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[19212] ルイズと化猫(ゼロ魔×モノノ怪)【完結】
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:9885ea38
Date: 2010/06/10 18:16
  宜しくお願い致します、芍厄と申します。
  この度、拙作をお読み頂き真にありがとうございます
  本作をお読みになる前に、以下の注意書きをお読みください。


 ・メインキャラに死人がでます
 ・一部残虐・残酷な描写、表現があります
 ・テレビアニメーション モノノ怪 とのクロスオーバーです
 ・10話前後で完結予定の中篇
 ・タバサはお化け怖い設定 でいきます
 ・原作の時系列を多少弄っております


 ・登場人物に嘘つきがいます、誰が嘘を付いているか宜しければ予想しながらお読みください。
 


 最後に、ネタバレ回避の為、感想欄への返信を差し控えさせて頂くことが御座いますのでご了承くださいませ。




 以上の事に同意頂ける方のみ、先へお進みください。



 ※原作『モノノ怪』について

 フジテレビ系列「ノイタミナ」枠で放映された和製ホラーアニメ。
 登場人物たちが怪異に巻き込まれ、それを何処からかふらりと現れた薬売りの男がそれを解決する言うのがその骨子。

「モノノ怪」は人の心が産み出した怪異であり、巷間で語られる妖怪の姿を取って現れる。

 薬売りが持つ「退魔の剣」はモノノ怪の形と真と理が分からねば抜けず、薬売りは登場人物たちに事件の事を問うていく。

 真とは事件の真相
 理とモノノ怪を生み出した者の心


「形」「真」「理」がそれぞれ明らかとなった時、その証として「退魔の剣」が「カチン」と歯を打ち鳴らす「演出」が為される。 



[19212] ルイズとワルド
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:9885ea38
Date: 2010/06/10 18:15


 ルイズがカリーヌ様やエレオノール様に怒られて涙目で秘密の場所に隠れてしまわれた時、決まって連れ戻すのは僕の役目だった。
 ヴァリエールの屋敷の片隅に造られた小さな湖に浮かんだ、さざ波に揺れる小舟のなかで。
 何時もその可愛らしい瞳に涙を浮かべていた、僕のルイズ。
 小さくて可愛らしくて、けれど誇り高い僕の婚約者。
 あの時の僕にとっては、大切な、そう妹のような存在で。 
 裏表もなく僕を慕ってくる彼女を僕は少なからず好ましく思っていたのだと思う。
 そう、たとえ始まりが打算と両親たちの酒の勢いによるものだったとしても。
 僕がルイズを好ましく思っていたことだけはきっと真実なのだろう、と僕は思うのだ。


 ――だが僕はいつまでも、ルイズが慕ってくれたワルド様では居られなかった。
 ――それこそが僕の罪
 ――そしてそれこそが、こんな罪深い僕への罰なのだろう

「ははっ」

 母が死んだ。
 嫌、殺したのは――僕だ。
 狂った母が鬱陶しすぎて、突き放したら階段から落ちてぽきりと首を折って死んでしまった。
 あまりにもあっけなさすぎて、まるで悪い悪夢のよう。

 頭がくらくらとする、脳がじくじくと痛む。
 ゆっくりと、悪夢〈ユメ〉が現と一つになる。
 そうだ、確か僕は心配してくれたヴァリエール公に屋敷に招かれたのだ。
 だと言うのに、なんという体たらく。

「はははは」

 夜半に見た悪夢、無理やり眠るためにワインを呷ったと言うのに僕は一体何をやっている?
 くだらない、情けない、まるで酔っぱらった浮浪者みたいで自分自身を殺したくなる。
 どこをどうやって此処まで来たのか思いだそうとすると頭が割れそうなほどに痛んだ。
 そうか、僕はルイズに逢いたかったんだ……
 会いたくて、逢いたくて。
 居る筈がないのに、ルイズの秘密の場所に来てしまったんだ。

「はは、はははは……」

 命そのものが垂れ流されているような虚脱感。
 心そのものが崩れ落ちていきそうな虚無感。

 ぐちゃぐちゃな心とちぐはぐな体で、ぼくは独り船のなかで寝転んだまま、気狂いみたいな笑い声をあげる。
 無様だ、どうしようもないくらいに無様だった。

 ゆらゆらと揺れて、この身はまるで寄る辺なき闇夜の鴉。
 雲ひとつない闇夜の空の果てに黒く黒く溶けていく。
 溶けた僕の体が世界を灰色に染めていく。

 船の中に横たわり、僕はふらふらと揺れている。

「ワルド様、泣いていらっしゃるの?」

 声が聞こえた。
 聞こえる筈がない、少女の声が。
 大切だった――かもしれない少女の声。
 真っ黒な心を仮面で隠しながら、僕はゆっくりと身を起こした。

「いいや、ちょっと目にゴミが入っただけさ。ルイズ」

 ルイズは揺れる船になんとか飛び乗ろうとさっきから悪戦苦闘している。
 僕は苦笑して、羽のように軽い彼女を抱き上げた。
 色を失いこの灰色に枯れてしまった世界で唯一淡く美しく輝く、まるで宝石のような少女。
 そんな美しい彼女が、僕が触れることで穢れてしまうかもしれない――そんな想像だけが怖かった。

「駄目だよルイズ、こんな時間に出歩いては。風邪をひいてしまう」
「ワルド様……」

 僕はマントをはずすと、ルイズの肩から羽織らせる。
 この季節といえど、さすがにネグリジェにカーディガンを羽織っただけと言うのは、心配になってしまうから。

「さぁ、戻ろうかルイズ」

 ルイズの肩を抱き、歩き出そうとしたところで。
 ルイズに腕を掴まれた。 

「ワルド様……無理をなさらないでください」

 ルイズにまで心配されるような顔を、していたのだろうか?

「無理などしていないさ」

 僕は笑ってルイズに答えた。
 ルイズはじっと僕のことを見つめている。
 そのルイズの頭を撫でながら、軽く息を吐く。
 どうやってこの話題を終わらせようかと考えていたら、両の掌でピシャリと頬を叩かれた。

「いいんですワルド様、悲しかったら泣いてもいいんです」

 ルイズは目に涙を浮かべながら、僕の横顔を抱きしめる。
 僕の分まで泣いてくれているようで不思議と胸がチクリと痛んだ。

「ルイズ……」

 ルイズは泣き顔のまま、花のように微笑んだ。

「お母様も言っておられました“貴族の殿方は愛する人の胸のなかでだけは思いっきり泣いていいのですよ”って」

 真っ赤になりながらルイズは言う。

「私はワルド様のお母様にはなれませんけど、その代わり大きくなったら……」


 ――――ルイズのその言葉に、あの時僕はなんと言ったのだろうか?




[19212] 序の幕 その壱
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:9885ea38
Date: 2010/05/31 00:38
 この世は無間地獄と誰かが云う。
 この世こそ極楽であると誰かが云う。

 この世など幻想〈ハルケギニア〉であると、誰かが云う。

 それらはすべて真のこと。

 苦痛と救いが互いに絡み合うこの世のなかは
 さながら二股に別れた猫の尾の如く

 螺旋となって 曲がり歪み狂いゆく この世の中は。

 はたして彼女にとって、どう映っていたのでしょうか?



 




 ――――モノノ怪――――
         ――――化猫――――



         
                  序の幕 その壱





 一人の少女がベットに寝転んでいる。
 だからと言って眠っている訳ではない。
 ごろごろと右へ左へと転がり、時折緩みきった顔で「にへへ」と笑う。
 もうそのだらしなさと言ったら、盆暮れ正月と誕生日と生誕祭とその他諸々が全部いっぺんにマイムマイムしながらやってきたみたいなものだった。
 勿論、本来の気の強さなどどこ吹く風。
 若干吊りあがった切れ長の瞼は幸せで細まり、その少し下には年を取ってからが怖いほうれい線、瞳には希望がこれでもかと言うほどに輝いていた。
 その理由が、彼女の手のなかにあった。

 ――にゃあ

 あたたく柔らかな生き物が、瞼を閉じてにゃんと鳴く。
 それだけで少女は全身をびくんびくんと歓喜に震わせながら、人生の絶頂を味わっていた。
 
 無理もない。
 彼女のはこれまでは、ずっとずっとただ“無為”でしかなかった。
 
 彼女が生を受けたのは魔法の才が何よりも優先される世界。
 ハルケギニアと呼ばれるその文化圏のなかでも、とりわけ歴史と伝統を重んずるトリステイン王国であった。
 この魔法の才こそが栄達と己が正統性を示す最大の武器となるこの国に在って、
 国家の礎たる公爵家の人間が魔法を使えないなどと、どれほどの重圧であったのか?

 学友たちは妬みや嫉みからその無才を面白おかしく囃したて
 格下の使用人にさえ陰口を囀られ
 愛してくれた家族は、その愛故に彼女に辛く当たり

 唯一心を許せる相手であった二番目の姉は、彼女の魔法学院入学を待たず世を去った。


 だからそう、その一匹の黒猫はこの凍えそうな世界のなかで。
 彼女〈ルイズ〉にとって、吹雪の中で煌々と燃え盛る灯のようなもの。

 ルーンの効果などなくとも召喚初日にして、ルイズは己の使い魔をこれ以上ないほど溺愛していた。

「名前はどうしましょっか?」

 ――にゃあん

 柔らかい毛皮が心地よく頬ずりをしたくなるのを堪えながら
 ルイズは抱き上げた黒猫の夜の色をした瞳をじっと見つめる。
 
 黒猫は夕刻すぎの薄暗がりが忍び寄って来た部屋をその左手のルーンで照らしながら
 不思議そうな顔でルイズを見返す。

「黒いから“クロ”は、流石に安直かな?うーん……」

 いくつもの名前を頭の中に浮かべてみる。
 “ケィ”“レン”“ケットシー”“ヤマト”“ギギ”“トレイン”“ハートレット”“フェリシア”“チェルシー”

 定番のものや、あまり詳しくない市井の小説の登場人物、他にもなんとなく思いついたものいくつもいくつも列挙してみる。

「困ったなぁ、決められないわ」

 頭の中にこれまで必死で詰め込んできた知識をフル動員して様々な名前を引っ張り出すが、目の前のこの黒い小さな天使に似つかわしいとは思えなかった。
 そもそもハルケギニアの世間一般では黒猫は凶兆を運ぶ動物と見られている。
 だから世間一般で流布する黒猫を主題にした物語を思い浮かべてもふさわしい名前など見つかる筈がない。
 それでも僅かなヒントでも得られないかと、ルイズはさらに深く深く己の記憶を紐解いていく。

 深く深く。
 まるで奈落の底を覗きこむように。
 ルイズはこれまでの辛く、苦しかった人生と、その中で出会ったいくつもの思い出を手繰る。

 ずんずんと昔へ昔へ。
 アンリエッタ王女様と遊んだ春を想い、上の姉におびえた夏を越え、母に憧れた秋を抜けて……
 そして悲しい思い出と共に一つの記憶をルイズは思い出した。


 ――――猫騎士物語

 数多異聞が存在するイーヴァルディの勇者の物語の中の一つに、おまけとして添えられたその物語を。
 話の筋としては至極単純だ。
 
 昔々、とある村を巨大な鳥の怪物が襲い次々を村人を殺して行った。
 それに憤った領主が手勢と共に怪物の巣に向かうが哀れ怪物に食い殺されてしまう。
 その領主に飼われていた黒猫が、なんとか主人の無念を晴らさせて欲しいと始祖に祈ると、突然黒猫の左の前足が光り輝き、
 勇者イーヴァルディが使っていたとされる魔剣デルフリンガーが空より現れた。
 黒猫はデルフリンガーを口に咥えると七日七晩戦い続け、やがてその化け物を打ち取ると主人の墓へ花を供えていずこかへ消える。
 こういう筋書きである。

「そうして、猫は悲しそうに一声“にゃん”と鳴くと……」

 悲しみと言う封印を一度切ってしまえば、細かい部分まで鮮明に思い出せる。
 何故ならば……

 ――ねぇルイズ。猫さんは、この後きっと新しい主に拾われて幸せに暮らしたんだと思うわよ

 最愛の、今はもういない姉が、何度も何度も読み聞かせてくれたから。

「ちぃ姉さま……」

 大切な人はもう、いない。
 カトレアは死んだのだから。

 受け入れたつもりだった。
 涙は枯れるほど流した筈だった。
 カトレアの分まで、胸を張って生きると固く誓った筈だった。
 だが気がつけば頬に冷たい感触。

「あれ?」

 ほろほろと瞳から熱いものが伝う。
 止めようとしたが、とめどなくとめどなく。
 体の奥底から湧きあがるように、涙と嗚咽が溢れだす。

「おかしい、おかしいわ、貴方が来てくれて、嬉しいのに、こんなに嬉しいのに」

 そう言いながらぐしぐしと顔を拭うルイズの顔を、ぺろりと熱いものが撫でた。
 
「ひゃ!?」

 黒猫は泣いている主人を慰めるようにぺろぺろとその顔を撫でる。

「ちょ、ちょっとやめ、ひゃくすぐっ、ちょ痛、痛いっ」

 だがロマリアでバターを塗った相手を猫に舐めさせると言う拷問があるように、猫の舌は立派な凶器である。
 つまり本気で肌の弱い場所を舐められるとかなり痛いのだ。

「もう――は、はは、ははははは」
 
 使い魔を引き剥がし、涎でべとべとになった顔で。
 ルイズは笑った。

「はは、あはははははは」

 ルイズは、幸せだった。

「あははは、はは、ははは……」

 幸せで幸せで、もし死ぬとはこんな幸せのなかで死んでいけたらいいのに。
 温かな使い魔の体温をその薄い胸で受け止めながら、そんな埒もないことを考える。
 きっとこんな幸せのなかで死ねたなら、ちぃねぇさまとおんなじところへいけるだろう。
 そんな考えても、意味のないことを考えてしまう……

 夜の帳が下りるほんの少しだけ前の、逢魔ヶ時のその部屋で。
 使い魔を抱きしめ、ルイズはただ笑い続けた。
 幸せそうに、ずっとずっと涙と共に笑い続けた。

 ルイズは幸せだった。
 何故ならば、次の日見つかったルイズの死体は。

 幸せそうに、本当に幸せそうに。
 笑顔の形に歪んでいたのだから。
 





 ルイズの死に初めに気付いたのは、向かい側の部屋の少女であった。

 火照った肌に窓から吹き込む夜風が心地良く、キュルケは大きくその場で伸びをした。
 まだ夜明けには幾分早いこの時間帯である。
 折りしも夜半から明け方にかけての突然の雨が涼を呼び、夜明けを待つうす暗がりの空をすがすがしい空気で満たしていた。
 豊満な肢体に薄い夜着を軽くひっかけた程度の扇情的な姿で、微熱の二つ名を持つ少女はまだほんの少し燻ったまま昨夜の余韻を冷ましていた。
 ベットには“昨夜の”恋人が、精根尽き果てたと言った風情でうつ伏せに倒れている。
 しょうがないなと言った風情で少女は肩を竦める。
 それに釣られて、汗に濡れた背中に張り付いていた燃えるような赤毛の髪がふわりと揺れる。
 もちろん、その匂い立つような色気を放つ豊満な二つの塊もぶるんと揺れる。
 
「ふぅ……」

 部屋のソファに身を沈めたまま、キュルケは一つ息を吐いた。
 情事のあとの倦怠感と、そして若干の虚しさを吐き出すように。
 彼女はキュルケ――――キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー
 炎と情熱のツェルプストーの名が示す通り、彼女もまた恋多き女であった。
 だが彼女の二つ名は〈微熱〉
 熱しやすく冷めやすいその恋は、これまでも大きく激しく燃え上がることなく、彼女のなかで燻っていた。
 だからこそこういう瞬間ふと我に返ると、少しだけ自己嫌悪を感じてしまうこともある。
 こんな湿ったらしいことを考えてしまうのは、おそらくは僅かに残った雨の気配のせいだろう。
 少し前まであれだけ激しかった雨は、もうほとんど霧へとその姿を変えていた。
 おおよそ自分には似つかわしくない、キュルケはそう考えてそこできっぱりと思索を打ち切った。
 手元のタクト型の杖を振ると、部屋の隅に置いてあった水がめの水が一瞬で激しく沸騰し、その中に入っていたタオルがきつく水を絞られ宙を舞う。
 キュルケは手にした蒸しタオルで軽く汗を拭うと、鏡台に向って身だしなみを正しながら今日の予定のことを考え始めた。もちろん頭に浮かぶのは両の指でも数えきれないボーイフレンドたちのことである。

「あら? なにかしら」

 その途中、キュルケはなにかを引っ掻くような音に気付き手を止めた。

 カリカリカリ

 入口のドアから響いてくる音に怪訝げに眉を潜めると、キュルケはソファーに掛けてあったバスタオルを体に巻きつけて、ドアを開く。
 開いた先には何もいない。
 
「――――!」

 いやよく見ればドアの端には何かで引っ掻いた跡があり、そして廊下は点々と血痕が落ちている。
 何事かと思って当たりを見回したキュルケの目の前で、真紅の二つの瞳が闇に灯る。

 にゃあ、お

 闇に溶けるその姿
 片足を失くした黒猫が、キュルケの事をじっと見上げていた。

「あなたは確かヴァリエールの……!?」

 キュルケは即座に行動に移った。
 ただ事ではない、そう直感した脳髄が幼い頃から武門の娘として叩きこまれた身体を動かす。

「ちょっと起きて、起きなさい!」
「なんだよキュルケ、まだ足りないのか……」
「馬鹿っ!この子、お願い!」

 ベットで寝ていた恋人をたたき起すと傷だらけの黒猫の傷の処置を任せる。
 ネグジェのまま駈け出して、唱えたのは〈開錠〉の魔法。
 カチリと軽い音を立てて鍵が開いたことを確認し、キュルケはルイズの部屋に踏み込んで。
 そして後悔した。

「――っ――――!?」

 おそらくその光景をキュルケは一生忘れることは出来ないだろう。

「る……い…………ず…………?」

 己の身体を隠すバスタオルがその場に落ちたことすら気付かない。 
 まるでその場で見えない十字架に磔にされたように、キュルケはその場を動けない。
 キュルケの目の前には、一人の少女がいる。
 天井からぶら下げられ、その笑顔のように歪みきった顔を、おかしな方向に曲げた少女がいる。

「いやぁぁぁぁああああああああああああああ」

 その光景を認識した瞬間、キュルケの日常は音をたてて崩れ去った。




[19212] 序の幕 その弐
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:9885ea38
Date: 2010/05/31 00:42


 序の幕 その弐





 一人の少女が風に揺られている。
 ふらふらと。
 ゆらゆらと。
 風が吹くたびに彼女の体はぎしぎしと柱の軋む音と共に揺れて、時折彼女の足が昨夜の雨に濡れた窓硝子を叩く。
 彼女の足に押されて揺れ動く部屋の窓は、部屋の内側へ向かって開け放たれている。そこから覗く空は昨夜の名残を受けてどんよりと暗く曇っており、トリステインの魔法学院に暗い影を落としていた。
 ほたり、ほたり。
 濡れそぼった彼女の細い白い足から滴が落ち、音を立てて床へと沁み入っていく。
 春にしてはあまりにも暗い、闇にもにた薄暗がりの中。
 墨炭のごとく音を立てて滴は部屋を染めていく。

 黒い部屋のなか、その半身を暗い影に侵された少女は、先ほどから一言もしゃべらない。
 まるで趣味の悪いスカーフを巻きつけたみたいな不格好な姿で、天井の梁からぶら下がり、さっきから風に任せて揺られているだけ。
 表情は長い桃色の髪に隠れてうかがうことはできないが、その身にまとわせる雰囲気はまるで自分の眼下にいる者たちを嘲笑っているかのよう。
 その証拠に、死してなお髪の間から覗く彼女の口元はまるでけだもののように吊りあがっている。

「ミスヴァリエールなぜだ! なぜこんな」

 そんな彼女を見上げながら男が目に涙を堪えていた。
 血が出るほどに握りしめた拳は彼の無念さの現れだ。
 地面に禿げあがった頭を擦りつけながら、嗚咽をかみ殺す男の姿は無様の一言。
 この男がかつて一つの村を炎に沈めたと言っても、信じる者など居りはすまい。
 男の名はジャン。
 ジャン・ジャック・コルベール。

 かつてアカデミーの実験小隊に所属していた炎の蛇であり。 
 そして今はトリステインの魔法学院で教鞭を振るう生粋の教師であった。

 もう二度と人が死ぬところなど見たくない。
 そう望み、かつての自分を捨てた男は、今再び絶望の底へ叩き落とされた。
 
 ずっと彼は気にかけていたのだ。
 不出来ながら努力を惜しまない少女のこと応援し、いつかその努力が実を結ぶことを祈っていたのだ。
 だから少女が使い魔の召喚に成功した時は我が事のように嬉しかった、教師が生徒の一人を贔屓する訳にはいかないので型に嵌った祝いの言葉を贈ることしかできなかったが。
 それでもコルベールは嬉しかったのだ。
 ルイズと言う少女が、幾多の失敗と絶望を振り切って輝ける明日へと歩んでいくことが。
 僅かなりとも血に汚れた自分の手でその手助けができると言うことが。
 コルベールは、嬉しかったのだ。

 だがその歓喜は反転した。
 希望は真っ黒に塗りつぶされた。
 あたかも闇に満たされた洞窟を抜けた先に見えた光が、灼熱の煉獄の罪人を焼く業火であったかのごとく。
 今、コルベールの心を満たしているのは、途方もない無力感と、絶望と、そしてこの上ない虚無感だった。

 もし――コルベールは考える。
 自分が少しでもルイズの変調に気づくことができていたら。
 僅かでもルイズの気持ちを理解できていたら。
 微かでも己の心をルイズに伝えることができていたら。

 そこまで考えてコルベールは頭を振った。
 すべてはもう遅いただの戯言。
 落ちた卵が、こぼれたミルクが元に戻らないように、死んでしまった命はそれこそ始祖の奇蹟にでもすがらない限り戻りはしないのだから。

 それでも、コルベールは思ってしまう。

「これからだったではないですか」
 
 鼻水を啜り袖で涙を拭う。

 これから、そうこれからなのだ。
 本当ならば今日この日から、少女にとって輝かしい日々が始まるはずだったのだ。

 昨日の使い魔召喚の儀で幾度も失敗の末――――ゼロのルイズは使い魔を召喚した。
 成功したのである。

 これが召喚に失敗し、永遠に不能〈ゼロ〉の烙印を押され、魔法学院を退学になったと言うのならばまだ理解ができる。
 だがルイズは昨日確かに数十回の失敗の果てに真っ黒な一匹の猫を呼び出し、己の使い魔とすることに成功したのだ。
 その左の前足に刻まれたルーンも確認し、それが珍しいものであった為、夜を徹して書物を当たっていたところへルイズの死体が見つかったと報せが飛んできたのである。

 だからわからない、昨日あれほど嬉しそうに使い魔を抱き上げ、満面の笑みで名前を考えていたルイズが首を吊るなど……

「考えられない、彼女が自殺などするはずが……」

 ――まさか、他殺……なのか?

 ぼそりと呟いたその考えに、彼は戦慄した。
 それはあまりにも恐ろしい考えだ。
 自分の生徒に、あるいは同僚や使用人たちに人殺しがいる、などと教師としてはあまりにも罪深い思考である。
 だが彼にはそれを否定しきるだけの根拠はなかった。
 人はあまりにもたやすく人を殺すことができる、嫉妬であれ、憎悪であれ、義務感であれ。
 何がしかの理由があれば、あとは背中を軽く押されれば――――木の枝でも手折るように人は殺せてしまうのだ。
 血に染まった彼の半生が皮肉にもそれを裏付けてきた。
 だがそうであるとするならば、もし仮にこの学院のなかにルイズを殺した者がいると言うのならば。
 一体、誰か?


「こいつぁ、惨い」

 その言葉にコルベールは背後を振り返った。
 カラン、カラン。
 木でできた異国の靴が軽やかな音を響かせ、その場にいる者達の耳を叩く。
 身に纏った蒼い衣服に踊る奇怪な文様が、その場にいる者達の目を狂わせる。

 背中には巨大な行李、そしてその顔には血で描いたような紅が引かれていた。
 それはまるでここより遥か遠い地の芝居で用いられる“隈取”のようで、もし此処に本来ルイズに召喚されるべき少年がいたのなら、
『五右衛門みてぇだ』と喩えていたかもしれない。

 だが何より周囲の者たちの目引いたのは。

「エ、エルフ!?」
「エルフだ、エルフが出たぞ!」

 切れ長の眼と、尖った耳。
 それは始祖ブリミルを奉ずる文化圏のなかでは、悪魔と同じ意味を持つ。
 鋭い悲鳴、これまで野次馬としてルイズの部屋を取り巻いていた生徒達は我先にと出口へと殺到する。
 押し合い、へし合い、猫から逃げ出す鼠の群れのように。
 声を上げ、恐怖に顔を歪めて。

 ある者は階段から。
 ある者は杖を振るって窓から。

 自分たちですらどこへ行くのかわからず、闇雲にただ逃げていく。

 中には冷静に事態を見つめながら、けれど厄介ごとは御免だとばかりに静かに去っていく男子生徒や。
 群衆にもみくちゃにされ、使い魔の巨大なムカデに助けられてそのまま運ばれていく女生徒や。
 或いは、ずっと沈痛な顔で必死で人の波に抗おうとするメイドや。

 一部の奇特の人材もいたが、僅かばかりの時間が過ぎた後その場に残った者は。


 皆無。

 
 いや、閑散とした廊下の吹き抜けから一人の少年が顔を出し。
 開け放たれた窓枠から鮮やかな蒼の髪を靡かせながら一人の少女が廊下へと降り立ち。
 燃えるような赤毛の少女が、ドアの陰から姿を見せた。
 口火を切ったのは赤毛の少女。

「エルフが、こんなところに何の御用かしら」

 彼女は扇情的に着崩した制服から覗く胸の谷間から杖を引きぬくと、男の背中へと突き付けた。
 その口調は丁寧で、顔には笑顔が張り付いているが、その笑顔はどうしようもないくらい歪だった。
 ――どうやら他殺かもしれないと言う結論に至ったのは、コルベールだけではないようだ。

 爛々とその目に殺意を帯びた微熱が燈る。
 もしなにかあれば即炎の柱にしてやる、そんな気迫がありありと見てとれた。
 その暗い情熱が燃える瞳を冷たく受け流し、男は一言言葉を放つ。

「エルフ? そんなものは知りません、私はただ“薬売り”ですよ」

 己はただの一介の薬売りに過ぎない。
 そう、静かに言い放つ。
 実際男の体からは様々な漢方薬の入り混じったなんとも言えない芳香が漂っているし。
 背中の行李も薬箱と言われれば、確かにそう見えないこともない。
 だが、その言葉をいきなり「はい、そうですか」と信じられるような人物は此処にはいないようだった。

「き、君。く、薬売りだと言うのかい?」
「ええ、淋病から水毒、痔に癲狂。万の病に効く薬を取り扱ってございます」

 胡散臭いにもほどがある。

「たとえば、そう……そこの方、こちらの毛生え薬などは、いかがですか?」

 コルベールは脂汗が浮いた頭をてかてかと光らせながら、薬売りに問う。
 その顔が若干赤いのは、興奮しているからか。
 或いはほんのわずかなりとも薬売りが商っていると言う毛生えの薬に、興味を示してしまったことを恥じてのことか。

「その薬売りがこの魔法学院になんの用があると言うのかね」

 薬売りの男は視線を未だに吊られたままの少女へと移動させた。
 釣られて、その場の全員が死体となった哀れな少女を見た。
 彼女は、当たり前の話だが先ほどから全く変わらない姿でふらふらと揺れている。

「モノノ怪が、出るようですので」

 向き直って薬売りはそう告げる。
 影を纏い、メトロノームのように揺れる少女を背に。
 薬売りは宣言した。



 タン




 一刻後、そこには縛りあげられた薬売りの姿があった。 

「エ、エルフの割にはかっ、簡単に捕まえられましたね」
 
 手にした薔薇でおっかなびっくりこちらを突っついてくる金髪の少年へ振り返りもせず、薬売りは云った。

「だからエルフじゃあないと、何度も言っているじゃあ、ありませんか」
「馬鹿を言うんじゃないよ、君がエルフ以外の何だと言うんだい?」

 確かに尖った耳を口元の牙、そして奇怪な風体はどう見てもブリミル教の加護を受けた者には見えない。

「ですから、ただの薬売りですよ」
「じゃあこの“剣”はなんだと言うの!」

 薬売りの持ち物を検分していたキュルケが声を上げ、手にした剣を薬売りへほうり投げる。
 投げ渡すように放り投げられた朱塗りの剣は、薬売りの着物にあたりぽふんと音を立てて床へ転がった。

 ごとり

 板張りの杉材の床の上に転がった剣、その鞘には幾重にも幾重にも奇怪な札が張られている。
 まるで何かを封じるように厳重に巻きつけてある。
 札に書かれた文字と文様はハルケギニア語とはまるで似ても似つかない、あまつさえその柄には“鬼の顔”細工が付いている。
 ディティクトマジックに反応はしないが、素人が一見しただけでも尋常な品物でないことは明らかだった。

「それでね、斬るんですよ」
「きっ、斬る……!?」
「ええ、斬るんです」

 すっと薬売りは目を細める。
 何か見えない存在を、見ようとでもしているかのように。 

「モノノ怪を、ね」
「――っ! またモノノ怪なんて世迷言を」

 突き付けられた杖を前にして薬売りはその表情を微動だにさせない。

「おお、怖い怖い」

 まっすぐに睨みつけるキュルケの紅蓮の瞳を見つめ返す――するとキュルケの褐色の頬に僅かな赤みが差した。
 つい、とそっぽを向いたキュルケから薬売りは再び首を吊って少女へと視線を移動させた。

「私は、ただの薬売りだと何度言えば分っていただけるのか」
「もし仮にそれが本当だとしても、人死にが出た場所に部外者が立ち入って良いはずはありませんぞ!それに言うに事欠いてモノノ怪などと……」

 コルベールの言葉に薬売りはその場を立ち上がった。

「な、何を……」
「どうか、お静かに」

 薬売りは目を閉じ、何かを探る用に耳を凝らす。

 ――遠く遠くどこか遠くで、ぴちゃりぴちゃりと何かを啜る音が鳴る。

「これは……」

 薬売りの白いその眉間に皺。
 何かを考え込むように苦悩を深めた薬売りの袖を引く人物が一人。

「薬」

 蒼い髪を短く切りそろえた小柄な少女だ。
 手には身の丈ほどもない長い杖を持っている。
 彼女は、名を、雪風のタバサと云う。

「エルフの毒の解毒薬を探している」

 少女は氷のように冷めきった瞳の奥に僅かばかりの期待を灯し、薬売りへと問いかけた。

「解毒薬ですか、それでしたら色々と持ち合わせはありますが、生憎と私は医者ではないので症状をみてみないことには……」
「――連れていく」

 そう言うと雪風の少女は大きく息を吸い込んで指笛を鳴らす、ピュィィィィィと言う音が遠くまで響き渡り、きゅぃぃぃぃぃと言う鳴き声が帰って来た。
 廊下の窓枠に前足を掛けて、一匹の蒼い風竜がつぶらな瞳で不思議そうに薬売りのことを覗きこんでいた。

「いけません!せめて王都から検分役の方が来るまでは此処はこのままにしておかなくては……」

 コルベールはそう言って静かに部屋の扉を閉じた。
 自分の生徒の無残な姿をこれ以上見たくない、そう思っての行動だったのだろう。
 だがパタンと軽い音を立てて扉が閉じた瞬間、剣が唸った。
 まるで何かを告げるかのように、カタカタと震えだす。
 行李のなかには、人知れず天秤が傾いている。

「これは!?」

 剣が示す方向へと視界を向ける。
 無人となった廊下を駆け抜ける、一人の男と目があった。 

「そこを、通してくれないか?」







[19212] 序の幕 その参
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:9885ea38
Date: 2010/05/31 19:14
 序の幕 その参

            
  

 ルイズが死んだ。
 そう聞いても、僕は欠片も信じることはできなかった。
 自分の目で確かめに、とある用事を済ませたその足で魔法学院に急行した。
 本来魔法衛士隊に魔法学院の捜査権はない。 
 この件が終わったら独断専行で何がしかの沙汰が下るだろう。
 だがどうしてもできなかったのだ。
 ただ何もせずその場で待っていると言うことが。
 ――僕には、出来なかったんだ。

 学院に着くなり、愛騎であるグリフォンから飛び降りた。
 懐かしい石畳の床を踏み、幾度潜り抜けたか分からない門を潜る。
 固定化で保存された校舎はなにからなにまで記憶の中と寸分変わりない。
 授業の度にうっとうしいと思っていた無駄に広い廊下も、毎度のように新入生を迷わせる吹き抜けも。
 そして嫉妬と嘲笑で粘つくようなこの幼稚な空気も。

 何も、変わりはしなかった。
 あの日と違うのは、僕がこの学院の一員ではなく、外から無理に押し入ってきた異邦人であることと。
 そして学院全体がどこかきな臭い静寂へと沈んでいることであろう。
 ――嗚呼、いらいらする。

 折りしも朝からずっと続く微熱は体を火照らせ、ただでさえ血が上った頭を焼けつくばかりに茹で上げる。
 熱は胸へ。
 動悸は痛いくらいに高鳴って、喉はカラカラに乾いていた。
 時々、目の前が白く染まる。
 心の奥にある熱く黒く重い何かが、時間が経つことに膨らんでいく。

 足取りは次第次第に早くなり、いつしか僕は駈け出していた。

「ルイズ、ああ、ルイズ」

 景色がすごい勢いで後方へと過ぎていく。
 思い通りに動かない二本の足が鬱陶しい。
 この僕の体の一部だと言うのに、どうしようもない木偶の坊。
 人になりそこなった、出来そこないの葦の束。
 いっそ斬り落としてやろうか――真剣にそんなことを考える。

「ルイズッ……!」

 赤毛の女。
 蒼い髪をした小さな少女。
 縄で打たれた奇妙な男。
 禿頭の男。

 そして黒い――猫?

 まるで部屋を守る用に一匹の猫がルイズの部屋の前に座っている。
 これが、ルイズが召喚したと言う使い魔、だろうか? 

「そこを、通してくれ」

 そう言っても猫はそこをぴくりとも動かない。
 此処が我の定位置なり、と言わんばかりに扉の前に立ちふさがっている。
 そうかどうしても通さない、と云うのなら……

「ああ、王都から参られた衛士の方でございますかな?」

 ハゲが何かを言っている。
 いきなり話しかけられて、何をしようとしていたのか忘れてしまった。
 私は一体、何をしようとしていたんだったか?

「ああ、ジャン・ジャック・フランシス・ワルドだ」
「それはそれは、お早い対応、誠に感謝致します」
「ところで、ルイズは……」

 ハゲは項垂れると、目の前の扉を指差した。
 改めてヴァリエール家の家紋が吊るされたちっぽけな扉を見る。
 ――黒猫は? 何処へ行った?

 ほんのわずかな時間目を離しただけなのに、先ほどまでルイズの部屋を守る様に頑として立ちふさがっていた黒猫は、いつの間にかどこかへ消え去っていた。

「痛ましいことです……」
「では、本当に、ルイズは死んだ、のか?」

 こくりと、沈痛な顔で禿頭の教師は頷いた。
 僕にはそれがどうしても信じられなかった。
 足から力が抜け、その場にへなへなと崩れ落ちた。
 力任せに床を引っ掻く、爪の先に入った木屑が鬱陶しかった。 

「もしやヴァリエール嬢の知己の……」
「ルイズは、僕の婚約者だった!」
「それは……」

 どうしてだルイズ、どうして君は死んだんだ!

「ならばせめて、あなたの手で」

 そう言って『コルベール』は、扉に手を掛け。

「やめろ、それを開けるな!」
「えっ?」

 縛られた男が何か叫んだがもう遅い、扉は開いた。
 開いてしまった。
 そこは一面の血の海だ。
 黒く焦げた死体の破片と臓物の一部が散らかる、一面の腐海の底。
 その中央で、愛しい愛しい僕のルイズが優しくその顔を綻ばせていた。
 
 ――ああ、生きている。

 やはりルイズが死んだと言うのは嘘だったのだ。
 そうだルイズが死ぬ筈がない、他でもないこの僕が必ず守ると誓ったのだから。

「ああよかった、本当によかった。君が死ぬなんて、そんなことは絶対にあり得なかったんだ」

 ゆっくりと僕は赤い景色のなかに踏み込んでいく。
 ただ何かおかしい。
 ルイズは何かを悲しむように俯いて、その桃色の髪に隠れて表情は見えない。
 だと云うのに、なぜ僕はルイズが微笑んでいるとわかるのだろう?

「遅くなってすまなかったねルイズ、やっと迎えにきたよ」

 そう言って僕はルイズに左腕を差し出した。
 ルイズは、その唇を耳まで裂けるほど吊りあげて笑った。

「やめろ、取りこまれるぞ!」

 にゃあお

 ――どこかで、猫の鳴き声が聞こえた気がした。

 








「ぐぅううあああああああああ!?」

 恐ろしい悲鳴が上がった。
 僕には見ていることしか出来なかった。
 いきなりやってきた髭のメイジ、僕の記憶が確かならルイズの婚約者ではなかっただろか?
 以前一度食堂でルイズの胸のロケットに入っていた似姿を見たことがある。

 ――へぇ、あなたみたいな娘と婚約なんて、可哀そうな人もいたものね
 ――うるしゃいうるしゃい!、子爵さまはとっても素敵な方なんだから

 そう言って、キュルケに自慢するほどだから、よっぽどの相手なんだろう。
 あの〈ゼロ〉のルイズにもそんな相手が居たとは、と。
 モンモランシーと一緒に相当驚いたことを覚えている。
 その件の婚約者の腕が、飛ぶ。
 茫然と見ていた僕の目の前でくるくると放物線を描いて、鍛え上げられた腕が宙に舞い。
 そして僕の手の中に落ちた。
 顔には濡れた感触。

「ひっ、ひぃ!?」

 頭の中が真っ白になり、慌ててそれを放り出した。
 べしゃりと腕が地面に落ち、扉の奥の暗がりへ引き込まれていく。
 
 ベキ バギ ボギリ

 
 ルイズの部屋の中から、何かを砕くような音がする。
 一体なにが起こっているのか、僕には全く分からない。
 
「一体、何が……何が起こったんだ!?」
「こいつぁ、モノノ怪だ」

 薬売りと名乗った男ははその場ですくっと立ち上がる。
 はらりと縄が自然にほどけた。
 一体どうやって? しっかりと縛った筈なのに。

「もっ、モノノ怪……?」
「はぁっ!」

 薬売りが懐から紙を取り出し、ルイズの部屋の扉に向かって投げつける。
 紙はまるで吸いつくように扉に張り付くと、その表面に黒い文様を浮かび上がらせる。

「封!」

 まるで目のような文様が目を見開くような形へと変化し、途端にその色が真っ赤に染まった。
 一体どうやっているのか? これがエルフの先住魔法なのだろうか?
 扉の向こうからは、ガリガリと何かをひっかくような音がする。
 この扉の向こうには何がいる?
 決まっている、それは……

「ルイズ……ルイズゥゥゥ」

 ワルド子爵が壁に取りつき、残された腕で壁を引っ掻いている。

「よせっ、今度こそ命はないぞ」
「危険です、下がって」

 コルベール先生がワルド子爵を後ろから羽交い絞めにし、扉から引き離す。
 だがワルド子爵は一層激しく、扉へと縋りついた。

「ルイズが、ルイズが呼んでいるんだ。邪魔をするな」

 一体なにがそうさせるのか、僕には分からない。
 けれど想像することなら僕にも出来るかもしれない。
 愛しのモンモランシーが、もしルイズみたいになったら……
 それは想像すらしたくない、未来だ。
 だがもし、もしも……モンモランシーがあんなに無惨な死にかたをして。
 そして死んでまで僕を呼ぶのなら……僕は。

「にゃん」

 その時、足元で小さな鳴き声がした。
 見下ろせば小さな黒猫が、僕の足元にちょこんと座っていた。
 可愛らしいその姿に、心の中の暗雲が少しだけ薄れたような気がして、僕は少しだけ口元を緩めた。

「お前、何処から入って来たんだい?」

 屈んで、その猫の頭を撫でてやる。
 猫は気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らすと、そのオパールみたいな瞳で僕を見た。
 吸い込まれそうな、深い深い黒。

「ほら、こんなところにいては、危ないよ」

 そう言って僕は猫を抱え上げようとして、
 
「あぶないっ!」
「へっ?」

 頭の上をすごい勢いで通り過ぎていったナニカの気配に、全身の毛が総毛だった。
 まるで死神が首筋を翳めていったみたいだった、或いは体中の血が凍ってしまったふうにも思えた。

「えっ?」

 振り向く。
 ワルド子爵が仰向けに倒れていて、その傍には“足”が転がっていた。
 なんの変哲もない、成人男性の足が二本。
 膝のあたりから何かに噛みちぎられたような酷い形になって、横倒しに転がっていた。
 確か、あそこに居たのは……

「コルベール……先生?」

 嘘、だろう?
 だってあのコルベール先生が――死んだ?
 いや、だって、さっきまで……え?

 ぱたんと、足が倒れる。
 食いちぎられた傷口が僕の方を、赤い、赤い、まっかなにくが……

「う……え……」

 胃が蠕動に口の中にすっぱい味が広がる。
 さっき食べた朝食が、喉元まで競り上がり――けれど僕はそれをかろうじて抑えた。

 だって、ほら、すぐそこに。

「なによ、なんなのよこいつ!?」

 キュルケが叫ぶ、視線の先にはまるで二つのランタンが浮かんでいるみたいに、禍々しく光る二つの輝き。
 いつの間にか日は陰ってあたりは暗く、影に沈んだ廊下で……ほら、まるで猫の目のように……

「こいつは、モノノ怪」

 からんと、奇妙な形の靴の音を響かせて薬売りは一歩前へ出た。

「モノノ怪を成すは、人の因果と縁」

 闇の奥で、二つの目がシャァァアアアアと鳴き声をあげる。
 それはまるで猫の吠え声のようだった。
 不安に思い、なんとかこの猫くらいは守ってやろうと思って手を伸ばす。
 だが伸ばした手は空を切り、見回した先にはどこにも黒猫の姿なんてありはしなかった。
 いつの間に消えたんだ……?

「モノノ怪は斬らねばならぬ!」

 薬売りは先ほど使った紙の束を今度は両手で掴むと、まるで嵐のように二つの光に向かって投げつけた。
 てんでばらばらに投げつけた筈なのに、その紙の束は空中で整列すると、幾重もの壁となって化け物――モノノ怪の前に立ち塞がる。
 これならばモノノ怪も、一溜まりもないだろう。
 そう思ったのに…… 

「なにっ!?」 
 
 モノノ怪は側面の窓硝子の中に飛び込むと、その身体はまるで壁に映し出された影絵のように薄っぺらい平面になった。
 硝子の上を滑る二つの目と、まるで豹のような獰猛な肉食獣のシルエット。
 モノノ怪は一瞬でぼくらの後ろ側に回り込むと、再び廊下を覆い尽くす巨大な闇に浮かぶ目となって僕たちに向かって迫ってくる。
 
「ワ、ワルキューレ!」

 震える腕を振るい、なんとか二体のワルキューレを生成。
 ほんの少しでも足止めになれば……と思ったが、無駄だった。

「ああ、ワルキューレが……」

 暗い闇の中に一飲みでワルキューレが飲み込まれる。
 ガチャバキボキリと音がして、ぺっと音を立てて吐き出されたのは唾液混じりの奇形なオブジェ。

「下がって!」

 薬売りが飛び出し、両手でモノノ怪を受け止めた。
 だがモノノ怪の身体を形成している闇が、次第に薬売りの両手に沁み込んでいく。
 
「ぐっ……」

 苦悶の表情を浮かべる薬売り、この様子だと長くは持ちそうにない。
 もし薬売りがこのままモノノ怪にやられてしまったら、僕たちを守ってくれるものはなにもない。
 このままだと、僕も、僕も、あんな無茶苦茶にされたワルキューレみたいに風に……
 いやだ、いやだ、ぼくはまだ、死にたく、ない。

 ――にゃん

 その時猫の鳴き声で僕はふと背後を振り返った。
 そこにはさっきの黒猫が、扉の開いたルイズの部屋のなかからちょこんと顔を出していた。
 そうだ、此処なら……でも、中には、いや……

「中だ、部屋の中へ逃げるんだ!」

 そう言って僕は手近な札を一枚引っぺがすと、それを手に部屋の中に飛び込んだ。
 このまま死ぬくらいなら、せめて生き残る努力をするべきだと思ったのだ。
 それに勝算がない訳じゃない。
 モノノ怪がこの中から出てきたのなら、きっと今この中はもぬけの空に違いないと思ったんだ。

「承、知――眼くらましを、お願い、したく」

 苦しそうな声で薬売りは言う。
 キュルケは音もなく頷くと、ルーンの詠唱に入る。
 息を殺して、拳を握る。

「一つ……」

 扉を開き

「二つ…………」

 薬売りが渾身の力でモノノ怪を押し返し

「三つ………………!!!」

 キュルケの“発火”と共に。
 僕らはルイズの部屋の中に飛び込んだ。 




[19212] 弐の幕 その壱
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:e8cf8d4c
Date: 2010/06/01 16:26


 消えた黒猫
 消える死体
 消えていく友人たち

 悲嘆と好奇に揺れる魔法使い達の園に響くのは、悲しげな猫の鳴き声一つ。
 絶望と復讐に揺れる孤独な男の心の裡に響くのは、郷愁に満ちた想い出一つ。

 一人の少女が死に
 一人の男が嘆き
 一匹の猫が吠えた時 

 現れ出でたるはモノノ怪の形は 化猫


 目に見えるもの、見えぬもの
 雁首揃えて すべてが虚実ならば


 その裏側に潜む真と理

 お聞かせ願いたく候





    弐の幕  その壱




「さて、あれは、なんなの?」

 さすがにルイズを吊られたままにしておくことは、あたしにはできなかった。
 ルイズの部屋で厳重に薬売り曰く“結界”を施し、ぶら下がっている“ルイズ”をベットの上に横たえ。
 ワルド子爵様と薬売りに治癒を施し、ようやく私たちは一息つくことができた。

 そしてなんとか一息つくことが出来れば、今まで考える余裕のなかった事がいっぱい頭に浮かんでくる。
 
 あの化け物はなんなのか、とか?
 どうしてルイズは死んだのか、とか?
 
 あたしは、ベットでシーツに包まれ横になっているルイズを見た。
 正直に言うと、あたしは死体なんて見たのは初めてだ。
 首吊りはすごく死体が汚くなると言うけれど、ルイズはちっともそんなことなかった。
 まるでただ眠っていて、今にも起き上がってきそうなほどで、言い方は悪いけど、綺麗な死に方をしていた。
 ――ねぇルイズ、あなたはどうして死んだのよ?

「あれはモノノ怪、人の想いから産まれたモノ」

 車座になり、薬売りはゆっくりと話し始める。

「怨み、辛み、悲しみ、激しい人の情念がこの世ならざるモノと結びついた時に生まれるモノ……人の世にあってはならぬモノ」
「なら斬ってくれ!斬れるんだろう、この剣で」

 ギーシュが取りだしたのは先ほどの鬼の顔がついた剣だった。
 先ほどまでの騒ぎのせいか、ゴテゴテを巻かれていた封印はすべてはぎ取られていて、その装飾が成された朱塗りの鞘と柄がよく見えた。

「今は、斬れない」
「な、何故……」

 何を言い出すのか?
 こいつはモノノ怪を斬るために、ここにやってきたのではないのか?

「退魔の剣、こいつを抜くにはモノノ怪の形と真と理が、必要でして」
「か、形と真と理」
「そう、真とはことのありさま」

 ――すなわち、いかにしてモノノ怪が生まれるに至ったかと言う因果

「理とは、こころのありさま」

 ――すなわち、モノノ怪を生み出すほど大きな、誰そ彼の想いと云う縁

「そして形は、どうやら見えてきたようでございますよ」

 薬売りは手の中に真っ黒な短い毛を摘まんでいた。

「こいつは、“化猫”だ」
 
 魔法のランプに照らし出された薬売りの顔。
 その表情は影になり、まるで演劇の舞台で使う仮面のよう。

「そしておそらく、化猫の真と理は、この貴族のご令嬢の死に、深く関わっておられるかと」

 不気味で、妖しく、しかしどこか艶めいて……

「ライト」

 あたしの表情がよほど不安そうに思えたのか、タバサがライトの魔法を灯してくれた。
 ありがと、タバサ。

「故に皆々様、“化猫”の真と理――お聞かせ願いたく」
 


 
 そうして私たちは話を始めた。
 淡い明かりを囲み、一人一人ルイズについて話すその様はまるで千夜一夜の百物語。
 一番最初はこの私。
 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーから。
 
 私は遠い遠い昔を思い返し、今は亡きヴァリエールに想いを馳せる。
 あたしが初めてルイズに逢ったのは、今を思い返すこと七年ほど前だったろうか。
 
 そうだ、確かその頃だ。
 まだ幼い少女だったあたしが。
 死んだような眼をしていた、桃色の髪の乙女に出会ったのは。


 確かあの日は、人生で出来た三人目のボーイフレンドとのデートの約束をしていた。

 どんな服を着て行こうか。
 どんな化粧をしていこう。

 さんざん考えてところにお父様から渡されたのは、真っ黒なドレスといつもお父様がする呟くような言葉だった。

「ヴァリエールの二の姫様が亡くなられた」

 いくら憎き仇敵と言えど、いや仇敵だからこそ貴族としての体面がある。
 普段から小競り合いは起きているし、挑まれた戦争〈ケンカ〉も望むところと公言して憚らないが、しかしそれがあまり大きなものにならないように交渉できる準備はしておかねばならない。
 周囲の貴族から本気で憎まれていては責任ある貴族は務まらないのだ、よくお父様はそう言っていた。
 いくら仲が悪くても、身内の不幸にだけはせめて弔いの言葉くらいは言いに行く心遣いが、上に立つ者には必要なのだと。
 だがそんあ理由があろうとも、わざわざデートをキャンセルしてまであのヴァリエールへ弔問へ行くなんてことは当時の私には不服以外の何物でもなく。

 結果として、私は陰気な葬儀を途中で抜け出し、ヴァリエールの屋敷の庭でなんともなしに空を眺めていた。
 黒い喪服の身につけて、広い広い庭をとぼとぼと歩いていく。
 式を抜け出してはきたものの、あたしは何かすることがあった訳じゃない。
 要するに暇で暇でしょうがなかった。
 だからこうして、見るともなしに空を眺めていたのだ。

 その時、おかしなものを見つけた。

「ん?」

 見上げた先、屋敷の屋上から張り出したテラスの欄干に人の姿があったからだ。
 見た目からして私より二つか三つくらい年下だろうか? 真っ黒な服を着て、桃色の長い髪を風に吹かれるに任せている。
 狭い欄干の上、彼女は危なっかしいふらふらとした足取りで、空を見上げていた。
 ――まさか飛び降り!?

 なぜそう思ったのかは分からない。
 或いは、放っておいたらそのまま死んでしまいそうな雰囲気を放っていたからかもしれない。
 
 その時のあたしは、声を掛けるより前に行動に移っていた。

「フライ!」

 杖を振るい、飛び上がる。
 つい先日やっとラインに上がったばかりの精神力はふり絞り、私は一直線に欄干の上の女の子へと向かった。

「ちょっと、何馬鹿なことしようとしてるのよ!」
「へ?」

 きょとんとした顔で女の子――ルイズはこちらを振り向いた。
 その顔は一体全体何が起こったのか? まったくもって理解していない表情だった。
 少なくとも、これから死のうとしている人間の顔ではない。

「へ?」

 そのことに私は思わず面食らい。
 まだ使い慣れない、全力のフライのコントロールを誤った。

「うわっ、ちょっとなによ、あにゃ……」

 ごっつんこ

 
 この辺りは、少し思い出したくない。
 それから少し時間がたってから、私達は互いに自己紹介を終え、テラスで膝を抱えて座りながら、二人で空を見ていた。

「そう、あなたがツェルプストーの……」

 そう言ってルイズは、力のない瞳で私を見た。
 まるで小動物が相手に害があるかないか、怯えながら探るような目線。

「想ってたのと、随分違うのね」

 そのことに少しだけ腹が立った、聞けば年も同い年だそう――こんなうじうじしたのが自分の好敵手候補だなんて、張り合いがないにも程がある。
 子供らしいそんな短絡的な考えで、あたしはその時すごく残酷なことを言ってしまった

「ええ、私もヴァリエールがこんな軟弱なんだとは思わなかったわ」

 もしルイズがいつも通りなら、此処で取っ組み合いの喧嘩になっていただろう。
 だがルイズはこの時深く傷ついていた。
 だから反発を望んで吐いた筈の言葉が、強かにルイズの心を打ちのめしたなんて。
 あの時のあたしには、分からなかった。

「そうね、本当に……」

 そうしてルイズは真っ黒な喪服の膝に顔を埋め、消え入るような声で。

「ちぃねえ様の代わりに、私が死ねば良かったのに」





「それからは学院に入学するまで一度もルイズとは会わなかったわね、でも久しぶりに会ったルイズは、私が張り合うに相応しい貴族に成長してた」

 だから色々言ったりした、全然膨らまない小さな胸のことでからかったりした。
 けれどだからわからない、何故ルイズは死に。
 あのモノノ怪とか言う化け物が生まれてきたのか。
 薬売りの言葉によると、あのモノノ怪はルイズの強い強い想いが産み出したものだと言う。
 ルイズ、あなたは一体何を想って死んだと言うの?

「あと思い当たることと言えば……」
「ルイズの二つ名」
「確か〈ゼロ〉のルイズでしたか、学生たちがそう嘯いているのを耳にしましたが、それは如何なる意味で」

 そう、それは公爵家の娘でありながら魔法が使えないルイズに付けられた侮蔑の言葉。
 思えば、ルイズには友達はおろか悩みを相談する相手も、愚痴をこぼす相手もいなかったのではないか?

「魔法の成功率殆ど〈ゼロ〉のルイズ」

 誰もが当たり前に使える魔法が使えない。
 それがどれだけ苦しいことなのか、あたしは本当に心の底から考えたことがあったのか?

「ほぅ、そこのお嬢様は魔法が使えなかったので?」
「けれどそれに絶望して自殺とは、僕には思えないな。ましてや昨日ルイズは使い魔の召喚できたんだ、みんなも覚えているだろう? 僕ぁあんな嬉しそうなルイズ初めて見たよ」

 そう言えば、あのルイズの使い魔は。
 ――――一体、どうなったのか?

 ペリッソンに任せっきりで今まで忘れていたけれど。
 せめてあの子だけは、元気になって欲しいと思う。
 ルイズの、大切な忘れ形見なんだから

「だから、自分の才能に絶望して、自殺……と言うのは……ないと、思うのだけれど……」

 だんだんとギーシュの声が小さくなる。
 それもその筈だ、この中の誰もルイズがどれ程悩んでいたかは分からない。
 分かるのは表面上のことだけ。
 公爵家の娘で、魔法が使えなくて、意地っ張りで、けど負けん気の強い。
 〈ゼロ〉のルイズって言う、一面だけ。

「そうです、か」

 こんな話が何かの役に立ったのか、薬売りは頷いた。

 ――かた、かたかた、かた

 その手のなかで剣が鳴っている。
 妖しい現象だけれど、特別なマジックアイテムならそう言うこともあるかもしれない。
 そう思っても不気味なことこの上ない。

 その時ふと、私は親友が小刻みに震えていることに気が付いた。

「タバサ?」
「こ、怖くない」

 タバサはそう言うと手の中の杖をきゅっと握りしめた。
 タバサこんな可愛らしいところがあったなんて、知らなかったな。 
 ひょっとしたらルイズにも……私の知らない一面があったのかもしれない。
 だから残念だ、ひょっとしたら友人になれたかもしれない好敵手の死。

 もし仮にルイズを殺した奴がいるのなら、それがモノノ怪だろうとなんだろうと……

「――殺してやる」

 心の中を見透かされたみたいで、思わずはっとする。
 そう呟いたのは先ほどから真っ青な顔で一言も喋らずに話を聞いていた、ワルド子爵だった。

「モノノ怪は殺せませんよ、既に死んでいるんですから」
「いや、僕には分かるルイズは殺されたんだ」

 ワルド子爵の瞳は暗く冥く濁っていて、輝きの失せたその瞳を見ているとまるで深淵を覗きこんでいるような気持ちになる。
 胸がざわざわと騒ぎ、不安で心臓がキュッと縮む。
 
「あの化猫はルイズの使い魔だろう……主人が殺され、怒り狂っているに違いない」
「ほぅ、貴方は猫がかたき討ちをしようとしているとおっしゃる?」

 確かに死んだ猫が魔法の力を身につけて、主人や自分に仇をなした人物へ仕返しをしにいく寓話は枚挙に暇がない。
 それでも実際猫が主人のかたき討ちをしたなんて話は過黙にして聴かなかった。

「そうだ、だが誰に意趣返しをすれば良いか分からず、あれほど怒っているのだろう」

 ワルド子爵は切り取られた己の左腕を撫でた。
 未だ十分な処置が出来ず、皆の制服を切り裂いた作った包帯にはしとどに血が滲んでいた。
 これほどの傷でもう動けるのは、薬売りの持っていた血留めの驚異的な効き目と、タバサの治癒だけではない。
 子爵本人の驚異的な精神力の成せる業なのだろう。

「奴に触れた時、その悲しみと無念をありありと感じたのだ。故に、奴の無念を晴らす為にはルイズを 殺した何者かを討たねばならない」

 そしてワルド子爵は牙を剥いて笑った。

「第一、ルイズを殺した奴がいるのならこの僕自身の手で八つ裂きにせねば収まらない!」 
 
 そう言ってワルド子爵は立ちあがった。
 残った右手にはしっかりと剣杖を握っている。

「此処から、出て行かれるおつもり、ですか?」
「ああ、こんなところで手を拱いていてもしょうがないからね」

 ちりん
 
 何処からか鈴が鳴る。
 見れば何時の間仕込んでいたのか、部屋の四隅に奇妙な形の物体が置かれていた。
 両端に鈴が付けられた扇状のあれは……天秤?

「でしたら、せめて夜が明けるまでお待ちいただいた方が」

 ――にゃあお

「よろしいかと」

 扉の向こう側で猫の声。
 その扉を睨みつけながら、薬売りは言った。
 





[19212] 弐の幕 その弐
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:9885ea38
Date: 2010/06/03 23:18
 弐の幕 その弐





 ――怖くない


 ぎしぎし かりかり


 ――――怖く、ない。


 扉の向こう側からは、時折なにかの気配がする。
 おそらく化け猫と言う化け物なのだろう。
 そう化け物だ――――けしてお化けではない。

 コクリと頷き、タバサはそう結論した。
 だからそう、けして怖くなどないのだ。

 だと言うのにこの身体の震えはどうしたことか?

「怖く、ない」
「何が怖くないんですか?」
「ひぅ!?」

 突然話しかけられ、タバサは飛び上がらんばかりに驚いた。
 ライトの魔法のか細い明かりに照らし出された薬売りの顔は、まるで感情と云うものを感じさせない。
 アルヴィ人形のようなその顔で、薬売りは言う。

「モノノ怪が、恐ろしいので?」
「こ、怖くない!」

 僅かにどもりながらタバサは薬売りに反論した。
 薬売りにはなんとも言えない、妙な威圧感がある。
 まるで彼だけがこの世界から切り離されているような。
 あるはずのないものを無理やりにはめ込んだような。
 どうしようもない違和感を感じさせずにはいられない。
 それは身に纏う異様な風体のせいか、あるいは……

「そう、ですか」
「な、何……」

 薬売りはタバサから視線を逸らすと、その後ろの虚空をじっと見つめた。
 そのまま つつつ と薬売りの視線が横へ移動する。
 タバサも釣られて背後に視線を送るが、当然そこには誰もいない。

「何を見ているの!?」
「さぁて、ふふふ」

 薬売りは表情を変えず笑う。
 タバサは背筋を走る寒気を抑えることに必死だ。
 一体、自分の後ろに、何がいると言うのであろうか?

「貴方は、何者?」
「ただの、そうただの薬売りですよ」

 また薬売りだ。
 どこの世界に退魔の剣を持ちモノノ怪を斬る薬売りがいると言うのか。

「質問を変える」
「どうぞ」

 タバサは考える、一体どんな質問がこの薬売りの確信に迫る言葉であろうか?と。
 逡巡の末、タバサが絞り出したのは……

「モノノ怪とは何?」

 と言うその言葉だった。
 初めから妙だとは思っていた。
 この世は『こんな筈でかった』ことに溢れている。
 無念を抱えたまま死んだ人間が皆モノノ怪になるのなら、この世はモノノ怪で溢れていなければおかしい。
 ならば何故ルイズだけが? 

「前にも言った通り、モノノ怪は人の心とこの世に遍く満ちる八百万のアヤカシが結びついた時に生まれるモノ」
「それが分からない、アヤカシとは何?」
「アヤカシとは人には理解できぬものの事、彼岸と此岸を境目に或るモノですよ」

 目に見えず、耳に聞こえず、されども確かにそこに居る。
 それではまるで。
 幽霊の。
 ようではないか。

「あるいは古い言葉で「ものの」は荒ぶる神のこと、「怪」とは病のことと言い、まるで病のごとく人を祟る怪異と言う者もおりますがね」

 そうして薬売りはほぅと息を吐いた。

「まぁ私としては、斬れるのならばモノノ怪の正体なぞなんでもいいのですが」
「――――!」
「どうしました?」

 この男は、自分でも訳のわからない存在を平然と斬っているのか?

「そんなに、汗をかいて」

 タバサは初めてこの薬売りのことを、怖いと思った。
 だってこの男は、タバサが苦手な幽霊のように。

「体調でも悪いのですか?」

 理解できない、存在なのだから。

「へ、平気」

 薬売りの手を振り払ったタバサの手は、小刻みに震えていた。
 だがその様子は、明らかに尋常ではなかった。
 薬売りが言うように、その白い肌は若干火照って桃色に染まり、表面には脂汗が浮かんでいる。

「ちょっとタバサどうしたの?」
「なんでもない」

 なんでもない訳ではなかったが、努めて――そう、最大級の努力を払って、タバサは鉄面皮の表情を維持してキュルケの問いに返した。

「でもそんなに汗かいて、それに震えて……」
「なんでもない」

 話を断ち切るよう頑なさで、タバサは言った。
 こうまでしなければ、この話は終わらないと思った。
 
 タバサの今の心境はこうである。


 ――トイレへ行きたい。

 自体は深刻であり、一刻を争う状況であった。
 タバサの下半身のラグドリアン湖治水管理人(仮)は、必死で堤防の決壊を食い止めようと悪戦苦闘していた。
 やはり朝食の最後に食べたハシバミ草のサラダ三皿のおかわりと、日課のミルクを二杯へ増やしたことが堪えたのだろうか?
 だがハシバミサラダのおかわりはともかく、ミルクはこの目の前の親友が悪いのだ。
 タバサは虚ろな目で、親友の持つ巨大な二つの富の偏在の象徴を睨みつけた。

 だがそんなことをしても何の意味もない。
 つい先ほどまで意識するほどでもなかった尿意は、既にタバサの精神を汚染するほどまでに侵攻していた。

 タバサは意を決して、杖を握った。
 やったことはない、やったことはないがやらざるを得ない。
 そう言うことはこれまで何度でもあった。

 方法だって、考えてある。
 ごくりと唾を飲み込むと、タバサは小声で呟いた。

「――錬金」






 すっきりした頭でタバサは考える。
 昨日の夜、ルイズの部屋を通りがかった際に感じた殺気は一体なんであったのか? と。
 確かに昨日感じたのだ。
 トイレに行った帰り道、ルイズの部屋の前を横切った際に。
 刺すような、底冷えのする殺気が自分に向けて放たれるのを。

 ルイズにあんな殺気を出せるとは思えないし、それに第一ルイズからそんな殺気を向けられる動機もない。
 タバサは特にルイズにとって思うところのない相手だ。
 ただの騒がしいクラスメイト以上の意味も、興味もない相手だ。
 だから死んだとしても困惑する以外には出来ないし、特にこれと言った感情もない。
 
 だが唯一、思うところがあるとするならば。
 ルイズを思う親友の悲痛な表情が、タバサには至極悲しかった。


 タバサは薬売りを見る。
 この事を薬売りに言うべきであろうかと?
 正直、この薬売りを言う人物のことをタバサはまだ信じ切れずにいた。
 
「そも、そも……何故、こんなに……タイミングよく」

 声が途切れ途切れになり、思考に白く靄が掛かっていく。
 覚醒状態から急速に眠りに落ちて行くこの感覚は、通常のものではあり得ない。
 必死に唇を噛んで堪えるが、意識は寸断されすぐに心地よいまどろみが暴力的なまでの強制力を持って襲いかかってくる。
 見れば周りの皆も、いつの間にかその場にくず折れ寝入っていた。

「しま……これは」

 ――――スリープクラウド〈眠りの雲〉!?

 その思考を最後にタバサは意識を失った。





 ――ふふ。
 

 動くものが何もなくなったその部屋で、一人の少女が起き上がった。


 ――――うふふふふ。
  





[19212] 弐の幕 その参
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:e8cf8d4c
Date: 2010/06/07 02:38




 ジャン・ジャック・フランシス・ワルドは夢を見ていた。
 自身が夢を見ていると自覚しながら夢を見ることはワルドは初めてだったが、特に驚くこともなく受け入れられた。
 おそらくこれもまた夢の中だからだろう。

 夢の中の情景は曖昧模糊としている。
 狭かった部屋が急に広々としたホールになったり、窓の位置が見るたびに変わったりする。
 部屋の中に寝そべっている動物たちの顔ぶれも変わる。

 獅子もいれば栗鼠もいる。
 大熊猫もいれば犬もいる。
 そして勿論、猫もいる。

 優しい優しいあの人の腕のなかで、前足に包帯を巻かれた黒猫が静かに寝息を立てている。

「この子の怪我もだいぶよくなったみたい」

 夢の中だからだろう。
 カトレアは記憶のなかにあるままの姿で、ワルドの前で微笑んでいた。

「あと一月もすれば、きっと歩けるようになるわ」

 どうしようもない欺瞞だった。
 その死に様はあまりにも無惨で、とてもではないがこんなおだやかなものでなかったから。
 カトレアは苦しんで、苦しんで。
 けれど――笑って死んだのだ。

「私がいなくなっても、この子をお願いね?」

 言葉に詰まったワルドに向かって、カトレアは言った。

「自分の身体のことですもの、自分が一番わかるわ」

 そうして笑顔でカトレアは手の中の猫をワルドへと手渡す。
 夢の中、胡乱に揺れるその中で、闇の固まりにしか見えないその生温かい塊をワルドは腕のなかに抱く。
 すやすやと眠る黒い猫。

 温かい気持ちになって、ワルドは微笑んだ。
 ただ一つ、疑問なのは。
 確かに記憶になるこの夢が、一体何時の出来事だったかわからないことだろう。
 母の死からずっと修行に明け暮れた自分が、カトレアに逢える筈などないのに。

 にゃあと腕の中の猫が泣いた。
 悲しそうに、悲しそうに泣いた。
 視線を落とす、そこに居たのは猫ではなく。


 わ・る・ど・さ・ま
 

 猫の体にルイズの生首がついた化け物が、ワルドに向かって囁きかける。
 悲しそうに、悲しそうに、囁きかける。

「ルイズ、違う、僕は……」

 ワルドは手の中の異形を必死で投げ捨てようとするが、しかしワルドの手は別人のものになってしまったようにびくともしない。
 手の中のルイズは、必死で逃れようとするワルドに向かって薄く微笑む。

「違うんだ、違う、違う……!」 
   
 ルイズの姿をした化け物は怯えるワルドに満足したのか、その耳にゆっくりと顔を近づけると。
 地の底からわき上がるような声なき声で呟いた。


 あ・な・た・は・だ・あ・れ?
 





「ルイ……ズ……」

 猛烈な頭痛と共にワルドは目覚めた。
 ぼんやりとする思考、眩む目線、胃の腑から湧きあがる嘔吐感を堪え、闇に落ちた部屋で眼を凝らす。

 目が会った。

「――――ルイズ?」

 ルイズが居た。
 その振り乱された濡れた桃色の髪から覗くのは爛爛と灯る真紅の瞳が一つ。
 闇の中で輝くその眼球は焦点を結ばず、どこまでも冥い。
 紅く紅く血よりもなお紅いその輝きは、さながら命なき鬼火が部屋の中の闇をともし火として燃えているようだった。

「ぐっ、げふっ」

 ルイズの骨のようなまっ白な手には、一人の少女の命が握られていた。
 身体を死後硬直で仰け反らせ、首を奇妙な形に曲げたままで、ルイズはタバサの首を締めあげている。
 タバサの顔色は青を通して土気色で、早く助けなければ命に関わるとワルドは直感した。
 魔法の詠唱を行い、ルイズに向けてその剣杖を向ける。
 選んだのはワルドがもっとも得意とする風の魔法。
 僅かに躊躇し、しかし決然たる決意でもって解き放った。 

「エア・ハンマー!」

 依然としてルイズは万力の如くタバサのことを殺しにかかる。
 ルイズのその表情の抜けおちた無貌の顔が、ワルドのことを嘲笑う。

「なっ!?」
 
 エア・ハンマーが発動しない。
 これまで一度も経験したことがない異常な現象に、ワルドはこれ以上ないほどうろたえた。
 理由と考えられるのはこれがモノノ怪の力、と言うやつなのであろうか?
 ともかく自体は一刻一秒を争う。
 魔法が駄目ならば、肉弾ででも止めようとワルドはルイズへと飛びかかった。
 だがその時には、ワルドのすぐ隣を青銅の戦乙女が追い越していた。

「わ、る……きゅーれ」

 渾身の力で錬金したのであろう。
 造作も甘く、数も一体すら限界ぎりぎりだったようで、ギーシュは再び気を失った。
 だがそれでもワルキューレをほんのわずかな間であったが、ギーシュに与えられた命令を忠実に実行した。
 ルイズに身体ごとぶつかりその華奢な身体を力ずくで跳ね飛ばす、ルイズの小柄な体が軽々と宙を舞った。
 
「ごっ、げほっ、げほっ」

 タバサがせき込む。
 その喉に付けられた手形の痣が痛々しかった。

「ぐっ、ごふっごふっ」

 激しく咳き込んでいるもののどうやら意識がないらしい、少しでも早く介抱してやりたかったが出来なかった。
 ワルドの目は吹き飛ばされたルイズが、入口の扉の札を引き剥がすのが捉えていた。

「おい、目を覚ませ薬売り!」

 ブーツの踵で蹴り飛ばすが、薬売りは昏々と眠り続ける。
 舌打ちして、身構えた。
 手持ちの戦力の少なさを嘆いてもしょうがない、ワルドはそう決断すると扉を一分の隙もなく睨みつける。
 ルイズの身体がまるで糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち。
 
 キリり、キリリと軋みの悲鳴を上げながらドアノブが回る回る。
 回る、回る、回る。

 ゆっくりと音を立てて開いてく扉の、向こう側には……



 猫が居た。

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 猫は、そんな人の言葉でないた。








『ルイズ、本当に久しぶりね』

 これは一体どうしたことか?
 目を覚ましたキュルケは困惑していた。
 開け放たれた扉の向こう側、そこには学院の廊下があるはずだ。
 だが今そこは廊下に繋がっていなかった、まるで鏡写しのようにルイズの部屋がもう一つ。
 そこに一人の娘が立っている。

「えっ、ルイズ……と誰?」

 そしてその娘の対面で膝をついているのは死んだはずのルイズの姿。
 ぼんやりする瞼を擦り、もう一度キュルケは見た。
 確かにルイズだった。
 そしてその体面に立っているのは、間違う筈もないトリステインの王女であるアンリエッタだった。
 だがどうした事か、アンリエッタもルイズもその顔に。

 猫の仮面を被っている。

 ルイズは黒猫。
 アンリエッタは三毛猫。
 表情の見えぬ猫の仮面には、共に大きな真紅の瞳。

『姫殿下!?こんな夜更けに一体なんの御用でございますか?』

 黒猫の仮面を被ったルイズが三毛猫の仮面のアンリエッタへと問いかける。
 その姿はまるで演劇のように修飾過剰で、確かにルイズだったらこんな風にするだろう。
 
「これは、過去?」

 キュルケの見る前で、過去は廻る。
 モノノ怪を前にしてカタカタと音を立てて剣が鳴る。
 ワルドは目を見開き、その光景に見入っている。

『ルイズ、今日は貴女に頭を下げに参りました。本当に、ごめんなさい』

 そう言ってアンリエッタは深々とルイズに向かって頭を下げた。
 
『頭をお上げください姫殿下!? 一体どうしたと言うのです』

 一国の王女が公爵家の娘に頭を下げるなど、どんな理由があろうともまずあり得ることではない。
 これが真実だとするのなら、一体何があったと言うのか?

『ごめんなさい、ごめんなさい――ルイズ』
『姫殿下!』
『ルイズ、実は……』

 ――シャアアアアアアアアア!

 その時扉の近くに倒れていたルイズの死体が突如として起き上がり、扉の向こう側の二人へと飛びかかった。
 だが……

『ワルド子爵が、亡くなりました』

 その言葉と共に、まるで虚空にピンで縫いとめられたかのようにルイズの亡骸の動きが止まる。

『え?』

 まるで仮面を被ったルイズの動揺と連動しているかのように、キュルケには見えた。

『私が、私がいけないのです。全ては自らの身から出た錆、ならば咎を受けるべきは私なのに』

 そうしてアンリエッタの化身、三毛猫はその場に伏せて泣き崩れた。

『どう言うことですか姫殿下、ワルド様に一体何が……』
『私は貴女の婚約者であるワルド子爵ならば信頼できると、極秘の依頼をしたのです。その為に戦地であるアルビオンへ子爵に向かっていただきました』

 扉の向こう側のルイズの手は小刻みに震えている。

『そして子爵は見事使命を果たしてくださいました、ですが……』

 ――ヤ・め・テ。

 幽かな声。
 慌ててキュルケはその声の主を探す。
 その言葉を絞り出していたのはルイズだった。
 宙に縫いとめられたルイズの亡骸が、瞳から血の涙を流し、ひび割れた青い唇から、枯れた声で訴えていた。

 ――や・メ・て

『王宮に遺して居た子爵の偏在から、致命傷を受け戻れなくなったと……そしてルイズに、言伝を……』

 アンリエッタが嗚咽を漏らす。
 仮面のルイズが息を呑む。

『ただ一言「僕のことは忘れてくれ」と』
『――嘘』

 仮面のルイズは否定する。
 だがアンリエッタは悲しみに震える声で、しかしきっぱりと言い切った。

『嘘では、ありません』
『嘘よ! そんなことは嘘、子爵様が死ぬ筈なんてないわっ!』
『ルイズ……?』
『嘘よ、嘘、全部嘘!そうでなければ夢よ、だって姫様がこんな時間に私の部屋に来るはず、ない』

 ルイズの声が歪んでいく。
 そうとしか思えない程に、ルイズの声は異様な響きが混じっていた。

『ルイズ、ああ、ルイズ!』
『ねぇ消えて、消えてよ、明日は大事な使い魔の召喚の儀なのに、こんな悪い夢の後じゃ成功出来るかわからないわ』
『ルイズ、そんな……ルイズ!』

 ――なによこれは、一体何がどうなってるの!?
 混乱するキュルケの目の前で。

 ルイズはアンリエッタに杖を突き付ける。

『嘘よ、嘘……嘘っ!』
『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』

 ルイズの背後に黒くどろどろした何かが見えて、キュルケは息を飲んだ。
 あれがモノノ怪? いやアヤカシと言うやつなのだろう?
 答える相手はいない、アンリエッタは謝りながら部屋を出て行った。

『嘘だと言ってよ……だれか、だれかぁ…………』

 誰も居なくなったその部屋で、仮面のルイズは体中を弛緩させ。
 さめざめと泣いた。

 バタンと扉を閉まる。
 まるで終劇を告げる暗幕が下りるように、猫達の舞台は幕を閉じる。
 観客だったキュルケは、ゆっくりとワルドへと向き直った。
 もし先ほどの出来ごとが、すべて真実だとするのなら……

「貴方は、誰……!?」

 その声には、隠しきれない恐怖と嫌悪が混じっていた。









[19212] 大詰め その壱
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:e8cf8d4c
Date: 2010/06/10 04:19


 少女の心を男は知らず
 男の心を女は知らず
 女の心を少女は知らず

 猫がくるくると回す火の車に
 いくつもいくつも“想い”が巡る。


 猫は主を慕うもの
 あやかしは理解できぬもの
 モノノ怪は人を呪うもの
  
 
 この世におぞましきもの数あれど
 その中で何よりもなによりも恐ろしいもの

 それは……





 大詰め その壱




 あたりにはしっとりとした霧が立ち込めている。
 ミルクのような白い白いまっ白な霧。
 朝靄のなかホホーと言う鳴き声。
 これは耳木兎だろうか? こんな時間に珍しい。
 タバサは思った。
 ぢつと手を見る。
 タバサの紅葉のような小さな掌は、深い深い朝靄に隠れて見えない。 
 現実感がない。
 これは夢なのだろう。
 タバサは思った。

「どうやら、此処は誰かの夢のなかのようで」

 びくりととタバサは身を竦ませる。
 霧を割って表れたのは、やはりと言うべきか薬売りだった。
 あいも変わらず派手な文様の水色の着物と高下駄を履いて、そして山盛りの動物たちを抱えていた。
 
「それは、なに?」

 もっふもっふと自分に集ってくる動物たちを片手で相手をしながら、薬売りは答えた。

「どうやら懐かれてしまったようで」

 尻尾を振りすり寄ってくる大型犬の頭を撫でながら、薬売りは言った。
 
「しかし一体此処はどこでしょうか? どこかのお屋敷のようですが」

 随分と人に慣れた動物が多い、そう薬売りは続ける。
 タバサは周囲を見回す、此処が夢だと認識した為であろうか?
 深い深い霧の中で、ほんの僅かに何かが見えた。

 公爵の名に恥じない巨大な白亜の屋敷。
 そこにはタバサでさえ見知った紋章が紅いレリーフの上に彫り込まれている。

「ヴァリエール公爵領」
「ほう、確か亡くなったご令嬢は」

 そう言って薬売りはタバサを置き去りにする勢いで、一人でずいずいと歩き出した。

「何処へ行くの!?」
「何故、この屋敷に“猫”がいない……?」

 それはタバサへの返答ではなく、自問と言う形の独り言であった。
 右へ、左へ、視線を振り、そして何かを見出したのか。
 薬売りはタバサの隣をすり抜け、小さく何かを呟きながら霧の中へ消えていく。
 急に心細くなり、タバサは既に翳みはじめた薬売りの背中を追って走り出す。
 夢の中だと理由からなのか、何時も肌身離さず持ち歩いている筈の愛用の杖はない。
 そのことがすごく心細く、タバサの足は自然に速くなる。

 ――あはは

 その時、背後から笑い声が聞こえた。
 ぞくりとした感覚に苛まれ、タバサはその場で身震いする。
 聞き違いであって欲しいと聴覚に意識を集中する。

 ――うふふ

 確かに、聞こえた。
 しかも今度はすぐ近くから。
 タバサは思い出す。
 級友たちが食後の中休みに話していた、ちょっとした会談話のことを。
 夜中に背後から聞こえる少女の笑い声、それがだんだんと近づいて来るがしかしその相手が見えない。
 恐ろしくなって逃げ出した平民の背中に、小さな冷たい手が……

「おねえちゃん、だぁれ?」
「ひぅ!?」

 突然声を掛けられ、タバサは飛び上がらんばかりに驚いた。
 恐る恐る振り向く。
 そこには八歳くらいの赤毛の娘が居た。
 闊達な印象の娘だ、肩まで伸ばした髪をポニーテールにまとめ、服も髪に揃えた紅染めのドレス。
 その顔に、赤毛のチェシャ猫の仮面を被っている。

「私は……」

 その時別の少女の声がタバサの鼓膜を振るわせた。 

「ちょっと、待ちなしゃいよキュルケぇ」

 最初の赤毛の少女より若干甲高い舌足らずな声。
 波打つ豊かなピンクブロンドの髪。
 朱い目の黒猫の仮面。
 そしてこの少女が言った“キュルケ”と言う名。
 間違いない、この娘は。

「ルイズ?」

 タバサはルイズの幼い頃を知らないが、どうしてもそうとしか思えない。
 ならば此処は、ルイズの夢の中なのだろうか?
 そこまで考えて、タバサははたとおかしいことに気が付いた。

 ――死んだ人間が、夢を見るの?


「おねえちゃん、ルイズのお知り合い?」
「ちょっとわたし、こんな人知らないわよ!」

 きゃっきゃと無邪気に言いあう二人になんとなく心を癒され、タバサはほんの少しその無表情を緩めた。
 いつもおねえさまおねえさまと自分のことを慕ってくれる喧しく可愛らしい大きな妹のことを思い出したからである。
 それに幼いキュルケとルイズは、タバサの目からしても十分に可愛らしかった。

「問題ない、私は知っている」
「だ、そうよ?ルイズ」

 キュルケがピンッとルイズのおでこをはじく。
 仮面を弾かれて痛い筈がないのに、ルイズは額を抑えてふええーと涙声になった。

「ほっ、ほんとにしらないんだから」

 それでも一生懸命考えているらしい。
 うーん、うーん、と何度も唸ってから。
 とんでもない名案でも考え付いたかのようにポンと手を叩いた。

「そうだ、ワルド様のお知り合いかもしれないわ!」
「ジャン・ジャック・フランシス・ワルド……」

 そしてタバサはルイズの婚約者と名乗るあの男のことを頭に思い浮かべた。
 最初にルイズの部屋の扉を開けた、隻腕の、魔法衛士隊の隊長。
 考えてみれば不自然なことが多すぎる。
 何よりルイズの死を知ってから来るのがあまりにも早すぎる。
 今朝昼食前に王都へ速馬を出したと言うのに、その日の夕刻前には事態を知り学院へ直行できるものだろうか?
 他の人物を連れず一人で来たこともおかしい、こう言う重要人物が死んだ場合には遺族や関係者、役人など多くの人物が遺漏がないか立ち会うものではないのだろうか?
 そして何より――ワルド子爵は嘘を吐いている。
 その嘘が一体何かは分からないが、彼は嘘を吐いているのだとタバサの勝負師としての勘が雄弁に告げていた。
 
「やっぱりそうだったのね、待ってて、今ワルド様のところ案内するから」

 その言葉と共に霧がまるで割れるように晴れて行き。
 タバサの目の前には、大きな湖が広がっていた。
 その湖には一隻の小さな小舟が浮かんでおり、その中で一人の青年が涙を流していた。


 立派な顎鬚と羽帽子、本来なら美形と言ってもいい顔は今は隈と涙の跡でべとべとに汚れきっている。
 尋常な様子でないことは一目で分かった。
 ――会いに行くべきか?
 
 そう思い悩むタバサの背後で

 ――にゃぁーお

「――!?」

 慌てて振り向くとそこにはさっきまでいた筈のルイズとキュルケは何処にも見当たらず。
 走り去っていくチェシャ猫と黒猫が一匹ずつ。
 だがその二匹の猫の瞳が、何かを祈るような光を灯しているのは果たしてタバサの気のせいか?

 タバサは意を決して船に乗り込むと、未だ泣き続けているワルドの肩をそっと叩いた。
 びくりとワルドは身体を震わせると、ゆっくりと顔を上げる。

「君は、誰だ……」
「私はタバサ、ワルド子爵とお見受けする」
「いかにも、僕はジャン・ジャック・フランシス・ワルドだ、いやそれよりも君はまさか……」

 そう言ってワルドしばし一人でぶつぶつと考え事を呟いた後。

「頼む、ルイズを、ルイズを救ってくれ」

 まるで罪人を告解するような切実さで
 まるで血を吐くような痛切さで

 ワルドはその一言を呟いた。




 くるりと場面が裏返る。




「貴方は、誰……!?」

 そう言い放ったキュルケに向かって、ワルドは笑いながらゆっくりと歩み寄ってくる。

「誰もなにも、僕はジャン・ジャック・フランシス・ワルドさ。あんな化け物の三文芝居に騙されるなんて……」

 ワルドの頬に小さな炎の弾丸が掠る。
 当てるつもりはなかったのだろう、だがワルドに向かって構えたキュルケの杖は悲しい程に震えていた。
 そのせいでコントロールを誤ったのだろう。
 人を傷つけてしまった、その事実がさらにキュルケを追いこんでいく。

「近づかないでっ!」

 そう叫ぶキュルケはまるで小動物のようで、ワルドは苦笑する。
 跡が残らないかと、傷口を触れた瞬間。
 ぬぶりと指が沈み込む。

「えっ?」

 大した傷でもないし痛みもない。
 耳のすぐそば出来た小さな小さな火傷の筈。
 なのに触った中指が易々と第一関節まで沈み込んだ。
 だと言うのにその先に手ごたえがない、当たる筈の骨にさえ当たらない。

「なん、だ?」

 ワルドの心に驚愕と共に何かが広がっていく。
 訳のわからないどす黒い何かがワルドの心を浸食していく。
 まるでワルドそのものを、染め抜き犯し抜き穢し抜こうとでも言うように。
 “ワルド”が塗りつぶされていく。

「なによっ、なによこれ……!?」

 激しくワルドが痙攣し、その開ききった瞳孔がてんでばらばらの方向へ動きまわる。
 まるで別の生き物の如く動きまわるその瞳の色は。
 血のような、真紅。
 やがてその瞳に釣られたのか、ワルドの首も動きだした。
 ゆっくりとゆっくりと右に傾いていき。

 ――ボキン

「ひっ!?」

 折れた、だがなおも首は動きを止めず、さらにねじ曲がりながら回り。
 そして元の位置に収まった。
 同時に目の動きと激しい痙攣も収まり、その瞳も元の色へと戻る。
 先ほど出来た傷も治っていた。
 まるで壊れたおもちゃを魔法で直す情景を見ているようだった。
 ワルドは驚き腰を抜かしたキュルケを前にして、言った。

「誰もなにも、僕はジャン・ジャック・フランシス・ワルドさ。あんな化け物の三文芝居に騙されるなんて……」

 キュルケは何故ワルドがそんなことを言うのか分からなかった。
 茫然と、その場にへたり込みながら、それでもキュルケは出来るだけ油断なくワルドを観察する。

「先ほどのおそらく、薬売りの言っていた“モノノ怪”と言う化け物の仕業だろう。おそらくどれだけルイズが無念に殺された僕たちに知ってもらいたいんだ」

 どうやら先ほどの異常事態全てが、ワルドのなかで“なかったこと”になっているらしい。
 いやそれどころか、話しぶりからすると先ほど“扉の向こう側”で起きた事さえも、ワルド中で改変が行われている可能性があった。

 どちらにせよワルドは正常ではない。
 部屋の外へ逃げることもできない。
 いざとなったら、ワルドを取り押さえる必要があるかもしれない。
 そこまで考えたところで、ワルドが突然剣杖を抜き放った。

「薬売りが言うように、このまま朝を待つしかないのが口惜しいな」

 ワルドは自分が剣を抜き放ったことに気づいていないらしい。
 剣を右手の先だけが何かを恐れるように震えているのが、すごくシュールだった。
 だが此処で剣を抜くと言うことは、まさか……

「いやっ……」

 キュルケが尻もちをついたままの姿勢で後ずさるが、すぐ後ろはもう壁だった。

「だがもうすぐだ、ルイズの無念は僕が晴らす」

 左拳を握り、天井を見上げ、決意の覚悟を決めたまま。
 ワルドはまるで滑るように、少しずつ少しずつキュルケへと近づいてくる。

「僕が、晴らさなければならないんだ!」
「いやあああああああぁぁぁ」

 ――殺される。
 抵抗しなければと言う意思をあまりにも異常な状況がへし折っていく。
 つい目を瞑ってしまったキュルケは、その瞬間死を覚悟した。
 だが、死は何時まで経っても訪れず……
 眼を見開いた時に見たものは、巨大な猫の前足。

「へ?」

 まるでキュルケを守ろうとするかのように、扉から突き出した極彩色の猫の前足がワルドとキュルケを隔てていた。
 ――モノノ怪があたしを守った? どうして?

「ルイズ待っていてくれ、もうすぐ……」

 ――ぶみゃお

 悲痛な叫び声と共に猫の前足が引っ込む。
 ワルドが切りつけたのだと知った時は、既にワルドの二度目の剣閃が翻っていた。
 かろうじてその場で横に転がって避ける。

「しまっ」

 咄嗟のことで杖を取り落としてしまう。
 万事休す、そう思った時二人の間に割って入る人影が一人。
 
「あんたが」

 金属と金属がぶつかり合う、甲高い音。 
 退魔の剣の鞘でワルドの剣を受け止めながら、薬はその一言を言い放つ。

「モノノ怪の真だったのか」





 ――カチン






[19212] 大詰め その弐
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:e8cf8d4c
Date: 2010/06/10 18:14
 薬売りは手に持つ鏡の中を覗きこむ。
 そこには揺れる水面と一つ船。
 そしてその上で語り合う、ワルドとタバサが映っている。





 タバサは船の中で“ワルド”の話に耳を傾けていた。
 ルイズが小さかった頃からその物語は、“タバサ”の心にもまた深く深く響いた。

「母を殺してしまった愚か者は、なんとかその罪を償う為に聖地を目指した」

 だが急ぎすぎて周りが見えていなかったのだろう、結局自分は罪を償おうとしてより深い罪の泥沼に足を踏み込むことになった。
 そう言ってワルドは自嘲する。

「いくら出世しようと、魔法の才を磨こうと、聖地は遠く欠片も見えない」

 そんな時風の噂に聞いたのが、古き王権を打倒し聖地を目指すと言う触れ込みのレコン・キスタと言う組織だった。

「僕が馬鹿だったんだ、焦っていた。藁にも縋る気持ちで握りしめたのは地獄への直行券だった」

 タバサは思う、まるで己のことのようにワルドの気持ちが沁み入ってくる。
 ――もし、もしもそのレコンキスタと言う組織が本当に毒で狂った母を治せるのならば、私は……

「僕は、僕が与えられた指令はトリステインの内情をレコンキスタへと流すこと」

 本当に自分がやっていることは悩みながら、日々隊長と密偵として過ごす二重生活。
 畜生以下の所業をしておいて、どの面下げてルイズに逢えと言うのか――逢えるはずもない。

「そんなある日、僕にアンリエッタ王女からアルビオン王家に機密文書を届けると言う任務が与えられた」

 そして同時に与えられたのが、レコンキスタからのウェールズ皇太子の暗殺。

「僕は、躊躇うことが出来なかった」





 薬売りが翳す鏡の中の光景がゆっくりと“ワルド”へと沁み込んでいく。
 猛烈な吐き気と頭痛、知らないはずの景色が脳裏に明滅し、視界が白く、黒く明滅する。

「う、げぇ……」
「お前は、“何だ”お前の真と理は、何処にある」

 何度も何度も嘔吐しながら、ワルドは考える。

「僕は、い゛や、俺は、俺は……」

 ――ヤメロ

 身体の内側から声が囁く、深く深く闇が蠢く。

 ――キクナ、ミルナ

 闇が“ワルド”を塗りつぶしにかかる、すべてを消し去ろうとする。
 また首が傾き、ぐるぐると回りだす。
 熱を持ち真っ赤な顔が、車輪のように回りだす。

 ――ワスレテシマエ

 だが内なる声よりもなお深く、ワルドの心を打つモノがあった。
 電光のようにワルドのすべてを貫いた、それは……

 
「ソウダ、ボクハ……」
『そうだ、ぼくは……』
 

 鏡の中と外、二人のワルドの言葉がハモる。
 二人のワルドは、その真実を語りだした。



 

「ウェールズ殿下、お命頂戴いたす!」
「な、貴様レコンキスタ!?」

 咄嗟にウェールズが呪文を唱えるが、しかしその動きはワルドには止まって見えるほど遅かった。
 ワルドの二つ名は“閃光”
 その光、那由他の絶望に突き動かされ、千の夜を越え磨き上げられた、漆黒の意思の輝きそのものならば。
 たかが風の王国の王子一人を屠るのに、些かの不手際もありはすまい。
 だがその刃がウェールズの心臓を貫く寸前、ワルドの心にまさしく閃光のように閃くものがあった。

 ――ワルド様

 モノクロームの追憶に真紅が咲く。
 はたしてそれは――少女への愛だったのか?
 それとも、漆黒の心の底で凍りついていた貴族の誇りだったのか?

 自問する時間はなかったがそれでもワルドは躊躇した。
 それが命取りとなった。
 肉を引き裂く手ごたえと同時に、自身の肉体に刺し込まれる死の感触。

「相討ち、か……」

 ウェールズと同時にワルドの体がどう、と倒れる。
 灰色の礼拝堂に血が流れ、体が氷のように冷えていく。
 冷たい冷たい石の床が命を奪っていく。
 まるで子供のころ、船のなかから見上げたように灰色の天井〈ソラ〉

 一つだけ違うのは――ここにはもう、ルイズはいない。

「嫌だ」

 目から涙が溢れた。
 悪党らしい最低な最期がこんな自分にはふさわしいと言うのに、心はまるで燃え上がったかのように悲鳴をあげる。

 こんな結末は嫌だ。
 こんな自分は嫌だ。

「嫌だ、嫌だ嫌だ。かあさま、るいず、ぼく……は…………」

 心が崩れる。
 己が消えていく。
 命は短く。
 悔恨は数多く。

 死の間際の心の震えがワルドの魔法をさらに高みを引き上げたのは、果たして始祖の僅かの慈悲か。
 ――――そうでなければ、始祖はよっぽどこの世界を憎んでいたのであろうと思われた。

「ユビ……キ……タス……」

 唱えるのは遍く風をひとところに集め、もう一人の己を創り出すその呪文。
 すべての精神力と、すべての命を込め。

「デル……ウィン…………デ」

 ワルドは魔法の言葉を呟いた。




 頭の中が濁っている。
 濁った頭の端で、誰かの声が聞こえている。

 ……全く、使え…………スクウェアが聞いて呆れ…………

 煩い、ぼくを馬鹿にするな。

 ……まぁまぁ、こんな屑でも……使い道は……死ねば皆……友達

 
 ふらふらとゆらゆらとゆれる思考はまるで幽霊のよう。
 頼りなく、あてどなく。
 まるで使い魔の視界を借りた時のように、所在なさげに流離うのみ。
 
 ……余の虚無の力を…………

 そうだ、虚無。
 ぼくは聖地にいかなければ……
 そのためには、虚無〈ルイズ〉が。

 ……おはようウェールズ、そしてワルド、気分はいかがかね。
 ……おはようクロムウェル、最高の気分だよ

「おはようございます殿下、このような無能を再び選んでいただき光栄の極み」

 おまえはだれだ、ぼくのかおで、ぼくのこえで、そんな言葉を吐くな

 ……いやいや、失敬……さきほどのは言葉のアヤさ、君は有能なメイジだよワルドくん

 心の底に沸き立った憎しみが、少しだけ“僕”をはっきりさせる。
 そうかこれがクロムウェルの“虚無”の正体か。
 
 吐き気が、する。
 これが、こんなものが虚無だと、いうのか。

 ……ワルド、ウェールズ君たちに頼みたいことがあるのだ……

 黙れ

 ……トリステインの王女と、虚無の担い手を私の友達に……

 黙れ、黙れ黙れ!

「畏まりました! 我が婚約者、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを必ずこの場にお連れいたしましょう」

 黙れえええええええええええええええええええええ! 


 ――いつまで!
 ――――その死体〈ぼく〉を弄ぶつもりだ!



「そんな、こんな、ことって……」

 絶句するキュルケを前にして、薬売りは言う。

「なるほど、これがジャン・ジャック・フランシス・ワルドの真」

 退魔の剣を高く翳し

「ならばその真を以ってモノノ怪の真と理、手繰り寄せてみましょうか」

 並んだ天秤が凛と鳴る

「記憶が理を」

 ワルドの首がゴキリと周り

「理が因果と縁を呼び覚ます」

 いずこかで猫が泣いた。

「あなたの影にいるのは誰ですかな?」





 外は雨、夜半から降り出した雨は何時しか雷を伴う激しいものへと変わっていた。
 手の中には生のぬくもり。
 私は手の中に結局“クロ”と言う当たり障りのない名前を付けた私の使い魔を抱きしめながら、眠れない夜を過ごしていた。
 眠れない理由は他でもない。
 クロが来てくれた喜びで胸がいっぱいで、興奮して寝付けないのだ。
 我ながらこの年にもなって大人げないにもほどがあるが、しかし嬉しくてしょうがない。
 心のなかには希望が山と詰まっていて、ささやかな胸まで膨らんでしまいそうだった。
 
 なのにわからない。
 なぜこんなにもざわざわと不思議に胸がざわつくのか。
 これからきっと幸福な日々が始まる筈なのに、こんなにも不安でどうしようもなくなるのだろうか?
 わからない、わからないけれど予感があった。
 ちぃ姉さまが死んだときのようなそんな悪いことがきっと起こると。

「いやだわ、そんなことあるわけが……きゃ」

 光った、続いて割れるような雷の音。
 窓を叩く雨はますます激しくない、滝のように窓硝子に雨が流れていく。
 そのなかで確かに聞いた、窓をノックする懐かしいリズムが。

「――――っ!?」

 そんなことがあるはずない、だって外はこんなひどい雨で、時間だってこんな真夜中なのに。
 けれど聞こえる、ほら、今も、私とあの人だけの秘密のリズムが……

 慌てて窓を開くと、そこには濡れ鼠になったあの人がいた。

「ワルド様、ワルド様なのですか!?」
「久しぶりだねルイズ! 僕のルイズ!」

 ずぶ濡れで満面の笑みを湛えて、ワルド様は言った。
 あたりは暗く、雷の逆光でその表情は見えなかったけれど、その口元だけが笑みの形に固まっていた。

「こんな日にどうなされたのですか? いえ、それよりもまずはお入りください」

 こんな土砂降りの日に一秒だって婚約者である人を雨の中に置いておく訳にはいかない。
 そう思ってワルド様を部屋の中に導き入れようとした私の手を、ワルド様が掴む。
 冷え切った、比喩でもなんでもない死体のように冷たい手。

「ひっ」
「すまないね、生憎と時間がないんだ。重要な話がある、聞いてくれるかい?」

 雨の滴を滴らせながら、ワルド様はフライで部屋に身を滑り込ませた。
 手があまりにも冷たいせいだろうか? それだけで部屋の温度は一気に下がったような気がする。
 ワルド様の表情は見えない。
 いつものように寂しげに笑ってくださらない。

「ただどうしても他の人間に聞かれる訳にはいかないんだ、待っていてくれたまえ今、サイレントを……」 

 その時ガタリと音がした。
 薄く開かれたドア、誰かが見ていた……?

「鼠か、あのお方の障害となるものはすべて排除しておかねば――――ユビキタス、デル、ウィンデ」

 ワルド様が杖を振ると、その体がブレるように翳み、そして一瞬後にはワルド様がもう一人。

「鼠は任せた」

 もう一人のワルド様が、ドアを開いて部屋から出ていく。
 それを見届けた後、ワルド様はサイレントを唱え、私に向き直った。

「ルイズ、結婚しよう」
「え?」

 言われた言葉を、私は理解できなかった。

「ワルド様、それはどう言う……」
「僕は、君が欲しいんだ」

 そんな事を言われてもこんな状況でいきなりそんなことを言われても、私にはどうしていいかわからない。
 それでも何か言おうとしたけれど、肩に走った痛みが私の言葉を封じてしまった。

「――っ、痛い、痛いですワルド様」
「頼むよルイズ、僕と共に来てはくれないかい?」

 こんなに近くにいると言うのにワルド様の顔は見えない。
 そもそもこの人は本当にあの優しい私の子爵様なんだろうか?
 冷たい手、肉食獣みたいに吊りあがった唇と、仄かに匂う見知った匂い。
 この匂いは確か……

「ちぃ姉さま……」

 死んで、骸となった、ちぃ姉様の匂い――?
 分からない、どうしてワルド様から死んだ人の匂いがするのか、こんな雨に濡れてまで私の部屋を訪れたのか。
 そして何よりこんなゼロでしかない私を欲しがるのか。
 肩にワルド様の指が食い込む、冷たい指は痛みと共に私の体の熱を奪っていく、いやだ、怖い、怖いよ。

「ルイズ、君が欲しいんだ……」

 力づくでベットの上に押し倒された、そんな、これって、まさか。

「いや、やめて、ワルド様こんなの嫌、嫌ぁ……」 

 フーーーーーーーーブミャア!

「クロッ!?」

 私の危機を見て取ったのか、目を覚ましたクロがワルド様へと飛びかかる。
 ワルド様の頬を斬り裂く三つの爪痕、かなり深く裂かれたと言うのにそこから血は流れない。
 それどころかゆっくりとだかその傷口が塞がっていく。

「ワルド様、あなたは……一体……」

 ワルド様は一度舌打ちすると、あまりにも無表情な目でクロを見た。

「畜生の、分際で……!」

 ワルド様の杖に光が灯り……

「やめてぇぇええええええええええ」


 ――――ニャ!!!!?
 クロの小さな小さな体を貫いた、杖の先には血。
 うす暗くて黒い液体にしか見えなかったけれど、私の大切な使い魔の命の証がべっとりと付いていた。
 左前足に刻まれた使い魔のルーンが、ゆっくりと光を失くして消えていく。

「クロっ、クローーーーーーーーー!」
「さぁルイズ、続きを……」

 ワルド様は最期まで言い切ることは出来なかった。
 私にのしかかったワルド様の胸、そこから青白く光る“ブレイド”が生えている。
 何事かとワルド様が振り向くが、しかし遅い。

「ば、かな……なぜ“僕”が」
「待ったぞ、この時をずっと待っていた! いつまでも浅ましく死体が動いているんじゃない!」

 ブレイドがワルド様を胸から真っ二つにした。
 けれどワルド様はそれでも魔法を使おうと、斬り落とされた上半身だけで杖を突きだし……

「“ライトニング・クラウド!!!”」

 雷光が部屋をまっ白に染める。
 稲光が駆け抜けた後、ワルド様は真っ黒に焦げた二つの物体になって床の上に転がっていた。
 視界が開ける。

 雷で焼かれた網膜が再び捉えたものは、もう一人のワルド様だった。
 なんでワルド様が二人いるんだろう?
 そんなことを思うが、しかし頭のなかはクロのことでいっぱいで何も考えられなかった。

「すまない、ルイズ……」

 もう一人のワルド様は悲しそうな顔でそう言うと、ゆっくりと消えていく。
 まるで初めからその存在そのものが幻だったように。

「君を守ると誓った筈なのに、僕は君の大切なものを奪ってしまった」

 そう言って嘆くワルド様の姿はもうほとんど見えなくなっている。 

「死体は死体に風は風に。どうか僕のことは忘れて欲しい、君一人守れなかった愚かな男の事は、どうか忘れて欲しい」

 最期に一度だけ、ワルド様はおどけるように笑った。

「さようならルイズ、愛しているよ」

 そう言ってワルド様は消えた。
 私は全てを失った。
 後に残ったのは
 こんな私の使い魔になってくれた猫の死体。
 こんな私の家族になってくれたかもしれなかった人の死体。
 そして何もかもなくして空っぽの〈ゼロ〉になってしまった私だけ

「い……や…………」

 やだよ、こんなのやだよ。
 たすけて、だれかたすけて、たすけて。
 とおさま、かあさま、えれおのーるねえさま

 ――ちぃねえさま

「いやあああああああああああああああああああああああああ」

 ――少女の涙が黒焦げになった死体の上に流れ落ち、けがれた黒い結晶となってはじけた。



 ――カチン





[19212] 大詰め その参
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:e8cf8d4c
Date: 2010/06/10 18:14



 短く長い夢から薬売りは冷めた。
 目の前には小さな黒猫が、薬売りを見ていた。
 その黒い瞳のなかに。
 確かに、薬売りは祈りを見た。

「そうか、これが……モノノ怪の」
「違う、こんなのは“真実”なんかじゃない!」

 甲高く弱々しい震える声。
 薬売りの言葉を遮ったのは切ない切ない女の子の泣き声。
 大切なものを失って、それを認められない可哀そうな一人の少女の声だった。
 奇怪なのは、その言葉が髭の姿の若い青年の口から洩れていると言うこと。
 
「死んだのは“ルイズ”」

 ワルドの目がぐるんぐるんと回り、その口から涎が流れ出る。
 まるで糸で繰られた人形のような動きで、ワルドは薬売りへと躍りかかった。
 先ほどまでとは違う、人の膂力を遥かに超える力任せの一撃だ。

「誰からも必要とされない“ゼロのルイズ”」

 薬売りが剣の鞘でその一撃を受け止める。
 甲高い音と共に剣杖が鳴り、火花が咲く。

  一合、二合と花開くように宙空に軌跡が咲き

「ワルドさまは、死んでなんかいない!」

 三合で鍔迫り合いとなり、そして離れる。

 四、五、六合と受け止めるが、魔法衛士隊の隊長に叙せられたほどの腕前は些かの衰えもなかった。
 傍目から見ても、薬売りが対応しきれなくなるのは時間の問題だった。
 加勢しようとキュルケが動く。
 だが駈け出そうとした足をいきなり掴まれて、キュルケはその場につんのめった。

「――――!?」

 タバサの足を掴んだのは首を吊って死んだルイズの死体。
 それが再び動き出し、タバサの足をオーク鬼もかくやと言う怪力で捕まえる。

「離しなさい!」

 ルイズを傷つけることに苦悩の表情を覗かせながら、キュルケは“ファイヤーボール”の魔法でルイズの死体を吹き飛ばす。
 肉が焼ける音がしてごっそりとその顔の皮膚が炭化そげ落ちる。
 そこから現れたのは、皮膚の下の筋肉ではなかった。

「――!?なによ、これっ!?」

 “ルイズ”のなかから零れ落ちたもの。
 黒く焦げた手、細切れになった足、どこかの誰かのされこうべ。
 細切れの黒焦げになり、もはや人相すら判然としない誰かの遺体。
 それを見た途端、ワルドの――いや“化猫”の様子が急変した。

「それに触れるなあああああああああああああ!」

 今まで相手をしていた薬売りなど見えていないかのように、縦長の真紅の瞳孔を限界まで見開き、皮膚を突き破って現れた猫と前足と後ろ足で床を蹴る。
 五歩以上あった距離を一息で縮め、一筋の閃光となってキュルケに飛びかかる。
 キュルケは動けない。
 自分に向かって振り下ろされる死神の鎌を、見ていることだけしかできなかった。


 爪が迫る。
 死が音を立てて向かってくる。
 極限の集中が世界から色と音を奪い去り、なんとか命を繋ごうと全身の筋肉が軋みをあげる。
 だが間に合わないことは、キュルケ自身が一番理解できてしまった。

 ――たすけて

「ニャオン」

 時が止まったモノクロームの世界の中で。
 一匹の黒猫が、キュルケを守る様に彼女の前に立ちふさがる。
 だがその黒猫は何時の間に現れたのか?
 少なくとも、キュルケは一瞬たりとも注意を逸らせたことはない。

 黒猫はその真紅に灯る二つの双眸を見開き。
  
「ふにゃああああああああああああ!?」

 向かってくる“化猫”の顔を引っ掻いた。
 三つの爪の形に引き裂かれたのは、毛むくじゃらの猫の毛皮と、美貌の好青年の顔の皮。
 砂糖菓子でも切り分けるように切り開かれたその中では。

「見るな、見るな見るな! 見ないで!」
   
 両手で顔を抑えたワルドの顔の下からは現れたもの。
 それはまるで棺桶に収められた死体の如く、山盛りの花束に飾られた。

「ルイズ!?」

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 ワルドの中から現れたルイズは、まるで夢見るように瞳を閉じている。
 口も縫いとめラタ化のように動くことはない。

 だと言うのに、ワルドの口から洩れる少女の声からはノイズが消え去り。
 誰が聞いても一目でルイズだと断じられるほど、明白になっていた。

「私は、私はルイズじゃない、子爵様は、子爵さまは……」

 ――カチン


「これが“モノノ怪”の理」

 ワルドだったものが崩れていく。
 ルイズが自分自身を誤魔化すことが出来なくなったから。
 顔に刻まれた傷から溢れだす泥のような不定形の塊、桃色に染まった、一人の少女の悲しみが那由多と詰まったモノノ怪の形。

「殺された筈の少女が、殺した筈の男を方を庇っていた――それが真」

 桃色の泥は“ルイズ”の死体から零れた黒い焦げカスを取りこむと、その場で寄せ集まり、やがて一匹のけだものの姿となった。

「殺された筈の少女は己の価値を零と見限り、己の死と引き換えに男の裏切りを“嘘”にすることを望んだ――それが理」

 桃色の毛並みの山猫。
 モノノ怪は液状のその身体をぶるりと震わせると。
 前足から湧きあがった桃色の焔が、燃えたぎる業火となってその身を包む。

「ならばゼロのルイズの心が成したるモノノ怪は“化猫”にあらず」

 己自身を包む炎に苦しむように悶えながら、炎の山猫はその牙だらけの口を開き、吠えた。
 ――シャアアアアアアアアアアアアアアアアアア

「死体を奪い、死体を操る、お前の形は“火車”だ!」

 ――カチン

 “火車”は燃えたぎる身体を振り乱し、薬売りへと飛びかかる。
            
 薬売りは即座に札で結界を作る、が“化猫”の爪はたやすくその結界を引き裂いた。

「なにっ!?」

 薬売りは咄嗟に退魔の剣を構え、その爪を受け止めた。
 だがその爪は今まで受けたどの一撃よりも重く。

「しまった……!」

 薬売りの手から退魔の剣が離れ、くるくると宙を舞う。
 取りにいこうにも、既に“化猫”の爪は薬売りの目の前に迫っていた。
 その時、ふと薬売りの耳を優しい声が擽った。

 誰のものとも知れぬその言葉を聞いた途端、“火車”はまるで猛犬を前にした子猫のように身体を竦ませる。
 目の前には、一匹の黒猫。

「お前は……いや、お前が……」 

 先ほど現れ、そしていつの間にか消えた黒猫が退魔の剣を口に咥えて、薬売りの前に立っていた。
 黒い毛皮と黒い瞳、何かを祈るようなその猫の尻尾は二股に分かれて捩じれていた。
 黒猫はコトリと音を立てて退魔の剣を床に置くと、薬売りに向かって頭を下げた。

「斬れと、言うのか……」

 まるで鈴の音のような声は、その黒猫の口から零れていた。

「ならば解き――」

 薬売りは頭上に退魔の剣を構え、両腕を天に向かって高く掲げた。
 
「放つ!」

 天を差す指をそのままに、両手を振り下ろす。
 剣の柄にはめ込まれた鬼の顔が、その口を開いて叫びをあげる。
 

 ――――ときはなぁああああああああつ






 アニエス・シュバリエ・ド・ミランは大層機嫌が悪かった。
 何故かと言うと、今日が約一カ月ぶりに完全休暇だったからである。
 だった、と言うのは急に舞い込んだ仕事のせいで休日が完全に流れたからだ。
 魔法学院で生徒が死んだ、しかもそれはアンリエッタ王女の親友らしい。
 すわ一大事と速馬で学院に駆けつけてみれば、やはり生きていたとか訳のわからない話になっている。
 人騒がせな、とぶち切れ寸前なところを今必死で抑えているところである。
 ――頑張れアニエス、KOOLになれっ

 自分にそう言い聞かせているが、あまり効果はないようだ。
 男装の麗人と言う表現が相応しい怜悧なその容姿が、今は抑えた憤怒と青筋で歪に歪んでいた。

「今ならば、憎悪で人を殺せそうな気がする」
「よう相棒、そんなカッカすると男にモテないぜ!」

 アニエスの独り言に答えたのは一振りの剣である。

「男なぞいらん」
「もったいねーな、せっかく相棒は器量が良いってのに」
「ふざけるな、だいたい……」

 剣と話すアニエスの隣を一人の男が行き過ぎる。
 見ればその男も手に持った剣に向かって、何やらぶつぶつと話しかけていた。
 いかにも目立つ派手な青い衣と、巨大な行李、そして木でできた奇怪な靴。
 変わった奴だと思って見てみれば、白い髪の間から覗くその顔はかなりの美形だった。
 ほんのりとアニエスの頬が赤く染まる。

「なんだぁ、相棒が見惚れるたぁこりゃあ明日は槍でも降るんじゃねぇか?」
「――ほぅ、デルフ、お前どうやらよっぽど海の底が好きなようだな」
「すいませんでした!」

 全力で謝ってくる相棒を適当に相手しながら、アニエスは重い足取りで学院へ向かう。
 そう言えば先ほどの男は学院から出てきたようだが、学院の関係者か何かであろうか?

「――いない?」

 振り返ってみれば、先ほどの男の姿が影も形もない。
 奇妙なこともあるものだと思ったが、しかし仕事は待ってくれないのである。
 アニエスは溜息一つ吐くと、学院に向けて駆け足一つ。
 魔法学院は今日も姦しく、世は事もなし。
 先ほどから正門の前で猫を預かったの、預かってないので揉めている男と女を黙らせて、仕事に就くことにするとしよう。





 ――――モノノ怪<化猫>――――
              

                ――――終幕――――







[19212] ルイズと化猫
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:e8cf8d4c
Date: 2010/06/10 18:15
 ――――ルイズと化猫――――



 薬売りは歩いていく。
 次は何処へと向かうのか、或いは本人さえも知らないのかもしれない。
 人が呼ぶのか、剣が呼ぶのか。
 薬売りが行く先には常にモノノ怪の影があり、そしてそれは今回も例外ではない。

 魔法学院の正門で、一匹の黒い猫が薬売りの事を待っていた。
 薬売りが猫に向かって一歩を踏み出す。
 魔法学院から一歩外に出た瞬間、空気が澱む。
 魔法学院と外とを隔てるその境界こそ、彼岸と此岸を分けるモノであった。
 一歩踏み出したその場所はそこはモノノ怪の領域であった。


 モノノ怪の領域にはすでに猫も薬売りもいない。
 ならば此処に居るのは二人は何者か?

「あなたが、猫だったんですね」

 その姿に薬売りの姿を色濃く残す金色の衣に紅の帯を着た男は、猫を抱いた女に問いかける。
 浅黒い肌の胸板は厚く、長い白髪はまるで風にはためくように揺れている、その体に施された金糸の文様はまるでそれ自体が生きているかのように、男の肌を這いまわる。

「はい……」



 女は答えた。
 長い桃色のピンクブロンドを靡かせ、真っ黒な死に装束に身を包んでいる。
 優しい笑顔の奥に輝くのは縦長の瞳孔の、真紅の猫の瞳。

「私が“化猫”です」

 その言葉と共に薬売りの手にした退魔の剣から光が溢れた。
 光は刃となり、切っ先となり、女の首筋へと突き付けられる。
 だと言うのに女性は怯えることもなくその手に猫を抱いたまま、優しく薬売りへと綻んでいる。

「何故、このようなことを」
「ルイズを、放っておけなかったから……」

 この七年間、ずぅっとあの子を観ていましたと女は言った。

「何故、今頃になって」
「この子が、呼んだからからもしれません」

 手の中の猫を撫でながら、カトレアは言った。

 誰か助けて欲しい望んだ猫の想い。
 妹を助けたいと望んだ女の想い。

 溶け合い、混じり、絡み合い。

「知ってましたか? 女は執念深いんですよ」

 妄執と云う名の、“化猫”となる。



 ぐっと男は剣の柄を握りしめた。

 今は意識を保てているが、時が経てば彼女は自身の想いに呑まれるだろう。
 故に……

「いかなる形で生まれたにせよ、人の世にあるモノノ怪は……」
「ええ、ルイズもきっともう大丈夫、斬ってくださいまし」

 女は黒猫を地面に下ろすと、ゆっくりとその場で瞳を閉じた。

「それが、モノノ怪の“理”ですもの」

 
 最期に女は花のように笑った。
 さよなら、ルイズ。
 


 ――カチン




「ルイズ!」

 長い長い眠りからルイズは目を覚ました。
 目が覚めて初めて見たのは見慣れない医務室の天井と、そして自分のことを不安そうに見つめてくるキュルケのこと。
 そしてそのことを認識した途端、ルイズの目からぽろぽろと涙がとめどなく流れ出す。

「ルイズ大丈夫!? どこか痛いの」
「違うの、そうじゃないわキュルケ」

 なんとか涙を拭おうとするがとめどなくとめどなく。
 涙は流れ流れ流れ続ける。
 
「ごめんなさい、ありがとう、ありがとう」

 それは誰に対しての謝罪で、誰に対しての感謝なのか。
 ルイズ自身でもきっと分からない。
 それでもその心はとめどなくルイズの心から湧きあがる。
 
 守られたのだとルイズは思う。
 許されたのだとルイズは想う。
 罪を背負って生きていけと、言われたのだとルイズはおもう。

「あり、がとう……」

 最期の言葉。
 まるでそれに応えるように、どこからか聞こえる猫の鳴き声。

 ――にゃあお  




 世はすべて事もなし。
 今日も平和な魔法学院、それを見下ろす小高い丘の上には誰が立てたか小さな墓がある。
 そこには誰が供えたか一冊の絵本と一輪の白い花。

 黒猫がにゃんと鳴き、一人の男と一人の女が笑う。
 しかしそれはすべて幻に過ぎず……


 今日も世はすべて事もなし。



 おそらく今日もまた薬はどこかで誰かの心の闇から産まれたモノノ怪を、斬って回っているのだろう。

「ジャン・コルベール殿、イッポンダタラの真と理、お聞かせ願いたく候」

 ほら、きっと、こんな風に……



 されど人の心に闇は絶えず、モノノ怪は尽きることは無し。
 ならば皆々様の真と理、お聞かせ願いたく。


 ――――にゃああああお





            ――――ルイズと化猫――――

               ――――完――――





[19212] あとがき
Name: 芍厄◆9bbdd4fa ID:e8cf8d4c
Date: 2010/06/10 18:17
 あとがき


 こんばんは、この度「ルイズと化猫」を書かせて頂きました作者の芍厄でございます。
 今回はネタバレ回避と、作者の自分語りはうざいと思い露出は最小限にさせていただきました。
 不快に思われた方居られましたら、申し訳ありません。

 さてこの作品は元々「あの作品のキャラがゼロのルイズに召喚されました」に投稿させて頂いた。
 「モノノ怪『枕返し』」「モノノ怪『絡新婦』」の三部作の最終話として構想を練っていたものでございます。

 モノノ怪の〆はやはり化猫でないと締まらないと思いつつ、冒頭からルイズ死亡はあのゼロスレにはそぐわないと言うことで
 プロットだけ用意してずっと御蔵入りしていた作品でもあります。

 これを書こうと思ったきっかけはとあるスレの話題で、ルイズの死亡について話が出たことで再び拙作を見返す機会に恵まれ。
 近年登場した設定を組み込めば、中篇として十分魅力的な作品に仕上げることが出来るのではないか?
 やはり書き始めた以上、自分が考えたネタは成仏させてやりたいと願うのがSS書きの常。
 拙い自分の技量でなんとかやってまいりましたが、少しでも皆さまに喜んで頂ける作品になっておりましたら無上の喜びでございます。
 しかし好きなものを全部詰め込んだら、別にゼロ魔でなくてもになってしまったのがなんともかんとも……


 ネタの相談に乗って頂いた某スレの方々。
 拙作に掲載場所を与えてくださった管理人様
 そしてしょっぱなからルイズ死亡と言う大きなハードルがあるにも関わらず、此処まで読んでいただいた読者様。


 皆々様に感謝を捧げ、この作品の締めとさせていただきたいと存じます。


 本当に、有難うございました


                  芍厄





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