2006年07月
けさの日経新聞によると、「IP化の進展に対応した競争ルールの在り方に関する懇談会」が14日に結論を公表するそうだ。官僚が徹底して非協力的だったため、ほとんど実質的な改革のできなかった通信・放送懇談会に比べると、こっちの「IP懇談会」は官僚主導なので、実現の可能性が高い。
主要な柱は、NTTの構築するNGN(次世代ネットワーク)を他社にも開放させることだという。これでは次世代のインフラもNTTが独占し、それに他社がぶら下がる電電公社時代に逆戻りだ。しかも開放する対象が、IPレイヤーの上の課金・個人認証システムなども含むというから、他の通信業者は単なるISPになってしまう。次世代でも「IP接続料」が政治的な焦点となり、その水準をめぐって不毛な争いが繰り返されるだろう。当然NTTは反対しているので、この開放規制が実現するかどうかは疑問だが、競合他社も「商売敵のフンドシで相撲をとる」状況をいつまで続ける気なのか。
そもそもNGNに移行することが望ましいかどうかも疑問だ。そのメリットは、FMCだとかquadruple playだとかいうことになっているが、そういうニーズはどれぐらいあるのか。私は、携帯と固定電話の番号が違ってもちっともかまわないし、国際電話はスカイプでかけている。NGNが規制でごちゃごちゃやっているうちに、電話は携帯(無線IP電話)も含めて無料になるだろう。そのほうが消費者にとってのメリットも明確だ。
これまでNTTの掲げた「次世代ネットワーク構想」は、すべて失敗に終わった。ISDNもB-ISDNも、ATMベースの「情報流通企業」も、MPLSベースの「レゾナント・ネットワーク」も雲散霧消してしまった。今度はNGNで「2010年に光ファイバー3000万世帯」という目標を掲げているが、投資の最大の原資である携帯電話の超過利潤は、2010年まで続くのだろうか。無料のIP電話への対抗策がない限り、NGNの採算性には大きな疑問符がつく。まして開放規制が行われれば、投資が回収できないおそれが強い。
これまでNTTは、需要におかまいなしに10年計画で設備投資を行い、総務省はそれに甘えて投資のインセンティヴを考えないで非対称規制を続けてきた。しかし、これからの通信インフラ投資は、限りなく無料に近づいてゆく電話料金との戦いである。NTTは「計画経済」的な設備投資計画にこだわらず、キャッシュフローを重視して「開放規制が行われるのなら、NGNはやめる」と宣言すべきだ。
主要な柱は、NTTの構築するNGN(次世代ネットワーク)を他社にも開放させることだという。これでは次世代のインフラもNTTが独占し、それに他社がぶら下がる電電公社時代に逆戻りだ。しかも開放する対象が、IPレイヤーの上の課金・個人認証システムなども含むというから、他の通信業者は単なるISPになってしまう。次世代でも「IP接続料」が政治的な焦点となり、その水準をめぐって不毛な争いが繰り返されるだろう。当然NTTは反対しているので、この開放規制が実現するかどうかは疑問だが、競合他社も「商売敵のフンドシで相撲をとる」状況をいつまで続ける気なのか。
そもそもNGNに移行することが望ましいかどうかも疑問だ。そのメリットは、FMCだとかquadruple playだとかいうことになっているが、そういうニーズはどれぐらいあるのか。私は、携帯と固定電話の番号が違ってもちっともかまわないし、国際電話はスカイプでかけている。NGNが規制でごちゃごちゃやっているうちに、電話は携帯(無線IP電話)も含めて無料になるだろう。そのほうが消費者にとってのメリットも明確だ。
これまでNTTの掲げた「次世代ネットワーク構想」は、すべて失敗に終わった。ISDNもB-ISDNも、ATMベースの「情報流通企業」も、MPLSベースの「レゾナント・ネットワーク」も雲散霧消してしまった。今度はNGNで「2010年に光ファイバー3000万世帯」という目標を掲げているが、投資の最大の原資である携帯電話の超過利潤は、2010年まで続くのだろうか。無料のIP電話への対抗策がない限り、NGNの採算性には大きな疑問符がつく。まして開放規制が行われれば、投資が回収できないおそれが強い。
これまでNTTは、需要におかまいなしに10年計画で設備投資を行い、総務省はそれに甘えて投資のインセンティヴを考えないで非対称規制を続けてきた。しかし、これからの通信インフラ投資は、限りなく無料に近づいてゆく電話料金との戦いである。NTTは「計画経済」的な設備投資計画にこだわらず、キャッシュフローを重視して「開放規制が行われるのなら、NGNはやめる」と宣言すべきだ。
今夜ののNHKスペシャル「テクノクライシス」で「サイバー犯罪」を扱っていた。もともとNHKの番組に最新情報を期待してはいないが、スパイウェアやフィッシングの解説から始まって、去年のクレジットカード情報の盗難事件を紹介したあと、番組のハイライトが、ロシアのハッカーをFBIがおとり捜査で逮捕した5年前の事件というのは、話が古すぎるのではないか。これでは、私が昔つくった番組と変わらない。
日本で「ハッカー」という言葉を(悪い意味で)定着させたのは、1985年のNHK特集「侵入者の夜」である。この番組は、NewsWeekの"The Night of the Hackers"という記事をモチーフにしたものだが、hackerという言葉をどう訳していいのかわからなかったので、番組では「ハッカー」とそのまま使い、タイトルでは「侵入者」と訳した。おかげで、日本ではハッカー=犯罪者というイメージが定着してしまい、NHKは日本の(本来の)ハッカーから批判を浴びた。
その後も私は、80年代のコンピュータをテーマにしたNHKの番組には、たいていかかわった。初期のコピーツール"HandPick"の作者が開成中学の3年生であることを報じた「首都圏」は大きな反響を呼び、ウイルス「ミケランジェロ」の被害をスクープして、19時のトップニュースになったこともあった。ニュース価値を判断するおじさんたちには、コンピュータの話は「むずかしい」と却下されることが多かったが、犯罪がらみの話だけは彼らにもわかるので、自然にそういう企画が多くなったのだ。
当時は、アメリカではIBM-PCやマイクロソフトが登場した時期だったが、そういう提案は「地味だ」と没になり、通ったのは「人工知能」や「第5世代コンピュータ」といった通産省推薦みたいな話ばかり。当時、NHKは「メディアミックス」でもうけようとしており、その材料として通産省が推進していた「TRON」で教育テレビスペシャルを8本もつくるという企画が経営陣から出てきた。プロデューサーが「TRON協議会にはすべての電機メーカーが入っているから、制作費はメーカーが全部出してくれる」という坂村健氏のホラにだまされたのである。
局内の専門家は(私も含めて)みんな「TRONが次世代標準になる可能性はない」と反対したが、企画はNHK特集も3本やる大シリーズにふくらんだ。その制作費1億円以上をすべて電機メーカーの金でまかなおうという皮算用だったが、結果的には1社も制作費を出してくれず、大赤字になった。MS-DOSが世界標準になり、次世代のOSとしてウィンドウズが出てきた時代に、それと互換性もなくアプリケーションもないOSに金を出すメーカーがあるはずもなかった。TRON協議会に入ったのは、役所ににらまれないための「保険」だったのだ。
80年代には、日本の電器製品が世界を制覇し、次世代のコンピュータは人工知能やスーパーコンピュータだと思われていたから、日本が官民あげて人工知能の開発に乗り出した第5世代プロジェクトは、全世界の注目を集めていた。通産省も自信にあふれ、「次世代の世界標準を日本から出そう」という話が、それなりの信憑性をもって語られた。結果的には、役所やマスコミがこういうふうにミスリードしたおかげで、日本のコンピュータ産業は世界的な「ダウンサイジング」の波に大きく立ち遅れてしまった。
技術革新のスピードは、当時に比べれば(ムーアの法則で計算すると)1万倍ぐらいに上がっている。それなのに、NHKはあいかわらず古い「ハッカー犯罪」の番組(たぶん今もこういう提案しかわかってもらえないのだろう)を放送し、経産省はまた「グーグルに対抗して国産検索エンジンをつくろう」と旗を振るのだから、市場を知らないというのは恐ろしい。NHKだけでなく、経産省も民営化したほうがいいのではないか。
日本で「ハッカー」という言葉を(悪い意味で)定着させたのは、1985年のNHK特集「侵入者の夜」である。この番組は、NewsWeekの"The Night of the Hackers"という記事をモチーフにしたものだが、hackerという言葉をどう訳していいのかわからなかったので、番組では「ハッカー」とそのまま使い、タイトルでは「侵入者」と訳した。おかげで、日本ではハッカー=犯罪者というイメージが定着してしまい、NHKは日本の(本来の)ハッカーから批判を浴びた。
その後も私は、80年代のコンピュータをテーマにしたNHKの番組には、たいていかかわった。初期のコピーツール"HandPick"の作者が開成中学の3年生であることを報じた「首都圏」は大きな反響を呼び、ウイルス「ミケランジェロ」の被害をスクープして、19時のトップニュースになったこともあった。ニュース価値を判断するおじさんたちには、コンピュータの話は「むずかしい」と却下されることが多かったが、犯罪がらみの話だけは彼らにもわかるので、自然にそういう企画が多くなったのだ。
当時は、アメリカではIBM-PCやマイクロソフトが登場した時期だったが、そういう提案は「地味だ」と没になり、通ったのは「人工知能」や「第5世代コンピュータ」といった通産省推薦みたいな話ばかり。当時、NHKは「メディアミックス」でもうけようとしており、その材料として通産省が推進していた「TRON」で教育テレビスペシャルを8本もつくるという企画が経営陣から出てきた。プロデューサーが「TRON協議会にはすべての電機メーカーが入っているから、制作費はメーカーが全部出してくれる」という坂村健氏のホラにだまされたのである。
局内の専門家は(私も含めて)みんな「TRONが次世代標準になる可能性はない」と反対したが、企画はNHK特集も3本やる大シリーズにふくらんだ。その制作費1億円以上をすべて電機メーカーの金でまかなおうという皮算用だったが、結果的には1社も制作費を出してくれず、大赤字になった。MS-DOSが世界標準になり、次世代のOSとしてウィンドウズが出てきた時代に、それと互換性もなくアプリケーションもないOSに金を出すメーカーがあるはずもなかった。TRON協議会に入ったのは、役所ににらまれないための「保険」だったのだ。
80年代には、日本の電器製品が世界を制覇し、次世代のコンピュータは人工知能やスーパーコンピュータだと思われていたから、日本が官民あげて人工知能の開発に乗り出した第5世代プロジェクトは、全世界の注目を集めていた。通産省も自信にあふれ、「次世代の世界標準を日本から出そう」という話が、それなりの信憑性をもって語られた。結果的には、役所やマスコミがこういうふうにミスリードしたおかげで、日本のコンピュータ産業は世界的な「ダウンサイジング」の波に大きく立ち遅れてしまった。
技術革新のスピードは、当時に比べれば(ムーアの法則で計算すると)1万倍ぐらいに上がっている。それなのに、NHKはあいかわらず古い「ハッカー犯罪」の番組(たぶん今もこういう提案しかわかってもらえないのだろう)を放送し、経産省はまた「グーグルに対抗して国産検索エンジンをつくろう」と旗を振るのだから、市場を知らないというのは恐ろしい。NHKだけでなく、経産省も民営化したほうがいいのではないか。
今インターネットで最大の話題は、YouTubeだろう。この奇妙な名前のウェブサイトは、去年できたばかりだというのに、今では1日7000万アクセスを超える巨大サイトに成長した。広告はAdSenseを貼り付けている程度だから、ビジネスとしては成り立っていないし、著作権法違反のコンテンツも多いので、いつまでもつかはわからない。しかし、ビデオ配信で世界中の注目を集めるという、ヤフーもグーグルもできなかったことを、こういう無名のサイトがなしとげたのは教訓的だ。
インターネットが「ウェブとメール以上のものになる」というのは、多くの人々が予想したことだが、たいていの人は(私を含めて)「次世代インターネット」は広帯域でビデオを流すものだと考えていた。その場合のコンテンツとしては、テレビ番組のようなものを想定し、インフラは光ファイバーを想定していた。しかしブロードバンド人口が2000万世帯を超えた日本でも、いまだにビデオ配信はビジネスとして成り立たない。むしろ新しいサービスは、ブログやWikipediaなど、ウェブの発展形として生まれてきた。YouTubeは、こうした「消費者生成メディア」の延長上にある。
こういう経験は、初めてではない。90年代後半、多くの音楽配信サイトができたが成功せず、爆発的な成功を収めたのは、大学生のつくったナプスターだった。またNTTを初めとする大企業がそろって参入し、大がかりな実証実験の行われた電子マネーは失敗に終わり、生き残ったのは「スイカ」など用途を特化したソニーの「フェリカ」だけだった。数年前に「日本発の国際標準」をめざして大規模なコンソーシャムの作られたICタグは、いったいどこへ行ったのだろうか?
この失敗の歴史が教えているのは、新しい技術にとって、政府や大企業が一致して推進するのは、悪い兆候だということである。Web2.0というバズワードに意味があるとすれば、それが「何でないか」ということだろう。ウェブとメールの次に来たのは、高品質・大容量のブロードバンドではなく、マイナーな情報の価値を高める「ロングテール」だった。ビデオ配信も、テレビを模倣するのではなく、YouTubeのようにユーザーからの情報を集積する「ブロードバンド2.0」として出発するのが正解かもしれない。
インターネットが「ウェブとメール以上のものになる」というのは、多くの人々が予想したことだが、たいていの人は(私を含めて)「次世代インターネット」は広帯域でビデオを流すものだと考えていた。その場合のコンテンツとしては、テレビ番組のようなものを想定し、インフラは光ファイバーを想定していた。しかしブロードバンド人口が2000万世帯を超えた日本でも、いまだにビデオ配信はビジネスとして成り立たない。むしろ新しいサービスは、ブログやWikipediaなど、ウェブの発展形として生まれてきた。YouTubeは、こうした「消費者生成メディア」の延長上にある。
こういう経験は、初めてではない。90年代後半、多くの音楽配信サイトができたが成功せず、爆発的な成功を収めたのは、大学生のつくったナプスターだった。またNTTを初めとする大企業がそろって参入し、大がかりな実証実験の行われた電子マネーは失敗に終わり、生き残ったのは「スイカ」など用途を特化したソニーの「フェリカ」だけだった。数年前に「日本発の国際標準」をめざして大規模なコンソーシャムの作られたICタグは、いったいどこへ行ったのだろうか?
この失敗の歴史が教えているのは、新しい技術にとって、政府や大企業が一致して推進するのは、悪い兆候だということである。Web2.0というバズワードに意味があるとすれば、それが「何でないか」ということだろう。ウェブとメールの次に来たのは、高品質・大容量のブロードバンドではなく、マイナーな情報の価値を高める「ロングテール」だった。ビデオ配信も、テレビを模倣するのではなく、YouTubeのようにユーザーからの情報を集積する「ブロードバンド2.0」として出発するのが正解かもしれない。
![]() | The Long Tail: Why the Future of Business is Selling Less of MoreChris Andersonこのアイテムの詳細を見る |
ロングテールの元祖による待望の新著。基本的な骨格は、著者が2004年に書いたWiredの記事と同じだが、その後Long Tail Blogなどで出された実証データによってロングテール現象を分析し、それをいろいろな角度から論じている。本書は、インターネットが経済システムに及ぼす本質的な影響を考える際の必読書となるだろう。
特に興味あるのは、著者がロングテールを静的な分布としてだけではなく、技術や市場とともに変化する現象としてとらえていることだ。前にも説明したように、ロングテールはベキ分布y=x-kで近似でき、これを対数グラフlog y=-klog xであらわすと、右下がりの直線になる。ベキ指数kは、この直線の傾きであり、これを変えることで分布の形が変わる。インターネットなどによる取引費用(特にサーチコスト)の低下は、テールの右端を伸ばし、その傾きをフラットにして、市場の重点をヘッドからテールへとシフトさせるのだ。
ロングテールのもう一つの特徴は、それが「自己相似的」だということである。これは、ロングテールがフラクタル図形であることを示している。たとえば音楽サイトのアクセス数のデータでは、ベキ分布は一つのジャンルをとっても見られるし、Aで始まる曲だけをとっても見られる。こうした細かい分類をすればするほどkは大きくなり、逆にカテゴリーをまとめてマクロに見ると、A、B、C...で始まる曲のアクセス数はランダム(正規分布)になる。全体に見られるkの値は、マクロとミクロの中間になる。
このmicrostructureはおもしろい。市場のデータを詳細に見れば見るほど、価格の動きを正規分布で近似する在来の経済理論とはまったく違う姿が見えてくるからである。こうした特徴は、同様にフラクタルを扱う経済物理学でも見られる。株式市場や為替市場において、日ごとの価格変動はランダムに近いが、分単位で見ると、特定の値に市場全体が引き寄せられるカオス的な動きが見られる(kが大きい)のである。いいかえれば、経済学の「均衡」の概念は、こうした本質的な複雑性を捨象したときに限って当てはまる近似的な現象だということになる。
この自己相似性は、ウェブのリンクなどに見られる「スケールフリー・ネットワーク」と同じである。その原因は、新たにリンクを張る場合に多くのリンクが張られているハブを選ぶ「優先的選択」というアルゴリズムにある。これはグーグルのPageRankと同じだから、その検索結果(ロングテール)がスケールフリーになるのは当然である。なぜか本書はこれにふれていないが、スケールフリー・ネットワークについてはシミュレーションなど膨大な研究があるので、こうした理論を使えば、著者のいうように「情報が過剰な時代の新しい経済学」が生まれるかもしれない。
ロングテールは、規格製品を大量に消費するよりも、多様な(自分に適した)商品を求める消費者の潜在的な欲求が、想像以上に大きいことを示している。20世紀の大量消費社会では、こうした多様性は圧殺され、画一的な商品を画一的なコマーシャルで押しつけるシステムができているが、それは個々の消費者の要求と商品をマッチさせるサーチコストが禁止的に高かったためである。「ムーアの法則」は、こうした情報コストを劇的に低下させ、マスメディアの役割も縮小するだろう。
これまで情報技術は、「ネットワーク外部性」によってヘッドとテールの格差(傾き)を拡大するという傾向が強調されてきたが、本書は逆に両者の格差は縮小すると予想している。実証データで検証してみなければ、経済全体の傾向はどちらかわからないが、少なくともアマゾンやグーグルの成功は、テールの側に新しいフロンティアがあることを示している。それは大衆消費社会の次の経済システムを垣間見せているようにも思える。
Who Controls the Internet?: Illusions of a Borderless WorldJack Goldsmith, Tim Wuこのアイテムの詳細を見る |
トム・フリードマンによれば、インターネットで経済はグローバルに一体化し、国境はなくなり、政府は無力になる――こういうビジョンは新しいものではない。1996年にJ.P.バーロウは、肉体も領土もないサイバースペースは国家から独立する、と宣言した。しかし、それから10年たった現在の状況が示しているのは、インターネットの世界でも各国政府は有効であり、国内法は必要だということである。
本書は、2人の若い法学者が、インターネットで起こっている現実を分析し、「ボーダーレス・ワールド」が幻想であることを実証したものだ。たとえばP2P技術は、知的財産権への挑戦とみられたが、Napsterは訴訟に敗れた。その後あらわれたKazaaは、本社をバヌアツに登記するなどして各国法の支配を逃れたが、ビジネスとして成り立たず、サービスを停止した。違法性の強いサイトには、大企業は広告を出さないし、クレジットカードの口座もつくれないからである。
サイバースペースで「評判」による自生的秩序を可能にしたようにみえたeBayも、大規模な詐欺事件が起こるようになって、内部に監視システムを設置した。さらに国際展開のなかで、各国法の違いによる事件(ナチ商品の販売禁止など)が起こるようになった。こうした紛争を解決するうえでは法秩序の安定性が重要であり、eBayが進出している26ヶ国はこういう基準で選ばれている。これはYahoo!の進出している27ヶ国とほとんど同じであり、両社とも(財産権の保護が弱い)ロシアを避けている。
インターネットは、ある意味ではリバタリアニズムの社会実験だった。それが世界規模の実験になってから10年たった結果は、主権国家から切り離された「独立空間」としてのサイバースペースは、可能でもなければ望ましくもないことを示している。日常的な秩序の大部分は、法律ではなく習慣的な規範や評判によって成立しているというリバタリアンの主張は正しいが、その秩序が政府の強制力なしで維持可能だという結論は誤りである。そうした日常的な規範を意図的に侵害する犯罪者が出現した場合の「ラスト・リゾート」としての国家の潜在的な役割は、想像以上に大きいのである。
「ブロードバンド大国」になった日本ですが、そのインフラを使ったサービスは、なかなか立ち上がりません。この最大の原因は、魅力的なコンテンツをブロードバンドで流すことがむずかしいからです。ワールドカップは、なぜインターネットで中継できないのでしょうか?この状況を変えるには、どうすればいいのでしょうか?
情報通信政策フォーラム(ICPF)では、このほど『ネットがテレビを飲み込む日』(洋泉社)という本を出しました。今回のシンポジウムでは、その著者5人をスピーカーとし、この本で提起した問題について、会場のみなさんとともに考えたいと思います。
スピーカー
西和彦(ICPF代表)
林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学 副学長)
原淳二郎(ジャーナリスト)
山田肇(東洋大学教授)
モデレーター:池田信夫(ICPF事務局長)
日時:7月20日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル3F(地図)
入場料:2000円
ICPF会員は無料(会場で入会できます)
申し込みは、info@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)
情報通信政策フォーラム(ICPF)では、このほど『ネットがテレビを飲み込む日』(洋泉社)という本を出しました。今回のシンポジウムでは、その著者5人をスピーカーとし、この本で提起した問題について、会場のみなさんとともに考えたいと思います。
スピーカー
西和彦(ICPF代表)
林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学 副学長)
原淳二郎(ジャーナリスト)
山田肇(東洋大学教授)
モデレーター:池田信夫(ICPF事務局長)
日時:7月20日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル3F(地図)
入場料:2000円
ICPF会員は無料(会場で入会できます)
申し込みは、info@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)