大栄丸から遺体が次々に、悲痛にくれる生月島
佐世保、相浦港から瀬渡し船をしたたて、平戸島に向かう。
波はベタなぎ、アブラなぎと言っていいくらい穏やかだが、船は波を桁たて全速力で走る。
海面にはうっすらと霞がかかっている。
先方にようやく、大きな船影が現れた。
第11大栄丸だ。
これまで、再三、民主党内で「長崎漁船事故検証小委員会」を立ち上げて、海底80メートルに沈んだ大栄丸の引き上げを求めてきた。
ブログでも7月5日と7月17日に、そのいきさつを書いている。
「先ほど、10時10分にもう1体の遺体があがりました・・・・・」
次々に報告が入る。
今回は農水省の副大臣として、引き上げられただ船体をこの目で確かめて、2度とこのような惨事が起こらないように、「運輸安全委員会」(折りしも西日本JRで委員が会社側に情報を漏らしたとか話題になっている)に厳格な調査の督励に来たのだった。
・・・・・船台に上がる。
さすがに135トンのまき網の本船だけに、どでかい。
船首部分がへこんでいる。船側も一部しゃくれている。
大栄丸のデッキのすぐそばまで登った。
青いペンキの船側には、沈潜して半年もならないのに、すでに白いフジツボがびっしりとついている。
船上はマストに網がかかったままで、まだ船室の片付け、遺体の捜索が続いている。
私たちは最後に、民主党長崎県連の高木先生たちと一緒に献花して、そっと船を離れた。
生月島で、遺族の方々にお逢いした。
「・・・ありがとうございました」と声をかけられて、これでよかったのだと思った瞬間、
「山田さん、私の息子はまだ、発見されてないんです」と初老の奥様が私の手を握ってきた。
「・・・・・・・・・・・」
記者会見で今回の引き上げは「異例のことでしたね」と聞かれた。
そうではない。海洋汚染ならびに海洋災害防止法43条では「困難でない限り船主は引き上げねばならないことになっている。
そのために「船主保険」に6億円の限度で加入していたのだ。
保険の約款からしても、長崎県が「法律を変えない限り、保険金の支払いはできない」と家族に説明したのは間違いである。
今回、引き上げて、油を抜くなど無害化工事をして宇久島沖まで運ぶ費用まで保険からの支払いで3億円もかかっていない。
これまでも、昨年は千葉沖で同型の船諏訪丸が転覆し、それ以前にも転覆して16人の死者が出ている。たいした時化でもなかったのに。
いずれも困難でない限り引き上げねばならなかったのだ。
運輸安全委員会は、徹底した原因究明をして、今後は若い乗組員が安心して、まき網漁船に乗れるようにしなければならない。
余計なことだが、漁礁にする工事は、平戸でもできるのに、何故か広島まで、大栄丸を曳航して工事するそうだが、できれば地元の業者にさせていただきたい。
白浜平戸市長さんが、そう叫んでいた。