プロレス記者の独り言

取材歴25年の大ベテラン・川野辺記者のブログです。豊富な知識・経験をもとにプロレスの醍醐味を書き尽くします。

奇妙な金網デスマッチ

スポーツ2010年06月12日 11:00 | フォルダ : 

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昭和58年(1983年)、本紙出版局から「プロレスおもしろマッチ50」なる本が出版された。世界中の変型試合を全員集合させたものである。執筆にあたったのは記者であるが、米国、カナダ、メキシコ、プエルトリコ、欧州マットを取材し肉眼で見た試合形式をリポートの形で一冊の本にまとめた。
  その本が出版された後のことになるが、記者は奇妙な金網デスマッチに遭遇した。プエルトリコは第二の都市ポンセでのことだった。
 現地のプロモーションの人間から「今日は凄い試合になる。危ないからリングサイドに近づかないほうがいい」と忠告された。その日のメーンイベントは地元の大英雄カルロス・コロンと”テキサスの荒馬”テリー・ファンクの一騎打ち。それも因縁が遺恨を呼んでの金網デスマッチ。
 元々、金網デスマッチはテリー、ドリーの父ドリー・ファンク・シニアが考案したデスマッチで別名テキサス・デスマッチとも呼ばれている。レフェリーの3カウント後にタイムキーパーが30秒を計測、さらにレフェリーが10カウントを取ると言う43秒ノックアウト制の超過酷なデスマッチルールだ。
 ポンセの会場に入ると既にリングに金網が設置されていた。不思議なことに1階のアリーナ席にイス席はなく、ガラーンとしている。「何でだろう」不思議な感じがした。開場時間になると観客はドンドン2階席に流れていく。要は1階は無人で2階は鈴なりの観客で溢れ返っている。
 試合開始。二人のレフェリーは金網の中には入らない。2階の観客の動きに向いている。要は観客が異常なまでにヒートアップするので1階に観客を入れず、本来は第三者の乱入を許さず、とことん決着をつけさせるための金網がレスラーを守り隔離するためのものとなっていたのだ。狂った観客がリングに殺到しないように1階の入り口には屈強な警察官が配置されている。
 だから砂を水で固めた石礫が飛び交いリングサイドで写真を撮っていた記者は何発も後頭部にくらい退散。”安全”なリングで戦ったテリーは「引き揚げる時が一番危険なんだ。ナイフで太腿の裏を斬られるからね」と試合を終えドレッシングルームまで脱兎のごとく走り去っていった。 次回はカルロス・コロンが米国ニューヨーク近郊で行った摩訶不思議な試合を届けよう。

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川野辺修のプロフィル 1973年入社。プロレス・格闘技取材歴25年以上。5000大会、5万試合以上を取材。テレビ朝日「ワー
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