病院のない離島の人たちは医療を受けるのも一苦労です。
島民の役に立ちたいと、先週、福岡県のある島にひとりの医師が診療所を開きました。
糸島市沖の玄界灘にうかぶ姫島。
周囲4キロほどの小さな島で暮らす、およそ200人の島民の4分の1が65歳以上のお年寄りです。
その島に先週土曜日、明るい話題がありました。
医師がひとりもいなかった島に診療所ができたのです。
糸島市が管理する「保健福祉館」の一室を借りた「ひめしまクリニック」は当面、月に2回、土曜日に診察を行います。
●島の人
「助かります」
姫島では30年ほど前までは医師による月に1度の巡回診療が行われていましたが、それもいつしかなくなり、その後、島民は船で島を出て病院にかかっていました。
しかし、島と糸島市を結ぶ1日に4往復の市営渡船は朝と夕方の時間帯にしかなく、病院に行くのも、1日がかりでした。
●須田正人姫島区長
「正直言ってありがたいと思いますよ。特に老人が渡船に乗って向こうのの病院に行っているのを見たときには大変だなという気持ちがありましたので」
島民の不便さを解消しようと、立ち上がったのが、医師の鷺坂英輝さんです。
鷺坂さんは姫島と同じ旧志摩町の、桜井地区に病院を構える開業医です。
●さくらのクリニック・鷺坂英輝医師
「同じ町内にそういう離島があって、医者がいなくて、定期的な診療も行われないでいるということは、開業した後からこれまでずっと気になっていたことの一つなんですね」
もともと、地域医療問題に関心のあった鷺坂さんは、20年前、当時医師がひとりもいなかった桜井地区に病院を開きました。
●患者
「みんなやっぱり頼ってます。辺鄙でしょうが。糸島市になったけれど、桜井地区は辺鄙」
今回、鷺坂さんが姫島での診療所開設に踏み切ったのは、ある一人の医師との別れがきっかけでした。
かつて、姫島で最初に巡回診療を始めたのは岩隈善次さんでした。
医者になりたてのころ、医師会の新年会で同席した岩隈さんが、姫島で巡回診療をしていたことを知った鷺坂さんは、そんな岩隈さんを尊敬しつつ、家族のような関係を築いてきました。
しかし、その岩隈さんが去年、93歳で亡くなったのです。
●鷺坂医師
「生前非常に気にしておられた姫島の診療というものを私が継ぐことができないかなと、去年そういう風に思ったのが、直接のきっかけだと言えると思います」
姫島での診療所オープンの日。
自宅を出発した鷺坂さんは、15分かけて渡船場を目指します。
●鷺坂医師
「(島の人の反応は)楽しみですね。どうでしょう。この天気のように順風満帆で船出ができるといいなと思ってます」
姫島までは、渡船で15分。
港では、姫島区長の須田さんが出迎えてくれました。
●鷺坂医師
「いよいよ初日を迎えました。よろしくお願いします」
小さいながらも、手作りの看板を掲げました。
●鷺坂医師
「簡単ですけど、これで看板が上がりました。もうとにかくわくわくしています。それと同時に準備が間に合うのかなと。後30分なんで。どきどきですね」
午後1時からの診療に備えて、昼食をとっていたところに、早々と患者さんが現れました。
●鷺坂医師
「きょう第一号の患者さんですね。5分前ですけど、はじめましょう」
患者第一号は、5年前に脳梗塞を起こした男性。
頭痛に悩まされて来院しました。
●診察を終えた患者
「(脳梗塞で倒れてから)船には乗っていません。船に乗っていて倒れたら大変だから、船は乗るなと(かかりつけの)先生が言ったから。(月に)2回来て貰えればまた診察もしてもらえれば助かります」
患者が途切れた合間に突然、工具を取り出した鷺坂さん。
自分の手で、扉に取っ手を取り付け始めました。
島民にとってはすぐに行ける診療所。
次々と患者が訪れます。
以前、血圧が高かったというおばあちゃん、健康診断をかねて訪れたのですが、健康保険証を忘れてしまいました。
しかし、一緒に来ていたお孫さんが、家まで取りにいって、おばあちゃんは無事に診察を受けることができました。
島外の病院だったら、できないことです。
結局、初日は7人の患者が訪れました。
しかし、それでもスタッフの渡船代や給与、診療所の賃貸料などを考えると、経営は完全な赤字です。
●鷺坂医師
「患者さんがいて、困っているということであれば、どうしても行こうかという思いに駆られるんですね。島民の皆さんが本当に必要になさっている医療とか健康管理というのがどういうものなのか、いろいろと教えていただきながらですね、回を重ねるごとに私自身が勉強していきたいと思っているところです」
一人の医師が立ち上がって実現した離島の診療所。
島民に愛される場所を目指し、後継者の育成まで見据えた鷺坂医師の闘いは始まったばかりです。