沖縄・女子中学生殺害事件


−経緯−

平成8年6月21日午後7時頃、沖縄県名護市の農道で下校中の女子中学3年生のA子さん(当時15歳)に住所不定で元建設作業員の柳末盛(当時41歳=鹿児島県種子島出身)と同・上野勝(当時40歳=北海道網走市出身)の2人がワゴン車(盗難車)から降りて道を尋ねた。

柳と上野は隙を見て、A子さんを無理やりワゴン車に乗せて拉致監禁した。午後8時、国頭村の私道上で嫌がるA子さんに暴行し財布から200円を奪った。この時、A子さんは、泣きながら命乞いをするが、柳らは笑いながら何回も暴行を繰り返した。

暴行、陵辱の限りを尽くした柳、上野はA子さんの顔めがけて石を何十回も振り下ろして顔を潰した。更に紐をA子さんの首に巻いて絞殺し、ガードレール先の崖下に投げて逃走した。

柳と上野は沖縄全土に渡って逃走したが、やがて盗難したワゴン車が発見されたというニュースを知り二人は別行動で逃走することになった。柳は九州から中国地方を転々としたが、車輌窃盗で指名手配されていることを知り、12月に故郷の種子島に戻り警察に出頭した。柳の自供で翌年の1月1日にA子さんの死体が発見され、12日には上野が逮捕された。

−動機と意外な公判−
柳と上野は同じ建設会社の同僚だった。やがて、2人は会社を退職して逃走しようと会社のワゴンを窃盗した。柳が上野に「女性を拉致して暴行し金品を強奪しよう」と持ちかけた。犯行当日の6月21日、名護市で柳と上野は女性の物色をした。そこへ自転車で下校途中の2人連れの中学生を発見した。やがて、1人になったA子さんを襲うことを決めて道を聞く振りをして拉致したのだった。

平成10年3月17日一審の那覇地裁は柳、上野に対して「無期懲役」を言い渡した(検察側は死刑を求刑)。検察側はこの判決に対して刑が軽すぎるとして控訴した。平成11年9月30日二審の福岡高裁那覇支部は、一審の判決を支持し柳、上野に無期懲役を言い渡した。裁判長は判決理由として「犯行は残虐であり遺族の心情は理解できるとしながら、被害者は1名であり・・・」と述べた。検察側は上告を断念し柳、上野に無期懲役が確定した。

裁判長は、どんな残虐な行為でも被害者が1名では「死刑判決は難しい」と言っているのに等しい。上野、柳は15年〜20年後に再び、社会復帰してくるのである・・・・。


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