2010-06-09
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すごくない?
なんか「自分が使ってる携帯電話の型番」を覚えちゃってる人が結構いるじゃん?
あれはすごいよ。
テレビとかエアコンとか冷蔵庫とか、あぁいう大きな家電は判りやすい"商品名"がつくじゃん?霧ヶ峰とか野菜中心蔵とか。
でも携帯電話はハイフンで区切った英数字の羅列という非キャッチー極まりないものなんだけど、覚えさせられてるという。
例によって例のごとく、覚えてんじゃなくて覚えさせられてるという。
いやほんと
部屋の蛍光灯の型番は覚えちゃいねぇどころかどこに記載されてんのかも知らないくせに。
で、昼白色と昼光色の区別つかなくて6畳間はごっちゃまぜになってんのに、着信用と発信用とベッチョ見る用の携帯電話は分けてたり。
親の葬式にいくら掛かるか計算したこともないけど、機種変更や番号ポータビリティに掛かる手数料は知ってますみたいな。
風呂の電気が消えそうでチカチカしてるのは週末までガマンできるのに、携帯電話のバッテリーがダメになるとガマンできない。
パンスト突き破ってすね毛がこんにちわしてるのはほったらかしなのに、携帯電話に変な石っころを隙間なく敷き詰めるのは厭わない。
携帯電話についたツラの脂は拭くけど、鼻の脂は拭かない。
殉じとるなぁ。
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たとえばだ。
蛇口にウキがついた器具を付けると、風呂の湯が一定量溜まったら止まるやつあんじゃん?
要するにアレを使うことで頻繁に風呂場行って湯のたまり具合をチェックする必要がなくなるわけじゃん?
あぁいうのこそ人の生活を変える便利な道具だよなぁ。
ほんっとiPhoneを含む携帯電話の類も、新しいの出たら利用頻度が下がっていってこそ画期的革新的といえるんじゃないだろうか?
「これさえあったら二度と情報機器の奴隷なんていう馬鹿げた身分に身をやつすことなんてありません」
みたいな感じで。
孫がiPadを「これあったら生活変わりますよ」つってたじゃん?
それ悪いほうに変わってるつー自覚ねぇんだろうか。
朝から晩までiPadだ
バカじゃん。
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あ、そうだ。例のデートDVがなんたらかんたらで出てくるその携帯メールってやつ。
あれ、受信するたびに音鳴るらしいじゃないすか。
ったらあれでしょ?音鳴るたんびに携帯電話をパカーと開いたりズルーっとずらしたりして確認するんでしょ?
いや確認するっていうか確認させられるんでしょ?
ほんっと奴隷ですな。
機器の奴隷でありコミュニケーションの奴隷。
そのわりには家の郵便受けに去年の冬のピザ屋のメニューが入りっぱなしで。
あれでしょ?
「和雄っ!和雄っ!」
って下から母ちゃんが呼んでても
「うっぜぇな〜」
とか言って聞こえてないフリするけど、携帯メールの受信音が聞こえたら飛びつくんでしょ?
いろいろ崩壊しとんな、ほんま。
それでコミュニケーションの達人気取りか。
笑わしよんな。
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ほんっと浮かれてんなぁ。まぁ縋りつく物も少ない昨今、ガラス板にツラと指の脂べっとり擦り付けて神を見出した気分に浸れるってんならそりゃぁそれで幸せなんだろ。
あー
いや、少しは堪ることを覚えたほうがいいと思う。
これまでのケータイやiPhoneと比べても、とにかく目が疲れませんね。
ということは目が疲れるほど見てたってことになると思うんだけど、そこまで見てるのもほんとどうかと思う。
仕様を一新したことで目への負担は軽減されたかもしれないけど、見てる時間というのは変わらないわけだ。
単純にそれはどうかと思う。
いやほんとそこまで背骨ひん曲げてうなだれて口半開きで長時間画面を睨み付けてるというか睨み付けさせられてる奴隷っぷりてのは、なんつぅか人間としての尊厳みたいなのがゼロ以下。
ほら、完全にうなだれて口半開きになってるでしょ。
そして頭頂部をまざまざと見せ付ける始末。
しかもこの間、コーティングして防がなければならないほど大量の脂を分泌するという。
ほんと携帯電話を使ってる様というのは実にみっともない。
これ別に孫だからってわけじゃない、だれがやってもこんな感じ。
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来年には仕分け対象になりますように。
しかしあれですな。
こうやってでっち上げたものを「文化」なんて呼んじゃうのかなぁと。
「お上のお仕着せ」が文化ですか。
へー。
実にバカバカしいですな。まぁオタクとかいう連中はおだてときゃ機嫌いいからちょうどいいのかもしんねっす。
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「プレイヤーの大半が攻撃的になるのが本当なら、暴力事件の発生件数はもっと多いはずだ」と言っている。
…これが逆に「狭い視点」である。攻撃的すなわち暴力事件というのはあまりに短絡的過ぎる。
前日分のエントリで取り上げた"デートDV"ってやつで「携帯のメールを勝手に見る」「別れたら死ぬぞと脅す」ってのがある。
これってのは相手に身体的に暴力をふるってるわけじゃない。でもドメスティックバイオレンスの一種として認識されてる。
暴力というのは要するに「相手に対しての支配的な行為」なわけです。殴る蹴る斬りかかるはその"一部"でしかない。
暴力は一面でしかない、根幹たる部分は「支配欲求の肥大化」なんですよ。
真に支配的な人ってのは手段を選ばないので、直接的な暴力を必ずしも用いない。それが「死ぬぞと脅す」という形だったりする。
そういやおまんちょゲームにも詳しい有村悠ってのが、しばしば「死んでやる」と脅したりしますな。
で、ゲームってのは
「自分の思い通りになる/ならない」
という部分に依るものが大きいもんですな。それってのは支配欲求ですよ。
ポイントはそこなんすよ。具体的な暴力描写によって支配欲求が肥大化するわけではない。
だからパズルゲームで負けた腹いせにゲーム機投げつけるみたいなこともあるわけです。
「思い通りにならなかったときに爆発する」
それが呼び起こされる暴力性ってやつです。