鳩山一郎回顧録
私があの反共声明を思いついたのには、
実は次に述べるような理由があったのである。
その前年の十一月新党が結成されて、
十日程経て私は新党総裁として日本自由党の使命を説くために
全国遊説を始めた。
その時上野の駅で、二等車の隅っこに座っていた。
そうすると中華民国人が数人でもって二等車の中に「この車は占領す」
という旗を立てた。そして十人位の第三国人が
「この部屋をみんな出て下さい」という。出ない爺さんが一人いた。
そうするとこれを私の前で殴るのだ。
青森から帰る時も朝鮮人が列車を占領して駅長に向って
「この列車は朝鮮人だけに限ると声明しろ」と強談判している。
駅長が「それは断じて出来ない」と拒絶した。
その時九州に行って感心したのは、福岡は割合に静穏なことである。
朝鮮人が福岡駅を占領した時に、
九州大学の青年達がみんなで朝鮮人を叩き出してしまったので、
すっかり騒ぎが納まったということを聞いて、
流石九州男児だなあと思ったりした。
それでその時思ったのは、日本では共産革命は割合に楽だと感じたことである。
面と向って自ら犠牲になって阻止する者が出て来れば出来ないが、
自分で責任をとって防ぐ青年がいなかったら共産革命が成就すると思った。
多数は要らないが適当な防衛力は要ると思ったのもその時のことである。
何をしても自衛隊を持たなければならないと痛切に考えて
自衛軍の構想をその時から持ち始めた。私は当時方々を歩いて、
自衛隊の設備と反共ということを同列において私が演説したのは
そういうところから来たのだった。
こうして私の二一年二月二十二日の反共声明は発せられたのである。
1 ■無題
我が母校の当時の青年の方々は気概があったのですね。
見習いたいものです。