小野寺一真は夢を見ていた。
自身の爪を獲物に振るい、首に突き刺し組み倒す。
獣は鳴く、命の限り抗わんと。眩い渾身の生が四肢を動かした。だが無情にも、獰猛という字をそのまま形にしたような牙は顎のすぐ下を捕えて獣を離さない。
獣が逃れようとする度に一真の牙は深く突き刺さり、血は大地に吸われる様に吹き出す。
熱い血潮、躍動する筋肉、凄まじい血臭。
みるみる内に獣は衰弱し、遂に目の光がなくなった。
腹の奥底からわき立つ、勝利の喜び。後は食うもの食われるもの。
一真は見た獣を食らう夢を。
血肉の味は驚くほどに淡白なのもだが、内臓は独特の味わいがある。口中に広がる味と租借音、胃を満たす感触に一心不乱になりながらも、一真はぼんやりと思いを巡らしていた。
これは、誰だ?
ゴゴッ
ゴゴッ
何かの衝突音と共に一真が夢から目覚めた時、一真の体は見知らぬ檻の中だった。辺りはほの暗く大地が揺れている。
「なっ!」
瞬時に体を起こそうとし、一真は威勢よく頭を檻の天井にぶつけた。鈍い音と痛みが頭を駆け巡る。
痛みは一真を冷静にさせ、頭をさすりながら周囲に目をやる。視界は暗く見えるものの方が少ないが、一条の光が向かって右手のカーテンから差し込んでいる。
自身を捕らえる狭い檻に触れると、それが冷たい鉄の感触でなく木製のものであることに気づいた。よくわからないが足元には草が敷かれており、全体的にどこか飼育小屋のようにも思える。
頭をかすめたのは誘拐という単語。しかしながら本人にまったく気づかれずに誘拐などできるものだろうか。
「そもそも、誘拐される謂れが…」
その時、一真は気づいた。自分が小野寺一真であるということ以外、何一つ思い出せないことに。
いや、何一つ思い出せないわけではない。自分が「小野寺一真」だという確信以外何ものもないのだ。
正確に突き詰めれば、思い出せないのは「体験」だ。自分が小野寺一真だという「知識」はあれども、どのように人生をたどってきたのかという、それが抜けている。
「小野寺一真・・・オレは小野寺一真だ。いや確かにそうだ。それは確かだ。」
ハッキリとした確証が持てるのは己の名前だけ。それ以外の「知識」はどうしてそれを知っているのかすら定かではない。
一体、何だ?頭を疑問符が駆け巡る。ここは、今は、己は。
床に手をつけば地面は相変わらず揺れており、前を見れば相変わらず檻がある。それらが無性に癪に障った。
「クソッ!」
苛立ち紛れに檻を力の限り押す。木製の檻はしなり、メキリと音を起てた。確かに帰ってきた感触は希望。
歯を食いしばり精いっぱいの力で檻を揺さぶる。
「ァアッ!」
数回揺さぶった所で、檻の支柱が中ほどからボキリと折れた。音を立てて檻であった木材と縄が身体の上に伸しかかる。
体が支柱を押した勢いで前のめりになり、床に右手を置いて体を支える。手を置いた床は陽光が差し込み、ほんのりと暖かだった。
…!
照らされる己が手を見て再び驚く。それは白毛におおわれた獰猛な獣のもの。
なんだ!?なんでこんなものが!?
己の右腕を左手で剥がそうと力を込めて引っ張る。だが、両腕に返ってきた感触はその異形が彼自身ものであることをまざまざと物語った。
最早言葉もない。
恐る恐る顔に手をやる。自分の顔がアジア人特有の平らなものではないことは一撫でで悟ることができた。むしろ人間の枠に入りきらない「何か」だということも。
いつの間にか地面の揺れは収まっていた。一真は呆けたまま光を遮るカーテンらしき布を横に払った。カーテンを開くつもりだったのが悪かったのか、光を遮っていた布地が異形の爪によって横一文字に切り裂かれ、陽光が一真の眼を焼いた。
刹那、何かが飛来した。一真は咄嗟に身を伏せる。それは鋭く一真の背中をかすめた。背中に熱が走り、瞬時に痛みへと代わる。
目が逆光になれてくると光の中に2人の男が立っていた。醜聞もなにもかもかなぐり捨て一真は口走る。
「鏡!鏡はないのか!?オレは一体!?」
返事はなく1人の男は驚愕の、残りの1人は強張った面持ちで此方を見て固まっている。
一方の一真も驚愕した、外国人の顔そして装飾に。
明らかに外人である二人組はどう見ても時代遅れの甲冑、その下に革製のズボン。どちらも工業製品があふれた現代には流通しているはずのない代物だ。
なんの冗談かわからないが、男たちは前世紀の遺物で武装している。少なくともライフルか何かならまだ説得力もあったろう。だが、少なくともこれは現実の風景ではない。
弓持ち男が矢筒に手を突っ込んだ。スルリと姿を現した矢は、どこまでも命を奪うことを目的とする物だった。それが自身に向けられることは一真にも一瞬で想像できた。
一真は一息に飛び出し、近くに棒立ちしていた槍の男の得物をはたく。弾け飛んだ槍に目を取られる目前の愚か者、その隙を突いて胸倉を掴み、ぐいと男を引きよせた。
「おぉッ!」
恐怖に顔をひきつらせた男を傍らの弓持ち目掛けて突っぱねると、2人はもんどりうって地面に倒れこんだ。その拍子に番えられた矢があらぬ方向へ飛んでいく。
身体が勝手に動いたとはこのことだろう。さっきの屈みこむ動作といい、この体には己の思考以前に行動するのだろうか?違う、これは体が覚えていたことだ。つまりオレは普段からこんな状況を経験していたということか?
倒れこんだ2人を尻目に周囲を見渡す。振り返れば幌付きの馬車が、その出入口を無残に切り裂かれた状態で佇んでいた。幌の中で檻を形成していた木材に矢が一本刺さっている。なるほど、さっきの揺れの正体は馬車に揺られていたわけだ。
右手には切り立った崖が泰然とあり、左手は木々に囲まれ、道は緩やかな弧を描いている。
ふと、一真は臭気を強く感じた。―――馬車の方から人の匂いが15に馬が4。
「なぜ?」
―――全員物陰に隠れて見えないが、人間は1人を除いて鉄の匂いがする。つまり1人を除くと最悪全員が武器持ち。
「オレは一体?」
目の前で倒れている2人がもぞもぞと動き出した。一真はそれを手早く両手でうつ伏せにして地面に押しつける。なんにしても目の前の男共に殺されては堪らない。
力をかけ過ぎたのか、一真の下でうつ伏せに抑えこんだ男共が、餌をねだる雛のようにギャアギャアとうるさい。
「喧しい!日本語でしゃべれ!」
一真が男共に吠えるとほぼ同時、馬の方から人の動く気配があった。一真はそちらにも目をやる。調度いい、事情を聞きだしてやる。
風を切る音と呻き声、気配が地面の砂に転がりピクリとも動かなくなった。
馬のいななき、かなり興奮している。それに急に湧き立った血臭。しかし、馬が倒れたり逃げ出そうとする気配はない。ということは、馬の側にいた奴に何かあった?
―――この馬車は襲われている!
脇に情報源2人を抱え込み、木々に飛び込む。
「訳がわからん!」
一真は捨て台詞を放ち、一目散に木々のを走り抜けた。途中で振り返れば馬車が3台並んでおり、最前列の馬車周辺では、黒髪で毛皮の貫頭衣を着込んだいかにも怪しげな連中と、馬車の護衛らしき甲冑集団とで弓合戦をしているのが見えた。
だが一真は止まることなくその場から去った。その時はただ生きることを優先して。
ヒャッハー作者です。
この作品はありきたりな転生物を、小難しく改変してみたものです。
転生と呼ぶか憑依と呼ぶか、まぁ主人公は一応元は日本人でした。元は。