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日本振興銀:強制捜査 「法令違反のデパート」 信頼回復、道険しく

 「中小企業のための銀行」を掲げた日本振興銀行に11日、警視庁の強制捜査が入った。刑事告発した金融庁は振興銀の検査妨害を「極めて悪質」と指摘、5月27日の行政処分に続く刑事告発で振興銀の経営には大きな打撃となった。振興銀は11日、事実解明と経営管理体制の改善を改めて表明したが、ずさんな体質の代償は大きく、再建の道は険しい。【清水憲司、永井大介、中井正裕】

 「全力で事実の解明と管理体制の見直しに取り組む」。振興銀は11日朝、刑事告発の報道を受けて、東京都千代田区の本店前に集まった報道陣にコメントを発表した。

 だが、振興銀が一部業務停止命令などの行政処分を受けた際に金融庁から指摘された問題は検査忌避にとどまらない。融資先に特定の取締役の就任を強要する銀行法違反(優越的地位の乱用)など法令違反または違反の疑いは計7件が列挙され、「まるで法令違反のデパート」(金融庁幹部)の状況だった。

 振興銀は銀行業界では特異な経営モデルを展開する。決済機能を持たず、定期預金のみを扱い、5年定期の利率は年1・5%と、メガバンクの年0・15%前後をはるかに上回る高金利で預金を獲得。集めた預金は、中小企業や飲食店などに年7~15%と高めの金利で貸し出していた。

 しかし、大手行や地銀が中小企業融資を拡大するなか、貸出先の確保が困難になり、資金運用に行き詰まる。このため、07年ごろに商工ローンや消費者金融から貸し出し債権を買い取るビジネスに転換し、銀行業界から「定期預金付きノンバンク」ともやゆされた。

 関係者によると、振興銀は親密企業で構成する「ネットワーク」を作り、振興銀からの融資を元手に、親密企業同士が出資などの形で資金を融通し合う「不自然な構図」(関係者)を作り上げていたという。

 過去に検査忌避事件を起こした金融機関は厳しい経営を迫られた。UFJ銀行は06年に東京三菱銀行に救済合併され、クレディ・スイスは一時、日本撤退に追い込まれた。

 振興銀行は6月7日から9月末まで4カ月の一部業務停止命令を受け、大口の新規融資などはできない状態だ。貸金業者から買い取った巨額の貸し出し債権の所有権をめぐる訴訟も抱え、経営は足元から揺らぎ始めている。

 ◇「中小企業金融」 理想が変質

 「債務者の気持ちが分かる金融が必要だ」。不良債権処理を背景にした大手銀行の「貸し渋り・貸しはがし」が問題化していた03年8月、中小企業やベンチャー企業への融資に特化した日本振興銀行の設立構想を発表した木村剛・前振興銀会長はこう力説した。大手行から融資を受けられない中小企業に高めの金利で融資し、銀行の新しいビジネスモデルを作るはずだったが、その理想はついえ、利益確保のためには法令違反も辞さない経営姿勢に堕していった。

 日銀マンから金融コンサルタントに転じた木村氏は、経営不振企業を実名で列記した「大手30社リスト」で注目を浴びた。大手行に不良債権の抜本処理を迫る内容に、当時の竹中平蔵金融相が着目。木村氏が金融庁の特命チームのメンバーに選ばれると、不良債権処理の加速で大幅赤字に陥り経営責任を問われかねない大手行の首脳たちは震え上がった。

 金融庁が銀行の新規参入を促したこともあり、振興銀は04年4月に異例のスピードで開業にこぎ着けたが、当初から人事をめぐる内紛が続いた。木村氏は05年1月に社長に就任したが、不良債権処理を終えた大手銀が中小企業融資を復活させると、ノウハウに劣る振興銀は劣勢に陥った。

 ビジネスモデルの行き詰まりをよそに「預金は1000万円まで預金保険機構が保証する」とうたい、国のセーフティーネットに寄りかかって高利の預金を集めた。金融庁幹部は木村氏を「当局にいた人間とは思えない」と批判する。

 振興銀の社外取締役で作家の江上剛氏は「中小企業金融という趣旨に賛同したが、どこかで変質した」と話す。振興銀は11日、外部の弁護士らによる特別調査委員会と社内の改善推進委員会の設置を発表して、経営の実態把握と見直しを目指すが、信頼回復の道は険しい。

毎日新聞 2010年6月12日 東京朝刊

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