過労死判決・和解集99年7月から |
金額 |
裁判所 |
年月 |
被告 |
概要 |
3 千 2 百 円 |
東 京 高 裁 ・ 判 決 |
9 9 年 7月2 日 |
システムコンサルタント(東京都新宿区) |
ソフト開発会社のシステムエンジニア(システム開発を担当)の男性(当時33歳)が脳出血で急死したのは、79年の入社以来、年間総労働時間は平均3,000時間近くで、死亡直前の1週間の労働時間は法定労働時間(48時間)の約1.5倍の73時間以上に達する過重な労働が原因の過労死だとして、遺族が損害賠償を求めた訴訟。 |
6 千 万 円 |
名 古 屋 地 裁 ・ 和 解 |
0 0 年 1 月1 3日 |
住友電設 (本社・大阪市) |
夫(当時42)が持病の気管支ぜんそくを悪化させて死亡したのは、89年に名古屋市で開かれた「世界デザイン博覧会」の宿舎工事では、現場の責任者として長時間働いた結果過労が原因だとして、愛知県一宮市の主婦鈴木美穂さん(47)ら遺族が夫の勤務先だった電気設備工事会社を相手取り、約1億1千万円の損害賠償と、同社が受け取った約1億円の団体定期保険金の引き渡しを求めた二つの訴訟で、同社が計6千万円を支払うことで和解。なお、これとは別に、遺族が名古屋東労働基準監督署長を相手取り、遺族補償年金などの不支給処分の取り消しを求めた訴訟で、名古屋地裁は99年9月、「ぜんそくが悪化したのは過重な業務が大きな要因だ」と労働災害だと認め、不支給処分の取り消しを命じている。 |
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大 阪 地 裁 ・ 判 決 |
0 0 年 1 月26日 |
堺労働基準監督署長 |
91年2月勤務中に運転席で亡くなった(亡くなる前の約4年間は、所定労働時間を大幅に超える、1日平均13時間を超える労働が続き、休日は月に3日程度だった。トラック運転手の妻が、堺労働基準監督署長に、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付などの不支給処分の取り消しを求めた訴訟。判決では、「過重な業務で慢性的に疲労が蓄積し、急性心筋こうそくを発症させたり、致死性の不整脈を急激に悪化させたと見ることができる」と判断された。長期間の蓄積疲労は労災の原因と認められた最初のケース。 |
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京 都 地 裁 ・ 判 決 |
0 0 年 1 月 2 9 日 |
地方公務員災害補償基金 |
京都市立小学校の男性教諭(当時39)が11年前、急性心不全で死亡した事件で、地方公務員災害補償基金府支部が、「公務外」と認定した処分取り消し訴訟の判決。判決は「この教諭はのは校務にかかわる過労が原因だとして、妻が多くの校務を受け持ち、初めて教務主任を務めていたため強い精神的ストレスを感じていた。自宅への持ち帰り仕事が常態化し、三学期からはとくに長時間労働だった」と認めたうえで、「教諭の年齢や健康状態からみて、日常生活のみによる発症とは考えがたい」とに認定した。 |
1 億 1 千 万 円 |
広 島 地 裁 ・ 判 決 |
0 0 年 5 月18日 |
オタフクソース(広島市西区)等 |
広島市主婦(62歳)が長男(当時24歳)は、ソースなどを製造する高温(夏季40度)、多湿状態の職場で、残業で勤務が約17時間になるなどの過酷な労働が原因で、精神的、肉体的な疲労が蓄積して健康状態が悪化、再三再四、上司に退職を申し入れたが、その度、慰留されて勤務、「ノイローゼかもしれない」と周囲に漏らしながら95年9月30日、職場で首つり自殺したとして、勤務先の「オタフクソース」と関連会社の「イシモト食品」(同)を相手取り、逸失利益や慰謝料など約1億3,700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で00年5月18日、広島地裁は、2社に対し約1億1,000万円の支払いを命じた。過労による社員の自殺で、これで会社側の過失を認めた判決は全国で5例目。なお、この件で、主婦は96年3月、公治さんの自殺について労災認定を申請。97年12月に認定を受けていた。これに対し会社側は「長時間労働はなく、うつ状態だった事実も知らなかった」と反論していた。 |
1 億 6 千 8 0 0 万 円 |
東 京 高 裁 ・ 和 解 |
0 0 年 6 月23日 |
電通 (本社・東京) |
大手広告代理店「電通」のラジオ局に配属され入社2年目の91年8月に首つり自殺した当時24歳の社員の両親が「勤務は深夜・早朝に及び、自殺直前は3日に1回徹夜で残業し、睡眠時間は1日平均2時間程度だった。こうした過労が原因」と会社に賠償を求めた電通過労自殺訴訟差し戻し控訴審の東京高裁で和解が成立した。和解内容は、96年3月の東京地裁判決が命じた賠償額1億2600万円に利息を加え、労災保険給付金の一部を差し引いた1億6,800万円余を両親に支払ったうえで謝罪する。
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大 阪 地 裁 ・ 判 決 |
0 0 年 6 月27日 |
地方公務員災害補償基金 |
93年7月、盗難事件の捜査中に倒れて死亡した大阪府警枚岡署の巡査(当時24)の父親が、息子の死を公務上の災害でないと判断した地方公務員災害補償基金大阪府支部の決定を不服として、処分の取り消しを求めた訴訟判決は「巡査は深夜勤務を含む不規則な勤務をしており、5月の大型連休も出勤。東京サミットの警備のため、約28時間の連続勤務をするなどした。そのため過労が蓄積、死と公務の因果関係が認められる」として、同支部の決定を取り消した。 |
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福 岡 高 裁 ・ 判 決 |
0 0 年 8 月27日 |
佐伯労基署 |
82年7月、港湾荷役会社で勤務中に心筋こうそくで倒れ、死亡した妻が過労死を主張して84年に労災申請、だが労基署が「男性は心臓に持病があった」として不支給を決定した佐伯労基署の決定の取り消しを求めた控訴審(一審の大分地裁判決は、過労と死亡に因果関係はないとして請求を退けた)で福岡高裁は、妻の請求を棄却した一審判決を取り消し、労基署の不支給決定を取り消す判決を言い渡した。判決は、(1)男性の症状は安定していた(2)死亡前の1カ月間に17日間連続して勤務していた、ことなどを指摘。「夏の暑い時期に業務の負担が増えたことと、心筋こうそくの発症には相関関係がある」と認定した。 |
1 億 1 千 3 5 0 万 円 |
広 島 高 裁 ・ 和 解 |
0 0 年 1 0月2日 |
川崎製鉄 (本社・神戸市) |
川崎製鉄水島製鉄所(岡山県倉敷市)の当時41歳の掛長が自殺したのは1991年1月に掛長に昇進して以来、所定労働時間の約2.3倍の長時間労働を強いられた結果のうつ病が原因だと主張して、遺族が同社を相手取り、約1億2,550万円の損害賠償を求めた訴訟の(前川鉄郎裁判長)での控訴審(00年4月高裁が和解を勧告)で、同社の幹部が遺族に直接謝罪することと、1億1,350万円を和解金として支払うこと和解が成立した。 |
1 億 3 5 0 0 万 |
大 阪 地 裁 ・ 判 決 |
02年2月25日 |
関西医科大学 |
98年3月に関西医科大学(大阪府守口市)を卒業し、医師の資格を得た後、同年6月から同医大付属病院院耳鼻いんこう科の臨床研修医になった26歳の長男が、同年8月16日午前0時ごろ大阪府守口市の自宅で「急性心筋こうそくの疑い」で死亡したのは、「連日午前7時半に出勤し、平日は午後10時すぎまで、手術の見学で遅くなったときは翌日午前2時ごろまで病院で勤務しており、土日もほとんど病院に出たいたばかりか、時間外でも頻繁にポケットベルで呼ばれ、死亡した前日も呼び出された(平日は1日平均13時間、休診日も平均4時間の勤務に対する手当ては「奨学金」として月6万円のみ)過重な長時間労働による過労死」だったとして、両親が同医大に約1億7,200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決。 判決は、医大側は「研修医の身分は大学院生に近く、病院の労働者ではない」との主張を「一般企業の新人研修的性格を有し、労働雇用関係と同様の指揮命令関係がある」として退けた上で、「@6月と7月の研修時間が労働基準法の法定労働時間(週40時間)の倍を超えたA点滴や採血、指導医の不在時の患者処置を担当し、「研修は時間的にも密度的にも過重で、精神的、肉体的に発症の原因となり得る強い負荷があった」として、「病院は、健康診断や研修内容の軽減など研修医の健康管理に細心の注意を払う義務があるが、それを怠った」と結論付け、医師としての逸失(いっしつ)利益など約1億3,500万円の支払いを同医大に命じた。 この事件をめぐっては、大阪地裁堺支部が01年8月、「研修医は指導医の命令に従って診察や治療をしており、労働者にあたる」と認め、遺族共済年金や未払い賃金に相当する総額約916万円を両親に支払うよう大学側に命じた(医大側控訴)⇒大阪地裁堺支部;「研修医は労働者」と認定、関西医大に賠償命令(01年8月29日)。 なお、長時間労働による研修医の過労死が認められたのはこれが初めて。 |
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東 京 地 裁 ・ 判 決 |
0 2 年 2 月 2 7 日 |
スポーツニッポン |
スポーツニッポン東京本社の競馬担当記者(当時38)が86年6月25日から33泊の予定で札幌競馬の取材に行き、7月25日にホテルで心不全で死亡したことをめぐり、妻(52)が、「出張パターンが定型化されていて、清水さんは競馬担当の経験も豊富で『過重な労働でない』」と労災認定しなかった中央労基署長を相手に起こしていた訴訟(労基署は遺族補償の給付を認めず、審査・再審査請求も退けられたことから、00年に提訴していた)の判決。 判決は、「競馬担当記者は、出張が多く、追い切り調教の取材で早朝5時ごろに起床するなど職務時間が変則的だった」ことや、「自宅とは環境が大きく異なるホテル暮らしが続いた」ことをあげた上で、「(1)1カ月を超える出張期間中に、死亡1週間前の1日あたりの出稿量が、1行13字換算で333行だったことは他社の記者と比べ圧倒的に多い(2)死亡5日前にはシンボリルドルフ引退の特ダネを書くなど、精神的緊張が高かった(3)死亡3日前には、高校野球の地区大会決勝の取材も重なった」などから、精神的、肉体的に相当負担のある業務(過重な業務=過労)が死亡の原因になったと認定し、労基署側の遺族補償の不支給処分を取り消した。 |
5 千 万 円 |
台 高 裁 秋 田 支部 ・ 和 解 |
0 2 年 3 月 1 2 日 |
京セラ |
93年から「京セラ」(本社・京都市)からカメラの開発技術者として香港の現地法人に出向、96年10月に出張先の中国工場で死亡した勤務していた社員(当時29歳)が急性心筋こうそくによる死亡したのは、「1日15時間以上の労働時間で出張も多く、死亡前は21日間休みがなかった」過労が原因(過労死)として、秋田県大曲市に住む父親(69)らが同社と現地法人を相手取って慰謝料など約8,840万円の賠償を求めていた損害賠償請求訴訟が、会社側が5,000万円を支払うことで和解(海外現地法人の過労死訴訟での和解は全国でも初めて)。
なお、秋田地裁は99年7月、「死亡と業務との因果関係は認められない」として請求を棄却。原告の控訴を受けた仙台高裁秋田支部が01年12月、和解を勧告していた。和解条項には過労死との表現はないが、京セラは「今後、従業員の健康管理に十分に配慮して健康配慮義務に尽くすよう努力する」などとしている。 |
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札幌地裁 |
0 6 年 2 月 2 8 日 |
北洋銀行 |
業務中に倒れ、00年7月に亡くなった北洋銀行野幌支店(北海道江別市)の営業課長=当時(56)の夫が(06年1月30日急逝)が、「妻の死は過労死」と訴えていた「北洋銀行斉藤過労死裁判」の判決があった。97年11月に北海道拓殖銀行が経営破たん、翌年11月に北洋銀行が営業譲渡することになり、00年5月に旧拓銀のコンピューターシステムに統合させるという短期間の難事業を遂行する過程で発生したことから、システム統合のためのマニュアルを覚えるため資料を持ち帰っていた、いわゆる「持ち帰り残業」を業務の延長、労働時間と見なすかどうかが焦点となった。 判決は、「国の基準(1カ月100時間以上の残業など)を満たさないからといって労災に当たらないとは言えない。勤務形態や緊張などを総合的に判断するべきで、原告の発症と業務には因果関係がある」と述べ、「過労死である」との判断を下し、「持ち帰り残業は業務と認められない」と申請を退けた札幌東労働基準監督署長の不支給処分を取り消した。 |
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