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伊達さんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月10日(木)18時35分54秒
   ドグマでものをゆがめてるのは伊達さんです。

 はっきりと規則は「仲間は殺すな。敵を殺せ。」だと私は言っていたはずです。
 「殺すことは良くない」ではないのです。

 それを「殺すのはよくない」が普遍的なルールであり、絶対に完成させなければいけない
 パーツだと思っているのは伊達さんです。

 それは「想」であり、「理」ではありません。

 まっぺんさんがフランス人にもアルジェリア…っていってましたが、結局はやってるのは
 人殺しなんです。よい人殺しと悪い人殺しがあると考えるのは実は明言されない規則なん
 です。
 

基本的に、「あ」とよばれしものさんに賛同します

 投稿者:通行人  投稿日:2010年 6月10日(木)17時58分23秒
  すぐ感情的に反発されるだけなので、空しいのですが、私の言いたいこととだいたい同じです。一般市民のサヨク批判は、だいたいそういうことでしょう。

菅新政権を自民党などは「左翼政権」と言っているようですが、これはどうかと思いますね。
確かに菅直人は「プロ市民」出身とは言え、ここらに住まいする革命ごっこをやっているつもりで市民運動や、あるいはNGO・NPOへのもぐりこみを策す連中とは違って、彼の場合は初めから、現実的具体的な改革の運動志向だったわけで、しかも政界に入ってからは余計に現実主義的な思考もできるようになった。

鳩山前内閣を「全共闘内閣」などと呼んだアホなブレーンがいたようでしたが、私はそれを聞いたとき、「それなら、鳩山は内ゲバで倒れるのかな」などと思ったものでしたが、ある意味、内ゲバで消滅したとも言えましょう。

沖縄特措法を具体的に考えねばならないときに来たようですね。
 

特殊を一般に敷衍するという誤謬

 投稿者:伊達 純  投稿日:2010年 6月10日(木)09時26分33秒
  ないしは論理のスリカエ、ネジ曲げをやったら、そりゃ「人を殺す自由」はあることになるわなw。

↓以下で「あ」は刑法第39条

1、心神喪失者の行為は、これを罰せず。
2、心神耗弱者の行為は、その刑を軽減す。

を引き合いに出し、日本では人を殺しても無罪という論理を展開している。

をやをや。まったく。(投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 6日(日)17時00分5秒)
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/18867

 これなどは特殊を一般に敷衍するという誤謬ないしは論理のスリカエ、ネジ曲げの典型であろうw。

↓以下では「頭痛い」、

頭痛い。(投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 7日(月)22時05分10秒)
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/18905

↓以下では言葉が通じないことを嘆いているが、

ええと ことばの意味が通じないなあ(投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 6日(日)22時17分26秒)
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/18877

そもそも特殊を一般に敷衍するという誤謬ないしは意図的な論理のスリカエ、ネジ曲げをやっていては言葉が通じないのは当たり前。「頭痛い」のも自分のせい、自己責任だろ?w

↓以下では「自由ということばの意味を濁してしまっている」

まっぺんさんへ(投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 7日(月)04時58分13秒)
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/18889

↓以下では『後先を考えないで「文章を書く」のは止めたらいい』などということを書いているが、

頭痛い。(投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 7日(月)22時05分10秒)
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/18905

そもそも特殊を一般に敷衍するという誤謬ないし意図的な論理のスリカエ、ネジ曲げをやっているということの方が、よほど『ことばの意味を濁してしまっている』『後先を考えないで「文章を書」』いているのではないかね?w
 

ああ 朝刊を見て 糞左翼め と思った。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月10日(木)07時05分15秒
  沖縄県民の意志…国民の意志。

 結局、沖縄に基地でOKって統計。

統計的には正しいのだからこれが主な意見であり、大多数の想いであると
考えるべきだという論陣をはった人はこれで困るだろう。
数ではない。とやっぱりいわなければならなかった。
数は正しさを保障しないのだから。

あーあ。やっぱりやっちゃったね。
そんなことも必ずあると思って(空想の庶民なんていないのだから。)きちんと
対応しておこうね。

論理の道筋は間違ってない。間違ってないからこそ問題なんだ。ということに
気づかないのはどうかと思う。

大多数の国民の意見だからこれは尊重しなければいけなくなってくるわけでしょ。
決して、基地が沖縄にあるのは問題だという意見が多かったわけではないという
ことだ。

また、国民の意見を作ることができなかった。またである。
これやっぱり反省しなきゃいけないんじゃないか?
あれだけ勝ち馬に乗った気持ちで、イケイケドンドンだったのが
世論調査一発で覆される。

安保のアの字すら国民的には検討とも上げてなかった。
それがまっぺんさんたちが空想する庶民の現実的な姿なのだ。
(最初から知ってたけど。)
 

すごくがっかりする。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月10日(木)06時40分55秒
  お行儀の問題はともかくとして、論理や理性といものを<信じて>やっていくのだ
という決意すら猫君にはなかった。

 ともかく、手にできる<武器>を手にして他者に対する優位を得たいだけだったの
 だな。

がっかりだ。動機はどうあれ、自分の道具に執着することによって、自分の何かを
人々は乗り越えていく。その機会さえも猫君は失っている。

 自由は平等ではない。なぜなら、保護されるということは保護するものに依存し
 なければならない。国民は国家に依存する。国民でありながら、国家に依存しな
 いためには別のものにも依存するしかない。たとえば多国籍企業やNGOなどの
 コスモポリタンなものや村や町内会などのパトリオットなものだろう。

 なによりも市場に依存せずにどう生きるかという方法論を常に編み出さなければ
 ならない。

左翼運動が常に政治的に利用されてきたのは左翼が結局はその下敷きに国家権力を
当てにしているからだ。(まっぺんさんも言っているしね。)

 てるてるぼうずを下げることで何とかなるのは気もちだけである。
 てるてるぼうずとお天気は関係がない。
 しかし、人々はてるてるぼうずを下げることを止めないだろう。
 何より自分の行為で自分の気持ちをコントロールしたいという欲動がなくならないから。
 

うん。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月10日(木)05時14分23秒
  君は最弱だ。猫君。

血統主義とは恐れ入った。弱者の血統。
 

口蹄疫

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 6月 9日(水)21時26分27秒
  人間には罹患しないらしい。

だが、あまり気持ちのよくないものでもある。
もちろん、”罹患”の周辺は地獄もある。


さて、自由か自由主義か、インチキな話とは別に事実としての世界は例外なく

弱くある自由へ
自由の平等へ

ここへ向かっている。
ヨーロッパは当然として、アメリカでもそうだ。

総量としての自由は減らない。
自由の分配の問題にすぎない。

偏った自由は、実は総量として減るという事実に世界中が気づいた。例外はない。


阿呆の道産子がの自由には関心がない。
むしろ、そんな虐殺者の末裔の自由など要らない。

”我々”日本人の自由だけが大事なのだ。
粗末な周辺人が一人前の口をきくとこと自体がおぞましい。


平等ではないということに気づけ。濃度が根本的に違うんだよ。
”我々”中心の日本人を考えるのであって、周辺は第一義的には入っていない。

道産子がどうなろうと天皇(制)という”慣習w”は微動だにしない。


一人前の口をききたがることが、そもそも汚らわしいということに気づくべきだ。
 

その上

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 9日(水)18時51分40秒
  他人を害することが無いということの大本を勘違いしている。

これは実は第六条を参照しないと今の特にフランス人でない外国人にはわからない。

第6条(一般意思の表明としての法律、市民の立法参加権)

法律は、一般意思の表明である。すべての市民は、みずから、またはその代表者によって、その形成に参与する権利をもつ。法律は、保護を与える場合にも、処罰を加える場合にも、すべての者に対して同一でなければならない。すべての市民は、法律の前に平等であるから、その能力にしたがって、かつ、その徳行と才能以外の差別なしに、等しく、すべての位階、地位および公職に就くことができる。

 法の下の平等によって法によってしか自然権(自由権)は制限されない。
 そして、法の基準は他人を害することがないである。

ところがその法は一般意思に基づくのである。
この当時のフランスにおける一般意思とはどのようなものだったのか。
これはルソーの用語であり、ルソーの定義で使うしかない。
http://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%84%8F%E6%80%9D

 国家の意思のことである。つまり、国益のことを指すのだ。
 国益を損なわない限り、善いと考えるすべてのことは可能である。
 ということなのだ。

フランス人権宣言をもって人殺しをする自由がないというのは大間違いである。
 

伊達さんの誤謬を指摘するのはすごく簡単なことなんです。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 9日(水)18時40分33秒
  第四条の全文をここにコピーしてみましょう。

自由は、他人を害することのないもの全てを、なし得ることに存する。
たとえば、各人の自然権の行使は、それが社会の他の構成員に、これらと同じ権利の享有を確保すること以外の限界を持たない。
これらの限界は、法律によって定めることができるに過ぎない。

 自由は存する。
 存するとはあるということです。自由はある。
 あるとは場所のことです。自由はどこにあるのか。
 他人を害することないものをなし得ることの中にです。

 つまり能力や可能性の中に自由は存在するんです。

 自由とは何かを述べているのではありません。

 その上、伊達さんは後からの文を全く無視していますが、各人が同じ権利を行使しうる
 ということがその制限として機能するだけだ。と言っているのはどういうことかといえ
 ば。殺すなら殺す権利を認めよ。ということです。
 

秘密

 投稿者:伊達 純  投稿日:2010年 6月 9日(水)10時31分8秒
  東野圭吾の小説か何かを思わせる題名ですが、まっぺんさんの↓以下の投稿を読んで『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』の押井守原作のマンガ『とどのつまり』を思い出してしまったのですが、当たり前ですね、『とどのつまり』は『不思議の国のアリス』のパロディだったのですから。脱線しましたが、「あ」いじりばかりでは面白くないので。  

見つけた!

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 9日(水)07時20分35秒
  「きみが彼女のところへいって、
 ぼくのことを彼に話したときいた:
 彼女はぼくをほめてはくれたが、
 ぼくが泳げないといった。
 彼はみんなにぼくが去っていないと報せた
 (これが事実なのはわかっている):
 彼女がこの件を追求したら、
 きみはいったいどうなる?
 ぼくは彼女に一つやり、みんなはかれに二つやり、
 きみはぼくらに三つ以上くれた:
 みんな彼からきみへもどった、
 かつてはみんなぼくのだったのに。
 もしぼくか彼女がたまさか
 この事件に巻き込まれたら
 彼はきみにかれらを解放してくれという、
 ちょうどむかしのぼくらのように。
 ぼくの考えではきみこそが
   (彼女がこのかんしゃくを起こす前は)
 彼とわれわれとそれとの間に
 割って入った障害だったのだ。
 彼女がかれらを一番気に入っていたと彼に悟られるな
 というのもこれは永遠の秘密、
 ほかのだれも知らない、
 きみとぼくだけの秘密だから」
 

意味不明だぁ(**)?

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 9日(水)06時44分27秒
  >なんでまっぺんさんは「あなた」に対して話しかけ、「あなたの態度」を決定させ
>ようとするのですか?そんなことをしたら、そもそも「あれ」の話をしている場合
>話し合いになりませんよ。

>それは「この問題」をどうするかという話し合いの手順です。

このわけの分からない文章・・・似たような文章をどこかで見たような・・・
ぽん!(手のひらにこぶしを打ちつけた音)そうだ! 不思議の国のアリス。
法廷で「有罪の証拠」とされる手紙がこんな内容だったなぁ。
 

作れるものならつくってみなさい

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 9日(水)06時30分54秒
  >社会を受け入れるということは社会規範を受け入れることだ。
>じゃあ、新しい社会規範の社会を作ればいいですね。(終了)

おやおや! 私にさんざん「革命はいけない国家を認めろ」と言って来た人が、
自分から「あたらしい社会規範の社会を作ればいい」ですか? はははは
まるっきり、言うことが180度ひっくり返ってしまいましたねえ。
それがあなたの「絶対化ではなく相対化」ということですか?
世間ではそうは言わないと思いますよ。「無節操」「無責任」と言いますね。
自分の思想やことばに責任がない人のことを言いますね。

●どこに作りましょうか?

さて、とりあえず「新しい社会規範の社会」を作るとのことですが、問題がふたつありますね。
第一に「どこに作ったらいいか」です。
「いま所属している社会」ではないところに作らないといけませんねえ。
そうでないと、あなたが拒否しても、その社会では「殺人はいけない」という規範を
あなたに無理やりに押しつけてきますからねえ。
オウム真理教が「ポア」というありがたい施しを信者に授けてやったのに
「日本」という国家の中ではそれは「殺人」ということになって、
教祖様は警察に逮捕されてしまいました。
あなたもそういうドジを踏まないように、まず日本の法律が及ばない場所に
あなたの規範が通用するあなたの社会を作ってください。

さて、世界のどこに、そんな新しい社会規範の社会を作ったらいいでしょうか?
地球上でそれが可能な場所ってありますかねえ。
国権の及ばない土地なんてほとんどないと思いますが、南極ですかねえ。
それともどの国の権限も及ばない公海上ですかねえ。
でもたぶんそういう場所でも、なんらかのいちゃもんをつけてくる機関があるような気がします。

●だれと作りましょうか?

さて、何らかの不安があるけど、とりあえず、太平洋かどこかの公海上に
新しい社会規範の社会を作ることにしましょう。
その社会にはあなたの他に誰が所属するでしょうか?
たったひとりもいそうもありませんねえ。
あなたは誰もいないどこかの公海上で、たったひとりで
「太平洋ひとりぽっち」な「新しい社会」を満喫してください。
いやいや、「社会」というのは、少なくとも3人いないと「社会」になりませんねえ。

というわけであなたの願望は、かなえられそうもありませんでした。
口先ではなんとでも言えますが、あなたがいまだに
ここ「人民食堂」に足繁くかよって来られるのは
「人民食堂の規範」を受け入れる、という意思表明にほかなりません。
もっとも人民食堂はバーチャルな「電波社会」ですから
殺人の是非までは決めていませんが、それにしても
「あなたが決めた社会」ではありませんねえ。

でも、どこかで作ることができるかも知れませんねえ。
できたらぜひ教えてください。
「あ呆王国建国祭」にはぜひシャンパンをもってうかがいます。
おっと!あなたが勝手に作った規範で殺されちゃかなわないから
郵送しますので、郵便が届く場所に着くってくださいね。
今回は多少、人間らしくあつかってみました。(^◇^)
 

まっぺんさんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 9日(水)05時05分28秒
   毎日世界中どこかで殺人が起こってますよ。

 おかしな話ですね。

 それは万人に自由が成立してないからでしょうか?むしろ、自由放任の元に彼らが
 あるからでしょうか?

 なんでまっぺんさんは「あなた」に対して話しかけ、「あなたの態度」を決定させ
 ようとするのですか?そんなことをしたら、そもそも「あれ」の話をしている場合
 話し合いになりませんよ。

 それは「この問題」をどうするかという話し合いの手順です。
 

まっぺんさんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 9日(水)04時43分9秒
   そもそも、「社会契約論」が実働してなければ、ホッブスにしろロックにしろ
 自然状態はフィクションにすぎません。

 過去においてそうだったのではなく、現在あるものを引き算するとやってくる
 未来の状態なのです。

 社会契約論がもたらしたのは実はたった一つの考えにすぎません。
 「主権」という考えです。権威も権力も「主権」によって裏づけされるから
 有効なのだ。

 で、日本では「主権」という考えだけ導入しました。(できるんですよ。)
 主権者は天皇です。天皇が主権者なので天皇が認めた人間に権力をもたせる
 ことができる。という理屈を展開したのです。(ここで大事なのは承認する
 力として主権をとらえたことです。だからこそネーションの機関と考えるこ
 とができ、絶対王朝ではないと法的には主張できたんです。)

 敗戦後、日本の主権者は国民ということになりました。
 しかし、この主権は承認する力としてだけです。主権は権力じゃないのです。
 国民主権になって実は問題になっているのは、この国民とは誰なのか。
 ということなのです。日本国籍をもつものという立場に立つとしても、これか
 ら生まれてくる国民に対して主権のあり方はどうなのかという問題が残ります。

 日本では革命ではなく承認の力として主権が考えられている。という事実は
 認めなければいけません。

 別件。

 社会を受け入れるということは社会規範を受け入れることだ。
 じゃあ、新しい社会規範の社会を作ればいいですね。(終了)

 それがオウムだったり、ヤマギシだったり、ハコブネだったりしたのじゃ
 ないのでしょうか?それが失敗するか成功するのかは他の社会との関係
 によるでしょう。

 社会=国家ではありません。社会の一つだけに帰属するわけではありません。
 当たり前のことです。

 なぜ、まっぺんさんはいつも何かを絶対化して語ってしまうんですか?
 そんな絶対化はすぐに相対化することができますし、絶対の根拠になっている
 ものそのものをひっくり返すことができますよ。だって、あらゆる概念は経験
 が元になっていて、人間は限られた経験の中を生きるしかないからです。
 全てを知ることは不可能なんです。

 わたしは何度もいいますが「自由主義」について語っているわけじゃありません。
 「自由」について語っているのです。古典的自由主義がなぜつまづいたのかについて
 語っているといってもいいです。

 自由主義が自然状態から抽出した「自然権」そして「自然法」はローカルなものだった
 し決して普遍的なものではなかったのです。その上、彼らが仮定した自然状態は、彼ら
 の現実から何かを引いたもので、その意味では実は「これから発生するかもしれない
 事態」だったのです。暴動によって人々は無法な状態になりとんでもないことになるか
 もしれないという不安が共有されていたからこそ、許される自由とは…という話が合意
 可能だったのです。

 そのようなフィクションではなく、実際の人間の行動から自由を考えなければ哲理では
 ありません。政治です。政治的言説の弱点は人々の意識を変えることではなく利用する
 ことしかできないことです。
 

>また話を広げて問題の明確化をしていませんね。

 投稿者:伊達 純  投稿日:2010年 6月 9日(水)03時32分37秒
  フランス人権宣言(人および市民の権利宣言)における「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある」という一定程度普遍性を持った定義がなされているにもかかわらず、「人を殺す自由」なるものがあるとする「あ」の方が、よほど「話を広げて問題の明確化をしてい」ないが、何か?w  

あ、さんはほっといて菅内閣の

 投稿者:ゴンベ  投稿日:2010年 6月 9日(水)00時07分6秒
   ことでも議論した方がいいんじゃない?

 所詮、自分の言葉に転びまくっているだけの自爆漫才師でしょ。
 

意味不明

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 8日(火)22時53分8秒
  >勿論そんなことわかってるし、それを前提に話てますよ。

何を分かってるのかね? 自分がホッブズやロックを読み間違えていたことをか?
君は彼等が主張したことではなく、その反対に否定していた方の「自然状態」を
彼等の「自由主義」の源泉だと勘違いしていた。
それを「勿論そんなことわかってるし、それを前提に」話してるってか? 爆笑ものだなあ、おい!

また「自分の実力が自由の担保になる」だって? いよいよもってタコだな。
能力などというものは、社会の中にいて、「他者との関係」において発生するものだ。
社会を受け入れなければ能力など必要ない。社会を受け入れるとは、「社会規範」を受け入れるという事だ。
社会規範を受け入れるということは「ひとを殺さない」ということだ。
あいかわらず、お前の「主義」は口先だけだなぁ。

おまえ、どんどん自分を否定してるんだが、「勿論そんなことわかってる」んだろ? www

>人が人を管理することの限界としての自由ということばの意味がわからないから、
>人は何かに常に制限されているなんていう切りかえしができるんです。

いよいよもって「教祖様」だな。身は牢獄にありても、心は自由なり、ってか?
実際には殺せなくても「殺す能力はあるんだぞ」と人に言ってみる、口先だけの自由な。www
 

まっぺんさんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月 8日(火)21時06分53秒
   勿論そんなことわかってるし、それを前提に話てますよ。

 だから、猫君が国家主義者って私をよぶんじゃないですか?

 自由主義は国家を持ち出さずに(つまり、身内/身内じゃないを持ち出さないで)
 自分を理由に決定しようという考えです。国家を持ち出さないということは、常に
 自分の実力が自由の担保になるわけです。
 (能力主義というわけじゃありませんよ。自由は能力から出てくるというだけです。)


  また話を広げて問題の明確化をしていませんね。

 人が人を管理することの限界としての自由ということばの意味がわからないから、
 人は何かに常に制限されているなんていう切りかえしができるんです。
 その制限が万能ではないということを指摘しているんですよ。
 

あ呆よ

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月 8日(火)14時08分25秒
  お前の「自由主義」がいかに空しいものかを自覚してないようだがな。
お前、何の束縛もない無制限の自由(=自然状態)を説いているわけだが、ホッブズもロックも
そのような「弱肉強食」「野蛮」を「国家のもとでの公平」へと切り替えていくことを主張している。
実は、それは「思想的に」そうであるばかりではなく、すでに我々の日常がそうなのだ。
もちろん政府に対して、それを認めようと認めまいと、打倒を目指そうと、それは自由だが、
基本的ライフラインなどは、国家がその国に居住するものに提供するのは当たり前のことと認識されている。

例えばあ呆がこういう支離滅裂なタワゴトを人民食堂に書き込むことができるのも
通信会社と契約しているからだし、パソコンでも携帯でもナニカの通信機器を購入しているからだし
あ呆が道化芝居を掲示板に書き込むことを許容している管理人がいるからだな?
お前は「自分には無限の自由がある」と思っているかも知れないが、
お前が掲示板に書き込む自由はここの管理人に握られているのだ。自覚しているのかね?
別に脅しているわけではない。「だからもっとおとなしくしろ」とか言ってもお前が聞くわけがない。w
要するにお前の「自由」など大半が誰かに管理され制限された、「社会との契約で成立している自由」なのだ。
それも知らず「自分は何でも自由だぁ\(^o^)/殺す自由だってあるぅ\(^o^)/」とほざく。
まぁ、こういう道化を楽しむ自由を与えてくれるお前の存在はナカナカに貴重だが。w

お前だけではない。この社会で大部分の人々が、そのような管理され制限された自由の中で生きている。
そしてその社会が公平さから遠くへだたり、「不自由な人」を多く生み出していけばいくほど、
社会の中に「野蛮」が生まれる。ホッブズやロックが拒否する野蛮が他ならぬ国家の中に起こる。
秋葉原殺人事件はまさに「自然権としての殺す自由」を行使した結果だが、それは他ならぬ本人が
生きる自由を失ってしまった結果として「殺す自由」を媒介として「死ぬ自由」を選択してしまったからだ。

つまり「国家」の調停機能などおよそ信用できないということだな。
それは経済体制の問題からくるのだが。
どうだ? 少しは頭を使ったか?wwww
 

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