雑誌「暮(くら)しの手帖」の名編集長だった故花森安治さんは月曜日になるときまって、編集部員一人一人に尋ねた。「キミ、昨日の日曜日はどうしていた?」。次の週もまた「キミ…」で明ける▼これがヒントとなって読者から休日を募る「すばらしき日曜日」が始まった。肝炎と闘いながら両親を看病する女性は「治療のない休日が尊い」と寄せた。覚悟の家出のはずが、数時間でくじけた経緯を書いた妻もいる▼連載をまとめた1冊を垣間見るだけでも、「幸せ」の形はさまざまだ。それを政府が国内総生産(GDP)とは異なる新たな指標で測るという。近く、幸せについての意識調査も実施するらしい▼「今年も自殺者3万人超」という悲しい記録を12年も更新し続け、中学生の2人に1人、高校生の3人に2人が「自分はダメな人間だ」と考えている日本。世界に冠たる経済規模を誇ってもそんな国が幸福なはずはない▼老若男女が希望につながる政策を待つ。むろん「最大多数の最大幸福」の実現は必要だが、幸せという感覚は個人の主観や人生までも映すもの。それを増減で測ろうとすることに違和感も覚える▼動機も怪しい。経済成長が望めない場合に幸福度が言い訳に使われないか。幸せを手に入れるには「足るを知る」ことが求められる時代、だからといってお上に「足るを知れ」と諭されるのはごめんだ。すばらしき日曜日でありますよう。
[京都新聞 2010年03月14日掲載] |