池田信夫 blog

Part 2

2006年06月

2006年06月30日 01:32
IT

グーグル:迷い込んだ未来

きのうのICPFセミナーは、グーグル日本法人の村上社長をまねいて話を聞いた。聴衆は、定員120人の部屋で満員札止め。話が終わった後も、30分以上も質問の列が続いた。村上さんも、今年に入ってからの日本でのブームの過熱には驚いていた。やはり『ウェブ進化論』がきっかけだったようだ。

グーグルは最近、いろいろなビジネスに手を出しているが、どれも「検索」に関連するものであり、アドホックに「多角化」しているわけではないという。グーグルのコアには技術があり、その本質はインフラ会社である。コンピュータ・センターには、普通のPC用のCPUやメモリやディスクを大量に組み合わせた「超並列コンピュータ」がある。その処理・記憶コストは、普通のPCよりもはるかに低く、これが目に見えないグーグルの技術革新だ。

ニュースになりそうなネタとしては、AdSense for Magazineというサービスを実験的に始めたという話があった。これは、雑誌の記事の余白に、その内容に沿った広告を入れるもので、同様にAdSense for Radioというのも始めたそうだ。同じ発想で、AdSense for Videoというのも考えているという。Book Searchも日本で実験を始めたが、新刊だけで、昔の本はOCRによる読み取りがむずかしいそうだ。

意外だったのは、「広告モデルに統一したい」という話だった。世間では、グーグルがビデオ配信などで手数料を徴収するようになったことを「ビジネスモデルの多様化」と評価する向きが多いが、グーグル自身にとっては、手数料は邪道なのだという。「ポータル」として長時間ユーザーを引き留めるつもりもなく、世界中の情報を整理し、すべての人々に無償で利用可能にするという企業理念が最優先だそうだ。

グーグルのいう「広告」は、従来の代理店が仕切る広告とは違うのではないか、という質問には、村上さんも、グーグルは電通のようになるつもりはなく、「ロングテール」の尻尾の部分に重点を置いているので、従来の広告とも競合しないという。私(司会)が「では『狭告』ですかね」と冗談でいったら、「それはいいですね」。

多くの人が質問したのは「グーグルのビジネスは維持可能なのか」といった話だった。これに対して、村上さんの答は「利益を上げることは、グーグルにとって最優先の問題ではない。株主は大事だが、それよりも企業理念のほうが大事だ」というものだった。これには、みんな納得していないようだったが、私の印象では、これがグーグルのもっとも重要な点だと思う。

企業を効率的に運営するためのひとつの指標が株主価値だが、それを最大化することが企業理念と一致するとは限らない。古典的な資本主義では、物的資本をコントロールすることによって企業を支配するので、資本の価値を最大化することが企業価値の最大化につながるが、情報産業のように人的資本や知識など無形の資産が重要な産業では、物的資本のみによって企業をコントロールすることはできない。

創業者のラリー・ペイジは日本が好きで、グーグルも日本企業の家族的な雰囲気を取り入れているという。物的資本よりも人的資本を重視するという点で、両者には共通点があるが、日本の会社が徒弟修業や年功賃金で従業員を囲い込むのに対して、グーグルは知的環境によって技術者を囲い込む。創造的で自由な仕事ができ、優秀な同僚がいるということが、その最大の企業価値である。

日本が、1周遅れでやっと「株主資本主義」に目ざめた今、グーグルは資本主義の次の時代のモデルを示しているのかもしれないが、それが何であるのかは、グーグル自身にもよくわからない。グーグルは「未来の会社が、まちがって現代に迷い込んだのかもしれない」という村上さんの感想が印象的だった。

追記:「グーグル八分」などの検閲をしているのではないか、という質問もあったが、削除については次の3項目を基準にしているそうだ:
  • 違法なサイト(幼児ポルノ、麻薬販売など)
  • クローラーをだますサイト(白地に白文字でキーワードを列挙するなど)
  • 名誉毀損などの訴訟で削除要求が認められたもの
個人情報の取得などをめぐって「グーグルはインターネットを支配しようとしているのではないか」という類の質問もあったが、村上さんは「すべて検索のなかで完結する話」と答えていた。経産省のやろうとしている「国産検索エンジン」にも「自由におやりになれば」とのことだった。こういう具体的な根拠もない「グーグル脅威論」が日本で根強いことには、私もうんざりした。

今月9日の「インサイダー取引はなぜ犯罪なのか」という記事には、たくさんのリンクやTBがついて、ブログでも話題になったようだが、意外に理解されていないのは、そもそもインサイダー取引が禁止されているのはなぜか、ということだ。以下は(前の記事では省略した)初歩的な解説なので、ちょっとくどい。知っている人は無視してください。

インサイダー取引が禁止されているのは、多くの人が素朴に信じているように、それが「詐欺」だからではない。だいたい「インサイダー取引」の定義さえ自明ではないのだ(インサイダー取引を説明する東証のパンフレットは50ページもあるという)。他人の知らない(未公開の)情報を使ってもうけることは、資本主義の鉄則であって、それが違法なら、世の中の企業秘密はすべて違法になる。

前にも書いたように、商品市場にも不動産市場にも、インサイダー規制はない。たとえば、サウジアラビアが原油の生産量を減らすという未公開情報を入手したトレーダーは、それがメディアで報道される前に、石油の買いを大量に入れるだろう。それで彼がもうければ、彼は優秀な相場師として賞賛されることはあっても、犯罪者とされることはない。機関投資家などの「玄人」が売買している分には、インサイダー取引は当たり前だ。事実、1980年代までの兜町ではそうだった。市場の話としては、ここで終わりである。インサイダー取引を禁止する自明の理由はない。

しかし証券市場が他の市場と違うのは、それが石油や不動産のような商品取引ではなく、企業の資金調達の場だということである。石油の相場がどうなろうと、世の中から石油がなくなることはないが、証券市場の参加者が少ないと、企業は十分な資金を調達できない。多くの「素人」が参加して証券市場の規模や流動性を高めることは重要だが、彼らと玄人の情報格差があまりにも大きいと、損失を恐れて素人は証券投資をしないだろう。したがって機関投資家と個人投資家を対等にするため、情報が公開されるまで取引を禁じるインサイダー規制ができたのである。

つまり「市場」にとってはインサイダー規制は有害だが、「資本主義」にとっては多くの投資家が資本市場に集まる必要がある。したがって市場に行政が介入することによって機関投資家の情報収集が制約される社会的コストと、それによって資本市場の規模が大きくなるメリットのどちらが大きいかが問題だ。これは理論的にはどちらでもありうるから、実証的な問題である。前回の記事でも補足したように、最近の実証研究によれば、インサイダー取引を禁止している国では、個人投資家の比率が高く、資本市場の規模と経済成長率には有意な相関があるから、証券市場の透明性を高めることは経済全体にとってプラスだと推定できる。

要するにインサイダー規制は、個人投資家を資本市場に参加させる「集客」の目的で設けられた規制なのである。磯崎さんの言葉でいえば、それはサッカーのオフサイドのように、それ自体はルール違反ではないが、それを許すとゲームがつまらなくなる(観客が集まらなくなる)からできた人工的なルールなのだ。だから47thさんも指摘するように、証券市場への行政の介入にはコストとメリットの両面があるということを「審判」が理解していることが重要だ。「ルール違反は厳罰に処すべきだ」という(それ自体は反対しにくい)建て前論によって、インサイダー取引の範囲が恣意的に拡大されると、証券市場の機能をかえって阻害することになりかねない。

追記:投資家の数が多いほどよい、というのは企業統治の観点からは必ずしも正しくない。昔の日本のように銀行が大口の融資をして企業をモニタリングする方式もありうるし、LBOでは投資家を減らす(負債に切り替える)ことによって企業を規律づける。ただ、資金調達がグローバルになると、銀行による規律は機能しなくなる。ここでアウトサイダーを「素人」と書いたのも必ずしも正しくなく、グローバルな市場では国内外の機関投資家の平等という意味もある。
2006年06月26日 14:31
経済

ビジネスとしての社会貢献

世界第2位の大富豪、ウォーレン・バフェットが、その400億ドルにのぼる資産の85%を寄付することを表明した。しかも、その5/6はゲイツ財団に寄付するという。これによってゲイツ財団の資産は580億ドルと、全世界の途上国への公的援助の総額にほぼ等しい規模になる。

最近、こうした社会貢献への関心が高まっている。最近引退したシティグループの総帥、サンディ・ワイルも、14億ドルを「神との約束」に使うと表明した。Economist誌も指摘するように、社会貢献は公的援助にみられる「政府の失敗」を資本主義が補正する点で重要である。特に途上国への援助はあまりにも少なく、費用対効果の検証が行われていない。たとえば、2000年の九州沖縄サミットで「デジタル・デバイド」の解消と称して行われた日本政府の150億ドルの「IT支援」などは、公的援助の浪費の典型である。

ただ民間の財団の支出も、これまで費用対効果をあまり考えず、スポンサーの趣味で行われることが多かった。ビル・ゲイツがフルタイムで基金のマネジメントにかかわるという決定は、この世界に大きな革新をもたらすだろう。日本の税務当局は、いまだに社会貢献を道楽とみなし、寄付にきびしく課税する。これは、民よりも官のほうが正しい金の使い道を知っているという前提にもとづいているが、こうした偏見を打破するためにも、社会貢献をビジネスとして合理的に運営する必要がある。
2006年06月26日 01:39

ネットがテレビを飲み込む日

ネットがテレビを飲み込む日
池田信夫、西和彦、林紘一郎、原淳二郎、山田肇

Chapter 00
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情報通信政策フォーラムのメンバーの共著。「通信と放送の融合」の現状と課題を、通信、放送、著作権、メディア、技術といった色々な側面から論じる。特に一般の読者向けに、なるべくやさしく書いたのが特徴。
2006年06月25日 09:59
科学/文化

Neil Young

Living with War
Neil Young
Reprise

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ニール・ヤングの新譜だが、彼の公式ウェブサイトで全曲、ストリーミングで聞ける。このアルバムのブログもある。ブッシュ政権の政策に反発して、ほとんど数日で録音したというから、曲も演奏もラフだが、それほど悪くない。61歳になっても、こういう「青い」音楽をつくる精神的な若さには感心する。

彼の1970年の作品、After the Gold Rushが、私の初めて買ったレコードだった。そしてこれが今でも、これまで聞いたすべてのレコードのなかで、私のベスト・ワンである。ここには、タイトル曲のような繊細なフォーク・ミュージックと、"Southern Man"のような荒削りなロックが同居し、危ういバランスを保っている。アメリカン・ロックの青春時代を代表する作品だ。

一般には、次のHarvest(1972)がよく知られているが、これは音楽的にも劣るし、オーケストラをつけるなどのoverproductionで、曲が台なしになっている。むしろ幻の最高傑作は、両者の間に録音されたLive on Sugar Mountainとも呼ばれるライヴ・レコードかもしれない。これは発売前に海賊盤が大量に出回ったため、結局リリースされなかったが、"Sugar Mountain"は、曲として彼の最高傑作である。

Harvestが全米ヒット・チャートの第1位になってから、ニールは逆にコマーシャルな曲を拒否し、出来不出来の激しいアルバムを出すようになる。もう少しいいプロデューサーがついていたら、もっと完成度の高いアルバムができただろう。80年代以降は、音楽的にもつまらなくなったから、彼のもっとも完成されたアルバムは、1977年に作られたコンピレーション、Decadeである。
2006年06月25日 00:16

黒澤明vs.ハリウッド

db87a1b6.jpg黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて

田草川弘

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黒澤が監督として起用されながら、撮影中のトラブルで降ろされた事件の真相を、米側文書も含む新資料で検証した本。黒澤の診断書や映画の契約書など、1次資料をもとにして、事件を微に入り細にうがって検証している。

映画についての日米の考え方の違いや、黒澤の人間性などがよくわかって興味深い。特に、彼が癲癇持ちだったという話は、初めて知った。なるほど、あの粘着質のリアリズムがドストエフスキーやゴッホと似ているわけだ。しかし、日誌や診断書などが生で何ページも引用されていたりして、やや冗漫だ。映画1本の話に480ページ以上もつきあうのは、黒澤ファンにはいいかもしれないが、ちょっと疲れる。
2006年06月24日 10:18
その他

GLOCOMの自壊

国際大学GLOCOMの所長代行と東浩紀副所長が辞職した。もともと所長は不在なので、経営者のまったくいない研究所という異常な状態になる。

こうなることは、十分予想できた。所長を辞めたはずの公文俊平が「代表」なる肩書きで居座る一方、経営責任は持たず、無能なスタッフを甘やかしてきたからだ。こういうガバナンス不在の状況では、まともな研究者はいつかず、行き場のない連中だけが残って、派閥抗争を繰り返してきた。経営は慢性的に赤字で、不正経理問題も起こり、財政的にもいつまでもつかわからない。

GLOCOMは、1991年に村上泰亮を所長として発足した。東大の「中沢事件」で辞職した村上と、リクルート事件で辞職した公文を救済しようという中山素平(興銀特別顧問)の温情で、興銀の取引先の企業から寄付をつのってやってきた。特に彼が社外取締役だったNTTからの寄付が大きく、いわば興銀とNTTの丸抱えでやってきたのである。郵政省とNTTが経営形態をめぐって対立した時期には、NTT分割に反対する「別働隊」として政治的な役割も果たした。

しかし社会科学系の研究所が、寄付だけでやっていくのは不可能である。NTTが1999年に再編された後は、郵政省との関係も修復され、NTTにとってGLOCOMの利用価値はなくなった。興銀もみずほFGに吸収され、他のスポンサーも中山の個人的な人望でつなぎとめていたので、彼が死去した今となっては、もうGLOCOMには存在基盤も存在理由もない。本体の国際大学も、大幅な定員割れで赤字が続いているので、GLOCOMが解体されるのは時間の問題だろう。
2006年06月23日 23:27
法/政治

村上起訴

村上世彰氏が起訴された。案の定「聞いちゃった」という記者会見のストーリーは、検察の証拠で崩され、故意を認めて「完落ち」した、というお粗末だ。この筋書きは、ほとんど『ヒルズ黙示録』と同じだが、違うのは、大鹿記者がライブドアの「決断」を05年1月17日としているのに対して、当の村上氏がそれを04年11月8日までさかのぼる検察の筋書きを丸呑みしたことだ。

常識的には、ライブドアがまだニッポン放送株を買っていない段階で、一社員から「願望」を聞いただけで、それを「5%以上買い占める」という重要事実だと認定するのはむずかしいはずだが、検察には決め手があったらしい。NHKのニュースによれば、「N社について」という企画書とは別に、04年11月に「ITとメディアの融合をうたった事業計画書」(*)を村上氏が書いてライブドアに渡していたという。これが事実なら、相手がそれに同意すれば重要事実と考えても無理はないだろう。

しかし、村上氏が抱えていたニッポン放送株をライブドアに買わせて売り抜けたという行為は、インサイダー取引にあたるのだろうか。この場合は、逆にライブドアが(村上氏が買い占めるという)「重要事実を知つて買い付けた」インサイダーになるのではないか。これに該当する条文が証取法にないからインサイダー取引として起訴するのだとすると、おかしな話である。公判で、弁護人が「起訴事実は証取法167条違反に該当しない」と主張したら、どうなるのだろうか。

167条では「公開買付け等の実施に関する事実を当該各号に定めるところにより知つたもの」が当該有価証券を買い付けてはならない、としているが、村上氏は自分から仕掛けたのだから、ライブドアに聞いて「知つた」わけではない。これは確かに不正行為ではあるが、インサイダー取引とは違う類型の犯罪である。前にも紹介した郷原信郎氏や小幡績氏のいうように、157条の包括規定で起訴して、判例で類型を規定するのが本筋だったのではないか。

(*)この「事業計画書」は、NHK以外のメディアには出てこない。NHKのスクープなのか誤報なのか不明だが、私の経験では、NHKの司法クラブがこういう危ないネタで他社を抜いたことはないので、後者である疑いが強い。

追記:47thさんから、コメントとTBで詳細な解説をいただいた。それによると、問題はむしろ村上氏とライブドアの行動が「共同買付」にあたるかどうかだという。両者が一体の「共同買付者」である場合にも167条を適用すると、「5%以上買い付けることを決定したファンドが、その事実を公表せずに買付を行うこともインサイダー規制に該当する」というおかしなことになり、企業買収の実務に影響が大きいそうだ。法律ってむずかしいですね。

2006年06月23日 12:55
メディア

メディアの1940年体制

「1940年体制論」というのは、野口悠紀雄氏の著書などでおなじみだ。戦時中の「国家総動員体制」に対応して、銀行中心の金融市場などができたという話だが、マスメディアにも「戦時体制の遺産」があることは、あまり知られていない。

特に顕著なのは、新聞である。「マスコミ不信日記」からの孫引きだが、桂敬一氏によると、1937年には全国で1420紙も新聞があったのに、検閲の手間を省くため、各県1紙に統合されたのだという。戦前は、新聞配達もあったが、一つの販売店が複数の新聞を配達する「合売店」だった。それが新聞の寡占化にともなって、現在のような「専売店」になった。だから新聞の再販がなくなると崩壊するのは「活字文化」ではなく「新聞専売店」にすぎない。

同じ理由で、出版の取次は2社に集約され、通信社も2社になった。電通が独占的な地位を得たのも、戦時中である。放送(ラジオ)は、もちろん国営放送として、国民を戦争に駆り立てるもっとも効果的な道具となった。こうしたメディアで「戦意発揚」の旗を振ったジャーナリストの多くは、戦後追放されたが、新聞社や放送局は残った。

1940年体制の中心だった銀行の護送船団行政は、1990年代に崩壊したが、こうしたメディアの戦時体制は、まだ残ったままだ。そして新聞は、部数の減少のなかで、大した意味もない特殊指定を死守しようとし、NHKは減少の一途をたどる受信料収入にすがりついている。彼らが競争を恐れるのは、無理もない。70年間市場経済を知らなかったソ連国民と同じように、彼らは自由競争というものを一度も経験したことがないのである。
2006年06月22日 15:01
IT

NTTとNHKの止まった時計

通信・放送懇談会では、NTTの経営形態について「2010年には、通信関係法制の抜本的な見直しを行う」と提言したのに対し、自民党の通信・放送産業高度化小委員会(片山虎之助委員長)では「2010年から見直す」としていたNTT再々編問題は、竹中氏と片山氏との会談で、「2010年の時点で検討を行う」という表現で実質的に先送りされた。

こういう結果は、当ブログでも予想したとおりだ。あらためて痛感するのは、NTTを特殊会社として規制する法律の弊害である。現在の経営形態が、インターネット時代にそぐわないことは明らかだが、NTT法を変えようとすると、法律を改正する作業だけで3年ぐらいかかる。2010年に改正しようと思えば、今から審議会の議題にしないと間に合わない。2010年になってから検討したのでは、改正NTT法を施行するのは2015年ぐらいになるだろう。そのころには、今とはまったく違う通信技術が登場しているかもしれない。これでは永遠にいたちごっこだ。

他方NTTは、法律を改正すると、必ず「完全分割」論が出てきて不利な方向になると思っているから、今の経営形態がいかに窮屈でも、NTT法を変えてくれとはいわず、現在の法律のなかで換骨奪胎をはかっている。これは改革を迫る側も悪い。今回、規制改革会議や通信・放送懇談会で出てきた「NTT各社の資本分離」というのは、1982年に第2臨調が出した答申そのままだ。今の企業の境界に問題があるのに、その境界にそって資本分離せよという議論は理解できない。要するに、攻める側も守る側も、第2臨調以来の24年間、時計が止まったままなのだ。

NHKについては、「3波削減」のうちFMに反対論が出て、対象はBSの2波だけになったようだ。そのうち1波(BSハイビジョン)は、2011年に停波することが決まっているので、実質的には1波削減だが、それも「検討の対象とする」だけ(霞ヶ関語では何もしないということ)。受信料の支払い義務化は、08年度から導入されることが決まったようだが、義務化だけしても収納率は上がらない。罰則の導入は不可避だろう。

情報通信コストが下がり続けているなかで、受信料の値上げがもう不可能だということは、島桂次会長の時代からわかっていたことだ。島は「受信料に依存している限り、NHKの経営には限界がある」として、最終的にはMICOという孫会社を中心にしてNHKグループ全体を民営化する構想をもっていた。しかし1991年に彼が失脚して、こうした改革は白紙に戻されてしまった。その後の15年間(海老沢時代)は、たまたまBS受信料によって実質的に値上げできたため、改革は何も行われず、NHKの時計も止まったままだ。

インターネット時代の環境変化は、この古い時計を揺さぶっているが、今回もまた針を現在時刻に合わせる作業は失敗に終わった。もう時計を取り替えるしかない。3年で4倍という速度で技術革新が起こっている情報通信業界の中心的な企業を、改正の作業だけで3年以上かかる法律で規制するしくみが間違っているのである。NTT法の改正ではなく廃止を明示的な目標にし、そのために何が必要かを考えるべきだ。時計の針を戦前のような国営放送に戻そうとしているNHKに至っては、何をかいわんやである。
NHKの不祥事を受けてつくられた「デジタル時代のNHK懇談会」の最終報告書が出た。いくつもの審議会を兼務する御用学者と御用文化人を集めた懇談会には、もともと何も期待していなかったが、この報告書は、その予想をさらに下回るものだ。公共放送がなぜ必要かという部分では、こう書かれている:
公共的性格を備える放送を産業振興策や政争の具に使ってはならない。近年の放送と通信の接近を、公共性を旨とする放送の本質や使命の変化と見誤ってはならない。誰もが安価に参加しうる番組の制作と送出は、情報と文化の質的低下を招きかねず、視聴者ニーズを個別に把握する双方向技術は、商業主義の過剰な浸透につながりかねない。NHKは、技術的物珍しさや短期的収益性に惑わされることなく、民主主義社会のインフラとしての役割を果たすとともに、より確かな放送技術や番組・放送サービスの開発と普及を使命とすべきである。
通信と放送の融合は「産業振興策」(?)であり、インターネットは「技術的に物珍しい」だけで「商業主義の過剰な浸透」をまねくという。このように市場経済を蔑視し、「公共放送」がいつまでもメディアの中心だというのが「デジタル時代」への認識なのだから、恐れ入る。ところが最後の提言には、こう書かれている:
NHKが保有する番組アーカイブスの公開等、インターネットの積極的活用を進めるため、経費負担や著作権処理のあり方やNHKの業務範囲についての再検討が求められる。視聴者の声を汲み上げるためのブログ等の活用やそれとの交流も押し進めるべきである。
インターネットは「短期的収益性」を求めるもので、ブログのような誰もが安価に参加しうるメディアは「情報と文化の質的低下」をまねくんじゃなかったっけ? ここには、インターネットに対応して業務を再編することは拒むが、もうけになる部分だけはつまみ食いしたいという卑しいダブル・スタンダードがある。1年も懇談会をやって、出てくる提言が「視聴者第一主義」とか「組織統治の明確化」といったお題目ばかりで、業務も組織も変えないという以外の具体策は何も書かれていない。

こんな無内容な諮問機関は、今どき霞ヶ関にもみられない。総務省の通信・放送懇談会の報告書にも、チャンネルの削減とか受信料の値下げとか、それなりに目玉をつくろうという努力がみられた。ところが、このNHK懇談会では、チャンネルの削減も拒否し、受信料の支払い義務化を条件つきで容認しているところまで、NHK経営陣の見解のカーボンコピーだ。これを起草したのは、座長代行の長谷部恭男氏(東大教授)だといわれるが、彼はNHKべったりの御用学者として業界では有名だ。この報告書は、NHKがジャーナリズムとしていかに衰退したかを示す点では有益だろう。

追記:古川享氏が、この報告書について怒りのコメントをしている。別に私は答える立場にはないが、調達については、I通信機などには多くのOBが天下りしているので、他のメーカーと競争する民生品市場では安く売り、随意契約の「NHK価格」で利益を確保するしくみになっている。同様のからくりは、美術センターなどNHKの子会社にもよくある。タクシー代については、松原聡氏も「NHKのタクシー・ハイヤー代は月4億円で、霞ヶ関の全官庁に匹敵する」と『朝生』で怒っていたが、これでも昔に比べたら激減したんですよ・・・
2006年06月18日 18:59
法/政治

第4次竹中バッシング

竹中平蔵氏が、16日の朝日新聞のインタビューで、「今は第4次竹中バッシングだ」と語っている。第1次は最初の骨太の方針を作るとき、第2次は金融改革、第3次は郵政改革のときだったという。

しかし今までと違うのは、彼が経済財政諮問会議という武器をもっていないことだ。郵政民営化とともに総務相に横滑りし、その実施にあたろうという彼のねらいは裏目に出て、彼が担当相からはずれたとたんに諮問会議は自民党と財務省に乗っ取られてしまった。今度の通信・放送懇談会の結論も、自民党がOKしないと、骨太の方針に入れることができない。2002年に、不良債権処理の「竹中プラン」が、官僚と業界の大反対のなかで強引に実施されたのとは大違いだ。

竹中氏は、5年間の小泉政権でずっと閣僚だった唯一の人物である。小泉改革は「竹中改革」だったといってもいいぐらいだ。テレビでしゃべるのがうまいだけの「タレント学者」だと思われていた彼が、予想以上に力を発揮したのは、官邸の後ろ盾と諮問会議という「エンジン」があったからだが、彼がいなくなったとたんに、昔ながらの族議員と官僚の談合が復活した。彼も「諮問会議は、アリーナ(会議場)になってしまった」という。

彼のいうように、小泉政権というのは、自民党政権のなかで突如として新自由主義的な改革が出現した「奇跡」だったのかもしれないが、それも9月で終わりだ。「小泉改革の継承」を掲げる安倍晋三氏が首相になったとしても、昔に戻った意思決定メカニズムのもとでは、思い切った改革はできないだろう。竹中氏も、9月以降の情勢については「非常に悲観している」という。彼は、政権交代とともに政界を去るのではないか。実は、慶応大学(総合政策学部)には、彼の籍はまだあるのだ。
「複雑ネットワーク」とは何か―複雑な関係を読み解く新しいアプローチ

増田直紀・今野紀雄

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インターネットでおなじみの「ロングテール」は、数学的にいうと、ベキ法則、y=x-kに従うものである。この分布は一般の社会にも多く、たとえば英語に出てくる単語の数は、theを左上の頂点とし、ほとんど使われない単語を裾野とするロングテールになる。また所得の分布も、少数の金持ちと大多数の貧乏人(ロングテール)にわかれるという事実は、19世紀にパレートが発見し、ベキ分布は「パレート分布」とも呼ばれる。

バラバシは、これを「スケールフリー・ネットワーク」と名づけ、なぜこういう分布が出現するかをグラフ理論を使って明らかにした。それは簡単にいうと、ネットワークが成長するとき、リンクの多い「ハブ」ほど多くの新しいリンクが張られる「優先的選択」によって拡大するためだ。したがってウェブも、インターネット(ルータの接続)も、mixiもスケールフリー・ネットワークになる。また、当ブログでも前に紹介した「スモールワールド・ネットワーク」も、グラフ理論で説明できる。伝染病の感染経路や脳のニューロンの結合が、このタイプだといわれている。

こうしたモデルを使えば、「ネットワーク外部性」や「モジュール化」などの経済現象も説明できるかもしれない。ただ本書は入門書なので、実用的な教科書を求める読者には、同じ著者の『複雑ネットワークの科学』のほうがいいだろう。最近、原論文を集めたリーディングスも出たが、初心者向きではない。
ビル・ゲイツがマイクロソフトの経営から身を引くという発表は、世界を驚かせたが、業界では「時間の問題」とみられていたようだ。たしかに、総資産290億ドル、ロックフェラー財団の10倍という史上最大の基金を運用する仕事は、マイクロソフトの経営に劣らずむずかしいだろう(ちなみに、株式を含むゲイツの総資産は500億ドルといわれている)。

社会貢献の世界で、ゲイツ財団の評価は高い。特に感染症の研究への援助は、この分野で最大であるばかりでなく、世界の関心を感染症に向けたという意味でも、大きな役割を果たした(サックスも高く評価している)。また従来の社会貢献が、恣意的にいろいろな分野に金を配っていたのに対し、ゲイツ財団は、マイクロソフトのように寄付の成果を評価し、効果の高い分野に重点的に資金を配分した点で「企業家的」だという。

金も地位も手に入れたゲイツにとって、最後にほしいものは名誉だろう。それはTime誌の表紙を飾るだけではなく、おそらくノーベル平和賞が彼の究極の目的ではないか。
2006年06月13日 23:49
法/政治

村上無罪説

「インサイダー板」では議論が続いているが、問題は日銀総裁など政財界に広がる様相を見せてきた。しかし、今週のAERAで大鹿記者が指摘するように、今回の捜査はライブドア関係者、特に宮内氏の供述に依存しており、証拠は意外に弱い。しかも村上氏が「聞いちゃった」という04年11月8日には、宮内氏は平社員だった(!)というのだから、「機関決定もしくは代表者の発言」というインサイダー取引の要件も満たさない。

だから本筋はインサイダー取引ではなく、村上氏がニッポン放送株の「はめこみ」をねらってライブドアに買収を持ちかけた一連の行動を罪に問えるかどうかだろう。しかし、これは彼がライブドアをインサイダーに引っ張り込んだ「逆インサイダー取引」ともいうべきもので、証取法には該当する条文が見当たらない。検察は、証取法157条1項の「不正の手段、計画又は技巧」を適用するしかないと考えているようだが、落合洋司氏によれば、この規定は、あまりにも包括的であるため、ほとんど適用例のない「伝家の宝刀」だという。

たしかに条文には、有価証券の取引について「不正の手段、計画又は技巧をすること」をしてはならない、としか書いてない。現代の複雑な金融取引の世界では、意図せずに違法行為を犯してしまうリスクが大きいので、何が違法かについての予測可能性が必要である。法律が急速な技術革新に追いつかないからといって「悪いものは悪い」みたいな規定で一網打尽にするのは、罪刑法定主義の原則からいっても問題が多い。

逆にいうと検察も、今回の村上氏の一連の行動で、インサイダー取引以外に具体的な容疑は固めていないわけだ。しかも大鹿記者によれば、実際にも村上氏が04年の11~12月に大量にニッポン放送株を取得したのは、フジテレビのTOBを期待していたからであって、ライブドアはそのころ彼が「N社について」という企画書を持ち込んだ先の一つにすぎない。ライブドアが本格的にニッポン放送株を買い始めるのは、05年1月28日以降である。

検察は「村上主犯・ライブドア共犯」の筋書きを書いているようだが、公判で村上氏があくまでも「過失」を主張した場合、それを証拠で崩せるかどうかは心許ない。もしも彼が供述をひるがえして「宮内氏の発言はインサイダー情報ではなかった」と主張したら、無罪という結果もありうる。その意味では彼の記者会見は、巧妙な落とし穴を仕掛けた闘争宣言だったのかもしれない。

追記:「無罪説」が、いろいろなブログで話題になっている。阿部重夫氏は、証取法166条2項の4の「バスケット条項」を根拠にして、村上氏は有罪になると推定している。しかし第1に、166条は「会社関係者」を対象とする規定で、村上氏には適用できない。第2に、彼が「聞いちゃった」ことが証取法167条に抵触するという彼自身の解釈は、47th氏も指摘した(またこの記事でも書いた)ように、事実認定に無理がある。したがって適用するとすれば、157条の包括規定しかないだろう。この記事へのTBによれば、金融庁も157条を「積極活用し、機動的に摘発を進める」という方針だというから、これは不可能ではないようだが、そういう判例ができると、「不正の手段」の基準が曖昧で、しかも広範囲にわたるので、市場への萎縮効果は大きい。
セミナー第11回 「Googleの考え方」

世界最大の検索エンジン、Googleについて、日本でも関心が高まっています。最近は、動画検索や地域検索など、新しいサービスを増やし、書籍をデータベース化するプロジェクトも始まっています。他方では、Googleを含めた米国産の検索エンジンに対抗して日本政府が「国産検索エンジン」をつくろうという話も出ています。

このように大きな注目を集めるGoogleですが、その実態はあまり知られていません。6月のICPF(情報通信政策フォーラム)セミナーでは、Google日本法人の村上社長をお招きして、Googleが何を考えているのか、どんな風に考えているのか、などGoogleの本当の姿について、お話をうかがいます。

スピーカー:村上憲郎(Google日本法人社長)
モデレーター:西和彦(ICPF代表)

日時:6月29日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
    東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F(地図

入場料:2000円
    ICPF会員は無料(会場で入会できます)

申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)

---
情報通信政策フォーラム
http://www.icpf.jp
2006年06月11日 12:08

The Theory of Corporate Finance

The Theory of Corporate Finance

Jean Tirole

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著者のもとで博士課程にいた研究者の話によると、著者は「普通の人の10倍のスピードで仕事をする」そうだ。もちろん質も高く、彼の書いた産業組織論の教科書やFudenbergと共著のゲーム理論の教科書は、いずれも古典である。本書も、企業金融や企業統治の教科書の世界標準となるだろう。まだ第1章「企業統治」しか読んでないが、最近の出来事と少し関連がありそうなので、紹介しておく(一部は版元のホームページからダウンロードできる)。

著者の立場は、いかにして企業価値を最大化し、それを株主に還元させるかという「狭い意味での企業統治」を論じるものである。「ステークホルダー」とか「社会的責任」などの問題は、契約や法で解決すべきで、企業経営にそういう色々な利害関係者を入れると、利益相反が生じやすい。

経営者のモラル・ハザードを防ぐには、ストック・オプションのような形で株主と経営者の利害を共通にする方法と、モニタリングを強化する方法がある。メディアは、企業買収や企業犯罪の摘発を大きく扱うが、こうしたカラフルな出来事が企業統治に果たす役割は、限られたものである。むしろ最終財市場がガバナンスに果たす役割が大きく、業績の悪化した企業の経営者が追放される率は、日米独の3ヶ国でほとんど変わらない。

Shleiferなどの行った企業統治についての一連の大規模な実証研究によれば、「直接金融」か「間接金融」かといった違いは企業統治の効率に無関係で、もっとも重要なのは投資家の保護である。しかし、SOX法のようにモニタリングを極端に厳格化し、しかも広い範囲に重い刑事罰を課す政策は、バランスを欠いた過剰規制になるおそれが強い。投資家保護が重要だというのは事実だが、それは特定の企業をスケープゴートにすることによって実現するものではない。
株取引のサイトでは、村上ファンド事件について「なんでこれが大犯罪なのか?」という疑問が多い。兜町でも、ちょっと前までは、インサイダーがその情報でもうけるのは当たり前だった。日本でインサイダー取引が禁じられたのは、1988年である。世界的にみても、米国が1960年代からインサイダー取引を刑事訴追しているのは突出して早く、英国でも1986年、EUでは2002年に取り締まりを強化しようというEU指令が出た程度だ。

そもそも市場で利益を得るのは、定義によって他人よりすぐれた情報をもっているからである。それを得たら取引してはいけないとなると、投資家が多くの情報を得ようとするインセンティヴが失われてしまう。インサイダーが好材料にもとづいて株式を買えば、株価が上昇することによって、その情報は価格に織り込まれる。逆に悪い情報も、インサイダー情報にもとづいて株式を空売りできれば、内部告発者が真実を語るインセンティヴが生じる――とミルトン・フリードマンは論じている。

法の公平性という点からみても、不動産や商品市場にはインサイダー規制はない。たとえば大手ゼネコンがビルの建設用地を買収するときは、建設計画を隠して複数の地上げ屋に「底地買い」させるのが常識であり、罪には問われない。またインサイダー情報が正しいとも限らない。ライブドアがニッポン放送株を買収すると聞いて、村上氏が秘かに株を買ったあとで、ライブドアが株を売ってしまったら、村上氏は損するリスクがある。新薬の発表のような情報でも、正式発表までに(兜町の噂で)市場が織り込んでいるため、逆に株価が下がったりすることは珍しくない。証券取引の、しかも情報の出所が経営陣やTOBなどの場合に限って刑事罰が課されるのは、不公平ではないか。

インサイダー取引を規制するのは、多くの個人投資家の参加によって市場を活性化するためとされているが、そういう因果関係は証明されていない(#)。米国で規制がきびしいのは、市場規模が大きくなった原因ではなく、その結果である。60年代にインサイダー取引をめぐる訴訟が頻発したため、SECが取り締まりを強化したのである。逆に、行政が市場に強く介入することによって市場が萎縮する社会的コストも大きい。特に今回の事件のように、非公式の情報を聞いただけで刑事訴追される(*)となれば、機関投資家の情報収集は大きく制約される。規制のコストと効果のどちらが大きいかはわからない。

私は、インサイダー情報がすみやかに開示されることは「効率的市場」が実現するために必要なので、それを開示する義務は負わせるべきだと思うが、それを利用した取引に刑事罰まで課す必要があるのかどうかは疑問だ。特に、市場の問題に検察が出てきて派手に摘発し、ライブドアのように生きている会社を殺してしまうのは、いかがなものか。証券取引等監視委員会の行政処分ぐらいでよいのではないか。それなのに、7日に成立した金融商品取引法では、違反行為は今より厳罰になってしまった。

追記:経済学者の標準的な意見では、「ナイーブな報道や映画や小説が描くのとは違って、インサイダー取引の功罪は、理論的にも実証的にも、よくわからない。現在の攻撃や規制の激しさは、その理解をはるかに超えている」。

追記2:10日の朝日新聞(朝刊15面)で、元東京地検検事の郷原信郎氏が、今回の事件の核心はインサイダー取引ではないと述べている。村上氏が最初からニッポン放送株の売り抜けをねらってライブドアに買収を持ちかけたとすれば、証取法157条1号の「不正の手段、計画又は技巧」にあたり、証取法のなかで最も罰則が重いそうだ。

(*)日本語の読解力がない読者もいるようなので補足しておくが、これは当然「非公式の情報を聞い[た後に当該株式の取引をし]ただけで刑事訴追される」という意味である。

(#)これはちょっとい言い過ぎだった。最近の実証研究のサーヴェイによれば、インサイダー取引を禁止している国では、投資家の集中度が低い(個人投資家が多い)。しかし、その効果は民事訴訟を容易にすることによるもので、SECのような公的機関による刑事罰の効果は有意ではない。


2006年06月09日 02:27
経済

村上氏はなぜ嫌われるのか

逮捕される前の記者会見で、村上世彰氏は「なぜみんなが私を嫌うのか、それはむちゃくちゃ儲けたからですよ」といっていた。たしかに、合法的な投資であっても、彼のような貪欲な行動は嫌われる。それは先日も書いたように、日本だけではなく、米国でも同じだ。行動経済学の実験でも、人々の行動は、標準的な経済学の想定しているほど利己的ではない。他方、オープンソースのような「非営利」の行動は、道徳的に美しく感じられる。利己的な行動は醜く、利他的な行動は美しく見えるのは、なぜだろうか?

この種の問題の経済学的な説明としては、フランクの『オデッセウスの鎖:適応プログラムとしての感情』という本がある。その論理は、単純である:もしも人類が利己的な行動を美しいと思う遺伝子をもっていたら、人々は互いに殺しあって、とっくに滅亡していただろう。利他的な行動を美しいと思う感情が遺伝子に組み込まれている個体からなる群だけが生存競争に勝ち残ったのだ、というわけだ。

しかし進化論にくわしい人なら、この論理はおかしいと思うだろう。これは生物学では否定された「群淘汰」である。利他的な個体群のなかでは、利己的な個体は利他的な個体を食い物にして繁殖できるから、お人好しの共同体は進化的に安定ではない。進化は「利己的な遺伝子」(血縁淘汰)によって起こるのだ――というのが定説だが、これではやはり利他的な行動は説明できない。

最近では、これをさらにくつがえし、群淘汰を部分的に肯定する理論が登場した(Sober & Wilson, Unto Others)。その論理は簡単にいうと、群と群の間に闘争が起こると、団結の強い群が勝つ、ということだ。淘汰圧は、個体レベルだけではなく、群レベルでも、また細胞レベルでも働く。「利己的な細胞」を含む個体が生存できないのは自明だろう。人間の社会でも、たとえば戦友を助けて犠牲になる行為が美しく見えるのは、そういう利他的な感情で結ばれた軍隊が強いからだ。村上氏が嫌われるのは、人間の本能的な感情に逆らっているからなのである。
2006年06月08日 01:17
法/政治

国策捜査

ライブドアから村上ファンドまでの一連の捜査は、検察があらかじめ書いたストーリーに沿って捜査が行われている。佐藤優氏のいう「国策捜査」である。今度の一連の捜査の掲げる国策は、明白である。小泉政権で進められた金融分野の規制改革によって出現したマネーゲームに歯止めをかけ、市場を国家のコントロールのもとに置くことだ。東京地検特捜部の大鶴部長は、法務省のウェブサイトでこう書いている:
額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち,法令を遵守して経済活動を行っている企業などが,出し抜かれ,不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。
こういう「プロジェクトX」的な精神主義で、日本はよくなるのだろうか。ライブドアや村上ファンドの行ったことは、合法か非合法かは別として、資本市場で他人を出し抜いてもうける「鞘取り」である。これは大鶴氏には、汗をかかないでもうけるアブク銭にみえるかもしれないが、資本主義の本質は鞘取りなのだ。

フィッシャー・ブラックは、オプションなどの派生証券を「賭博」だとして、社会的価値を認めなかったという。これは、ブラック=ショールズ公式の成立するような「完備市場」では正しい。すべての情報を織り込んだ市場では、投資は純粋なギャンブル(期待値ゼロ)になるので、村上ファンドのようなビジネスが成立するはずがないからである。

しかし村上氏は「2000億の原資を4000億円にした」と公言していた。このような高い収益率を上げることができるのは、市場が完備ではないからだ。特に日本では、保有する現預金の残高よりも時価総額が低いといった公然たる鞘のある企業が、数多く存在する。村上氏のようなファンドが、その鞘を取ることによって市場の歪みが是正され、企業の資本効率が高まる。だから投資は、単なる賭博ではないのだ。

ただ日本では「持ち合い」などに阻まれ、こうした公開情報だけで鞘を取ることはむずかしいため、村上氏は次第に非公開の情報を利用するようになったのだろう。これも、すべて悪とはいえない。だれでも知っている情報で収益を上げることはできないのだから、投機が成功するには、多かれ少なかれインサイダー的な要素は必要だ。しかし今回の事件は、一線を越えてしまったという印象が強い。

日本も世界最大の純債権国となったのだから、額に汗するだけでは、この資産は活用できない。子孫に財政赤字だけでなく資産を残すためにも、資本市場で資産を有効に運用する必要がある。だから検察の国策捜査が投資を萎縮させると、長期的な日本の国策には逆行する。今回の事件を教訓として、もっと透明な市場と合理的なルールをつくらなければならない。この意味で村上氏は、自分でもいっていたように「市場が効率化したらいなくなる徒花」なのかもしれない。

追記:村上氏が一連の買収工作を仕組んだとしても、ライブドアがニッポン放送株を5%以上買収するという決定をしたあと、村上ファンドがニッポン放送株を買っていなければ、インサイダー取引にはならない。しかし読売新聞によれば、2004年10月20日にライブドア側から村上ファンド側に「購入資金として200億円(ニッポン放送株の12%相当)を用意する準備ができた」という電子メールが送られ、その日のうちに村上ファンドはニッポン放送株を25万株購入したという。これが事実だとすれば、インサイダー情報を得たのは10月20日ということになり、11月8日に「聞いちゃった」かどうかは法廷では争点にならないだろう。

訂正:SMZMさんからのTBで指摘されたが、ここで問題なのは市場の「完備性」ではなく「効率性」だった。後半は「効率的市場」の話として読んでください。ただし「効率的な市場では、市場に対して勝ち続けることはできない」という論旨は間違っていないと思う。



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