Q:まず、帰還のための軌道制御が一段落した今の気持ちを
白川:報道などでは、もう「はやぶさ」の軌道制御は終わって問題なく地球へ帰還できるように書かれていますが、まだまだ微調整は続くんです。これからの微調整の結果が全て正常な帰還に繋がるので、今まで以上に慎重に運用する必要があります。ここまで来るともう後戻りは出来ませんからね。
姿勢をコントロールするリアクション・ホイールが3基のうち2基が故障していますし、通常の姿勢をコントロールする化学推進スラスターはもう使えません。だから、姿勢を安定させながら正しく軌道をコントロールするのはかなり高度な技が必要となります。
Q:あと何回ぐらい軌道を制御するのですか?
白川:イオンエンジンを噴いては止め、軌道を精密に計測して、次の噴射でどれぐらい軌道に修正をかけるかを決めていきます。だから厳密に何回やりますとは言えません。噴射の結果次第です。
Q:白川さんと「はやぶさ」の関わりはいつからなのですか。また「はやぶさ」での白川さんの主なお仕事はどのようなものなのでしょう。
白川:1988年に入社してすぐ、月スイングバイを行った「ひてん」という探査機を担当しました。この探査機でスイングバイや月周回、月面衝突までさまざまな軌道制御を実地で学ぶことが出来てすごく自信がつきました。その後プロジェクトとしては中断しましたがLUNAR-Aという月探査機にも関わり、その後が「はやぶさ」です。開発当時に愛称は無くて「MUSES-C」と呼ばれていました。
「はやぶさ」開発では、主に搭載されたコンピュータ用の姿勢や軌道をコントロールするソフトウエアを担当してきました。電気を使うイオンエンジンの運用も、小惑星へのタッチダウンも初めての経験でしたので、なかなか苦労しました。
開発だけではなく、打ち上げ後も、かなりな期間、実際に「はやぶさ」の運用に携わっています。
Q:というと、2003年5月に始まって7年にもなりますが、最初の頃の「はやぶさ」との関わり方と、今の関わり方で心境の違いのようなものはありますか?
白川:あまり長かったという印象はないです。2003年の打ち上げから、2005年の小惑星イトカワ接近までは、自分の受け持っているサブシステムの担当としての役割に徹していたような気がします。変わったのは2005年秋のイトカワへのタッチダウンからでしょうか。
Q:何があって、どう変わったんでしょうか。
白川:あまりにも想定外のことが多く起こったので、これが自分の仕事の範囲だなんて言っておられなくなったんですね、チームが皆で「はやぶさ」の全てを面倒見るというか…
2007年に帰還運用に入ってからは、地球と「はやぶさ」間の距離が遠かった期間も長くて、遠い時は「8bps」1秒間に8ビット(1文字相当)しか情報が来ない時期がありました。必要なデータを得るのに何時間もかかってしまう、そんな運用です。しかも往復に電波でも40分もかかるという…
このとき思いました、自分はゆっくり燃える焚き火を見守る「番人」ではないかと。
Q:番人ですか。
白川:そう、番人です。長い長い時間をかけて、自分は「はやぶさ」の全てと対話してきたような気がします。だから7年間を振り返っても、長いとは思えません。
宇宙・情報システム事業部 第三技術部
エキスパートエンジニア 白川 健一