高木マニア堂

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186:エリオ・グレイシー、最強の老人力!

スポーツ2010年06月12日 09:00 | フォルダ : 

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<2009年2月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 グレイシー柔術の創始者・エリオ・グレイシーさんが95歳で亡くなった。

 私がエリオさんを取材したのは9年前。「PRIDEグランプリ2000開幕戦」(2000年1月30日、東京ドーム)で高田延彦と対戦するホイス・グレイシーに帯同して来日した時だった。

 エリオさんは1913年、日本流に言うならば大正2年生まれ。その時点で齢87歳だった。あれこれと説明するより「森繁久彌と同い年」と説明したほうが、その凄さも何となく伝わりやすい。

 柔術着にビシっと身を包んで登場したエリオさんは、練習の前半こそ、おとなしくホイスの動きを見守るのみであった。だが、ついには「ワシもスパーリングをやるぞ!」と言い出し、ホイスと年齢差53歳のスパーリングを開始してしまった。

 50歳を過ぎて、まだ子作りに励んでいたことにも驚き(六男・ホイスの下にさらに弟がいる!)だが、それ以上にエリオさんの動きの的確さ、滑らかさに周囲は圧倒された。大外刈りでホイスを倒すと、間髪入れずに逆十字固め、奥襟絞めでホイスをタップさせてしまう。まさに最強の87歳であった…。

 何度も言うが、このおじいさん、森繁と同い年だ。

 エリオさんは、1951年にブラジル・リオデジャネイロで日本から遠征中の
柔道の鬼・木村政彦と戦い、必殺のキムラロック(柔道の「腕がらみ」)で肩や腕の関節を破壊されて敗れている。

 取材では当然、その木村戦についても聞かねばならない。歴史上、グレイシー柔術が敗れたのは、後にも先にも、その一戦のみとされているからだ。

 半世紀も前のこと。木村氏も鬼籍に入って久しい。きっと遠い目をして語ってくれるのだろう…と予測していたら、とんでもなかった。

 キッと目を見開き、怒りを露にしたエリオさんは「ワシは絶対にギブアップしとらんぞ! ありゃレフェリーが勝手に止めたんだ。大体100㌔以上もあるキムラは、60㌔足らずのワシと戦うのにガタガタと震えておった。だからグレイシー柔術はこの80年間、負けたことはない」と大演説を続けたのであった。

 この負けじ魂こそが「最強の護身術」グレイシー柔術の技術体系を編み出したのだろう。木村戦の敗北(エリオさんは否定)が、その情熱の原動力となっていることは明らかだった。

 次回は格闘技界の伝説として語り継がれる「木村vsエリオ」について検証してみたい。

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