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タイで内閣改造、クーデター司令官の党が連立入り

2010/6/ 7 (00:15)| 主要ニュース  政治

【タイ】タイのプミポン国王は6日、工業、労働など8閣僚が交代する内閣改造を承認した。アピシット首相(タイ民主党党首)は2日の閣僚不信任案採決で造反した連立パートナー、プアペンティン党の派閥を追放するとともに、政権与党・民主党の閣僚を入れ替え、政権内のガス抜き図った。また、2006年の軍事クーデターを指揮したソンティ前タイ陸軍司令官が党首を務める小政党、マートゥプーム党を新たな連立パートナーに迎えた。

 解任されたのはプアペンディン党のチャーンチャイ工業相、ラノーンラック情報通信技術(ICT)相、プルティチャイ副財務相、民主党のパイトゥーン労相、ティーラ文化相、カラヤー科学技術相の6人。プアペンディンは閣僚不信任案の採決で、党所属の下院議員32人の約半数が連立パートナーのプームジャイタイ党の2閣僚に不信任票を投じ、プームジャイタイがアピシット首相に対し、造反議員の追放を求めていた。

 アピシット首相はプームジャイタイの要求を受け入れ恩を売る一方、民主党のチャイウット副教育相を空席となった工業相に横滑りさせたほか、ジュティ下院議員をICT相に就け、重要閣僚ポストを連立パートナーから民主党のもとに奪還した。民主党はまた、科学技術相にウィーラチャイ首相府相を転任させ、労相にチャルームチャイ下院議員、首相府相にオンアート下院議員、文化相にニピット下院議員を充てた。プアペンディンからはチャイヨット下院議員が副教育相に就任。マートゥプーム党からはタクシン元首相派ソムチャーイ政権(2008年)でICT相を務めたマン氏が副財務相に就任した。

 タイ字紙報道によると、政権を追放されたプアペンディンの派閥には下院第1党でタクシン派の野党プアタイが共闘を呼びかけているもよう。また、民主党のパイトゥーン前労相にはチャートタイパタナー党のサナン副首相とルアムチャートパタナー党のプラディット副財務相が新党結成を打診したという。3人はいずれもタイ北部ピジット県出身。

ソンティ前司令官、クーデター後は不遇? 
 
 アピシット政権は2008年末にバンコクの2空港を占拠した反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」の実質的な幹部であるカシット元駐日・駐米大使が外相を務めるなど、反タクシン派色が鮮明だが、タクシン政権追放のクーデターを指揮したソンティ前陸軍司令官が党首を務める党の政権入りは対外的なイメージ悪化につながりかねない。

 ソンティ前陸軍司令官は2006年9月の軍事クーデターでタクシン政権を追放した後、元の上司であるスラユット枢密顧問官(元陸軍司令官)を首相とする暫定政府を発足させ、軍を定年退官後の2007年10月からスラユット政権の任期が終わる2008年1月まで副首相を務めた。当初はメディアなどでクーデターを実行した大物として扱われたが、2008年のタクシン派政権発足後は表舞台から姿を消し、昨年、イスラム教徒が多数派のタイ深南部を地盤とするマートゥプーム党の党首に就任した。同党の下院(定数480)議席は3。

 タイの陸軍司令官は国の武力を実質的に統括する実力者。ソンティ氏は2005年に陸軍司令官に就任したが、これはプミポン国王の側近であるプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)の強い意向によるものだったという説がある。このときの人事は直前に、反タクシン派の会計検査院長の解任が国王の承認を得られないという異例の事態があり、手足を縛られたタクシン政権はカギを握る陸軍司令官ポストのコントロールを失った。タクシン派は2006年のクーデターについて、プレム議長が黒幕という立場をとっている。

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