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[19034] 主人公はスライムクイーン 【ダンジョンもの】
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 21:55
 喧騒が止むことはない酒場には、いつものごとく暴れ者の若者たちが飽きずに今日も集っていた。
 「今日の冒険で活躍した」「魔人にあって殺されかけた」「パーティーメンバーに告白したら振られた」「パーティーメンバーに掘られかけた」などと嘘か真かわからない、わかる必要もない話が止め処なくいきかっている。酒の肴に事欠かない。
 多くのものは顔に傷があったり、脛に傷があったり、と冒険者というチンピラに毛が生えたような若者たちばかりだが、その中で一際浮いた人物が一人、カウンター席で優雅にラム酒を飲んでいた。
 いるだけで周囲を暖かくするような――柔らかな笑顔が似合うほんわかとした少女であった。服は軽装で、肌の露出がほとんどない長袖の麻の服と、レザーパンツに、鞣革の分厚いブーツ。傍には大きなズックを担いだ大きな犬が一匹座り込んでおり、その犬が少女の仲間なのだろう。
 少しばかり酔っているのか、ほんのりと頬を朱に染めた少女のことを犬は上目遣いで見ながら、礼儀正しくお座りをしている。

「お嬢ちゃんは旅人かい?」

 カウンターからの渋い声。
 発したのは酒場の店主だ。濃いヒゲの似合う顔にゴツイ身体。古強者といって体ではあるが、人懐っこい表情を浮かべながら少女に声をかける。
 困ったように少女は答える。

「ん~、旅人とは少し違うかもしれませんが、旅をしているのは事実ですね」
「そうかい。そこのワンちゃんが相棒ってわけかい?」
「頼りになる番犬ですよ。ね、ハーン」
「ウォンッ!」

 犬――ハーンは元気に声を上げる。尻尾をぶんぶんと振りながら勇ましげに。
 少女はにっこりと笑ってテーブルの上にある鳥の唐揚げを一つつまみ、ハーンの鼻先にぶらさげる。より一層尻尾をぶんぶん振るハーンの口元からは涎が垂れて、少しお行儀が悪いのも愛嬌だろうか。

「よしっ」

 待ってました、と言わんばかりにハーンは少女の手元から鳥の唐揚げ取り、勢いよくがっついた。とても美味しそうに頬張る姿を見て、店長も笑っている。

「こりゃ良い番犬だ」
「でしょう? 自慢の犬です」

 口元に手を当てて上品に笑いながら、少女は自慢げに言う。
 それを見て店長も笑うが、急に真剣な表情を作り上げると、少しばかりドスの利いた低い声で、警告する。

「だけど、今日は早く帰ったほうがいい。お嬢ちゃんみたいに魅力的な女の子が夜道に何をされるかなんて、旅をしているのなら容易にわかるだろう?」

 女一人の旅人。連れは犬が一匹。格好のカモである。
 さらって、犯して、売って、などなど女の使い道などいくらでもある。容姿が優れているとなればさらに、だ。

「魅力的――ですか。たとえお世辞だとしても嬉しい言葉ですね。ありがとうございます」

 すっ、少女の目が細まり、上目遣いに店長を見た。挑戦的な視線。
 店長の心臓が早鐘を打ってしまう程度には、不意に見せられた少女の童顔には似合わない大人の色香。数瞬、なかったかのようにひまわりのような明るい笑顔に戻る。
 何だったのだろうか、と思う。

「そうですね。もう日も変わる頃ですし――お勘定お願いできますか?」

 よくわからない、そして二度と会うことはないであろう少女に、店長はにっこり笑顔で「まいどあり、三千Gになります」と言った。
 その姿を見る、あどけない少女を見る酒場に集う暴れ者たちは、片手で数え切れない数であったことだけ追記しておく。



 暗い、夜道。
 先ほどまであった喧騒から離れただけで少しだけ寂しく感じる。
 ブルっと震えるように縮こまりながら、少女は大通りから少しそれた細い路地を歩いていた。

 ――無用心。

 その言葉に尽きる。
 こんな時間に女の子が一人、いや、犬が一匹いるにはいる。だが、一人であるという事実に変わりはなく、襲ってくれと言わんばかりのシチュエーション。
 暗く、人通りがなく、一人。
 そんなチャンスを逃す若者はあまりいない。愚図の溜まり場と言われる酒場からつけてきた男たちが逃すはずがない。
 ゆえに、回り込まれ、挟み撃ちを受け、少女は困ったように微笑みながらハーンを背に、男たちに対峙していた。
 前に三人。後ろに二人。決して良い状況とは言えない。最悪の状況と言ってもいい。犬がいくら強かろうが、男五人を返り討ちにできるようなものではない。
 それがわかっているのだろう。少女の目の前に回りこんだ男は、現状を理解させるように地面を強く踏みしめながら、手には肉厚のダガーを持ち、威嚇するように近づいていく。

「肉欲に飢えた狼が五匹で、獲物の肉は一匹。末路はどうなると思う?」

 少女の後ろに控えている犬が牙を噛み締め、うなりながら抵抗の声を上げるが、関係なく男は近づいていく。少女を囲む男たち四人はにやにやと唇を歪めながらそれを見るだけだ。
 下種――まさに男たちは下種だった。
 これから始まる暗がりの宴を思い浮かべ、下腹部を膨張させるような妄想をを脳裏で繰り広げながら、現状を楽しむ。少女を狩ることを楽しむ。そういう下卑た快感を求めている。
 男たちの妄想では、泣きながら許しを乞い、貫かれる少女の姿しか映っていない。どのように泣くのか、どのように啼くのか、それだけが問題だ。
 だが――

「私、男にはうるさいんです。前もって聞かせていただきますけど、貴方たちは勇者ですか?」
「あ? 違ぇよ。勇者なんかじゃねぇ。ただの冒険者だ。それに、お前に拒否権なんて――」
「あぁ、そうですか。じゃあ、ハーン。殺していいよ」

 抹殺の意志を主から伝えられた従僕は、口元を大きく歪め――

『オッケー』

 くぐもった声で、確かに言った。
 それからは、ただの惨劇であった。
 肉厚のダガーを構えた男は首を食い千切られ、少女の目の前にいた二人の男たちは反応することすらできず、頭蓋を噛み砕かれ、腹を蹴られて内臓が潰れた。
 一瞬の出来事。
 それを見て逃げ出そうとした、恐怖に怯えた男二人は――あっさりと一人に減った。何故なら、逃げ出そうとした瞬間に足を切り裂かれ、頭蓋を踏み潰されたのだから。
 切り裂いたのは少女の腕、踏み潰したのも少女の腕。いや、正確には腕ではあったが今は刃に変異したものと、腕はあったが今は槌に変異したものだ。
 残った男はこの光景を見て、腰が砕け、座り込んだ。

「アハ、ハハハ」

 虚ろな目で、壊れてしまった人形のようにカタカタと口を動かしながら、現実から逃避する。逃避しても意味などないと言うのに。

『どうする? 見られたのだから殺すのだろう?』
「別にどっちでもいいんですけど――あー、とりあえず何か知ってることでもないか聞いておきましょうか。殺すのは後でもできますし」
『わかった。俺は従うだけだ』
「では、まぁ」

 座り込んでしまった、いつの間にか股間を濡らしている男の顎を蹴り上げ、少女は月明かりに照らされた、まるで天使のような温かな微笑を浮かべながら、問う。

「勇者――どこにいるか知りませんか?」

 答えは、悲鳴だけだった。
 
  
 
 ◇◆◇



 石造りの城。
 何の装飾もされていない、砦としての機能的な美のみを追求されたそれは無骨な――そして、圧倒的な畏怖を与える佇まいである。それもそうであろう。魔物の王が住まう――魔王城と恐れられる城なのだから。
 玉座に座っているのは、青白い肌をした、美貌の男。王の貫禄を発しながら、不機嫌そうに眉の付け根を揉んでいた。
 眼前で安穏とした表情を浮かべながら膝をついているのは、少女と犬である。
 その姿を見て、男――ディバビール=ドラゴン=プリンスは嘆息する。苛立たしげに、嘆息する。

「で、真の勇者を見つけられなかったと。そう申すか。エビルデイン=スライム=クイーン」
「はい――村三つに入り込み、皆殺しにしても出てきませんでした。仕方なく最寄の都市である――ダンジョンの商売が繁盛しているデコワシティに赴いて二ヶ月ほど探索してみたのですが、見つかりませんで――むかついたのでストレス発散に街中で何人か殺しちゃいました。指名手配されちゃってるかもしれません。いやぁ、困りました。どうしましょう」
「エビルデインよ。わらわが一番嫌いなものは知っているか?」
「存じ上げておりません!」

 全くの間もなく、考える素振りもなく即答する少女――エビルデインに対し、ディバビールは心底呆れ果てるようにタメ息をしてしまうことを誰が責められようか。

「何の成果も上げられん部下がわらわは一番嫌いだ! 次期魔王になるためにはどうしても勇者の首がいる! 数少ない勇者の首がな!」
「あ、勇者の首なら――報告はしておりませんが、村勇者の首なら八個ほどあります。ハーン、お見せして」

 少女は思いついたように掌を叩くと、ハーンに指示をする。
 ディバビールの額に青筋が浮かぶ。実に盛り上がった青筋だ。いつ破裂してもおかしくないほどに血管が膨張している。

「ほう――村勇者ごときでわらわに満足せよ、と……そう申すか?」

 抑えに抑えてもなお震える声音が部屋に響く。声に乗せられた圧威の魔力を受けるだけでも、普通の人間なら死んでしまうほどのものだ。
 だが、エビルデインはケロっとしている。

「真の勇者見つけるとか無理ですって。どこにいるか情報が全くないんですもん。そりゃね。スライムはいっぱいいますよ。私もスライムの王なんて名乗ってるからにはスライムからの情報はいっぱいあります。けどね。スライムって弱いんですよ。勇者なんかと会った日には瞬殺ですよ。むしろ、そこらの街のガキにですら負けるやつもいるんですから。つまり、真の勇者が狩りをするような場所には同族はいないわけです。弱いんですから当然ですよね」
『持ってきたぞ』

 指示を受けて部屋から立ち去っていたハーンは、持ってきたズックから首を八個取り出す。全部腐敗していた。
 あまりの臭いにディバビールは鼻を曲げ、不快感を顕にする。それをいち早く察したハーンは首をズックに戻し、玉座の間にある窓から急いで放り捨てるが、エビルデインに「こらっ」と頭をどつかれた。部屋の片隅へと移動し、ハーンは不貞腐れて寝転んでしまった。

「で、ですね。私としましてはドデカイ首ではなく、小さな首を積み立てるほうが得意でして。なんならここらの勇者全員奪ってきましょうか? 青田刈り的なッ!」
「いらんことをするなっ! 成長するまでに刈り取ったら戦闘ジャンキーばかりの勇者監督局から文句が来る。それに村を潰しすぎるな。生かさず殺さずがわらわの信条――ではなく、早く結果出さんかっ!」

 勇者監督局というものは『勇者を弱い時点で殺したら楽しめない。強くなれそうな才能のある奴は放置しようっ! そして、強くなったら楽しんでバトルしようっ!』がモットーの組織である。ディバビールからすれば理解できない考えだ。脅威になる前に殺せばいいだろう。それにはエビルデインも激しく同意する。無視なんて余裕でしよう。
 無視した結果が腐った首が八個なわけだが。窓から飛び去っていった首八個。

「いやぁ――適材適所ってものがあると思うんですよ。ほら、私って見た目の通り可憐でしょう? 力仕事や肉体労働は苦手でして」

 立ち上がり、己のキューティクルを見せ付けるエビルデイン。

「黙っていろ、軟体動物」
「ひどっ!」

 だが、一言で斬って捨てられた。
 あくまで身体を変異させて人間の少女のように振舞っているだけで、もとはスライム。でかいスライムでしかない。ゼリー状のスライムでしかないのだ。
 可憐などとは程遠い。

『あながち間違っていないだろう』
「飼い犬に手を噛まれたっ!」

 先ほど空気を読めなかった主に怒られたハーンはぼそっと呟く。エビルデインは孤立した。
 酷く困惑して、ショックを受けているエビルデインの仕草をつぶさに観察し、多少は溜飲を下げたディバビールが笑みを浮かべながらエビルデインに提案する。

「で、だ。こんな情報がある」
「私に不都合な情報ではない限り拝聴したく思いますが、不都合であった場合、私の耳は著しく能力が下方修正されます。閣下のにやついた表情から鑑みるに、きっと不都合ですよね……私をイジメて楽しいんですか?」

 楽しい、とその顔が無言で物語っていた。

「くくく、良い情報だぞ。真の勇者のありかはわからんが、我が兄が最近新しくダンジョンを製作したようでな。そのデコワシティとやらに作ったらしい。人間たちも発見して、いろいろと人材派遣されているらしい。わかるな?」
「わからないです。わかりたくないです」
「勇者を探しながらダンジョンへ潜り、我が兄のダンジョンを叩き潰せ。経営不振に陥らせろ」

 ちなみにダンジョンの経営利益は人間の死体である。生きているままでも利益になるが。
 死体であったならば人間の死体から練成して核を作る。これが美味しいと評判で、魔界では美食部門第一位を堂々の三十五年連続制覇している。
 美容にも良く、万病に効くという至れりつくせりのものなのだ。
 ちなみに生きていたら人間スキー専門の店に売り飛ばされたりすることになる。たまに魔改造されるものもいるが。
 強ければ強いほど、美しければ美しいほど魔改造にも、核にも役に立つ人間となる。だから、ダンジョンには多くの財宝が隠されていたりするのだ。愚かな人間を呼び寄せるために。
 その人間を倒すために多くの魔物が配置される。そして、最下層にはダンジョンの動力源があり、それを壊されるとダンジョンは立ち行かなくなり、閉鎖される。
 それを壊せば晴れて真の勇者になれるわけだが……。

「同族殺しですかっ! 大罪ですよ、それっ!」

 今、エビルデインに求められていることは一つ。要するに魔物を殺して、最下層に辿り着き、動力源を壊して来い、とそういうことなのだ。間違いなく犯罪である。バレたら言い訳の余地なく一族郎党皆殺しだ。
 エビルデインの場合、世界全土で生息しているスライムも全員一族なので、スライムという種族が立ちいかなくなる。責任重大な立場である。そんな罪を犯せるはずもない。

「あぁ、今日は死ぬには良い天気だ。ハーン、お前もそう思うだろう?」
『はい。実に良い天気です。死を祝福するかのような安穏とした曇り空が実に美しい』

 だが、命が懸かったというのなら――どうなるのだろう。

「ハーン、裏切る気ですかっ!」
『俺は強い者の味方だ』
「裏切る気だっ!」

 部下には裏切られ、上司には脅される。
 中間管理職の悲しさである。

「で、どうする。エビルデインよ……選択肢は二つだ。わらわの玩具になるか。バレないように上手く罪を犯すか。どちらにする? ちなみに前者を選ぶなら苦しんで、苦しみぬいて、何年もかけてじっくりねっぷり生かさず殺さず、じわじわと死へ導いてやるつもりだが……」
「我が忠誠は閣下とともに!」
「うむ、実に良い返事だ。これからもわらわに尽くせよ」
「ハハァッ!」

 エビルデインは思った。
 ぜってーぶっ殺してやるこのクソ王子、と。





[19034] 1.ヒロインのあるべき姿
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 19:50
 魔王城の財宝部屋から装備が一つ、なくなっていた。刀身が小柄な女性ほどもある業物【斬魔刀】である。
 盗んだのは誰かはわからず、魔王城は騒然となっていたが、ディバビールだけは犯人が誰かわかっている。

「クソスライムめ――結果を出せなかったらどうなるか覚えておれよ。うんこ味のゼリーになるように生体合成計画を立案してやる」

 ちょっとした悪戯のつもりでやったことなのに自分の首を盛大に絞めたことをエビルデインは気づいていなかった……。




 








 主人公はスライムクイーンッ!
   
                             作者:ビビ




 








 デコワシティ。
 フィール帝国で王都であるフィールシティの次に大きいと言われる都市である。
 物資の流通となる交易路の中心にある。デコワシティで買えないものはない、と言われるほどの物資量だ。それに、数多くのダンジョンを保有しているおかげで田舎から出てくる若者たちは真っ先に夢を追うためにデコワシティへ来る。若者の多くの夢は【真の勇者】という名誉ある称号を手に入れることなのだから。
 そのための装備を整えられる場所であり、そのためのダンジョンがある。デコワシティはいろんな意味で品揃えの良い都市だった。
 あらゆる種族が大通りを闊歩し、あらゆる商品が露店商と客の間で商売される。活気のある街だった。

「またここに来るハメになるとは――来たくなかったです。家に引きこもって書物を読み漁りたかったんです……」
『何か新刊でもあったか?』
「ふふ、情報不足ですね、ハーン。無知な貴方に偉大な私が教えてあげましょう。なんとですよ。魔界屈指のBL小説家であるマタニティブルー様が新刊を出したのですっ! その名も『先輩と僕の淫らな同棲生活』ですよっ! 僕っ子ですよ。そそるでしょうっ!?」
『盛り上がっているところすまないが、男同士の絡みに興味はなくてな』
「一度読んでみるべきです。はまりますよ」
『何度もお前に読まされたが、未だに良さがわからんよ……』

 エビルデインとハーンは堂々と喋りながら街中を歩いていた。
 嬉々として犬と喋る少女は実に浮いている――わけもなく、自然と溶け込んでいた。何故なら、魔物を飼っているものも珍しくはあるが、決して皆無ではないからだ。
 ダンジョンに潜る冒険者の中には【魔物使い】という職種もある。魔物を使役して敵を屠るというもの。エビルデインはそう見えるのだろう。実際はエビルデインも魔物なので【魔物使い】ではないのだが。

『で、これからどうするんだ?』

 唐突にハーンは問う。
 ふむ、と首を傾げてエビルデインは考え込んでしまう。実のところ何も考えていなかったのだ。

「仕事せずに一ヶ月ニート生活、といきたいのですが、そんなことをしたら職務放棄で折檻されますしね。クソ王子――失礼、噛みました。ディバビール閣下の命令通り、兄上であらせられるタイクーン閣下のダンジョンを潰さなければならないでしょう」
『バレたら死刑か。俺の一族もやられてしまうのだろうか』
「ガルムは――どうでしょうね。貴方の場合は既に一族から追放されて私に売り飛ばされたわけですし、大丈夫でしょう」
『つまらないな』

 ハーンの本名はハーン=ガルム=ウォリアー。ガルムの戦士であるハーンという意味合いになる。だが、今の名前は、ハーン=エビルデイン=スレイブとなる。エビルデインの奴隷であるハーンという意味合いだ。
 実際のところは奴隷というほど扱いは酷くなく、ただの友達のような現状ではある。だが、建前上は奴隷という項目に当てはめられる。
 もともとスライムという種族は上下関係が希薄なのだが、さらにエビルデインはそういうことに無頓着なのだ。それに、エビルデインとハーンは妙に気が合った。それが原因で今のように友達になってしまったのだ。
 ハーンは思う。こいつに買われてよかった、と。
 たまに反抗期のようにくだらないことを言ったりもするが、実際にエビルデインの命が危うくなったならハーンは躊躇なく己の命を使う覚悟がある。その程度には感謝していたし、エビルデインのことを想っていた。
 想っているということを絶対に悟られるつもりはないが。


「大丈夫です。私の一族が危うくなったら、一族全員に命令してガルム狩りをしますよ。数の暴力で圧倒できるでしょう」

 ハーンが売られた原因は多くあるが、一番の理由は一つ。毛皮が黒いのだ。
 普通のガルムは蒼い毛皮をしているのだが、ハーンは黒い。そして、排他しようとしてもハーンは強かった。強すぎた。
 そのせいで、ハーンは売られたのだ。
 かといって、ハーンは別にガルムの一族を恨んでいるわけでもない。

『そうならないことを祈る。で、計画としてはどうするんだ? お前がダンジョンの動力部を潰してしまったら【真の勇者】に認定されてしまうぞ?』
「困りますね。魔界で賞金首になってしまいます。星何個かけられるんでしょうね」
『【真の勇者】は無差別で星一個だろう?』
「うへ、絶対に狙われる。私ですら星六個だというのに……星が欲しいなぁ」

 長袖をめくってエビルデインは腕を見る。そこにはエビルデインの細腕には似合わない大きなブレスレットが嵌められていた。
 ブレスレットの中には色とりどりの宝玉が埋められており、計六個。これが星といわれるものだ。
 多ければ多いほど魔物としての価値があがるという――一種のステータスのようなものだ。一番多いものは星が十個の魔輝星と呼ばれる位だ。現魔王である。
 星が多くなればなるほど星をもらえる基準は厳しくなり、ゆえに“無差別で一個”というのは破格の条件なのだ。故に【真の勇者】の需要は高いが、困ったことに【真の勇者】を生み出すためにはダンジョンを潰す必要がある。ダンジョン製作は下手をすれば国が傾くほどの経費がかかるので、防備は完璧に近い。
 だから、【真の勇者】の数は少ない。

『俺なんか星2個だぞ。いい加減功績をよこしてくれてもいいだろう』
「今はまだいらないでしょう。さて、計画としては、そこらのギルドに所属してパーティーメンバーを募るということになるでしょう。で、パーティメンバーを【真の勇者】に仕立て上げて、殺して、星ゲットして、意気揚々と帰る。ばっちりです」
『ほう、それで七輝星になるつもりか』
「いえ、ディバビール閣下に献上しないとダメでしょう。折檻されちゃいますし」

 ブルッと震える仕草を見せるエビルデイン。本気で怖がっているようだ。

『ふむ、ではギルドで向かうということか?』
「えぇ、その前に火の粉を振り払う必要がありますね。人間というものは本当に年がら年中発情期ですね。困りました」

 現在、エビルデインは暗がりの小道を歩いている。ギルド通りと呼ばれる場所はこの道が一番近道なのだ。伊達に二ヶ月も探索をしていない。
 こういうところを通るということは人だかりがなくなるということであり、襲われやすいという特典もついてくるから、女一人で通るということは普通はないのだが――エビルデインは普通ではない。

「そこな美しいお嬢さん。俺たちと一緒に遊ばない?」
「イカせてやるぜ?」

 そう言って背後から近づいてくるのは、どこにでもいそうな軟派な男――ではなく、明らかに場慣れしている屈強の男だ。
 鍛え抜かれているのであろう、絞り込んだ身体に無駄な部分はなく、それだけで強いということがわかる。
 だが、エビルデインとハーンは焦ることなどない。

『使うか?』

 ハーンはズックから大降りの太刀を取り出そうとする。魔王城からパクってきた業物【斬魔刀】だ。
 本来ならこんなものを必要としないのだが、生憎、エビルデインにとってはとてつもなく大きな制約がある。

「武器なんて使ったことないんですけどね。変異したら人間じゃないってバレますし、使いますか。力試しをしたいので、ハーンは大人しくしててくださいね」
『わかった』

 そう言って取り出そうとしたのだが、その必要がなくなったことをハーンは悟った。
 さっさと出してよ、と言わんばかりにハーンを見るエビルデインであるが、エビルデインもわかってしまった。あぁ、そうか、と。

「おいおい、いたいけな女の子を甚振るのはよくねえだろ?」

 そう言って出てきたのはグレートソードを背に持つ美麗な剣士であった。
 歩き方一つを見ただけで、絡んできた男二人とは戦士としての質が違うことが容易にわかる。とてつもなく、強い。その事実を気づけない哀れな男たちではあった。

「うっせーな。テメェ! ちょっと格好良いからって何を他人の獲物を奪おうとしてんだよっ!」
「ぶっ殺してやる!」

 短気すぎるだろ、とエビルデインが突っ込んでしまいそうになるほどにあっさりと剣を抜く男二人。
 いつでも対応できる程度には緊張感を高めておくが、それも杞憂であった。
 何故なら、剣を抜いた瞬間に男二人の剣の刃がへし折られたのだから。美麗な剣士の手によって。

(速いですね)

 魔物でも高位であるエビルデインですら、体さばきを肉眼でとらえることができなかった。

「まだ、やる?」

 男二人の首にグレートソードの刃を当てながら、低い声で剣士は問う。
 返事はなく、男二人は急いで立ち去っていった。
 それを見送ると、剣士はグレートソードを背に戻し、にっこりと笑って、腰ほどまである蜂蜜色の髪をかきあげて、実に格好よくエビルデインに話しかけた。

「大丈夫? こんなところで可愛い女の子が一人で歩くものじゃないよ。そうだ、俺が護衛をしてあげようっ!」

 冒険譚に出てくるようなヒロインを助けるヒーロー。まさにその鏡といえる登場の仕方にエビルデインは苦笑する。ハーンも少し笑いを抑えている。

「はい。ありがとうございます。えっと……」

 エビルデインが探るように剣士のほうを上目遣いで見る。
 剣士はエビルデインが何を言おうとしているか気づいたようで――

「失礼。俺の名前はアルス。アルス=レイクリッド。見ての通りしがない剣士なんかしている。君は?」

 見ての通りしがない剣士。
 エビルデインとハーンはその言葉に少しばかり疑問を持つ。
 アルスの持つグレートソードはある紋様が書き込まれており、何かしらの属性付加などをされているのだがわかる。これはとても金がかかるのだ。普通の剣士ではそんなことをできる金があるはずもない。
 装備もそう。軽装の上に革の胸当てをつけているだけのように見えるが、見るものが見ればわかる。革は高位の魔物――おそらくはケルベロスなどの高位の魔物の毛皮を使っている。それに、軽装の服だってそうだ。魔法繊維が縫い付けられており、魔法耐性も高そうだ。並の剣士ではない。
 気づいた素振りをみせずに、エビルデインはポーカーフェイスをする。

「あ、はい。私はエビルデインです。こっちは――」
『ハーンだ』
「ほう、魔物使いだったのか。じゃあいらぬ世話だったのかな? そのズックから何か取り出して戦おうとしていたみたいだし……」

 ズックの大きさは実に小さいのだが、その中は異空間に繋がっているという代物。
 重さは変わらないので、重いものを入れれば際限なく重量が増していく。
 その中から武器を取り出そうとしているのをアルスは気づいていた。

「いえいえ、そんなことはないですよ。助かりました。それに、女の子としては貴方のような美しい男性に助けられるというのはロマンですしね」
「そうかい? そりゃ嬉しいなぁ。で、行き先はどこなのかな?」
「初心者でも所属できるギルドを探していまして」
「そりゃまた何で?」

 そう聞くのは当然だろう。女でギルド所属しようとするものは少ない。なりたい職業は『お嫁さん』がNo.1なのだ。

「新しく発見されたダンジョンに入りたいんですよ」
「へぇ? 女の子で珍しいね。それならあっちにあるギルドがいい。『ディコルグの館』っていうんだけどね。そこで試験を受けて入ってみるといい。試験に落ちたら入れないけどね」
「そうですか。では、案内お願いしますね」
「試験内容は聞かないのかい?」

 きょとんとした表情でエビルデインが聞き返す。

「どうせ受かるのに聞く意味はあるんですか?」

 当然のように言った言葉は実力に裏打ちされたものだ。
 エビルデインは強い。普通の人間とは比較にならないほどに。仮にもスライムの王なのだから。
 今の見た目がか弱い少女でしかないのだが。
 ギャップにアルスは噴出してしまう。

「ぷっ、くく、すごい自信だ。それだけそこの犬――失礼。ハーンに頼り甲斐があるということかな?」
『それは違うだろう。エビルデインの無駄な自信は自前だ。ポジティブなんでな』
「実力と言ってよ。無駄な自信じゃなく、私自身の実力です。腕に覚えがあるのですよ」
「へぇ、そりゃ楽しみだ。俺と同じランクになったらパーティでも組んでくれよ」

 アルスにとっては掛け値ない本音だったりする。
 この女の子と一緒にダンジョンに潜るのは楽しそうだ、と素直にそう思った。
 満面の笑みでエビルデインも「そのときはお願いします」と答える。

「では、案内お願いしますね」
「おうよ」

 こうして魔物二匹はあっさりと都市の中へと進入し、ギルドの中へと入っていくことになる。
 空は、快晴だった。



[19034] 2.試験という名の遊戯
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 19:50
 通常、ギルドを選ぶ場合は大きく分けて二つの選択肢がある。
 ギルドに所属する料金が高いが、所属しているメンバーは良質である。もう一つは、ギルドに所属する料金は安いが、所属しているメンバーの質は不明である。
 つまり、安全を金で買うか、買わないか、ということになるわけだが――『ディコルグの館』は後者であった。
 安い。とてつもなく安いのだ。所属料金が。
 なんと所属する一年の料金が1万Gもしないのだ。これは破格である。そこらの飲食店で働くウェイターの三日分の給料くらいでしかない。つまり、質としては押して知るべしなのだが――エビルデインは全く気にしていなかった。気にするとすればそう――見くびられているという現状である。

「お前みたいなガキが冒険者になる? 寝言は永眠してから言えよ、チビっ子。お前じゃ試験を受ける資格すらねーよ」

 内装としては落ち着いた雰囲気である。
 そこらの酒場などよりも余程掃除されているのだろう。テーブル席も多く、それらには傷跡がほとんどない。まばらに座る冒険者であろう人影たちも、性格が悪そうなものが多いが、それでもおとなしく座って本を読んでたり、荷物の整頓をしていたりと行儀良くしている。
 それだけギルドマスターの管理が行き届いているというわけなのであろうが――管理の仕方はきっと恐怖政治だ、とエビルデインは確信した。

「いくら俺がイケメンだからって見つめても何も変わりはしねえよ。さぁ、帰った帰った」

 強面という言葉がこれほど相応しい男はいないだろう。壮年であろう髭を多く蓄えた禿頭の男。それほど低くはない天井に届きそうなほどの身長の上にある頭は見事な禿頭で、片目には大きな傷跡がある。間違いなく元冒険者であろうことが伺える。
 そんな男が今、エビルデインを見下しながら不合格のサインを出した。いらっとして腕が武器に変異するのを抑えるのに必死である。

「それはあんまりだろ、マスター。あんまりなのはマスターの輝く禿頭だけで十分だよ。いいじゃないか、試験くらい。受けさせてやりなよ」

 チャンスすら与えられないエビルデインを見かねて、後ろで黙って見ていたアルスも口添えするが、ハーンはアルスの横で欠伸をかみ殺しながらやる気なさそうに寝転んでいるだけだった。
 カウンターから見ているディコルグはハーンに輪をかけてやる気なさげだ。タメ息を吐き、仕方なく口を開いている様は至極面倒くさそうだ。

「アルス――お前だって冒険者だ。わかるだろう? ダンジョンはこんなガキが踏破できるものじゃねぇんだよ」

 ディコルグだって意地悪をしているわけではないのだ。
 単純に、エビルデインという少女の身を案じて言っているのだ。
 傷跡のない綺麗な顔や身体は戦いに向いているようには見えない。そして、ほんわかとした緊張感のない顔立ちも、決して修羅場を潜り抜けてきた戦士がしている顔ではない。
 そんな細腕で何ができる。魔術師でも力はいるのだ。それに、弱い女はパーティーメンバーに剥かれることだってある。女が弱いという事実は許されないのだ。特に『ディコルグの館』のような無法者が多いギルドでは。

「でも、彼女は『魔物使い』だ。それに自身にも武芸の心得があるみたいなことを言っていたし、試験くらい受けさせてもいいだろう? 試験で死にそうになったら俺が助けるからさ」

 しかし、アルスは必死に言い返す。
 それを見て相変わらずだな、とディコルグは呆れ果てる。人が良すぎる、と。

「お前はいつだってそうだ。だから女に騙される。甘いんだよ」
「辛いのは嫌いでね」
「そういう意味じゃねぇよ……はぁ、仕方ねぇな。ガキ、一度だけ受けさせてやる。二度とチャンスはねぇからな」

 やらせるつもりなどなかったが、アルスの熱意に押されて受けさせる形になってしまったことをディコルグは後悔してしまう。
 だが、その後悔は一瞬で消え去った。

「はぁ、一度で通るんで別に構いません」

 柔らかな印象を受ける顔立ちと小柄な身体から出されたとは思えない自信ある言葉。
 自分が落ちるなどありえない、と考えていることは確信を秘めた目を見ればわかる。
 こんな戦闘すらしたことがないようなガキがしていいような目ではない。生意気な、とディコルグは思う。

「……良い度胸だ」
「あまり褒めないでください」

 褒めたつもりはない。

「奥で試験をする。試験内容は俺たちギルドが飼ってる魔物を倒せるかどうかだ」
「わかりました」
「そこの犬っころもついてこい。お前が戦うんだろう?」
『いや、戦うのはエビルデインだけだ。そうだろう?』
「えぇ、ハーンは見ているだけでいいですよ」

 寝転んだまま視線だけディコルグに向けて言うハーンを見て、ディコルグは少し驚いた。
 言語を操る魔物を従える少女――それなりの腕がないとそんなことはできない。雑魚ではないようだ。

「犬っころ――喋れるのか。なるほど、それなりの魔物を連れているってわけか。ふん、どうやら資格はあるみたいだな」
「まぁそれなりに」
「頑張れよー! 一緒にパーティー組もうなっ!」
「はい、楽しみですね」
「先に試験だよ、クソガキッ!」

 はいはい、と締まりなくエビルデインは返事をし、ハーンが背負うズックを取り上げて、意気揚々とディコルグの後をついていった。
 行く先はカウンターの奥にある部屋。魔物が飼われる試験場……。




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 身の丈を越える大きな太刀を片手で軽々と操る戦士が、舞台の中心で大いに暴れまわっていた。
 一度振るわれるたびに二つに裂けた死体が積み重なり、決して広いとはいえない試験場は屍の山と化していた。
 試験場には扉が一つあり、扉の向かいには鉄格子が一つある。そこから順々に魔物が出てくるようになっているのだが――

「魔物が怯えて出てこない――とはな。俺の目が狂ってたようだ。アルス、あのガキんちょ強いな」

 エビルデインの動きは決して流麗とは言えない。
 太刀の入れる角度は適当だし、振るという動作も不恰好だ。全てにおいて力任せ。だが、強かった。
 魔を滅する属性を持つ【斬魔刀】からすれば角度なんて関係ないし、怪力であるエビルデインからすれば重量を最適化するための振る動作なんてものは必要ない。技術というものは力のない弱者に必要なものであって、力のある強者には決して必要なものではない。
 重いものを持つコツがある。では、その重いものを持つ力があればどうなるのだろうか。コツなどいらない。持てるのだから。
 それと似たようなものだ。
 その強さは異質で、人としての強さとは種類が違う。生物として強いのだから。

 闘技場のような作りの試験場の中心で【斬魔刀】を構えていたエビルデインは、構えを解いて地面に突き刺し、ディコルグを見上げた。とても挑戦的な視線で、見上げた。
 観客席として機能していたであろう二階ではディコルグは歯噛みして視線を受ける。完全に敗北だ。

「すみません。魔物が出てこないんですけど?」

 死体となった魔物は弱いものが大半だが、強いものもいる。
 弱いものとしてはゴブリンなどの亜人種でも群れにならないと雑魚なもので、強いものは硬い鱗に覆われたリザードマンなど。一介の冒険者ですらリザードマン相手にここまで大立ち回りできるものなどそうはいない。その死体が積み重なっているのだ。
 合格にせざるを得ない。それだけではない。

「マスター、このままだとエビルちゃんをCランクで出発させなきゃいけないぜ?」
「Cで終われるかよ。まだ余裕綽々な面持ちじゃねぇか。くそっ、あいつを出すか」

 不穏な空気をハーンは嗅ぎ取ったが、無視してエビルデインを見下ろしている。
 当然の結果過ぎて何の感慨も沸かないわけだが。
 仮にも一種族の王がそこらの雑魚に梃子摺るはずがない。能力の大半である変異能力を制限している現状ですら、雑魚が束になっても勝てるはずがない。格が違うのだ。
 つまらない試験だなぁ、と思いながらハーンはぼんやりとしている。微妙に船を漕いでいるのはご愛嬌だろうか。

「もう終わりですかー?」

 一向に出てこない魔物からは既に興味が失せており、エビルデインはディコルグに聞く。

「いや、終わりじゃねぇ。クソガキ、お前はこのままだとCランクで出発することになる」
「システム自体がわからないんで詳しく教えてください」

 実のところ人間の作り上げたシステムについては大半の魔物や魔王――総じて魔族というのだが、彼らは無知だ。
 住む場所も違うし、文化も違う。共通のものなどほとんどないので理解できないのだ。それに、興味がないとも言う。
 かといってそんなことを言ってられるほどエビルデインには余裕がないので、きっちりと聞くつもりではあった。情報はあっても困らない。

「ランクが高ければ高いほど厚遇になるんだよ。パーティも組みやすくなるし、低ランクではいけないダンジョンにも行けるようになる。で、最低がEで最高がSだ。試験ではBランクまで上げることができる。A以上はダンジョンに潜ってそれなりの成果を出すことが求められる」

 E~Sランクまである階級は凄まじく簡単に言えばこうだ。

 E:雑魚
 D:普通
 C:中堅
 B:熟練
 A:強者
 S:英雄
 
 Sランクはほとんどおらず、いるとしてもそれは【真の勇者】と呼ばれる面々か、もしくは余程の功績を残した偉人である。Aランクの時点でかなり凄いのだ。
 そして、Bランクもかなり凄い。駆け出しでBから始められるものなどほとんどおらず、本来なら何年もダンジョンに潜りつつ己の力を高め、武具を揃え、挑戦してやってクリアするものなのだ。

「つまり、Bまではこの場で上がれるわけですね。じゃあさっさと相手を出してください」

 ディコルグとしてはCで終わってほしかったのだが、エビルデインは終わる気などさらさらないようだ。
 こうなるだろうことは容易に予測がついたが、さすがにBは危ない。出てくる魔物が危ういのだ。

「……BからはCなどと段違いだ。下手をすれば死ぬぞ?」
「死にませんて。さっさと出してください」

 忠告をしているにも関わらず、エビルデインの態度は変わらない。
 だから、ディコルグは考えた。まずは実物を見せて脅しをつけてやろう、と。

「……ペトラちゃんっ! かもーんっ!」

 出てきたのは一般の成人男性よりも頭二つは大きいアルスの二倍はありそうなほどの巨躯を持つ、双頭の爬虫類であった。
 それはヒドラと呼ばれる魔物だった。
 ヒドラは首が多ければ多いほど強いと言われるのだが、これは二つしかないのでヒドラの中では弱いほうだが、それでも強い。
 平均的な数としては首が六本。だが、六本もあるヒドラを倒せる実力があるならそれはAランクでもさらに上位の実力が必要となる。首が二本でも強すぎるくらいなのだ。

「ちなみにそのペトラちゃんを倒せたのはウチのギルドではアルスだけだ。一応アルスはこのギルドでは最強の剣士でな。そいつ一人しか倒せてないってことは――わかるだろう?」

 最後の警告と言わんばかりにディコルグは言うが、徒労に終わる。

「倒した前例がいるんですね。では余裕じゃないですか。勝てない相手ではないってことですし」

 目に必殺の意志を込めた戦士の姿が映るだけだった。
 【斬魔刀】を引き抜き、肩にかついで今にも振りかぶらんとする姿からは退却するなんてことは全く考えていないことがわかる。頭が地面につきそうなほどの前傾姿勢で、進むことを考えていないのだ。
 開始の合図を待つように、律儀にエビルデインは待っている。そして、ヒドラのペトラちゃんも待っている。

「はは、凄い自信で余裕だなぁ。惚れちゃいそう」

 そう言いながらもアルスはいつでも助けに出られるように獲物であるグレートソードを引き抜き、飛び降りる準備をしている。
 ディコルグもそれを見て安心し、合図をすることにした。

「ペトラちゃん、相手してやれっ!」

 決戦の火蓋は切って落とされた。
 ご主人様であるディコルグの許しを得て、ペトラちゃんは咆哮する。

――ルオオオオオオオオオオォォォォォォォオオオオオオオオッッッ!

 これまでの魔物とは格が違うということを見せ付けるための咆哮。
 普通の冒険者ならこれだけで足が竦み、腰が砕け、命乞いをする。言葉など通じないのに。意味などないのに。
 眼前で攻撃的な意志を遠慮なくぶつけてくる少女もそうなるであろう、とペトラは思っていたが、そんなことはなかった。

「格下のくせに威嚇をしてくるんですか。不愉快ですね」

 ぽつりとそう呟くと、前傾姿勢を解いて、【斬魔刀】を地面に突き刺し、力いっぱい息を吸い込み――

「ハアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」

 エビルデインは負けじと叫んだ。
 見た目に似合わない荒々しい獅子吼はビリビリと空間を震わせるほど。
 吐き出される声量の中には多くの魔力が紛れ込み、聞くだけで生命力を奪う強者の叫びだ。
 ディコルグとアルスは急いで耳を塞いだ。聞いてはならない声だと感覚で理解して。
 ハーンだけが尻尾を振りながら元気に声を聞いている。エビルデインの叫びはハーンにとっては歌声にしか聞こえないからだ。慣れ親しんだ魔力が身体に伝わってくるのは元気の源でしかない。

――ルオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォオオオオオォォォッッ!
「ハアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」

 息が途切れるまで根競べをするのであろう。
 ヒドラは吐き出すように声を振り絞り、エビルデインも同様に、絞りつくすように声を吐き出していた。

――ル、ルオォォォッ
「ハアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」

 勝者はエビルデインであった。
 胸を張って嘲笑を浮かべながらエビルデインはペトラを見る。ざまぁみろ、と全身で語っている。ペトラの額に大きな青筋が浮かんだ。侮辱されていることを理解したのだ。

――ルオオォォッ!

 息を大きく吸い込み、叫び声とともにヒドラは双頭を掲げ、エビルデインへと振り下ろした。
 足に力を溜め、後ろへと飛翔してエビルデインは避ける。もといた場所はヒドラの頭による鉄槌で見事に陥没した。

(まぁ、喰らっても死なないけど)

 ゼリー状のスライムには打撃は効かないので喰らってもよかったのだが、人間なら死ぬのでエビルデインは避けただけだ。全く脅威ではない。人間ではないということを悟られることこそ脅威だ。
 それからは迫り来る双頭を防御することだけに専任していた。
 横から来たら【斬魔刀】の腹でいなす。上から来たら避ける。正面から来たら力を込めて防御する。
 そんな攻防が十分ほど続いていた。

「やばいんじゃねーか?」
「あぁ……」

 ディコルグとアルスは焦る。
 対等の勝負を繰り広げているように見えるが、これではジリ貧だ。人間は魔物ほどスタミナに優れていない。このままでは危うい、と考えながらハラハラと戦局を見つめていた。
 そもそもエビルデインは人間ではないというのに。

『何を遊んでいるんだ?』

 ハーンは意思疎通の魔法【テレパス】を用いてエビルデインに声をかける。
 何度も殺せる場面はあった。それなのに殺さないエビルデインが不思議だったのだ。

「いや、あっさり倒したらあまりに怪しいでしょ。だから、ぎりぎりで倒そうかなぁ、と」

 ヒドラが大きく息を吸い込み、双頭の口から【燃え盛る吐息】を吐き出してきているのに、それを【斬魔刀】を眼前で旋回させるという大道芸じみた仕草で回避している。エビルデインは正しく遊んでいた。

『汗一つかけないその身体でギリギリで倒すなんて無理だろう。血だって流せないだろうし。無理だよ無理』
「やっぱし?」
『さっさと終わらせてくれ。腹が減った』
「了解。エビルデイン、本気出しまーす」

 【テレパス】をしながら顔色一つ変えずに対処できている時点で余裕なのだ。
 ハーンは知っている。エビルデインはヒドラ如きに負けるほど弱くはない。
 ゆえに、本気を出すと言ってからはあっさりと勝負が終わった。

 ――不用意。

 何度も攻撃して防御しかできないと、相手の実力を勘違いしたヒドラが、傲慢にも真正面から、再び双頭を突き出したのだ。
 あらゆる角度から二本の首を攻撃することこそが有効な戦術だというのに。
 だから、この結末はあまりに自然であるがゆえに、あまりに不自然だった。
 
 突き出された首の片方が、断絶される。
 断絶されたことに気づいたもう一つの首はエビルデインに蹴り上げられ、首につられるように巨躯も中空に放り出される。
 放り出された先には、跳躍したエビルデインが飛んでいくペトラを待ち伏せているかのように、【斬魔刀】を振り上げていて――

「んじゃねー。おやすみ」

 振り下ろされた刃に切り落とされ、首の残りはゼロになった。
 重力に従い、ペトラは地面に叩きつけられるかのように落ちて、試験場はこれから先使うことはなくなるであろうほどに破砕される。

「アルス、こりゃとんでもねーな」
「とんでもなさすぎる。完璧に惚れたっ!」

 外野がそんなことを言っているなど露知らず、エビルデインは濛々と立ち込める土煙から出てきて、言った。

「私、合格ですよね?」

 当然だろ、とディコルグは叫び、試験場に飛び降りてエビルデインに握手した。
 アルスもそれにならい、後に続き、ハーンだけはこっそりとペトラの首を食べていた。

『そこそこ美味い』
 
 
 





[19034] 3.だって犬ですもの
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/05/25 19:50
 デコワシティで最近見つかった新規のダンジョン――【フロンティアハーツ】は入場最低ランクはBとなっていて、強者しか入れないことから中にいる魔物の強さがわかる。そして、中にある財宝の価値もよくわかる。強い魔物がいるところは、高価なものが眠っている可能性が高いのだ。
 ランクCまでの冒険者ならかなりの数がいるが、ランクBとなると一気に数が激減する。
 努力次第でCにはなれる。Bからは才能だ、という言葉が冒険者の中での格言となっている。そう、才能がない者はB以上になれることはないのだ。
 どれだけ修練を重ねても、どれだけ強い装備を身につけても、ここからは登れない。絶対の壁があるのだ。
 ゆえに、C以下の者はB以上の者を妬む。自分たちが持たざる者であることを理解しているが故に。
 『ディコルグの館』で二番目のランクBの冒険者が登録されたことで、嫉妬の視線を当事者に存分に放っている。
 当事者とは華奢な身体に頭の中が幸せそうな少女であるエビルデインのことだ。広いとも狭いとも言えない『ディコルグの館』のエントランスでディコルグからランクBの証であるピアスを貰い受け、それを耳に刺している。
 
「あいついきなりBランクになったってよ」
「あんなガキが?」
「おかしいだろ。なんであんな奴が……」
「ペトラを瞬殺したらしいぜ」
「化物だ」

 十人以上いる冒険者たちはヒソヒソと言葉を交わす。
 それはアルスにとっては決して愉快なことではなかった。
 大きく口を開けて注意してやろうとしたのだが、当の本人であるエビルデインがにっこりと笑ったまま首を振ったので、押し留まる。なぜか悲しそうな笑みに見えてしまったのはアルスの気のせいだろうか。握りこまれた掌に爪が喰い込み、ギリギリと歯を噛み締める。女の子に不愉快な思いをさせたまま放置するなど、アルスにとっては許せることではなかった。
 しかし、それを望まれていないのだから黙るしかない。
 アルスは己の無力を噛み締めていたが、実のところエビルデインは全く気にしていなかった。

(えーと、【フロンティアハーツ】でしたね。さっさとクリアして家に帰って小説でも読むとしましょう。人間の街で過ごすなんて過緊張で溶けちゃいそうですしね)

 能天気にこんなことを考えていたりする。
 歯噛みしながら耐えるアルスと、ぽけっとしているエビルデインは実にちぐはぐであった。
 そして、最もこの場で異常なのがハーンである。部屋の片隅でもしゃもしゃと何かを食べているのだが、そのことに誰も気づかない。みんながみんなエビルデインを見ているのだから。だから、ヒドラの首をこっそりとズックに収納して、ちょびちょび引き出して食べていることに誰も気づいてくれはしなかった。

「さて、ピアスをつけたなっ! これでガキ――っていうのもあれだな。エビルデインってのも長いし、エビーでいいだろう。エビーも冒険者だ! しっかり稼いでくれよ、Bランク!」
「――エビーですか。まぁ、ほどほどに頑張ります。とりあえず【フロンティアハーツ】というところに潜りたいのですが、手続とかはありますか?」
「潜るって一人で潜るのか?」

 最低Bランクから許可されるダンジョンにソロで潜るなど自殺行為だ。
 それがわかっているので、ディコルグも引きとめるように言うが、相も変わらず何を考えているのかわからない無邪気な笑顔のままエビルデインは躊躇なく答えてくる。

「だってパーティ組んでませんし。私の友達はそこのハーンだけですし、っていつまで食べてるんですかっ!」
『あと少しで食べ終わる』
「どれだけ食べるんですか。首二つとも食べるなんて大食漢過ぎるでしょう……太りますよ」
『俺のしなやかな身体には贅肉などというものは存在しない』
「はいはい、そうですか。で、私はハーンと潜ることにします。ダンジョンというものは初めてなので少し不安ですが、まぁ何とかなるでしょう」

 普通は緊張するものだ。
 普通ならダンジョンに初めて入る場合は緊張するものなのだ。
 少しでも安全度を上げるためにパーティーを組み、装備を整え、薬草や道具などを準備する。こういった行為を経て、初めてダンジョンへと潜るのだが、エビルデインを見る限り、それらの過程をすっとばしていきなりダンジョンへと潜ろうとしている。
 ディコルグはわからなくなる。
 とてつもなく強いエビルデインという少女は、バランスが壊れている。
 肉体的な強さは類を見ないほどに優れているし、叫んだときの魔力含有量から考えるに、相当の魔力を持っているはず。一流どころではなく、超一流といっていいほどの素材だろう。
 それなのに、武器を操る技術が残念すぎたし、魔法を行使するような素振りすらなかった。それに、知識にしても少なすぎる。これだけの力があるのにも関わらず、今までダンジョンに潜ったことがないなど、おかしい。そして、何故【フロンティアハーツ】にこだわるのか、ということもわからない。
 普通の冒険者ならある程度踏破されているダンジョンで魔物との戦闘に慣れることを選んだり、トラップに対する知識を増やしたりするものなのだが、エビルデインは違う。
 まるでそんなものなど脅威ではない、というような……そんな気がするのだ。
 杞憂であるといいが、とディコルグは考えるが、何が杞憂なのかすら思いつかない。
 難しい顔をしたディコルグのことをエビルデインは不思議そうに見ている。ダンジョンまだ入ったらダメなの、とぼそっと呟いているのだ。見た目が可憐な少女であるエビルデインのこの言葉は、否応なしにディコルグを攻め立てる。
 だが、行かせるわけにはいかない。こんな金の卵を早々に死なせるなどもったいなさすぎる。
 返事を先延ばしにするために、う~ん、と考え込み始めたディコルグの腰あたりをゆさゆさと揺さぶってエビルデインは催促するが、その動作は止められることになる。アルスの手によって。

「待て。待つんだ、エビルちゃん」

 はい? と何の気なしに返事をするエビルデイン。
 ハーンはまだ肉を頬張っている。

「俺もついていくさ。ついていくとも。BランクあるってんならAランクの俺と組んでも何もおかしくないしね。だろ、マスター?」

 それもそうだな、とディコルグは思う。
 今までアルスと組めるメンバーがいなかったので、アルスは違うギルドの冒険者たちと臨時パーティを組んでいたりしたのだが、とうとうギルドメンバーにパーティが組める程度の強さを持った人物が現れたのだ。組まない理由がない。
 それにアルスはエビルデインにかなりの好意を抱いている。死に物狂いで護るだろう。
 ディコルグはそこまで考えて、結論を出した。

「……そうだな。エビーなら戦闘面で足手まといになることもなさそうだ。組んでやってもいいんじゃないか?」
「さすがはマスターだ。じゃあ、ダンジョンへの潜入手続よろしく」
「任せておけ。じゃあ、さっさと稼いでこい」
「あいよ。じゃあ、よろしく。エビルちゃん」

 いつの間にかアルスとパーティを組めるようになっていたので、きょとんとしていたエビルデインだが、次第に頬を緩めて笑顔になって、大きく頷く。

「はいっ! よろしくお願いします。ハーンもちゃんと挨拶しなさい」
『はほひく(よろしく)』

 未だに食事中だったので、ハーンはもごもごとした返事しかできなかった。
 しかも、部屋の片隅なのでカウンター周辺で集まっているエビルデインやアルスとは結構遠く、何を言っているのかわからない。

「……先に食べ終わりましょうよ。あぁ、もう、ぽろぽろこぼして……はしたない」

 呆れたようにエビルデインが言うが、ハーンは全く懲りていない。
 急いで肉を丸のみし、口元を盛大に舐め上げた後、立ち上がってアルスを見た。

『では、改めてよろしく。俺のことはハーン様、もしくはハーン君、ハーンちゃんでもいい。なんとでも呼んでくれ』
「じゃあ、ハーンちゃんで」
『……冗談で言ったのだが、まぁいい』
「柄にもなく下らないこと言うからですよ。では、よろしくお願いしますね」
「あぁ、よろしく」

 こうして、『ディコルグの館』で初めてBランク以上のパーティが結成されることとなった。




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 










 だいたいのダンジョンは大きく分けて3区画を保有している。
 上層部・中層部・下層部と、魔物の強さが激変するラインだ。だいたいのダンジョンにこれが当てはまる。
 そして、【フロンティアハーツ】では既に中層部までは踏破されており、残すは下層部だけとなっている。
 そこに生息する魔物の情報はあまり出ていない。なぜなら、下層部に行って帰ってきた冒険者がほとんどいないからだ。
 ゆえに、こう名付けられた。【フロンティアハーツ 人生最後の物語】――ダサい、とエビルデインは評価した。あまりにダサすぎて何も言えない。きっとネーミングセンス皆無の人がつけたのであろうことは容易にわかるというもの。
 それはさておき、ここで重要なことは一つ。
 中層部までのマッピングと生息する魔物の情報は購入することができるということ。
 購入する場所である情報屋や、武器屋や道具屋など、Bランク以上の冒険者がよく利用する“良質な”施設をエビルデインはアルスから教えてもらっていた。

「さっき言っていたみたいに、いくら強いからって何の用意もせずにダンジョンに行くのはあまりに危険なんだ。エビルちゃん程度の強さがあれば魔物に殺されることはほとんどないだろうけど、それでも魔物は一匹で襲ってくるわけじゃない。俺の経験だと一気に三十匹の魔物に襲われることだってざらなんだ。だから、いくら準備したとしても準備しすぎるということはない。それに、食べ物とかもいるしね。毒を喰らったらいくら強くてもあっさり死ぬし。何においてもまずはそれらの対策における準備をすることから始めなきゃいけない。わかる?」
「うんうん」

 とエビルデインは素直に頷いて聞いている。
 食事なら魔物の肉を喰えばいいし、ほとんどの毒に対しての耐性をエビルデインとハーンは持っているから本来なら必要はないのだが、それでも素直に聞いておく。“普通の人間は準備する”というのが大事なのだ。それなら準備しておいたほうがいい。エビルデインは人間のフリをしているのだから。

「見る限り――武器はそのままでもよさそうだけど、防具がなぁ。そのままでいいの? どう見ても普通の服にしか見えないんだけど」

 エビルデインの武器である【斬魔刀】はハーンのズックに入れている。そして、着ている服は、布の服に革のズボン。その上に薄汚れた灰色の外套を羽織るという典型的な旅人ルックだ。防御性能はほとんどない。強いていえば防寒性が高い、ということくらいか。防寒着なのだから当然ではあるが……。
 
「んー、この服だと変ですか? 着心地は良いんでこのままがいいんですけど」
「でも、そんな服だと防御性能がないに等しいし、魔法耐性もほとんどないしね」
「けど、私はお金なんて持ってませんよ? ここにあるものは見たこともないような値段ばかりするので買えないです」

 今いる場所は武具屋『わっしょい』である。
 ふざけた名前のくせになかなかに高性能の装備ばかりが陳列されているのでエビルデインは少々驚いている。ちなみに、ペットは立ち入り禁止だったのでハーンは店先で寝転がっている。いささか不機嫌な表情だ。俺はペットじゃない、と店員に反論していたのだが、魔物もペットも一緒、と言われてしまったのだ。かなり凹んでいる。
 そんなことは全く気に掛けず、アルスは陽気にエビルデインをエスコートしている。むしろ、ハーンがいなくて喜んでいる。異性と二人っきりというだけで男は舞いあがるものなのだ。

「大丈夫。俺が奢るからっ!」

 気が大きくなり、同時に財布の紐が緩むのも仕方がないというもの。
 買ってほしい、とエビルデインが言えば何でも買い与えるつもりであった。
 だが、遠慮がちに「でも……悪いです」と俯きながらエビルデインは言う。おかげでアルスの中のエビルデインの株が上がった。遠慮する女の子は大好きだっ! 俯きがちに言うというのも高ポイントである。おかげで何でも買い与えるという選択肢に新たに追加として、財布の中身が続く限り何でも買い与えるという選択肢になってしまった。バカな男である。そのうち俺が幸せにしてやるっ! と考えるようになったらおしまいだ。それは悪魔のプログラム。財布の中身がなくなった上に、装備品もすっからかんになり、借金塗れに陥る。そんなバカだって世の中にはいる。
 アルスは幸運にもまだ仲間入りを果たしていないが、後一歩で仲間入りできる面持ちだ。何もかもを貢ぐカモの顔である。

「はぁ、じゃあこれを頂いてもいいですか」

 そう言ってエビルデインが指差したのは店の中では安い方に入るローブだ。【星屑のローブ】という全属性に対しそれなりの耐性を持つ対魔法装備の一つ。店の中では安いと言ってもその値段は実に百万G。一般家庭が十万Gで一か月生活をするのだから、それと比較すればどれほど高価なものかがわかるだろう。
 一流の職人が一流の素材を使って縫い上げた【星屑のローブ】。不死鳥フェニックスの翅を丁寧に解いて、それを糸にして紡いでできる極めてレアな一品。初心者がつける装備ではないし、エビルデインも別に欲しいとは思っていない。性能なんてほとんどわからず、ただ可愛いから指差しただけなのだ。
 フードのついたローブはシルクのような肌ざわりで、紅と白の入り混じった色合いをしている。エビルデインの好みだ。本当にそれだけの理由。まぁ、買ってはもらえないだろう、とエビルデインは算段を立てていたが、そんなことはなかった。

「ドルキのおっちゃんっ! 【星屑のローブ】を一つくれ。小柄な女の子のサイズでお願い」

 即買だった。あまりの決断力にエビルデインは数瞬現実を見失う。
 そんな大金を今日初めて会ったばかりの自分に使っていいのか? と幸せな頭をしているエビルデインですら思ってしまう。
 気づいたら更衣室で店員のお姉さんに【星屑のローブ】を着させられているエビルデインがいた。

「似合います。似合いますよ御客様っ!」

 と妙なテンションで褒め称えてくるお姉さんに愛想笑いを浮かべつつ、エビルデインはのっそりと更衣室から出る。

「おお、元がいいから何でも似合うだろうけど、それは殊更似合うねっ! 可愛いよっ!」

 アルスから熱烈な歓迎を受け、エビルデインは少しひきつった愛想笑いを浮かべた。まさか買ってもらえるとは……もっと安いものを指定しておけばよかった、とエビルデインは後悔する。奢られるのはあまり好きではない。
 
「ありがとうございます。防具はこれだけでいいです。これ以上奢ってもらうわけにはいきません」 

 これ以上奢られないようにエビルデインは明言しておくが、うんうんと頷くアルスは理解してくれているかどうかわからない。

「では、これでダンジョンに行けるのですか?」
「そうだね。道具も俺が揃えておいたし――あぁ、その前にあっちの情報屋で情報を買おう。地図と魔物の情報はあって困ることはないから」
「わかりました」

 今度こそは自分が払うぞ、とエビルデインは思いつつこっそりと財布を見る。中に入っているのは二万Gだ。たぶんいけるだろう、いければいいな、と思いながらアルスの後ろをついていく。
 店から出たらハーンがのっそりと起き出し、てくてくとエビルデインに追従するが、情報屋『わっちょい』の店先で再び入店禁止を告げられて盛大に溜め息を吐き、寝転がった。エビルデインはその様を見て苦笑しながらも、情報屋の中へと入って行く。
 そこは武具屋とは違い、何も陳列されてはいなかった。
 細道のよう通路の壁にびっしりと紙がはりつけられている。紙に書かれているのは人間の賞金首や、魔族の賞金首。または幻獣といったレアな魔物の懸賞金などを書いている。その奥には妖しげな雰囲気を醸し出す老齢の女性――名称不明の情報屋がいるだけだ。手元には水晶玉を置き、まるで占い師のよう。
 興味津々といった体でエビルデインは水晶玉をじっと見つめていた。

「あの水晶玉にはあらゆる情報が詰め込まれているんだ。どういう原理かは知らないけどね。記憶装置のようなものらしい」
「そうなんですか」
「あぁ、とりあえず情報を聞いてくるよ。興味があるならついてきて」
「そうですね。ついていきます」

 そのまま奥へと行き、老齢の女性の向かいの席にアルスは座る。

「情報を買いたい」
「何の情報かの?」

 ひ~ひっひっひ、と濁音を混ぜながら情報屋は聞く。

「【フロンティアハーツ】のマッピングされた地図と魔物の情報だ」
「あ、お金は私が払いますっ!」

 口をはさむようにエビルデインは言うが――

「ふむ、全部となると二十万Gになるよ?」

 持ち金が全く足りず、項垂れた。
 開いた財布の中身をアルスは覗き見て、苦笑する。こりゃ払えないな、と。

「わかった。ありったけの情報をこれに込めてくれ」

 そう言ってアルスは冒険者の証であるピアスを外し、情報屋に渡す。
 ピアスには小さな石が埋め込まれており、情報屋が受取ったピアスを水晶玉にくっつけると、青色の石が赤く輝いた。

「何してるんですか?」
「情報をピアスに入力してもらってるんだよ。これでいつでも情報が閲覧できる」
「へぇ、そんな機能があるんですか」
「このピアスには他にもいろいろ機能があるんだけどね。後で教えるよ」

 会話している内に情報の入力は終わったらしく、「二十万Gだよ」と情報屋は言う。
 アルスは情報代を払うと店から出て行き、エビルデインも追従して出て行った。
 こうしてようやくダンジョンへと潜入する準備が終わったのである。

『ダンジョンもペット入店お断り――なんてことはないだろうな?』

 ぼやくハーンの言葉には哀愁が漂っていた……。





[19034] 4.悲劇のヒロイン
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 18:13

 人を紙屑のごとく千切れるほどの膂力を持ったミノタウロス。生まれたての赤ん坊でさえ、武装した成人男性を容易に殴り殺す。それほどに生まれついての肉体の性能の差がある。それを覆すために人は己の肉体を練磨し、技術を研鑽し、武器を鍛え上げ、そうして少しでも差を埋めようとしてきた。
 それが実った形が今の光景なのだろう、とハーンは思った。
 一匹のミノタウロスに対峙するは一人の剣士。
 別段筋肉隆々というわけではない、無駄のない鍛え抜かれた肉体を持つ美麗の剣士――アルス。
 手に持つは装飾という概念に真っ向から喧嘩を売るような武骨な剣、グレートソードである。斬れ味はほとんどなく、使用者の体重と武器の重量、そして遠心力による加重を合わせて、初めて叩き斬ることができる剛の極み。

「でぃやあああああぁぁっっ!」

 腰で溜めて、放った剣はまさに必殺。
 振るわれたグレートソードの剣閃は残像すら見えないほどの速度でミノタウロスに飛来する。が、予測されていたのか。胴体を切り離そうとする斬撃をミノタウロスは手に持つ分厚い斧で出迎えた。
 衝突した剣と斧は甲高い、耳に痛い硬質な音が溢れる。
 そして、鍔迫り合い。いや、鍔はないからそれはおかしいのかもしれない。刃と刃を向かい合わせにしながら、アルスとミノタウロスは不協和音を奏でながら、力試しをするように押しあう。
 技術よりも力の求められる押し合いでは、圧倒的にミノタウロスが有利だ。だが、押し勝っているのはアルスであった。
 地面を踏みぬきそうなほどに込められた力は全て前進するためにエネルギーに変換され、腕も膨張しているのかと錯覚するほどに力を込めながら、アルスは全力でミノタウロスと向かい合っていた。

「ふんぐぐぐぐぐっ!」
――グオオオオォォッッ!

 勢いのままミノタウロスを押し倒す。
 巨体であるミノタウロスが倒れたときにかかる重量で、土ぼこりが舞いあがる。そして、その中から斧が飛び出してきた。アルスが蹴り飛ばしたのだ。アルスに力で負けて、組み伏せられて、後は首をとられるだけとなった。
 アルスの勝ちだな、とハーンは確信する。
 そして、隣にいるエビルデインを見てため息をつく。
 呆然と立ち尽くしながら足元を真剣に見ている様はなかなかに愛らしいが、何をしているのかわかれば実に溜め息ものだ。

『そろそろ終わるぞ。早急に結論を出したほうがいい』

 そう言われても、エビルデインは容易に結論を出すことができなかった。
 手が震える。足が震える。人間に化けるために必要な集中力が瓦解しかけているのだ。いつスライムの姿に戻ってもおかしくはない。そんなことになったら元も子もない。王であるエビルデインには責任がある。バレたら許されない。ダンジョンに侵入して魔物を討伐しているなどという事実は決して露呈されてはならないのだ。
 そう、エビルデインは人間のフリをしている。冒険者のフリをしている。
 だから、倒さなくてはならない。殺さなければならない。相手が魔物でも、躊躇なく命を絶ち切らなければならない。
 それなのに――どうしてもできなかった。つぶらな瞳で、信じきった瞳で、自分を見てくる命を奪うなどエビルデインにはできなかった。足元で愛らしくぷるんぷるんと震えながらじゃれついてくる魔物――バブリースライムの赤子たち。彼らの息の根を止めることなど、エビルデインにはできなかったのだ。
 スライムの王であるエビルデインを見て、「あ、王様だ。王様だー!」「かっくいー!」ときゃっきゃうふふしながら遊んでくれと懇願してくる一族をどうして手にかけられようか。かけられるはずもない。彼らはエビルデインにとっては遠縁ではあるが、立派な血族。庇護するべき対象だ。
 【フロンティアハーツ 上層部 地下7階】にて、エビルデインは未だかつてないほどの葛藤を味わっていた。
 このまま手にかけなければ背後でミノタウロスを屠っているアルスが戻ってきてしまう。戦況を見ていないエビルデインでも音を聞けばわかる。ミノタウロスの断末魔のような悲鳴が先程から空間を満たしている。
 このままいけば数分もかからずに勝負は終わり、アルスは戻ってくるだろう。そして、弱者を甚振る愉悦の笑みを浮かべながら可愛い一族の命を奪ってしまうのだろう。

「そんなことはさせない……ッ! 私はこの子たちの命を守るッ!」

 仲間を殺す覚悟を胸に、エビルデインは決意した。
 だが、ハーンがツッコミを入れる。

『親のところに帰って、俺たちに近づかないように命令すればいいだけだろう』
「……ハーン、貴方は天才ですか?」
『それから、お前は魔物使いを名乗っているのだ。仲間になったとでも言えばいいだろう。見る限り言うことを聞いてくれそうだし』
「天才でしたっ!? え~、でも、仲間にしても戦わせたくないので……君たちは早く家にお帰り。怖い人が来るからね~」

 「え~、遊ぼうよ~」と駄々をこねながらも、必死の説得によりスライムベビーたちは家へと戻って行った。
 後ろ姿に手をふっていたエビルデインではあるが、「何してるんだ?」とアルスに声をかけられてギクリとする。
 そんなこんなで、それなりに順調にダンジョン攻略を進めていた。そんな話。




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 












 モンスターハウス。
 何の気まぐれかわからないが、小部屋の中に敷き詰められたように魔物がいる部屋のことをそう呼ぶ。本当にごくまれにしか出てこないトラップのようなものだが、もしモンスターハウスに入ってしまえば名のある冒険者でも死は免れない。いくら強かろうと圧倒的な数の暴力には抗えないものなのだ。抗うには常軌を逸した規格外の力が必要となる。
 そして、不運にもアルスとエビルデインとハーンは、モンスターハウスへと入り込んでしまった。いや、正確には入り込んだのではなく、落ちてしまった。エビルデインが間抜けにも落とし穴に引っ掛かり、無様に落ち、それを追ってアルスとハーンは穴の中へと飛び込んだのだ。
 結果として絶体絶命の危機に陥ってしまったのである。

「こりゃちょっとやばいねぇ」

 グレートソードを引き抜いて、見渡す限りこちらを見る魔物の群れに対して警戒しつつ、アルスは冷や汗をかく。
 冒険者歴が決して短いとは言えないアルスではあるが、モンスターハウスに入ってしまったのは初めてだ。しかも、ど真ん中に落ちるなどというある意味芸術的ですらある失敗を犯したことなど一度たりとてない。真剣にやばい、とアルスは覚悟を決めていた。

『どこかのドジっ子を演じているバカのせいでこんなことになってしまったな』
「てへっ☆」
『てへっ☆ じゃないっ! 自分の年齢を考えてやれっ!』
「まぁまぁ、好きで罠に嵌ったんじゃないですし……そんなカッカしないでくださいよ。寿命が縮みますよ。考えるべきはこれからの展望です。どうやって切りぬけましょう?」

 だが、隣では――言葉ほど焦っていない一人と一匹のペアがいる。
 ミノタウロスやオーガ、ゴブリンなど様々な亜人種に囲まれながら、漫才のような会話を繰り広げながら、実際は用心深く対応しているペアにアルスは感心していた。
 ハーンは背中合わせに武器を構えるアルスとエビルデインの周りを回りつつ、周囲に対し威嚇している。全身の体毛を立たせて唸るハーンに怯え、睨まれた魔物は群れの中へと引っ込んでいく。
 初めて冒険者になったと言う割には場馴れしているな、とアルスは思う。全く緊張していないことからも、何度もこういう状況に陥ったことがあるのではないかと予想してしまうする。戦端を開くべく攻め込もうとしてくる魔物を威嚇し、委縮させ、場をコントロールするハーンと、それを操るエビルデイン。これで初心者など信じられない。名のある冒険者が名前を隠して冒険者をしているのではないか、と邪推してしまう。
 こんな思考が頭を過ぎったことが余計だった。
 ぎりぎりまで高められた緊張感に耐えきれなかったオーガがアルスに襲いかかる。
 巨体をいかしてぞんぶんに反り返った身体から振り下ろされるのは鉄槌。全体重を乗せたそれを受ければ人間などぺしゃんこだ。考え事をしていたアルスは瞬時に思考を切り替えることができず、対応が遅れてしまう。避けられるほど余裕はなく、苦肉の策としては鉄槌をグレートソードで受けるという絶望的な対策しか残っていない。
 脳内で己の愚かさを全力で罵り、歯を食いしばり、目を見開いて、来るべき衝撃に備える。だが、それは徒労に終わった。
 鉄槌は急に力を失い、当てずっぽうなところへ振り下ろされる。何故かと思えば、オーガの頭がなくなっていて、首から噴水のように血栓が飛び散っている。ハーンが瞬時に飛び掛かり、オーガの首を食い千切ったのだ。

『何をしている。エビルデインじゃあるまいし、ぼ~っとするな!』
「どういう意味ですかっ!?」

 ミノタウロスの胴体を【斬魔刀】で切り裂きながら、エビルデインは抗議する。そして、難しい顔をしながらどんどんと魔物を切り伏せながらも、ハーンと会話をしていた。

「ぼ~っとしている、というのは聞き捨てなりませんね。なら、勝負でもしますか?」
『ほう? エビルデインよ――戦闘面で俺より優秀だと錯覚したか?』
「たまには実力の差を見せつける必要があるみたいですね。あなたの鼻っ柱を叩き折ってあげましょう」
『いいだろう。嘘の報告はなしだぞ』
「犬じゃあるまいし、するわけないでしょう」
『……勝負だっ!』

 アルスはモンスターハウスを遊びとしか捉えていないエビルデインとハーンに違和感を覚えるも、頼もしさも感じてしまった。
 襲いかかってくる魔物を叩き斬りつつ、熱くも冷やかな思考を保ちながらも、アルスは思う。
 今まで組んできたパーティではなかった感覚だった。
 所属するギルド以外のパーティメンバーと組んだときは、いつもギリギリの戦況下での戦いを強いられていた。普通は同じギルド内で固定パーティを組むのだが、それを出来ない者たちが他ギルドのメンバーと臨時パーティを組む。いわゆる、落ちこぼれというものだ。
 アルスは強かったが、致命的なまでに仲間に恵まれなかった。
 アルスはAランクの剣士だ。パーティの前面に立ち、敵から後衛を守ることを求められるとても重要なポジションだ。だが、ギルド内にはAランク付近のメンバーはいなかった。そのせいで他ギルドのメンバーと仕方なく組んでいたが、あくまで臨時。それに、固定パーティを持っていないメンバーというのは弱い者が多い。パーティを組んで、仲間の弱さに苛々するということが多々あり、最近はソロが多かった。
 だが――今はパーティを組んでいる。襲いかかってくるゴブリン三匹を一太刀で薙ぎ払いながら、尻目にエビルデインの状況を見た。

「せいっ、やぁっ、とぉっ!」

 間延びした可愛らしい掛け声とともに【斬魔刀】を振り回しながら、魔物の群れの中で暴れ回っていた。
 技術というよりも身体能力で圧倒している戦い方はかなり特異だ。
 普通の人間ならば、多かれ少なかれ、敵の攻撃を“予測して”避ける。しかし、違う。エビルデインは“視て”避けていた。避け方も実にアクロバットである。オーガの頭を殴られそうになったら急いでしゃがみこんで、腕の力のみで【斬魔刀】を切り上げていた。振り上げつつ、その斬撃の勢いを利用して立ち上がる。重心が崩れて危うい体勢になっているところをゴブリンに殴りかかられるも、その体勢からのヤクザキックでゴブリンを蹴り飛ばす。
 魔物たちに囲まれながらも、エビルデインは野性的な動きで対処し、切り殺し、蹴り殺していた。
 放っておいても大丈夫だ、という安心は実に心強かった。今までにないことだ。
 確信を得て、アルスはエビルデインから目を離した。そして、ハーンのほうを見る。
 すぐ近くでエビルデインは戦っていたのだが、ハーンは少し離れたところで戦っていた。

『フフ、ハハハハッ! ストレス発散には運動が一番だな! 良い……実に良いぞっ! この爪をッ! この牙をッ! 是非ともクソ店員どもに味わわせてやりたいところだなぁっ!?』
 
 俺はペットじゃないんだあああっっ! と悲痛な嘆きを轟かせながら、八つ当たりのごとく魔物たちの肉体を貪っていた。
 あまりに速い身のこなしに魔物たちは反応することすらできず、アルスの肉眼ですらほとんど見ることすらできなかった。
 消えたと思えば血飛沫が舞う。絶対的な俊敏性。見えなければ触れることすらできない。そして、絶命したことすら気づけずに、魔物たちは死体と成り果てていく。
 鋭い爪で切り裂き、凶悪な牙で噛み砕く。原始的な強さ。だが、圧倒的な頼もしさ。
 アルスは初めてパーティを組んだときの喜びを思い出した。
 自然と笑みがこぼれる。
 グレートソードを盛大に振り上げながら、叫ぶ。

「俺も競争――混ぜてくれよっ!」
「いいですよ」
『まぁ、人間如きにこの俺が負けるはずがないけどな』

 今までなら危機的な状況だったモンスターハウス。
 だが、今はそうじゃない。それがとても楽しくて、アルスは――

「負けるつもりはない。使う必要はないんだろうけど、それでも――俺のとっておきを見せてやる。代わりに勝負はもらうぜっ!」

 そう言ってアルスは地面に剣を突き刺した。
 突き刺されたグレートソードの紋様は妖しい輝きを帯び始め、莫大な魔力を刀身から放ち始める。

「何ですか、これはっ!?」
『違う。あの武器だ。あのグレートソードが魔力を放ってるッ!』

 まるで魔王が降臨したのかと錯覚するほどの膨大な魔力の出現により、エビルデインとハーンは動揺を隠せない。
 嵐が吹き荒れていると錯覚するような魔力の奔流が溢れ出し、魔物たちが混乱する。あたふたと慌てふためいて、逃げ出すものは逃げ出して、怯えきったものたちは腰が砕けてへたり込んだ。
 魔力はだんだんとある一点に収束されていった。

「封印術式解除。覚醒しろ……【エタニティトリガー】!!」

 近辺に充満していた魔力は消え去り、残ったのは膨大な魔力が詰め込まれた一振りの剣――【エタニティトリガー】。
 血のようなどす黒い赤光を明滅させる不吉な剣の刀身はごく普通のショートソードくらいまで落ち込んでいる。

「あ、あれは――伝説のっ!?」
『知ってるのかっ!?』
「うんにゃ、知らないです。言ってみただけ」
『……だろうよ』

 場が落ち着いたおかげでへたり込んだ魔物たちも落ち着きを取り戻し、アルスに向かっていった。
 アルスは魔物を迎えるように剣で薙ぐ。刀身が届いていないというのに、襲い掛かった魔物たちは両断された。刃先からは薄っすらと見える透明の刀身が見え隠れしていた。
 再びアルスは地面に剣を突き刺した。
 先ほどよりもなお高まった魔力がアルスを中心に壁のように顕現する。
 赤黒い光を纏う壁はいったい何なのか――その壁に巻き込まれた魔物たちが塵すら残さず消え去ったことから考えると決して人体に優しいものではないだろう。
 でも、これだけでは終わらない。
 
「久しぶりに使うな。じゃあ、エビルちゃん、ハーンちゃん、よく見ててくれ。これが奥の手――」

 アルスは初めて人前で奥義を出す。
 エビルデインとハーンを認めて、奥の手を晒すという暴挙に出る。

「【極光壁(グランドリーム)】だあああああああああああッッッ!!!」

 壁が広がっていく。
 アルスを中心に張られていた壁が、魔物たちを消滅させながら動き出す。

「ええええっ!? 私たちもあれ喰らったら死ぬんじゃないですかっ!?」
『いやまさかそんな馬鹿な死ぬなんておかしいだろ……と思うが、とにかく背に乗れ! 逃げるぞっ!』

 ハーンは慌ててエビルデインの横に移動し、逃げることを提案する。
 だが――

「大丈夫」

 アルスはそう言った。
 だから、エビルデインは深く考えずに信じてみようと思った。

「まぁ大丈夫って言ってるから大丈夫なんでしょう」
『お前馬鹿かっ!?』
「馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですー」
『あ~もうっ!』

 仕方なく、ハーンもその場で座り込んで待つことにした。
 魔物はとうに逃げ去るか、死んでいる。
 どうせ襲われることもないのだ。

『今回だけだからな』

 こうして、エビルデインとハーンは壁の中に飲み込まれた。

 
 
 
 

 




[19034] 5.アンデッド・パーティ
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/26 19:07
 【極光壁(グランドリーム)】に巻き込まれた魔物は影すら残らず、この世から去った。
 見渡す限りただのダンジョン。だが、そこに生き物が全くいないというのは少々寂しいものだ。エビルデインとハーンは少し呆けたように座り込みながら、きょろきょろとあたりを見回していた。

『生きてる……生きてるぞっ!』
「競争は絶対負けですね。アルスが一番倒してます」
『今更そんなこと気にしてどうするんだ』
「あっ!」

 何かに気付いたように、エビルデインは急いで立ち上がる。心底焦っているようで、今にも走り出しそうなほどに動転していた。

『どうした?』
「同族たちの安否がっ! 安否がっ!」
『情報屋でもらった情報の中には8階より下はスライムが生息していないって書いていただろう。おそらく大丈夫だ』
「それなら安心です……」 

 再び、エビルデインはへたり込む。そして、アルスのほうを見た。
 地面に【エタニティトリガー】を突き刺したまま、瞑想しているのだろうか。眼を閉じて、落ち着かせるように深呼吸を繰り返していた。ひっひっふー、ひっひっふー、と特別な呼吸法を用いた痛みを抑える呼吸法。ラマーズ法だ。全身痛むのか、冷や汗を流しながら深呼吸をする姿は酷く困憊していうように、エビルデインには見えた。

『これだけの規模を飲み込んだ魔法だ。疲労ですんでいるだけでも、化物だな』

 敵を見るような目でアルスを見ながら、ハーンは呟いた。
 さきほどの【極光壁(グランドリーム)】を見て、エビルデインとハーンは魔王が降臨したのかと錯覚したのだ。魔族の王たる魔王の魔力は規格外のもの。比肩し得る存在がほとんどいない。それに匹敵するほどの魔力を、確かに肌を感じたのだ。
 それほどの魔力を解き放ちながらも、代償はスタミナの激減だけのように見える。

「アルスは放っておいても【真の勇者】になるんじゃないですか? 今まで倒してきた勇者とは別格ですよ」
『それはどうだろうな。今まで見てきた【真の勇者】は皆仲間に恵まれていた。アルスは仲間がいないから、一人だと限界があるだろう』
「それもそうですね」

 ハーンの言うことにも一理あるな、とエビルデインは思った。
 エビルデインは【真の勇者】を何人か血の海に沈めたことはあるが、全ての者が個としての戦力が特段高かったというわけではない。強かったものもいるが、それでも圧倒的な魔力を放つものなどはいなかった。全ては人間の枠に収まる強さだったのだ。
 過去魔王を倒した【真の勇者】というものはいる。エビルデインが生まれてからは一度もそういう話は聞いたことはないが、彼らはきっとこれくらいには強かったのかもしれない。幸運か不運かは判断ができないが、エビルデインは強い人間と会ったことがないのかもしれない、と考えた。そして、今出会ったのかもしれない、とも考えた。

(……戦闘狂なら喜ぶんでしょうけどね)

 生憎とエビルデインは戦闘が好きではない。勝てる勝負しかしたくないし、そもそも勝負をするくらいなら家で引きこもってのんびりと過ごしたいのだ。
 人生最大の汚点としては、自分の秘めたる能力をディバビールに見出されたことであろう。そのせいで働くことを強要される立場というものを与えられた。無理やりに。
 おかげで素質ある人間と出会えた。そして、これを倒さなければならないのかと思うと絶望する。正直なところ勝ち目が見当たらない。

「……フゥ、疲れたー! やっぱコレ使うとしんどいな」

 肩を叩きながら、既にグレートソードに戻っている【エタニティトリガー】を背に持って、くたびれた様子でアルスはエビルデインに話しかけた。
 悶々と思考の海を漂っていたエビルデインにアルスは話しかけられて意識を取り戻す。
 これに勝たなきゃいけないのか、という義務を頭から放り出して、いつものようにほんわかとした笑みを浮かべつつ、応対する。
 エビルデインは少しでも勝率を上げるために敵となるであろうアルスの情報を聞き出そうと頭の中をフル回転させている。

「お疲れ様です。アルスのおかげで楽ができました。けど、競争は負けちゃいましたね。少し悔しいです」
『だな。もはや数える気も起こらん』
「ははっ、武器のおかげだよ」

 疲れた笑みでアルスは答える。
 都合よく武器の話になってくれたのでエビルデインはこっそりと含み笑いをした。いきなり情報ゲットの予感。

「非常に興味があるのですが、その武器はどういった経緯で……?」
『俺もあるな。それほど強力な武器は見たことがない』

 んー、と難しい顔をしてアルスは唸る。
 話してもいいのかどか、と検討しているのだろうか。さっさと話せ、とエビルデインとハーンは目力を込めてアルスの顔を見上げていた。かなり真剣な眼差しだ。
 懲りずにじっと見てくる二人に根負けしたのか、長い吐息の後、アルスは閉ざされた口を開いた。

「……我が家に伝わる由緒ある剣らしいよ。お爺ちゃんが勇者だったみたいだからね」
「勇者の武器ですかっ!?」
「まぁ、俺が生まれたときにはお爺ちゃんは亡くなってたから真偽のほどはわからないけどね」

 なるほど、勇者が使っていたというのならエビルデインとハーンも納得する。確かに勇者に相応しい一品だ。いや、強すぎると言ってもいい。果たして、これほどの力を手に入れたものがわざわざ魔王などに立ち向かうだろうか。人間を統治する方がよほど利口だ。エビルデインはそう考える。
 だが、思っていることを口に出すことなどせず、話を引き出すために演技をする。
 顔を輝かせて思ってもいないことを言うのは得意だ。何せエビルデインはディバビールの部下を長年やっている。本音を出したら殺されてしまうことばかり考えながら、表面上は取り繕う。中間管理職に必須のスキルだ。

「お爺さまは絶対に勇者ですよっ! ハーンもそう思いますよね?」
『勇者かどうかはわからんが、その武器を使いこなせるならどこかの国で聖騎士として名を馳せるくらいはしていそうだな』
「案外自由気ままに冒険者をやっていたかもしれませんよ」
「そこらへんは不明でね。親父も話してくれなかったし。ついでに親父には剣の才能がないらしくてね。俺に託された、と。そういう訳だよ。だから、俺もこの武器については今いちわからないんだ」

 話が途切れる。
 話す気が失せたのか、アルスは地下へ繋がる階段の方へ歩き出した。
 慌ててハーンはそれを追い、エビルデインもハーンの背中の上で急いでアルスに話しかける。もっと情報を手に入れるために。

「そうですか……。ところで、なんでその、え~っと、グラントリクームでしたっけ?」
『【極光壁(グランドリーム)】だろう』
「そう、それですが、そんな便利なものがあるのに何でパーティー組めないんですか? 仲間に対しては無害な広範囲魔法を使える人なんて喉から手が出るほど欲しそうなものですが」

 【エタニティトリガー】から生み出された魔力の障壁――【極光壁(グランドリーム)】。
 あんな魔法を持っているのなら、パーティーから外されるなんてことはあり得ないようにエビルデインには思えた。自分なら絶対に手放さない。
 だから、きっと欠点があるのだろうと考える。あんな魔法がぽんぽん使われたら魔物をやってられない。急いで引退を考えなければならない。だから、自ずと結論が出た。とてつもなく使用条件の縛りが厳しいのだろう、と。

「これは早々使えるものじゃないんだよ」

 やはり、とエビルデインは脳内で喜んだ。穴がなかったら困るのだ。戦うことになるのかもしれないのだから。
 だが、現実はそこまで都合よく出来ていないようで……

「なんでですか?」
「ん~、内緒で!」
「えー」
「ごめんね」

 教えてはもらえなかった。【テレパス】でハーンが『自分で弱味を教える馬鹿はいないだろう』という痛烈なツッコミを加えてくるが、エビルデインはめげない。
 絶対に聞き出してやる、と決意しつつ、いつもの茶化した態度に戻る。

「謝ることはないですよ。私にだって隠し事はありますし」
『秘密が多くても魅力はないな』
「失礼な」

 ハーンも乗ってきて、いつもの情景に戻る。
 アルスは呆けて、笑った。
 至極楽しそうに、笑った。





 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 
 【フロンティアハーツ 上層部】は踏破し、最奥にある転移施設で転移した途端にがらりと変わった。
 【フロンティアハーツ 中層部】は腐臭が漂い、食人花やアンデッドが跋扈していることから【死霊庭園】と名付けられている。
 庭園――そう呼ぶのは少しばかりおかしいようにも思える。愛でることができないのだ。近づいたら噛みついてくる花ばかりだから。
 ずっとこんな臭いと、ゲテモノの花、そして、包帯まみれのマミーやゾンビ、他には生ける鎧であるリビングアーマーなど、不気味な生物ばかりと遭遇するのかと思うと、さすがにエビルデインもげんなりしてきた。アンデッドは嫌いだ。きもいから。
 鬱蒼としげる木々が頭上に生い茂っており、ざわざわと鳴る木々のざわめきがより一層不気味さを醸し出していた。

「ダンジョンっていろいろあるんですね……さっきみたいに整然とした建物のような様式からいきなり森の中になるとは驚きました」
「上層部、中層部、下層部が全部違うなんてことはよくあることだよ。息も凍りつくような洞窟を突破して転移したら、すぐ近くに溶岩が流れている洞窟に飛ばされたりとかね」
「うわぁ、体験したくないですね」
「下層部に関しては情報が全くないから、どうなるかはわからないよ? 覚悟しておいたほうがいい」

 パーティ一行は寄り道を一切せずに階段のみを目指している。
 ハーンが先頭を歩きながら、エビルデイン、アルスという順番で隊列を組んでいた。
 地面を臭いながら耳と鼻の性能を生かし、罠を発見するのがハーンの仕事。アルスは一番後ろで周囲を索敵するのが仕事。エビルデインは二人の邪魔をしないのが仕事だ。罠を一度踏んでいるので、そういう面では信用が全くなかったりする。
 不意にハーンは立ち止まり、ふんふんと鼻を鳴らしながら空気の臭いを嗅ぎ、顔を歪めた。

『……この先から濃密な血の臭いがする。たぶん、人間のだ』
「距離はどれくらいありそうですか?」
『それほどはないな。このまま進めば数分もしない内に遭遇するだろう』

 ふむ、とエビルデインは少し考え込む。

「魔物の臭いはしますか?」
『わからん。ここらは腐臭がきつすぎるせいでよほど強い臭いじゃないと判別できない』
「どうします?」

 エビルデインはアルスのほうを見て判断を仰いだ。
 この中ではアルスが一番冒険者歴が長い。だから、任せたのだ。
 唐突に振られたアルスは少しだけ考える素振りをしつつ、答える。

「そうだね。まだスタミナは戻ってないけど……もし怪我人がいるのなら見捨てるわけにはいかないな。急ごう」
『了解。走るぞ』
「わかりました」

 そして、二人と一匹は走り出した。



 ◇◆◇



 レメディウス=ウェルバーンは筋骨逞しい青年だった。
 フルプレートの鎧を着た姿は物々しく、手に持つ巨大なモーニングスターが凶悪さに拍車を立てている。敵からすれば恐ろしい風貌ではあるが、その背に守られる後衛たちからすれば頼もしい。
 首なし騎士――デュラハンの繰り出す斬撃を全て真正面から受け止めながら、レメディウスは背後で詠唱をする後衛たちを守っていた。
 人の中では十分に巨体であるレメディウスよりもなお三回りは大きなデュラハンは、見た目通りに力も強く、それでいて無駄のない剣閃を放ってくる。
 少しでも読みが外れれば斬り殺されるという緊張感で冷や汗が流れる。フルフェイスの兜の中にあるレメディウスの顔は苦渋に満ちていた。

「くっ、あまり持たないぞ! 支援魔法はまだかっ!」

 少し距離を取って詠唱を続ける後衛二人に対してレメディウスは罵声に近い叫びを上げた。
 後ろに控えているのは漆黒のローブと三角帽子を被った魔法使いの少年のリュート=ウェルバーンと、純白の――といってもところどころ染みがあるが――ローブとそれについたフードを被った僧侶の少女のコムカ=ウェルバーンである。
 ともに必死に形相を浮かべて早口言葉を紡いでいる。

「地の底に眠る星の火よ、古の眠り覚まし、裁きの手をかざせ……」
「静寂に消えた無尽の言葉の骸達、闇を返す光となれ……」

 少年と少女は詠唱を完了する。
 立体的な魔法陣が眼前に出現し、魔力のうねりが暴走しないように二人は必死に制御する。制御に失敗すれば魔法が暴発し、術者の身体に致命的なダメージを与えるのだ。
 そして、鋭い眼差しを、少年はデュラハンに、少女はレメディウスに、各々向けながら、魔法のキーワードとなる言葉を紡ぐ。 
 
「【爆炎】ッッ!!」
「【反射】ッッ!!」

 光がレメディウスを包み込み、その上から被さるように少年の手から迸る炎が舞い降りる。
 膨大な量の炎は全てを飲み込み、辺り一帯全てを巻き込んだ。天から降りてくる神の怒りの如き浄化の炎。炎系最大の威力を誇る【爆炎】である。
 そして、その炎は決してレメディウスを傷つけない。【反射】の光によって魔法全てを弾き飛ばすのだ。
 これこそがこのパーティが最も得意する戦略である。
 前衛のレメディウスが時間稼ぎをし、後衛の二人が支援魔法と攻撃魔法のコンボを決める。不敗を誇る勝利の方程式であった。
 後は魔物が炎に燃やされて死ぬのを見ているだけで済む。
 だが――炎の中で揺らめく二つの人影がある。
 【爆炎】は全てを焼き尽くす炎だ。ただの魔物なら一瞬で消し炭となる圧倒的熱量。デュラハン如きが生き残れるはずがない。それなのに、影は二つあり、大きな影は次第に小さな影へと近づいていく。

「ぐ、が、ああああああぁぁぁぁっぁっっっ!! がっ、ごきゅっ、か、ひゅぅぅっ」

 リュートとコムカがよく知る声で――断末魔のような悲鳴が轟き渡る。
 大きな影が小さな影の首元を掴み、そして、放り投げたのだ。
 放り投げられた先にはリュートとコムカがおり、二人は言葉を失った。放り投げられたのはフルプレートの青年。首は砕け、頭がおかしな方向に向いているそれは確かにレメディウスであった。
 既に事切れている。
 コムカは虚ろな瞳でレメディウスだったものを見下ろした。
 絶命したときに叫んでいたのだろう。苦痛で歪んだ死に顔は――コムカの心を引き裂くには十分だった。

「お兄ちゃ……ん……?」

 現実を見て、どういった状況かは頭ではわかっているのに、感情が追いつかない。どうすればいいのかわからない。
 凍りついた時間の中で、コムカは呆然とレメディウスを見続けていた。膝をつき、レメディウスの絶望で見開かれた、今にも飛び出さんばかりの眼を撫でて――いや、撫でようとした。だが、リュートに手を引っ張られ、無理やりに立ち上がらされた。

「コムカ……ッ! 現実を見ろ。死んでる。死んでるんだっ!」
「お兄ちゃん……え? 死んだ?」
「ダンジョンにはつきものだろっ! いつも覚悟してダンジョンに来てただろっ! 自分を取り戻せっ!」
「リュー……ト……」

 リュートはコムカの肩を揺さぶり、さとそうとした。
 だが、これは間違っていた。そんなことをしている暇があったら、死体に背を向けて全力で走るべきだった。貴重な時間を意味のない会話に費やしたことが敗因だろうか。

『人間の分際で小賢しい魔法を使う。だが、所詮人間の魔法。程度が知れている』

 【爆炎】によって生み出されていた業火の海は消失し、中からデュラハンが出てきた。
 漆黒の鎧を纏った首なしの騎士は全くの無傷。何も消失することなく、両刃の騎士剣を地面に引きずりながら、ゆっくりと二人へと近づいていく。
 抗えない敵。勝ちへの展望が全く思い浮かばない。
 リュートは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、そして、何かを振り切ったようにすっきりした笑顔になる。

「コムカ、お前は逃げろ」
「え……?」
「何も考えずに、走れッ!」

 リュートはすぐに詠唱を開始した。
 足を震わせながら、腕を震わせながら、足止めをすることを決意した。
 代償は――命。
 それでも姉であるコムカを助けられるのなら安いもの。

「命ささえる大地よ、我を庇護したまえ。止めおけ! 【封縛鎖】ッッ!!!!」

 大地から生えた鎖が呪縛となってデュラハンの動きを止める。
 ぎりぎりと相手をきつく縛る鎖は今にも振り切られそうなほどに、脆い。デュラハンを抑えておくのは短時間しか無理そうだ。
 魔法に意識を集中させながら、少しでも時間を引き延ばそうと全魔力を注ぎ込む。

「リュート……ッ!」

 コムカは逃げずにリュートに声をかけるが、リュートは噛み切った唇から血を流している。
 あらゆる血管は破裂し、全身から赤い霧が噴出している。

「――さっさと……行けぇぇぇっ!」
「絶対、絶対助けるからねっ!」

 そう言ってコムカは駆け出していった。
 助かるわけないだろ、とリュートは笑う。だって、あと少しで死ぬのだから。
 身体を伝う命の雫が残り少ない命の残量を的確に教えてくれる。寒い。熱が生み出せない。

『ふむ、美しい友情だな。それとも愛か?』

 やけに穏やかな声が印象的で。
 デュラハンは敵であるにも関わらず、敵意のない言葉をリュートにかける。

「……ハッ、どっちでもねぇよ。ただの意地だ」

 血を吐くように切れ切れに答えるリュートに余裕はなく、今にも倒れそうだ。
 だが、その意地とやらで必死にデュラハンを睨み付けながら、【封縛鎖】を展開し続ける。

『女を逃がすことがか? それとも、孕ませているのか? それなら納得できる。親が子を命がけで助けるのは当然のことだからな』
「生憎、そういう方面は未経験でね。孕ませた経験はねぇよ」
『なら、なぜ助けたのだ?」
「言っただろ。ただの意地だ」

 視界が歪む。頭がぼやける。力が抜ける。命が消える。
 それでも、その意地で、姉であるコムカが逃げるための時間を稼ぐためだけに、そのためだけにリュートは命を繋いでいた。
 脳裏には走馬灯が駆け巡り、涙が毀れるのが止まらない。
 リュートは思う。こんなふうに死ぬのも悪くはないけど、もう少し生きたかった……。

『意地より命を取るべきだろう?』
「意地の張れない人生に意味なんかないだろ」
『人間とは、よくわからぬな』
「わかってほしくもねぇよ。ただ、あんたはここで黙って突っ立ってればいい。俺の命尽きるまでな」

 泣きながらも、死にそうになりながらも、それでも力のある声を出すリュートのことを、デュラハンは理解できなかった。
 コムカを見捨てて逃げればよかったのに、とすら思う。勇気ある少年なのだろう。それが少しだけ好ましい。
 だが無意味だ。

『……あぁ、これのことか。このような鎖が我が肉体に効くはずがなかろう』

 少し力を入れただけで千切れてしまう、脆い鎖。それはまるで人間のようだ。
 簡単に壊れる。

「なっ!?」
『貴様に興味が沸いたのでな。だから、ここにいただけだ。だが、その時間も終わりだ』

 そう、終わり。 

『貴様は我が同胞を幾人も殺めた。その罪を知れ』

 彼らのパーティは幾人ものアンデッドを殺害した。
 もともと死んでいるのだから殺したわけではないのかもしれないが、それでも、彼らは生きていた。その命を摘み取った。それは罪だ。
 デュラハンは同胞たちの命を刈り取った敵を許すほど甘くはない。
 魔法に全てを使い尽くしたリュートは膝が折れ、死刑囚のように首を差し出して項垂れている。
 零れ落ちている涙の意味は何なのだろうか。それはもう、デュラハンの興味の外だった。

『すぐに逃げた女も殺してやる。安心して死ぬがよい』
「……くそぉぉぉぉぉぉっっ!!!」

 赤い華が一輪、咲いた。



[19034] 6.蘇生と裏切り
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/29 00:15
 兄であるレメディウスと弟であるリュートを置き去りにして、コムカは鬼気迫る表情で【死霊庭園】を駆け抜けていた。
 先程あったことを思い出すだけで身体中から力が抜けていく感覚を覚える。だが、立ち止まるわけにはいかない。急いでダンジョンから脱出して、助けを呼ばなければならない。最悪の場合でも、死体だけは回収せねばならない。
 ぶんぶんと頭を振って、最悪の状況を想定したことを全力で否定する。コムカは諦めない。諦めてたまるか。

(絶対助けるからっ! 待っててね、リュート……)

 自分の身を守るために身体を張ってくれた弟のことを想う。
 少しの手加減も許されない。
 コムカは走りながら魔法を行使するという暴挙に出た。しかも、まだコントロールしきれない上位魔法――時を操る禁忌の呪法。

「ひるがえりて来たれっ!」

 祈るように目を瞑りながら、全身を駆け巡る激痛を耐え凌ぐ。
 腕が千切れたときのような痛みが、足が砕けたときのような痛みが、腹筋に穴ができたときのような痛みが、絶え間なく襲ってくる。

「――幾重にも……ッ! その身を刻め……ッッ!!」

 足は止まらない。腕を振って走りながらも、頭は酷く冷静で。
 少しでも制御を怠ったら、コムカは死ぬ。全神経を引き裂かれて、絶命する。
 命懸けの魔法行使。だが、命を懸けて守ってくれた弟のためなら躊躇することなどない。
 纏わりつくように身体を覆う立方体の魔法陣は今にも暴発しそうなほど不安定だ。だが、辛うじて、本当に辛うじて……コムカは賭けに勝った。

「【加速】ッッ!!」

 世界と自分を切り離し、自分だけ二倍の速さで動けるようになるという魔法。
 それだけを聞けば実に便利そうに思えるだろうが、効果が切れた時に反動が全て戻ってくる。二倍の速さで動けるということは、肉体の性能の限界を越えて酷使するということ。そのダメージは測り知れず、あまりに長時間行使し続ければ、反動で命を失うこともある。危険なものなのだ。
 故に、この魔法は使うことを禁じられている。
 そんなことは関係なしコムカは使った。少しでも早く助けを求めるために。
 鈍重なアンデッドたちと途中で何度かエンカウントするが、圧倒的な速さでそれらを無視して走り抜ける。【死霊庭園】は動きの素早いものはいない。逃げ切れる――コムカはそう思っていた。だが、視界に映った魔物は何なのか。

(――ガルムッッ!?)

 コムカのことを見据えながら、全速力で走ってくるガルムがいた。獰猛な魔物である。そして、徒党を組んでいることが多く、一匹見かければ十匹はいると言われている。
 それはいい。問題は、ガルムは素早いのだ。いくら二倍の速さで動こうとも、彼我の差は絶望的だ。逃げ切れない。
 立ち止まって、急いで魔法を紡ぎ始める。行使できる数少ない攻撃魔法。僧侶であるコムカはあまり得意ではないので、倒せる自信はないのだが……。

「闇に生まれし精霊の吐息の、凍てつく……」

 こちらが魔法を紡ぎ始めたのに気付いたのか、ガルムはぴくりと立ち止まり、消えた。
 突然の圧迫。胸を押しやられた感覚。
 コムカは地面へと押し倒され、鋭い牙を見せつけるガルムに押さえつけられていた。
 体重をかけられているせいか息ができず、咽ぶ。詠唱が止まる。展開されていた魔法陣が霧散してしまった。
 悔し涙が出てくるのを止められない。何もできずに死ぬのかと思うと情けなくて……。
 だが、いつまでたっても死の牙に襲われることはない。それどころか、ガルムは優しげに頬の涙を舐め取った。

「きゃうっ!?」 
『勘違いするな。戦うつもりはない』
「……喋った?」
『少し待て。そろそろ連れが追いつく』

 意味がわからない。
 よくみるとこのガルムは毛皮が黒くて、普通とは違う。眼にも知性の光が浮かんでいる。
 どういうことだろうか。
 時間があればこのまま待っててもいいのだが、今は余裕がない。

「どいてっ! リュートがっ! リュートがっ!」

 ガルム――ハーンを押しのけようとコムカは必死に力を込めるが、細腕から生み出される微小な力ではビクともしない。
 哀れむように見下ろしながら、ハーンは逡巡する。本当のことを言っていいものかどうか……。そして、言うことにした。人間がどうなろうと知ったこっちゃないな、という結論が出たのである。

『落ち着け。臭いでどうなっているかはだいたいわかっている。濃厚な血臭が二つ……既に事切れているだろう』

 コムカは目を見開いた。端々から雫をこぼし、射殺さんばかりに睨みつける。

「生きてるっ! 生きてるんだっ!」

 血が出るほどの慟哭。
 喉が裂けるのも構わない。最大限の声量だった。
 そして、ばたばたと身体を動かしてハーンをどかせようとし続ける。諦めずに、助けを呼ぼうとしている。
 そうしている内に時間が過ぎ、アルスとエビルデインが追いついてきた。アルスは肩で息をしながら、エビルデインはのんびりとジョギングをするように走りながら、やって来た。
 少女を押し倒すハーンを見て、二人は反応する。

「ハーンちゃん、何してるんだっ!?」
「とうとう春が来たんですか? 押し倒すなんて積極的ですね」
『違う。これはどうやら逃げ出してきた人間のようだ』

 アルスの普通の問いと、エビルデインのどこかおかしい祝福を受け、ハーンは頭痛がするような思いだった。人間に欲情する特殊な趣味はない。
 さらには足元で無駄な足掻きをするコムカだ。邪魔で仕方ない。鬱陶しい。いっそ噛み殺してやろうか、とすら考えてしまうことを誰が止められよう。だが、それをしてしまうとエビルデインに迷惑がかかる。仕方なくこらえることにするハーンだった。

「死んでない! リュートはまだ生きてるっ!」
『臭いからして死んでいる』
「生きてる……っ!」

 この騒ぎに終結を打つのは、たったの一言だ。

「そうだね。きっと生きてる。助けに行こう」
「それが一番手っ取り早そうですね」

 その言葉で安心してしまったのか、コムカはぴたりと暴れるのをやめて、苦しみ始めた。
 うぅぅ、と呻きながら先程とは違う。苦悶しながらのた打ち回る。
 疑わしげな視線をエビルデインが向けてくるが、首を横に振って否定する。俺は何もしていない、と無罪をアピールする。
 【加速】の反動が気が緩んだ瞬間に襲いかかり、そのせいで痛がっているのをこの場の誰もわからない。
 ゆえに「犯人はみんなそう言うんですよ」という無言の視線を受け続け、ハーンは冷や汗を流していた。
 よくわからないが、妙な罪悪感がハーンを攻め立てる。本来なら絶対に嫌なのだが、本当に嫌なのだが、妥協することにした。

『……俺は全く悪くないが、こいつを背負うことになるのか?』
「役に立ちそうにないですし、ここに置いていけばいいんじゃないですか?」
『それもそうか』
「そんなことしたらここらに生息する魔物に喰われて死んじゃうよっ!見捨てちゃダメだろっ!」

 優しさの欠片もないエビルデインの言葉が信じられず、アルスは慌てて遮った。エビルデインが少しばかり不満げに頬を膨らませるが、アルスは止まれない。見捨てるなんてもっての外だ。
 意志が通じたのか、しぶしぶとエビルデインは頷き、ハーンのほうをちらりと見る。少しだけ意地悪な笑みを浮かべて。

「ハーン、がんばっ!」
『了解だ……』

 結局ハーンが背負うことになった。
 そして、新たに怪我人をパーティに追加した一行は、血の臭いの源泉へと向かっていく。





 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 草花が燃え尽きた後が見える跡地には、血溜まりの中に沈む漆黒のローブを着た少年と、首がおかしな方向に向いて身動き一つしないフルプレートの青年が倒れ伏していた。
 そして、少年――リュートを惨殺したのであろう血糊がべっとりとついた騎士剣を持つデュラハンが佇んでいた。アルスたちがダンジョンに潜り、ここまで出会った魔物とは一線を画す風格を持っている。
 強い、一目見て確信した。並の冒険者では返り討に合うだろう。
 そして、デュラハンが既に命のなくなっているリュートの死体に騎士剣を突き刺した。
 どくどくと溢れ出る血痕。怖気の立つ光景にアルスは喉を鳴らす。

「リュートッ!」

 コムカはハーンの背から飛び降りて、足を引きずりながらリュートの方へと歩き出す。
 憎悪や愛情、その他もろもろが入り混じった複雑な感情に背を押されているのだろう。だが、進んでは死ぬだけだ。
 エビルデインはコムカの後ろから抱きつき、身体の自由を奪う。狂ったように暴れ出し、リュートと掠れた声で叫び続ける。
 デュラハンは興味なさげにしていたが、リュートの身体から騎士剣を引き抜くと、ようやくコムカの方を見た。首がないので何とも言えないが、見られているという直感を覚えた。

『随分と早い帰還だな? 仲間も増えて、それで挑んでくるつもりか?』
「殺してやるッ! 殺してやるッ!」

 嘲るような声音はコムカを挑発しているのだろうか。効果は覿面である。
 アルスは怒りを目に宿し、デュラハンを睨みつけているが、エビルデインは何も思わなかった。むしろ、鬱陶しげにコムカを見ている。ハーンも同様だ。
 魔物は合理主義者が多い。感情よりも理性のほうが強いのだ。だから、感情を乱してわざわざ不利な立場に陥るコムカは、魔物にとっては蔑みの対象だ。言うならば、馬鹿だ。

「だから連れて来たくなかったんです……」
『同感だが、人に運ばせておいて酷いことを言うな』

 零れた言葉は紛うことなき本音。

「あそこに置いておいたらこの子は死んでしまうんだよ?」

 と、アルスは言うが「そうですね」としか思わない。
 見ず知らずの、ましてや人間が何人死のうともエビルデインは何も思わない。死んで悲しむのは一部の仲の良い友達と、スライム族だけだ。その中にコムカが入るはずもない。
 エビルデインは、酷く醒めた目をコムカに向けていた。

「お前なんて……もがっ……」

 未だに暴言を吐き続ける口を手で塞ぎ「冷静になってください」と耳元で囁く。
 そのおかげで少し、落ち着いた。というわけではなく、耳の中へ【痺れる吐息】を吹き入れて、暴れる元気を奪い取っただけなのだが。エビルデインなりの鎮静剤である。人はこれを非道と言う。
 五月蠅い者が黙り込み、ようやく場に静寂が戻ってくる。

『何をしに戻ってきた? リュートとやらはここにいるが、見ればわかるだろう?』

 誰が見てもわかる。
 そこにあるのは苦悶の形相で果てているリュートの死体――のように見える。だが、ハーンだけは理解していた。
 死んでいるのに、呼吸をしている。死んでいるのに、心臓の鼓動が耳から聞こえる。そして、僅かではあるが――確かに指先が動いている。死後硬直ではなく、意志を持って。

『エビルデイン、あの死体は生きているぞ』
「あー、血族にしたんですか。誇り高いデュラハンが仲間を増やすなんて珍しいですね」
「仲間を増やす?」

 アルスが不思議そうに問いかける。
 人間はあまり知らないか、とエビルデインは少しばかり得意げな表情で語る。
 コムカの腕を羽交い絞めするのをやめ、アルスのほうへと身体を向けて、人差指をピンと立てて、少しだけ腰を曲げるというお茶目なポージングで。身長差を考えると凄く上目遣いになるのは言うまでもない。

「死体に魔力を注いで、自分の血族にするんですよ。その死体が魔力に耐えられなければ肉体が腐ってゾンビになるんですけど、耐えれれば……」

 ピクリ、とリュートの死体が動き出す。

「あのようにリビングデッドの出来上がりです」

 エビルデインは言葉を締めくくる。
 緩慢な動きで立ち上がり、焦点の合わない目できょろきょろとあたりを見回す。
 こびりついた苦悶の表情もだんだんと穏やかになり、鈍重な動きではなくなっていく。
 肉体の傷口はふさがり始め、徐々に目に光が灯されていく。ゾンビにはない、知性の光だ。

「……俺は?」
『記憶はあるか?』
「あぁ、あるな。そうか、こうなっちまったのか」

 こくこくと頷くリュート。
 それを見て、コムカは呆然と立ち尽くしていた。
 【痺れる吐息】のせいで靄がかかった視界ではあるが、見間違えるはずがない。リュートが立った。リュートが立ったのだ。
 頭がおかしくなったのかもしれない、と思う。現実なはずがない。
 だが、口が勝手に動き出す。弟の名前を絞り出すように、掠れた声で吐き出していた。リュート、と。

「コムカ、さっきぶりだな。生きてて何よりだ」

 気付いたリュートは悲しそうな笑みを浮かべて、言った。
 それに気付かずに、のろのろとした、足を引きずりながら、不格好にリュートへと近づいていく。コムカは嬉しさのあまり涙が出そうだった。
 壊れたようにリュートと何度も繰り返し言いながら、徐々にリュートへと歩みを進める。
 その姿を冷めた目で見ながら、エビルデインはコムカへと忠告する。

「近づかないほうがいいですよ。なったことはないのでわかりませんが、リビングデッドは血肉を欲するそうです。特に、親しい者の血肉ほど欲しがるとか……」

 聞く耳持たず、コムカは歩く。

「それって近づいたらやばいんじゃ?」
「さぁ、私は知りません」
『俺もどうでもいいな』
「クソッ!」

 無関心なエビルデインとハーンを置いて、アルスは駆けだした。
 躊躇なく動いたおかげで、間に合った。
 コムカに殴りかかるリュートの攻撃を、何とか弾くことができた。
 すぐにリュートの腹に蹴りを入れて距離を離し、アルスはコムカを引っ掴んで後ろへと跳躍した。

「……外したか。良い反応してるじゃねぇか。格好イイ兄ちゃん」

 くつくつと笑いながら、蹴り飛ばされたリュートは言う。

「リュート? なんで、どうして……」
「喉が渇くんだ。とてつもなくな。なぁ、コムカ――あんたの身体をくれよ」
「リュート……」

 アンデッドとは思えない俊敏な動きで、リュートはコムカに襲いかかる。
 もともとは魔法使いで肉体の性能は決して良くはない。だが、アンデッドには痛覚がなく、リミッターがないのだ。肉体の限界を超えて駆使することができる。
 飛び掛かり、腕を振り下ろすという攻撃を、アルスはコムカを庇うように受け止めた。
 骨を軋む音を奏でながら、リュートとアルスは押し合っている。
 それを他人事のように見る一人と一匹がいた。エビルデインとハーンである。

『アンデッドにはなりたくないものだな。ああなるのか』
「腐ってないだけマシでしょう。下手したらゾンビですよ。臭いのは嫌です」

 押し合いに勝ったのはアルスである。
 リュートは空中に蹴りあげられ、身動きとれない状態にされてから渾身の右ストレートを顔面に直撃される。
 吹き飛ぶように空を舞い、リュートはデュラハンの横に衝突した。
 それでも、ダメージがないのだろうか。すぐに跳ね起きる。
 元気が余っているのだろうか。ぐるぐると腕を回しながらリュートはやる気満々だ。妙にテンションが高い。

『なかなか良い面構えになったな。どうだ。リビングデッドになった感想は?』
「悪くねぇな。力が漲る。問題は……異常に腹が減ってるってことくらいか。喉も乾いたしよ」
『目の前にちょうど良い餌があるだろう。存分に食せ』
「あぁそうだな。そうに違いねぇ」

 カカカ、とリュートは笑う。とても楽しそうに。
 コムカは信じられないと言った面持ちでリュートを見た。死の淵に瀕した小動物のように震えながら、リュートを見た。

「なんでなの、リュート……?」

 返答はとても軽い声で、

「んー、なんかていうかさ。抗えないものがあるんだよ。内側にな。別にコムカのことが嫌いになったわけじゃねぇぜ? なんつーのかなぁ。好きだからこそ、喰いたい、みたいな。ハハ、笑えるだろ? それが普通になってるんだぜ、俺」

 悲しみも、喜びも、一切何もない声音。
 当たり前のことを当たり前のように言うリュートの姿は異様であった。
 コムカには理解できない。好きな人を喰べたくなるような感情など、理解したくもない。

「元に戻ってよっ!」

 無理だとどこかでわかっているけど、それでも叫ばずにはいられなかった。
 心が痛い。軋むようだ。
 心の傷に気付いているのか気付いていないのか、リュートは能天気に笑いながら、ちゃらけた態度を崩さない。

「そう言うならさ。お前が戻してくれよ。俺は戻り方わかんねーし」
『そこで我が方を見るな。そんなものは存在せぬ』

 期待はしていなかった。
 けど、無理だと知ると……辛い。
 生きるための気力が身体から漏れ出していく。
 すとん、と腰は落ち、コムカは何もかもどうでもよくなっていた。
 コムカを護るように前に立ちながら、アルスは黙って話を聞いていた。だが、あまりの状況に怒りを抑えられなかった。

「仲間同士で殺し合いをさせるなんて……さすがは魔族、外道だな……ッ!」

 直情的な感情に任せ、アルスは叫んだ。
 グレートソードを引き抜いて、デュラハンを指差しながら。
 呼応するかのようにグレートソードは赤く明滅し、妖しく紋様を浮かび上がらせている。
 対するデュラハンのほうは冷静だった。

『勝手にダンジョンに入ってきて、勝手に我が同胞を狩り殺して、更には自分の身の危険を感じると文句を言うのか。貴様らの方こそ真の外道よ』
「なるほど、一理ありますね」
『一本取られたな』
「エビルちゃん!? ハーンちゃん!?」

 敵であるデュラハンの言葉に同意するエビルデインとハーンに驚きを禁じえない。コムカも同じく驚愕している。ありえない、と。

「死にたくないならダンジョンに入らずにのんびり暮せばいいだけですもんね。全部、自業自得です」
『物解りの良い奴がいて助かるな』

 返ってきたデュラハンの言葉に、エビルデインはきょとんとする。

「褒められました?」
『お前が褒められるなんて珍しいな』
「へへへ」
「喜ばんでいいっ!」

 無邪気に喜ぶエビルデインにアルスはツッコミを入れる。何故敵に褒められて喜んでいるのか。アルスには理解できない。
 仲間をアンデッドにされたコムカもエビルデインのことを不気味に思う。あまりにもおかしすぎる。正義ではなく、悪でもない。あまりにも正しすぎる。まるで感情がないかというほどに。実際は人間に対して情が全くないからここまで冷静なわけであるが。
 もし、ハーンを殺されたらエビルデインでも怒る。頭が真っ白になるほどに。
 それまで暇そうに耳をほじっていたリュートが唐突に動き出す。先ほどの繰り返しをなぞるように、再びアルスに飛び掛った。
 
「ぐ、ぐぐぐっ」

 伸ばされた爪で切り裂こうとしてくるリュートの攻撃を、アルスは辛うじてグレートソードで受け止める。
 またしても力比べ。
 だが先ほどとは違うことがある。

『闇に生まれし精霊の吐息の、凍てつく風の刃に散れ! 【閃氷】ッッ!!』

 リュートの前に生み出されていた魔法陣から無数の薄氷の刃がアルスに襲い掛かる。
 避けることができず、アルスは歯を食いしばって耐える。
 切り口は凍りつき、身体の動きが阻害されるようになるこれは氷系統低級魔法【閃氷】。ダメージを負わせることが目的ではなく、あくまで敵の体力を奪うことと、身体の動きを封じることが目的である。効果は大きく、何とか耐え凌いでリュートとの力勝負に打ち勝ち、斬撃を加えることに成功する。
 リュートの右腕は切り裂かれるが、飄々とした笑みを浮かべながら後ずさっていく。

「リュート……ッ!」
「下がってろ!」

 追いかけようとするコムカを後ろのほうへと追いやると、アルスはリュートのほうを隙なく見据えていた。

『いつ見ても不思議だな。敵に温情をかける人間の心理は理解できそうにない』
「する気もないでしょうに」

 エビルデインとデュラハンのほうはと言うと、穏やかに会話を続けていた。
 戦況に似つかわしくない光景であるが、お互いに隙など見せず、相手の出方を窺いあっていた。

『言うな、小娘。名を聞こう』
「レディーに先に名乗らせるのですか?」

 気持ちの入らない騙しあいの会話が続けられる。
 エビルデインはいつでも戦えるように武器を手にとって、ハーンは前かがみになりながら。

『ククク、失礼した。我が名はカーネルサンダース。魔界では知れた名よ』
「もしかして……タイクーンに仕える騎士ですか?」
『知っているのか』
「名前だけですけどね」
『不思議な娘よ。さぁ、名乗れ』
「エビルデインです」

 話が一瞬だけ、途切れる。

『……我が主の御兄弟であらせられるディバビール様に仕えている者で同じ名の者がいた気がするが?』
「きっと私と同様に可憐で美しく、か弱い人なのでしょうね」
『笑いながら命を奪い取る悪魔のようだと聞いている』

 ひくり、とエビルデインの口角が歪んだ。
 それも一瞬の出来事ですぐにひまわりのような笑みに戻ると、こっそりと拳を握り締めながら、言う。

「そうですか。人の噂とはいい加減なものですから。きっと真実とは違うことでしょう」

 怒りを隠しながら言葉を紡ぐエビルデインの隣で、ハーンは笑い声を噛み殺していた。
 くつくつと牙を尖らせながら、必死に押し殺しているにも関わらず、漏れ出していく。無駄な足掻き。エビルデインの耳はきっちりと聞き届けていた。

「ハーン、さっきから何を笑っているのですか」
『ク、クハハハ、いや、なかなかに笑える話だろう?』

 地面を踏み抜く勢いで、エビルデインは足踏みをした。そして、ハーンをキッと睨みつける。

「貴方は私の名を侮辱されて笑えるのですか? 仮に他人だとしても、同じ名を冠する者の侮辱を笑えるのですか?」
『わかった。わかったからそう睨みつけるな。悪いのは全部あそこのデュラハンだ。そうだろう?』

 エビルデインは大きく頷く。

「そうです。悪の元凶です。成敗しましょう」
『ほう……人間が我に勝てると言うか?』
「実力の差というものを教えてあげましょう」
『来いッ!』

 そして、戦いは始まる。



[19034] 7.おすわり
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/29 00:15
『邪魔が入ると面倒だな……』

 リュートとアルスの方を見やり、カーネルサンダースは言う。
 二人の戦闘には興味がないようで、エビルデインとハーンのほうに意識を集中していた。
 しばし待て、と一人と一匹に言うと、騎士剣を地面に突き刺して魔法陣を展開し始めた。
 エビルデインとハーンはその魔法陣を知っている。ある一定の位階を越えた星持ちの魔物にだけ行使を許される高位の術式。術者と任意の者を閉鎖空間に強制的に転移させる決闘用の魔法。
 
『ファルオス・ケオス・デ・バンダ! ゾーダ・ラムド・フェオリオ……悠久の時を経てここに時空を超えよ、我にその扉を開け! 【次元の亀裂】ッ!』

 それぞれ肩に白い手を置かれ、地面の中へと引っ張り込まれていく。
 戦場からは魔物が三匹、消え去った。



 ◇◆◇



 デュラハンが何やら呟き始めると、突然白い手が現れた。
 生気のない、まるで死神の手のようなそれはエビルデインとハーンを鷲づかみにすると地面に引きずり込み、二人は大地へと沈み込んでたった。デュラハンも同じく、だんだんと姿が消えていく。

(なんだ……あれは?)

 戦闘中に目を逸らすと同時に、戦闘以外のことを考えるという重大な過失。報いはすぐに現れた。
 あぶない、と警告を発してくれたコムカのおかげで何とか大怪我は防げたが、本当にぎりぎりだ。
 不意を討って攻め込んできたリュートの爪による斬撃を、アルスはかろうじて受け止めていた。

「おいおい、あんたはコムカを守るナイト役だろ? あっちのほうを気にする余裕なんかないはず……だぜっ!?」

 凍傷によって身体が思うように動かず、アルスは歯噛みする。力が入らない。
 繰り出される連続攻撃は全て見切っているのに、皮一枚を持っていかれる。本当なら全て避けられるというのに。

(くそっ)
 
 ままならぬ身体に苦言を弄したくもなる。
 だが、そんなことをしても何も変わらない。
 膝。拳。肘。掌底。頭突き。蹴足と続く基本がなっていない出鱈目な攻撃を、アルスは完全に見切った上で、完全に回避することはできず、少しずつ身体を削られていった。
 次に来る左ストレートをダッキングで回避し、立ち上がる反動でグレートソードを放とうとした、その時。

「まばゆき光彩を刃となして、地を引き裂かん! 【閃雷】ッッ!!」

 懐へ潜りこみ、いざ攻撃と思ったときにタイミングよく【閃雷】による放電が襲い掛かる。
 視界が真っ白になるほどの激痛。
 電流が身体を焦がす臭いが不愉快で、筋肉が意思に反して硬直するのはとても悔しかった。
 それでも、後ろで見守っているコムカに心配をさせないために、苦痛の声だけは出さないように、歯を食いしばって必死に耐えた。

「暗雲に迷える光よ、我に集い、その力解き放て! 【雷柱】ッッ!!」

 天から降り注ぐ一筋の雷光。
 神の裁きのごとく、差し込んだ一条の光はアルスの身体を攻め立てる。
 
「ぐ、ぐああああああああっっ!!!」

 雷系統下級魔法である【閃雷】と中級魔法である【雷柱】。
 二つの雷が身体の中で相乗効果を生み、幾倍ものエネルギーを生み出している。
 その災厄を被るアルスの痛みはどれほどか。
 だが、それでも、アルスの目からは意志の光が消えはしない。
 
「効くかぁぁぁっ!」

 電流による筋肉の硬直を跳ね除けながら、アルスは叫ぶ。
 内在する魔力を解き放ち、身体を苛む雷を吹き飛ばす。
 そして、震える身体を叱咤して、一足飛びにリュートに近づくと、味わった痛みを返すかのように一筋の光が走った。

「でぃやぁぁぁっっ!」

 残光すら映らない神速の袈裟斬り。
 切り裂かれたのはリュートの残り一本の左腕。
 子供に使い捨てられた人形のように、腕をなくしたリュートの姿は哀れを誘う。
 
「根性あるな、格好イイ兄ちゃん……凍ってる身体に雷だぜ? 通電性抜群だろうに、それでも耐えるのか」

 俯いたまま、アルスのほうを見ずにリュートは語りかける。
 アルスも話しに付き合うのか。グレートソードを地面に突き立てて、体重を柄に乗せながら、答えた。

「……諦めて膝を屈するより、痛みに耐えるほうが何倍も楽だ。お前はどうなんだ。仲間を殺すことに何も思わないのか?」
「……さてね。殺したことがないからわかんねぇなぁ。けど、コムカを殺したらたぶん気持ちいい。喰ったら絶頂すらするだろうな。確信があるんだよ」
「そのために仲間を殺すかっ!?」
「あぁ、そのために殺すね。それが嫌なら――」

 リュートは顔を上げて、アルスのほうをじっと見て、言った。

「――俺を殺せよ。二回死ぬのも悪くはない」

 悲しそうな輝きを放つ瞳は静かに揺らいでいるように見えるのはアルスの気のせいだろうか。
 殺してくれ、とそう言っているようにアルスには思えた。
 だが――

「やめてっ! リュートを殺さないでっ!」

 コムカは何度もそう言った。
 殺さなければ殺してしまう、とリュートが言っているにも関わらず……
 あえて無視し、アルスはただただリュートを見た。哀れな生きた死体を見た。

「……腕を失って、それでどうやって戦うっていうんだ」
「あぁ、これか」

 リュートの腕の切断面から黒ずんだ血流が腕に向かって飛翔する。
 それは切り裂かれた腕にくっつくと、切断面まで引っ張っていき、すぐさま付着した。
 一瞬での再生。人ではありえぬ超常の能力。

「ほら、これで元通り。この身体、便利だろ?」

 この身体が物語っている。
 死ぬまで終われないのだ、と。

「リュート、リュート、リュート……」

 そんな姿を見ても、コムカはリュートに固執する。
 エビルデインによって身体は麻痺させられているのに、本当なら起きていられないほどの状態なのに、それでもリュートを呼び続ける。妄執のようだ、とアルスは思う。ただの仲間とは思えない。
 痛みの残る身体でグレートソードを引き抜いて、油断なく構えながら、アルスは問うた。

「……お前らはただの仲間だったのか?」

 ぽかん、とリュートは間抜け面を晒す。そんなことも知らないで戦ってたのか、と。
 少しだけ楽しそうに笑いながら、リュートは答えた。

「俺とコムカは姉弟だよ。だから何ってものでもねぇけどな」
「そうか」
「ならば――死に様を見せるというのはあまりに酷というものだな」
「ははっ、デュラハンのことを外道とか何とか言ってたけど、あんたもそんなに変わらないな。結局殺す算段かい?」
「それしかないのならば、恨まれたとしても手を汚そう」

 沈黙。
 相対している二人は少しだけ相手を見やり、口元だけで笑った。
 そして――

「やめてくださいっ! それなら、私が食べられれば……うっ」

 殺す、という言葉に反応して錯乱し始めたコムカの首に手刀を打ち、昏倒させる。

「悪い。ここから先は見せられない。そういう“契約”だし、それに、きっと見ないほうがあんたのためだ」
「ふん、俺に勝てると思ってんのか? もし負けたら速攻でコムカは俺に食べられるんだぜ?」
「それはないな。お前は俺に負けるんだから」

 じろり、とリュートはアルスを睨む。
 アルスも負けじとリュートを睨みつける。

「ハッ、その身体でか」
「あぁ、この身体でだ」

 カカカ、と笑う。思いっきり、心の底からリュートは嗤う。

「いいね。来いよ。見せろよ。あんたの力ってのをさ」
「いいぜ。見せてやる……」

 ぼんやりと明滅していたグレートソードの刀身が、今は鮮烈に輝いている。
 刀身に刻まれた紋様は――リュートが見覚えがあった。そこに描かれているものは古代文明で栄えたメルニクス語。遙か昔に栄華を極め、衰退していった知られざる文明。

「未来が未来を拒む……?」

 読み取れたのはそこまでだけで、それ以降は解読できなかった。する時間もないが。
 爆発的に膨れ上がる圧倒的な魔力の前で、自身の興味を維持することなどできはしない。するべきは対抗策を練ること。彼我の絶望的な魔力の差を埋める方法を考えることだ。
 
「封印術式解除――覚醒しろ。【エタニティトリガー】」

 瞬間、爆発したように魔力が空間に満たされていく。
 そして、それはだんだんと収縮し、一つの刃を形成していく。
 小さな、先ほどまでより二回りは小さくなったグレートソードの刀身――いや、ショートソードの周囲を覆うのは鮮烈な赤。何もかもを焼き尽くすような、混じり気のない赤だった。
 アルスの自信は決して虚勢ではないことをリュートは悟った。殺そうと思えばいつでもアルスは殺せたのだ。自分のことを。
 だが、殺さなかった。きっと、コムカのために。
 少しだけ嬉しい。そう思ったが、そんなことは億尾にも出さず、口角を吊り上げるだけの、挑戦的な笑みを浮かべる。

「せめて苦しまないように殺してやる」
「ハッ、それだけで俺に勝てるつもりかよ」
「いや……これだけじゃ苦しまずに殺すことはできない。だから、これの上を見せてやる」
「何っ!?」

 さらに魔力が膨れ上がる。
 大地が震える。いや、震えているのはダンジョンだった。慟哭をあげているかのように、今から起こることから逃げ出すかのように、全てが全て、怯えていた。
 近くにいた食人植物たちも、アンデッドたちも、一目散に逃げ出していく。ざわざわと木々のざわめきに紛れながら、音を立てないように、可及的速やかに逃げ出してく。
 それは正解だ。自分より強い奴に挑む奴は馬鹿だ。弱肉強食のこの世界で、圧倒的強者の力を感じて、なお逃げ出さないのはありえない。

「封印術式完全解除」

 爆発する。
 地面を穿つかのように、魔力を解き放っただけで吹き飛ばされるような感覚を覚える。
 大樹はへし折られ、逃げ送れたゾンビは突風によって吹き飛ばされる。
 いつまで続くのか、永遠にも等しい一瞬の暴虐を、リュートはただただ耐え忍んだ。
 魔力の狂乱は終わる。
 先ほどまでは打って変わった静けさの中、抉れた大地の上で佇む一人の剣士。膨大な魔力を纏った、人間とは思えない剣士だった。
 既に死んでいる身のリュートでも、生きた心地がしなかった
 
「……とんでもない魔力だな。でも、負ける気はねーよ。リビングデッドになって、俺は強くなった。溢れる力と魔力がある。負けるはずがねぇ」
「お前じゃ俺には届かない」
「試してみなきゃわかんねーぜ?」
「そうか。ならば、来い」

 この言葉を切っ掛けに、距離のある二人は行動を開始する。
 アルスは剣を大上段に構えて、リュートは両手を胸に当てて集中する。
 最後の一撃だ、と全ての生命力を注ぎ込む。

「大気満たす力震え、我が腕をして、極光とならん!」
「滅びゆく肉体に暗黒神の名を刻め、始源の炎蘇らん!」

 打ち出される一撃は、必殺の奥の手。

「【極光剣(グランドリオン)】ッッ!!!」
「【魔王焔】ッッ!!!」

 振り下ろされた極大の光と、放出された漆黒の焔が交差する。
 全てを包み込むように、黒と白が場を埋め尽くす。
 光が消えたとき、立っていたのは――



 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 不健康な色合いをした手に連れ去られた先にあったのは、何もない場所だった。
 どこまでも続く石造りの床と、赤黒いうねりのようなものが見える不吉な空。
 そして、一人佇む首無しの騎士だ。
 かちゃり、と鎧同士がぶつかる音を立て、カーネルサンダースは流麗にお辞儀をした。

『ようこそ、閉鎖された世界へ』

 思わずエビルデインは慌てふためき「お邪魔します」と言ってしまった。ハーンは隣で呆れたように見ている。

『礼儀正しい御方だ』

 そう言って腰を伸ばすと、少しだけ意地悪な声音でカーネルサンダースは言葉を続けた。

『さて、もういいだろう?』

 茶番はこれまでだ、とカーネルサンダースは断じる。
 もう、わかっているのだ。わかっているのに下らない喜劇をやるほど、カーネルサンダースは気が長くないし、ちゃらけていない。はっきりとしたいのだ。
 だが、エビルデインはとぼけたふりをする。何ですか、と呆けた顔で言うだけだ。
 カーネルサンダースは呆れたように両手のひらを上にあげ、首をすくめる。
 
『貴様はエビルデイン=スライム=クイーンだろう?』
「知りませんね」

 速答。
 それでもカーネルサンダースは諦めない。

『では、その腕輪につけた星は何だ? 魔界でも一部しか練成できない宝玉だぞ? それを人間が持ってるなどおかしいし、六個というのがおかしい』

 宝玉に使われる素材は魔界の奥地でしか手に入らない高級品だ。
 それを魔王直属の錬金術師が練成し、初めて星の宝玉となる。それは魔物のランク付けをする【魔族総合管理局】で厳選に査定されたものにしか支給されないシステムをとっている。そして、嵌め込まれた星の宝玉は持ち主が死ぬと、消滅する。だから、人間が持っているなどおかしいのだ。
 もしまぐれで手に入れたとしても、六個も持てるはずがない。魔族でも持っているものは極少数なのだから。
 それに、だ。
 ガルム族は他種族と馴れ合わないことで有名だ。
 ガルム族はガルム族のみで徒党を組み、決して他種族と馴れ合わない。馴れ合うものがいれば、追放される。少しでも毛色が違うものがいれば、迫害される。
 そんな種族の中で、黒い毛皮を持つガルムなどが生き延びれない。ただ、一匹だけ生き延びたものがいるが……迫害するにも、強すぎて太刀打ちすらできないほどの圧倒的な強さを持った天才児。それはエビルデインというスライムの王に売られた。

『何より……漆黒の毛皮のガルムを連れている。そんな奴は魔界でもエビルデインしかいない』

 目をまん丸にしてエビルデインは驚く、あっ、と言った感じに口に手を当て、それもそうか、と納得する。

「あちゃー、腕輪隠すの忘れてました」
『身体のサイズを抑えてたらバレないとタカをくくっていたのが失敗だったな』
「適当にし過ぎましたね。次から参考にしましょう」
『俺は毛皮の色を変えるつもりはないぞ。この毛皮は俺の誇りだ』
「わかりました。私のブレスレットをどうにかしましょう」

 二人で確認しあう様は、余裕のように見えてカーネルサンダースにとって不愉快だった。
 まるでこれから始まる戦いの勝利は確定されているかのように。
 そう、正しくカーネルサンダースは相手にされていなかった。
 それがわかるだけに、カーネルサンダースの内心は穏やかではなく、自ずと声音にも苛立ちの響きが混じる。

『次の機会に? まるで我を意識していない口ぶりだな』

 そんなことがあるはずがない、という確信の言葉。
 だが、返ってきた言葉は――

「えぇ、そうですよ? 確か貴方の名前はカーネルサンダース=デュラハン=インペリアルナイトでしたっけ」

 何を当たり前のことを言っているんだ、とエビルデインは嘲笑する。
 そして、カーネルサンダースの情報を言ってみる。そう、カーネルサンダースはタイクーン=ドラゴン=プリンスの直属の王族護衛騎士であるインペリアルナイトであった。騎士の誉れである。
 だが、エビルデインはその上を行く。

「たかが皇子直属の騎士が、一種族の王であり、皇子の片腕であるこの私に勝てると思っているのですか? 随分な思いあがりですね」

 そう、エビルデインはディバビールの唯一の片腕だ。
 ディバビールは優秀なものしか傍に置かない。置いたとしても、少しの失敗すら許さない。ゆえに、真に優秀なものしか生き延びられないのである。
 その生え抜きがエビルデインだ。いつもやる気なさそうに任務をこなすが、きっちりと結果を出すがゆえに、未だに重宝されている。本人にとっては甚だ不本意なことであるが。家でのんびり暮らすのがエビルデインの夢だ。
 家に帰りたい、とホームシックにかかったエビルデインのことを、カーネルサンダースはどうしても強いとは思えない。自分の腕を見た。篭手の上に嵌め込まれた六個の宝玉――星だ。エビルデインと同じく、星が六個の魔人である。

『貴様は我と同じく星六個だろう? 実力はそこまで変わらんはずだ。星六個を片腕にするディバビール様の程度が知れるというもの』
「あの人は極度の引き籠りでして。私の功績を奪って星稼いでますからね」
『そうだな。俺はお前に奪われているが』
「まぁまぁ、過ぎたことはいいじゃないですか」

 不貞腐れたようにエビルデインを見上げるハーンの頭を撫でる。ハーンは手を追い払うように頭を振るが、嫌がる姿を楽しそうに見ながらエビルデインは撫でまくる。
 ひとしきり毛皮の感触を楽しんだ後、エビルデインは言う。

「星なんてね。見栄えだけですよ。実力を指し示すものとは違います。星に興味のない魔人もいますしね」
『ふん、口では何とでも言える。実力で示せ』
「うーん、実力で示せ、と格好良く言われてもですね。ハーン、貴方がやりますか?」
『屍肉を食む趣味はないので、できれば遠慮したいところだな。あいつの肉は不味そうだ』

 ハーンを見下ろしてエビルデインは言うが、心底嫌そうにハーンは言った。
 仕方ないか、とエビルデインは一人納得して、【斬魔刀】をズックから取り出して戦う準備を始めたのだが――

『二人がかりでもいいんだぞ?』

 カーネルサンダースは自信ありげにそう言った。じゃあ二人がかりで、と思わず返答したのだが、続く言葉で顔色を変えた。

『下等なガルム族と貧弱なスライム族がいくら束になろうとも、デュラハンである我に勝てるはずもなし』

 嘲笑するかのように、カーネルサンダースは言った。
 二人がかりで来ても、お前らのような雑魚が相手では物足りぬ、と言われているような気がした。
 エビルデインは思わず反論しかけたが、隣で怒りに染まった相棒を見て冷静になる。

『エビルデイン。気が変わった。あいつの肉を噛み千切りたくて仕方ない』

 全身の毛を逆立てて、尻尾をピンと張り詰めさせたハーンは、身体が膨張し始めている。

『貴様……俺の主人を馬鹿にして楽に死ねると思うなよ?』

 本当の姿を出す気だとわかる。だが、そんなことをさせるわけにはいかない。

「ハーン、おすわり」

 あまり使いたくはなかったのだが、エビルデインは久しぶりにハーンに対し【命令】をした。
 つけられた首輪が淡く光り、強制力を持ってハーンに言うことを聞かせる。奴隷に対しつけることを義務づけられた【従者の首輪】。エビルデインの意思ではなく、ハーンの意志で自主的につけているのだが、【命令】をするのはあまり気持ちのいいものではない。
 それでも、本気の姿に戻すわけにはいかなかった。取り返しのつかないことになるからだ。

『ぐぅっ! 何でだ。俺が殺る。俺に殺らせろっ!』
「どうどう、熱くなったらダメですよ。ハーンの悪い癖です」

 落ち着かせるように頭を撫でるが、ハーンは射殺すようにカーネルサンダースを見据えている。
 【命令】が途切れれば今にも飛びかかろうとする気迫がそこにはあった。
 落ち着かせるためにエビルデインは耳元で囁く。

「あんな三下如きにムキになるなんて、器が知れるというものですよ?」
『だが、あいつは……』

 ハーンは、止まらない。
 少しだけ項垂れだから、それでも止まれなかった。
 だから、再度【命令】する。

「もう一度言います。おすわり」
『エビルデイン!』

 首輪がより一層強く輝き、ハーンは抗議の声を上げる。
 ぽんぽん、と頭を叩いて立ち上がり、エビルデインはカーネルサンダースに大して丁寧に会釈をした。

「では、私がお相手します。お手柔らかに~」
『ふん、まずはスライムが相手か』
「えぇ、力不足だとは思いますが、精一杯頑張りますので……」
『エビルデイン、お前が力を見せる必要はない。俺が……ッ!』

 格下に対する鷹揚な態度を見せるカーネルサンダースに、ハーンは怒りが再燃する。
 じたばたと暴れ始めるが、【従者の首輪】のせいで身体が動けない。主を侮辱するクソったれを噛み殺せないことに対する屈辱。とてもではないが耐えられるものではなかった。誇りを重視するハーンには、この上ない苦痛であった。
 悔しさのあまり歯軋りし、自然と呼吸も荒くなる。その姿をエビルデインは微笑ましいのか、たおやかな笑みを浮かべながら、おすわりをしているハーンを見て、言った。

「ハーン、私が綺麗だからって鼻息荒くしすぎですよ? 気持ちはわからないでもないですが」
『違うっ! 俺はお前の剣だろう!? 俺を使えっ!』
「いつ使うかは私が決めます。貴方は黙って見ててください」

 最後にハーンの頭を撫でると、少しだけ目を瞑る。
 そして、【斬魔刀】を握り締め、カーネルサンダースの前に立った。

「さて、お待たせしました。やりましょうか」
『ディバビール様の片腕の力とやらを見せてみろ!』
「では、行きます」
『かかって来い』

 カーネルサンダースの手招きを見て、エビルデインは跳躍する。
 中空からの全体重を乗せた渾身の一撃。
 それを片手で持つ騎士剣に受け止められ、身体ごと弾かれる。

「くっ」

 空中で一回転し、地面に着地。そして、疾走。
 地面に這うように身体を沈みこませながら、起き上がるとともに剣を振り上げる。

「とぉっ! せやっ! どりゃぁっ!」

 怒涛の連撃。一撃一撃が全て必殺。
 だが、カーネルサンダースは全て片手で受け止める。
 
『貴様、これが全力か?』

 がっかりしたようにカーネルサンダースは問うた。
 袈裟斬りから逆袈裟も、薙ぎ払いと見せかけた突きも、全て回避しながら、問うた。

「貴方が……判断してくださいっ!」

 息を荒くしながら答えるエビルデインの言葉は余裕がないように感じられ、カーネルサンダースは思った。こいつは弱い、と。

『つまらぬ。所詮スライムか』

 【斬魔刀】を掌で受け止め、エビルデインの手から奪い取る。
 そして、エビルデインの腹を蹴り飛ばした。
 地面に何度もぶつかって吹き飛ばされながら、エビルデインは転がり続ける。

「く……うぅ」

 懺悔するかのように頭を垂れたまま、エビルデインは地面に平伏していた。
 震えながらも立ち上がろうと、地面に手をついて、必死に起き上がろうとする。だが、上手くいかずに転ぶ。それを何度も繰り返す。
 無様だな、とカーネルサンダースは思った。

『弱い。弱すぎる。話にならん』

 近づき、腹を蹴り上げる。
 がはっ、と喀血し、エビルデインはのた打ち回る。
 あまりに――弱すぎる。

『これが片腕? ディバビール様の? 愉快だな。実に愉快だっ! 底が浅いな!』

 何度も何度も蹴り上げて、騎士剣で切り刻んで、原型を留めないほどにエビルデインは散り散りにされていた。
 うつ伏せで倒れながら痙攣しているエビルデインを足で転がせて、仰向けにさせる。そして、腹の真ん中に【斬魔刀】を突き立てた。

「あぁぁぁぁぁっっ!!」

 断末魔の絶叫。
 悲痛な叫びは空間を圧迫する。慟哭はだんだんと小さくなり、そして、消えた。
 カーネルサンダースはエビルデインのばらばらになった死体を蹴り飛ばし、ハーンのほうを見た。残るは一匹だ。

『終わったか。さて、そこなガルム。相手してやろう』

 だが、ハーンに一切の動揺はなく、主が死んだというにも関わらず至極冷静だ。
 主であるエビルデインを侮辱されただけで怒りに任せて暴走しようとしていたのに、死には無関心。それがカーネルサンダースにとっては不思議だったが、どうでもいい。後はこいつを殺すだけで終わるのだ。
 そんな彼を見て、ハーンは嘲るように言う。『お前は馬鹿だろう』、と。

『仮にも星六個のエビルデインが、この程度だと本気で思っているのか?』

 負け惜しみを言っているのだ、と判断した。
 それが間違いだったのだ。

『何を言っている。現にスライムの王は……がふっ』

 見下ろすと、分厚い鎧を貫いて突き刺さる【斬魔刀】が見えた。腹から生えていたのだ。
 それだけではなく、全身を覆うようにゼリー状のものが巻き付いていた。身動きをとろうにも、動けない。締められられる力が、カーネルサンダースの膂力を大きく上回っていた。
 どういうことだ、と考える間もなく、犯人の姿が目の前に浮かび上がってきた。
 液体が地面から生えてきて、だんだんと人の形をとっていく。どこからか流れてきた衣服を身に纏い、そして、彼の腹から【斬魔刀】を引き抜いて、拗ねたような視線をハーンに向けていた。

「ハーン、もう少し勝利の余韻に浸らせてあげてもよかったでしょう」
『意味がないだろう。勝負はついている』

 今ある光景が当然のように受け止めている。
 まるでなるべくしてなったかのように、喜びの感情が全くない。
 カーネルサンダースは思う。我は幻術にでもかけられたのか、と。その疑問を察したのか、意地悪にエビルデインは言う。

「あれ? 知らなかったんですか?」

 くすっ、とエビルデインはあどけない笑みを浮かべ――

「スライムに物理攻撃は効かないんですよ。お・ば・か・さ・んっ☆」
『な、ふざけるな……そんなスライムは見たことがないぞっ!』

 つん、とカーネルサンダースの胸元をつつく。
 抵抗しようにも身体が動かない。纏わりついたモノが彼の自由を許さない。

「良かったですね。死ぬ前に見れて。授業料は命です。あ、それと……死ぬ前に言わせてもらいましょうか」

 殺気。
 カーネルサンダースはここに至ってようやく気づく。
 己とエビルデインの圧倒的なまでの実力の差を。
 そう、今初めてエビルデインは殺気を出したのだ。先ほどまでの戦いは、遊戯。ただの遊びだったのだ。
 自分は誤った。強者の逆鱗に――触れてしまったのだ。
 後悔しても、もう遅い。
 強者は怒っている。先ほどまで浮かべていた少女のような笑みではなく、魔人の笑み。弱者を蔑む強者の嘲笑。

「屍肉の詰まった腐れ鎧の分際で、私の愛する子供たちと、私の下僕の種族を愚弄するな。虫唾が走る」

 【斬魔刀】は振り上げられ――

「死ね」

 ――カーネルサンダースの命を刈り取った。

『……珍しいな。不意討って即死させれただろうに。なんでそうしなかった?』
「ちょっとお頭にきましてね。私は、私の大切なものを馬鹿にされるのが嫌いです」
『そうか』

 【命令】の効果が切れたハーンはようやく自由を取り戻し、立ち上がる。
 先ほど少しだけ出したエビルデインの素を思い出し、身震いした。そう、こういう姿を見てハーンはエビルデインに忠誠を誓ったのだ。
 今はもう全く面影すら残していないが、冷酷な一面も確かにある。それに惚れて、ハーンはエビルデインに【従者の首輪】をつけてもらった。反抗したときに押さえつけてもらうために。
 きょろきょろと辺りを見回し、扉が出現しているのを見つけ、ハーンのほうに手を振る姿からは全く想像できないが。ハーンは少し、苦笑した。

「扉が開きましたよ。戻りましょう」
『アルスは生きてるかな?』
「間違いなく、ね。それに、死なれても困ります」

 何気ない一言。なればこそ、返ってきた言葉も本音。
 情でも湧いたか、そんなことを考えたが――

「彼には【真の勇者】になってもらわなければならないんですから……」

 そんなことはなかった。
 ハーンは少しだけ、安心した。



[19034] 8.それでも明日はやってくる
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/31 19:28
 コムカが目を覚ましたときに目に入ったもの。それは放射線状に陥没した大地。そして、そこに立つ一人の剣士だけだった。
 グレートソードを持った美麗の剣士――アルス。彼は陥没した地面の前で、懺悔するように頭を垂れていた。まるで何かに謝っている、小さな子供のよう。目の端からは涙が零れ落ち、だが、嗚咽はなく、ただただ透明な雫だけが地面を穿つ。
 ふと、前を見た。
 己の剣で切り裂いた景色。破壊の傷跡。
 グレートソードを見る。不気味に明滅する鋼の塊にしか見えなかった。

「……救えないな」

 そうして――アルスは自らの頬に拳を叩きつけた。
 この光景が物語る。コムカは自ずと理解した。だが、理解したくなかった。ゆえに、言葉にする。 

「……リュートは?」

 喉から漏れた言葉は、まるで自分の声じゃないと思えない地の底から響くような声。
 反応し、振り返ったアルスは真っ赤になった瞳でコムカを見て、しわくちゃになった顔で、言った。

「死んだ。俺が殺した」

 そっか、と自然と声が出た。
 思っていたよりも衝撃はなく、やっぱり、と言った感じが強い。
 いつの間にか下を向いていた視線を、アルスに合わせた。
 今にも泣きそうな、子供のような顔。なんだかおかしくて、コムカは笑った。

「えっと、自己紹介してなかったね」

 コムカの口から出たのは、思ってもなかったことで。
 心とは裏腹に、先ほどまでとは違って、明るい声で。

「私はコムカ。コムカ=ウェルバーン。見ての通り、僧侶なんてしてます」
「俺は――アルス=レイクリッド。見ての通り、しがない剣士をしている」
「あ、えーと、はは、何を言えばいいかわからないね」

 乾いた笑い。
 何を言えばいいのか、わからない。
 コムカは救われた側で、アルスは救った側。命の恩人。けど、ありがとうとは言い辛い。気持ち的には言いたくなかった。アルスも同様だろう。きっと言われたくない。コムカは不思議とそう思った。
 そんなことを思っていると――突如、不吉な魔力が上方に発生する。
 黒い孔だった。内側に向けて引き込むようにうねる魔力の渦だった。
 不意に、渦が開いた。
 飛び出してきたのは大太刀を担いだ少女と黒い毛皮の犬――エビルデインとハーンだ。
 重力に引き寄せられ、地面へと順調に落下して行くエビルデインとハーンだったが、このままではエビルデインがハーンの下敷きになる。そういう構図だった。そのとき、エビルデインはハーンの首輪を思いっきり握り締め、力の限り下へと放り投げた。
 蛙が潰れたような音とともにハーンは地面と激突する。そして、ハーンをクッションにしてエビルデインは優雅に舞い降り、ハーンを椅子にして座り込んだ。

『ぐぇっ!』

 【星屑のローブ】の汚れた裾を上品に手で叩き、エビルデインは茶目っ気のある笑みを浮かべる。先ほどあった惨劇をなかったことにしようとしているのだ。ハーンはエビルデインを睨み付けていた。当然、無視される運命にあるわけだが。

「まさか出口が上からだったとは、予想外です」
「エビルちゃん!?」

 いきなり落ちてきたエビルデインとハーンのせいで思考停止していたアルスの第一声はそれだった。
 デュラハン――とても強そうなデュラハンに何やら怪しげな魔法でどこかへ連れ去られたことまでは確認していたアルスだが、それ以降は皆目検討がつかない。下手をすればもう二度と会えないかもしれない、などと考えていたのだ。
 それがほとんど無傷で帰ってきたとなるとさすがに驚く。
 どんな魔法を使ったのか。問い質そうとすると、「失敬な。私がデュラハン如きに殺されるはずないじゃないですか」と最初に会ったときのように言う。
 なんだかそれが――アルスのツボに嵌った。

「そう、そうだよね。ハハ、よくよく考えればエビルちゃんが負ける様子なんて思い浮かばないな」
「でしょう? 私って強いですから」

 力コブを盛り上げようと腕に力を入れるエビルデインだが、細腕に全く変化はない。

「ハハ、腕盛り上がってないよ」
「あれー?」

 おかしいな、と首を傾げるエビルデインだったが、何かに気づいたように目を輝かせるとコムカのほうを見た。

「ところで、名も知らぬ女の子さん。貴方は何故泣いているんですか?」

 コムカは泣いていた。
 苦しそうに笑いながら、泣いていた。

「え?」

 あれ? と自分の頬を笑いながら拭うコムカ。おかしいな、と何度も呟いている。泣いているつもりなんかないのに、と。
 次第に涙は溢れ出し、嗚咽混じりに盛大に泣き始めた。号泣だ。

「リョートが、弟が死んだから……」

 ぐすぐす、と鼻水を流しながらコムカは言う。
 エビルデインも少しは同情したのか、少しだけ悲しそうな笑みを浮かべると、いつものように柔らかな笑みになる。

「それは悲しいですね。私も兄弟が死んだら悲しいです。心中お察しします。で、これからどうしましょう?」

 あっさりと話題変換。
 正直に言うと、エビルデインは全くコムカに興味がない。人間が何人死のうとどうでもいい。柄にもなく空気を読んだだけだった。
 興味があるのはこれからの行動予定だ。そう、これこそが重要。だって、仕事だから。
 とても大事な話をしようとエビルデインはしていたのだが、それを察せれない犬がいた。エビルデインの下敷きになったままずっと背中に座り込まれているハーンである。
 非難するようにエビルデインを見上げながら文句を言う。

『これからの話をする前に、どけ。重い』

 空気が凍った。
 エビルデインは依然変化のない無垢な笑顔のまま、ハーンを見下ろした。殺気混じりの笑顔という難易度の高い表情である。
 じっくりと、言い聞かせるように、含むように、エビルデインは言った。

「ハーン、私の耳が腐っているのでしょうか。重い――貴方は、重い、そう言いましたか?」
『……記憶にないな。キュートなお尻を乗せられているせいで興奮してしまう。だからどいてくれ、と頼んだのだ』
「あぁ、それなら仕方ないですね。えぇ、仕方ないです」

 ハーンは命を失わずにすんだことで胸を撫で下ろした。
 エビルデインが背中の上からどくときに、横腹に蹴りを入れたことなど些細なことである。地味に痛いが、エビルデインに折檻されるよりはマシだ。調教と言う名の拷問である。
 思い出しただけでハーンは身震いが止まらない。
 一匹が昔を思い出して身が縮む思いをしていた。

「あの……」
「何でしょうか?」

 不審な目をハーンに向けながら、スルーすることにしてコムカはエビルデインに声をかけた。
 だが、続きの言葉が見当たらず、おずおずと手で遊んでいると、ハーンが助け舟を出す。

『名前でも聞きたいんじゃないか?』
「そういえば言ってませんでしたね。私の名はエビルデインです。この子はハーン。好きなように呼んで下さい」
「あ、はい。私はコムカです」

 えっと~、と人差し指を顎につけながら、首をかしげて考え込む。

「じゃあ、コムコムって呼びますね」
『普通にコムカでいいじゃないか』
「いやぁ、小動物みたいですからね。ニックネームつけたくなるんですよ。嫌なら呼びませんけど」
「あ、いえ。いいです」
「……じゃあ、俺もコムコムって呼ぶかな」
「真似しないでください」

 アルスもエビルデインに乗じてニックネームを呼ぼうとするが、エビルデインに止められた。
 だが、アルスは諦めない。

「じゃあコムちゃんで!」

 すると、コムカは再び目に涙を溜め始める。

「……ぐすっ」
「貴方は泣き虫ですね。また、泣いてます」
「えぇ……兄と弟と……こんなふうに会話していたなっ、て」
「そうですか」

 少しだけ重くなる空気。
 しんみりした空気は苦手だなぁ、とエビルデインは思う。アルスは困ったようにコムカを見るだけで、ハーンは何かを考え込むようにおすわりをしていた。
 何時までも続く沈黙。それは永遠かと思われたが、ハーンがとうとう痺れを切らして声を出す。

『そんなことより、これからどうするんだ?』
「アルスの顔色が悪いみたいですし、私も戦ってしんどいです」
「そうだね。ここでキャンプをしよう」

 アルスは提案する。
 ダンジョンに潜入してほぼ丸一日が経つ。
 ダンジョン内は太陽がないせいで時間の経過がわかりづらいが、体感的にアルスは夜になることを感じ取っていた。長年にわたり冒険者をしている者の経験である。どこにキャンプをするためのテントがあるのか、とエビルデインは思ったが、その心配はなかったらしい。
 アルスが腰につけたポーチはハーンの担いでいるズックと同じく容量がほぼ無限のものであった。そこからテントが出てきたのである。
 
「テントの組み立て手伝ってもらえるかな?」
「やったことはないですが、頑張ります」

 エビルデインは元気に答えると、意気揚々とテントの組み立てを始める。

『俺はどうしよう?』
「ここらの警戒と、コムちゃんの護衛を頼むよ」
「悪いよ。私も手伝うから」
「休んでて。じゃあ、エビルちゃん。手伝って」

 コムカは申し訳なさそうに言うが、アルスに止められて渋々休憩することになった。

「……すみません」
「いいって。冒険者は助け合うものだよ」
「ありがとうございます……」

 居心地の悪さを覚えながら、コムカは腰を下ろしてアルスとエビルデイン、そして、ハーンを見る。
 みんな、元気そうで、それがなんだかとても悔しくて、羨ましかった。

 
 



 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 










 キャンプの外で、コムカはぼんやりと天井を見ていた。
 ぼんやりと光る薄明かりの天井には苔のようなものが生えており、それらが発光しているのだろう。淡い緑色で地上を照らしていた。
 ダンジョンを進んでいる間は全く気付かなかった。そんな余裕もなかった。
 だから、今はきっと余裕があるのだろう。
 パーティーが壊滅し、助けてくれたパーティーに所属した。仲間は強い。自分のパーティーを全滅させたデュラハンをたった一人で屠った女剣士のエビルデイン。そして、自分の弟がリビングデッドになり、それを殺したアルス。どちらも、強い。強いから、強い人といるから、余裕がある。
 身の安全は約束されているのだから……。

「打算的――なんだろうな、私……」

 自分だけは助かった、そんなことを考える。
 自虐的な思考に陥っていることだけは理解しているが、理解していても止まらない。
 この世に"if"なんてないことはわかっている。わかっているが、わかっていても止まらない。
 もし、【フロンティアハーツ】に潜らなかったら、きっとみんなで一緒に晩御飯を食べて、一緒に笑って寝ていたのだろう。
 こうも考える。
 もし、デュラハンの足止めを弟のリュートではなく、自分がやっていたとしたら――今生きているのはリュートだったのかもしれない。いや、デュラハンに首を折られた兄であるレメディウスを見捨てずに回復魔法をかけていたら、もしかしたらあの後反撃できたかもしれない。
 自分は最善を尽くせていない。
 そんな自分が生き残ったことが許せない。
 視線を下ろし、足元にある石コロを蹴飛ばしてみる。軽快な音を立てて、転がっていき、何かにぶつかって止まった。
 ぶつかったのは、分厚い革のブーツで、上を見ると、アルスがいた。
 グレートソードも魔獣の胸当ても外した、綿の服と皮のズボンを着た、ごく一般的な服装だ。少しだけ眠たげに、腰ほどまである金色の髪を指先で遊びながら、コムカのことを眺めている。

「何か用なの――ですか?」

 険のある響き。
 不穏な空気――隠しきれない敵意を向けながら、コムカは苛立たしげにアルスを突き放す。
 アルスは命の恩人だ。いなければ、無力な僧侶である自分の命は既に無いことを自覚している。それでも、弟を殺した張本人だ。許せない。頭では納得できても、許せなかった。
 
「何もないな」

 アルスは苦笑し、コムカに近づいていく。
 隣に座り、お前も座れよ、と地面を叩く。
 その態度が気に喰わない、顔を見るだけでもむかつく、拳を振るいたいという感情に駆られそうになる。
 コムカは自制心を総動員して何とか抑え込むと、無理やり口を釣り上げて作った不器用な愛想笑いを浮かべ、アルスの隣に座った。

「……眠れないのか?」
「……えぇ、ちょっと」
「そうか」

 沈黙。
 何を話せばいいのか分からない。
 何を考えているのか分からない。
 アルスは何故、自分に話しかけてきたのかが、コムカには理解できなかった。
 膝を抱えて座り込み、俯きながら横目でアルスのことを観察する。
 後ろ手に体重をかけながら、焦点の定まっていない視線を天井に向けていた。ただ、その瞳は、僅かばかり揺らいでいるように見えた。
 絵になる男だな、とコムカは思う。
 蜂蜜色のような混じり気のない金髪は淡い光に照らされて、幻想的な色合いを醸し出している。顔も目鼻立ちが整っていて、美しくすらある。絞り込まれた身体は無駄がなく、色気すら感じられる。セクシーだ。
 リュートを殺した相手ではなかったら、きっと見惚れてただろうな、と思うと苦笑するしかない。コムカの好みのドンピシャリだった。

「何?」

 くすくすと笑っている声を聞き取られたのか。
 何でもないです、と答える。
 頬が少しだけ紅くなっていた。
 そして、ふと思った。
 前から考えていたことを聞いてみよう、と。今となっては考える意味もないことだけれど、コムカは単純にそう思ったのだ。

「なんでダンジョンなんて潜り始めちゃったんだろう、って考えてました……私は反対だったのに、お兄ちゃんとリュートが行きたがって……男の子の考えはわからないよ」

 コムカは田舎の農村で生まれた。レメディウスとリュートも同様である。
 本来なら、農村の中で同年齢の子と結婚し、子供を為し、村の仕事をするという人生を送るはずだった。だが、そうはならなかった。
 両親が死んだ。老死だ。
 コムカは思った。自分たちを立派に育てて、そして、死んだ。だから、その人生にはきっと意味があったのだ、と。だが、兄弟の二人はそうではなかったらしい。こんなところで終わってたまるか、とリュートとレメディウスが言い出して、ほとんど家出同然に村を出たのだ。村がどうなっているのかなど、もうわからない。
 ――いろいろと、もう遅い。わからない。
 一滴だけ、頬を潤す雫が流れた。

「んー、俺はわかる気がするな」

 アルスは共感する。

「小さく終わりたくないんだよ。俺の場合は、まぁ親が商人をやっているんだけどね。このまま生きていったら親みたいに商人になるしかない。客にぺこぺこ頭下げて、誇りを安売りするしかない。そんなことを思って、家を出たんだ」

 リュートとレメディウスとほとんど同じ、コムカはそう感じた。

「今では誇りを安売りしているわけではない、ってことはわかってるんだけどね。小さいときはそんなふうに考えたんだよ」
「でも、親の生き方を真似するのは安全じゃないですか。それの何が嫌だったの……ですか?」
「見えるんだ。明確な未来が。きっと小金を稼ぎながら、ちょっとしたトラブルを抱えたりしながら、結婚して、子供を作って、育てて、孫を見て、喜んで、死ぬ」

 立ち上がり、興奮気味にアルスは言う。
 大げさなボディランゲージを交えながら、喜怒哀楽を過剰に表現し、どんな人生を送るのだろうか、という予測する。
 そして、吐き捨てるように――

「普通の人生が見える」

 そんな人生はごめんだ、と表情が語っている。
 先程までの美しいだけの顔ではなく、歯を剥き出しにした野性味のある笑みを浮かべている。戦いを日常的に行っているもの特有の顔だった。

「男ってのはロマンチストだから、夢を追いたい時期もある」
「そんなもののために命を失うことになっても?」
「自分は大丈夫、漠然とそう思うものなんだよ。死ぬ前に気づくんだけどね。何も大丈夫じゃなかった、って」

 実体験でもあるのか、アルスは小さな声でぽつりと漏らす。

「俺はそう考えて、今も命を安売りしながら、ダンジョンに潜ってる」

 同感もできないし、共感もできない。けど、なんとなくそれが答えなのかもしれない、とコムカは思う。きっとみんな馬鹿なんだ。
 そして、考えたくはないけれど、自分も馬鹿なんだ。
 自業自得で失ったパーティーのことを責任転嫁し、恩人であるアルスのことを恨んでいる。今だって、やっぱり胸の奥底で燻ぶる暗い炎がある。だけど、さっきよりはマシになった。随分と、マシになったのだ。
 同時に思う。
 レメディウスとリュートが見たかった景色というものを見ることが、自分の存在意義ではないのかと。生き残った自分の義務ではないのかと。
 都合の良い、実に都合の良い思考だ。理解している。けど、コムカはそれに縋るしかなかった。生きる目的は決めつけるしかなかった。

「けど、コムちゃんが付き合う必要はないよ。明日には上を目指して、地上まで送り届けるよ。僧侶一人じゃきついだろうしね」

 これで話は終わりだ、と言うようにコムカに背を向けて、アルスはキャンプの方へと歩き出した。

「……あの、それなんですけど」

 コムカは慌てて立ち上がり、アルスの方へと手を伸ばす。
 話は終わっていない。コムカはまだ言いたいことがある。話はまだ終わってないのだ。
 その時。

『おい、背中を押すな。バレる。バレる!』
「うわちゃぁ……っっ!」
『ぐおっ!』

 すてーん!
 そんな効果音が絶妙に似合いそうな光景であった。
 アルスがキャンプの扉に手をかけたとき、扉にもたれ掛っていたエビルデインとハーンが、称賛したくなるほどの勢いで地面へと衝突したのだ。
 ハーンの背中をクッションにして落ちたエビルデインはそこまでの被害を被っていないが、エビルデインの体重も全てかけられて、鼻頭からぶつかったハーンのダメージは計り知れない。

『鼻がこすれた! 痛い、痛いぞっ!』
「鼻血出てますね。ほら、チーンして。チーン」

 エビルデインは【星屑のローブ】のポッケから鼻カミを取り出すと、ハーンの鼻先へと持っていく。
 ハーンは力の限り鼻に力を込めて、鼻の内部で己を脅かす血痕や鼻くそを勢いよく噴射した。紙はべっとりとしている。

「おおぅ、鮮烈な赤ですね。どろっとしてます」
『……だから言ったのだ。俺は覗き見なんて反対だ、と』
「そりゃそうでしょうよ。ハーンは耳が良いんだから丸聞こえでしょうしね」

 ビクン、とハーンの毛皮が震えたことをエビルデインは見逃さなかった。
 絶対零度の如き冷やかな視線でハーンの目を覗きこんでいる。ハーンは決して目を合わそうとしない。視線は右往左往と、盛大に泳ぎまくっている。

「今、ギクゥッ! ってしましたね? 適当に言ったんですけど、やっぱりそうだったんですか。最低ですね。男の風上にも置けません」
『馬鹿な! 耳が良いのは生まれつきだ。聞こえるんだから仕方ないだろうっ!?』
「どうだか……」

 言い訳する男って情けないですねー、と辛辣な言葉を吐くと、ハーンは尻尾を項垂れながら落ち込んだ。目の前に穴があったら、きっと全力で飛び込むだろう。それほどに恥ずかしそうに俯いている。

「エビルちゃん、ハーンちゃん、何してるの……?」

 開いた扉から唐突に出てきたのだ。
 アルスはびっくりだ。しかも、出てきたと思ったら今まで自分たちが何をしていたのかを暴露し始める始末。どう対処すればいいのかアルスにはわからなかったので、ありきたりな言葉を投げるしかなかった。

「あ、はい。良い雰囲気だからハラハラドキドキしながら覗いていたわけではありませんよ? ほら、ハーン。戻りますよ」
『わかった』

 言うなり、二人はキャンプの中へと戻ると、携帯用布団の中へと身体を埋めていく。
 静寂。
 騒がれ、退かれ、眠りこまれる。アルスはどうすればいいのかわからない。
 そんなアルスを笑いながらコムカは見ていた。

「いつもこうなんですか?」
「あぁ、うん、あの二人はいつもあんなノリかな……で、何か言おうとしてたみたいだけど?」

 アルスは思いついたように言葉を濁し、話題を変えるために言う。
 返って来た言葉は、アルスの考えていたものの斜め上を行くものだった。 

「私も、パーティーに入れてもらえませんか?」
「……どうして?」
「少し、見てみたくなったんです。男の子のロマンというものを」
「――俺だけじゃ決められないな。二人にも聞かない……聞く必要もないみたいだ」

 キャンプの中を見ると、そこにいる一人と一匹は目を輝かせながらアルスとコムカを見ていた。反対する気は全くなさそうだ。目が合った瞬間にすぐさま布団の中へと逃げ込んだが。

「そうだね。支援職も欠けてるし、けど、本当にいいの?」

 確認するように、アルスは問う。

「下手すれば、死ぬよ? 下層部は情報が全くない場所だし、何より、生還者が一人もいない」

 ついさっき、仲間を失ったコムカ。
 そして、仲間だったものを殺したアルス。
 普通に考えてパーティーを組むなどありえない。
 できれば断ってほしい、とアルスは思う。

「それでも、いいのか?」
「構いません。少しだけ、夢を見させてよ……ください」
「そっか、それなら……」

 溜め息。
 何故かはわからないが、それなら断る理由もアルスには見つからなかった。
 実際、僧侶がいないパーティーというのは危険なのだ。【下層部】からはどんなダンジョンなのかは全く情報がない。だから、人手があるのは純粋に助かる。
 それなら、と思っていることを言うことにした。

「慣れない丁寧語は使わなくていいよ。ちょっと不自然だから」
「え?」
「語尾に無理やり『ですます』つけなくてもいいってこと。仲間になったのならね」
「……はい」
「慣れないことはするもんじゃないからさ」

 そう言って、アルスは笑い、右手を差し出す。
 コムカは少しだけ逡巡したような表情を浮かべるが、意を決したようにアルスの手を握る。
 アルスが思っていたよりも、強い力だった。
 
「じゃ、よろしく。コムちゃん」
「よろしく、アルスさん」

 こうして新たに僧侶が加わることとなった。



[19034] 9.復讐の旅路
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/06/09 12:37
 暗い、何もない空間に男女が立っていた。
 女の方は、赤色の髪が目を引き、凄絶な美を象徴しているかのようだった。
 切れ長の瞳は見るもの全てを凍てつかせるかのような冷氷の眼差し。全体的に細長いシルエット。女性でありながらも、女性特有の柔らかさ――いや、弱さを感じさせない風貌だ。藍色のクロークをアクセントに、全体的に青系統の服装を着ている。
 その中で髪が赤だというのは至極、目立つ。眼のキツさを相まってとても攻撃的に見えた。
 だが、今はその尖った印象も薄らいでいる。長い睫毛で眼を覆いながら、拳を握り締め、今にも泣き出しそうな雰囲気だ。
 男は執事服を着た可愛らしい顔立ちであり、女の従者なのか。女の背中を心配そうに見上げている。

「そう……死んだの」

 呟くように放たれたこの言葉は、異様に響いた。

「最後まで役立たずだったわね、カーネル……」

 男は思う。察するにあまりある言葉。
 女の夫であるカーネルサンダースが死んだのだ。冒険者に殺されたのだ。
 どのような気持ちなのかは考えるまでもない。表面上はポーカーフェイスを保っている女だが、男には手に取るようにわかる。
 女は悲しんでいる。
 どうやって慰めればいいのかもわからず、男は唇を噛み締めながら、己の無力さに涙しそうになるのを堪えていた。

「で、カーネルを倒したものはどこにいるのかしら?」

 唐突に、女は言った。先程まで滲みだしていた氷のように冷たい、沈んだ空気ではなく、ほのかな暖かさを感じさせる声音で。
 あまりの態度の豹変ぶりに男は少しばかり疑問に思うが、主である女へ疑念を持つなど従者である自分に許されることではない。許されることは質問の答えを返すだけだ。
 男はカーネルサンダースを屠った冒険者のことは逐一報告するように部下の魔物たちに指示していたので、迷うことなく答えた。

「凄まじい早さで中層部を駆け下りております」
「……カーネルを倒せる程度の実力があるなら、中層部くらい簡単に突破するわね」
「如何いたしましょう?」

 顎に指先を当てて淑やかに考え込む女の姿は妙に扇情的であった。
 小首を傾げながら唇を尖らせる表情は男の心を鷲掴みにする。ぐっとこらえたが。
 そして、考え込んだ末の答えは男が最もあたってほしくない答えだった。

「仮にも夫だったカーネルサンダースを殺した相手だもの。妻である私が出るべきでしょう?」

 当然のように言う女のことを男は信じられなかった。
 仮にも【中層部】の最高責任者の発する言葉とは思えなかったのだ。

「そんな! お嬢様にもしも危険なことがあれば、私は! 私は!」
「ガラク? 貴方、今、何と仰いました?」

 じろり、と女は男――ガラクを見下ろした。
 鋭い視線は今にもガラクを凍りつかせそうだ。身も凍えるような恐怖によって、実際には冷や汗が止まらないし、身体が硬直して動かない。
 それでも、従者として言わなければならないこともある。
 震える声を意識的に抑え込み、勇気を出して言葉にした。

「お嬢様にもしも危険なことがあれば、と」
「そう……」

 女は鼻を鳴らす。

「貴方は、この私が――カマール=クラウザーⅡ世たるこの私が、負けるとでも言いたいのかしら?」

 カマールは己の力に絶対の自信がある。
 これは油断でも慢心でもなく、余裕だ。負けるはずがないという圧倒的強者という自負による言葉。

「返答次第では、貴方……殺害するわよ?」

 冗談混じりに言葉を締めくくりながら、涼しげな顔立ちに浮かぶのは悪戯をしたがるニヤニヤとした歪んだ笑み。ガラクがどう答えるかを楽しんでいるのだ。

「タイクーン閣下の有する軍団の中でも、最強であらせられるお嬢様が負けるはずもありません、言いたいところなのですが――」

 ガラクもカマールが負けるはずがないと思っているのだが、どうにも今回の敵は怖い。情報が全くない。未知の敵だ。
 二人の大剣を使う男女に、ガルム、生き延びた僧侶の少女。全てが無名。無名の人間が六つ星の魔人であるカーネルサンダースを倒したという事実。
 それがガラクの心をざわめかせる原因となる。

「未知の敵にお嬢様と戦わせるなどさせれません」

 まずは情報だ。どんな敵と戦うにしても、情報があって困ると言うことはありえない。
 これだけは譲れないラインであり、例え、殺されるとしてもはっきりと言わなければならないことだった。 
 
「ガラクよ――もう一度言わせてもらうわ」

 ガラクの言を聞き、カマールは笑みを凍りつかせる。
 ひくついた唇の端っこはぎこちなく、無理やり笑みを維持させているのだとわかる。明らかに怒っている。
 しかし、怒りを面に出しきることはしない。いつもよりも少しだけ低くなった、ドスのある声で確認するだけだ。

「私が、万が一にでも、負けるとでも言いたいのかしら?」
「はい、慢心しておられては敗北するということも十分にあると思われます。何せ、相手の実力は未知数なのですから」
「はっきりと進言してくれる貴方のそういうところ、私は嫌いじゃないわよ?」

 つまり、好きでもないわけだが。

「で、貴方はどうしたいのかしら? もちろん対策はあるのよね?」
「もちろんでございます。このガラク――無駄なことは嫌いであります故」
「では、聞かせてもらおうかしら」

 面白くない対策だったらどうなるかわかっているのか、とカマールは暗に言う。
 わかっていても、よほど自信があるのか、ガラクは胸を張って淡々と対策を言う――前にカマールに確認すべきことを尋ねる。

「まずお聞きしたいのですが、【中層部】の権限は全てクラウザーお嬢様に移譲されておられるのですね?」
「えぇ、タイクーン様から全権を渡されているわ。【下層部】はあの忌々しいクソ野郎だけれどね」
「なれば、こういう策は如何でしょうか?」

 忌々しげに呪詛を吐く美女を無視して、美しい執事は朗々とした声で、何かを読み上げるように声を出す。

「【中層部】の全魔物を全てゲート前へと集合させ、圧倒的な数の暴力によって踏み荒らす。仮に全魔物を屠られたとしても体力の消耗は免れません。作戦名【オーバーラン】――ダンジョンで組織的に襲われたことのある冒険者などいないでしょうし、間違いなく勝利できるでしょう」
「ふうん、なかなか面白いわね。単純で、派手で、申し分ないわ。けどね、一つだけ問題があるの」
「何でしょうか?」
「作戦名がダサイわ」
「善処いたします……」
「いいえ、善処なんてしなくていいわ。作戦名は暫定的に【オーバーラン】で構わない。だから、早く憎き敵を葬りなさい」

 くすくす、とカマールは笑う。
 実に爽快で、面白そうな勝負になりそうだ。配下の命を存分に散らしながら突き進み、最後に倒れる冒険者。
 考えただけでゾクゾクする。
 カマールはこういう派手なことが大好きなのだった。

「早ければ早いほど素晴らしいわよ?」
「ハッ、かしこまりました。このガラク――命に代えてもっ!」
「命に代える必要はないわ。死にそうになったら逃げなさい」

 ガラクは自分の失態に気付く。
 そもそもこの戦いはカーネルサンダースの弔い合戦だ。弔い合戦で自分が死んだのなら意味がない。
 死ぬことは許されない。

「戦って死ぬなんて馬鹿のすることよ」
「はい、わかりました」
「それと――念の為にこれを渡しておくわ」

 クロークの内ポケットからカマールは何かを取り出したものは巻物だった。
 巻物――要するに文字を書き込むためのもの。これでどうしろと言うのだ、とガラクは思うが、カマールの説明を待つことにする。内心ドキドキだ。

「最近のことだけれどね。アイテム研究委員会の【風来】って会社があるでしょう? ほら、チュンって人が社長のやつよ」
「あー、ありますね」

 ダンジョン生成会社の屈指の実力者――チュン=ソフト。
 魔界では常に最先端のダンジョンモデルを作成し、斬新な発想はダンジョンマニアたちを唸らせるもの。
 もっと難しく、もっと厳しく、もっと険しく、がモットーであり、少しでも生ぬるいものを作るとユーザーに叩かれることで有名だ。
 そこはダンジョン作成と同時に、冒険者たちに与える財宝の開発も行っている。その新商品なのだろうか。

「で、【風来】が新しく開発した――試作中のものなんだけれどね。【困ったときの巻物】と【リレミトの巻物】よ」
「名前からして怪しげですね」
「そうね。【困ったときの巻物】は困った状況を打破してくれるそうよ。【リレミトの巻物】はダンジョンから脱出できるようになっているみたい」
「【リレミトの巻物】のほうはわかりましたが、【困ったときの巻物】のほうがわかりません」
「とりあえず困った状況になれば使えばいいのではなくて?」

 使うことはなさそうだ、とガラクは思う。決して言わないが。
 ボリュームのある胸を偉そうに突き出しながら、上機嫌に話すカマールに水を差すような趣味はガラクにはない。愛するお嬢様には常に笑っていてほしいのだ。けど、たまには罵ってほしいときもある。男心は複雑だ。
 そんなことを考えている間にもカマールの自慢は続いていた。

「私は株主だからね。それを強制的に徴収したってわけ。いわゆる職権濫用ね。後悔も反省もしていないわ」
「さすがはお嬢様。そこに痺れも憧れもしますが、ほどほどにしてください。きっとチュン社長は泣いておられるでしょう」
「そうね。奇怪な叫び声を上げて叫んでいたわ。どうでもいいけど……」

 心底どうでもいいように吐き捨てる。
 さすがのガラクもチュン社長に同情した。かといって何かしてあげるわけでもないが。

「じゃあ、頑張ってきなさい。命は大切に、ね」
「はい、ほどほどに命を振り絞ってきます」

 何もない空間だったのに、突如として扉が現れる。
 空間を出入りするための出入り口のようなものだ。空間の所有者であるカマールが望めばいつでもどこでも現れるという便利なもの。
 これもチュン=ソフトが開発した【聖域の巻物】というものの効果だ。

「では、行ってきます」

 そして、ガラクは決意を胸に扉を開け放って外へと出る。
 まずは魔物の統一からだな、と思うと少しだけげんなりするガラクであった。
 




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 デュラハンを撃破した後、アルス一行は何の弊害もなくダンジョンを踏破していった。
 ゾンビが多そうな沼地も、食人植物が擬態するのにちょうどいい森の中も、どの場所でも魔物は一切出てこなかったことにアルスは違和感を覚える。
 おかしい。おかしすぎる。望んでもいなかったのにモンスターハウスに飛びこまされたり、【中層部】に至っては強敵と戦わされている。それでもなお、魔物はまだまだいるはずだ。それなのに出てこないなんて辻褄が合わない。

(俺たちが強いから魔物が出てこない?)

 それはない、と断ずる。食人植物の知能のあるなしをアルスは知らないが、ゾンビに知能はない。死への恐れもない。既に死んでいるのだから。だから、ゾンビが出てこないという時点でおかしい。
 では、何が原因なのか。それがどうにもわからない。
 エビルデインもアルスと同じく感じているのだろう。きょろきょろと周囲を見回しては警戒するような仕草を見せている。コムカはアルスとエビルデインに挟まれるような形をとり、過緊張気味に武器である【癒しの杖】を抱きしめている。
 みんな感じているのだ。現状のおかしさを。
 とうとう耐えきれなくなったようにエビルデインが口を開く。
 
「ハーン、何かわかりませんか? 魔物がいなさすぎます」
『ふむ……おそらくだが、魔物が全員下のほうへと移動したんだろう。ついさっきまでここらに生息していた臭いが漂っている』

 ふんふんと空気中に漂う臭いを嗅いでハーンは断ずる。
 反するようにアルスは声を上げる。

「魔物が全員移動? どうなっているんだろう……そんなの見たことも聞いたこともないぞ」
「――待ち伏せ、なのかな」
「まさか、それはないよ。魔物が組織的行動をとるなんて有り得ない。それこそ、魔物を統べることができる高位の魔人がいないと……」

 あっ、と思いついたようにアルスはしたり顔になる。
 エビルデインもコムカもハーンも気づいている。そう――倒したデュラハンは言語を操る高位の魔人だった。その中でも、エビルデインとハーンだけが知っている。デュラハン――カーネルサンダースが皇子の近衛騎士である肩書きということを。地位としてはかなり上の方だ。そんな奴がいるのだから他にいてもおかしくないだろう、とは思う。
 だが、アルスはそんなことを考えたくはないようで――

「……魔人が【中層部】にいるなんて本来は異常なんだ。最深部のダンジョンにあるクリスタルを守護するように一人だけ魔人がいる、ってのが普通なんだよ」
「普通じゃないってことなんじゃないですか?」
『本来は異常なんだろう? 【中層部】に魔人がいるっていうのは。ならばもう異常なダンジョンってことだろう』

 そう、既に異常なのだ。
 ハーンの言葉通りに、異常なのだ。
 アルスも薄々とは感じていた。これまでのダンジョンとは違う、と。
 落とし穴からモンスターハウスという致死性の高い連携に、【中層部】に入った途端に魔人が出てくるというダンジョン。この時点で十分に異常なのに、【下層部】から帰還できた冒険者がいないということも拍車をかける。
 もしかしたら――魔物が組織的に行動しているのかもしれない。待ち伏せをしているのかもしれない。
 そんな選択肢を持っていてもおかしくはない。それならこのまま進むのは危険ということ。帰還する、という行動が脳裏に過ぎる。コムカの言葉で帰還するという行動は脳裏から消え去ることになるのだが。

「――いけます! みんな強いんだから!」

 両拳を胸の前でぶんぶんと振り、コムカは強い口調で言い切った。
 そのときに杖の先端がエビルデインの頭に直撃したのは御愛嬌だ。恨めしそうにコムカのことを見ているが、コムカは気づかない。

「確かに――余程の敵が出てこない限り負けることはないと思いますけどね。魔人なんて私にかかれば一捻りですよ」
『俺の役目も残しておいてくれよ』

 お互いに笑みを含みながら言う。
 アルスは思いだす。
 そうだ、今は一人ではない。仲間がいるのだ、と。
 不思議と力が湧いてくる。ふつふつと気力が湧き出てくる。今なら何でもできそうだ、という根拠のない万能感。今はこの感情に委ねていたい――そんなことをアルスは考えた。
 そうして、アルス一行は階段の前へと辿りつく。

「で、次が十階になるわけですけど……本当に魔物出てきませんね。ひょっとするとひょっとするかもしれません」
「ここまで来ると……確かにそう考えるしかないな」
「で、どうしますか? 直進しますか? 立ち止まって対策を考えますか?」
「そうだね……突き進もう。退いて得るものもないしね」

 このパーティならいける。アルスはそう思った。
 だから、進む。それだけだ。

「敵を蹴散らせばすむことですしね」
『わかりやすくていいな』
「私は後ろでみんなの支援を担当するよ。回復は任せて」
「頼りにしてるよ」

 お互いに手を叩き、やる気を上げる。
 今から戦いだ。挑む戦は実に不利なものだ。
 地の利は魔物にある。数の利は魔物にある。致命的な差だ。
 それでも、不思議と負ける気はしなかった。

「じゃ、行きますか」

 無茶な戦いだとはわかっている。
 それでも、軽い口調で、どこかへ出かけるように、何気ない一言で戦いは開始される。
 返事はとても元気なものだった。






 ◇◆◇






【中層部】の最深部に飛び込んできた冒険者たちを前にして魔物たちは既にやる気を失っていた。前線で踏ん張る魔物たちが僅か4人の冒険者に屠られているのであるから当然とも言えよう。
 前衛には大太刀を持つ少女がおり、魔物たちのど真ん中を直進しながら切り開き、魔物のガルムは少女をフォローするかのように背後から迫り来る魔物を食い殺している。そして、グレートソードを持つ青年は僧侶の少女を護衛するかのように動いていて、僧侶の少女は聖なる加護を仲間にどんどん付与していく。
 ガラクは思う。正直手がつけられない。これならカーネルサンダースが倒されたのも納得だ、と。
 実にバランスの取れたパーティのように――いや、個々の能力が突出したパーティだ。単体で強いものたちが気ままに動き、それが見事に噛み合っているような――そんな印象を受ける。
 対処策は浮かばない。要するに、このまま魔物を押し付けての消耗戦しかないのだ。

「前進だ! 前進あるのみです! 退くな! 決して退いてはなりません! お嬢様のために命を捨てる覚悟で臨め!」

 華美に装飾された指揮官専用の剣である【タクトソード】を掲げ、ガラクは絶大な声量を持って命令する。
 ガラクのやる気が存分に込められた叫びに対するは酷くやる気のない返答ばかりだった。

『えー、めんどくせぇ』
『死にたくねぇよなぁ?』
『ってか、なんで戦わなきゃいけねーの。ラブアンドピースでよくね?』
『言えてるぅ』

 協調性の欠片もない言葉に落胆するが、それでもこれが今ある戦力なのだ。大事にせねばなるまい。
 確かに無駄に散る命になりたくないこともガラクにはわかる。魔物たちは絶対に勝てない冒険者に挑む義務はないのだ。だからこそ、動くための明確な理由が必要となる。
 魔物に欲しいものなんてあるのか――とガラクは見回した。
 豚に服を着させたような魔物に、小さなドラゴン、そして羽を生やした悪魔、矢筒を搭載した乗り物を駆る小人――いろいろいる。共通の欲しいものなど浮かばない。彼らには出世欲もなく、金銭欲もない。こんなダンジョンで地位や金があっても使い道がないからだ。彼らは死ぬまで外を拝むことはない。いや、死んでも外を拝むことはない。ここしか知らずに死んでいく。
 だから、本気で何が欲しいのかわからない。曖昧な言葉で濁すしかないのだ。

「……敵の首を討ち取ったものには望みのものを与えましょう」

 これに対しての返答も実に気だるげだ。そんな言葉には騙されないよ、という賢しらな態度――というわけでもない。漠然としすぎて実際それって何もらえるの? といった感じだ。

『望みってなんだよ。具体的に言えよ』
『上限言われないとなぁ。ってか、欲しいものねーよ。命があればいい』
『あひゃっ、あひゃっ、あひゃっ』

 一部言葉の体を為していないものがあるが、概ねこんなものだ。
 どうすればいい、どうしたらいい、むしろどうしよう、ガラクは思うが、啓示が突如舞い降りた。そうだ、今ここにいる奴らはほとんど雄なんだ、と。ちなみに雌はほとんど参加していない。
 だからこそ、提案する。

「こんなのはどうでしょうか。貴方たちは未婚が多いですよね。美しい結婚相手を見繕って差し上げます」
『よし、やるか』
『決めるぜ』
『今日から頑張る』

 一瞬たりとも逡巡はなく、やる気を見せる部下たちにタメ息が出る。こんなものか、と。だが、やる気を出してくれたのなら構わない。命を見事に散らしてもらおう。
 さぁ、戦争の始まりだ。

「……行きましょう」
『『『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!!』』』

 戦鼓は高々と鳴り響く。
 千を越える魔物たちの軍勢はいよいよ本気を出し始めた。
 





 ◇◆◇






 鬱蒼と茂る豚の魔物であるデブートンの群れと、大型の爬虫類のようなドラゴンの群れ、そして、悪魔に属する魔物のインプに木製の小型戦車に乗った小人たちという実に凶悪な集団に囲われて、コムカは半泣きだった。
 見渡す限り魔物。隙間などない。敷き詰めたようにぎっしりと溢れる魔物のオンパレード。見ただけで神経がやられそうだし、あまりの汗臭さに死にたくなる。特殊な芳香は死すら容認するとコムカは悟った。

「帰りたい帰りたい帰りたい」
「気が滅入るから言わないでくれ」

 ホームシックにかかったコムカを護衛しながらアルスは立ち回っている。汗飛沫と血栓をグレートソードから垂れ流しながらツッコむ姿は息苦しそうだ。肩で息をしながらも、息を極力しないように努力している様子はなかなかに厳しい。
 そんな中、元気そうに最前線で魔物を狩り殺すエビルデインとハーンがいた。
 一息の間にデブートンを細切れにする瞬発力を持って、周囲の魔物を即座に寸断していく豪快な太刀筋はダンジョンに入った当初から洗練されていく。その切り口はアルスの太刀筋とよく似ており、アルスの剣技を学んだものなのだろう。魔物の攻撃を皮一枚でかわし、いなす様は熟練の技巧を窺わせる。実際は剣を持って二日と経たない初心者ではあるが、実に堂に入っていた。
 今もまた袈裟切りからなぎ払いへと繋げるドラゴンの身体を切断し、命を奪い取る。
 返り血を存分に浴びた少女は狂騒の笑みを浮かべ、狂乱の極致へと達している。とても楽しげに殺生という行為を行っていた。

「この魔物死ぬときにピギィって泣くんですよ。ピギィって!」
『そうか。良かったな』
「えへへ」

 唇にかかった血液を舌で舐め取り、唇を歪めるだけで笑む。
 足に力を込めて、瞬時に解放。撃ち放たれた矢の如く、最高速度で突進し、今まさに矢を放たんとする小人の首を刈り取った。代償は敵陣の奥深くに位置してしまうということ。だが、問題なさげに【斬魔刀】で全ての敵を切り払っていく。
 対する魔物も怯え始め、嘲りの声とともに凶刃を放つエビルデインからいそいそと遠のいていく。
 
「エビルデインさんはなんであんなにテンション高いのかなぁ?」
「わからない。俺が知りたい。こんな臭いところでは息をするのも辛い」

 後ろのほうであぶれた魔物からコムカを守るだけのアルスは鼻をつまむ。コムカも同様だ。一通りの支援魔法をかけてすることがないのだ。見るからにパーティ全員がダメージを受けていないのだから、正直することがない。後ろからのんびりと観戦するだけだ

「なんだか二人とも辛そうですね。体調不良ですか?」

 その二人を遠巻きに見て、エビルデインは心配げに叫ぶ。

「違うよ! 臭いんだよ、ここ!」
「臭いなぁ。本当にキツイ」
「そうですか? いまいちわからないですね」
『血の臭いと混じり合って香しいくらいだがな』
「ですよねー」

 エビルデインとハーンは魔物を存分に屠りながら深呼吸をする。本当に臭さを感じていないようで、こいつらの鼻はどうなっているのだと二人は思う。そんなことを議論しても意味がないし、集中力が殺がれるので決して言わないが。
 今アルスがすべきことはコムカの護衛である。
 最初の取り決めでエビルデインとハーンが敵陣で大暴れし、それをアルスとコムカが支援するという作戦に決定していた。
 その決定を覆すかのごとく、エビルデインは一足飛びで離れた距離を跳躍し、アルスの隣に重さを感じさせない身のこなしで着地する。
 意味がわからず、何をしたいんだ、とアルスが問いかける間もなく、エビルデインは言う。
 
「にしても、面倒くさいですね。魔法使います。時間稼いでください」
『オッケー』
「魔法使えたの!?」

 唐突な発言に、唐突なツッコミ。何も考えていない本音だった。
 エビルデインが魔法を使えるなんて聞いていない。現に、アルスの前では一度も使っていないではないかとは思うが、エビルデインは不思議そうにアルスを上目遣いで見上げるだけだ。

「使えないなんて言った覚えはありませんが……」

 確かにそんなことをアルスは聞いた覚えはない。釈然とした納得できない複雑な感情を抑えながら、無理やりにそう思い込む。確かに言ってないのだ。エビルデインは。
 正直なところ、使えるなら使っとけよ、というところである。言わないが。
 アルスの心境を無視して、エビルデインはコムカの隣で詠唱を始める。
 内に秘められた魔力が噴出すように現れ、エビルデインの周囲に展開される。黒ずんだ瘴気混じりの魔力。純正の黒魔法使いですら生み出せないような混じり気のない漆黒だった。

「では、護衛お願いします」

 エビルデインは決して黒魔法使いではないように思える。それなのに、漆黒の色を操るなど――いろいろと謎に包まれた女の子だな、とアルスは思う。いわゆる天才というものなのだろうか。
 前衛がハーンのみに減ったことにより、アルスにも大量の魔物がなだれこんできたので考え事は一時中断し、グレートソードを振るうことに専念する。今すべきことは戦うこと。守ること。
 全身に力を漲らせ、パンパンに膨れ上がった二の腕から生み出される膨大な膂力によって魔物を断絶していった。
 一度の斬撃で吹き飛ぶ死骸は六体を越える。縦横無尽の殺人剣。その姿は鬼神の如く、仲間を背に守る姿は不退転の覚悟を見せ付ける。そこに魔物が十匹以上襲い掛かり、さすがのアルスも苦戦をするか、と思いきや、そんなことはなかった。

『喰らえ、【燃え盛る吐息】ッッ!!』

 アルスを守るかのように枝分かれした灼熱の業火により、ドラゴンを除いた魔物は焼き払われる。残ったドラゴンは龍鱗のおかげで炎のダメージはほとんど受けなかったが、来るグレートソードの洗礼により両断されることとなる。

「たゆとう光よ、見えざる鎧となりて、小さき命を守れ……! 【聖鎧】!」

 コムカが手を組み、祈るように懺悔をすると、パーティー全員に眩く光る白衣が浮かび上がる。
 白系統上級魔法に属する【聖鎧】。全ての物理ダメージを軽減する重さ無き鎧だ。パーティー全員に一度にかけられる僧侶はなかなかいない。

「こりゃいいな」
『うむ。もう一枚毛皮を着込んだような感じだ』

 重ねられた防壁により、今にも敵陣に突撃しようとするハーンとアルス。だが、それは遮られることとなる。

「極光よ、血塗られた不浄の大気を、立ち塞がる全ての愚か者どもの元へと還せ……いきますよ、退いてください」

 エビルデインの掌に浮かぶ漆黒の玉。
 今にも破裂しそうなほどに圧縮されたそれは見るもの全ての背筋を凍らせるほどの圧力を持つ。アルスとハーンは見ただけで全てを理解し、瞬時に散開した。その隙間を狙って、エビルデインは破壊の権化を解き放つ。

「【落日】」

 それは真横に落ちる落雷だった。
 漆黒に彩られた落雷は本来の属性ではなく、邪悪な力を内容した禍々しいもの。
 浄化をするのではなく、穢す。まさに黒魔法というに相応しい存在。
 【落日】――今は亡き奇人によって生み出された穢された神の裁きである。全てを消滅する圧倒的な暴力に耐えられるものはおらず、洗礼を受けたものたちは全て天寿を全うすることなくこの世を去ることになる。
 生き延びれたものは幸運にもエビルデビンの放った射程圏外から外れたもの。
 
「すごいっ!!」
『相変わらずの威力だな』
「闇の極光……? そんなものを使える人間はいないはず――使える魔人はいたが……」

 感嘆する二人とは違い、アルスだけが疑問に思う。こんな瘴気混じりの魔法を使える人間がいるはずがない。
 だが、エビルデインはどこをどう見ても人間だ。
 エビルデインを見ているアルスに対し、小首をかしげる様はどう見ても無垢な少女にしか見えない。いや、無垢な少女は顔に返り血を浴びたりしないか……。

「どうしたんですか、アルス。道は開かれました。突破しましょう」
「あ、あぁ、そうだな」

 邪気すら感じさせることなく、のんびりとした口調と朗らかな笑みで、てくてくと歩き出すエビルデイン。
 どうしても疑うことはできなかった。

(気のせいか)

 そうであって欲しい、という願望もある。初めてできた仲間を疑いたくはなかったし、確証もないのだ。
 今はただ信じるしかない。
 一直線に放たれた【落日】による落雷のおかげで道は開かれ、そこを覆うように魔物たちは立ち尽くしていた。完全に怯え切り、アルス一行に挑戦する気概のあるものたちはもういない。
 そう思われたが、しかし、そんなことはなかった。

「ここから先に行かせるわけにもいかないのですっ!」

 大人になりきれていないソプラノの声とともに現れたのは執事服を纏う小柄な少年。
 手には貴族が好んで持つ華美な装飾が為された儀礼剣【タクトソード】を持つ普通の人間――のように思われたが、細部を見るといろいろと人間ではない部分があった。
 尖った耳と、黒ずんだ肌。そして、風貌に似合わない見識のある眼差し。何よりも、人間にしては美しすぎた。
 彼の種族はハーフエルフ――いや、正しくはダークエルフと言うべきか。人間とエルフの混血児にして、エルフという閉鎖された部族の中では異端視される誰にも祝福されない哀れな種族。
 ダンジョンにいるなど初めて見た、とアルスは半ば放心する。ここは初めてだらけだ。

「誰?」
「知らないです」
『小物臭が漂うな』
「初対面の相手にあんまりじゃないか」

 格好良い登場だったわりには散々に言われる彼は薄幸の美少年でしかない。

「うるさいうるさいうるさいっ! 僕の計画は完璧でした。失敗はあり得ないのですっ! 魔物はまだまだいます」

 薄幸の美少年であるダークエルフ――ガラクはとても悲しげにした後、怒りに頬を朱に染めた。可愛さ倍増だ。ぷんぷん、と怒ってますと言わんばかりに頬を膨らませるのはお姉さんにはたまらないものだろう。幸いここにはそういう趣味の人がいなかったおかげで貞操は守れたが。

『やる気しねぇよ』
『だりぃ、帰ろうぜ』
『あんな規格外の相手と戦うなんて聞いてねーよ』
『帰ろう帰ろう』

 魔物はまだまだいるのはいいが、みんながみんな帰り支度を始めている。
 闘志などもう存在しなかった。そんなものはなかったのだ。
 離脱して行く部下たちを見て、ガラクは沈黙し、目から汗を流した。決して涙ではないのだ。

『みんなやる気なさそうだが?』

 そんな彼にハーンは追い討ちをかける。汗の量が劇的に増した。
 ついに彼はキレた。ガラクは神経がぷっつんいったのだ。

「……帰ってもいいですけど、どうなるかはわかりますよね」

 雰囲気が変わる。
 お茶目な雰囲気から、いきなり戦うものの闘志漲る姿になる。
 魔物たちも空気を読んだのか、このままではやばいと足を止める。

「我が命尽きるまで、力を貸し与えましょう。だから、貴方達も死ぬ気で戦いなさい」

 覇気の漲るその姿は先ほどまでの哀れな少年とは思えぬほど。
 【タクトソード】を掲げ、反抗することを許さぬ圧力を内包した言葉に抗えるものなどおらず、渋々と戦禍へと身を戻す。

「吹き荒れる怒りの加護を知れッ! 【踏み荒らし(オーバーラン)】ッッ!!」

 上空から緑色の加護が舞い降りる。
 支援系統最上級魔法――【踏み荒らし(オーバーラン)】。仲間の膂力を爆発的に伸ばす禁忌の魔法だ。使用者も被使用者も等しく命を削るという諸刃の剣。まさに命を懸けなければならないものだ。
 脂汗を流れる。袖でふき取り、ガラクはアルス一行を見据えた。
 アルス一行も身構える。

「本当の勝負はこれからだっ!」

 戦いは始まったばかり。
 魔物たちとアルスたちによる争いが幕を開けた。



[19034] 10.裏ボス降臨
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/06/09 14:26
 仲間を鼓舞するかのように、口を歪めるだけの好戦的な笑みを浮かべた。 
 八方塞がり――それがどうしたというのか。このダンジョンに入ってからというもの、とことんついていないのだ。モンスターハウスに落されたり、リビングデッドになった同胞を倒したり、本当にろくでもない。そこに一つ追加されただけだ。組織的に操られた大勢の魔物に囲まれる。大したことはない。どうにでもなる。

「ハーン、こういう場合はどうしましょうか」
『逃げるのがベストだな。まぁ、囲まれていて逃げる場所もないが』
「困りましたね。戦うしかないんですか」
「戦うしかないよ! 私も頑張りますっ!」
『応援する。頑張れ』
「頑張って下さい」
「えー!? 投げやりすぎる!」

 いつものまったりとしたペースを崩さないエビルデインとハーンがいる。
 コムカも弄られてはいるが、やる気を見せている。
 アルスもやる気を出さないわけにはいかなかった。
 たとえ、【踏み荒らし(オーバーラン)】によって三回りほど筋肉が膨張した魔物たちに囲まれていたとしても、退くわけにはいかないのだ。

「行くのです、下僕たちっ!」

 ソプラノが引き金となり、大勢の魔物たちが戦火の中へと飛び込んだ。
 横薙ぎにされる両手剣、頸椎へと食い込む鋭い牙、振り下ろされる大太刀、覆い囲む鮮烈な白光――それらの応酬により、魔物たちはどんどんと死に果てて行く。
 死に絶えた遺物は地面へと飛び散り、踏み込む巨躯によって引き千切られる。幾重にも積み重なり、死は死を生む。
 生み出すのはわずか三人と一匹の脆弱なパーティー。
 軍と称しても良いほどの魔物たち――更には自殺覚悟の強化魔法をかけられた魔物たちを引き裂いていく強靭な連なり。強力無比、伝説に名を残す可能性のある素材、勇者の卵――不吉な言葉がガラクの脳裏を過ぎる。
 ハーンの口から吐き出される【燃え盛る吐息】で死んでいくデブートンが消し炭になる姿を見て思う。アルスやエビルデインの振り放つ残光をによって両断されていくドラゴンを見て思う。アルスたちを癒す聖なる光を生みだすコムカを見て思う。
 ――勝ち目はあるのか? と。

(考えるな。思考を止めろ。お嬢様のために戦うことこそ僕の本懐。つまり、この者たちを殺すことが僕の役目――)

 役目を全うすることができそうにない、と冷静な頭が答えを弾きだす。
 このままいけば体力の消費くらいはさせられるだろう。もともとは千を超える魔物たちだったが、今は半分以下になった。それでも、まだまだいる。
 勝てる、そう思えない。きっと、負ける。それでも退くわけにはいかない。
 筋力増強を施した魔物たちを持ってしても勝てない。士気は最悪。指揮官が安全圏で指示をしているだけなのだ。やる気が出るはずもない。
 カマールならどうするか――ガラクは考える。
 答えは簡単に出た。

「僕に敗北は許されないのですっ!」

 カマールならば常に最前線で仲間を鼓舞する。それこそが将の務めだと笑いながら。
 なればこそ、ガラクも最前線で仲間とともに戦うしかない。
 魔物たちを押しのけて、【タクトソード】を携えて、ガラクも敵へと斬りかかる。
 受けて立ったのはエビルデインだった。
 振り下ろされた小振りの剣を軽やかに受け流し、体勢を崩したガラクの腹へと蹴足を撃ち込む。
 完全に鳩尾を捕えたそれは容易く身体の自由を奪い、呼吸する権利すら剥ぎ取った。冷静さを失った無謀な特攻が巻き起こした無駄な攻め。
 ガラクは思う。終わった、と。
 目の前には【斬魔刀】で突きを放たんと、思い切り肩を捻じらせて力を溜め込むエビルデイン。

「意味のわからない攻めですね? まぁ、いいですけど」

 穿突の閃きは本来なら垣間見ることすら許されない稲光の如き速度。
 それが今、ゆっくりと見える。軌跡が全て確認できる。
 だからこそ、わかる。避けることができないのだ、と。

(あぁ、死ぬのですか)

 【斬魔刀】が己が身体を貫こうとする直前、ガラクは夢を見た。
 どうしようもなかった自分を助けてくれた救世主の姿を――。
 




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 ラシュアン村。
 デコワシティからは遥か東に位置する、崖が近く、森に覆われたそこはエルフの隠れ里だ。外界から隔絶されたそこはエルフという一族のみで構成されている。
 エルフとは木造の小さな家で各々が暮らし、大地の恵みである野菜や果物、弓などで仕留めた小動物の肉などを主食とする昔ながらの文化を保つ閉鎖的な部族だ。
 そんな中、一際大きな屋敷があった。ラシュアン村の村長の家である。
 家の前では家主の子孫である筋骨隆々の男と、痩せぎすの男がいた。
 エルフは皆美形、という固定概念のようなものが一般では存在しているが、現実ではそうではない。だいたいが美形の部類に入りはするが、この二人はどちらも決して美しいとは言えない容貌だった。
 筋骨隆々の男は四角面であり、痩せぎすの男はエラが張っている。ともに底意地の悪さが前面に押し出しているかのように笑い方が醜悪である。色男ではないことは断言できよう。

「ったくよぉ。また通り魔が出たらしいぜ? 許せねぇよっ! 俺の前に出てきたら叩き斬ってやるのによぉ!」

 苛立ちとともに筋骨隆々の男が屋敷の外で酒樽を担いで歩いている少年を片手で押し倒した。
 そして、腰に挿している大振りの剣を振りかぶり、一閃。木が砕ける軽快な音とともに、中一杯に詰まった酒は飛び散り、地面が全て飲み干した。
 その様を呆れたように痩せぎすの男は見ていた。
 少年が酒を運んでいるんは仕事だからいつものことであり、苛立つたびに筋骨隆々の男が一刀両断するのも、これまたいつものことだ。
 いつものことはいつも通りに処理せねばならない。少年には涙を飲んで我慢してもらおう、と下種めいた思考を展開する。
 それを察したのか、這いつくばりながら助けを希うかのように眼を潤ませながら自分を見上げてくる少年と目が合う。至極、嗜虐心を湧き立たせる表情だ。いつも通り処理しよう、と思わせるには十二分である。

「あ~、兄さん――また酒樽割っちゃって……まぁ、ガラクのせいにすればいいか」

 ひっ、と掠れた声で喘ぐのはガラクと呼ばれた少年だ。
 地面の土を指先で穿ち、来るべき苦痛への恐怖を霧散させようとする。消え去りはしないが。
 その姿を十二分に堪能した痩せぎすの男は悪趣味な笑みをこぼして、息を思いっきり吸い込む。

「あ~! ガラクがまた酒樽を落として台無しにしたよぉ!」
「何ィィっ!? ガラク! お前は何個酒樽を台無しにすれば気がすむんだよ!」

 声とともに屋敷の扉は盛大に開け放たれた。
 出てきたのは筋骨隆々の男よりも尚、大きな壮年の男。立派な髭を生やした屋敷の主だ。村長でもある。
 怒りに染まった顔は悪鬼の如く引き攣っており、殺気混じりの視線は遠慮なくガラクへと突きささる。
 足を一歩一歩踏みしめるたびに地響きが鳴るかのようだ。歩みが遅く、そのせいでガラクの恐怖心は煽られる。

「あ、あぁぁぁ、違います。違います、旦那様」
「何が違うってんだよ! 嘘をつくことも覚えたのかこのクソ餓鬼!」

 恐怖に打ち勝つことなどできず、ガラクは必死に弁明しようとするが、聞く耳など持ってもらえるはずもなく、天から降って来たかのような激烈な拳骨で口を塞ぐことを余儀なくされた。
 頬を思いっきり引っぱたかれ、顔面に掌を打ちすえられ、小柄なガラクは簡単に膝をつく。そこへと襲いかかる凶悪な爪先はガラクの横腹に突き刺さり、苦痛のあまりに叫ぶことすらできず、のた打ち回る。
 気に入らないのか。のたうち回り続けるガラクへと村長は執拗に蹴り足を向ける。
 何かが砕ける音がした。
 瞬間、元気に転がっていたガラクは急速に生命力を失い、目から光が失われていく。
 気絶したのだ。

「父さん、それ以上殴ったらガラクが死んじゃうよ。そこまでにしてあげなよ」

 それでも攻撃を止めようとはしない村長を痩せぎすの男は慌てて止める。
 いくらなんでもやりすぎだ。濡れ衣で死ぬのはあまりにしのびない――などと殊勝なことを思ったわけでは当然なく、死んだら遊び相手と仕事をする奉公人がいなくなるという至極現実的な理由で、だ。

「相変わらずお前は優しいなぁ。おら! ガラク、見習えよっ!」

 最後に思い切り腹を踏みつけて、村長は肩を怒らせながら屋敷へと戻った。
 そのショックのせいでガラクは意識が戻り、何度も何度も咳をする。吐き出された血の混じる唾液が痛々しい。
 それでも、同情してもらえるはずはなく――
 
「コイツの母親も面倒なモノ置いていきやがったぜ。邪魔で仕方ねぇ」

 筋骨隆々の男は背を曲げて座り込むガラクを片手で持ち上げて、無理やり立たせる。
 モノを扱うようなぞんざいな扱い。産まれたての鹿でももう少し力があるというほどに震える少年にやっていい仕打ちではない。
 だが、これはいつものこと。
 筋骨隆々の男は手を放し、膝が折れようとするガラクを腰のモノで脅しつける。
 身体が鉛のように重く、力が入らない。
 それでも殺されるよりはマシだ、とガラクは精いっぱい足に全てを込める。
 返事はできず、口を開けようとしても出てくるのは吐息だけ。
 壊れた人形のように、不器用に立ちながら返事をしようともがく姿は哀れだった。

「おい、ガラク! ちゃんと酒樽全部運んでおけよ!」

 二人は立ち去り、仕事だけが残る。
 理不尽だ、と思う。やってられるか、と思う。
 だが、サボったら余計痛い目を見る。痛いのは嫌だ。死ぬのは怖い。生きていたい。

「う、うぅぅ、くそっ、くそっ――くそぉ……」

 せめてもの反抗は、誰にも聞こえない悪態だけ。
 酷く――惨めで、涙をこらえることすらできなくて、ガラクはただただ自分が憎かった。
 弱いのが、憎い。

「力が欲しい……」

 








 目が醒めるほどの美貌を持つ女は、ほとんど全裸という格好で困惑気味に男二人と相対していた。
 男たちはラシュアン村の自警団に所属する実力者だ。犯罪を犯す村人を処罰したり、村の結界を破って侵入してくる魔物を討伐することが主な仕事となる。
 それを鑑みると――極めて不自然なことがわかる。
 女は暗く澱んだ翼を持ち、形の整ったお尻から尻尾を生やしている。間違いなくエルフではない。
 何より、血色の髪をした生物など他にはいない。
 男たちは断定する。この女は魔族だ、と。
 魔族であろう女が何のために村の中にいるかはわからないが、このまま放置して村人に被害があってはたまらない。補縛、もしくは討伐せねばならない。
 それなのに、どうだ。女は決死の覚悟で臨む男たちの前で、唇を尖らし、子供のように無邪気に笑うだけだ。

「そこをどいてくれないかしら? 先に行きたいのだけれど」

 甘い香りが鼻孔をくすぐる。
 【魅了(チャーム)】の効果であることを男二人は即座に理解した。
 腰に差していた剣を抜き放ち、攻撃する。
 だが、不思議なことに身体が動かない。動かせるのは視線だけだった。
 目線を動かして見たものは不吉の一言。怜悧な美貌と、汚物を見るかのような冷たい眼差しだった。

「自殺志願者とは、物好きね」

 女は呆れかえっているようだ。彼我の実力差も理解できないのか、と。理解できないのなら教えてやるしかない。
 翼を翻し、羽を一本引き抜いた。少し痛そうに目尻には水滴が浮かんでいる。

「【心の一方】すら破れない程度の実力で歯向かってくる貴方達にはこれ一本ずつで十分ね」

 羽を男たちの胸に軽く押しつける。
 暗色の羽が脈動し、男たちは変化に気づく。

「あ、あぁぁぁぁ――」
「やめろぉぉぉ!」

 くすくす、と女は笑う。
 羽は男たちから生命力を奪い取っているのだ。
 黒から萌黄色へと変化いていく様は美しく、色が変化していくごとに男たちは痩せ細り、最終的には枯れ木のように、養分が一切なくなった骨と皮だけが残る。
 その羽を女は飲み込み、唇を舐め取ると、骨を踏み砕き、気分が悪そうに唾を吐き捨てる。

「全く、別に貴方達に用はなかったのにね。本当に邪魔だわ……あら?」

 女は何かに気づいたように、壁から少しはみ出している人影を見た。
 一足飛びで近づき、人影を観察する。
 そこにいたのは、容貌がとても整った――しかし、全身傷だらけで重傷と呼んでも差し支えない姿の美少年であった。
 尻餅をつき、怯えるように見上げる美少年――ガラク。
 何をそこまで怯えているのか――理由は一つしかない。
 女はできるだけ優しげに見えるように微笑み、地面に膝をつき、ガラクに視線を合わせた。

「もしかして、見ちゃった?」

 慈悲すら感じられる声音は威圧の類では決してない。
 だが、涙混じりに首を全力で横に振るガラクには声など届いていないようで、化け物を見るような目で女を見ていた。とてつもなく不愉快なことである。女は怯えられることを是とするような正確ではなかった。

「助けて下さい、許して下さい……何でもしますから……」
「取って喰いはしないわよ」

 終いにはそんなことを言う始末。
 女はうんざりしたようにタメ息を漏らす。それがより一層ガラクの恐怖を掻き立てた。面倒くさっ! と女が思ったのは内緒である。
 どうしようかなぁ、と少しばかり考え込むが、妙案が浮かんだ。
 そうだ、と女は指を鳴らす。

「何でもしてくれるて言ったわよね? 私、お腹が空いているの。でね。一日中歩きっぱなしで疲れてるの。休める場所も教えてくれないかしら?」

 こくこくとガラクは何度も頷く。 

「ありがとう。助かるわ」

 紅色の唇で歪めて、女は笑い、ガラクの頭を撫でた。
 ガサガサの全く手入れされていない毛髪は触り心地が悪く、くすんだ色をしている。いろいろ厳しそうな人生を送っているのだろうなぁ、とぼんやりと思うが、女には関係ない。
 そう、関係なかったのだ。

 








 案内された場所は立派な屋敷内の隅にある古びた酒蔵だった。
 所狭しと置かれた樽からは鼻孔をくすぐる甘い香り――酒の匂いがいっぱいで、自然と女の頬も緩む。酒は大好きだ。

「へぇ、いいところじゃない。お酒もいっぱいあるし――ちょっと埃っぽいところは減点だけど、隠れ家にはちょうどいいわね。貴方が喋らないかぎりバレそうにないから」

 日の射し込まない酒蔵の中は外から見られることもなく、たやすく人に見つかることはないだろう、と女は判断する。
 それに酒があることは素晴らしいことだ。異論は認めない。
 少しだけ飲んでもいいわよね、と近くにある樽の蓋を開き、試飲する。とても美味しかった。

「おいしいわね。二日ぶりの食事だわ。生き返った気分」

 これを食事と言っていいのか、とガラクは思う。
 手に抱える果物類をどうしようか、と迷っていると女が手を伸ばして奪い取っていった。
 とても美しい女が果物に齧りつきながら酒を飲む姿はなかなかに破天荒な光景で、くすりとガラクは笑った。今日、初めての笑顔だ。

「で、貴方は何でそんな片隅でじっと三角座りしているの? 私って怖い? 容姿には自信があるのだけれど」

 笑顔にも気付かず、貪るように飲食しながら女は言う。
 いくら容姿に自信があっても気品が足りていないようで、本能に負けている姿は美とは正反対のものだった。
 酒樽を丸ごと一つと、ガラクが両手で抱えていた果物が入ったとは思えないくびれたウエストをガラクは不思議なものでも見るようにしていた。
 何より、その視線の意味は一つ。未だに信じられないのだ。
 女がたやすく人の命を奪う存在であるということを。

「何かしら? 小さな坊や」

 視線に気づき、女は問う。
 言ってもいいのかどうかガラクは迷うが、意を決するように話しかける。それだけのことなのに身体が軋むような思いがした。
 恐怖が薄れて痛覚が戻ってきたのだ。
 それでも、聞きたいことがある。意志で痛覚をねじ伏せて、口を開いた。

「お姉さんが通り魔ですか?」
「カマールでいいわよ。そうね、通り魔? あぁ、何人か殺したわね。好きでやったわけじゃないのだけれど、相手が聞く耳持たなくてね」
「聞く耳持たなくて?」
「私はラシュアンから逃げ出したいだけなの。それなのに邪魔をしてきてね。本当に困るわ」

 やれやれ、と手を仰ぐ女――カマール。うれた乳房が妖艶に揺れる。
 忘れてた、というふうにガラクは上着を脱いでカマールに手渡した。
 ありがとう、とだけ言って受取、カマールは服を着る。
 衣服を着る動作がどことなくいやらしくて――ガラクは目を逸らしながら話を続ける。言葉が途切れたら何か大事なものを失いそうだから。

「なんでエルフじゃないカマールさんがこんなところに……?」
「聞くも涙。語るも涙だわよ。昔ここら一帯は私の領土だったんだけどね。エルフたちが攻め込んで来て、私は封印されてたってわけ。かわいそうでしょ?」
「封印……?」

 なんだろうそれ、とガラクは考え込む。

「知らないの? あれれ、私の名も地に堕ちたのかなぁ。まぁ、何百年も前の話だし、知られてなくても当然かもしれないわね」
「じゃあ、お姉さんは封印されていただけなんだから悪人ではないんですか?」
「とっても悪人よ? 封印されるほどにね?」

 口の端を釣り上げるだけの好戦的な笑み。
 ガラクは徐々にカマールに心を許し、近づいて行っていたのだが、即座に反転して部屋の隅っこで三角座りをする。怯えているのだ。 
 
「あぁもう、逃げないで。隅っこでぷるぷる震えないで。襲いかかりたくなるじゃないの」

 その仕草はカマールの好きなものであり、どちらかというと美少年が好みのカマールには耐えがたいものだ。今すぐにでも筆下ろしの手伝いをしたくなるが、ぐっとこらえる。間違いなく致命的な傷ができそうだからだ。それに、無理やりは好みじゃない。
 何とか宥めすかしてガラクの隣に腰を下ろし、頭を撫でる。

「まぁ、とりあえず私は逃げ出したいだけだから、コトを起こすつもりはないわ。体力が回復するまではいさせてもらうけど、回復し次第出て行くから」

 嘘はなさそうで、ガラクは自然と信じられた。
 出て行っちゃうんだ――と少しだけ寂しく思う。そんな自分のことが不思議であった。

「貴方の平穏を乱すつもりはないから、安心してね」

 そう言って笑う姿がとても綺麗で、頬にこびりついた果物の汁なんて関係なく、美しいと思った。
 すぐに別れることになるんだ、と自分に言い聞かせ、ガラクも笑い返す。
 それが出会いだった。










「坊やは虐げられているわけ?」

 唐突に聞かれたことが理解できず、ガラクは数瞬考え込んだ。
 虐げられる、とは何だろう、と頭を使うが、どうしてもわからない。
 いつまでたっても「んー」と考え込むガラクを見て痺れを切らせたのか、ガマールは言う。

「何やら生傷が絶えないみたいたけれど……それに一日中こんな子供を働かせっ放しっておかしいじゃない? 貴方は奴隷なの?」
「村長が――あ、この屋敷の人なんですけどね。その人の姉が僕の母親で――母は僕を産んだ時に死んじゃったから、奉公人としてここで暮させて頂いてるんです」

 だから奴隷じゃないです、とガラクは言う。

「へぇ……まぁ、貴方はダークエルフだし、母親が出産時死ぬのは当然ね」
「ダークエルフ……?」
「あぁ、知らなかったの? 貴方は間違いなく人とエルフの混血児よ。なんでかは知らないけれど、産まれるときに母親を喰うらしいわ。だから、忌み児なんて言われてるわね」
「僕が殺した……?」

 母は出産のときに死んだ、とガラクは聞いている。
 喰うとはどういうことなのか。わからない。
 聞くことも躊躇われる。怖い。
 そもそも本当のことを言っているのかわからない。けれど、何故だかカマールは嘘を言わないような気がして――

「仕方ないんじゃない? 母親にしても死ぬってわかってて貴方を産んだんだし、何も問題はないわ」

 ――だから、これは本当なんだ、とすとんと胸に入り込んだ。
 そして、気づく。仮にこれが本当だとして、自分が母親を殺したのだとしても、全く悲しくないことに。それもそうだろう。会ったことすらないのだから、悲しみなどあるはずがない。そんな自分をみんなが苛めるのは当然なのだ、と理解する。
 やっとわかった。自分が嫌われている理由が。

――ダークエルフだったからなんだ。

 詳しいことはわからない。けれど、理由がわかっただけでほっとした。
 何故だか、ほっとしたのだ。

「だから、僕は殴られたりしてるんですね……」
「それは違うわよ?」

 何言ってるんだ、とけげんな表情を浮かべてカマールはガラクの頭をつつく。
 話が違うじゃないか、とガラクは思うが、カマールの言葉を聞いてみようと思ったのだ。

「もちろん、理由の一端としてダークエルフっていう異端種だからってのはあるでしょうよ。けど、一番大きいのは、貴方が弱いからよ。だいたいの生き物に共通することなんだけれどね。弱者は強者に甚振られる。だいたいにしてそういうものよ」

 確かに、とガラクは思う。
 もし自分に抵抗できるだけの力があれば、きっとここから出て行くなり、反抗するなりできたかもしれない。
 不思議だ。カマールの言葉は全てガラクの疑問を解いてくれる。道理に叶っているように思える。
 この偏った答えを正しいと思っていまうくらいに、ガラクは追い詰められていたのだ。答えが欲しかったのだ。

「僕が……弱いから……」

 胸に刻むように反芻する。

「えぇ、貴方が弱いからよ。弱いということは罪。けど、強くなることはできるわ」

 弱いことは罪なのか。弱いからダメなのか。
 強くなりたい、とガラクは願う。ここから出て行きたい、と思う。
 けど、そんなことはできない。
 ガラクは弱いのだ。

「匿ってくれたお礼よ」

 どこから取り出したのか、宙空に手を伸ばし、そこにあるのが当然のようにソレは出てきた。

「これは【タクトソード】という代物よ。貴方が心から願うことを叶えてくれる。まぁ、実現可能の簡単なことばかりだけどね。そこらのエルフくらいならこれ一本で倒せるわよ?」
「……はい」

 手渡されたのは一振りの短剣。装飾も何もされていない、けれども、確かに力の脈動を感じる魔剣。
 欲した力が不意に手に入った。
 けど、あんまり嬉しくなかった。









 

 屋敷の中の一室には老婆と筋骨隆々の男、痩せぎすの男がいた。
 ここは居間であり、雑談に興じるにはもってこいなのだ。
 物もほとんど置いておらず、あると言えば暖炉とソファ、テーブルだけ。
 窓から降り注ぐ日光だけで十分に暖かく、ソファに身体を埋めながら浴びるそれは子守唄よりも眠りを誘う。

「最近、通り魔が出ないらしいね」

 眠気に負けそうになっている筋骨隆々の男が目を覚ましたのはこの言葉がきっかけだ。
 痩せぎすの男が何気なしに言った言葉。特に意味はないはずなのだが、筋骨隆々の男は何故か胸騒ぎのようなものを感じ取った。

「逃げたのか? いや、結界を破られた形跡はないから逃げたってことはないはずだ。どっかに隠れてるんじゃねぇのか?」
「さてねぇ……ここらで隠れる場所なんて早々ないはずだけど」

 頭を捻らせる老婆と痩せぎすの男。
 このままでは危うい、と筋骨隆々の男は焦る。
 そんなとき、窓から見える場所に酒樽を担いだガラクが通りかかった。

(見つかるはずがないですよ。カマールさんは酒酒蔵の中でじっとしてるんですから)

 エルフの血を継ぐものは総じて耳が良く。中での会話は丸聞こえである。
 内心ほくそ笑みながら、のんびりと酒樽を運んでいたのだが、ガラクに気付いた筋骨隆々の男は声をかける。

「おい、ガラク。ここ最近、ずっと外で働いてたよな? 何か知らないか?」
「あ、いえ……知らないです」
「そうか。じゃあいい。行け」
「……はい」

 内心おしっこを漏らしそうになるくらいにガラクは動揺したが、何とか顔に出さずにやり過ごし、足早に酒蔵へと急いだ。
 ガラクの後ろ姿を筋骨隆々の男は忌々しげに睨みつける。役立たずめ、と。

「おかしいねぇ」

 後ろでは貯酒蔵庫を覗いていた老婆が首を傾げている。

「お婆ちゃん、どうかしたのか?」
「ここ五日ほど貯蓄してる食べ物の減りが早くてね。ガラクがこっそり食べてるのかとも思ってたんだけどね。それにしても量が多すぎる」

 どういうことだろうねぇ、とのんきに言う老婆。
 ふと、気づく。

『貯蓄してる食べ物の減りが早くてね』

 もし、この家の誰かが通り魔を匿っているのだとしたら? 食べ物の消費もそりゃ早くなるだろう。
 そして、匿うなんていう愚かなことをする奴は一人しか思い浮かばない。

「畜生! ガラクだ。ガラクが匿ってやがるんだ!」
「兄さんもそう思う?」

 痩せぎすの男も同じ答えに至っており、部屋を飛び出してガラクの後を追った。










 ガラクがいたのは酒蔵の裏にある木の下だ。
 木には大きく穴が置いており、ガラクの倉庫のように使っている。服や治療用の道具、非常食などといろいろと詰め込まれているそこには、今日新たに一つ仲間入りを果たすことになった。

「使うわけにはいかないですよね。僕が母を殺したのが悪かったんだから。だから、使わない。ここに置いておこう」

 【タクトソード】を穴に入れて、嘆息してガラクはその場を後にする。仕事があるのだ。
 再び酒樽の移動をしようと目的の場所へと歩みを開始する。
 しばらくして、屋敷の前を通り過ぎようとしたその時、ばったりと筋骨隆々の男と痩せぎすの男とかちあった。
 どちらも汗だくになっており、息は切れている。どうやら走っていたようだ。
 何のために、とも思うが、自分とは関係ないことだろうと決めつけて、一度だけぺこりと頭を下げると素知らぬ顔で隣を横切ろうとしたのだが――遮られることとなる。太く逞しい腕によって。
 
「ガラク、てめぇ! 裏切りやがったな!」

 頭を鷲掴みにされて、筋骨隆々の男に無理やり顔の向きを固定される。
 そこには激怒した男の顔があった。
 意味がわからず、一瞬呆けるが、すぐに頭が動き出す。何故かは知らないが、バレたのだ。
 焦りのあまり口は動かず、身体も動かない。
 そんなガラクを見下ろす二人の視線は凍てついた氷のようで、温かみの欠片もない。

「全く、なんて奴だ! 役立たずを置いてやっていたのに!」
「兄さん、もういいよ。斬っていいんじゃない? こいつが悪いんだしさ」
「そうだな。斬り殺してやる」

 言葉が証明している。殺す気なのだ。
 筋骨隆々の男はガラクを片腕で放り投げると、腰に差している長剣を抜いた。
 陽光を反射して鈍色に輝くそれは凶器。斬られたら死ぬ。抵抗することすら許されず、死ぬ。

(死にたくないっ!)

 治りきっていない骨や打撲傷が痛むのも関係なく、ガラクはかつてないほど素早く立ち上がり、反転して逃げた。
 
「逃げやがった!」
「追わなきゃ!」

 走って追いかけてもガラクの方が敏捷で、追いつけずに二人はガラクを見失った。

「どこいった!?」
「別れて探そう!」

 隠れながら二人の様子を窺うガラク。
 酒蔵の裏のほうから遠目に二人を確認し、息を吸い込む。
 胸に抱えているのは【タクトソード】。エルフなど簡単に殺せるという魔性の剣。
 鞘から抜き出し、刀身を見る。
 筋骨隆々の男が持っていた長剣とは違う。とても綺麗な輝きを放つ刀身だった。

(――僕が悪いのか?)

 刀身に映る自分の顔を見る。
 憔悴しきっていて、髪はぼさぼさで、顔は傷だらけの健康とはかけ離れた自分の姿。
 本当に自分が悪いのか、と思う。
 何も悪いことはしていない。言うことはよく聞いた。よく働きもした。反抗だってしていない。迷惑だってかけていないはずだ。
 だけど、悪いことは確かにしたのかもしれない。
 カマールを匿ったこと。
 そして――

(そう、弱いから悪いんだ。僕が強ければいいんだ)

 気のせいだろう、とガラクは思うが……刀身が不気味に輝いたような気がした。

「ガラク、見つけたぁ!」

 威圧的な声とともに痩せぎすの男がガラクの前に現れた。
 痩せぎすといっても成長が遅れていると言ってもいいほどに小柄なガラクからすれば大きく見え、細いと言ってもガラクの方がもっと細い。
 それでも――

「なんだ、その短剣。なかなか綺麗じゃないか。どれ、見せてみろ」

 【タクトソード】をぎゅっと握りしめ、切っ先を痩せぎすの男に向けた。

(そうだ。弱い奴が悪いんだ。死んだ奴が悪いんだ。僕は、死にたくない)

 いつもよりも軽く、力強い肉体。
 思い通りに身体が動き、容易に痩せぎすの懐に入り込み、跳躍した。
 痩せぎすの男は幸せだっただろう。痛みも感じる間すらなく、首を刎ねられたのだから。
 跳ね飛ばされた首は地面を転がり、首からは血飛沫が噴き出てくる。

「き、貴様ァァァッッ!」
 
 痩せぎすの男の声に気づき、走って来た筋骨隆々の男は長剣を抜き放つ。
 だが、無意味だった。
 無造作に振り払われた短剣により刀身を半ばからへし折られ、男は無力化される。

「弱いから、悪いんです」

 手に持つは【タクトソード】、胸に宿すは小さな焔。
 ガラクは初めて、殺すという経験をした。








 屋敷の中、使用人も村長も、村長の家族も、全てが全て死体となっていた。
 腹を穿たれ、首を刎ねられ、臓物を抜きとられ、頭を砕かれ、多様な殺し方が用いられている。
 それを成し遂げたのは一人の少年だ。
 土気色だった髪は朱に染まり、全身べったりと紅色がこびりついている。
 
「フフ、アハハハハ、みんな弱いや。みんな、弱い。弱いから悪いんだ。弱いから殺されるんだ」

 村長であった肉塊を執拗に蹴り上げながら、少年――ガラクは言う。
 何度も死体を串刺しにしたのか、身体中穴だらけで、もとがどんなものだったのかは想像することすらできない。それほどまでに破壊されていた。
 そんなとき、また【タクトソード】が輝いた。

「あれ? なんで私はここにいるのかしら? 屋敷の中みたいだけれど――私は確か酒蔵の中で寝てたはずよね……って血の海だわね」

 輝きとともに出てきたのは半裸の女――カマール。ガラクからもらった上着だけを着込んでいるだけなので、いつ大事なところが見えてもおかしくない状況だ。ぎりぎり太股まで隠せているだけなので、激しい動きには耐えられないだろう。
 そんなカマールは不思議そうに辺りを見回し、短剣を振りかざし、狂笑しているガラクを見て、得心がいったように頷いた。

「ん、【タクトソード】ね。なるほど、私を呼んだの?」

 狂笑は止み、ガラクはカマールを見た。

「弱いから悪いんですよね。じゃあ、僕は悪くないんですよね」
「殺すのに良いも悪いもないと思うわよ。遅かれ早かれ、貴方は殺されていたでしょうし。それにしても……皆殺しとはやるわね」

 部屋中にこびりついた血痕。
 どれほど家主を恨んでいたのだろうか、これほどまでに傷を負わせるなど並大抵の神経ではできないものだ。
 カマールは感心したようにガラクを見る。見どころのある奴ね、と。

「あの、カマールお姉さん――」
「何かしら?」
「村を出て行くんですよね? 連れて行ってもらえませんか。僕にはもう身寄りがありませんし」
「いいわよ。旅は道連れ、世は情けっていうしね。ところで、名前を聞いていないわ。坊や、貴方の名前は?」
「ガラク、と言います」

 面白い、とカマールは思う。育ててみるのも一興か、と。
 近くにある箪笥の中から衣服を取り出し、自分に合うものを着る。
 用意はこれだけ。他に入らない。

「そう、じゃあ、ガラク。行きましょうか」
「はい」

 そうしてガラクは、カマールの下についた。









 
 思いだした記憶はガラクに諦めることを許さなかった。
 胸を刺そうとする突きなど怖くもない。本当に怖いのは自分が弱いと知ることだけ。そして、カマールに見捨てられることだけだ。
 【タクトソード】が輝き、ガラクの身体を包み込む。
 ガラクは成長した。【タクトソード】もガラクとともに成長した。
 身体を漲る力の波動がガラクに活力を与えてくれる。

「たとえこの命が果てようとも、退くわけにはいかないんだっ!」

 全てが遅くなったような気がするほどの体感速度。それをもってして、エビルデインの剣閃をぎりぎりで避ける。
 皮膚を掠っただけではなく、肉ごと抉っていったが、それでも死んでいない。そう、死んでいないのだ。
 目の前にいるのは体勢を崩したエビルデイン、万全の体勢のガラクは【タクトソード】で攻撃できる。

「――もらった!!」

 怒号とともに【タクトソード】をエビルデインの首元へと薙ぎ払う。
 だが、それは首に喰い込まない。
 人間とは思えない硬質な首に傷を与えることができない。

(な、何だこれ)

 震えるほどに力を加える。
 【タクトソード】で強化済みの自分の筋力だとドラゴンの鱗すら断ち切るというのに、人間の首すら刎ねられない。どうなっているのだ。
 戦闘の最中、思考に没頭する。
 隙だらけだ。

「では、朽ち果てて下さい」

 にっこりと笑んだエビルデインから再び放たれる突きは強化された自分でも避けられるものではない。
 今度こそ無理だ、そう思った。
 そんなとき【タクトソード】が輝いたのだ。

「こうして呼ばれるのも二度目ね。全く――主である私を呼び出すなんてどういう神経してるのかしら」

 硬質なものがぶつかりあったときに起こる甲高い音が響き渡る。
 そこにいたのはガラクが忠誠を誓った女がいた。
 強く、美しく、正しい――ガラクが心の底から惚れ、あっさりとカーネルサンダースと籍を入れた女は困ったようにガラクを見下ろしている。

「――まぁいいけどね」

 ちろっと舌を出しながら、エビルデインの剣閃を片手間で弾くという離れ業を簡単にこなす。
 エビルデインもこのままでは無理と悟ったのか、一際強い斬撃を放ち、受け止められた衝撃の反動でハーンの隣へと後ずさる。

「私はカマール=クラウザーⅡ世よ。貴方達は私の部下をいじめてくれたみたいね」

 戦場の中、誰も音など聞いていないはずなのに、その声に反応するかのように戦闘は止まる。
 皆が皆、カマールへと視線を向ける。
 藍色のクロークをアクセントに、全体的に青系統の服装を着ている。髪は朱炎。眼は蒼氷。相反するものを内包する美貌の女。
 背中からは翼を生やす。それは濁っていて、まるで溝川のようだった。今にも全てを穢そうとしないばかりにざわめいている。
 アルスは理性で理解した。
 エビルデインは感性で理解した。
 ハーンは肌で理解した。
 コムカは知識で理解した。
 あれこそがカマールの武器なのだ、と。
 存分に皆の視線を浴びながら、カマールを手を掲げる。それだけの行為に視線が奪われる。何をしでかすかわからない、と。
 
「恨みはきっちり返すから、簡単に死なないでよ?」

 手が振り下ろされると同時に、魔物たちは狂気に彩られた眼になる。
 終幕へと向けて、戦いは加速する。


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