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農家 収入絶え不安増す 口蹄疫警戒

2010年06月12日

 口蹄疫の県内侵入は防げるのか。伊藤祐一郎知事が打ち出した宮崎県境の「抜け道封鎖」は地元の異論で難しくなったが、県境には防疫への協力を求める看板が出され、曽於市の畜産農家も徹底を求める。過剰とも見える県の動きは、宮崎県都城市の発生が最も恐れていたケースだったからだ。(柴藤六之助、森本浩一郎)

 「穏やかな農村がなぜ、こんな目に遭わないといけないのか。朝、牛と顔を合わせるのが怖い」
 親牛と子牛合わせて35頭を飼育する曽於市財部町下財部の福岡義信さん(64)は落胆の表情を見せた。
 福岡さんが住む地区は宮崎県境に接する。青々と茂る木々を映す水田ではいま、田植えが進んでおり、のどかな田園風景が広がる。10日朝、市の支所に電話を入れ、家畜の移動が制限される搬出制限区域内(半径10〜20キロ)に入っていることを確認、強い衝撃を受けた。

 地区には約20戸の子牛を生産する繁殖農家があり、1頭から約40頭を飼育。米作りとの二本立ての畜産農家としては小規模な家が多い。高齢化が進み、大半が80歳前後。競りの中止で現金収入が途絶えているうえに新たな制約がのしかかる。

 福岡市で会社員をしていた次男(28)が昨年、就農。親子で規模拡大を計画していた。「えびの市の騒ぎが終息し、競り再開の光が見えていただけに、ショックは大きかった」と福岡さんは話す。

 いま、4頭の子牛を出荷できずにいる。今月には2頭生まれる。「競りがあってこそお金が回る。自分たちは食わんでも、牛にえさをやらないわけにはいかない」

 知事が示した「抜け道の封鎖」方針を支持する。「一般の人には迷惑をかけるが、終息したら恩返しをしたい気持ちでいっぱいだ」と防疫の徹底を訴えた。

 制限区域を外れた曽於市末吉地区で約200頭を飼う繁殖農家の男性(40)は、都城市での発生を機に、繁殖から肥育までの一貫生産への転換を決意した。競りの中止で約20頭の子牛を抱え込む。競り再開が遠のいたことでさらに「在庫」が増える。

 再開されても価格の下落は避けられない。繁殖だけから、肥育して立派な肉牛に育てあげることに活路を求めるという。「リスクやコストの課題はあるが、未来に望みを託すしかない。それが今の状況だ」

 大隅半島と同じ畜産地帯で経済圏も重なる都城市は、関係者が感染を最も警戒していた地域だった。常に先手を打ってきた県関係者からも「次のフェーズ(段階)に入った」との声が上がる。

 都城市の家畜頭数は45万頭を超える。同市に隣接する曽於地区、さらに南の肝属地区には計約94万頭の家畜がおり、両地区だけで県全体の6割を占める。万が一口蹄疫が侵入すれば被害は甚大だ。

 県では、宮崎県えびの市での制限区域が解除された4日以降、都城市周辺に消毒ポイントをシフトし重点的に防疫に取り組んだ。感染が広がる同県川南町の状況から、えびの市周辺よりも県東部からの侵入リスクの方が高いと予測したためだ。人や物の交流も多い。曽於市で一括飼育していた県有種牛の一部を離島にあらかじめ避難させたのも、都城市での発生を想定してのものだった。

 県の口蹄疫対策は、宮崎県での発生前から始まっていた。韓国で発生した1月に畜産関係者を集めた1回目の防疫対策会議を開いて注意を呼びかけ、3月には症例を解説したパンフレットを農家に配った。消毒薬1600キロや防護服も備蓄しており、発生直後すぐに役立った。

 これだけ熱心に防疫を続けてきただけに、畜産関係者からは、疑いのある家畜をすぐに殺処分しなかったり、種牛を特例で延命させようとしたりした宮崎県の対応への不満も出ている。

 ある県幹部は「宮崎県は、宮崎牛ブランドの維持と畜産農家の経営安定化を優先させたため感染を広げてしまった。川南町の発生時も、都城市のようにすぐに殺処分を終えていれば、ここまで被害は広がらなかっただろう」と話している。

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