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はやぶさ、7年間の旅
チーム「はやぶさ」の挑戦〜技術者が語り尽くす〜

第2話 「立派に育って『はやぶさ』は帰ってくる」プロジェクト・マネージャー NEC 萩野 慎二

取材・執筆文 松浦 晋也

すべてをゼロから設計した

Q:お仕事の内容について教えてください。

萩野:1985年の入社からずっと、私は衛星のシステム設計を担当してきました。

Q:システム設計というのはどんな仕事なのでしょう。

萩野:衛星全体に目配りしながら、個々の要素をすり合わせてひとつの衛星にまとめ上げていく仕事です。システム・マネージャーを経て、「はやぶさ」で初めてプロジェクト・マネージャーを担当しました。

Q:「はやぶさ」の開発はどんなものでしたか。

萩野:そりゃもう大変でした。普通、新しい衛星を開発する場合は、電源とか姿勢制御といった基本的な部分、衛星用語ではバス機器といいますが、その部分は以前の衛星で使った設計を継承します。今までに宇宙で使ったことがある設計は信頼できますから、その上に新しい観測機器を搭載することで、信頼性を確保するわけです。
ところが「はやぶさ」の場合は、すべてが新しかったんです。ゼロから設計しなくちゃいけない。観測機器はもちろんのこと、電源系、姿勢制御系、通信系、なにもかもを新しくしないと要求を満足させることができませんでした。しかもサンプラー・ホーンや再突入カプセルといった他の衛星にはない要素も詰め込んで、なおかつM-Vロケット(JAXAのページに移動します)で打ち上げることができるよう510kg以下に収める必要がありました。毎日が議論の連続でした。

「はやぶさ」に搭載された最先端の技術を駆使した装置<1>「はやぶさ」に搭載された最先端の技術を駆使した装置<2>
「はやぶさ」に搭載された最先端の技術を駆使した装置

Q:打ち上げの時の気持ちはどんなものだったのでしょうか。

萩野:あの時は内之浦で第1可視の運用に立ち会いました。第1可視というのは、打ち上げ後最初に探査機からの電波を受信して行う運用です。衛星からの電波が入ると、それまでの苦労を思い出して感無量になったものです。ところが、「はやぶさ」では自分はプロジェクト・マネージャーの立場になったので、これからまだまだ続くプロジェクトに対し「感無量にはなれないぞ」という気分でした。チームメンバーには感極まって泣いていた者もいましたが、自分は泣いちゃいけないと思っていました。

Q:プロマネになったことで感じ方が変わったのですか。

萩野:以前は、とにかく自分が色々と手を下していますから戦々恐々です。「ヘマしていないだろうな」って。でもプロマネの立場になってからは働いてくれた皆を信用して仕事をしていますので、「上がったら動かないはずはない」と思っていました。チームへの信頼ですね、その意味では自分がやっていた頃よりも安心できましたね。




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宇宙システム事業部 宇宙システム部
マネージャー 萩野 慎二 NEC
宇宙システム事業部 宇宙システム部
マネージャー 萩野 慎二
1985年入社。科学衛星のシステム設計を21年行い、現在は「はやぶさ」をはじめ科学衛星のプロジェクトのマネージメント。
 

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