高木マニア堂

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185:ドルゴルスレン・セルジブデ…凄い名前だ 

ノンセクション2010年06月11日 09:00 | フォルダ : 

関連キーワード :プロレス相撲朝青龍

<2009年1月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 大相撲初場所における横綱朝青龍の活躍、そして話題(良しにつけ悪しにつけ)を見るにつけ、つくづくプロレス界は惜しい人材を、実に簡単に手放してしまったなと残念に思う。

 そう。横綱の兄であるブルー・ウルフ(ドルゴルスレン・セルジブデ)のことだ。セルジブデは2001年にモンゴルから来日し、新日本プロレスに入団。
当時、まだ朝青龍は横綱ではない。破竹の勢いで快進撃を続け、幕内に上がったばかりの時期だった。その兄がひょっこり新日プロに入団してきたのである。

 元々はレスリング(フリースタイル)のモンゴル王者。モンゴル相撲では小結に値する位まで上り詰めた逸材だ。

 格闘家としての地力はバッチリ。あとは合宿所での生活、日本語、プロレス独自の動きに慣れるのが問題とされるが、セルジブデはこれらの点も実にスマートにハードルをクリアしていった。

 元々、モンゴル国内で放映されていたWWE中継のファンだったというセルジブデは、やや硬さが残る(これが個性であり味だった)もののプロレス流の動きをマスターするのも早かった。

 2001年8月、両国大会でに真壁伸也(現・刀義)を相手にデビュー。以降もプロレスラーとしての実力を着実に伸ばして行った。初のモンゴル人レスラー、横綱の兄という金看板は、もっと生かせたハズなのに、当時の新日プロは、ことごとくセルジブデの売り出し策に失敗していた。

 まずデビュー後すぐに、リングネームを募集。いつの間にか「朝青龍」やチンギス・ハーンのイメージ「蒼き狼」から、「ブルー・ウルフ」と安直に決定してしまった。当時の新日プロ幹部の弁によると「ドルゴルスレン・セルジブデなどという長く、発音もしにくい名前では人気が出ないから」というモノだった。

 だが、その濁点が妙に多く、発音もしづらい名前こそが初のモンゴル人レスラーの個性であり、パンフレットに押されたスタンプを一目見ただけで「一体何者?」「どんな凄い奴が出てくるんだ?」と想像させるに武器だったハズだ。
当の本人は外国人であり、本名に馴染み過ぎているから、自分の「名前の凄さ」は理解できない。

「ブルー・ウルフ」。どこか往年の「ブルーフィルム」に似た響きを持つリングネームは、そのまま使用され続けたが、これでは誰も覚えてくれない。個性の損失だった。

 2006年2月に新日プロを退団したセルジブデは、その後、上井ステーションの旗揚げ戦に参戦した後、プロレス活動を休止。今はモンゴルに帰り、実業家に転身しているという。

 今も現役ならば棚橋や中邑、後藤、真壁、矢野ら新世代の好敵手としてトップの一角にいたハズだ。新日プロは惜しい人材を失った。

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