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【安藤慶太が斬る】かくて国家や日本人の名誉は貶められる (4/5ページ)
《当時の日中間の戦闘等につき、例えば『満州事変』『上海事変』などと『事変』との表現が当時も現在も使用されることがあるが、実相は我が国が他国で展開した『戦争』ないし『侵略行為』にほかならないといえる》
《我が国は、今後も反省をし続け、将来にわたるアジアの平和と発展に寄与すべく最大限の努力をしなければならない》(以上、平成11年9月22日、東京地裁判決)
請求自体は棄却されているから、国はどんなにおとしめられても上訴ができない。訴える利益がないからである。
虚構が生まれるメカニズム
では、なぜこういう判決が書かれてしまうのだろう。それは、国の代理人となる訟務検事がまともに事実関係を争わないからであり、裁判官の訴訟指揮に問題があるということである。
そもそも法律論に照らせば裁判の勝敗は一定はじめから見えている。原告の請求が認められることがまずないことは、訴える側も、訴えられる側も先刻承知し臨んでいるはずだ。
ではなぜ訟務検事は事実関係を争わないのだろう。それは原告らが繰り返し断罪する「歴史の事実」なるものにひとつひとつ口を挟み、事実関係を争ってしまっては、相手の土俵に乗ることにほかならない。戦術的におとなしく相手の話が終わるまで黙っていれば、負けることはないし、口を開いて論戦でも交わすものなら、揚げ足を取られたりしかねない。時間がいくらあっても足りないのである。黙っておくのが、一番確実かつ短時間で終わる裁判上の作戦というわけである。
一方、裁判官は、請求人にできるだけしゃべりたいことをしゃべらせるという方針を取りがちである。結論がある程度、目に見えている、だからといって「何を言っても駄目ですよ」とはいえない。途中で、審理を打ち切ってしまって、原告らにわだかまりを残してしまっては自らが批判を浴びてしまう恐れだってある。だから最後まで原告らに言いたいことを言わせる、それで審理を尽くしたという判断に傾くのである。