「日の丸電書フォーマット」とEPUB

2010年 6月 9日

三省合同の「官民」懇談会の技術WTで最初の非公開資料が6月2日の「第1次報告(案)(たたき台)」だった。8日の懇談会ではそれをもとに「電子出版日本語フォーマット統一規格会議(仮称)」の設置が決まった。年内に実証実験ということは、仕様が固まっていないとできない。この進め方は、少なくともオープンな標準を普及させるプロセスとして適切ではないし、この際問題点を指摘しておきたい。情報が限られているので誤解もあると思うが、関係者にもぜひ電書協以外への「説明責任」を果たしていただきたい。(+6/10追記

はじめに:“E-Bookガラパゴス”を避けるために

三省「懇談会」は「電子書籍データのファイル形式統一」に向けて動き出した。腰の重い大手出版社をその気にさせる環境としては意義がある。しかし、懸念されることもある。懇談会は結局オープンなようでオープンでなかった。とくに技術仕様については、最初から電書協がパブリで採用している2つの商用技術をターゲットにしたとしか思われない。公的なお墨付きと「コンセンサス」の演出のために政府を使ったことは今後に問題を残すだろう。われわれとしては、後で政治的・国際的な非難の応酬にならないように、現実的な調整の可能性を考えてみたい。

「名ばかり標準」と使える「標準」:EPUBに背を向けるのか?

XMDFとドットブックは、日本語デジタルコンテンツを表示する上では優れた実装技術であり、国内での実績もある。しかし、当然のことながら国際的にはほとんど使われていないし、知られてもいない。電書協を中心とした出版社がこれらをもとにしたフォーマットを採用するのは自由だが、政府が関与するとすれば、次のような条件を忘れないでいただきたい。

  1. 国際的に普及している標準、既存技術との整合性を確保する
  2. 日本のコンテンツの海外展開、多国語コンテンツの展開の妨げにならない
  3. 多様で多機能なE-Book技術の発展への障壁にならない
  4. EPUBなど他のフォーマットとの相互運用性を確保する

最後の条件は、新たなガラパゴス化を避けるために、ほとんど絶対的なものだ。オープンな標準はオープンなプロセスに基づくコンセンサスよって実現される。それには人間が関わることなので時間と手間がかかる。そのしくみはIDPFW3Cのような標準化コンソーシアムしか持っておらず、これらをスルーした「国際標準」は、産業の実態と離れた「名ばかり標準」となりやすい。

IEC62448(のAnnex B)は確かに正規の「国際標準」である。しかし、標準というものの実態を観察してみれば、世に標準はゴマンとあれど、使われて進化しているのは一握りで、あとは標準化作業の残骸に過ぎない。少数の専門家と圧倒的多数の非専門家が時間をかけて国連の機関で「採択」しても、使われないものは無意味である。IEC62448(のAnnex B)の拡張が提案されても、国際的な業界からは無視される可能性が高い。ちなみに62448にはAnnex Aというのもあり、こちらはソニーのBBeBでLIBRIeの副産物である。

他方でデファクト標準には、グローバルな有力ベンダーと日本企業が参加しているIDPFのEPUBがあり、まさに日本語拡張仕様が、アジア言語の一部として策定されようとしている。「懇談会」の技術資料が(アマゾンのプライベート仕様を除いて)最大のデファクトであるEPUBについて何の言及もしていないのは「奇怪」というほかなく、逆に強く意識していると思われても仕方がない。おそらく関係者は「EPUBに敵対するものではない」と強調されると思うが、それだけでは不十分で、EPUBと協調する方法を(もちろん英語で)明示し、現在開発中のEPUB日本語拡張作業に参加するくらいの姿勢が望まれる。言うまでもないが、これが国際性を主張するための基本である。縦組が価値を持つ言語は日本語だけではない。

万が一にもないとは思うが、EPUBと争うことは有害無益だ。それは進化を続けるWeb(XHTML+CSS)に背を向けることであり、日本語E-Bookの開発と運用に無用のコスト負担を生じさせる。日本の消費者は負担したくないだろうし、海外企業も同様だ。様々な欠点を持ちながらも、EPUBの巨大な利点は、Web技術との共有性であり、それが出版社の自立性を高め、様々なサービスとの自由な連携を可能にする。改善へのニーズがある限り、EPUBの問題はオープンに検討され克服されていくが、公表されている「官民一体フォーマット」には、そのための仕組みは考慮されているのだろうか。たとえば、オープンソースのオーサリング環境や、様々な機能インタフェースを利用する(国際的な)プロジェクトは考えられているのだろうか。優れた技術コンセプトを「日の丸」で縛ったTRONの失敗を教訓とすべきだろう。

「縦組・ルビ…」だけが必要なフォーマットではない

フォーマットには組版フォーマット以外にも様々なものがあり、生まれている。懇談会では「日本語組版」とくに縦組やルビなどが強調されているが、小説など「特定の日本語の本」をイメージしている印象がある。縦組・ルビを必要としないE-Bookにそうした機能は無用で、無用なものに余計なコストはかけたくない。例えば、政府刊行物を提供するフォーマットとして何が必要かを考えていただきたい。文部省の教科書には、数式、化学式や記号の表示が重要となる。本の中でのジャンプだけではなく、外部のWebサービスを利用したいコンテンツもある。そうした機能フォーマットの拡張が容易かどうかはフォーマットのライフサイクル価値を決定する。グローバルなフォーマットに日本語(やその他の)機能を追加するのと、日本語フォーマットをベースに拡張するのとではまったく別の作業になる。実装技術は進化するが、フォーマットを進化させるのは容易ではないからだ。

シャープのXMDFは組版のほかにDRMの仕様も持っており、「統一フォーマット」のDRMもこの仕様を使うのどうか不明だが、特定のDRMを強制することには問題が生じるだろう。サンプルや書誌情報の扱い、配信プラットフォームでのアクセス情報の管理なども課題となる。方法によっては、iPadやKindleを市場から締め出す動きとして問題にされる可能性もあるだろう。そうした問題を避けるためにこそオープンなプロセスが生まれているのであり、これ以降の進め方は多くの問題を生んできた過去の教訓を生かしたものにしていただきたい。

これからもWebコンテンツは増え続け、リッチになっていくだろう。EPUBは最も少ないコスト(多くは無料で)でそれを反映させることができる。「官民統一フォーマット」あるいは「電書協フォーマット」がEPUBと遠いものになれば、Webコンテンツの流入は制限されるだろう。むしろそのほうがよいという考えもあるのだろうが、それは「出版社コンテンツ」のほうの商品価値を下げるだけで意味がないと思う。この点は改めて検討したい。しつこく言いたいが、EPUBとの相互運用性に背を向けるならば、国内市場、関連市場に負担を与えることになる。閉じたフォーマットでは市場は守れない。日本のコンテンツも、E-BookやE-Readerビジネスも、世界に飛躍するしか生き残る方法はないし、それができない理由は(「世界の壁」という幻想以外に)何一つない。(鎌田、06/09/2010)

6/10追記:フォーマットに関するロードマップとガイドライン策定の必要

6月10日に資料が公開され、技術WTの報告案を読めるようになった。詳細は別途検討するが、資料を踏まえて昨日の本文記事に補足・訂正をしておきたい。

報告案でEPUBへの対応に関する記述は次の個所にある。

今後、第2.1章2)の日本語基本表現の中間(交換)フォーマットの統一規格の反映や、上述のEPUB 等デファクト標準のファイルフォーマットとの変換に係る技術要件も検討の上、国際規格IEC62448 の改定に向けた取組が重要であり、上述の「電子出版日本語フォーマット統一規格会議(仮称)」を活用しつつ、国際標準化活動を進め、こうした民間の取組について国が側面支援を行うことが適当である。

難解な表現だが、中間フォーマットではEPUBも反映され、XMDF/ドットブックとEPUBを含む「デファクト」との「中間」としてのフォーマットであると理解できる。したがって、この通りに進んでいくのであれば、問題は生じないようにも思える。しかし、EPUBの仕様策定プロセスに参加して仕様に反映させる活動を伴わなければ、あるいはその日本メンバーを支援するのでなければ具体的にはならないだろう。また「中間フォーマット」に過大な期待は禁物である。過去にCADなどでいくつもの「中間フォーマット」が開発されたが普及しなかった。エスペラントのようなもので、実装技術の独自性が強いと、そのまま使えない汎用フォーマットはユーザーのメリットが少なく、中途半端になるためだ。また有力な実装技術を持つベンダーは、当然自社の実装機能を優先する。RTFを使う人はどれだけいるだろう。またバージョンアップなど面倒な問題もある。組版に限っての「中間」ならばさほど難しくはないと思うが、これもチェックが必要だろう。

筆者がすでに指摘しているように(下記関連記事参照)、E-Bookにおけるフォーマットの問題は(印刷本との直接的接点である)組版だけではなく、ほかにも広がっている(例えばメタデータ)。また組版にしても、数式や表組、化学式など、さらに複雑な問題も残されている(数式ではMathMLがあるが組版には普及していない)。「統一規格会議」は、当面の日本語組版を超えて、E-Bookのフォーマットに関する調査・研究を長期的に進めていただきたい。また政府はそのための十分な予算措置を講ずるべきであると思う。行政に対しては、具体的に以下を検討されることを提案したい。

  1. E-Bookのフォーマット問題に関する情報収集と調査研究
  2. E-Bookフォーマットの開発・標準化に関するロードマップの策定
  3. 多国語E-Bookフォーマットに関する国際ガイドライン策定のイニシアティブ(国際標準化コンソーシアムの発議)

(以上、6/10に加筆)

本誌関連記事

「E- Bookにとって標準とは (1):意味と展開」 04/08/2010

「E-Bookと標準 (2):『日本』の標準とは」 04/12/2010

「EBook2.0 ノート(7):わが電子『活字文化』論」 04/10/2010

「ドキュメントとしてのE-Book標準化問題試論」 03/23/2010

参考記事

「電子書籍の3省懇談会、日本語フォーマットなどの経過を公表」 by 金子寛人、日経電子版、PC Online、6/10/2010

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