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追記

 投稿者:まこと@出先  投稿日:2010年 6月10日(木)00時07分25秒
返信・引用 編集済
  ●正社員を忌避して非正規雇用を選択する人達をどう捉えるべきなのか?

noizさんのように「安定した」雇用を求めて紹介予定派遣を利用する人がいる一方で、その「安定した」正社員の職を辞して、派遣など非正規雇用の道を選ぶ人達や、正社員と働ける環境がありながらも、元からその道を歩まない人達がいます。

その中には、私のように本来やりたい仕事を持ちながらの掛け持ちバイトという人間もいます。が、「正社員の仕事に疲れたから離れたい」という人達もいるわけです。このようなケースの労働者の場合、積極的に派遣など非正規の働き方を選んだかと言えば、そうとは言えないのは当然でしょう。彼らはディーセント・ワークが実現されるような職場環境であるならば、正規雇用でいいわけですから。

しかし、このような「消極的」な元正規雇用の非正規雇用労働者も含め、敢えて正規雇用という働き方を選ばない労働者の存在というのは、現在の日本の労働社会に対して非正規雇用の選択という形で「抗議」・「抵抗」している層とみることも出来るのではないでしょうか。

派遣労働を始め、日本の非正規雇用労働に数々の問題があることは、もちろん私も身をもって体験していますし、その改革が必要であるのは言うまでもありません。しかし、非正規雇用の拡大という現象を「搾取−被搾取」論の観点からだけでは無く、将来の労働社会のあり方も見据えつつ、もっと大きな視野で分析し、把握していきたいと思うのですね。
 

変わっていないように見えて変わっている現実

 投稿者:まこと@出先  投稿日:2010年 6月 9日(水)22時46分3秒
返信・引用 編集済
  ●「夢」を追う人達の数の増加

私の父親は中学2年の頃に「吉本の芸人になりたい」と思い、家を飛び出した経験がある人間なんです。まあ、そんな事は別にどうでも良いのですが、私の父親が若い頃などは吉本の芸人志望の人間は先ずは先輩漫才師のカバン持ちから第一歩を踏み出すというのが常道だったでしょう。芸能界に入るための裾野は広くありませんでした。

しかし、現在はどうでしょうか?先ずは吉本のNSCに入学するという若者が大半でしょう。吉本に限ったことで無く、芸能人になりたいという若者はアクターズスクールなどの専門学校に通うという選択をする人が多いでしょう。こういう現象は90年代になり顕著になったと言えるでしょう。

何が言いたいのかというと、確かにnoizさんが言われるように「夢追い」型の若者は時代を問わす存在したいたのですが、現在は「芸能界を目指す専門学校」という存在が社会的認知を得るほどまでに、その裾野が広がっている時代状況なんですね。

こうした状況は、別に芸能界に限ったことではありません。資格所得の専門学校や、既に一度は教育課程を修了した社会人向けの教育施設なども、80年代の終わりごろから90年代にかけて拡大の様相を見せてきました。

これらの現象を「資本による民衆の『夢』の搾取」などと断じることは容易いでしょう。しかし、私はそういう側面も認めつつも、こうした学校が一定の市場を形成し得るほどの民衆側のニーズが存在するという現実があるからこその現象なのでは無いかと考えます。

そして、彼らの中には敢えて束縛が少なくない正規雇用では無く、派遣を始めとする非正規雇用を選択する人達が少なくありません。noizさんは雇用形態における労働者側の主体性を過小評価しているようですが、彼らは「夢」のためには妥協したく無いからこそ、派遣など非正規雇用という道を選択しているのではないかと思うのです。

●非正規雇用という現実の「発見」

noizさんは私が昔から存在する「差別的な労働社会」を無視していると言います。確かに、寄せ場や飯場、女性パートなどは昔から低賃金・不安定労働を強いられてきました。

しかし、こうした「差別的な労働社会」というのは正しくnoizさんが指摘されるように労働者派遣法以前から存在していたのですね。では、なぜ「ワーキング・プア」や「貧困」といった言葉がマスコミでも頻繁に踊るような時代状況になったのか?

noizさんが挙げたような労働社会の問題というのは、嘗ては「寄せ場」など社会的少数者の世界に押し込められていました。しかし、新卒の最初の就職先が派遣会社という程までに派遣などの非正規雇用が広がった結果、派遣などの非正規雇用の持つ問題性がある種の「普遍的」問題として捉えられるようになった。つまり、問題は嘗てから存在していたのですが、その拡大の結果として非正規雇用という現実が広く社会的に「発見」された状況が2000年代の時代状況と言えるでしょう。

●新たな抜け道を「つくって」いくなら登録型派遣を禁止しても同じことではないか?

noizさんは「あれば使う。なければほかの抜け道を追及する。いうまでもなくそれが資本の利潤追及行動の現象です」と言われます。ならば、登録型派遣を禁止しようがしまいが、資本は新たな抜け道を探すので、規制はそれほど意味が無いという論理に行き着くのではありませんか?

それに、直接雇用という働き方、とりあえず正規雇用に限定しても、多くの問題を抱えていることは言うまでも無いでしょう。「貧困」の問題にしても、中小零細企業の正社員は常にリストラ・倒産による失業の危機を抱えていますし、その賃金も登録型派遣の労働者よりも少ないということは珍しくないでしょう。また、大企業の正社員の労働環境にしても、サービス残業、過労死、「名ばかり管理職」など数多くの問題があります。だからと言って、「直接雇用も搾取であり、悪だから直ちに廃絶せよ」という理屈になるのでしょうか?

賃労働そのものの廃絶を唱えるのならともかく、現状において派遣労働だけを突出させて、直ちに禁止することを求める合理的理由が私には分からないのです。

●当面は多様な労働者の存在を前提にした「生活保障の社会化」

「人生いろいろ、派遣もいろいろ」ではありませんが、私は一口に派遣と言っても多様な現実があると思っています。同様に、正規雇用も多様です。

例えば、技術者派遣では時給3000円台で働いているスーパー派遣社員もいます。彼らのような層は派遣とは言っても「高給取り」だし、職を失って路頭に迷うという可能性も低いわけです。かと思えば、私も登録しているフルキャストで時給800円で倉庫の仕分け作業をして日銭を稼いでいる人間もいます。

一方、一口に正規雇用と言っても、置かれている現実は多種多様です。大企業や公務員ならいざ知らず、先述したように中小零細の正社員は下手な派遣社員よりも劣悪な待遇に置かれていることも少なくありません。

私は脱工業化社会が進展するこれからのた社会においては、旧来の雇用契約形態に拘泥した議論では現実に対応できないし、何よりも労働者の権利擁護にも繋がらないと考えています。「ポスト資本主義」を踏まえた議論はなされるべきですが、当面は多様な雇用契約、労働環境を前提とし、また多様な民衆を包み込むような社会システムを模索していくべきなのではないでしょうか。

その際、キーワードは「生活保障の社会化」になると思います。

これまで大企業や公務員雇用において雇用者側が担ってきた福祉的側面を社会のシステムとして担えるように制度改革をする。生活給思想や企業の住宅扶助などの施策は大企業に勤める労働者にとっては良い制度ですが、非正規労働者はこうした枠組みからは疎外されているのが現実です。福祉システムは一義的には社会全体で構築されるべきでは無いでしょうか。

そして、こうした制度改革の中で、私は旧来の「正社員」というあり方をも抜本から見直しを迫られると思っています。従来は企業が担っていた生活給的な側面や住宅扶助などの諸手当の部分を、公的なシステムによって支えるようにすれば、労働者は企業から解放されるし、非正規雇用下に置かれている労働者もこうした福祉を活用出来るのではないかと思うのです。

ただ、新自由主義的グローバリゼーションが進行する現在では、こうした制度改革も「グローバル」に行われなければならないのでしょうが・・・。
 

国際革命文庫は読みにくい

 投稿者:大衆ストライキ  投稿日:2010年 6月 9日(水)22時18分28秒
返信・引用
  国際革命文庫は読みにくいです。
「次の章へ進む」というボタンがあるだけで、全体を見渡せません。
まず最初に全体の目次のページをつくって、そこから各章に飛べるようにしてほしいとおもいます。
また、国際革命文庫 5 「革命的戦略の学校」は、非常に重要な文献なので、できるだけ早く電子化してもらいたいと思います。
それと、『コミンテルン最初の5カ年』も電子化していただけないでしょうか。
よろしくおねがいします。
 

就業形態選択における主体性

 投稿者:noiz@労働逃避中  投稿日:2010年 6月 9日(水)11時04分34秒
返信・引用
  さて、議論(再論)の発端であるまことさんの登録型派遣禁止反対論ですが、その7つの論点うち1つめのものから違和感を持ちます。

これは繰り言になりますが、就業のありかたは自ら選びとるものなのか、という問題。労働力を切売りすることで生計をたてる労働者にとって、雇用のありようはむしろ所与の前提としてのみ「ある」のではないかと考えています。もちろん選択肢が複数あれば、選択それ自体のうちに展開される労働者の主体性はあるでしょう。そのことはもちろん認めなければならない。

けれども、派遣法成立以前と以後とで変わらぬ趨勢は、雇用のありかたは常に企業の側が提示してきたのであり、労働者がなんらかの社会的・政治的実体として労働政策を要求し、そして現実に雇用制度をつくらせて選択肢がふえきたのではありません。派遣法をしかけたのはもちろん「資本」の側であることは皆さんよくご存知でしょう。労働者はつねに「これで働いてみんか」と提示される選択肢のなかでせいいっぱいの自己の都合を展開してきたにすぎない。

ですから、かりに派遣法がなかった時代に労働法制が逆コースをいくとしましょう。そこでまことさんがいうところの(1)の類型にあてはまる人々は「夢追い」なりをあきらめますか? 生存を脅かされますか? そんこなとはありません。登録型派遣登場以前にも芸能者になりたい人たちはたくさんいたはずなのであって(そうでなければその頂点にいる芸人やテレビタレントなどは存在しない)、比較的柔軟な働き方でしのいでいくやりかたは時代状況に応じて可能な来し方があった。この歴史的規定性を無視して現況だけをきりとって「危機」を演出しようとする(1)の論点は承服できません。そして人は可能な限りそのときどきの状況に応じて「選ぶ」のだという雇用の物語は、派遣法が所与の前提とされている状況においても同じこととして語りうべきもののはずです。派遣法があろうがなかろうが「正規雇用」に比較して「イレギュラー」「インフォーマル」といえる雇用は現実にたくさんある。そして現実に人々は労働を選びとっていくでしょう(選んだといえるほどの内実があるかどうかはともかく)。

裏を返していえば、企業(経営)の側もまた可能な選択をしていく。まことさんはたとえば登録型派遣禁止が製造業におよぼす影響をあげられますが、製造業に展開されてきた下請け・孫請け(以下略)システム、季節工・期間工の雇用──かつて「非典型雇用」に数えられてきたもの──を雇用の調整弁として利用してきた「過去」についてどう捉えるのでしょう。あれば使う。なければほかの抜け道を追及する。いうまでもなくそれが資本の利潤追及行動の現象です。派遣法「改正」により登録型派遣が禁止されれば企業はまた別の選択肢を「選んで」いくでしょう。あるいは現実としての新たな抜け道を「つくって」いくでしょう(キヤノンの「請負」のように──これは社外工システムの現代的改版ではないか)。その結果として工場海外移転の決断なりがあるかもしれませんが、それにしてもかなりのリスクがあるのであって、そう簡単に登録型派遣禁止が製造業の海外移転指向に総体的な影響を及ぼすといえるのかどうか。そもそも、登録型派遣が可能になる派遣法「改悪」以前から日本企業の「海外進出」はあった。むしろその動機はプラザ合意に規定されている。つまり円高修正が国際政治(アメリカ主導の政治)によってもたらされたからこそ、国際展開できるだけの「体力」のある部分だけが「海外進出」していったわけでしょう? その趨勢は派遣法には規定されていない。順序を逆にしてませんか?

もっとふみこんでいえば、まことさんの立論は「底辺」を無視している。寄せ場や飯場の世界、あるいはもっと異なる形態の歴史的「非正規」である女性や性的少数者の限られた雇用がオトコ本工が上座にまします差別的な労働社会(あるいは産業社会)の構造の下部に位置づけられてきた「恒常的危機」を回避している。これらの「危機」は派遣法があろうがなかろうがかつてもいまも常に存在してきたものです。オトコの年長本工や若年者のおくれてやってきた「危機」体得により労働問題が露悪的に「問題」化されたわけですけれども、女性労働者やかつての「金の卵」たちにしてみればなにをいまさら!といったところでしょう。「多様」なイレギュラーな雇用はむかしもいまも変わらずにある。そのことはこれらの人々が骨身にしみて知っている。

それでも人は現実のなかで選択していく。そこにある主体性をどう捉えるのか、ということは、イストの皆さんの任務でもあるのでは?と思いつつ、今回はここまで。提題においつかないヨタで失礼しました。
 

ところでまた話題を変えますが

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 8日(火)20時38分48秒
返信・引用 編集済
  本日決まった菅直人首相の新内閣の顔ぶれを見ると、

・国交大臣が前原
・外務大臣が岡田
・防衛大臣が北沢 三人とも留任ですね。

6月3日に、なかのZEROで開催された「意見広告運動」の集会で
ヘリ基地反対協の安次富さんが激しい怒りの発言をしていまして
この三人に鳩山(前)首相、平野官房長官を合わせた五人を「沖縄差別の確信犯5人おとこ」と呼び
この中でひとりでも新内閣に残ったら絶対ゆるさないと言っていましたが
この顔ぶれでは安次富さん、怒り心頭でしょう。まったく横滑り。
平野がどうなったかはわかりませんが、官房長官だったら、菅内閣は沖縄を踏みにじった鳩山路線を
完全にひきつぐことを公言したも同然ということになります。

なお、この集会には徳之島からも三人来ていまして、
あいさつの中で、もし政府が強行するなら徳之島も成田の農民と
同じようになるかも?みたいな「ブッソー」な発言もありました。(^◇^)
 

横からごめんなさい

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 8日(火)20時06分36秒
返信・引用 編集済
  都市における産業の発展と地主による土地の囲い込みによって
農耕や畜産に従事していた農民が、共有地を奪われ、都市と農村との格差の拡がりの中で
生活不安定となり、季節限定で出稼ぎ、あるいは食い詰めて土地を放棄して
都市へ流れ込んでいったのが労働者階級生成の歴史なんじゃないですか?
ほとんどどこの国でも産業の発達とともに都市周辺に流れ者たちのバラック地帯ができる。
過去のイギリスやアメリカだけでなく、20世紀末の中国やベトナムでも
そのようにして貧困住宅地帯が発生し、そこが労働力の供給源となる。

8年前のベトナムでも空港の周辺地帯に貧民街があるのを空から見ました。
バンコクでもそうした貧困地帯を歩いた。
上海周辺にも農村からの流れ者が大量に住み着いています。
「労働者」という形態自体、その様にして「身売り」のような形で発生してきた。
noizさんの指摘は現代世界においてもあてはまっているように思います。
だから派遣という形態を労働者自らが望むというのは考えにくい。

バブルが弾ける少し前のころ、「好きな時に好きな時間はたらいて、あとは自分の自由な時間を楽しむ」
という「おしゃれな生活スタイル」がもてはやされたことがありました。
しかし、それは結局幻想だったんじゃないでしょうか?
現在では「自由な時間で労働」という概念は、完全に雇用主側のヘゲモニーのもとにあり、
雇用者が「必要な時に必要なだけ働かせ、あとはクビを切る」システムとなっています。
派遣という形態は雇用者にとって、そのような使い捨てをやりやすくする、都合のいい形態でしょう。
 

Re: 某ギャラリーさん

 投稿者:某ギャラリー  投稿日:2010年 6月 8日(火)17時06分0秒
返信・引用
  > No.7328[元記事へ]

まこと@携帯さんへのお返事です。


>労働運動の組織化に邁進していなければ、発言してはいけないんですか?

内容的にはnoizさんが仰る通りかと思います。

低賃金で国保料金が支払い出来ず無保険で病気治療も満足行えない派遣労働者
24時間拘束労働をしても最低賃金を下回る賃金しか支給されない派遣労働者
請負契約の打ち切りを口実に直ちに解雇される派遣労働者
等々、上げるとキリがありません。
満足な報酬を受け取る事が出来る派遣労働者など極わずかな専門職だけでしょう。

私が紋切り型の対応をしているのは、いつも精緻な分析をなさるまことさんが
事この派遣労働問題に関しては経験則に固執した近視眼的結論に拘泥する様が
理解出来ないからとも言えます。

>自らが経営しているとも出資しているとも書いていません。
>私は一介のプロレタリアートです。

現職を捨て起業に参集する場合、資本の一角に参加しているものと推断して
しまいました。この点はお詫びします。

私も本日の発言はここまでとします。
 

で、派遣はニーズにもとづいて用意されたものなのか、いれものとして用意されたから利用するのか

 投稿者:noiz@労働逃避中  投稿日:2010年 6月 8日(火)16時09分49秒
返信・引用 編集済
  議論の流れにからもうというには、肝心なこと書くの忘れてた。連投削除…汗

でですよ、多くの人はまず登録型派遣を求めているのでしょうか。なきゃない世界が過去にあったわけです。でも実質的に人身売買みたいな「雇用」はゴマンとあった。そこで生きてきた人たちは、ほんとにそれ、望んでそこにいたのか。極端なことをいえば、タコ飯場に望んでいく人っているのか。いねえよ。寄せ場が「誰も詮索しあわないから気楽だ」、そりゃそうだ、でもそんなの寄せ集まった結果でしかなくて、そういう場をつとめて自分たちでつくったわけじゃない。

と、ふまえてみたところで、現代の登録型派遣についてはどう考えましょう。現実にあわせて働き方を選択することがはたしてほんとうに「ニーズ」にもとづく行動なのかどうか、かつまた「必要悪」の要因として無前提に数えられてすむ性質の営為なのかどうか。まことさんがおっしゃるように、「つなぎでやむなく」「ただなんとなく」な人たちも「多い」(多寡をいうことばって便利ですね)。で、これらの人たち=わたしたちは、直接雇用に *現在においては* 接点がないために、「登録型派遣がなかったら?」ときかれたらメシの問題に直結してるわけだから「なくなったら困る」といわざるをえない。うん、たしかに必要がある。でもその必要の中身をよくみてみれば、「自由で柔軟な働き方からくる要求」とはもちろん一緒くたにはできない。ついでにいえば起業型イケイケで自由な働き方を「必要」としている人は多数派じゃないでしょう。自分も含め、圧倒的多数は流動するばかり(状況におし流されている)って「実感」があるんですが、これ間違ってますかね。さらにいえば「多様」性って、いってみりゃなんだかステキな感じだけれど、こと雇用の内実においてはこうした「実感」の断片の寄せ集めでしかない「偏差」としてのみあらわれるような気がするんですが。つまり実はそこからは何も語りえないのではないかという危惧が…

「素材」をいろいろともってくるのはいいけど、どう「料理」するかで立場がものすごーくでますよね、というやくたいもない話。しかしおれら貧民は料理されるばかり。なんかいらつくんですよね。ぺっ(←ツバをはく音)
 

現場はそれぞれでしょう、で、どうするのか

 投稿者:noiz@労働逃避中  投稿日:2010年 6月 8日(火)15時39分40秒
返信・引用 編集済
  まことさん、ギャラリーさんはその「現場」ゆえの立場から発言されてるんでしょう。でも別に「労働運動にかかわってなきゃ派遣労働について云々するな」とはいってないでしょう。ただ立ち位置が異なるからこそ議論がすれ違っているということを強調されているのでは?

というのも、まことさんは自らの知見の限りにおいて異論を出しているのだと強調されていますが、異論どうしがどう乖離していて、あるいは共通性がその背景にあるのかということについてはふみこまれていませんよね。そのあたりがたぶん、くりかえし話を返される要因ではないかと愚考します。

個人的なことをいえば、いまわたしは派遣という就業形態にはないのですが、それでも職をえるために登録型派遣の企業にも登録して(口入れ屋に身分預けて)仕事探したりしてましたよ。イヤイヤね。まことさん流にいえば、これまた労働者の一つのありかたであり、「労働者は不安定な派遣雇用を積極的には望んでいない」という一つのケースとして提出できるわけです。わたしごときの話を持ち出すまでもなく、登録型派遣で仕事を探している人にはよく分かるかと思うんですが、「紹介予定派遣」というものがあって、これは近い将来において(数カ月〜一年くらい)直接雇用にきりかえる前提のもと、「有為な人材」を集めるコストを圧縮するために派遣企業が口入れ屋として介在した結果の「人材募集」形態の一つとしてあるわけです。こういった形態の「人材募集」にはものすごーくたくさんの失業者や予備軍が殺到します。それこそ雇用条件や業種によることですけど、一般的にいってそらもすのごい競争ですよね。募集情報が流れてから一日で応募書類が何十通もくるってのがエージェントの弁でこれはブラフでもなんでもなくて、面接にまでこぎつけた人は分かると思うんですが(笑)派遣先の企業自身が応募数の大さにびっくりしてすぐに締め切ったりとかザラにあるわけです。そこでわれわれプロレタリアートはおしあいへしあいしている。しかしこの「直接雇用(の可能性のある)市場における圧倒的な闘争(競争)状態」についてよりふみこんでいえば、「なるべく安定して働きたい」と考える労働者もまた存在するのだということが、ここからもいえるのではないかと思います。「わたしの知っている限りでは」、でですけどね ;-)

んで、も一ついっておきたいことは、「柔軟な働きかたを求めている人」、「やむなく派遣で仕事を探してもう抜け出せない人」えとせとら、えとせとら、そうした「多様」性をどうとらえるかというところで、異なったケースばかりを投げつけあうばかりでは、本筋の議論がなおざりにされるばかりか、あるいは自らのものの考え方がどうかと点検することさえままならない、ってことにはなりはしませんかねと思うわけです。

かくいうわたしも、わたしの周囲には派遣待望タイプの労働者仲間はあんまりいないなーといっておきたいと思います。たぶんそれって、類は友を呼ぶが一面の現実をいいあててしまうような状況があるからこそだと思いますね。たしかにわたしは起業したいとか、そのお手伝いしましょかとか、なかなかそこまで「希望」がたちあがってこないんですよね。日々の労働でくたばっちまう。それもまた賃金労働者がかいまみせる「多様」な姿の一つなわけです。笑

ごめん追記:
でですよ、派遣法があろうがなかろうが寄せ場、タコ飯場、下請け・孫請け(以下略)がふつーにありつづけてきた(「登録派遣」「スポット派遣」はその現代的方図にすぎないともいえる)日本資本主義の二重性、つまり大企業を頂点とするピラミッド型の資本主義の構造こそが、「事実としての口入れ・人買い」をなかば制度化してきたのだととらえることはできませんかね? 寄せ場あるいは恒常的失業を「底辺」にすえた構造化された差別こそが、われわれの「労働市場」の基礎をなしているのだとしたら? 「派遣」、あるいは「人買い」の歴史は、法制度より以前にあるという歴史性をふまえて考えてみたい思っています。が、これまた労働に意志が粉砕されてただ惰眠をむさぼる一匹のプロレタリアのタワゴトにすぎないのでした。
 

「へのへのこ」

 投稿者:鍋山@昭和の左翼・大汗  投稿日:2010年 6月 8日(火)15時05分59秒
返信・引用 編集済
  6月16日(水) 午後6時半〜 千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)
「60年安保闘争」50年・ベトナム解放35年
       池澤夏樹・吉川勇一講演会
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/206IkezawaYoshikawaKoenkai.htm

6月19日(土) 午後1時〜 社会文化会館
「もうやめよう! 日米安保条約」集会・デモ
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/2010-6-19AnpoShuukai-Demo.htm
 ●地下鉄 有楽町線 「永田町駅」下車 2番出口から 徒歩3分
 ●地下鉄 半蔵門線・南北線 「永田町駅」下車 3番出口から 徒歩4分
 ●地下鉄 丸の内線・千代田線  「国会議事堂前駅」下車 1番・2番出口から徒歩6分

6月20日(日) 午後5時〜リレートーク 6時〜デモ
 沖縄に連帯する埼玉市民行動
  JR浦和駅西口駅前
http://shiminj.blog108.fc2.com/


【菅直人の過去の沖縄基地についての発言】

沖縄タイムス
新首相に菅氏 前政権の失敗に学べ
説得すべきは相手は米国だ
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-06-05_7014/

〜〜〜
 菅首相は過去に何度も「海兵隊撤退論」を主張した。「常時駐留なき安保」の考えは鳩山前首相と気脈を通じる。
 98年に沖縄で開催した党大会で、党代表だった菅氏は「海兵隊を米領に戻しても日米安保上支障はない。どうしても必要であれば削減して本土へ移転するのも当然だ」と海兵隊の県外・国外移転を打ち出した。
 沖縄の基地問題に関する超党派勉強会の会長に就任した2005年、普天間の辺野古移転について「不可能だ。県外、国外へ移転すべきだ」と発言した。
 日米同盟を維持するにしても在日米空軍と第7艦隊を継続駐留させれば海兵隊が米国へ退いてもアジアの安保環境へダメージを与えない、との論陣を張った。米軍再編を受けた日米交渉で在沖米海兵隊司令部など8000人のグアム移転が決まった後も同じように主張していた。
 ところが鳩山内閣で副総理に就任してからは普天間を含む安保問題について発言を控えていた。
 いまは鳩山前首相による日米合意を継承するという。政治家が「言葉の重み」を顧みなかったことが前内閣の致命傷だった。菅首相も同じ過ちを繰り返すのか。
〜〜〜

【沖縄民主党・喜納昌吉はどこへ・・・】
《緊急インタビュー》喜納昌吉:鳩山総理辞任と沖縄のゆくえ
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/06/post_583.html

【参院選沖縄選挙区】
〜社会大衆党候補を統一候補として(民主・社民・共産)という話が頓挫して〜〜

琉球新報
宙に浮く独自候補擁立 民主県連
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163086-storytopic-53.html
 

某ギャラリーさん

 投稿者:まこと@携帯  投稿日:2010年 6月 8日(火)13時11分57秒
返信・引用
  そもそも、労働運動の組織化に邁進していなければ、発言してはいけないんですか?某ギャラリーさんの言いようはそのように聞こえますね。

その他の点については、既にこの掲示板で語り尽くしているので、今更繰り返しません。それなりにこの掲示板を読み込んでいる「ギャラリー」ならば、私の過去の投稿も読みこなしているでしょうから。

なお、私は知人の会社の立ち上げに関わっているとは書きましたが、自らが経営しているとも出資しているとも書いていません。私は一介のプロレタリアートです。こうした決め付けにも、「多様な労働者」の存在を見つめようとしない視座が現れているような気がします。

連動投稿になるので、また明日以降に書けたら書きます。
 

訂正

 投稿者:まこと@携帯  投稿日:2010年 6月 8日(火)12時55分22秒
返信・引用
  誤・時代状況を無視した
正・少なくない労働者のニーズを無視した
 

Re: おそらく

 投稿者:某ギャラリー  投稿日:2010年 6月 8日(火)12時52分12秒
返信・引用 編集済
  > No.7323[元記事へ]

まことさんへのお返事です。

> いわゆる「運動」現場からの視点だけでは、

労働運動を創り出すと言う立ち位置に無い方の視点として承ります。

>かつての自分の考え方が一面的であることが自覚出来ました。

自覚前と後で派遣労働者の状態は改善されましたか?

> 「運動」と関わりを持たないフツーの派遣労働者の大半は

その「フツー」の人々と数百万の派遣労働者に労働条件における差異は
あるのでしょうか?

>多くの人達は「登録型派遣という働き方があってもいい」「無くなると困る」という
>反応です、私が知る限りでは。

私は労働者側が雇用の改善を求めるとき資本の責任からネグレクトできる如何なる
派遣契約システムにも反対です。

まことさんが、赤やピンク色の資本家を目指すのかはたまたロバートオウエンになられるのか判然としませんが起業がご成功されますようご声援申します。
 

追記

 投稿者:まこと@携帯  投稿日:2010年 6月 8日(火)12時21分3秒
返信・引用
  ある方が私に指摘していたことですが、派遣という中間搾取は「悪」だから直ちに廃止しろという理屈は、北朝鮮経済制裁論の「左」版と言うべき思考なのでは無いのでしょうか。

私も今では、現在の資本主義システムの「揚棄」を希求する立場性に立脚しつつありますが、派遣労働の「死滅」ならともかく、時代状況を無視した派遣労働の「強制的解体」を志向するような思考とは一線を画したいと思っています。
 

おそらく

 投稿者:まこと  投稿日:2010年 6月 8日(火)11時57分40秒
返信・引用
  いわゆる「運動」現場からの視点だけでは、自ら派遣などの非正規雇用の働き方を選び取っている労働者の姿は、見えないんじゃないですか?

私もかつては派遣なんて労働者搾取の最たるものと考えていましたが、数年前から正社員をやりながら副業として、そして今は正社員を辞めて知人の先輩が起こした会社の立ち上げをしながら派遣労働をする中で、自らの体験と「運動」とは関わりを持たないフツーの派遣労働者と関わりを持つ中で、かつての自分の考え方が一面的であることが自覚出来ました。

私が知る限りでは、「運動」と関わりを持たないフツーの派遣労働者の大半は、「登録型派遣禁止?なんで??」という反応ですよ。就職、転職までの繋ぎ、フリーター、別に本業をもちながらの副業バイト、ただただ状況に流されながら何となく派遣を続けている人達…、さまざまですが、多くの人達は「登録型派遣という働き方があってもいい」「無くなると困る」という反応です、私が知る限りでは。
 

基本的に中間搾取は悪です

 投稿者:某ギャラリー  投稿日:2010年 6月 8日(火)10時13分41秒
返信・引用
  > No.7320[元記事へ]

まこと@携帯さんへのお返事です。

まことさんと生活環境が異なるのか、私は、ついぞ「派遣」を進んで選択し嬉々として労働に勤しんでいる方に接触したことがありません。

それより就活でめぼしい就労先が無く不本意ながら派遣型雇用の蟻地獄に収れんされていく膨大な人数を目の当たりにしています。
さらに、無権利・無保障の劣悪な派遣雇用に甘んじ人生設計すら描くことが出来ない数百万の労働者が存在するこの状態を転換することが焦眉の課題です。

そもそも、私個人としては手配師やげぜんの類が合法化され広範は雇用に関わることに反対であり、これらの雇用ツールを一掃すべきと思っています。

これらの存在が資本の搾取にフリーハンドを与え新たな「蟹工船」状況を現出させた
ことを想起するなら「派遣企業」の社会的存在を解体することは不可欠であり、その様な思いで私は「派遣法改正」運動に関わって行くつもりです。
 

素朴な感想

 投稿者:草加耕助  投稿日:2010年 6月 8日(火)09時23分15秒
返信・引用
  > No.7319[元記事へ]

まっぺんさんへのお返事です。

> 関西派のこの自己批判をどう思いますか?
> 第四インターへの自己批判と比較しても、前進した内容のように思われます。

私もそう思います。

ただ、インターの時は「主張は正しかったがやり方が間違っていた」という大筋なわけで、なおかつその「主張の正しさ」について、たとえばインターが反革命だったのか、それとも単に誤った主張をしている人民の一部だったのかという点について内部で意思一致ができていないみたいだし、それを反映して「やり方の誤り」についても、どこまでをそれに含めるかの意見の一致がまだできていないみたいだった。いろいろある意見の最大公約数として、「とりあえずテロったことは間違いだった」という線でまとめたから、非常に奥歯にもののはさまった言い方になった。

だからこの時の評価点としては、内容そのものよりも、そういう状態の中でとりあえずテロへの自己批判を出して一石を投じると共に、そのことによって後戻りできない「方向性」を確定したことだと思う。

その点、白井さんの場合は、党内部における意見の齟齬や問題提起に対する、度外れた統制と内部粛清の問題だから、インターへのテロとは違って、攻撃したことそのものが誤りだったという点で、よりすっきりとした自己批判が出しやすい。その違いが大きいんではないだろうか。つまりインター目線では「同じ問題」でも、彼らにとってはまるで性格の違う問題なのであって、それが反映されているという印象です。

私にとっては、白井さんの「中核派民主派宣言」の内容に言及されていない点が、むしろ不自然に感じるのですが、そのあたりの感性も影響しているのかな、あるいは同書の評価が定まっていないのかなと思います。

とりあえず、前回のテロ自己批判にはじまり、今回の白井さんへの自己批判をひとつの架橋として、彼ら自身が言っているように、「一国社会主義論批判」にとどまらない、スターリン主義のイデオロギー的な対象化作業を進められることを期待します。

http://bund.jp/

 

「網」の掛け方が問題

 投稿者:まこと@携帯  投稿日:2010年 6月 7日(月)16時47分30秒
返信・引用
  共産党を始めとした「左」の側からは、「派遣をやっている人達は正社員で就職出来ずに仕方なく派遣という働き方をしている人達ばかりだ」という論調が聞こえてきますが、自分から積極的に派遣という働き方を選択している人達も少なく無いというのが派遣労働者としての私の実感です。

これまでの非正規雇用の拡大に資本側の思惑が多分に働いているのは事実ですし、労働法制の規制緩和が資本側のイニシアティブで行われてきたのも事実ですが、私は労働者側の意識変化というファクターも否めないと思います。

そして、敢えて非正規雇用を選択する労働者の行動は、現状は日本の労働社会に対する批判的行動という側面もあると思います。

もっとも、現在の派遣法制に問題が山積しているのは事実ですし、労働者の権利を擁護するための法規制改革が必要ですし、セーフティネットの強化も為されるべきです。

ただし、登録型派遣の禁止だとか「派遣絶対悪」が労働者にとってベターかと言えば、必ずしもそうは言えないと思います。むしろ、派遣という働き方を選び取っている労働者にとって、そのような動きは抑圧的に機能するでしょう。

「網」の掛け方が、いま問われるでしょうね。
 

白井朗さんへの追悼と革共同の謝罪

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 7日(月)16時43分50秒
返信・引用
  関西派のこの自己批判をどう思いますか?
まだ斜め読みですが、
第四インターへの自己批判と比較しても、前進した内容のように思われます。
とりわけ自分を「革共同のスターリン主義への転落」としている所など、見るべきものがあります。
残念なのは、自己批判の相手がすでに他界していることです。
また、この一歩前進した地平に立って、再度第四インターへの自己批判を検討することを期待します。

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白井朗さんへの追悼と革共同の謝罪

革命的共産主義者同盟再建協議会
                                     2010年6月1日

昨年7月、革共同全国委員会の創設メンバーの一人であり、『前進』編集局長であった白井朗さん(山村克同志)が逝去された。
われわれは、白井さんの死を悼むとともに、革共同が第6回大会(2001年)で白井さんを「反革命」と規定して除名したこと、そしてわれわれもその処分に賛成し、白井さんにたいする組織的なテロルを容認したことを全面的に謝罪する。
また、この謝罪が遅きに失し、白井さんの生あるうちに実現できなかったことと、現時点でこれを革共同全体の謝罪となしえていないことを、かさねておわびする。

「白井問題」の本質はなにか
われわれは、06年3月14日に、党組織を私物化し財政的な腐敗を深めていた関西地方委員会議長を打倒し、翌07年11月に革共同の腐敗と変質の元凶である清水・安田体制と決別した。われわれは革命的共産主義運動の再生を目ざす理論的実践の重要な柱として革共同の歴史的総括を行ってきた。
その総括作業のなかで、80年代をとおして清水議長体制の下で党内民主主義が極限的に圧殺され、党が階級との生きた交通を欠落させ、ついには政治局そのものが崩壊していったことを明らかにした。ソ連崩壊、総評解体・連合結成などの情勢に革共同が党としてまともな対応ができなかったのはその結果であった。この政治局の崩壊過程における最大の組織問題であり路線問題が、いわゆる「白井問題」であった。
われわれが清水・安田体制と決別し、革共同の再建に踏み出していく過程で、白井さんからわれわれにたいして、「3・14決起を支持する」という意志が伝えられた。われわれはこの白井さんの意思表示にたいしてどのように応えていくかを検討し、彼と意見交換を行うことにした。すでにかなり病状が悪化していた白井さんから直接話を聞くことができた。この討論から数カ月後に白井さんは亡くなった。
われわれは、白井さんの話をもとに独自の調査を重ね、われわれ自身の根底的な反省と自己切開を行ってきた。そのことをとおしてわれわれは、清水丈夫議長が「白井問題」なるものをねつ造することによって、白井さんが提起した重大な路線的かつ実践的な批判を圧殺したことが、革共同政治局の変質とその崩壊を象徴する組織問題であることをつかみとることができた。

白井さんの提起
80年代後半から90年代前半にかけて、白井さんが政治局あるいは党組織内部において提起した主要な批判は次の3点であった。
1点目は、1986年の『前進』新年号の政治局アピールに入管問題にかんする記述が欠落していたことを白井さんが指摘したことから始まった。すなわち党内における7・7自己批判、7・7思想の風化にたいする批判である。
2点目は、91年のソ連崩壊にたいする無感動と危機感の欠如にたいする批判である。
清水らのスターリン主義にたいする把握は、社会主義論・共産主義論について深化させることを拒否し、いつまでも革共同第3回大会(66年)の「一国社会主義論」批判のレベルにとどまっていたのである。それは国有化と計画経済があれば、スターリン主義権力のままでも社会主義が可能になるというものであり、こうした理解の枠をこえる理論的・実態的解明を党内で行うことを抑圧していたのである。
3点目は、94年に成立した社会党・村山首班内閣にたいして、『前進』が「社会ファシズム」規定を行ったことにたいする批判である。
白井さんはそこに、1930年代のドイツ共産党が「社会ファシズム」論のもとで、国家権力とたたかわずに、ナチスと組んで社会民主党を主要打撃の対象としたのと同根の誤りを見た。

政治局内の路線対立
政治局内部でこのような深刻な意見の対立が生じたときは、党大会の開催をふくめた全党的な討論に付すべきものだ。
ところが清水は白井さんが執筆した民族問題にかんする論文を自分が書いた革共同第3回大会(66年)の第2報告を否定していると見なして、「これは自分にたいする権力闘争だ」と決めつけ、論文の撤回や書き直しを命じ、さらに公表禁止処分にするなどして、白井さんの意見を封殺しようとした。また白井さんが仲山良介の『資本論の研究』を批判したことにたいしても、清水らは、「同書は党決定である」として、その批判を禁じた。
このようにして清水らは、白井さんが理論的路線的な批判を提起したこと自体について「自己批判」を迫り、彼の意見・思想を放棄させようとしたのである。当時の政治局はその声明の中で「本社での自己批判の作成の環境と待遇は決して悪くなかった。これを強制であったと言うならば、獄中に入れられたらすぐ転向するということではないか」(99年8月)といっている。まさに彼ら自身の口から「本社での自己批判の作成」が、国家権力が監獄でおこなう転向強制と同じものであったことを自己暴露している。

組織的テロルで反対意見を圧殺
権力との攻防によって政治局会議の開催が困難になっていたなかで、白井さんは、政治局内の対立を解決するために党内討論を要求していた。

3千点の物品強奪
これにたいして清水らは、94年3月、白井さんの意見を受け入れて政治局会議を開催するという返答を手紙でおこなった。しかしそれは政治局会議開催を口実にして、彼を非公然アジトからおびきだすための方便であった。そして清水の指示を受けたメンバーは、白井さんの留守中にあらかじめ作製していた合鍵を使ってアジトに侵入し、3千点におよぶ物品を持ち去った。異変を察知した白井さんが帰宅したときには、すでにがらんどうになったアジトの机の上に大型のバールが1本、これみよがしに置かれていたという。
清水らはこうした凶行を合理化するために、「党の機密文書の回収」(『共産主義者』123号)のためにやったとか、「党防衛活動」(同書)のためだったと言い訳をしているが、それはまったくのウソである。清水のねらいは民族問題にかんする白井さんの原稿を奪い取って、彼の言論を圧殺することにあったのだ。

反革命規定とテロル
しかし、白井さんがこのアジト襲撃の事実を暴露して、公然と革共同批判を開始すると清水ら政治局は、「山村(白井さんのこと)反革命を徹底的に粉砕する」(パンフ『白井問題とは何か』2000年4月15日発行)と白井さんにたいして反革命規定を行い、01年の革共同第6回大会で除名を決定したのである。
この決定と前後して、01年1月には白井さんの借家に放火した。このとき着火剤を使用して放火したため、木造の隣家を含めて危く全焼するところであった。
そして02年12月に清水ら政治局は白井さんを肉体的に殲滅することを決定し、それを実行した。このとき襲撃者たちは、宅配便業者を装って白井さんの住居に突入した。彼らは、内からカギをかけて電話線と電源を切断したうえで、白井さんをうつぶせにし、両腕関節を脱臼させ、右手に集中的ダメージを与え、両脚膝のほとんどすべての靱帯を切断する重傷を負わせた。そして白井さんのノートや手帳などを奪って逃走した。
白井さんは、このダメージが終生の「障害」となった。彼は、それをのりこえて、民族問題にかんする第2の著書の刊行に執念を燃やし尽くして斃れたのである。

革共同の堕落・変質
ここに見られるような白井さんを肉体的にも抹殺することを狙いとした一連の党内テロルは、革共同を共産主義の党から堕落、変質させるものとなった。
清水らはこれらの党内テロルに革命軍を使いながら、大部分の党員にたいしてはその事実を隠蔽し続けた。ここで「党内テロルだから公表しない」という言い訳は成り立たない。反対意見の抹殺が目的だから党内にも秘密にしたのである。
革命軍の同志たちは、こうした腐敗した党内テロルの発動に黙って応じることによって、自らを清水ら政治局の私兵へとおとしこめてしまったのである。

デマの流布
さらに清水らは白井さんにたいする「反革命」規定や除名処分をもっともらしく見せかけるために、以下のようなデマを党内外に流布した。
そのひとつは、98年の金沢市内における失火事件で、警察権力に逮捕された白井さんが「革共同からの脱党を権力に誓って釈放された」というものである。
「脱党を権力に誓った」というのは事実無根のデマだ。実際、白井さんは、失火事件以降も革共同の党員として激しい清水批判の党内闘争を継続していた。だから清水らは、このような卑劣なデマを流して白井さんを除名したのだ。
いまひとつは、上記の失火事件で逮捕された白井さんが、「救援連絡センターの弁護士を拒否してブルジョア弁護士に依頼した」というデマだ。
これは事実の歪曲である。真相は、白井さんが獄中にとらわれていることを絶好の機会とばかりに、清水らが自分たちの息のかかった弁護士を送り込んで、弁護士接見を利用して白井さんに屈服を迫ろうとしていたのだ。この見え透いた策謀が白井さんによって拒否されたというだけのことである。権力を利用しようとしていたのは清水らのほうだったのだ。
みっつめは、白井さんが肉体的テロルを受けたときに「警察に被害届を提出した」というデマだ。
これは現在でも安田派周辺で「白井=転向者」「白井=権力のスパイ」論を裏づけるものとして語られている。しかしこのような事実も存在しない。これは実際に調べてみればすぐにわかることだ。だから清水らは、決して公式文書にはのせずに、もっぱら口コミでこのデマを流し続けている。

愚劣な誹謗中傷
また、白井さんにたいする個人攻撃として、彼が非実践的なインテリゲンツィアであるとか、党内で討論すべき内容を党外の出版物にのせたとか、党の組織防衛上重要な秘密を公表した、などという非難がなされている。この点について、われわれがつかんだ限りのことを明らかにしておく。
白井さんは党内闘争の初期の段階で、清水によって意見の公表が禁止されたことに抗して、党大会の開催要求をおこなうとともに、党内で彼の文書を回覧することを要求していた。
そうした要求がすべて拒否され、清水らが暴力に訴えて白井さんに屈服を強制してきたときも、白井さんは危険を冒して複数の政治局員に直接面談して自らの意見を訴え続けていた。
しかしそうした努力が実を結ばなかったために、99年に民族問題にかんする最初の著書『20世紀の民族と革命―世界革命の挫折とレーニンの民族理論』(社会評論社)を刊行した。
そして09年4月には、死の床から民族問題にかんする第二の著書『マルクス主義と民族理論―社会主義の挫折と再生』(社会評論社)を刊行した。
このように、清水体制の抑圧と暴力に抗して、全党を獲得し、プロレタリア階級と人民大衆に訴えるために終生たたかいつづけた白井さんの生きざまをみれば、「非実践的インテリ」であるとか、「党の秘密を暴露した」などというのが愚劣な誹謗中傷に過ぎないことはあきらかだ。

革共同のスターリン主義への転落
90年天皇決戦をたたかった革共同は、戦後世界体制の崩壊という歴史的局面において、労働運動に軸足をおいて、革命に向って新たな本格的な前進を開始するために、5月テーゼによる戦略的転換を図った。
そこで問われていたのは、先制的内戦戦略にもとづく軍事偏重路線によって党と労働者階級人民との生きた交通が失われてきたことと、とくに80年代後半において革命党の生命線である党内民主主義を圧殺する清水の独裁的な指導体制が形成される中で、革命的共産主義運動の腐敗と破産が進行していたことの総括であった。
ところが5月テーゼの提起は、こうした全面的な総括をめぐって真剣な党内討論をまきおこしていくものではなかった。
結局5月テーゼ以降の議論が、破産した清水体制の焼き直しでしかない清水・安田体制を、あたかもそれが「レーニン的オーソドキシー」であるかのように美化することで終わったことに根本的な問題があった。

80年代総括の核心
われわれが90年代の初頭に総括すべき核心問題は次のようなことであった。
第1に、80年代の中曽根反革命にたいしてプロレタリア階級と人民大衆による階級的反撃を組織するのではなく、「革命的武装闘争(ゲリラ・パルチザン戦争)」をもって代行させた革命軍戦略の誤りである。これによって革共同は労働者階級・人民との生きた交通を急速に失っていった。
第2に、党組織の準軍事組織化によって上意下達の官僚主義がまん延し、革命党の生命である党内民主主義、プロレタリア民主主義が圧殺されていったことである。それは革共同の党的力量が運動面でも理論面でも著しく後退していったことと無関係ではない。
第3に、そうした結果として、国内においては、総評解散・連合結成、国際的にはソ連崩壊とグローバリゼーションの急進展という歴史的転換点において、帝国主義の新自由主義攻撃の全面化とたたかいえず、スターリン主義を真に克服する社会主義・共産主義像を示すことができなかったことである。

「白井問題」と一体
以上の問題は、91年5月テーゼによる路線転換の裏面で進行していた「白井問題」の根底的総括と不可分一体のものである。
先に述べた白井さんの3点にわたる批判は、本来であれば革命的共産主義運動の内実をより豊かなものにするはずであった。また白井さんの民族問題にかんする二つの著書はマルクス主義の民族理論に一石を投じたものであり、革命的共産主義運動の再生をめざすものにとっては真剣に向き合わなければならないものである。
そうした一切を閉ざしたのは、清水らによる抑圧的な指導体制の完成にある。反対意見の禁止と排除、分派の実質的禁止、処分としての自己批判による自説の撤回の強制、党の執行機関のメンバーや大会の代議員までのすべてが任命制で決定される。こうして革共同を共産主義者の自発性、創意性を抑圧する機構に変質させたのが、清水・安田体制なのである。
「白井問題」に即していえば、清水・安田らは政治局内部の重大な意見の対立を、全党員とプロレタリア階級と人民大衆から隠蔽し、そのうえで反対意見の持ち主に「自己批判」を強制して意見の放棄を迫り、最後は肉体的テロルによって追放、抹殺を図ったのだ。
このどこに「レーニン主義」や「本多思想」があるのか。これこそスターリン主義への転落そのものではないか。

謝罪と決意
もはや清水体制のもとにある「革命的共産主義者同盟」は死んだ。「白井問題」としてあらわれた革共同の汚点、敗北、腐敗、変質を見すえ、えぐりだし、総括と反省を階級の共同財産とすることこそ、革命的共産主義運動を再生する唯一の道だ。
まずなによりもわれわれ自身が「白井問題」にたいしていかなる態度で臨んでいたのかを自己切開しなければならない。
われわれは当時、白井さんのたたかいを「権力闘争」と規定する清水らのやり方に賛成し、白井さんの主張を「反革共同」としてしかとらえることができなかった。そして清水らによる白井さんへの組織暴力に荷担してしまったのである。
とくに第6回大会においてわれわれは、白井さんへの「反革命」規定と除名決議に賛成し、知らされなかったこととはいえ、その後の白井さんへの凶悪な党内テロルを容認してしまった。そして清水ら政治局の問題性にたいして、当時のわれわれはほとんど無自覚であり無批判であった。われわれは、このことを共産主義者としての痛苦の念をもって全面的に謝罪するものである。
今日的にとらえ返すならば、われわれが06年3・14決起で、関西地方委員会指導部の組織暴力を粉砕してこれを打倒したたたかいは、「白井問題」にあらわれた革共同の腐敗と変質をのりこえるたたかいそのものであった。3・14決起によってわれわれは、1920年代のロシア共産党内におけるスターリンにたいするトロツキー・左翼反対派のたたかいの敗北を乗り越え、白井さんによる清水・安田体制にたいする核心的な批判を継承して、社会主義・共産主義を再生する第一歩を踏み出したのである。

誤った評価や態度
以上の革命的共産主義運動の今日的前進をかちとっていく立場から、われわれは革命的左翼内部における3・14決起や「白井問題」をめぐる誤った評価や態度について、批判をおこなっておく責任がある。
ひとつは、3・14決起にたいして「クーデター」や「非組織的」「反革命」などと批判する革共同からの脱落者グループの主張である。きみたちは、3・14決起について非難する前に、自分たちが「白井問題」が起こったとき、どこにいたのかをまず明らかにすべきではないのか。清水の手先として白井さんへの肉体的テロルを組織したり、政治局員として清水の提灯持ちをやっていたのではないか。
指導部が党内テロルの挙に出た場合は黙認するが、党員が腐敗した指導部の組織暴力に抵抗したら「非組織的」と非難し、そのような指導部を打倒したら「テロルだ」などとわめくようなやり方は、共産主義者がとるべき態度ではない。
いまひとつは、革共同のおぞましい過去にふたをしたいと考える人びとである。きみたちの考えがたとえ善意から出たものだとしても、「死んだ革共同」の腐敗や汚点を隠蔽するところに革命的共産主義運動の再生はない。そうではなく、過去および現在の革共同の誤りを、自らのものとして切開することこそ必要なのだ。

めざすべき党
帝国主義の新自由主義攻撃とソ連スターリン主義崩壊後の現代世界と対峙し、新しい革命的共産主義運動を興そうではないか。
われわれがめざすべき党とは、労働者人民のどのようなたたかいの現場にも存在し、そのたたかいから学び、階級全体の当面の利害と究極的な目標を結合することを瞬時も忘れない、そのような存在である。
そのために自覚した先進的な労働者と被差別・被抑圧人民出身の共産主義者と革命的インテリゲンツィアと革命的農民が、自立した共産主義者として、互いの信頼にもとづいて結集する。
その結集の原理は、共産主義革命の政治目的での一致にもとづく誓約にある。
そのようなものとして、われわれは、階級全体の解放のために、いかなる犠牲もおそれずたたかうことを決意する。そして白井さんへの追悼と謝罪にかけて、その決意を必ず実現することを、固く誓うものである。
http://kakukyodo.jp/mirai1058.htm#41
 

左翼は

 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト  投稿日:2010年 6月 7日(月)09時25分59秒
返信・引用
  現実の問題から逃げては絶対にいけないけど、、
近視眼であってもダメなんだよね。

最近、青田典子や高樹沙耶のようなタイプの人間まで資本主義批判を始めていますね。ちょっとビックリ!

http://津

 

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