凛は左手のベレッタをホルスターに戻し、左腰のファイアースロワー、火炎放射器を手に取る。トリガーを引きっぱなしで三十秒間、三メートルの炎の舌が噴出する。飛び掛ってきた二頭に浴びせかけて火達磨にし、振るわれる他の双頭犬の前足をかいくぐって、右のシグを腰後ろのPSMGと取り替える。
拳銃サイズのPSMGはグリップに叩き込んだ三十発入りのロング・ポール・マガジン、五・五六ミリ弾頭を毎分600発で射出する。きっかり二秒、二十発を掃射。双頭犬の逞しい肉体から無数の肉片と血の花が無数に咲き誇った。
次いで、空けた左手にコートの裾からナイフを取り出して、火達磨になっている双頭犬の四つの眉間に投擲する。ヒュっという音を立てて、九センチも突き刺さったナイフは、双頭犬を即死させた。魔術師の戦い方とはとても思えないが、遠坂凛は相当の戦闘能力の主らしかった。
チラッと凛の様子を一瞥し、アーチャーは彼女に手助けは無用らしい、と判断。眼前の敵に集中する。右肘を基点にするようにして、夫婦剣干将・莫邪の陰剣・干将を一振り、いとも容易く双頭犬の首をふたつまとめて落とした。
前後左から一斉に飛び掛ってきた牙と爪を右に飛んで回避する。尽きることのない負の感情に突き動かされた双頭犬たちの爪と牙は、一撃で人間なぞ血の詰まった肉塊に変えてしまう。中空にある姿勢から、夫婦剣の変わりに漆黒に塗りつぶされた弓を取り出し、魔の矢を番える。放たれる矢の速度は飛燕を落とし、彼方の的も児戯の如く落とすだろう。
冬の夜気を切り裂いて走る矢は、紙くずのように双頭犬たちの命を散らしていった。今や獲物とは、双頭犬たちだった。
最後の双頭犬の、首のちょうど真ん中の付け根に、翻したコ-トの中からショットガンを突きつけて、凛は別れの言葉を送った。その顔には艶めいた笑みさえ浮かんでいた。彼女は<新宿区民>なのだ。
「地獄があるならそこに行きなさい。<新宿>よりは暮らしやすいかもよ?」
引き金を引く音、ドンッと言う音の後に、ドシャッという倒れる音が続く。
「なぜなら、まだ、私がいないからよ」
「・・・・・・絶殺少女☆ジェノサイド・リン」
いかん、妙な電波に毒されている。アーチャーは冷や汗さえかきながら、こめかみをしきりに揉んだ。一方当の凛は、ショットガンを肩に担いで、一仕事終えた、といった感じだ。煙草でもくわえれば、さぞや男前の兵士が出来上がるだろう。
「・・・・・・凛、これでおしまいかね?」
「ええ、それにしてもあなたのおかげで手っ取り早くすんだわ。さすがね、叩いた大口は嘘じゃなかったわ」
「まあな。しかし何時もこんな事をしているのか?」
「別にいつもじゃないわよ。月に二、三回かしら。始めたのも二年くらい前からよ。小学生がレーザーガンや聖水を詰めた水鉄砲片手に、死霊狩りや霧魔狩りをするくらいだから、大したこっちゃないわ」
むう、とアーチャーは唸る。実は記憶はほぼ思い出しているのだが、その記憶との相違点が多すぎる。アーチャーが関わった聖杯戦争は、そもそも舞台からして違う。予想外と予定外と想像外の出来事がいっぺんに襲って来ているようなものだ。
「さ、これで後は区役所に報告すれば百五十万よ。今日は豪華に行こうかしら」
ふんふんと、凛は機嫌良さ気に鼻歌を歌い始めた。最後にアーチャーは心の中で溜息をついて、自分の知っている遠坂凛とは色々と違う、目の前にいる遠坂凛の後を追った。なんだかえらいことになりそうな予感がした。おまけに外れる気がまったくしない。どうなることやら、とアーチャーは珍しく思い悩んだ。
そうして、<新宿>の夜はいつも通り、死と共に更けていった。
おわり。