ブログ開設5周年記念のご挨拶
亡国への動きが加速する中で、徹底抗戦を叫ぶ
本日、6月12日で5周年目を迎えることになりました。現在ではこのブログを書くことが日課となっています。朝起きたら先ず顔を洗うと言った普段の営みの一つと同じです。
私の日々の生活の一部というか、重要な部分になっています。元来書くことが好きでしかも書き上げるスピードも速い方だと思うのでたいして苦になりません。
このままもう暫くはブログを書き続けて行きたいと思います。現下の日本は益々亡国への動きが加速されつつあるように感じますが、この流れに徹底抗戦を呼びかけて皆さんと今後も頑張るつもりなので、今後もご支援を賜りたいと思います。
さて、別に特別な日とは思ってはいませんが、このブログを書いていなかったらーという観点から少し考えて見たいと思います。
私がこのブログ書いていなかったら、たぶん私はまだ国家の危機に本当の意味で気がついてもいなかったろうし、たぶん安閑とした日を過ごしていたのではないかと思います。
私は20代の若い頃には右翼運動を志し、右翼団体を統率していた。総勢で50人以上の規模になったこともあり、車輌なども各支部を合わせると7台以上保有する結構な団体であったと思います。
多くの団体が何らかの形で任侠系の暴力団の系列下で存在していた状況の中で、唯一そのような系列に属さない独立独歩の団体でした。若い頃ほんの2年ほど他の団体の世話になったが、それも任侠系の団体ではなかった。
右翼団体は30代の半ばには辞めてしまい、雑誌や新聞などの編集発行を仕事として来たが、勿論この間も右の思想信条は持っていた。ただ、団体活動などで第一線に立つことはなく、言論活動が主体であった。
このブログを始めた頃は出版不況で会社経営を諦めるしかなく、何か別な仕事を始めようと考えていた頃でもあり、時間的な余裕も幾分あった。
このブログを始めることにおいて、やはり昔の経験や学んだことが無駄にならなかったと言うことが大きいと感じています。政治思想運動と全く無縁な方向に進めば、それまでの右翼活動をしていた20代、30代半ばまでの人生は全く無駄に終わったかも知れません。
さて、今回当時私が活動していた20代の後半から30代前半にかけて親交のあった新右翼活動家のお二人が最近我々の活動と反目する形で注目されています。
反目と言っても互いに罵倒するような関係ではありませんが、我々の活動に対して真っ向から批判を浴びせていることに関しては、やはり反論くらいは述べておかねばと思い書くことにしました。
槇やすともさんのブログに鈴木邦男さんのことが書いてあります。
「最も理解し辛いのは右翼?の鈴木邦男さんなんだよねぇ」
一水会出身の槇泰智さんが「理解し辛い」と言っているのだから、私などが理解するのはもう無理なのでしょう。活動家というよりは、もう文化人という表現の方がピッタリすると槇さんも書いています。
鈴木邦男さんが掲げた新右翼という標語と、その運動は確かに戦後の一時期における右翼運動を現す言葉として歴史に名を残すことは間違いないと思います。
左の新左翼運動に対抗する形で構築しようとした新右翼運動は、当時の右翼運動の中では新鮮味に溢れ、多くの若者を魅了したことは事実です。
若者を惹き付ける魅力があったのと同時に、世間から遊離した右翼運動をより一般の人達が参加する運動へと転化させることにもある程度は成功したのではなかったのかと思います。
しかし、現在その流れは完全に止まってしまっています。
一水会を受け継いだ木村三浩会長は最近私も所属して応援している「在日特権を許さない市民の会」に対して、批判的なことを述べていた。
その言葉には自分たちが越されてしまっているという焦りなども幾分あるのかなと私は感じた。自分たちの運動が世間から余り評価を受けていないのではという苛立ちを隠せないのでしょう。
一水会と在特会は全く思想も形態も違った運動で、互いに比較すべき対象でもないことは明らかだが、時代の趨勢がどちらにあるかは歴然としている。
まぁ〜この問題に深入りする気はあまりないが、在特会をいくら批判しても、今若者の気持ちをガッチリと掴みかけているのは在特会の方だ。
在特会の呼びかけに賛同して集まる若者には「ナショナリズム」が息吹いています。「ナショナリズム」とは、一つの民族が他の民族支配を排除して、自身の国家の真の独立と主権の恢復を目指す精神です。
これから日本民族が生き延びて行くには必要不可欠のものです。在特会の運動を「保守ではないだろう。」とか「勿論右翼でもない。」などと題した座談会に登場して持説を披瀝しても、それは自己満足で終わってしまうのではないか。
ネットでこの5年間ブログを書いて学んだことは、若者の苛立ちが何によるものなのか。それに気がついた事でした。鈴木さんや木村さんは、かつて20代、30代の頃の自分をもう一度想い出して見てはどうか?
かつて自分たちが持っていた、至純な愛国心を今在特会に結集している若者が持っていることを認めることから出直すべきではないのかな。
鈴木さんを今でも尊敬している。それだけに現在の鈴木さんは残念でならない。生意気を言うようで申し訳ないが、本来の姿に立ち戻って欲しいと願わずにはいられない。
今度の選挙では日本の将来の為に若者は投票所に絶対行って下さい。
