Q:運用をしている中で一番印象に残ったことは
白川:やはり2005年11月に2回行った「タッチダウン」でしょうか。何しろあれは想定外の出来事の連続でした。そもそもイトカワは予想外の表面形状でしたし、探査機にはすでにいくつもの異常が発生していました。開発当初に想定していた完全自律的な運用は困難になっていました。
そんな中で一番力を発揮したのは、想定外の出来事にぶつかった時に、人が介在して、要所要所で判断しながら運用を進めるというやり方そのものだったと思います。本当にあの時は宇宙航空研究開発機構(JAXA)、NECの運用チームみなで協力して日々新たな運用方式を編み出していきました。機械にはできない、人間の力のようなものを実感しましたね。
そうそう、2005年11月のタッチダウンの後に、はやぶさが姿勢を見失い、電力も無くなって行方不明になった期間がありました。2006年1月の終わりに、ビーコン電波が捕まったときは、「えっ!もう戻ってきたの」と驚いたこともあります。
再捕捉にはもっと時間がかかると思っていましたから、しばらく運用室に来ることもないかなと、そう思って荷物を片付けに来たまさにその日でした。「はやぶさからのビーコンらしい!」という声が上がったんですよ。
Q:2009年11月のイオンエンジン異常発生時の心境はどんなものだったでしょうか。4基のイオンエンジンのうちAとBの2基を使って1基分の運転を行い、しかも実際に動いた時にはどのような感想を持ちましたか。
2009年11月以降は、Aの中和器とBのイオンビームを使用して1基分として運用
白川:この時は、こういった事態に備えて、電源系にバイパス回路を確保しておいたイオンエンジンの設計者に脱帽という感じでした。「これで救われた」「はやぶさは強運だ」と思った瞬間でした。本当にこの探査機は、わずか500kgちょいの重量しかないのにタフで強運なんです。
Q:あと少しの運用となりましたけれど、これから一番注力したい点は何でしょう。
白川:何と言っても正確な軌道制御をおこなって、正しく「はやぶさ」を地球に導くことです。
Q:カプセルが戻ったら、どんな気持ちになると思いますか。
白川:カプセルが戻ったらですか?「はやぶさ、ご苦労様」ですかねえ。
月並みですが。(笑)
Q:7年もの長いミッションをやり遂げて、これから何をしたいと思いますか。
白川:まだ考えてもいませんが、やはり「はやぶさの後継機」をやりたいです。自分がこの7年間で得たものや、作り上げたさまざまなソフトウエア・ツールを若い人達へ伝えていきたいと思っています。でも、なかなか文書で伝えられないものもあるわけで、それは、実際の運用を通じて伝える場を作りたいですね。
JAXA相模原キャンパス宇宙研究所のロビーには「はやぶさ実物大モデル」が置いてある。関係者は時折、その傍らで、じっとモデルを見つめる白川に出会うことがあるという。
「はやぶさの姿勢を変える時など、この模型を見ながら実物がこう動くというイメージを確認するんです」
2010年3月末現在、日本から見ると、「はやぶさ」は午後3時に東の地平から上り、夜中に西の地平に没する位置にあり、まっすぐ地球に向かってきている。それは白川の勤務時間と一致する。
白川と「はやぶさ」の対話は、地球突入数時間前に帰還カプセルが本体から分離されるまで続く。
「天」の彼方にいる探査機と、「地」との橋渡し役として。
宇宙・情報システム事業部 第三技術部
エキスパートエンジニア 白川 健一