なぜ「抑止力」の本質と実態を書かぬ

白垣詔男

 
 


 4月6日から春の新聞週間が始まった。中日(東京)4日社説は「権力の監視と未来への提言がわたしたちの任務」と主張する。歴史と時代の転換期に厳しいメディア批判が続くが、新聞の役割が問われている。時効を迎えた警察庁長官銃撃の警視庁公安部長の会見には、唖然とさせられた。翌日の各紙社説で批判が渦巻いたのは当然であるが、警察・司法などへの権力監視は怠れない。
 政権交代から半年余り、鳩山政権の屋台骨が揺らいでいる。焦点は沖縄の普天間基地の移設問題だ。5月末までの決着に関心が集まるが、大切なのは沖縄からの視点である。毎日9日夕刊「ゆうかんなトーク」でも、沖縄に集中する基地の問題は超党派のテーマなのに、政争の具となっていると指摘する。「政治に体力、報道に提言」を求めたい。勇敢な提言により、夕刊離れ、新聞離れを食い止めてもらいたい。朝日9日声欄の日本にとって「沖縄」とは何か、という問いかけには重いものがある。「沖縄のこころ」を踏みにじってよいのか。日米安保条約締結から半世紀、冷戦終結から20年余りが経過する。冷戦の遺物ともいえる在沖米海兵隊、日米「同盟」を根底から問い直し、原点に立ち返った報道を期待したい。
 政治の劣化が進んでいる。政治とカネの問題にとどまらない。参院本会議での「なり代わり投票」には驚かされた。「魔がさした」というが、何とも情けない。政府与党を含めて国会に緊張感が乏しく、早くも選挙ないし政界再編モードのようだ。参院選が迫る中で、自民党からの離党と新党ラッシュである。「たちあがれ日本」は、危機感を煽るばかりで政策と方向が見えない。朝日11日社説のように、何とも心躍らぬ新党の船出だ。「みんなの党」も、ムード先行の支持広がりが気がかりだ。
 再び政権交代を問いたい。昨夏、国民の多くは民主党に期待して、歴史的な政権交代を実現させた。新政権下で事業仕分けや密約公開など、予算編成や権力の透明化が進んできた。だが政治とカネ、公共事業の個所付け事件や道路建設への転換など、期待はずれも続く。政権交代の光と影を見据えつつ、政争や政局だけでなく、大局的な視点から権力を監視する報道が求められる。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2010.5. 25号より)

 

 

 
 

提言報道で新聞離れを食い止めよ

山田 明

 
 


 4月6日から春の新聞週間が始まった。中日(東京)4日社説は「権力の監視と未来への提言がわたしたちの任務」と主張する。歴史と時代の転換期に厳しいメディア批判が続くが、新聞の役割が問われている。時効を迎えた警察庁長官銃撃の警視庁公安部長の会見には、唖然とさせられた。翌日の各紙社説で批判が渦巻いたのは当然であるが、警察・司法などへの権力監視は怠れない。
 政権交代から半年余り、鳩山政権の屋台骨が揺らいでいる。焦点は沖縄の普天間基地の移設問題だ。5月末までの決着に関心が集まるが、大切なのは沖縄からの視点である。毎日9日夕刊「ゆうかんなトーク」でも、沖縄に集中する基地の問題は超党派のテーマなのに、政争の具となっていると指摘する。「政治に体力、報道に提言」を求めたい。勇敢な提言により、夕刊離れ、新聞離れを食い止めてもらいたい。朝日9日声欄の日本にとって「沖縄」とは何か、という問いかけには重いものがある。「沖縄のこころ」を踏みにじってよいのか。日米安保条約締結から半世紀、冷戦終結から20年余りが経過する。冷戦の遺物ともいえる在沖米海兵隊、日米「同盟」を根底から問い直し、原点に立ち返った報道を期待したい。
 政治の劣化が進んでいる。政治とカネの問題にとどまらない。参院本会議での「なり代わり投票」には驚かされた。「魔がさした」というが、何とも情けない。政府与党を含めて国会に緊張感が乏しく、早くも選挙ないし政界再編モードのようだ。参院選が迫る中で、自民党からの離党と新党ラッシュである。「たちあがれ日本」は、危機感を煽るばかりで政策と方向が見えない。朝日11日社説のように、何とも心躍らぬ新党の船出だ。「みんなの党」も、ムード先行の支持広がりが気がかりだ。
 再び政権交代を問いたい。昨夏、国民の多くは民主党に期待して、歴史的な政権交代を実現させた。新政権下で事業仕分けや密約公開など、予算編成や権力の透明化が進んできた。だが政治とカネ、公共事業の個所付け事件や道路建設への転換など、期待はずれも続く。政権交代の光と影を見据えつつ、政争や政局だけでなく、大局的な視点から権力を監視する報道が求められる。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2010.4. 25より)

 

 

 
 

〈集団的自衛権〉とは米と共に戦うこと

荒屋敷 宏

 
 


 「世界」5月号(岩波書店)で元沖縄大学学長の新崎盛暉氏は、米軍普天間基地問題で鳩山政権が公約に反し、「県外・国外移設」へ踏み出さない理由にしている米海兵隊の「抑止力」論について、具体的に検証するメディアがほとんどないことに怒っている。
 新崎氏は「ジャーナリズムはほとんどその役割を放棄している」とまで書いている。「前衛」5月号の特集以外、「海兵隊は抑止力」とする政府の言い分を批判する雑誌を見つけるのは難しい。
 一方、「日本政府としても出て行って欲しいということになれば、米側は簡単に国外に出て行く可能性がある」(3月1日の講演)と情勢認識を語った民主党政権の長島昭久防衛大臣政務官は、「Voice」5月号(PHP研究所)で、「米軍の駐留は必要不可欠」と題して、こんなことを書いている。
 「いくら政権交代が行なわれようが、外交の継続性は保たれねばならないのだ」「個人的には野党時代から、集団的自衛権の問題をはっきりさせるべきだと主張してきたが、たとえば、日本と一緒に行動している米軍が攻撃を受けたとき、日本はどう行動するのかをはっきりさせることなく、真の同盟関係を構築できるだろうか」
 集団的自衛権の行使とは、アメリカと肩をならべて戦争をすることである。憲法第9条の改悪そのものだ。
 長島氏の発言は、新党「たちあがれ日本」や自民党改憲派の主張と変わらない。
 今月28日に東京では、改憲派の集会が二つ予定されている。一つは「新しい憲法を制定する推進大会」(主催・新憲法制定議員同盟、会長・中曽根康弘元首相)。
 もう一つは、「主権回復記念日国民集会」(協賛団体・日本会議、英霊にこたえる会ほか)で、サンフランシスコ条約が日本で発効した1952年4月28日を記念する集会である。
 しかし、サンフランシスコ条約第3条で日本は、沖縄の施政権をアメリカに渡すことを決め、沖縄は本土復帰の根拠を失った。米軍の駐留継続を決定づけた日を「主権回復記念日」と祝えるだろうか。条約の壁を突破して、1972年の沖縄の本土復帰を可能にしたのは、沖縄県民の「島ぐるみ」のたたかいと、それと連帯する民衆のたたかいだった。
 対米従属から脱却し、「基地のない沖縄」「基地のない日本」をめざす歴史的なたたかいが求められている。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2010.4. 25より)

 

 

 
 

メディアもイラク戦争の検証を

柴田鉄治

 
 


 米英軍がイラクに侵攻して「イラク戦争」が始まってちょうど7年がたった。
 開戦前の各国の激しい駆け引き、反戦運動のうねり、開戦するや本格的な戦闘はすぐ終わったが、その後の大混乱……また、戦争の「大義」といわれた大量破壊兵器は見つからず、米同時多発テロの実行犯とされるアルカイダとフセイン政権とのつながりもなかった。
 あのイラク戦争とは、いったい何だったのか。
 いま各国でイラク戦争の検証作業が始まっている。当の米国でもブッシュ大統領が、戦争自体の誤りこそ認めなかったが、情報機関の誤りは認めて謝り、国連安保理で大義をぶったパウエル国務長官も、のちに自らの「人生の汚点」と振り返った。
 英国では、5人の委員からなる独立調査委員会が、当時のブレア首相ら80人余を喚問して、その内容をすべてネット上に公開している。
 結論はまだ出ていないが、開戦前の閣議で戦争の是非をほとんど論議していなかったことや、国際法の専門家の間には反対論が強かったことなどが明らかになりつつある。
 オランダでも、7人の有識者からなる独立調査委員会によって検証作業がなされ、国際法に違反する戦争だったという結論をすでに出している。戦争を支持し、復興支援に部隊まで派遣した自国の行為を反省しているのだ。
 日本も早急に検証作業に着手すべきだろう。いち早く米国支持を表明し、「人道復興支援」と称して自衛隊まで派遣した小泉政権の対応は正しかったのかどうか。
 とくに日本は戦争を放棄した平和憲法を持つ国だけに、「自衛隊の活動するところは非戦闘地域だ」という強引な論理で派遣に踏み切った日本の行為を、あらゆる角度から検証する必要がある。
 日本はその後、政権交代があったが、この検証作業は党利党略とは離れて「国家の責務として」行うことが大事だろう。英国もオランダも、同じ政権下でも検証作業を粛々とおこなっているのである。
 ところで、イラク戦争の検証は政府だけでなく、日本のメディアもきちんとやる必要がある。イラク戦争に対して日本のメディアは真っ二つに割れ、全面的に米国を支持し、自衛隊の派遣にも積極的に賛成した「読売・産経新聞」と、戦争にも自衛隊の派遣にも反対した「朝日・毎日・主要地方紙」と二極分化したのである。「進攻」「侵攻」と使う言葉まで違ったのだ。
 検証作業はどちらもやるべきだが、積極的に推進したメディアにひときわ必要なことはいうまでもない。
 論調自体の検証だけでなく、自社の主張を強調するために報道を歪めたケースがなかったかどうかも、検証すべきだろう。
 たとえば、読売新聞は開戦直前におこなった世論調査で、自社の主張と正反対の結果が出たため、見出しもつけずに目立たないように報じたことがあった。
 調査結果を報道しただけましだという見方もあろうが、逆の結果が出ていたら大きく報じていただろうから、少なくとも「公正な報道」とはいえないだろう。
 朝日新聞だって、イラク戦争には反対したが、その前のアフガン戦争には、空爆の開始に「限定ならやむをえない」と報じていたのだから、ほめられたものではない。
 また、論調とは別に、日本の新聞とテレビは開戦前にバグダッドから記者を全員引き揚げてしまった。
 フリーの記者や外国のメディアは残っていたのだから、なぜそんな恥ずかしいことをやったのか、この点の検証も必要だろう。
 戦争に限らず、報道の仕事とは、もともと常に検証の必要な仕事なのである。きょう報じたことをあすにも検証し、間違っていたら修正していくという作業の繰り返しのはずなのだ。
 検証をおろそかにしたらメディアは信頼を得られないのだ。

(JCJ代表委員)

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2010.3. 25より)

 

 

 
 

日米関係の危機をあおる論調ばかり

山田 明

 
 


 本格的な政権交代に伴う変化について、メディアの姿勢が注目される。行政刷新会議による「事業仕分け」に対する国民の注目度は予想以上に高く、誰もが監視できる中での試みだけに、新聞各紙の「眼力」も問われる(11月22日毎日)。
 無駄削減に期待と懸念が交錯する記事が目立ったが、各紙の「眼力」は今ひとつの感じだ。「事業仕分け」は多くの課題を残したが、予算編成プロセスへの国民の関心の高まりを歓迎したい。
 12月7日朝日「政権交代82日目」も指摘するが、鳩山政権は「外交の継続性」という難題に直面している。米軍普天間飛行場の移設問題について、前政権下での日米合意を実行するのか、答えを出せない状況が続く。読売などは連立政権維持より、日米関係を重視せよと迫る。9日付は「ワシントンで政治問題化の兆し」と報じ、日米の溝の深まりを問題視する。この間の鳩山首相や関係閣僚の発言の揺れも問題だが、グアムと「パッケージ」された普天間移設について、原点に立ち返った議論も必要だ。なにより基地負担軽減をもとめる沖縄県民の思いを大切にしたい。
 9日中日は06年5月に日米合意した「米軍再編」について、陸軍の座間移転中止の見通しを伝える。米側は米軍再編を「ひとつのパッケージ」として日本に履行を迫るが、米自身は都合よく解釈し、「パッケージ破り」をしていることになる。「普天間移設など再編は一体」という米の主張が崩れると指摘する。アメリカ政府の主張や政府高官の高圧的な発言を無批判に流して、日米関係について危機感を煽り立てる論調が目立つ。
 本格的な政権交代という新たな時代の日米関係、在日米軍再編と基地のあり方、日米合意そのものに目を向ける必要があろう。新聞メディアも、大局的な見地からの積極的な見解・主張が求められる。
 12月5日朝日オピニオンは、「新聞にもう未来はない」といった論文を発表して反響を巻き起こしたワシントン・ポスト副社長のインタビューを掲載している。米新聞は「NPO化・公的支援も」と瀬戸際の状況にある。日本でも業界再編の兆しが見られ、新聞は生き残れるのか。変化の時代に、国とともに新聞のあり方も鋭く問われる。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.12. 25より)

 

 

 
 

「日米関係」に及び腰で、主張なし

白垣詔男

 
 


 鳩山政権が米国との関係をどう変化させるのか大いに注目される。自民党中心の政権が「対米追従」「米国への隷従」だっただけに、「真の独立国」同士の関係に発展させてほしい。それには日本政府は米国に対して主張すべきは主張して「対等な日米関係」を築く努力を示してほしい。米国は、正面から議論を挑む相手を尊敬する「言論の国」だと思っているが……。
 しかし、各紙は「『同盟』とは何なのかを議論する時期なのに、新聞は普天間移転ばかり書いている。/報道は『権力』に過剰反応して『不自由な道』を選んでいる」(毎日10日夕刊「牧太郎の大きな声では言えないが……」)というありさまだ。
 基地、思いやり予算、インド洋での給油などで「首相発言は同盟関係を後退させることばかりだ」「日米防衛協力の強化に取り組まなければ、同盟の深化はあり得ない」という「自民党応援団」とみられる読売社説(7日)は、「自衛隊は軍隊」を前提としていると思われ、賛成できない。「憲法改正」を社是としている読売の考え方は、日本を戦争に巻き込みかねない危険性が強い論調だ。
 他の各紙は「政権交代の時代の同盟管理のあり方が問われている」(朝日12日社説)、「(再来日するオバマ大統領との日米首脳会談は)日米同盟の『再定義』の取り組みを進める出発点にすべきである」(毎日11日社説)、「沖縄の民意を酌んで、来年1月の50年を機に、時代に合った同盟の在り方まで見据えた(普天間基地の)移設案を米側に提言する。……そんな気概を鳩山首相に求めたい」(西日本7日社説)と「状況説明」と「願望」に終始している。
 各新聞社は「対等な日米関係」をどう考えるのか。読者として、自民党中心の政権が民意で否定された時期をとらえて主張してほしい。しかし、自民党の政策を続けることが「日米同盟の深化」と、民意に背く主張をしている読売以外、独自の「日米関係論」は語られない。
 オピニオンリーダー」「ジャーナリズム」を放棄して久しいといわれる新聞社が、こうも及び腰では失望が加速するばかりだ。「現実報道」「評論家任せ」ではない「新聞社としての考え方である社説」は劣化の一途をたどっていると断定するのは「言い過ぎだ」という「社説」にお目にかかりたいものだ。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.11.25より)

 

 

 
 

侵略された側の証言を集める試み

水上一郎

 
 


 一昨年から始まったNHKの「戦争証言」プロジェクトは、これまでの証言記録『兵士たちの戦争』に続いて、今年8月には『市民たちの戦争』のシリーズ5本をBS―hiで放送した。
 アジア太平洋戦争で家族の命を奪われるなどした市民たちの戦争体験の証言については、今後も取材と放送を続け、さらに日本の侵略で犠牲を強いられたアジアの人たちも対象にするという。
 アジア侵略の尖兵として前線に狩り出された兵士たちの苦難は筆舌に尽くしがたいものだろうが、これまでの証言はとかく、苛酷な戦闘の体験談がほとんどで、占領地域の人々に対する性暴力などの加害者としての行為を告白したのは、ごくわずかだ。
 それだけに、侵略された側からの証言も集める試みは、日本人の戦争体験を総合的・体系的に理解するうえで価値がある。また、大戦の開戦70年に当たる再来年までに、日本とアジアの人々1000人の戦争証言を収集するという計画には期待がもてる。
 この稿では、8月9日放送の証言記録『市民たちの戦争』「強いられた転業 東京開拓団〜東京・武蔵小山〜」を取り上げ、現在でも都内有数の賑わいをみせる商店街の、戦時下の知られざる受難の歴史をみてみたい。
 国家総動員体制の下、強制的に廃業させられ、旧満州への農業移民を余儀なくされた商店街。隣接の商店街と合同の「東京開拓団」として、敗戦前年、ソ満国境近くに入植する。広大な農地で働く団員の姿が当時のニュース映画に映っている。
 しかし一見のどかな風景も短期間で暗転。翌年8月のソ連軍の侵攻で老人、女子ども中心の集団が逃げる途中、300人が抗日ゲリラに包囲され、集団自決に追い込まれる。
 わが子を射殺した父親、一家全員の遺体が並ぶ様子など、惨劇について語る生存者の口は重たい。総勢1000人余の開拓団のうち、日本に生還したのは、わずか80人。
 今回放送した証言記録では、このほか沖縄・渡嘉敷島での集団自決の地獄絵についても伝えたが、先の大戦ではほかにもこれに似た悲劇が、封印されたまま埋もれているのではないか。
 そうした事実が生存者の口から明かされれば、戦争の全体像がいっそう厚みを増す。
 プロジェクトでは、これまで放送した100人の証言のアーカイブスを、来月12日までインターネットで試験公開しており、再来年には本格的なサイトとして公開する予定だというが、放送番組についても、BS―hiだけでなく、ほかのチャンネルでも積極的に放送する努力を望みたい。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.9.25より)

 

 

 
 

戦争関連番組にみる制作者の思い

JCJ代表委員 隅井孝雄

 
 


 夏休みに入ったばかりの週末、思いっきりテレビを見た。そして日本が引き起こした戦争について、日本の未来についてじっくりと考える時を過ごした。4日間で見た第二次大戦や核関連番組は実に13本、のべ16時間に達した。「ヒロシマ、少女たちの日記帳」などNHKが力作、大作を揃えたが、民放でも「最後の赤紙配達人」(TBS)、「戦場のラブレター」(日テレ)など4本を数えた。このほか8月15日前後にもNHKドラマ「気骨の判決」など9本の特集が組まれ、徹子の部屋が8月13日から戦争体験特集を組んでいる。
 今年は戦後64年。テレビの場合50年とか60年とか切りのいい周年に力を入れることが多い。そういう習慣から見ると今年はいかにも半端な年なのに、なぜ番組が多いのだろうか。私はいくつかの理由が複合していると考える。
 戦争を知る世代が70歳を超え、時間との競争になっている。制作者たちは今しかない、という切迫した思いにかられているのではないか。
 アメリカのオバマ発言の影響もあると思う。彼は初めて、核兵器を使用した唯一の国としての責任について語り、核廃絶を目標にすると言及した。もはや核は抑止力ではなくなった、人類にとって危険な存在だ、とアメリカの識者も廃絶を訴えている。核兵器廃絶の運動は今年以降かつてない高揚期に入る。その状況は報道番組の制作者にも反映しているのではないか。
 民放では日本テレビ系の「NNNドキュメント」や毎日放送の「映像09」などが格差社会に切り込んで注目を浴びたことから活性化し、積極的な報道活動を続けている。2008年秋からは民放の番組編成でかつてなかったほどプライムタイムの報道番組が増えた。私の知る範囲ではNHKの放送現場は歴史に正面から向かい合おうとしている。試行錯誤はあるようだが、NHKスペシャルなどで、朝鮮併合、中国への侵略など日本の近、現代史がしばらく続く。番組と連動して「戦争証言」を集めアーカイブ化するプロジェクトもNHKが8月13日から始めた。
 NHKや民放の番組のあり方についての批判の声が多い。もちろん批判すべき経営姿勢、番組内容が多々あることを否定するものではない。しかしさまざまな番組を見続けている私としては、放送番組を制作している現場と、市民社会をつなぐかけ橋をどのように構築するか、ということを常に考える。
 テレビは依然として非常に大きな視聴者を持っている。テレビに見入っている人の数や人々の視聴時間はこの10年ほとんど変わっていない。依然としてテレビは重要なメディアだという認識が私にはある。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.8.25より)

 

 

 
 

民放の雄・TBSはどこへ行ったのか

三原 治

 
 


 TBSの凋落は何なのだろう。ゴールデンタイムに「3」や「4」の数字が平然と並ぶ。視聴率が全てではない。そんなことは分かっている。物には限度があるということだ。
 確かにTBSも可哀想だ。放送デジタル化のために各放送局は設備投資などに多大なコスト負担を強いられる。そこに未曽有の経済・金融危機が起こり、広告収入が大きく減少。その上にTBSの場合は、視聴率の低迷というトリプルパンチに見舞われてしまった。
 2009年4月の大改編。キャッチコピーは、「TBSが変わる TBSを変える No TV? But TBS」。第二の開局というアピールも付け加えた。それは、17時50分から19時50分に誕生させた『総力報道!THE NEWS』。これにより、平日夕方の報道番組『イブニング・ファイブ』が終了した。
 TBSのこのような大改編は何度か行なわれている。毎回、社運をかけて改変に取り組むが、その度に運には見放されている。
 例えば1987年10月。平日22時台の帯ニュース番組『JNNニュース22プライムタイム』がスタート。大成功したテレビ朝日の『ニュースステーション』に対抗させる目的だったが、結果は惨敗。
 1992年10月の改変も凄かった。19時台に、『ムーブ』というバラエティ番組枠を開始し、これも歴史的敗北を喫した。
 今回の『THE NEWS』は、前評判は悪くなかった。『NHKニュース7』と真っ向勝負で、「報道のTBS」の復活に期待がかかっていた。独自の手法で、ニュースを深く掘り下げていく「実況中継型報道番組」を目指すというスタンスだった。TBSの石原社長などは「視聴習慣が付くまでの産みの苦しみ」とコメントしている。しかし、番組から伝わってくる気迫が足りない。もはや、敗戦処理のような空虚感さえ伝わってくる。
 6月26日の株主総会で、会場からの提案で、「赤坂サカスの不動産業は儲かっているのだから、赤字のTBSは手放したらどうか」というのがあったらしい。見事な皮肉である。それに対して壇上の役員は、何の反論もできなかったそうだ。民放の雄・TBSの今の姿を象徴している。信念があるなら言い返せばいいのだ。「私達のやり方に問題はない。良い番組を作っている」と。その言葉が出ないというのは、役員達も自信がないのであろう。初代・足立正社長が残した言葉「最大よりも最良たれ」の原点に今一度立ち戻るときである。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.7.25より)

 

 

 
 

日テレ“足利事件報道”一年半の執念

徹底した調査報道の勝利だ

仲築間卓蔵

 
 


 足利事件の再審請求即時抗告審で、無期懲役刑の執行停止によって、逮捕から17年ぶりに釈放された菅家利和さんについて、最高検の伊藤次長検事は10日、記者会見して、「検察としては、真犯人と思われない人を起訴し、服役させたことは、大変申し訳ないと思っている」と述べ、検察として初めて謝罪した。再審前に無罪を前提に検察が謝罪するのは極めて異例のことだと思う。
 「極めて異例なこと」がどうして起きたのか。弁護士の長年にわたる努力の賜物であることはもちろんだが、ここでは、日本テレビ報道局社会部の「未解決事件取材班」の地道な調査報道活動について触れたい。  

■特番『アクション』

 本テレビがこの事件に関わり合うようになったきっかけは、報道特別番組『アクション』(08年1月6日スタート)である。

 社会的な問題を取り上げて「それが1年後にどうなっているか」を検証するというのが番組の企画意図である。5、6本のテーマの中に、栃木・群馬県境20キロ圏内で五つの幼女事件が「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」として入っていた。
 連続事件と仮定されていた中で、「なぜか1件だけおかしい」(取材班キャップ清水潔記者)ことに注目したのが足利事件である。清水記者と杉本純子レポーターを中心にして調査が始まることになる。
 そのとき、すでに(01年1月)出版されていたノンフィクション作家・小林篤さんの『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』も参考にされた。小林さんが書くきっかけになったのは、ある雑誌社の編集者のデスクの上に無造作に置かれていた足利事件の「控訴趣意書」である。このことを書くと長くなるので、ここでは省略する。
 清水記者に会うために、セキュリティーのきびしい日テレの新社屋にはじめて足を踏み入れた。

■文通で信頼を得る

 小林さんも話していた「取材班の独自調査は半端じゃなかった」という言葉通り、DNAについてのアメリカ取材、目撃者の取材、被害者の母親の取材は徹底して行われている。警察当局の取材拒否にもあっている。
 取材結果は、夕方の『リアルタイム』、夜のニュース『ZERO』、日曜の特番『バンキシャ』で22回放送された。番組のブログを見たら、報告は28回に及んでいる。
 警察当局は、「なんだあの番組は」「おれたちの敵だ」と言っていたという。
 菅家さんとの付き合いは文通(受刑者とは会えないので)ではじまっている。信頼関係は着実につくられていった。釈放された時のマイクロバスの中に清水さんはカメラを持って乗っていた。テレビ出演は日テレが最初である。
 菅家さんは、「コーヒーを飲みたい。寿司を食べたい。カラオケにいきたい」と。カラオケでは橋幸夫、石原裕次郎などの歌をたてつづけに20曲も歌ったとか。これらのスクープ映像は、信頼関係なしには成立しない。
 テレ朝の『サンデープロジェクト』が注目しはじめたのは、日テレの放送から6カ月たってからである。その他の社は「冷めていた」。

■「劣化」を防げ

 各社が騒ぎ始めたのは5月。再鑑定の動きがあってからである。ぼくが聞いたのはほんの一部だろう。取材班の苦労はまだまだあるはずである。
 日テレは、「岐阜県警裏金問題」で一時ミソをつけたことがあったが、この調査報道で一気に息を吹き返したといえる。
 報道の「劣化」がいわれているが、背景には「事実の検証を怠っている」「事実から遠ざけられている」「疑ってかかることをしない」風潮があるようだ。
「おかしい」と言い続け、大きく関心を持たせてくれた取材班に、心から拍手を送りたい。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.6.25より)

 

 

 
 

台湾統治めぐりNスペに「圧力」

JCJ放送部会 石井長世

 
 


 自民党の安倍晋三・中川昭一コンビは、いわずと知れた2001年のNHKの番組に政治介入した疑惑を持たれた仲間だ。その安倍氏らの呼びかけで6月11日、自民党国会議員有志による「公共放送のあり方について考える議員の会」(古屋圭司会長)なる議連が発足した。目的は、4月5日放送のNHKスペシャル・JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』が、日本による台湾の植民地統治の負の面を強調し、公共放送として偏っていることを検証するというもの。

  当の番組は、日清戦争によって台湾を初の植民地とした日本が、西欧列強にならって“一等国”入りを果たす過程での統治の実態はどうであったかを、台湾総督府文書などの豊富な史料や現地の人びとの証言を基に検証し、今後日本がアジアにどう向き合うのか、その道を探る手がかりにしようというものだ。この中では、少数民族など台湾に住む人びとが蒙った過酷な弾圧や、皇民化政策の本質を明らかにしたほか、統治時代の差別の記憶が消えない老人たちの生の声を紹介し、日本の近現代史の研究者たちからも「新しい事実が提示され、理解が深まった」などと評価されている。

  ところが、放送後、一部の新聞や週刊誌、それに月刊誌『正論』と『Will』などが、相次いで番組を誹謗中傷する記事や評論を掲載したほか、5月18日の産経新聞に、1ページ全面を使った意見広告「NHKの大罪」を掲載するなど、躍起になったNHK攻撃が続いている。これらの記事・評論の論者の主張は、番組が取材に応じた台湾人の証言を恣意的に編集して“反日”を強調し、証言者を騙した。日本の統治を悪と決めつけ、日本誹謗を繰り返す一方、アジア太平洋戦争中、21万人が日本兵として狩り出され、3万人が戦死した冷厳な事実には口をつぐんでいる。結局、彼らの主張は、この番組を“自虐史観”に基づくものだと攻撃することで、日本軍国主義の統治を免罪、正当化するだけではないのか。

 このほか、「日本李登輝友の会」など右派系の団体が、NHKに対して日台友好を傷つけたなどとして、番組シリーズの中止、制作担当者、役員の辞任を要求するという常軌を逸した言動を続けている。
 幸いNHKの番組制作現場や経営上層部に、こうした動きに対する動揺は見られないとのことだが、注意すべきは、前述の自民党議連の動向だ。
 放送法の条文を借りるまでもなく、放送による表現の自由を保障し、他からの干渉を排除することは視聴者市民の願いでもある。政権与党の議連がNHK予算への影響力を背景に、番組検証の名目で番組内容に干渉を企てるとすれば、世論の厳しい批判を受けることを銘記すべきだ。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.6.25より)

 

 

 
 

<週刊新潮「朝日襲撃犯」スクープ誤報>

根底に「裏付け取材否定」の姿勢
危惧される「週刊誌無用論」の台頭

亀井 淳

 
 


 朝日新聞阪神支局殺傷事件。「私が襲撃した」と実名手記を週刊新潮に4回掲載した男性が、一転その事実を否定。新潮側も「こうして『ニセ実行犯』に騙された」と編集長が10ページの手記を発表するなどドンデン返しの連続だった。
 誤報事件は各メディアに少なくない。天声人語によると08年以後、週刊新潮だけで名誉毀損敗訴は10回で、計3000万円の賠償を命じられている。しかし裁判ならばその過程で双方のやりとりがあり、負けた方にもそれなりの言い分が残る場合がある。
 週刊新潮はなぜ、これほどの醜態に陥ったのか。それは、週刊新潮の生い立ちと54年間に及ぶ発展のありように根源がある。同誌の生みの親で育ての親は当時からワンマンとして知られた雑誌編集担当の斎藤十一重役だ(写真週刊誌「フォーカス」も同じ)。
 斎藤は2000年死去するまで「斎藤天皇」といわれたが、その下でもむろん誤報や報道トラブルは多々あった。が、斎藤は決して責任を取ろうとしないどころか、賠償金は「必要経費」と開き直っていたのである。
 新潮編集長の手記には「週刊誌の使命は、真偽がはっきりしない段階にある『事象』や『疑惑』にまで踏みこんで報道することにある」と断定的に述べている。誰かが何か言った、中身を検証しなくても、言ったという事実を報道するのは正しいという立場で、これは裏付け取材の否定であり、週刊誌全体を馬鹿にした態度だ。
 今回、対新潮批判で朝日のトーンが異様に高いと評する人もいる。
 だが、考えても見よう。阪神支局の記者たちは一日の仕事を終え、スキ焼きの夕食を済ませてソファでくつろいでいた。そこに銃を持った何者かが飛びこみ発砲した。
 血にまみれて絶命した若い記者の無念を思えば、そんな事件に便乗し、かつ相当の金銭や便宜の供与をやりとりした「ニセ実行犯」と新潮との関係を見つめる朝日同僚たちの怒りがいかに強くても、それは人間的に理解できることではないのだろうか。
 今後、週刊新潮撲滅論とか週刊誌無用論が出てくるかもしれない。だが、これだけの失態でもメディアをつぶす論議は好ましくない。
 編集長手記には重大な誤報が生まれた構造や深層への言及はないが、同社社員らの努力で明らかにし、新しい週刊誌の時代を模索すべきだろう。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.04.25より)

 

 

 
 

<NHKは恥ずかしくないのか>

内部告発者への報復措置

JCJ代表委員 柴田鉄治

 
 


 精密機器メーカー「オリンパス」の社員が、社内のコンプライアンス(法令順守)通報窓口に上司を内部告発したところ、閑職への配置転換などの制裁を受けたとして東京弁護士会に人権救済を申し立て、3月2日、記者会見して「会社の信頼を守るための行動が、こんな仕打ちとなって返ってくるとは」と語った。
 このニュースを聞きながら、「ああ、NHKのケースとよく似ているな」と感じ、「NHKは本当に恥ずかしくないのか」と改めて思った。このことは先月のマガジン9条のウェブ時評にも書いたのだが、オリンパス事件に触発されて、もう一度書いてみたい。

不審な長井氏の人事異動

 NHKのケースというのは、2001年1月に放映された従軍慰安婦に関する教育テレビの番組が、放送直前に大幅に改変された問題で、05年1月、朝日新聞が「自民党の安倍晋三、中川昭一氏ら政治家の介入があった」と報じたことにより、NHKと朝日新聞の「大喧嘩」に発展した事件である。
 この番組制作のデスクだった長井暁氏は、NHKに設けられたコンプライアンス委員会に04年12月、「政治家の介入があった」と内部告発したが、調査が始まらないため、朝日新聞の報道があった翌日、記者会見をして社会に発表したのである。
 NHKと朝日新聞との「大喧嘩」は、その後、朝日新聞が腰砕けとなってしまったため、NHKはますます強気に転じ、長井氏の内部告発も「推測に過ぎない」と却下して、長井氏を制作現場からはずす制裁的な人事異動を発令した。
 その長井氏が先月、NHKを退職したことが報じられたのである。「家庭の事情」ということで、オリンパス社員のように人権救済の申し立てはしていないようだが、退職に追い込まれたという状況であることは間違いあるまい。

上層部自らが告発を却下

 私がNHKに対して強い憤りを感じるのは、長井氏が内部告発したコンプライアンス委員会というのは、NHKに不祥事が相次ぎ、「組織をなんとか立て直したい」と内部通報の制度をわざわざ設けたものだったのに、そこへの正式な通報に対して報復的な措置をもって対応したことである。
 しかも、長井氏はNHKの上層部に問題があると告発しているのに、当の上層部が却下しているのだ。これでは、被告が判決文を書いているようなものではないか。本来なら第三者委員会が調査して判定しなくてはならない事例だろう。
 日本社会では、長い間、内部告発を組織の和を乱すものとして嫌う風習があったが、それでは不正が糾せないと、内部告発者を守る法律をつくるなど、社会の空気は大きく変わってきた。NHKもオリンパスも社内の不正を糾すためにコンプライアンス(法令順守)の窓口を設けて、内部告発を呼びかけていたのである。
 それなのに、規定に従って内部告発に応じたとたん、制裁的な配置転換をするとは、まさに法令順守とは逆の詐欺的な行為ではないか。そのうえ長井氏の場合は、番組改変をめぐる裁判で「政治家の言葉を過剰に忖度した上層部によって改変がなされた」という東京高裁の事実認定まであるのだ。
 NHKに賠償の支払いを命じた判決の主文は、その後、最高裁で逆転したが、事実認定そのものは変わっていないのである。

森発言指南書の記者は不問

 NHKといえば、この番組改変事件のほぼ1年前の2000年5月、当時の森喜朗首相の「神の国発言」に対して、釈明のための記者会見のやり方を指導する「指南書」を書いたNHKの政治記者がいて、大問題になったことがある。
 この指南書には「質問をはぐらかせ」とか「時間を打ち切れ」とか、記者が本来やるべきこととは正反対の、首相の側に立った内容が記され、記者倫理に反することは明白だった。ところが、NHKはこの記者をまったく処分せず、不問に付したのである。
 政治家の番組制作への介入を内部告発したプロデューサーは、制作現場からはずして退職にまで追いやり、一方、記者倫理を踏み外して政治家に擦り寄った記者は不問にする。それでもNHKは恥ずかしくないのか。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.03.25より)

 

 

 
 

<現場ジャーナリスト座談会>

社会の矛盾 いかに伝えるか 
いまメディアに問われているもの

 
 


 日々に起こる出来事を伝え、社会の矛盾を指摘するマスメディアだが、自らも社会の一部として変化にさらされ、多くの矛盾を内包している。近年とみに高まった市民のマスメディア不信は、活字メディアも放送も本当に必要なことを伝えているのかという思いと共に、ジャーナリストがどれだけ自らの職業に自覚的に取り組んでいるのかが見えないからではないだろうか。
 週刊朝日編集長の山口一臣さん、日本テレビ報道部の水島宏明さん、毎日新聞社会部の明珍美紀さん、それぞれの現場で活躍しているジャーナリストに、明治学院大学教授の吉原功さんの司会で、現在の社会状況とメディアのありかたについて話し合っていただいた。


井戸端会議のようなテレビの作り

吉原 昨年9月の金融破綻から年末年始の派遣村へ、今は激動の時代だと思います。それぞれのメディア特性を生かし、どのように激動の時代を切り取って伝えようとしているのか。現場の実情をお話ください。
山口 格差社会を報じながら編集部や番組スタッフの中にも格差があります。「週刊朝日」は分社化した朝日新聞出版から出している。編集部には新聞社からの出向社員と、朝日新聞出版の社員がいる。またフリーランスなくして雑誌は成り立たちません。スタッフに年収格差がありながら、世の中の格差に対して、「けしからん」と言っているわけです。
水島 取材現場で貧困を追っていますが、なぜか日本は貧困と言わず、格差と言ってきた。2年ほど前にイギリスに駐在したことがあります。イギリスには貧困というジャンルが報道のなかにあり、BBCでも貧困率の増減をたえず報じているし、ドキュメンタリーシリーズを放送している。日本のテレビはいろいろなテーマをごく短い時間でとりあげる、いわば井戸端会議の延長みたいな作りが多い。声の大きい人が最後に発言したセリフが印象に残ってしまうところがあります。
 先日も派遣切りの問題で討論番組をやったのですが、すぐに自己責任論の話になって、実態や制度の問題を社会学的に詳しく議論する前に本人ががんばっているかどうかが中心になってしまう。視聴者にも番組制作者にも「生活困窮者は本当に努力したのか」という疑念があり、そこをクローズアップしたがる。いわゆる自己責任論です。それでも2、3年前と比べ貧困という言葉が出始めました。
山口 視聴者にも自己責任論が多数派ですか?
水島 メールや手紙を送ってくる人には自己責任論者が多い。放映された生活困窮者がタバコを吸っていると「タバコを買う金があれば切り詰めてなんとかやれるはずだ」と長時間電話をかけてきたりします。
山口 そこは活字と違う。05年に編集長になったころから、市場原理主義批判などをやっていました。それは読者の反応も良かった。今度の「かんぽの宿」の追及も構造改革のひずみではというスタンスでやっていて、投書の数も急増しています。

感情的になった受け手の反応

山口 誰でも世の中に対する不安と不満を持っていて、言いやすい罵声の対象がいると、自分は安全地帯にいながら批判して溜飲を下げる。モンスター何とかなどの現象とも通じるのでしょうが。週刊誌や夕刊紙が煽っているふしもないわけではないですが。(笑い) 
水島 10年前に比べると視聴者の反応が変化し、より感情的になっています。ネットカフェ難民でも、ひたむきにがんばっているけど報われない人を主人公にしました。しかし、その描き方自体が実は自己責任論を内包しているのではないかと湯浅誠さんに批判されました。18歳の少女がネットカフェに寝泊りしていて、けなげにも手帳に「我慢」と書いているシーンがラストの番組は、視聴者の反応が良かったのですが、反響の多くは少女を助けたい。部屋もあるし仕事もある、というものでした。そういう電話をかけた人に、「NPOなどに寄付しては?」というと「他の人ではなく、あの子を助けたいのです」という。
吉原 去年、水島さんの番組を学生に見せたんですが、「綺麗ごとで実態にあわない」と受け止める学生が多かった。今の学生はアルバイトで中高年の人と一緒だと、明らかに自分の方が有能だと思ってしまう。たとえば食堂でバイトすると、自分の方がきびきび作業が出来るし、受け答えもしっかりしていると感じる。親の世話になっていて恵まれた自分と困難な状況にあるネットカフェ難民とを同列に論じてしまう。
水島 一般的には記者も同じです。工場の派遣を切られた人で、ラーメン屋さんに勤めた人を取材したことがあります。その人は気がきかなくて、お客の残した丼を、店主にいわれて初めて片づける。彼はそういう気働きをここ10年の労働の中でしなくてすんできた。
 日雇い派遣の時に、「明日来て」と言われて行ってみたら、「この仕事はなくなった」と言われるなど、裏切られることもたくさんあって、世の中に期待をしなくなる。
 ネットカフェ難民を5年も10年もやっていると、「自分なんかいつ死んでもいい」という声をたくさん聞きます。その時点だけ切り取ると、なんと無気力な人たちだと思ってしまう。記者もある意味で取材を重ねて勉強していないとわからない。単にダメな奴と思ってしまう。
吉原 明らかに若者の感性は変ってきている。その変化に教育やメディアは無関係ではない。この状況を改善するためにメディアは何ができるだろうか。

伝えるためには売らなければ

山口 愚直に事実を伝えるしかない。ただメディアとして成立しなければならない。スタッフには売れるための記事8割、志の記事2割と言っています。
 書かねばならない記事を書き、伝えねばならないことを伝えたい。それが記者のモチベーションです。売れるということは多くの人に伝わるということでもある。私は「売らんかな」はいい言葉だと思っていて、「売らんかな」の週刊誌の中に、伝えるべきことを混ぜていく。
水島 現場で取材する記者・ディレクターと本社のデスクや省庁詰めの記者たちとの温度差を感じます。派遣村で会った新聞記者に話を聞くと、本社デスクから「ホームレスもいるのだろう。ちゃんと身元を検証した上でないと書くな」と言われたそうです。3日、4日食べてなく、公衆トイレで寝て、倒れこむようにして入ってくる人が何人もいました。そんな派遣村にいると「本当に自助努力をした人なのか」と現場も見ないで言ってくる神経がわからない。マスコミ全体には派遣村の背景に深刻な実態が広がっているという意識が少ないですね。
山口 新聞記者もテレビ局社員も就職戦線の勝ち組ですから。取材で現場を見ていればわかることも、デスクワークになると見えなくなる。それでもかつては想像力を働かせていたと思いますが。
水島 朝日新聞が記者にルポを書かせているのはいいことだと思います。省庁担当だった記者が、「もやい」に1カ月通ったりしている。そこでずっと取材すると、記者も明らかに変わってきます。テレビではそこまでの余裕はない。ドキュメンタリーの分野こそ記者が成長すると思うのです。
吉原 日本では記者クラブに所属するので、記者はそこが取材対象だと思い、街に出て問題を探らなくなるのでは。
水島 評価を気にするあまり今の若い記者たちも地道にルポを書いたり、ドキュメンタリーを作るより、警察のクラブで、「どこそこに明日、家宅捜索」という情報を抜いたほうが手っ取り早く成果を示せるということはあると思います。
吉原 週刊誌の場合は全体の企画や構成はどう決まるのですか。
山口 「週刊朝日」の場合は、スタッフ全員からプランをあげてもらって、合議します。
 週刊誌は全ての記者が何でもやります。その中で政治に強い記者は政治の企画をあげてきますが、今週は政治の記事を書いた記者が来週はスポーツの取材をすることも普通です。

市民運動に疎いマスメディア

吉原 ダボス会議はよく記事になりますが、同時期に行われるWSF(世界社会フォーラム)は記事にならない。取材すればWSFのほうが面白いし絵にもなるはず。昨年、インドのムンバイで開催された時に、ニューデリーにいる各社の記者は見向きもしなかった。大手メディアで来たのは共同通信の移動特派員が一人だけです。国内の市民運動も殆ど取り上げません。
明珍 市民との付き合いが希薄になっていると感じます。記者の負担が多いので市民の動きまでフォローできない。自分が外に出ないと情報も入ってこないからますます疎くなるのです。
山口 私は「朝日ジャーナル」編集部にいたのですが、確かに昔は市民運動的な記者が多かった。もともと新聞社に入るというのは、裏から見てやろう、実態がどうなのか、ひっぺがしてやろうというモチベーションがあるはずなのですが。
吉原 昨年5月の「九条世界会議」に運営委員として関わったのですが、メディアにブリーフィングしても関心を持たれなかった。本番では一万人規模の会場に三千人が入り切れないという盛況で内容も面白かった。ああいう取材機会を逃すのはもったいない。
明珍 地元の千葉支局の記者たちは熱心に取材をしていましたが、こうした平和活動の「優先順位」が低いということはあるでしょう。事件、事故が起きればそれが最優先。市民運動を無視しているわけではないのですが。
山口 最近の週刊誌では事件・事故の比重は落ちています。昨年の秋葉原の通り魔殺人は発生が日曜日でした。「週刊朝日」は土曜締め切りで月曜発売、「週刊文春」「週刊新潮」は月曜、火曜締め切りで木曜発売です。後で聞くと、あれだけ社会の注目を浴びた大事件でも「文春」、「新潮」は思ったほど売れなかったようです。うちは派遣や若者の問題など「論」を入れていったのです。その号は売れました。事実関係はテレビやネットで見ている。活字に対する期待は、この事件をどう受けとめるのか、著名人はどうコメントするかというところへシフトしていると思います。
明珍 読者はもっと深いところを知りたいと期待していますね。
山口 週刊誌では新自由主義を検証するという記事は読まれない。チャンスを見つけて、そこに論を入れていく。派遣村があったからこそ、世間の耳目も集まり、売り上げにつながり視聴率もあがる。そこで何を言うかという「技」の勝負だと思います。
水島 最近は派遣切りどころではなく正社員切りだという話になっています。仮に3月に再び派遣村が作られても今度どれほど注目されるか。
明珍 バブル崩壊の直後にも人員削減があり、メディアは大きく報じました。ある読者に、「この会社は『派遣切り』にされた人を雇用します」という記事こそニュース。なぜ1面トップに来ないのかと問われた。たしかに載ってはいるけれど3段ぐらいの扱いですよね。
 人員削減の記事が続くと便乗する経営者もいるでしょうし、それで流れが決まってしまう。
山口 「いい会社、いい社長」という記事を準備中ですよ。
吉原 今はマスメディアも派遣切りは悪いと言っていますが、90年代は、労働のフレキシビリティから見て良いことだという意見が、メディアにも多かったと思います。
山口 なぜ、「構造改革」がもてはやされたかというと、既得権を壊して官僚支配の非効率を打破したいと思ったからでしょう。高級官僚はノルマもなければ責任も取らない。一方で「渡り」で退職金が7億円ももらえる人がいて、他方では派遣村の現実があるのはおかしい。特権を壊して官僚機構を変えたいと思ったわけです。
吉原 しかし「改革」が本当にそうなるのか、メディアが見張らなければいけなかった。
山口 気がついたらアメリカの企業や弁護士が儲かっているおかしい話になった。それに気がついたら、そう書いていくしかない。
吉原 アメリカの対日要求が毎年出ています。日本政府の構造改革は、ほとんどアメリカの要求に応える政策ですが、メディアで報じられたのを目にしません。
明珍 オバマさんの人となり、あるいは夫人のファッションなどはよく書かれていますが、これからの日米関係をどう構築すべきかといった展望をきちんと打ち出すことも必要。日本は環境問題でイニシアチブを取るべきだという発信をメディアもしたいところです。
水島 環境対策ではヨーロッパにアメリカが追いついて日本だけ取り残されるようにも思います。
山口 週刊誌の切り口は、環境問題で誰が儲けるか、です。規制緩和ブームの時にそれで儲ける企業があった。いいことがいわれることの裏で、儲けるものがいるのを監視しなければ。
吉原 メディアが市民の信頼を得るためにも環境問題で推進すべきことを提示していくべきでは。
明珍 戦後50年(95年)にちなんだ企画で環境問題の取材もしましたが、そのころからマイバッグやマイ箸などは唱えられていた。この15年、どこが進歩したのか。メディアは一歩先をどう書いていけばいいのか、責任を感じます。
水島 ドイツに5年駐在したのですが、帰国して驚いたのはコンビニで昼食を買うとたくさんゴミが出る。ドイツではカップをみんなで使いまわしてゴミを出さない。時々ドイツの企画を放送するんですが、生活感覚が違いすぎるので参考になりません。

読者を鍛えてこそ多様な報道可能

吉原 メディアはこれからどうするべきでしょうか。
水島 実態を見せるしかない。日雇い派遣でも政府は30日以下の派遣契約を原則禁止する方向でしたが、形の上では3カ月単位という契約もたくさんあり、でも3カ月といっても勤めて1週間程度で切られてしまうケースがざらにあったりします。
 だから期間による禁止は意味がない。厚労省で議論されていることは実態を反映させたものとは言い難い。こうした問題は継続取材するしかないですね。
明珍 専門記者を増やすことが大事ですね。数年で担当が替わるのでは事例をウォッチすることがなかなかできません。海外では年配の記者が一線で飛び回っている。
山口 あえて言うと多様な報道を担保するためには読者を鍛えなければなりません。一つの方向に報道が流れるのは、そこにニーズがあるからです。朝青龍が悪いという記事が売れ始めると、みんなでバッシングに走る。学生などに話す機会には、自分の視点を持ってメディアを見て欲しいといっています。
明珍 新聞など活字媒体が身近にある環境が子どものうちからあれば変わってくるでしょうね。
山口 あらゆる官庁や議会に人を貼り付けているシステムは新聞社・通信社しかない。このシステムが維持されてきたのは国民に広く新聞を読む習慣があったからです。今はマスコミ志望の学生でも新聞を購読していない。みんなネットで読めるからいいと言う。
 新聞はニュースの価値付けを教えてくれます。
インターネットのニュースが流行り始めた頃、大前研一さんが、「ネットでヘッドラインを見て自分の必要な記事をクリックするほうが効率的だ」と言っていました。でも大前研一だから価値判断ができる。どのニュースが大事かは新聞を読むことでしか学べない。
 ネット時代には官庁が情報発信のツールを持っている。官庁や企業の都合のいい情報を流している。
 権力に都合のいい情報が発信される一方、そのカウンター情報が衰退していることへの危機感がなさ過ぎます。新聞の衰退は新聞だけの問題ではない。国民の知る権利のコストを誰がどう負担するのか。インターネットは便利ですが、情報にはコストがかかるという観念が希薄になった。危機は深いと思います。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.2.25より)

 

 

 
 

<新聞>

企業の「社会的責任」追及を

白垣 詔男

 
 


 日本列島を嵐のように襲う「非正規社員失職」「就職内定取り消し」には心が痛む。
 特にホームレスとなった非正規社員の境遇には、やり切れない思いが募る。「悲惨な現象」だけを、これでもかこれでもかと連日報道している新聞・テレビに接すると、重い感情がさらに沈む。
 マスコミに「企業の社会的責任」を求める姿勢がないため、さらに気が滅入る。
 そんな思いに答えてくれたのは、社説では12月28日付の毎日「企業の責任はどこへ行った」だけだった。
「NPO法人や労働団体が失業者の支援に動き、各地の自治体が臨時採用や住居提供に名乗りを上げ…た中で、さらに(非正規社員を)切り続けて何もしようとしない企業の無策ぶりが際立つ」「不況直前までの大手企業の好業績を支えたのが、…非正規の人たち」「この間、大手企業は多額の収益を従業員に回さず内部留保としてため込み…」「その収益を非正規の雇用のために向けるのが筋ではないか」との指摘は的を射ている。
 これこそが「ジャーナリズム」の主張だ。しかし、この主張が本流にはならない。
 これより前の12月24日付西日本は朝刊1面トップで「雇用より株主/減益でも増配目立つ/内部留保空前33兆円」(大手製造業16社)と報じた(共同配信)。そこには「内部留保」「配当」「人員削減」の数字が入った表が付いていた。
 内部留保はトヨタ12兆3千億円、自動車7社計22兆4千億円、キヤノン2兆8千億円、電機・精密9社計11兆2千億円、16社計33兆6千億円(2008年9月末現在)。
 しかし、記事は「事実」を報じているだけで、大手企業が社会的責任を果たすべきだとの主張はない。画竜点睛を欠いている。
 国会でも予算委などで「企業の内部留保と社会的責任」を取り上げた野党議員はいる(1月9日ほか)が、マスコミがほとんど取り上げない。取材記者にその意識がないからか。
 ニューヨークにある企業が、自社ビルの1階をホームレスの人々に終夜、開放しているという。
 経済が落ちぶれたとはいえ、米国の懐の深さを知った。日本企業も見習うべきではないか。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」08.12.25より)

 

 

 
 

<筑紫哲也さんを悼む>

関心の広さと絶妙なバランス感覚

JCJ代表委員 柴田鉄治

 
 


 筑紫哲也さんが亡くなって1カ月余が過ぎた。近年、日本のジャーナリストの死で筑紫さんほど多くの人に悼まれ、その喪失感の大きさを論じられた人はいないのではないか。
 筑紫さんと私は、1959年(昭和34年)に一緒に朝日新聞に入社した同期生だ。私たちが入社した34年組は、入社試験にいわゆる「常識試験」がなく、このため私たちは「常識がない」とよくいわれた。
 それを逆手にとって、私たち同期生の会は「非常識の会」と称して気炎を上げていたが、その同期生には、本多勝一さん、田中豊さん、和田俊さん、田所竹彦さんといった錚々たるジャーナリストがそろっていて「新聞記者の入社試験に常識試験はいらないのではないか」とよく話し合ったものだ。
 筑紫さんも私も10歳のときに終戦を迎えた「戦中派」で、子ども心に「二度と戦争はごめんだ」と刻んだ戦争体験が新聞記者の原点だった。筑紫さんは、それに沖縄体験が加わる。
 日本復帰前の沖縄は、取材体制としては外国並みで、筑紫さんは本社政治部からその沖縄特派員に選ばれたのだ。
 筑紫さんにとって、このときの沖縄との出会いがその後のジャーナリスト活動に大きな影響をもたらした。沖縄の音楽や舞踊など文化に幅広い関心を抱いたのもそのひとつ。また、筑紫さんが沖縄の人たちの置かれた状況にいかに強く心を寄せ、そのような状況に追い込んだものに対していかに怒っていたか、計り知れないものがある。
 筑紫さんと私が一緒に仕事をしたのは、1971年に半年間にわたって朝日新聞に連載された長期大型企画「日本とアメリカ」取材班のときだ。一緒に仕事をしてみて、筑紫さんの取材力、構成力、筆力のすごさに舌を巻いたが、なかでも驚嘆したのは、その筆力だ。取材班キャップの松山幸雄さんは、それを見抜いて、各章が終わるごとにおいた「各章のまとめと次章へのつなぎ」をすべて筑紫さんに書かせた。それは、連載記事に深みと彩りを与える実に見事なものだった。
 テレビでの活躍が目立ったため、筑紫さんを話し上手なテレビ人間と評する人が多いが、彼の本質はあくまで新聞記者であり、彼の筆力はおしゃべりより数段上のものだ。
 彼がテレビに持ち込んだ「多事争論」は新聞のコラム記事を意識したものであり、それをみても彼は根っからの新聞記者だったことが分かるだろう。
 アメリカ特派員としての活躍も見事だったが、帰国後、雑誌「朝日ジャーナル」の編集長としての活躍も、なかなかのものだった。
 新聞は組織の力でつくるものだが、「雑誌は編集長のものだ」とは、よく言われる言葉で、それを実証したのが「筑紫ジャーナル」だ。「新人類」という流行語をはやらせたり、硬派雑誌にどんどん「文化」を注入したり……。
 また、朝日ジャーナルの廃刊後は、本多勝一さんが立ち上げた雑誌、週刊「金曜日」の編集委員に最後まで名を連ねたことも特筆していい。
 というのは、TBSの報道局長などを務めた金平茂紀氏がモスクワ特派員時代に「金曜日」に連載記事を書いたところ、上司から「ああいうところに書くのは君のためにならない」と注意され、やめたことがあったという。おそらく筑紫さんにも同じような「圧力」があったに違いないが、断固拒否していたのだろう。
 彼の朝日ジャーナル以来の「雑誌好き」もあったろうが、それより、「金曜日」の編集委員に名を連ねること自体が、彼らしいバランス感覚の取り方だったように私には思われる。
 このことでもわかるように、筑紫さんの特質はその関心の幅の広さと絶妙なバランス感覚だったといえよう。あれだけ言いたいことをズバズバ言いながら、人から恨みを買わないだけでなく、多くの人から信頼され、また驚くほど多くの友人をもっていたのもその表われだ。その点だけでも、たぐいまれなジャーナリストだった。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」09.01.25より)

 

 

 
 

<筑紫哲也氏を偲ぶ>

覚悟して、しなやかに追悼すること

金平 茂紀

 
 


 筑紫哲也氏が11月7日、他界した。ガンとの壮絶な戦いの末の死だった。閉塞状況にある日本のジャーナリズムにとって、信頼するに足る大きな羅針盤を失ってしまった「欠如」は埋めようがない。

 筑紫さんの思い出を語る多くの追悼文が多くの人によって書かれるだろう。僕は、個人的にも身近で長年仕事をともにしてきたので、想いは痛切なものがある。だが、この日本ジャーナリスト会議の会報に追悼文を寄せる意味を考えると、「欠如」の取り返しのなさをいくら書き連ねても、それは故人の遺志に沿うことにはならないだろうと思う。追悼という作業によって、筑紫さんが連ねてきた営為を過去完了形にしてはならない。その営為を現在進行形にする覚悟を共有することこそが重要なのだ。なぜならば、ジャーナリズムの仕事は、歴史のなかで伝え続けていかなければならないものをしっかりと保持しリレーしていくこと――「継承」にこそ、その本質があると思うからだ。

  最後の放送となった2008年3月28日の「多事争論」で、筑紫さんは、「変わらぬもの」というタイトルで、権力への監視役(ウォッチ・ドッグ)、少数派であることを恐れぬこと、自由を護っていくこと、をジャーナリズムの変わらぬ責務として挙げていた。なぜか? それは現状がそうなっていないからだ。

 今、僕ら報道機関は総じて、権力を監視する機能が弱っている。それどころか、権力に寄り添い、果ては一体化し、ウォッチドッグどころかペットと化しているところがないか? あれらの権力者(機関)の周囲をみよ。あれらに群がる僕らの仲間をみよ。少数派になることにビクつき、多数派につき従い、弱者・異端を排除していないか? 老人や弱者を顧慮しない市場原理に、紙面内容や番組づくりが従っていないか?  青臭いことを承知で敢えて記せば、覚悟することである。それが本当の追悼ということ。こういうふうに書くと、おそらく生前の筑紫さんなら、笑顔でこう言うだろう。「わかったよ。だけど、しなやかにやれよな」と。合掌。 (ジャーナリスト)

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」08.11.25より)

 

 

 
 

<市民メディア 豊かな可能性>

京都で全国集会 1000人が交流

隅井 孝雄

 
 


 何らかの形で情報発信している個人、グループ、団体が集まる市民メディアの全国集会が9月13、14の2日間、京都で開かれた。名づけて「京都メディフェス」。会場は京都の中心部木屋町の高瀬川沿いに元立誠小学校と三条御幸町 の1928ビル(元毎日新聞京都支局)など。

 京都メディフェスには予想を超える1200人以上が参加。インターネット新聞、情報通信法、韓国のキャンドル集会とメディア、など堅い話題から報道被害屋敷(廊下を通ると報道被害に巻き込まれる)など意表をついた催しもあり、熱気を感じさせた。

 京都新聞、毎日新聞、共同通信などのメディア取材のほか、スティッカムによ るネット中継もあり、グーグル検索6万件以上、ブログ掲載が293件あったという。市民メディアがメインストリームに拮抗することを予感させるに十分な集会だった。

 京都に住む私は実行委員会に名を連ねることとなり、1日目は各地から集まったコミュニティーメディアの会合に出席、2日目は関西のテレビ各局の制作関係スタッフと市民の対話の司会役となった。 

コミュニティー ラジオの奮闘

 最近コミュニティーラジオの中で非営利法人(NPO)として設立される例が増えている。2003年に京都三条ラジオカフェが旗揚げしたのに続くものだが、現在220局あるコミュニティー放送のうち12局がNPO。商業局の形をとっていても、事実上市民の手で運営されているところも多い。

 全国から駆け付けた20以上の局の人々を含めた60人あまりが、畳の会議室で車座になって熱心に討論した。故郷奄美に帰って昨年ラジオ「デイ・ウエイブ」を立ち上げた麓憲吾さんは「運営は厳しいが、地域への愛があれば乗り切れる」と語った。この気持ちは全国のコミュニティーラジオの関係者に共通のものだ。私は、「メディアが大きく変化している。もう一度コミュニティー放送を取 り巻く制度、周波数、出力などを見直して、全国1800市町村にくまなくコミュニティーラジオを作る動きを起こす必要がある」と発言した。

 この会合ではスカイプでフランス・リヨンのコミュニティー局、ドイツのオープンチャンネルなどと映像を結び対話した。市民メディア、コミュニティーメディアは世界とも連携しうることを実証したといえる。 

マスメディアと 市民との対話

 朝日放送、読売テレビ、関テレ、KBSなど関西各局の報道や制作現場で日夜奮闘している中堅が顔を揃え市民と対話するという画期的な試みが行われた。視聴者との連携を強めるセクションや番組があるという関テレの報告が参加者の関心を集めた。また倒産の危機を経験したKBSが労組の踏ん張りで市民の支持を得て再生したことも、必ずしも全国的に知られているわけではないだけに、驚きを与えた。

 最近、放送局には抗議や問い合わせの電話が殺到しているが、「必ずしも両者が緊張関係にあるとは言えない、むしろもたれあいだ」という奈良産業大学の亘教授(元毎日新聞論説委員)の発言が私には新鮮だった。


◎ 画期的な「ネット中継」 分科会すべてを配信 ◎

 「京都メディフェス」で画期的だったのが、分科会やワークショップを含め、会場の動きをインターネットでそのまま伝えた「生中継」だ。いくつもの分科会が同時に開かれるこうした集会では、参加した人でも全部に顔を出すのは無理だが、実行委員会では各会場にカメラを入れて、ほぼすべての様子をライブ配信した。

 参加できなかった人でもメディフェスのホームページを開けば、九つの映像画面が用意され、ここから興味のある会場を見ることができるシステムを構築した。この映像は録画されいつでも見られるので、参加者も出られなかった分科会の映像を帰宅してから見ることができ、便利だったと感想が寄せられている。

 実はこの取り組みは、スティッカムという無料のライブ配信サイトを使って実行委員会が試みたもので、費用は「ほぼゼロ」。こんなに簡単に、誰もがライブ 配信ができる時代になったのかと多くの人が実感した。生中継の楽しさを市民メディアが広げていく、そんな流れが急速に動き出している。
 まずは「HP」をご覧ください。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」08.10.25より)

 

 

 
 

メディアの敗北=c反撃へ 沖縄密約文書の公開請求

米公開文書のコピーを添付 政府の「不存在」回答想定

岩崎 貞明(放送レポート編集長)

 
 


 9月2日、外務省と財務省に対して「沖縄密約」関連文書の情報公開請求が行われた。
 公開請求を行ったのは、原寿雄さん(ジャーナリスト)、奥平康弘さん(憲法研究者)、筑紫哲也さん(ジャーナリスト)の三人を共同代表とする「沖縄返還に伴う日米の秘密合意文書情報公開請求の会」。
 同会には、作家の澤地久枝さんや高村薫さん、ジャーナリストの江川紹子さんや大谷昭宏さん、JCJ代表委員の柴田鉄治さんなど、文化人やジャーナリズム関係者ら63人が名を連ねている。筆者も末席に加えていただいた。

 今回請求対象としたのは、1971年6月12日付吉野文六・外務省アメリカ局長とスナイダー駐日アメリカ公使との「400万ドル(軍用地復元補償)に関する秘密合意書簡」など三つの文書。米占領下の沖縄を日本に返還する際、本来は米軍施設の撤去・復旧などにかかる費用は占領していたアメリカ側が負担すべきなのに、実際には日本がひそかに肩代わりすることを密約として交わしたものだ。
 これらの文書についてはすでにアメリカの公文書公開で存在が裏付けられ、また交渉当事者だった吉野文六氏が新聞・テレビなどメディアのインタビューに応じてその存在を認めているが、日本政府だけはいまだに「密約はなかった」と、閣議決定までして全面否定している。
 そしてこれらの文書は、返還当時、毎日新聞政治部記者だった西山太吉さんが入手し、国家公務員法違反(機密漏洩)の罪に問われ、有罪判決を受けたもの。西山さんは「判決は誤り」と国家賠償請求訴訟を起こしてたたかったが、情報公開請求のまさに当日、最高裁は西山さんの代理人弁護士に対して上告棄却の決定を送付してきた。

 これに対して、今回の情報公開請求にも参加している西山さんは、情報公開請求を報告した記者会見の席上で「行政と司法が一体となった、高度に政治的な判決だ」と怒りを露わにしていた。会見に同席した作家の澤地久枝さんも「裁判でたたかってきた西山さんに深い敬意をもっています。きょうの上告棄却に怒りを覚えます」と訴えた。会見ではこのほか、我部政明・琉球大学教授もわざわざ沖縄から上京して出席され、今回の請求文書のもつ意義について解説した。また、ほぼ同時刻に沖縄でも、新崎盛暉さんら在沖縄の請求人が記者会見を行った。
 「沖縄密約」に関する情報公開請求は過去にも行われたことがあるが、政府は「(文書は)不存在」と回答している。しかし今回、具体的な文書を指定して請求した(アメリカで公開された同文書のコピーを添付して提出した)のは初めてのことになる。

 同会では、再び「不開示(不存在)」の回答がくることも予想して、異議申し立てや不開示決定の取り消しを求める民事訴訟の提起についても準備を進めている。すでに、清水英夫・元BPO理事長を弁護団長とする「大弁護団」も構成され、今後の進め方を検討している。
 当日の公開請求については、新聞各紙をはじめ数々のメディアが取材に訪れたが、これまで沖縄密約問題をほとんど報じてこなかったNHKも、請求人らの外務省訪問の場面から取材し、夕方のニュースで放送していたのは、特筆に値することだった。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」08年9月号より)

 

 

 
 

過去の証言、現代の抵抗 この夏、戦争を描く映像>
戦争の記憶 どう伝える 精力的だったテレビ各局

石井長世

 
 


 現場制作者の努力伝わる

 63年前の8月を連想させる猛暑と、北京オリンピック過熱報道の嵐の中で、ともすれば置き忘れられようとする戦争の記憶を次世代にどう伝えるのか。
この夏メディアに課せられた重い課題に取り組んだテレビ各社の動きからは、例年と違った静かなうねりのようなものが感じられる。

 まず民放の報道・ドキュメンタリー番組から見てみよう。6月にはTBSとテレ朝が、「サンデーモーニング」「サンデープロジェクト」で自衛隊機のアフガン派遣見送り問題を、また日テレが「NNNドキュメント08」で岩国基地住民の苦悩を、それぞれ取り上げて追及した。

 さらに8月に入ると各局とも被爆を巡るドキュメンタリーに精力的に取り組む。日テレ「ドキュメント08」が、戦争の記憶シリーズとして、8月17日から3週にわたって『証言・集団自決』など3本を放送。TBSは6日に『命あるうちに〜戦後63年・ヒバクシャたちの訴え』を、その後の「ニュース23」や「サンデーモーニング」でも、被爆した女性の苦悩などに焦点を当てて伝えた。

 このほか、テレ朝は開局50年企画『原爆〜63年目の真実』で知られざるエピソードを紹介、「TVスクランブル」では、『?はだしのゲン?の作者が語る64年目の苦悩と夢』で現在の心境に迫った。また、2日のフジは『描けなかった2枚の絵〜原爆が投下された日の記憶』。

 辛抱強く取材

 このように見て行くと、民放各局とも例年に比べて戦争と平和に関する番組に力を入れたことが感じとれ、こうした傾向の背景には、現場制作者たちの抑えることのできない思いがあるように思えてならない。

 一方、去年夏60本をこす「sengo62 せんそうとへいわ」シリーズを世に問うたNHKは、今年はどうだったのか見てみたい。  今年は7月29日の総合テレビ・証言記録 兵士たちの戦争『フィリピン絶望の市街戦』を手始めに、8月15日までに「NHKスペシャル」「ドキュメント」「ハイビジョン特集」など、シリーズや再放送を含めて40本以上を連日のように放送した。

 これらの中には、2代にわたって原爆の惨禍を伝え続けた米人カメラマン親子の思いを描いた8月7日のNスペ『解かれた封印NAGASAKI』などの力作も多いが、ここでは、総合とハイビジョンの両方で放送したシリーズ「証言記録兵士たちの戦争」について、そのねらいや意味などを考えたい。

 この番組はアジア太平洋戦争に参戦した各地の陸軍歩兵連隊などを単位に、辛うじて生還した元連隊兵士の証言を記録しようと地元局が取材に当たり、去年から毎月1回放送し続けている。シリーズでは、毎回、出征前の連隊全員の写真を出しているが、あどけなさの残る兵士の顔もあって哀れをさそう。3000人規模の兵員のうち、9割が戦死した連隊もあるという。証言に応じた元兵士たちも同年代なのだが、すでに全員が80代から90代の高齢者だ。

 過酷な戦闘を経験した人々の口は一様に重く、これまで家族にさえ話さなかった人がほとんど。インタビューしたディレクターたちの苦労も推察されるが、戦場での辛く酷い体験談を辛抱強く引き出し、証言を積み重ねてゆく。戦争末期、本土防衛と称して前線からの撤退や玉砕まで禁じて、絶望的な抗戦を強いた軍上層部の冷酷さに言及するとき、怒りの表情を隠せない人も。

 アーカイブ化

 この番組プロジェクトを担当する近藤史人エグゼクティヴプロデューサーは、シリーズのねらいについて「元兵士の方々の高齢化が進み、戦場での実体験は今記録しなければと取材を急いでいる。こうした証言は個々の番組としてだけではなく、戦争の実相を伝える一次資料のアーカイブとしても貴重だ。今後は戦争被害を体験した一般の市民やアジアの人々にも視点を広げ、戦争と平和を検証するための立体的なドキュメントにしたい」と語っている。

 戦後の放送の歴史の中で、戦争と平和に関する多くの番組が世に送り出されたが、視聴者・市民が気軽にこれらの番組アーカイブに接することの困難さは、筆者も実感している。  NHK、民放を問わず、番組のアーカイブ化と公開が進み、市民一人ひとりが自分の目と耳で、過去の戦争の実態にふれ、命の尊さと戦争の残酷さに思いをめぐらす機会が、一日も早く訪れることを願わずにはいられない。

(機関紙ジャーナリスト/08年8月号より)

 

 

 
 

<月間マスコミ評>
新聞 報道の政策関与は是か非か

山田 明

 
 


 衆院山口2区補選に続いて、沖縄県議選で与党が敗北した。最大の敗因は、後期高齢者医療制度のようだ。この制度に対する高齢者を中心にした国民の怒りは、収まる気配をみせない。
 野党4党は5月23日、同制度の廃止法案を参院に提出した。翌24日の社説見出しは朝日「『廃止』の怒りもわかるが」、読売「混乱を増すだけの廃止法案」、毎日「『75歳』線引きの是非こそ論じよ」である。25日付毎日の社説ウオッチングでも、毎日が制度の根幹の是非から論議をやり直すべきという主張に対して、読売が野党批判を前面に出し、朝日が財源問題を強調している点に特色があるとする。
 廃止法案は6月6日に参院で可決され、衆院に送付された。7日付読売社説は野党を批判しつつ、「腰をすえ新制度を改善せよ」と注文をつけている。与党も大あわてで新制度の見直し策を打ち出すが、国民は「うば捨て山のような制度」自体に反発しているのではないか。大切なのは医療制度全体のあり方であり、具体的な制度設計だ。
 後期高齢者医療制度をめぐり、国会は「緊迫」してきた。野党は11日に首相問責決議案を参院へ提出し、戦後初めて可決された。法的拘束力はないが、首相問責の意味は大きなものがある。問責決議を受け、民主党は国会審議を拒否する方針のようだが、医療や年金など国民生活に関わる課題の徹底審議こそが求められているのではないか。国会審議や党首討論の見送りなど、この間の民主党の対応にも首をかしげさせる点は多い。
 将来の公的年金制度のあり方について、今年に入り日経・朝日・読売の順に、それぞれの改革案を紙面で提言して話題を呼んでいる。政府の社会保障国民会議は5月19日、3社の提言を含む年金改革案の財政見通し試算を公表した。3日付朝日は「年金異例の3紙提言」という記事のなかで、こうした報道のあり方についての3社の見解などを載せている。ジャーナリストも「画期的と評価」と「おしつけ懸念」と評価が分かれるとする。「政策決定に自ら関与すれば、報道は政治的なプロパガンダになってしまう」という研究者の指摘は、「権力を監視する第4の権力」としてのメディアの立場からも重要だ。メディアの動向にも目が離せない。

(JCJ機関紙「ジャーナリスト」08年6月号より)

 

 

 
 

なぜメディアは反対しない
平和主義に反する「宇宙基本法」

JCJ代表委員 柴田鉄治

 
 


 与党の自民・公明両党に野党の民主党まで加わった議員立法で、宇宙基本法が先月、国会で成立した。1969年の国会決議で「平和利用に限る」としてきた宇宙開発の歯止めをはずして、軍事利用への道を開こうとするものだ。
 日本の「平和国家」としての性格が、また一つ、大きく揺らぎだしたのである。この大転換を、たった2時間の審議で衆院内閣委員会を通し、本会議でもあっさり可決した。政府・与党と厳しく対決するとしていたはずの民主党の変身ぶりを含め、国会のこの体たらくはどうしたことか。
 国会のお粗末さもさることながら、日本の将来をも左右しかねないこの大転換に、メディアが反対しないのは、なぜなのか。反対どころか、読売新聞の社説やNHKの解説委員はこの転換を肯定的に報じ、最も厳しい姿勢で臨むかと思われた朝日新聞の社説でさえ、「あまりに安易な大転換」と国会審議のずさんさを衝くだけで、真正面から反対するものではなかった。

「朝日」も肯定的

 この大転換を求めたのは、もちろん防衛省だろう。これまで控えてきた高性能の軍事衛星が持てるようになるだけでなく、将来のミサイル防衛に必要な早期警戒衛星の開発にも着手できるからだ。これに民主党まで乗ったのは、安定した官需を求める宇宙・防衛産業の要求に応じた結果なのだろう。
 民主党は、政府・与党に同調する条件として、第1条に「憲法の平和主義の理念を踏まえ」との文言を加えることと、法施行後1年をめどに内閣府に宇宙局(仮称)を設けることを要求して実現させたが、そもそも憲法の平和主義の真の理念とは「宇宙の軍事利用」に加わらないことではないのか。
 読売新聞の社説が「宇宙の開発・利用を、日本の安全保障に役立てるのは当然だ」「民主党が、国際的に異質な足かせをはずすため、与党と法案を共同提出した意味は大きい」と礼賛調なのは、これまでの主張からみて不思議ではない。しかし、朝日新聞の社説まで「約40年前の国会決議のころとは宇宙をめぐる事情は様変わりした」「核とミサイルの開発を進める北朝鮮の動向を探るためなら、宇宙から情報を得ることに多くの国民が理解を示すだろう」と肯定的に記しているのにはちょっと驚いた。
 国会審議でも各メディアの論調でも、今回の大転換の論拠として、日本も批准している「宇宙・天体条約」が軍事利用を禁止していないことを挙げている。たしかに、67年に発効した同条約は、月などの天体には軍事利用の全面的な禁止がうたわれているのに対し、宇宙空間については大量破壊兵器の打ち上げなどは禁止しているものの、軍事利用をすべて禁止しているわけではない。
 この条約は、61年に発効した南極条約を基にして生まれたもので、本来は南極条約と同じように一切の軍事利用を禁止したかったのだが、宇宙空間については当時すでに米ソの軍事利用が始まっていたため、やむを得ない追認だったといわれている。「平和利用に限る」とした日本の国会決議は、決して「国際的に異質な足かせ」ではなく、条約の本来の精神にも沿ったものだったのだ。

次は「原子力」

 そんな現状追認みたいなことを論拠に、40年間も「辛抱してきたこと」を破って、いまごろ軍事利用に乗り出すことが、日本にとって本当にいいことなのかどうか。
 というのは、このまま進めば、宇宙開発の次は原子力となろう。すでに北朝鮮の核開発で「日本も」という声も出はじめているからだ。もし、日本が原子力基本法の「平和利用に限る」という条項をはずすことになったらどうなるか。日本のメディアは、そこまで考えているのだろうか。

(機関紙ジャーナリスト/2008年6月号より)

 

 

 
 

山陽新聞社らを「押し紙」で訴え
新聞界の「宿痾」をただす

 
 


 新聞労連山陽新聞労組の組合ニュース(6月13日付)は、山陽新聞の販売センターを営む販売店主が、「押し紙」による損害の回復を求めて、山陽新聞社、山陽新聞東販売、山陽新聞西販売の3社を16日、岡山地裁に訴えることになったと伝えた。「押し紙」で訴訟が提起されるのは地方紙では初めてではないか、という。

 販売センター店主によれば、このセンターの新聞定数(搬入部数)1870部のうち、約300部が「押し紙」で、これは全体の16%に当たる。店主はエリア内のJR(社宅)が立ち退きになったため、約100件の読者が減り、搬入部数を減らすよう新聞社側に要請したが、聞き入れられなかったという。
 販売センターは、販売会社と委託販売契約を結んでおり、毎月朝刊一部につき、2325円の原価を販売会社に支払い、読者のいない「押し紙」300部分、約70万円を持ち出しで支払っていた。この結果、経営が困難となり、センターをやめた。
 
 この店主は「押し紙訴訟」とは別に、「折込広告水増し問題」の刑事告発も視野に入れて、準備を進めている。このセンターの折込定数は2400で、チラシ1種類について最大2400部が送られてくるが、実売は1570部で、全体のほぼ3分の1となる830部が廃棄されていた。
 830部は、当然のことながらスポンサーから手数料を徴収しており、その手数料はすべて販売会社の取り分となっていたという。残ったチラシは毎週2回、業者がトラックで回収していた。

 山陽新聞労組は、「押し紙問題は新聞社の宿痾(しゅくあ)ともいうべき問題であり、販売店の注文部数を超えて新聞を供給してはならないという、独占禁止法と特殊指定を無視した不正常な商取引が続いている」とし、「このままでは、紙面で食品や再生紙の偽装問題や偽装請負を追及できず、社会正義の実現の旗は掲げられない」と、見せかけの販売部数で広告収入を稼ぐのをやめるよう、新聞社側に求めている。

(広島ジャーナリスト/08.6.15より)

配達されずに廃棄される折込ちらし

 

 

 
 

「押し紙」告発した私に仕掛けられた
「読売」の二つの裁判

黒薮哲哉

 
 


 「押し紙」とは、新聞の偽装部数のことである。ABC部数を嵩上げして紙面広告の媒体価値を高めると同時に、新聞の販売収入を増やすために、新聞社は販売店に対して「押し紙」を強いてきた。
 「押し紙」率が販売店によっては40%にも50%にも達している。その異常な実態を、ネット上でわたしが主宰する「新聞販売黒書」で告発し続けていたところ、読売新聞社の江崎法務室長が立て続けに二つの裁判を仕掛けてきた。
 既報したように著作権裁判と名誉毀損裁判である。このうち著作権裁判は、読売の江崎法務室長がわたしに対して送りつけた催告書(読売の内部文書の削除を求めたもの)を、新聞販売黒書で公表したところ、今度はこの催告書の削除を求めて法的手段に訴えてきたものである。提訴にいたる過程がやや複雑なので、説明しておきたい。
 江崎氏は、まず、催告書の削除を要求して東京地裁に仮処分命令を申し立てた。そこで東京地裁で江崎氏の代理人・喜田村洋一弁護士とわたし、それに裁判官の3者による審尋が開かれた。このプロセスを俗に「仮裁判」と呼ぶ。
 審尋は1回で終了。裁判所は江崎氏の訴えを認めた。この時点でわたしは異議申し立てをするか、本裁判を選ぶかの2つの選択があった。なにもしなければ、わたしの敗訴が決定する。そこでわたしは本裁判を選択した。
 緊急を要する「仮裁判」ではなくて、時間をかけて自分の主張を展開するためである。だからわたしが読売を提訴しているのではない。自分の権利を行使して、「仮裁判」から本裁判への切り替えを選択したのである。当然、わたしが被告ということになる。
 一方、名誉毀損裁判は、YC久留米文化センター前店の改廃事件に端を発している。
 3月1日、読売の江崎法務室長らは、同店を訪問して、改廃通告を読み上げた。それから同じグループの人物が店舗から折込チラシを運び出す作業を行った。この事件をわたしは新聞販売黒書で報じた。
 ところが作業を行った人物を明記せずに、江崎氏ら3人を同一グループとみなし、「窃盗」と表現したところ、3人が自分たちは折込チラシを運び出す作業をしていないので、「窃盗」は名誉毀損にあたると訴えてきたのだ。
 この裁判は、事件の舞台が福岡で、証人も福岡に集中しているので、福岡地裁へ舞台を移す手続きを取った。ところが読売がそれに反対している。
 ちなみにこの事件の被害者であるYC久留米文化センター前店の平山春雄所長は、裁判所に仮処分命令を申し立てた。2回の審尋の後、裁判所は5月9日、それを認めて読売に対し、10日から新聞の供給を再開するように命令を下した。しかし、読売は、命令を踏み倒し、未だに新聞の供給を再開していない。

(2008年5月/JCJ機関紙「ジャーナリスト」より)

 

 

 
 

誰も取材に応じなくなる!
オリコン裁判 烏賀陽氏に不当判決 

北健一

 
 


 音楽ヒットチャートの会社オリコン(小池恒社長)が、月刊誌「サイゾー」に載ったコメントが名誉毀損だとして、フリージャーナリスト烏賀陽弘道さんを訴えていた訴訟で、東京地裁(綿引穣裁判長)は4月22日、烏賀陽さんに100万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
 綿引裁判長は判決で、情報提供者(取材源)は原則として名誉毀損の法的責任を問われないとしながらも「取材に応じた者が、自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載されることに同意していた場合、又は、自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載される可能性が高いと予測しこれを容認しながらあえて当該出版社に対してコメントを提供した場合」は「例外的」に責任が問われるという判断基準を提示。烏賀陽さんは「同意」したのだから責任が生じるとした。
 だが、媒体に掲載されるほとんどの「コメント」は、記者の手で要約され、取捨選択されるもので、話したこと「そのまま」ではありえない。
 「映画における『絵』はノンフィクションにおける地の文であり、『声』は登場人物の証言や台詞である。故・三島由紀夫は地の文と台詞の関係を波にたとえている。波は地の文であり、それに堪え切れずに白い波頭にくだけるとき、台詞となる」(佐野眞一『私の体験的ノンフィクション術』集英社新書)と言われるように、どういうコメントをいかに使うのかということは筆者による創造的表現行為であって、通常、取材に応じた人が決められるものではない。
 しかも本件の場合、烏賀陽さんはジャニーズ批判特集のなかで自分の発言を加工した「コメント」が掲載されることを事前に拒否している。
 にもかかわらず、突然かかってきた電話での質問に答えただけで損害賠償を課されるとすれば、取材に応じる人はほとんどいなくなりかねない。
 『僕はパパを殺すことを決めた』(講談社)では取材源の医師が逮捕され、映画『靖国』に出演した刀匠に圧力≠ェかけられる。
 表現をその「源」からつぶそうという動きが相次いでいる今、控訴審は負けられない。読者諸氏のご支援を心からお願いしたい。(出版ネッツ書記次長)

(2008年5月/JCJ機関紙「ジャーナリスト」より)

 

 

 
 

<新聞>
憲法の日に、展望ない各紙社説 

白垣詔男

 
 


 今年の憲法記念日、各新聞の社説が様変わりした。朝日の書き出しが的を射ている。「たった1年での、この変わりようはどうだろう。61回目の誕生日を迎えた日本国憲法をめぐる景色である」
 昨年までは「改憲」の是非をめぐって各紙の特徴が出ていたが、今年は「改憲派」の読売が「論議を休止してはならない」と題して「与野党は、(憲法)審査会の運営方法などを定める規程の策定を急ぎ、審議を早期に開始すべきだ」と主張しているものの、社説を2本立てにして「憲法記念日」と題する部分は前半だけで、力が感じられない。
 朝日、毎日、西日本は社説全部を「憲法記念日」に充てているが、朝日と西日本は軸足を、生存権をうたった25条に、毎日も「平和のうちに生存する権利」をうたった憲法前文に置いている。いずれも「ワーキングプア」、「後期高齢者医療制度」などを問題視している。しかし、いつものように、それをどうするのかの「展望」はなく「現状報告」で終わっている。これでは社説ではなく「解説」だ。
 福祉問題を解決するにはどうするのか。現状のように「防衛費」や「対米追従費」を聖域として温存して国民福祉予算を切り込もうという政府・与党の姿勢が続く限り、憲法にうたう「国民の生存権」は脅かされていく。
 生活や健康が困難な状態にある国民が増えているのに、これまで通りの多大の「防衛費」が必要なのか。そこになぜ言及しないのか。
 さて、4日から6日まで、幕張メッセで「9条世界会議」が大盛況のうちに開かれた。会場に入れなかった人が3千人もいたと朝日が伝えていた。
 5日の朝刊で、毎日は第2社会面に3段見出しで報じたが、朝日はベタだった。読売、西日本には記事がなかった。
 7千を超してなお増え続ける全国の「九条の会」が「改憲世論」を「護憲多数」へと変えたことは間違いない。しかし、ほとんどのマスコミは「九条の会」を無視するか報道に消極的だ。これは、どうしたことか。新聞、テレビはじめマスコミが、こうした国民の潮流を無視していては、ますます信頼を失っていくだろう。

(2008年5月/JCJ機関紙「ジャーナリスト」より)