天皇制の是非はここには書かないけど(書くなら、大学のサーバーではないところに)、今日の新聞記事で気になったこと。
争点は男系堅持か女性天皇も認めるか。これについても個人的に意見はあるけど、ここには書かない。
気になったのは、男系堅持を主張する高崎経済大学助教授・八木秀次氏がその理由のひとつとして、男系でなければ神武天皇のY染色体が維持できないという問題を挙げたこと。
要するに天皇家の「Y染色体アダム」問題がとりあげられたわけだが、ここで科学を持ち出すのはルール違反。
天皇制支持者も反対者も「天皇は万世一系」という言葉が「物語」にすぎないことくらい、暗黙のうちに了解しているはずだ。天皇制そのものが物語の上に成立しているわけで、その共通了解の上で、国の象徴としてその物語を維持するかどうかが支持と反対を分けるのではないか。
ところが、Y染色体説を持ち出されてしまうと、物語の土俵から科学の土俵に問題が移されたことになる。科学の土俵に来てしまえば、「科学的事実」を議論しなくてはならない。「科学的事実」は、現代の天皇家は神武天皇のY染色体を受け継いでいるとは言えない、だろう。そもそも神武天皇自体が物語上の人物であるし、途中に女性天皇がいたことは歴史的事実なので、そこでY染色体は途絶えている。あるいは、100歩譲って神武天皇が実在したとすると、今度はそのY染色体を受け継ぐ人間は膨大にいるはずなので、男なら誰でもいいという言い方も可能かもしれない。もっとも、この最後の話は付けたし。
この話は「創造論対進化論」と似ている。
大学の助教授ともあろうものが、そのようにして物語を科学扱いしてはならないと思う。いずれにしても、Y染色体を持ち出すなら、問題は科学の議論になるので、万世一系・男系堅持の論理は即座に破綻する。科学の濫用例として、取り上げてみた。
この記事に対するコメント[106件]
1. のぶ
— June 9, 2005 @18:24:43
女帝に反対したいあまりに「Y染色体」を持ち出しちゃうのは、そういうこといえば、みんなはわからなくて黙っちゃうと思ったのだろうか。
結局は、逆効果ですね。
2. たかぎF — June 9, 2005 @18:46:44
女性天皇はいるが女系天皇はいない、つまり、「女性天皇とその夫(天皇の血筋でない)の子供が天皇になったことはない」という文脈で出てくる話ですよね > Y染色体。
もちろん「神武天皇のY染色体」を根拠にするなんてどうかしてるという点には同意。
あれれ、そういう意味では、系図上ではY染色体は続いていることになってるんだっけ? 系図を見直さなくては(^^; まあ、どうせ事実としては南北朝のあたりで切れてるはずですから、いいか(^^。
いずれにしても八木氏はY染色体系列の話を誤解しています。同時代に同じY染色体を持つ男性はたくさんいますから。
ミトコンドリア・イブ説のよくある誤解と同じでしょう。
とにかく、「事実」を問題にされたくないのは八木氏とそのグループのほうなのに、科学を持ち出してしまったのは失敗。
4. 小林泰三
— June 9, 2005 @22:29:41
そもそも皇祖神である天照大御神は女神なので、Y染色体は持ってないでしょう。
#まあ神様なので、絶対とは言えませんが。
100歩譲って、どうしても神武天皇のY染色体が必要だとして、何代か後に源氏か平家から婿養子をとればいいだけなのでは?
因みに、天皇家の系図
http://www9.wind.ne.jp/chihiro-t/royal/Tennoke.htm
遠い親族に継承された例としては、例えば
(1) 第25代武烈天皇から第26代継体天皇 (8親等)
(2) 第48代称徳天皇から第49代光仁天皇 (6親等)
(3) 第99代後亀山天皇から第100代後小松天皇 (12親等)
(4) 第118代後桃園天皇から第119代光格天皇 (7親等)
などがあります。6親等というと又従兄弟の関係ですから、現代の普通の人はめったに顔を合わすこともないですね。
そういうこと言い出すと、すぐさま困るのは自分なのに。
みんなで、指摘してあげましょう。
しかし、12親等って想像もつかないほど遠いですね。
6. 小林泰三
— June 10, 2005 @23:11:02
母系社会も、父系社会も昔からあった訳ですが、継承されるものが何かは曖昧だったのでしょう。
それが「ミトコンドリアとか、Y染色体とかだ!」とぴんと閃いた訳なんじゃないでしょうか?
でも、Y染色体は女性には伝わらないので、父系の女性天皇にはY染色体がありません。ここの理論付けが難しいですね。
母系の男性なら、ミトコンドリアは継承してるので、まだ理論付けはしやすそうです。
擬似科学で理論付けしても仕方ないとは思いますが。
なにせ神代の昔のことなので、もしかしたら超科学の力で染色体の遺伝法則が知られていたのかもしれません。しかし、その時代に「神武天皇のY染色体を継承していなければ、皇位を継承できない」と決めていたのだとすると、歴史上、女性天皇は絶対にありえなかったはず。
なるほど、だんだんわかってきた(^^
8. nuc
— June 12, 2005 @23:20:53
偶然にも近い内容の議論をしているのを見つけてトラックバックしましたので報告を。
僕のは説得力皆無というか説得の意思がないというか、ですが。
リンクが参考になりました↓
http://ethol.zool.kyoto-u.ac.jp/kura/kura.html
生物系の人がこういうふうに考えるわけね(^^。
ここに出てる文を読むと、八木秀次のほうが先にY染色体を持ち出したらしいので、それを読んで「そうだそうだ」と思っちゃったんだな。
「伝説の神武天皇や日本武尊(ヤマトタケル)とほぼ全く同じY染色体を持つ」って、自然科学者を名乗る人が「伝説」と事実をごっちゃにしてはいけないね。このY染色体説って、本来なら「科学ジョーク」ですよ。真顔で言われたら、困るなあ
しかし、この人、「疑似科学」に関する論考の中で、ソーカルを一貫してカーソルと書いてるところを見ると、「知の欺瞞」を読まずに批判してるのね。それに、ヴェリコフスキーがヴァリコフスキーだ。だめじゃん
ここ↓
http://www.kt.rim.or.jp/~tro/tubu/tubu989.htm
にソーカルをカーソルと書いてしまった人の反省(^^)が出てる。
なんでもかんでも船井つながりになってしまうのは、ある意味すごい。
科学者はサンマークから本を出してはいかんと思う。
出してるのは、あの人とかあの人とかだ
11. nuc
— June 14, 2005 @02:40:04
僕もゲーデルをゲーテルと書いたことがあるので人のことはあまり言えませんが。(^^
安易な一般化は避けたいですが、それでも生物の人は自然科学による人文科学の再構築を唱える傾向にある気がします。
血液型の話を楽しみにしてます。(wikipediaのをみて少しひやりとしました。自然科学に関わるものの端くれとして気をつけます。)
12. 伊庭 — June 21, 2005 @23:41:24
下記のものが長いです(同じ会社のサイト).
http://www.rocus.co.jp/haplotype.htm
http://www.rocus.co.jp/y.htm
上のページの内容の当否についてはわかりませんが,姓の継承についても先行する話があるのですね.
周知のことかもしれませんが,私ははじめて知りました.
ところでこれ、DNA鑑定会社のホームページなんですね(^^
14. 伊庭 — June 22, 2005 @02:47:52
Y染色体の変異は遅いと思ってたんだけど、24遺伝子座で約20世代ですか。400年くらいですかね。
16. 伊庭 — June 23, 2005 @23:37:06
http://hmg.oxfordjournals.org/cgi/content/full/6/5/799
18. おおまめうだ — June 28, 2005 @16:58:58
[link:]http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C941537436/E20050624115346/index.html
基本的には、天皇家が父系なのはなにもY染色体の保存のためではない(だってそんな概念はなかったんだもの)、Y染色体が保存されているとしてもそれは父系の結果であって目的ではない、ということですよね。
そして、神武天皇のY染色体が今に受け継がれているという八木のような考えは、物語と事実の区別すらついていないので大人としてだめ。
神武天皇の実在を唱えつつY染色体の継承を論じるのは「科学のつまみ食い」だからだめだよね。Y染色体の話をしたいなら、「神武天皇の実在性」とか「天皇家の連続性」とかもきちんと科学的に検証しとかなきゃね。だって、それが話の前提だもの。
上でリンクされてた蔵という人が所属しているのは、竹内久美子が在籍していた京大の動物行動学研究室ではないか。この研究室にはなんかあるのか?(^^;
日高先生、なんか言ってやってください
21. 憑かれた大学隠棲
— August 23, 2005 @01:53:43
これがソースに近いものだと思います
万世一系はある意味手続き論ですが
ここまで書いてあれば、Y染色体理論も別の評価もできるかなと
逆に科学を物語あつかいしてる感じもします
皮肉なのは当の天皇家が生物学と縁が深いことですが
これを読むと、Y染色体説は誰かに吹き込まれたのか。
なんというか、「科学」と「物語」の区別も「事実」と「物語」の区別もついていない、というより、たしかに「事実」も「科学」も「物語」のほうへ引っ張っていってるわけね。
面白いですが、大学の先生が真顔で書くことじゃないよね
23. 憑かれた大学隠棲
— August 23, 2005 @21:27:52
某ホモガンダムしかり、あるいはパラサイトイブの後書きみたいに
(読んでみてください。しょうもないオチがつきます)
猪瀬某がまだマトモだった時代の「土地の神話」では
東京の中での皇居の神秘的な重要性を論じていますが
今はやりのヒートアイランドなど持ち出すと興ざめです
真の保守主主義者なら今どき科学など持ち出さなくてもと、と思ってみたり
このご時世、こういう大きな物語があってもいいんじゃないのかなとも思いますが
大きな物語に科学のような何かは余計でしょう
保守系って自然科学に疎いのがなんとも・・・・
保守系って括るといけないのでしょうが、「アポロは月へ行かなかった」と主張する大学の先生がいたり、頭を抱えさせられることは多いです。
Y染色体からみた日本人 (岩波科学ライブラリー)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/4/0074500.html
内容は知りません.
おもしろそうですね
27. 菊地 — October 11, 2005 @06:19:23
系図を見ると男系で続いていて例外はないわけですね。
遠い親戚を持ってきたりしているのも男系を続けることが血縁の遠さより優先させたと。
だとすれば男系を維持することが皇統を維持することだと考えることに無理はないですね。
八木氏はそこに染色体の話を持ってきたわけですが、
少なくとも天皇の系図から見た皇統の物語とY染色体の保存という話が一致するのは確かです。
ちなみに、
>途中に女性天皇がいたことは歴史的事実なので、そこでY染色体は途絶えている。
というのは間違いなので正されるべきでしょう。
歴代の女性天皇はいずれも独身で、その息子が皇位についた例はありません。
八木氏の話は歴史ファンタジーと科学ファンタジーの融合として興味深いと思います。
ただし、それを「Y染色体」の問題としてしまうのは、だめです。物語としての「神武天皇以来の男系維持」と「神武天皇のY染色体系統が維持されているという説」とはまったく別の話です。後者は科学的な検証によってのみ正当化されますし、逆に、途中で別のY染色体系統が混入したことが証明されてしまったら、そのとたんに今の天皇家の正当性そのものを否定することになります。「天皇家の正当性が科学的に否定されるなら、それを受け入れる覚悟」がない限り、Y染色体で正当性を議論してはいかんのです。僕はそれでもまったくかまわないけど、八木氏にそれだけの覚悟があるとは思えないよね(^^。
ちなみに、女性天皇の息子が皇位についた例はないですが、独身だったわけでも息子がいなかったわけでもないと言われました(^^。
八木説は、科学理論がいかにして「搾取」されるかの実例としてはおもろいです。しかも、それを認めちゃう生物学者(動物学者?)がいたりして、なんともトホホです。
29. 村田 — December 29, 2007 @06:00:02
神武天皇のY染色体云々については、平沼赳夫氏も、テレビで発言したました。
神話伝説の類に科学を持ち出されると、かえって「有難味」がなくなりますね。
出エジプト記の紅海が割れたっていうのも、あの辺は歩いて渡れるくらい浅くなったことがあるなんて言われると、じゃ、「神の業」じゃなくて、単なる自然現象なのか、と思ってしまいます。
ただ、「神武天皇の実在性」とか「天皇家の連続性」とか、科学的に検証とおっしゃってますが、結局のところは歴史資料から推定するしかないわけで、厳密には証明も反証も無理ではないでしょうか。
結局は、ご先祖様から受けついだ物語だから、語りついでいきましょうという保守か、それとも、人間みな平等だから、天皇一家を特別扱いすべきでない、という共産党の主張に賛成するか、どっちかですね。
>ソーカルを一貫してカーソルと書いてるところを見ると
>それに、ヴェリコフスキーがヴァリコフスキーだ。だめじゃん
冗談だと思ったら本当に間違えていましたか。まあカーソルやヴァリコフスキーの方が言い易いからいいか?
ソーカルはわざとだけどヴェリコフスキーはどこまで本気だったのかな?
31. 通りすがり — May 9, 2009 @20:42:35
もしかして、この主張を事実と認めてます?
「北朝」は滅亡していた!!
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/nanboku1.html
上記ページでは、第102代の後花園天皇の父、伏見宮貞成親王の実の父が足利義満だと主張してます。
32. まりご — May 10, 2009 @01:39:44
蛇足ですが、元明天皇の子供である元正天皇が就いた例はあります。その前の文武天皇も元明天皇の子供ではあります。ただし父方の草壁皇子が男系子孫ですが。
>切れてる説
これは系図の誤読からふくらんだ妄想で、たいへん怪しげな間違いですが、一時期wikipedia等にも掲載されていました。他に南北朝期にとぎれたという説は聞きませんが、一時期北朝の上皇・天皇・皇太子が拉致され、緊急事態で別の皇子が即位したという話はあります。
ちなみに貞成親王が生まれた時、義満は14歳で幕府も不安定な時期でした。きくち先生はどのような根拠で南北朝のあたりで切れたという『事実』があると判断されたのでしょうか。
33. うえしま — May 10, 2009 @19:11:03
SFでもよくありますね。というか、何事かが俎上の上るときは、それは物語なのが普通でしょう。
34. 猫めん — May 11, 2009 @19:23:56
Y染色体うんぬんについては、いわゆる保守派の間でも人気ないというか、大した継続性はないみたいですね。保守系のS新聞でも一度とりあげたきりで引っ込めてしまったみたいですし。
伝統や文化に科学的根拠うんぬんは必要がないと思います。科学的根拠なし=オカルト、というわけでもありませんし。
ただ、保守派にしてみれば、アンチ保守から、「あなたがたの言い分は科学的根拠がない。」と言われるのがしゃくだったのでしょう。「君が代」のさざれ石=レキ岩説(これはこれでおもしろいですが。)なんかもこのころ良くいわれたものです。
きっぱりと「そんな根拠は必要ないんだ。これは物語なんだ。」と言ってしまえばよかったのに、相手の土俵に上がってしまってはダメですよね。
35. 半人前 — May 13, 2009 @02:19:06
「天皇制」とも「科学」とも関係無いですが。
37. トンデモブラウ — May 13, 2009 @09:22:37
「言葉は神であった」けど、今はどんな人でも話せるものだとばかり思ってました。
「言葉」を理解しないと会話って無理だよね。
まして、「科学」・・・基本もクソも・・・・
39. かも ひろやす — May 13, 2009 @13:39:01
ああ、そうか。左右を入れ替えると、「さざれ石」と「Y染色体」は論争(?)としては同じ構造ですね。
40. disraff — May 13, 2009 @16:32:45
しっかり苔も生していたので、「終わっとるやん…」と思ったものです。
41. 弥勒魁 — May 13, 2009 @22:11:31
日本はやはり共和国になった方が良いと思いますが,子どもが寝るときに安心毛布やぬいぐるみが要るように人心の安定を保つため暫くは(精神年齢が大人になるまで)皇室が要るというなら,その旨をキチンと憲法に記述すべきなのです。血筋でなく,機能で定義すべきなのです。
何で日本人はこんな簡単なことがわからないのでしょうか?
精神年齢13歳だからですか?
あなたのためのエントリーをひとつだけ作りました。今後はそこにだけ書くように。
それ以外の場所に一度でも書いたら、あとはアクセス禁止です
43. いしやま — May 14, 2009 @01:19:02
滋賀県内とか、そこらの神社とか、さざれ石ってのを置いてるところは時々見かけますね。
44. 左派おじさん — February 3, 2010 @17:35:11
45. 房学基 — February 4, 2010 @07:11:57
内容とは直接関係ありませんが、「天皇家」という言い方は誤りです。○△家とした場合、○△には姓が入るのですが、そもそも皇室には姓がありません。元々姓とは、君主から臣下の者が賜るものであったからです。
また、「天皇制」という言い方も、かなり違和感あります。皇室は、神話を起源とする長い歴史の中で醸成され、日本人が受け継いできた物語ですから、人工的に作られた制度という言葉とは、相容れないように思います。
「天皇家」も「天皇制」も、皇室と言えば事足ります。
きくちさんは
>天皇制の是非はここでは書かない
と言いながら、こういった言葉使いから、あからさまに自身の思想背景が透けて見えるのが面白いと思いました。
46. NiKe — February 4, 2010 @12:02:01
ちょっとそこらの本屋か図書館で社会科学系の書棚でも御覧になったらどうですかね?
皇室でも天皇家でも、どっちも同じものを指すと思っていて
別に思想的背景によって使い分けしてるわけではないと思ってるんですが
そんないい加減なことじゃダメなんでしょうか(困
あと、天皇制は確かに最初から明文化された制度だったわけじゃなく
いつのまにか醸成されたものかもしれませんが
でもどこかの時点で整理され明文化され制度化されて現在に至るのだし
天皇制は天皇制として別に間違いじゃないと思うんですが。
少なくとも私は何も知らないから無頓着に使ってるだけなので・汗
天皇家とか天皇制とかって言葉を使っただけで
「あからさまに自身の思想背景が透けて見える」とか言われると、???です^^;
>NiKeさん
えと、誰に向けた発言でしょうか?
48. moorhen — February 4, 2010 @13:55:10
> どこかの時点で整理され明文化され制度化されて現在に至るのだし
> 天皇制は天皇制として別に間違いじゃないと思う
そういう反論はたぶん無効です
ある種の物語の中に生きている人にとっては、憲法第一条すら物語にすぎないのです
49. 房学基 — February 4, 2010 @14:08:30
>天皇制は天皇制として別に間違いじゃないと思うんですが。
厳密に言って「天皇家」というものは存在しませんし、氏・姓が発生した歴史的経緯から見ても誤りなので、こちらは誤用だと申しましたが、「天皇制」という言葉に関しては、違和感がある、という表明ですので、間違いだとは言っておりません。ただ、かなり本人の思想背景が入り込んでしまう言葉ではあります。
>少なくとも私は何も知らないから無頓着に使ってるだけなので・汗
「天皇制」という言葉は皇室に否定的な左派が意図的に作った言葉なのですが、今はよく事情を知らない人も使っていますね。ですので、保守や右翼が「天皇制」という言葉を無頓着に使用することは、滅多にありません。あえて使う場面はあるかもしれませんが。
このあたりの事情を以って、選択する言葉によって、その本人の思想背景が透けてしまう、と申し上げました。今では、単なる無知から使用している人もたくさんいますが、それだけ左派の言葉によるプロバカンダが成功している例なのだろうと思います。
50. 技術開発者 — February 4, 2010 @14:14:45
実は天皇家の姓というのを考えた人も居るんですね(笑)。
その姓は「うがやふき」ね。古代の家の屋根を葺く職能の姓だけどね。
古事記になるんですね。皆さん割と知っている「山幸彦と海幸彦」の争いの話なんですね。これは豊玉姫の助けを借りて、山幸彦が勝ちましてめでたく豊玉姫と結ばれる訳ですね。でもって、豊玉姫が妊娠して急に産気づきまして、産屋の屋根も葺き終わらないうちに生まれたのが、「あまつひだかひこなぎさたけるうがやふきあえずのみこと」なんですね。このお方の子孫が「かむやまといわれひこ」でございまして、ひむかの里でお兄さんと相談しまして「このままでは仕方ない、新天地を求めよう」と奈良の方に東征して今の天皇家になったとうのが古事記の記載です。
でね、「あまつひだかひこなぎさたけるうがやふきあえず」を読みこなそうとした古文書学者が居るわけですね。「あまつひだかひこなぎさたける」までは比較的簡単でして「あま国の港のひとつであるひだか地方の統治者の一族のなぎさという土地の勇者」となりまして、ここで「なんで『うがやふき』なんだ」と悩みまして、「ああ、これはその勇者が率いていた職能集団だ」と解釈しまして「うがやふきを率いているが、それには似合わない有能な者」と読み解いた訳です。職能というのは姓ですから、「うがやふき」というのがその一族の姓であるわけです(笑)。
51. ウォトカで動くロボ — February 4, 2010 @14:53:13
具体的に誰が、いつ作ったのでしょうか。
ぜひとも一次史料とその史料批判の提示をお願いしたいと思います。
>あと、天皇制は確かに最初から明文化された制度だったわけじゃなく
>いつのまにか醸成されたものかもしれませんが
>でもどこかの時点で整理され明文化され制度化されて現在に至るのだし
現在、皇室典範によって、皇位の継承や皇室の制度・構成などが定められております。が、「天皇制」=皇室典範ではありませんし、もっと広い意味で使われているかと思います。
天皇が代々執り行ない、現在も引き継がれているものの中には、皇室典範のように明文化がされていないものも、数多く含まれます。日本国憲法では、天皇の行う神事や宮中祭祀について、規定されておりません。その中での細やかな作法・ふるまいについても、同様です。
私自身は、天皇の存在意義として、1年365日行う神事が、もっとも重要であり、民から敬愛される根拠もそこにある(むしろそこにしかない)と思う人間なのですが、こういった伝統・風習といったものをひっくるめて「天皇制」という言葉の中に押し込めるのは、ちょっと乱暴・不自然なのではないか、と感じているのです。
53. 房学基 — February 4, 2010 @15:14:08
wikiにその旨、書かれております。
天皇制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6
以下引用
「天皇制」という用語は「君主制」を意味するドイツ語のMonarchieの和訳とされ、本来はマルクス主義者が使用した造語であった。1922年、日本共産党が秘密裏に結成され、「君主制の廃止」をスローガンに掲げた。1932年のコミンテルンテーゼ(いわゆる32年テーゼ)は、共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえ、日本でこれを「天皇制」と訳し、天皇制と封建階級(寄生地主)・ブルジョワジー(独占資本)との結合が日本の権力機構の本質であると規定した。第二次世界大戦が終結するまで「天皇制」は共産党の用語であり、明治後期から敗戦までは「天皇制」と表現することは反体制であるとみなされ、一般には認知されていなかった。現代では共産党と関係なくマスメディア等一般にも使用されている。ただし、天皇制という語の由来からこれを忌避して皇室という表現もよく用いられ、中にはあえて国体[1]と表現するケースもみられる。歴史学者の間では天皇が国家統治機構の前面に登場する近代以前の国家体制に適用することに対して批判もある。
54. 左派おじさん — February 4, 2010 @14:57:02
皇位継承に立候補した人の著書を、だいぶ前に読んでいます。結論には昨日書いたとおり、違和感があるのですが、著述に対する態度には見習うべきものがありました。大変謙虚な方でいらっしゃいます。
)椶瞭睛討蓮⊆分の見解であり、自分以外の誰をも代表しないことを明確に述べている。旧宮家を代表しているわけでなく、アドバイスをくれた人には感謝するが、内容の全責任は自分にあることを明確にしている。
(しばしば、自分の見解を「国民の意見」と言ったり、「論争相手は何の知識も持ち合わせない愚か者」果ては「売国奴」などと、下品にこきおろす輩が多いが、この人は違う)
◆)椰佑録隻霤傾弔亮尊澆鮨じているようだが、それを押し付けることなく、まともな異論はほとんどない継体天皇以降について、「少なくとも継体天皇以降の約1500年間は男系が続いてきた」と主張している。
「自分が世界の要人に会えるのは、旧宮家に生まれたからであって、私の人望で会えているわけではない」と、分析している。
でも、600年前に皇室宗家(これでいいのかな?また批判があるかな?)から分かれた伏見の宮家の子孫で、明治初期くらいに量産され、敗戦で廃止となって一般国民として生きてきた旧宮家を天皇予備軍として復活するなんて、私にはアナクロニズムにしか見えないんですよね。
もうひとつ怖いのは、このように真に皇室の行く末を案じて提案を行う人を、神がかり的な思想を持つ人が、自分の考えを実現するために利用することです。神がかりがいつも悪いかどうかは分かりませんが、少なくとも政治的に大きな力をもつと、国が滅ぶ危険があります。
55. moorhen — February 4, 2010 @15:59:48
普通いませんよそんな使い方する人は。たぶんサヨクにだっていない。
ウィキペディアの「天皇制」の項には
> 天皇制(てんのうせい)は、天皇を君主とする国家体制。特に天皇を主権者又は象徴とする近代以降の国家体制(近代天皇制)を指すこともある。
「皇室」の項には
> 皇室(こうしつ)は天皇および皇族の総称。
って書いてあるんですが。「天皇制」が「皇室」と言い換え可能だとしたら、日本という「国家体制」=「天皇と皇族」ってことになりますね。
房学基さんは皇族ですか?それとも日本に属してないんですか?
56. 技術開発者 — February 4, 2010 @16:19:29
>もうひとつ怖いのは、このように真に皇室の行く末を案じて提案を行う人を、神がかり的な思想を持つ人が、自分の考えを実現するために利用することです。
なんていうかな、歴史的にどの地域でも集団が大きくなって国といえるレベルになると、王権が世襲されるようになるのは珍しいことでも何でもないんですね。理由は、官僚制が始まるからなんです。
なんて言いますか、一人の指導者の力でまとめられる集団の大きさには限りがあるんですね。その大きさまでの集団だと指導者の力が全てですから世襲制は余り起こらないんです(指導者の子供がその力で指導者になる場合はありますけどね)。一人の指導者の力でまとめられる大きさを集団が超えると、統治の分業がはじまるんですね。軍事と財政と内政の担当者がそれぞれ分かれたりね。でもって指導者はそれぞれの担当者を監督する様になります。さらに大きくなると、その分業担当者の下にスタッフが付くようなり、官僚制がはじまります。そうしないと統治できないからです。
官僚制が始まると、指導者の役割というのは官僚制の監督という役割に特化します。或る意味で分業された業務の個々に能力を持つ必要がなくなり、分業そのものに詳しくさえあれば誰でも良くなる訳です。でもって分業そのものというのは、結構、分かりにくいものでしてね、若いときから見ている方が有利なんですね。ということで、若いときから分業をよく見てきた、指導者の子供などが次の指導者になりやすくなるんですね。血統崇拝的な部分が出てくるのは、その後です。何世代かそういう世襲制が続く事で、世襲であることが大事に成っていくわけです。
なんていうかな、こう言うのは、もっときちんと学校で教えた方が良いんじゃないかなんて思いますね。そうすれば、「そういう歴史なんだ」とわかり、血統崇拝みたいなことが過去の話になりやすい気がします。
いや、一次資料と史料批判ではないですよね、それ。
恐らく出典は
谷沢永一 『「天皇制」という呼称(ことば)を使うべきでない理由』 PHP研究所、2001年4月。ISBN 4-569-61572-4
だと思いますが、PHPの一般書籍ではちょっと根拠としては弱いかと。「癌が食事で治る」みたいな本を出しているところでもありますし。
せめて論文とかはないんでしょうか。
まあ、それは置いておくとしても
「神話を起源とする長い歴史の中で醸成され、日本人が受け継いできた物語」であったとしても、社会史的に見れば制度には違いないんですよね。
その「制度」を語る時には血筋としての皇室等と区別するためにも天皇制と言った方が解り易い場合が多いんですよ。
心性史として見るなら「物語」としてのみ評価する事も正しいのでしょうけど。
で、戦前に「天皇制という言葉は左翼の言葉だ」とされたのは
「皇室を社会史的に見る事自体が不敬である」という観点からですよね。
実際、現代においては天皇制という言葉の元になった「絶対君主制」という語は「共産主義者が使う言葉」というわけではありませんし。
やっぱり「天皇制と言う言葉を使う事自体が思想の顕れである」と言うのは的外れだと思いますよ。
58. 左派おじさん — February 4, 2010 @16:46:56
反応してくださってありがとうございます。
あなたの「血統崇拝」思想ができてゆく過程の分析、面白く(interestingです!)拝見いたしました。でも、最後の文、ひっかかりましたね。あなたの見解を学校で教えたほうがよい。そんなこと不可能じゃないですか。なぜなら、あなたの見解は必ずしも定説ではないからです。人は、自分の考えが偏っているとか、不健全であるとか、認めないものです。今でも「日本は天皇を中心とした神の国である」とか、「万世一系の天皇であるからそれを変えてはいけない」と、血統こそが国を束ねる根幹であり、基本原理である、と考える人は、多いのです。そこには、血統崇拝が生じる理由を考察する思想はありません。王権神授説そのものですよね。でも、自分たちが間違っている、とは思ってないでしょう。
評論家や一部の学者が、「わたしの考えは正しいのであるから、わけのわからん連中に惑わされることなく、教育に取り入れ、広く若い人に知らせるべきだ」と言っているのをよく見聞きしますが、反対する人とは下品なことばを投げつけあう不毛な対立が待っているだけですよね。教育の私物化とか。
わたしは、あなたの見解に異をとなえるわけではありません。しかし、自分と違う見解があることを知り、違う見解とどう折り合いをつけていくのかを考えることが必要と思います。「あたりまえのことなんだから、学校で教えてくれ」は、あまりに安易です。
あなたの本意とは違うところで批判をしてしまったかも知れません。失礼があれば、お許しください。神がかり的な人たちと、そしてそのような言動を生業にしている人たちと、同じレベルにいたくないのです、
59. 技術開発者 — February 4, 2010 @17:51:59
>あなたの「血統崇拝」思想ができてゆく過程の分析、面白く(interestingです!)拝見いたしました。でも、最後の文、ひっかかりましたね。あなたの見解を学校で教えたほうがよい。そんなこと不可能じゃないですか。なぜなら、あなたの見解は必ずしも定説ではないからです。
そんなに特殊な事を書いたつもりは無いんですね。学校で既に教えている定説である「農耕の始まり」→「人口の増加」→「周辺の狩猟民族の取り込みによる国家と階級の成立」の中身を少し詳しく書いただけなんですけどね。当然古代国家に階級が成立した時には先に農耕をはじめて周辺の狩猟採取部族を従えた者たちが上の階級となり、それは官僚制を成立させたはずです。そして官僚制を構築した上の階級は世襲した訳で、官僚制を支配する王権も自動的に世襲されただけの話ですね。
>しかし、自分と違う見解があることを知り、違う見解とどう折り合いをつけていくのかを考えることが必要と思います
ということは、学校で上の定説、つまり「農耕のはじまり」から「階級の成立」も教えるべきでは無いと言うことで良いでしょうか?実のところかなりいろいろな説があることはあるんです。
60. 房学基 — February 4, 2010 @17:29:31
>って書いてあるんですが。「天皇制」が「皇室」と言い換え可能だとしたら、日本という「国家体制」=「天皇と皇族」ってことになりますね。
「天皇制」という言葉が使われる文脈において、皇室と言い換えた時に不自然になることは、ほぼありません。なぜなら「天皇制」という言葉を用いる時、そこで論じているのは、天皇そのものであるからです。
また、天皇という言葉で示されているのは、ある特定の肉体を持った個人という意味だけに止まらず、日本の成り立ちと歴史、象徴といったことまで含まれます。「日本という国家体制・国がら」=「国体」=「天皇」に、矛盾があるとは思いません。
そして
>「天皇制」が「皇室」と言い換え可能だとしたら、
これ、経緯が逆なんですよね。天皇は歴史の中で自然に形成された存在であり、そもそも「制度」ではなく、憲法などの「制度」によって立ち現れた存在ではないのは、明らかです。「制度」ならいつでも廃することが出来るし、その時々の情勢によって変えてしまうことも可能ですから、天皇をそういった「制度」に貶めることを画策して、戦前に左翼が「天皇制」という造語を作ったわけです。そして、「天皇制反対」「天皇制打倒」「反天皇制」というように、打倒すべき制度として、繰り返し「天皇制」という言葉が使われてきたのです。
もちろん、天皇や皇室に伴う制度はありますが、そういったものを論じる場合は、皇室典範なり、憲法なり、具体的な皇室に関する制度名を挙げれば済む話です。
ウォトカで動くロボ さま
一次資料というと、戦前の共産党の機関紙等のことでしょうか?
ちょっとそれらを私が用意するのは難しいです。論文も、出来たら探してみますね。
ただ、「天皇制」という言葉自体が、戦前のある時期に至るまで、有史以来存在しないこと、その成立にまつわる事実について言論人・研究者が支持していること、そのことに対する異論がないこと等から、私は歴史的事実として妥当だと考えています。
>その「制度」を語る時には血筋としての皇室等と区別するためにも天皇制と言った方が解り易い場合が多いんですよ。
人工的に「制度」として作られた経緯のないものを、「制度」という名前をつけることに、違和感があるのです。社会史として考える場合も、古代から江戸に至るまでの天皇の存在を、天皇制とは言いませんし。
>やっぱり「天皇制と言う言葉を使う事自体が思想の顕れである」と言うのは的外れだと思いますよ。
現代では、言葉の成り立ちが忘れ去れていますから、違和感を持たない人も多いのかもしれませんね。ただ、「天皇制」という言葉そのものに、「制度であり、無くすことが可能」という意味が込められていることには変わらないように思います。
61. 左派おじさん — February 4, 2010 @18:27:08
うん、つっこまれてしまうと困るなあ。圧倒的な定説、つまり階級は農耕社会が始まってから成立、などというのは、反対意見なしで学校で教えてもよいし、教えるべきでしょう。でも、「血統崇拝の成立」はそれよりもずっと高度な考察を必要とする問題で、異論も多いのではないでしょうか。学校(高校まで)で教えるのに適したレベルかどうか。また教えるべきレベルとすると異論も含めて教えるべき、ということになります。当然、みんながあなたの見解を支持するようにはならない。大学では異論なしで教えてもよい、大学生には判断力が期待されているからです。
これくらいで勘弁してくれませんか。
谷沢永一がソースでは、とても信用できませんね。
もっとも『天皇制はサヨク用語起源!』が本当だったとして、そんなことは大した意味を持たないのですが。現在では、教科書でも参考書でも学術書でも「天皇制」という用語を使っているはずですからね。
そういう現状を否定的に見るのは個人の自由ですが、現状の大勢に従っている者が特定の思想的立場にあるとするのは理解に苦しむ考え方です。むしろ逆ですよね。
63. 庸 — February 4, 2010 @19:45:01
お返事ありがとうございます。
ええと、まず最初に自分の書き込みについてちょっと訂正をば。
>皇室でも天皇家でも、どっちも同じものを指すと思っていて
と書きましたが、よくよく考えたら私は微妙に違う使い方をしていました。
すなわち
皇室:天皇を中心とする一族
天皇家:天皇とそのご家族
このへん、#54左派おじさんさんの
>だったらファミリーを「家」で表現したらいけないのかな?
とおっしゃっていることと似ているかもしれません。
なので、たとえば三笠宮などは私の中では皇室ではあっても天皇家じゃない感じですね。
私も天皇に姓がないことくらいは存じていますが、だからこそ一般的な○○家に相当する呼び方が見つからず、天皇家としか言いようがないというか。
間違いと言われても他に適切なもんがないもんなァ…。
一方、天皇制のほうですが
その言葉を作ったのが左翼だったとしても、今はそんな意味は薄れまくっていることには同意いただけるのですね。
知っているが故に使わない人を「自覚のある右翼」と呼ぶことはできても、無知ゆえに使っている人を「プロパガンダに洗脳された無自覚な左翼」とするのは無理があるように思います。
それを言いだすと、たとえば配偶者を嫁と呼ぶだけで無自覚な女性差別者だとか、そういう話になりますでしょ。
嫁なんて言葉を喩えに出したついでなのですが、家父長制なんて言葉もありますよね。
これだって最初は自然発生でしょうし、明文化(法文化?)された以外の要素も含みますし、でも制度は制度ですし、現代は否定される流れなのかにありますよね。
私は天皇制存続希望ですが、将来的に天皇制が否定され消滅しても不思議ではありません。
所詮、人が作り出した文化・システム=制度のひとつにすぎませんから。
あああ、長い割には中身がない文だ。ご容赦を。
64. ウォトカで動くロボ — February 4, 2010 @20:20:50
氏族制とか部族制とか婚姻制とかはどうなるんでしょうね。
歴史上枚挙に暇のない慣習法の類も成り立ちは当然のように自然成立ですよ。
後追いで決まりごとが形成されましたが、それは日本の皇室制度も同じ事ですよね。
>社会史として考える場合も、古代から江戸に至るまでの天皇の存在を、天皇制とは言いませんし。
日本中世史の講義の時に普通に「天皇制」という言葉を使ってましたが…
>「制度であり、無くすことが可能」
え、不可能だったんですか?
どうして?
むしろ「なくす事は不可能」とするほうが「思想が透けて見える」んじゃないでしょうか。
65. moorhen — February 4, 2010 @20:33:43
では、大日本帝国憲法についてはどうお考えなんですかね?
大日本帝国憲法下においては、天皇の政治的地位の根拠は憲法にありました。しかも天皇の勅令が必要とはいえ憲法改正の手続も定められていたので、理論上は、天皇に関する条文を変更すれば天皇の地位は変化することになります。変えられないはずのものに改正手続が存在するって、誰が考えても変ですよね。
事実、現行憲法は建前上は前憲法の改正として成立し、それによって天皇の政治的役割は大きく変化して現在に至ります。いわゆる「象徴天皇制」に移行したわけです。
あ、房学基さん的には「象徴皇室」が適切な呼び方なんですよね。ショーウィンドウか何かに展示された家族みたいな響きがして私は嫌ですけどね。
いや、よく考えてみれば確かに現状はショーウィンドウ家族かもしれません。失敬。
66. 左派おじさん — February 4, 2010 @20:17:23
無駄情報ひとつ。#45房学基様のお話で、姓は下賜するものだから皇室には不要であった、との記載がありました。姓ではないんですけど、古事記に一つだけ、敗残者から皇族に名前を「献上」した例があります。熊襲建が、小碓命に「倭建命(やまとたけるのみこと)」を献上しているのです。もっとも、これを、「実際は熊襲が王朝本家であり、名前を下賜してもらったのに暗殺に及んだ」とする解釈もありました。
本日はこれで失礼します。ありがとうございました。
> 皇室:天皇を中心とする一族
> 天皇家:天皇とそのご家族
なるほど、あえて「天皇家」を使いたい意図がわかりました。報道にもたまにありますからね、「天皇ご一家、静養地へ」みたいなの。これは、現在の戸籍制度によって既定されている家族の単位に影響された家族観が元になっていそうですね。夫婦2人と子供たちをひとつの単位とする、というような。まぁ、私自身は、家族というのはもっと自然発生的、流動的なものだと思っています。籍をひとつにしておらずとも、血の繋がりがなくとも、家族となることが可能なように。
天皇と、そして皇族は、世俗の私たちの家族のあり方とは全く異なる存在だと認識していたので、わざわざ「天皇家」と言う必要性が私には感じられませんでした。
>その言葉を作ったのが左翼だったとしても、今はそんな意味は薄れまくっていることには同意いただけるのですね。
ええ、言葉の成り立ちを知らないからこそ、無邪気に使用してしまうのだと思います。
>嫁なんて言葉を喩えに出したついでなのですが、家父長制なんて言葉もありますよね。
そういえば、家父長制も既に廃止された制度であり、否定的な文脈で使われることが多いですね。
68. さんちゃん — February 4, 2010 @22:08:55
69. さんちゃん — February 4, 2010 @22:14:44
70. moorhen — February 4, 2010 @22:27:16
ハプスブルク家。
71. オキナタケ — February 4, 2010 @23:01:48
言葉を使用するのに、その言葉の成り立ちを知っている必要はありません。これは大原則のはずですが。
1文字ずつの成り立ちもまともに知らないのに、みんな無邪気に字を書きすぎですよね。
73. さんちゃん — February 5, 2010 @00:13:35
そういえば、「漢字は女性差別だ」というのがあったが・・・。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100125/chn1001250931000-n1.htm
74. 小田原人 — February 5, 2010 @01:00:17
75. かも ひろやす — February 5, 2010 @04:24:53
76. 技術開発者 — February 5, 2010 @07:48:11
>これくらいで勘弁してくれませんか。
「いや、勘弁ならぬ」なんてことは言いませんのでご安心を、正直、安易に「学校で教えれば良い」と書いちゃったかな、と思わないでも無いです。
ただね、私には学校で教える歴史が、とても平板になっていることに対する不満というのはあるんですね。なんていうかな、例えば農耕をはじめた部族が、農耕地を広げるための労働力と農耕適地を求めて、周りの狩猟採取民族を圧迫したと言う定説だって、そこには、「今まで、気ままに狩りをして暮らしていた者が、突然奴隷にされて灌漑水路の工事をさせられる」みたいな悲哀の部分と、「狩りの成果は不安定で子供も良く餓死したけど、農耕奴隷にされたらとにかく飢えずに子供も育つように成った」みたいなメリットの部分を含んで居るんですね。世襲制にしても、「子供に継がせることにしたら、馬鹿も統治者になってしまう」というディメリットと、「かといって統治者を力で決めたら、統治者が死ぬたびに力のある者の間で争いが起こって安定しないから世襲でいこう」みたいなメリットとのぶつかり合いの中で生じてきたものだろうと思います。まあ、「そんなのは、一方的な見方だから教えるな」も正しいんだけど、なんていうか、色んな見方を全部教えるのは難しく、じゃあどれかだけ教えるのは不公平だから教えない、みたいな教え方の中で、「農耕」→「階級制」みたいな話が、とても上っ面で教えられて、結局、「我々はそういうゴチャゴチャした選択の末に今に至るんだ」みたいな事を全く考えることのない人間ができている気がするんですね。
技術開発者さんが書かれた内容は、歴史学と言うより、社会学に寄った内容だと感じます。
妙な指摘になってしまうのですが、義務教育または高校でその辺りのことを教えるとしたら、「公民」や「政治経済」ではないでしょうか(社会の仕組みを深く考えさせるという内容になりますので)。
私は大学で歴史学を専攻しました(ただし学部止まり)が、歴史を「教科として教える」ことには、何とも言いようのないむずかしさを感じます。
『史記』などの例をあげるまでもなく、残されている歴史自体には常に、語り手の思想や意図が含まれます。これを完全に除去するのは不可能でしょう。また、現代の価値観で当時の価値観を見るのも、やむを得ないことではありますが、教授する側としては、あまり適切な姿勢とは思いません。教授する側は、歴史自体に含まれる意図と、教授する自分自身の意図の双方を認識しなければならないと思います。
その上で基礎的な知識を教える、となると、起きた(とされる)事柄をまず伝えなければなりません。なるべく上記のプロパガンダのようなものが混入するのを避けていくと、どうしても「事実とされる事柄のみを教える。解釈は各自でせよ」となってしまうのではないかと思います。私自身は、どちらかと言えば、そういった、教授する側がどう思っていようと、それをなるべく反映せず教えようとする方が、誠実な姿勢だと思ってしまいます(もちろん「語られた歴史自体にバイアスがある」「解釈は各自でせよ」と伝えることも必要)。
基礎を学ぶ段階で、教授する側に「私はこう思うんだよね」と自説を開陳されてしまうと、その影響はとても大きい(教授する側の自説が定説として受け取られてしまう危険がある)からです。
ここから下は少々蛇足の感があります。
実際問題として、義務教育で「歴史」に割ける時間は、小学校は6年生の1年間、中学校3年間のうち「地理」と「公民」を除いた3分の1ですから1年間、合計2年間。学習指導要領(新)の割当時数は、小学校105時間、中学校は単純に3分して116時間です。
小学校だと一コマ45分、中学校だと一コマ50分。実時間だと約79+97時間です。
これだけの時間数で旧石器時代から現代までを教えるのですから、ある程度表層的になってしまうのはやむを得ないのではないか、と思ってしまうのです。時数を増やすべき、教える内容を絞るべき、という別の議論は発生するでしょうが。
長文申し訳ありません。
78. 庸 — February 5, 2010 @10:19:55
とりあえず「天皇家」のほうはご理解いただけてなによりです。
あと、房学基さんも家父長制は制度であるとお認めになっているようなので、少なくとも自然発生したものであっても制度と呼びうるものはあるという点はいいのかなと思います。
さらに、言葉のなりたちを意識する房学基さんの姿勢を私は素晴らしいと思いますが、皆が皆そうではないこと、及びこだわり過ぎてもおかしなことになるということ(例:嫁、民、母など)にもご留意いただければと。
要するに、「天皇家」「天皇制」という言葉だけでいきなり思想背景を云々するなんざ無茶っすよ、ということだけです言いたいのは。ハイ。
79. 左派おじさん — February 5, 2010 @12:18:30
このコーナー、言葉の意味など、歴史から始まって、疲れてしまいます。漢字の成り立ちから言っておれば、大変ですよね。自分の読んだ本の説明と矛盾するような使い方を見つけると「勉強せずに安易に使っている」と批判されれば、何も言えない。
なお、漢字の成り立ちの説明は、漢和辞典にも載っていますが、ユニークな本として(もっとも、その世界では有名な本ですが)白川静の「甲骨文の世界」があります。原文(スケッチ)と読解文が載っており、驚くような漢字の成り立ちが次々と解説されます。ただ、白川氏の解釈は、定説とまではいかないようです。
(別の話/最初の菊池先生のお話/疑似科学について)
ニセ科学を告発する本として、わたしが最も感動したのはテレンス・ハインズ著「『超科学』をきる」。文学に対する批判などに若干の勇み足を感じないでもないですが、科学に対する深い信頼と詐欺に使われるニセ科学への激しい憤りには、深い敬意を持たざるを得ません。
ニセ科学を見分ける最も単純な、しかし見落としがちなフィルターが紹介されています。
「反論不可能な主張は、信用してはならない」
例は、「○○神を一心に信じれば、病気は必ず治るのだ。あなたが治らないのは、まだ信心が足りないからだ」
「みんなで心を一つにして呼べば、UFOは必ず現れる。でも、少しでも疑う人が混じっていれば現れないのである。」
ウソみたいだが、常温核融合はその現象を信じている人の前でしか起こらない、という主張がされたことがある、とのことです。(そうだとすると、検証実験は不可能です)
5年前の菊池先生の最初の問題提起に戻り、八木氏や、類似の主張をされるJ大学のW先生(一説によると日本の輝ける知性)の主張を、このフィルターを通してみなおしてみるのもよいかと思いました。
80. 技術開発者 — February 5, 2010 @14:05:33
>技術開発者さんが書かれた内容は、歴史学と言うより、社会学に寄った内容だと感じます。
そうですね、社会学というべきかも知れません。私はニセ科学批判で「原始の村のたとえ話」などを作って示したりしますが、社会の様々な事柄をその始まりの頃に置き換えて考えると、分かり易かったりする場合もあると考えています。そういう意味では社会を「歴史」「政治経済」「公民」と分けて教えるのは仕方ないのですが、臨機応変さがあっても良いのではと思ったりします。世襲というと政治家の世襲が問題になったりしますが、要望の吸い上げと選挙のための後援会組織を「統治のための官僚機構」と考えると歴史的に世襲が行われていた事と相似形を示す気がします。
>このコーナー、言葉の意味など、歴史から始まって、疲れてしまいます。漢字の成り立ちから言っておれば、大変ですよね。
私はそう言う話になると「言葉の使われ方は変わっていくものですよ」なんて言います。例えば「折檻」なんてのは、ある家臣が手すりが折れるまで抵抗しながら皇帝を強く諫めた事から出来ている熟語ですからもともとに、目下の者に暴力をふるうような意味は無いのですが、今はマスコミも含めて「子供を折檻して」なんて使いますからね、と雑学を披露します。なんていうか、故事成語に詳しかったりするといちいち目くじらをたてられないくらい意味は変わって使われていますからね(笑)。
古代史では笑い話に「みみたり」という名前を「耳が垂れていた」と説話している風土記などで言葉の変遷を説明したりします。原日本語では「み」は良いという意味です。二つ重なるととても良いの意で、「たり」は満ち足りているという意味ですから「とて良い物が満ち足りている」という名前ですが、その古文書が書かれた時代には既にその原日本語の意味が分からなくなっていた事がわかります、なんてね。古代から言葉は変わり続けている訳です。
81. 左派おじさん — February 5, 2010 @15:43:37
今度は批判じゃなくて、教えていただければありがたいのですが。
「疲れる」と言っておいて、語源の話してすみません。
「みみ」は、「とてもよい」とのこと。文献に記録される前の意味だそうですが、どのようにして調べるのでしょうか。最近魏志倭人伝を読み直したので、「みみ」「みみなり」と訓じ得る官名(たぶん。官の人名ではないと思う)があったのを思い出しました、恐らく最も古く記録された日本語の一つでしょう。最近宮殿跡の発掘調査のあった桜井市には、「みみなし山」もあります。関係があるのでしょうか。
昔読んだ本(大野晋著だったと思う。いま手元に無い)に、文献にはないが、複合語の中に残っている古語として次のものが挙げられていました。
男ーキ 女ーミ
例:.ぅ競淵/イザナミ ▲キナ/オミナ
これにより、過去にはキ、ミが独立した単語として使われていた、と推論しているものと考えます。
少し違うのですが、鳥をあらわす言葉(接尾語) メ
例:ツバメ、カモメ、スズメ
しかし、他に例を思いつかず、いかにも例が少ないなあ、と思いました。
著者の提案としては優れたものですが、定説になるのかな、と思いました。「み」の古い意味もこのようにして調べるのですか。
「み」だけでは、強い敬意を表す接頭語としては今でも生きていますね。複合語になっているものも、「みや(宮)」「みかど(御門、帝)」など
いくつか挙げることができます。関係ありますか。
なお、「定説、教育」云々の議論を繰り返すつもりは全くないので、よろしくお願いしたいのですが。
>「みみ」は、「とてもよい」とのこと。文献に記録される前の意味だそうですが、どのようにして調べるのでしょうか。
失われている古代語って想像はたくましくできるんだけど、解明は大変ですよ(笑)。まずは、例えば風土記は8世紀の終わり頃の成立で、今は5地方くらいしかきちんと残っていないのね。でも断片化したものなら結構残ってて、それなりに地名説話なんかも書いてある。さらには、今、きちんと残っている出雲や筑紫の場合は異本が断片的に残っていて、記載内容とか漢字での音の表し方とかからみて異本の方が古い記載なんですね。まあ、そういったものとか、中国の文献に記載された日本の事とかを総合して、さらには万葉集の中の地方の方言(万葉集には「これはこの地方の方言だ」と注釈のついた歌もかなりある)とかまで参考にして、古代語を解明していくわけです。古事記の神様の名前なんかも、古まから口伝されているので、使えます。でもって、ロゼッタストーンじゃないけど、一部が解明されると、それとの関係で他の部分も解明しやすくなったりはしますよね。
83. 左派おじさん — February 5, 2010 @18:53:54
どうもありがとうございます。風土記や万葉集を主な資料とするのですか。わたしは、はずかしながら風土記は読んだことがありません。
「みみ」の質問、「神」は「上(かみ)」にいるから「かみ」というとか、「日」と「火」は、両方とも明るく熱いから同じ言葉「ひ」が使われるのだろう、といったレベルの質問ですが、もしわかれば、お時間のあるときで結構ですから、お教えいただければ。
でも、こんなことにスペースを使ってたら、菊池先生にアクセス禁止にされるかな。もともと天皇制と科学を扱うためのサイトなんだから。
84. いしやま — February 8, 2010 @01:31:13
話的には蛇足になりますが、九品官人法(というか、科挙前史)なんか、官僚制の発達とその世襲・貴族化なんかの話をするのにいい題材なんじゃないかと思うんですが。どうでしょうか?
それにしても、古来の祭祀王を国家元首とする現行法の解釈(?)で盛り上がれるというのは、平和な証拠なんでしょうねえ。元首としても、祈ることが主業務でいられるというのは、めでたいことだと思うのですが。
あと、「サイト」ってのは、「スレッド」の書き間違いですよね。細かい話ですが。
85. 技術開発者 — February 8, 2010 @08:23:18
まず、これから(笑)
>最近宮殿跡の発掘調査のあった桜井市には、「みみなし山」もあります。関係があるのでしょうか。
地名と古代語の関係を見るためには、まずその地名の古さから調べる必要があるんですね(最近も古代語で読めると思って調べたら江戸時代についた地名でがっかりしたなんて事がありました)。奈良の「耳成山」というのは、他の「うねび」「かぐ」とならんで大和三山ということで、古い記録がいっぱいあるので、相当昔からそう呼ばれていたと思われます。一応、地名説話では、大地に立った耳の様に見えるから「耳成山」と呼ぶとなっています(笑)。別にその定説が違うという事を言い立てても仕方ない訳で、そういう地名説話ができる前は、「とても良い山」という意味で「美美成し山」であったのかもしれないと考えるくらいで留める訳です。
>「日」と「火」は、両方とも明るく熱いから同じ言葉「ひ」が使われるのだろう、といったレベルの質問ですが、もしわかれば、お時間のあるときで結構ですから、お教えいただければ。
古代に「太陽信仰」があったのは確かそうです(魏志は銅鏡を「好物」と言っていますが、古代の鏡信仰も太陽信仰と結びついていると考えられます)。その時の太陽を表す言葉が「ひ」であったこともたしかでしょうね。古代語で「火」の方は「ほ」の音の方が近い気がします。というか、古代日本語にはH音が無いので、太陽は一度口をとじてpHIだろうと思います。それに対して火の方はfOに近いかな。
>でも、こんなことにスペースを使ってたら、菊池先生にアクセス禁止にされるかな。もともと天皇制と科学を扱うためのサイトなんだから。
なんていうか、歴史というのをきちんと社会科学として楽しむことができれば、そこに自然科学を装う血統論なんかが入ってきても、笑って却下出来るのでは無いかと思ったりしますけどね。
86. かも ひろやす — February 8, 2010 @10:56:06
細かい話ですが、日本の元首が誰であるかについては、諸説あります。日本国憲法には元首が誰であるかは明記してありませんし、たしか、政府の公式見解もなかったはずです。ただ一つ、外務省は天皇の公式訪問先の国に対して「天皇を元首として待遇するよう」要請していますが、これが「元首として公務を行うから」なのか「元首を代理して公務を行うから」なのかは言及をしていません。
個人的には、天皇と内閣総理大臣が半分ずつ元首だと思うんですが、それではだめなのかなあ?
「だから日本は……」と言い出す人が出てくるといやなので先に書いておきますが、元首が誰であるかが憲法に書いてなくてその筋で論争になっているのは、日本だけではありません。私の知っている他の例は、カナダとかオーストラリアとかの英連邦諸国です。
>話的には蛇足になりますが、九品官人法(というか、科挙前史)なんか、官僚制の発達とその世襲・貴族化なんかの話をするのにいい題材なんじゃないかと思うんですが。どうでしょうか?
う〜ん。それ以前もしっかり官僚制があって、むしろその世襲型の官僚制が宦官登用で乱れて、それを立て直そうとできたのが九品官人法のような感じですね。
中国の官僚制というのは周の時代には既に完成の域に達している訳です。春秋戦国になると、優秀な官僚の引き抜き合戦すら行われている(笑)。例えば「楚材を用いるものは晋なり」なんて言葉がありましてね。これは楚の国には優秀な人材が出るのだけど、楚は門閥性が強くて優秀でも恵まれないので、門閥性が少ない晋の国で活躍する者が多いなんて意味です。
時代がずっ降って契丹の王族である耶律氏が契丹が滅びたあと金の宰相になるんですが、「もし金が蒙古に滅ぼされても、お前はその国で用いられろ」と子供に楚材と名前を付けたなんて話もありますけどね。
官僚制における門閥性は人材登用の敵なんですが、漢の頃から「宦官になることでの登用」というのが結構起こるんですね。家系崇拝の国ですから、子孫が残せない宦官なら一代限りで登用できるという考え方です。ところが、後漢の末期になると宦官が養子を持つことができるようになる訳です。魏の曹操なんかは宦官の養子ですね。こうやって、人材登用と門閥性のしのぎ合いの中で、九品官人法なんかが生まれ、やがて科挙へとつながっていく訳です。
88. トンデモブラウ — February 8, 2010 @14:23:12
宦官トップの曹騰の養子が曹嵩。
なので、「魏の曹操なんかは宦官の養子」というのはどうでしょう?
89. 技術開発者 — February 8, 2010 @14:52:49
>宦官トップの曹騰の養子が曹嵩。
>なので、「魏の曹操なんかは宦官の養子」というのはどうでしょう?
あはは、間違えましたね。「宦官の養子の子」でした。いずれにしろ、門閥によらない人材登用を一代限りにするために宦官にするという流れが、養子を取ることを認めることで、新たな門閥を発生させる流れです。
90. 左派おじさん — February 8, 2010 @12:15:57
どうもありがとうございます。いろいろと参考になります。
「かみ」の話は、今の研究レベルからすれば、コジツケに属する低レベルの語源論の例として挙げたもので、橋本進吉博士により論破されたものと認識しております。(わたしの「みみ」の質問も、恥ずかしながら、似たところがある)
皇位継承について愚考。
ここでは、皇位継承の本質が神武天皇のY染色体の継承、との主張が、あほらしい、ということにほとんど異論はないようです。わたしも同意見です。でも、血統の男系維持が必要と考えている人は、そう少なくはない。
このスレッド(これでいいのでしょうか?)では、伝統の起源まで議論しないと気が済まないかも知れませんが、伝統というのは起源がどうだから続ける、やめるといったものではないと思います。それなりに尊重しなければ、社会がうまく運営できない。でも、今の価値観からしてあまりにはずれたものは、消えていかざるを得ないのです。
皇室は、厳密にいえば民主主義や平等思想から、はずれていることは間違いないけど、日本の国力から見て廃止しなければならないほどの費用がかかるわけでもなく、皇室の構成員自体が日本の国益に悪影響を与える言動を行っているわけではない(と私は思っている)ので、象徴として維持することには問題がないと思っています。このことで憲法を改正するには及ばない。
では、皇室の伝統とはどんなものか。一言では言えないものと思います。つまり、多くの、脈絡があったり無かったりする、膨大な伝統の寄り集まりではないのかと思います。男系での皇位継承もその一つ。しかし江戸時代以前は、有資格者の中のだれが天子となるかの明確なルールはなかったようです。だからこそ皇位継承争いがおこり、しばしば出家を要求される。その中で、一度臣下(これも現代にはそぐわない言葉ですが)となったものは、皇室に復帰することはできない、という伝統があります。天皇の実子の場合にのみ、大議論の末、復帰を認める場合があったようです。
だから、平氏や源氏は、天皇の子孫であることを理由に自ら天皇となることは不可能で、娘を入内させて天皇の祖父となることにより権力を強める、という戦略をとりました。
旧宮家復活論者は、この千年以上厳しく守られてきた伝統を、我々の世代でないがしろにして、無視してしまおう、皇室の伝統をやぶって勝手に作り変えてしまおう、という伝統無視、国体無視の議論をしております。
それで自分を「皇室の専門家」「伝統を重んじる真の愛国者」などと言って恥ずかしくないのでしょうか。言っていることに統一が無い。自分勝手な思い込みだけで優先順位を決めている。反対者を「無知」扱いする。
わたしは、現在の「家族」の概念を尊重し、女系天皇を認める、という皇室典範の改正が必要だと考えます。しかし、喫緊の課題ではない。
年齢順に皇位継承者を決めるか、男性がいない時に限って女系に移ることを許すかについては、まだ意見を決めていません。
すみません、オリジナリティがありません。小泉内閣の時に出た、答申を支持する、と言っているのと、変わりません。
91. 技術開発者 — February 8, 2010 @15:49:38
>皇室は、厳密にいえば民主主義や平等思想から、はずれていることは間違いないけど、日本の国力から見て廃止しなければならないほどの費用がかかるわけでもなく、皇室の構成員自体が日本の国益に悪影響を与える言動を行っているわけではない(と私は思っている)ので、象徴として維持することには問題がないと思っています。このことで憲法を改正するには及ばない。
私に言わせれば、「日本国民が基本的人権を重んじる様になるまでの過渡期敵措置」というのが皇室だろうと思っています。日本国民が「一家族の基本的人権(参政権や職業選択の自由やらですが)なんかよりも、自分たちが国の象徴を求める欲求の方が強い」と判断する限り、皇室は続くでしょうね。
人間はもともと合理的な存在ではあり得ない訳です。でもその中でなんとか、様々な概念を確立させてきた訳です。基本的人権という概念もそうだし、民主主義もそうです。そういう文化よりも、自分の中の不合理性を満足させる方が大事と思う限り、一家族から生まれつき参政権も職業選択の自由も奪ってもかまわないと考えるのだろうと思います。
わたしが技術開発者さんの広い知識と健全なお考えに敬意を持っていることはご理解いただけていると思いますので、若干の愚見を。
基本的人権や、民主主義は、まだ人類全体のの思想にはなっていませんが、日本では国是の思想となっていると言って差し支えないでしょう。政治的な反対者を批判する言葉は、自民党から共産党まで「基本的人権が分かっていない」「民主主義に反している」であり、自らはその守護者と言ってますから。でも、これから先、ほんとうに改善されていくんでしょうか。(ひどい事例の改善の努力は、されるものと信じています)
参政権は、こんど政権交代があって、投票の力が無いわけではないことが明らかになりましたが、第二次大戦後の長期にわたり、自民党は得票数では過半数を割っていましたが定数配分の不均衡と反自民勢力の分裂により、安定した多数議席を確保してきました。万年与党は各利益団体と結びつき、その恩恵を受けない人を無視しても、絶対権力はゆるぎませんでした。これが40年も続き、野党支持者は、参政権が本当に意味があるのか疑問に思っていました。現在の制度でも、政治的に少数意見を持つ人たちはその投票数に見合う議席は得られず、正当な力を政治の場で行使することは許されていません。比例代表の議席を減らし、さらに少数者を無視し、完全に締め出す案も真剣に検討されています。程度問題もあるでしょうが、十分な対応処置のもとに、皇室の参政権をなくしても、立場上のことを考えればやむをえないのではないかと思います。ただ、参政権を与えること自体(特に選挙権)検討してもよいと個人的には思いますが。
職業選択の自由は、もっとひどい。その家に生まれたから実質的に職業選択の自由が無い、というのは、生産材の私有と財産の相続がからんで、良くも悪くも日本に深く根を張っている社会構造なのです。「おれは家業はやらない」と言えば、従業員の首切りと取引先の迷惑を引き起こし、批判の的にならざるを得ない人は多い。博士課程までの教育を受けて学問に生きるためには、生まれた家に余裕があって、親兄弟の扶養を少なくとも30才近くまでしなくてよい人に限られる。自己責任と、突き放すこともできるかもしれないが、恵まれた人には、自分が恵まれていることはわからないことが多いのです。これも十分な対応のもとに、制限されても仕方ない。
理由もなく監獄に放り込まれるような人権無視とは違い、皇室の受けている人権の制限は、その見返りと仕事の特殊性から見て、とりたてていうほどのものではないとおもいます。過渡的なものと言えばそうかもしれませんが、何が公平か、何が平等かの議論が、果てしがなく、大きなゆれが繰り返されるように、人権無視かどうかは人により、時代により変化するでしょう。皇室の現状は、この揺れの範囲に納まっているように思うのですが。
93. 技術開発者 — February 9, 2010 @08:13:55
>皇室の現状は、この揺れの範囲に納まっているように思うのですが。
結局の所、基本的人権という人類が作り出した理念はまだその程度の認識なのですよ。
私は、現代の皆さんが普通に「あるのが当然」と思っておられる選挙権について良く歴史を述べたりします。産業革命の後の英国で、労働者の生存権の問題として起こった「機械うちこわし」とそれに対して、貴族や金持ちの投票で成立する議会が出した「団結禁止法」。打ち壊しと首謀者の縛り首のいたちごっこのあげくに起草される「人民憲章(ピープルズ・チャーティ)」。人民憲章に書かれた普通選挙を求めるチャーティストたちと彼らを弾圧し流刑にする政府。やがて流刑地であるオーストラリアではじめて行われた人民憲章に基づく普通選挙なんてね。
なんていうかな、たった普通選挙一つとりあげてもどれほどの血が流されてきたことか。人間の作り上げる文化というのは、沢山の血でしか磨き上げられないのかも知れないと思ったりするんですね。
94. 左派おじさん — February 9, 2010 @10:56:50
お世話になります。
>結局の所、基本的人権という人類が作り出した理念はまだその程度の認識なのですよ
わたしの認識を含め、そのとおりかもしれませんね。なにしろ、わたしは参政権を手に入れるのに、血も汗も流しておりませんので。
したがって、すべては本や討論から得た知識なのです。でも、わたしの習ってきた範囲では、〇伽権は、すべての人(年齢制限はやむを得ない)に平等に与えられるべき代議制をとるばあい、可能な限り選挙結果を忠実に反映しなくてはならない といったことは、あたりまえのようにわたしの思想に入って行きました。しかし、現実はそうではない。住むところによって実質的に票の数は異なる。少しでも相対的に強ければ、ほとんどの議席を独占できるような制度に「改革」される。
かつて自民党を支持する人の選挙制度への考えを聞く機会がありましたが、選挙は自分たちの有利さを維持・強化するためのものであり、どう言う制度にすれば反対者の議席を減らせるかといったことばかりに関心があり、民意を正確に反映させようという考えは微塵もありませんでした。
「そんな制度にしたら、共産党が得票率どおりの議席をとってしまうじゃないか。ナンセンスだよ、そんな制度。」
といったものです。最近会っていませんが、支持政党を変えてなければ選挙制度への態度は変わっているでしょうね。
この人に限らず、自分の反対者が有力になるような制度は悪、と考える人はいくらでもいます。そして、そのような人は大きな力を持っています。
日本における参政権の認識は、そんなものかもしれません。われわれの時の教科書はそうではなく、たぶん今でもそうではないでしょうに。
95. 技術開発者 — February 9, 2010 @13:35:27
>わたしの認識を含め、そのとおりかもしれませんね。なにしろ、わたしは参政権を手に入れるのに、血も汗も流しておりませんので。
>したがって、すべては本や討論から得た知識なのです。
人間である以上、人類の歴史を全て体験する事はできないわけで、過去の知識から考えるしか無いのです。自然科学だって、沢山の先人が何を疑問に思い、どう実験して、どういう理屈を得たかでしか無いわけですが、我々はその流れをトレースすることで、今ある科学の知識を大事に思い、そして少しでも発展させて次の世代に引き渡そうとしている訳ですからね。
なんていうかニセ科学の言説に関しては過去の失敗研究を剽窃する事で権威付けするものの多くあるんです(マイナスイオンにおける空気ビタミン仮説とか、血液型と気質の研究とかね)。なんていうかな、それらの元に成った研究というのは、間違った仮説の元で考えることで失敗はしているのですが、やった人はそれなりにまじめで在ったわけです(その時代の影響は受けていますけどね)。現代でそういう過去の失敗をあたかも成功した研究であるかの如く言いふらしてニセ科学を広める者には、そのまじめさはかけらもありはしないのですよ。
なんていうかな、最初に教育といって叱られたけど、私には現代人が「今だけ」に見えるんですね。自分たちが過去から様々な苦労の末に作り上げた文化を受け継いで、そして少しでも良くして、次の世代に引き渡す役目を持った存在なんて、何一つ考えてもいない感じを受けるわけですよ。
96. かとう — February 9, 2010 @20:52:13
中村桂子さんの欄とか、いろいろ見ましたが、技術開発者さんは、博学ですねえ。こんな人にかみつくとは、メクラ(差別用語!)蛇に怖じず、というか、われながら無鉄砲なことをいたしました。反省。
このスレッドに書くことじゃないけれど、テレビでの仕分けのニュース、蓮ほうサン、損をしましたね。するどく切り込んでいたのに、科学・技術のときはあほうに見えてしまった。実際は、科学技術予算に巣食う寄生虫の排除を目指したはずなのに、理解されなかった。
また、明日以降、恥ずかしげもなく愚見を開陳したいと考えます。
98. 左派おじさん — February 10, 2010 @13:15:39
カレンダーを見たら、明日は建国記念日ですね。天皇誕生日はちょっと別ですが、建国記念日は、皇室に最も関係が深い祝日ですね。(厳密には、他にもいくつかあります)法制化される際には、随分と議論がありましたが、今はさらっと賛成派、反対派の集会のニュースが流れるだけ。世の中変わりました。このスレッドの論調から言えば、悪い方向に。
しかし、いったい何の日だろう。もちろん神武天皇が初代天皇として即位された日、なのですが、この日を現在の暦に換算すると2月11日に当たるそうです。(ちなみに、旧暦では1月1日)
神武天皇を架空の人物と考える人は多い(定説に近い)けれど、学者でも実在を認める人がいて、話はかなりややこしい。
実在に異論がない継体天皇から見て、世代数で20代ほど前の人です。継体天皇の20代前の男系祖先が実在し、それが人間であったことは全く疑いの余地がありません。では、その人が神武天皇と言えるか。口承にしろ文献にしろ、古い時代のものは(新しくてもですが)完全に正確とは言えず、伝わった名前や治績、血縁関係が少しでも事実と違えば架空の人物だ、とは言いきれません。でも、奴隷(奴婢)で一生を終っていれば、神武天皇は架空、と言っていいでしょう。では、「村長」くらいだったらどうなのか。いろいろと議論が出るでしょうね。どれくらいの権力と勢力圏を持っていれば「天皇」と呼んでいいのか。そう簡単に定説は成立しないと思いますね。
神武天皇の実在を認める説において、提唱者は次のような推測をしていました。(かなり昔です)
‥傾弔糧泙、比較的近くの、小豪族の姫である。創作があったなら、もっと大そうなことを言えばよい。
天皇の寿命が異常に長い。引き延ばしが行われたのであろう。架空の天皇がいるのなら、もっとたくさんの天皇を作り出せば、こんなことをする必要はない。
つまり、細かいところはともかく、大筋で神武天皇から開化天皇までの記紀の真実性を認めるべき、との主張です。
でも、冷静に見れば、これは神武天皇から開化天皇までは、村長か、せいぜい知事程度であった、という主張であるようにわたしには思えます。
神武天皇の実在性についてはいろいろな議論があり、頭から一笑に付すのは危険があると思います。もちろん「記紀の記述が全部そのまま真実(史実)でなければ、それは神武天皇は実在しなかったということだ」、というのなら別ですが。
しかし、建国記念の日が史実に依拠しておらず、神話(の延長)から来ていることは、かの八木氏でさえも認めていることです。皇室の歴史は約二千年、と考えており(本スレッド記事からのリンクから)、2670年ではありません。歴史の引き延ばしが行われたことは、八木氏にも異論がない定説です。紀元前660年旧暦1月1日が建国の日と、本気で考えている人は、たぶん非常にめずらしい。
神話の世界に遊ぶことは悪いこととは思いませんが、現実の社会にあって、政治的意図があって行われた歴史の改ざん(記紀の記述のことです)に基づくことが明らかな架空の日を国家で祝う、というのは、いったい何を考えているのだろう、と思います。
でも、明日はなんだかんだ言っても休みなんだから、晴れたら奈良盆地南部の神社にでも行ってみようか。
99. かとう — February 10, 2010 @15:14:06
>即位された日、なのですが、この日を現在の暦に換算すると2月11日に
>当たるそうです。(ちなみに、旧暦では1月1日)
ここ違います。
紀元節を決める時に、明治6年の旧暦1月1日を即位日として、新暦の
1月29日を紀元節としました。
しかし、旧暦の正月って事で、一般人民が旧暦正月の祝日だと思う
のと、孝明天皇の命日の前日なので、紀元節を動かす事にしました。
で、古事記の「辛酉年春正月 庚辰朔」を元に、西暦紀元前660年の
立春に最も近い庚辰の日を探したら、新暦の2月11日だった。
と云う事です。
100. 左派おじさん — February 11, 2010 @11:14:59
雨が降っているので奈良盆南部の神社へ行くのは延期にました。
いろいろとありがとうございます。
明治時代の制定時の混乱についてはわたくしは知らず、明治政府の人は大変だったんだな、と思うとともに、いかにもやりそうな人間的失敗を伴って、興味深く拝見いたしました。
手元の古事記(岩波文庫)の神武天皇の項を読み直してみました。古事記には神武天皇即位の日付の記載は無く、注釈に「書紀は辛酉年春正月庚辰朔としている」とありました。年は辛酉革命説から来たのでしょうが、「春正月庚辰朔」とは、「旧暦1月1日」そのものではないのですか。庚辰の日は60日ごとに来るので、この日が朔であったかどうかは素人には調べるのは大変ですが、昔の暦学博士には可能だったでしょう。(いまでも専門家なら可能)
かとうさんのご説明を拝見しても、
/稽顱淵哀譽乾螢暦)に改暦したあと、紀元節を「正月朔」を元に、旧暦の1月1日(明治6年は1月29日)に決めた。
改暦で混乱していた人たちは、旧正月は従来通り祝日だと安心した。
8躄鬚砲△錣討神府は、孝明天皇の命日の関係もあって、書紀の記載に基づき、「辛酉年正月朔」がグレゴリオ暦で何月何日に当たるかを計算し、2月11日を割り出して、紀元節と決めた。
という風に解釈するのが穏当のように思います。
わたしの先の記載はこのようなことはふまえずにいったものではありますが、結果的には記載内容は正しいように思えます。
101. かとう — February 11, 2010 @12:21:00
ただ、日本で暦を作り始めたのが約西暦六百年からで、それから明治
最初の頃までに数回改暦されています。
上で書いた時に書かなかったんですが、さかのぼるにあたり、中国の
暦を使って探してますし、それも改暦はあります。
暦の無い時の事を後で作った話から推測なんて大変ですよ。
>暦の無い時の事を後で作った話から推測なんて大変ですよ
その通りですね。先ほどのわたしの投稿も、庚辰が朔であったかどうかは検証しないで、庚辰を無視して朔だけをたよりにした見解ですしね。
どこかで、この日が朔であった、といった文を見たことがあるのですが、それが正しいかどうかの検証もできないですし。途中で改暦があれば、それこそわかりません。明治の人も、なんらかの仮定をしたんじゃないですか。そのときの旧暦が、ずっと昔も使われていたとか。
関連してネットを見ていたら、「新しい教科書を作る会」のメンバーの、ある市会議員(選挙で選ばれた人ですよ!)が、「神武天皇の即位は西暦181年の辛酉である」との記事を載せていました。かとうさんの上のご指摘は、聞く耳もたぬ人も多い証拠です。わたしたちは、あくまで建国記念の日が決められた経緯を考察するために記紀の記載を検討しているわけで、それがそのまま事実であるとの立場とは根本的に異なります。
かの市会議員は、かの「事実」を、国民に日本の古い歴史に対する尊敬と誇りを持たせるため、教科書に載せようとするんでしょうね。
わたしたち、こんな愚か者たちに負けてしまうんでしょうか。
103. 左派おじさん — February 11, 2010 @14:01:36
神武天皇の実在性について。先に「神武天皇の実在を、頭から一笑に付すのは危険」と述べましたが、少し詳しく説明します。
まず、神武天皇とはどんな人か。古事記でも、海神の血を受け継いでいますが、本人は間違いなく人間です。祖先が降臨した九州の出身で、東征を行い、奈良県で初代天皇に即位しました。いつごろの人かというと、記紀の年代は引き延ばしが行われたことが明らかで、信用できないことは、ほぼ異論がありません。実在が確実な継体天皇(6世紀前半ごろ)から見て20代前、紀元0年ごろ(1代25年〜30年×20)の人らしい。でも、代数が信用できるのか、1代はもっと短い、そもそも実在が証明できないのにそんな議論は無駄、など、根本的なところで意見の一致を見ない。
時代背景
紀元0年ごろ、というのは考古学的には弥生時代で、すでに農業が産業基盤であった時代に入っています。日本社会にすでに階級が存在していたことは定説で、有力な王が日本統一を狙っても、その時代背景は存在していたと考えてよい。要するに荒唐無稽な話ではありません。
魏志倭人伝の話
卑弥呼の時代は、弥生時代末期と考えられていました。最近の研究では、実は古墳時代前期なのではないかと思わせる結果がありますが、まだ確定したわけではないと思います。魏志倭人伝を素直に読むと、邪馬台国は九州内に求めざるを得ない。畿内に持ってくるためには、どうしても「南」は「東」の誤り、と、原文の改変を行う必要があります。
弥生時代の遺跡は北部九州が質、量とも圧倒的であり、大陸に近くて文化の先行地帯としても有利。ここが日本の最初の中心地であってもなんの不思議もありません。
要するに、文献、考古学の両面から、また相互に補強しあって、北部九州が弥生時代に最先進地帯であったことを認める立場です。
政治権力の東遷
古墳時代前期からは、中心地が畿内に移りました。政治権力の中心が東遷したのです。九州の政権が、日本の広い範囲を支配していた形跡はなく、せいぜい九州内か、もしくは村落共同体にとどまっていたかもしれません。しかし、畿内政権は結局全国支配に成功します。
この九州から機内への政治権力の移動が、神武東征物語に反映しいているのではないか、ということです。政治権力の移動が、どのようなものであったかはわかりません。中枢が移動したのかもしれないし、非主流派が新天地を求めたのかもしれません。最終的には畿内勢力が全国制覇(北海道などのことは今は別です)します。
このときのリーダーが、神武天皇だったのではないか、そしてその血統は現在の皇室に続いているのではないか、ということです。
もちろん仮説のひとつにすぎず、上記のような見解に対する批判は山ほどあります。神話と史実の区別ができない人の論、との批判があります。神話に史実の反映を求めること自体、ナンセンスとの意見も強い。世界の神話の分析をしている人は、そのような批判があるのはわかります。(天の岩戸神話が、女王の死という史実の反映、という考えは、太陽神が死ぬか、身を隠し、その後復活するという神話の世界的な地理的分布を解明しようという研究者とは立場が相いれません)
九州が先進地帯というのにも反論があるでしょう。でも、唐古が発掘されれば中心は畿内、吉野ヶ里が見つかれば中心は九州、池上曽根が見つかればまた畿内、と、めまぐるしく移り変るのも事実。まだ、ほんとうのところはわからない。また変わる可能性は十分ある。
わたしは、神武天皇実在説が事実と言っているわけではありません。まだ、検討に値する仮説である、主張する人を頭からバカやペテン師扱いするのは危険だ、と言っています。Y染色体継承論とは違うのです。(もっとも、一部重なっているのがいやなところですが)
このような論をあまりにぞんざいに扱えば、ニセ科学者たちに「専門家でない人間が明らかな間違いをもとに我々を攻撃している。売国奴に魂を売るな」などと、攻撃の口実を与えてしまう可能性がある。それが、変に説得力を持ってしまうのが恐ろしいのです。
104. 技術開発者 — February 12, 2010 @12:16:32
少し「歴史書の読み方」という話をしますね。歴史について書いた物には必ず書いた人のイデオロギーというのは入る訳です。じゃあイデオロギーだけでデタラメしか書かないかというとそうでも無いのです。或る意味で、歴史書を読むときに、「書いた者が好き勝手に書けなかった部分」を読み取ることで、歴史を知ろうとする態度が肝心なんですね。
中国では「春秋の筆法」という言い方をしますが、周王朝の勢力が衰え強勢な国が覇者と成った頃に、覇者が周王を自分の国に呼びつけたという事件が起きた訳ですね。春秋を書いた孔子は、困ってしまって「君主、中原に狩りをする」と書いた訳です。この記述だとまだ勢力を保った周王が他の国に遊びに行った様に読める訳です。でもね、ここで分かって欲しいのは、そんな不名誉な事なら記述しないという事もできそうだけどできなかったという事なんですね。そうすると、その覇者の国の記録には「周王が来た」事が書かれ、周の記録には「不在」の記録しか残らなくなってしまいますから、孔子には都合が悪いんですね。そのため、「行った」と言うことは書きながら「遊びに行ったんだよ」という書き方をしている訳です。こうやって、「周王が覇者の国に行った」という事実が残される訳ですね。
日本の歴史書である日本書紀なんかも、「この王朝は尊い血筋だよ」というイデオロギーで書くわけですが、8世紀くらいだとまだ色んな豪族の持つ伝承に「あの家の先祖は九州の方からやってきた」と残っている状態だったのだろうと思います。そのため、「天から降臨した神の子孫だ」書きたい場合でも、三輪山に降臨させられない訳です(笑)。まず九州からやってきた事を認めて、九州の高千穂に降り立った神の子孫とつなげている訳ですよ(笑)。
なんていうかな、そういう歴史書をイデオロギーがあるからと排除するのではなく、「イデオロギーべったりなら、こんな風に書くだろう」と対比させることで、好き放題に書けなかった部分を見るなら、そこには割と事実が含まれていたりする訳ですよ(笑)。
105. 左派おじさん — February 12, 2010 @12:42:33
いろいろとお世話になります。
「歴史書の読み方」、笑いながら読ませていただきました。一応知っていたつもりでしたが、なかなか難しい。今は少し大人しくされていますが、古田武彦さんの文献批判は、このような立場であったと思います。「古事記」は日本書紀と違い、イデオロギーに毒されていない、との「常識」に対し、「それは程度が少ない、ということであって、無い、ということではない」と警告されていました。
パクリですが、面白い例をいくつか。
_Δ、隣国と戦争をした。まず敵の領地で勝ち、次に国境で勝ち、次に自国領内で勝った。(要するに、侵略を仕掛けたが撃退されてしまった)
中国に使いを送った。蝦夷を連れて行っていって、中国皇帝に見せた。珍しい風俗を見て、皇帝は喜んだ。(中国の記録。倭国と蝦夷国の使者が連れだって朝貢に来た。遠方からの臣従の使者に、皇帝は喜んだ。)
J婉の豪族が、外国の使者を自分のところに留め置き、王に取り次がない。土産物も横取りする。断固誅罰を加えるべし、と王は怒っている。
(実はこうなのではないか。豪族こそ本当の王であり、外国は、そこと正常な外交関係を結んでいた。辺境の乱暴ものの豪族が、王権を簒奪しようと狙っている。簒奪が成功した後、非行を正当化する理屈が必要になった。)
こんなものでしょうか。現代でも、似たようなことは普通におこなわれていますよね。
106. 穴開き — June 9, 2010 @21:49:24
>国といえるレベルになると、
>王権が世襲されるようになるのは
>珍しいことでも何でもないんですね。
歴史的に、世襲が個人の能力と無関係だと
国民が理解できるレベルになると、
革命やらなんやらで倒されるのは
珍しいことでもなんでもないんだがねw
ああ、それから近代の官僚制は、
古代のそれとは全く異なる。
詳しくはマックス・ウェーバーの本でも読んでくれ。
え?マックス・ウェーバー知らない?マジかよ