【格闘技 裏通信】苦闘の連続だった長嶋建吾が引退

2010.06.08


世界チャンプの夢は叶わず、長嶋(右)はグローブを置いた(写真は2006年の日本タイトル戦)【拡大】

 プロボクシングで日本と東洋王座を2階級制覇した長嶋建吾(34、18古河)が引退した。

 通算39勝(18KO)4敗2分。1月に東洋太平洋ライト級王座の防衛戦に失敗して引退を決意した。5月30日、地元での引退試合は本来、スパーリングだけの予定だった。しかし、ジムの主催興行でメーンに出場予定だった後輩選手が負傷し、代わってタイ選手との試合を行ったのだった。

 「最後まで不運がつきまとった長嶋らしいラスト」と漏らす関係者がいたが、筆者も同感だ。

 1999年6月、東洋王座3度目の防衛に成功した長嶋は、世界挑戦のため王座を返上。しかし、なかなか実現には至らず6戦ものノンタイトル戦を消化。この間、筆者は取材の中で、陣営が当時の人気選手、コウジ有沢との挑戦者決定戦をプランしていたことをつかみ、好カードだと胸を躍らせたが、幻に終わった。

 2002年、ようやく世界タイトルに初挑戦できたが、相手は辰吉丈一郎とも対戦した、当時23連勝中のシリモンコン(タイ)。長嶋は強烈な右フックに倒れたとき、マットに頭を打ちつけ記憶をなくす悲運。その後は防戦一方で、わずか2ラウンドのKO負け。

 これ以来、長く世界再挑戦の機会をうかがいながら実に20戦も戦った。ベテランらしからぬ硬派なマッチメークを勝ち抜き、06年に日本王座を、昨年は東洋王座を獲得したが、地方ジムの政治力の弱さか、2度と世界戦のリングを踏むことなくグローブを置いた。

 水面下では世界挑戦の動きがなかったわけではない。08年、当時WBA王者ホセ・アルファロへの挑戦交渉があったが、これは小堀佑介が熱心な個人スポンサーの協力を得て挑戦権を獲得。同年5月、その小堀がKOで世界を獲得した試合会場に、長嶋はいた。

 試合直後、盛り上がる場内で、長嶋は複雑な表情をしながら席を立った。口を真一文字に結んだまま会場を後にしたのを見た。

 さらに当初予定していた世界ランカーとの対戦がキャンセルする事態もあった。また、新王者・小堀とのスパーリングも実現したが、ユーモラスな小堀の動きに場内から笑いが起こる雰囲気で、長嶋の対戦アピールにはならなかった。

 これら不運続きについて先日、長嶋本人に聞いてみた。嘆くどころか「いや、これが僕のボクシング人生だったと思っていますから」と笑顔で応えた。

 この人の良さは時にファイターとしてマイナスだったかもしれないが、引退興行に元世界チャンプら関係者がたくさん訪れたのは、その人柄によるものだった。今後は指導者として再出発するというが、弟子にも慕われるトレーナーになるに違いない。(ジャーナリスト・片岡亮)

 

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