なぜ沖縄にはアメリカ軍基地が多いのだろう? いつ基地ができたのだろう?
1/沖縄戦の後、アメリカが占領
沖縄とアメリカ軍基地とのかかわりは第二次世界大戦(1939~45年)で日本が敗れたことから始まる。日本がアメリカ、イギリス、中国などの連合国と戦った戦争の末期、アメリカ軍が沖縄に上陸、激しい沖縄戦がくり広げられた。圧倒的な軍事力で日本軍を破ったアメリカ軍は、沖縄を占領し、日本本土を攻略する拠点とした。住民を収容所におしこめ、集落や畑をつぶして基地を建設したり、日本軍がつくった飛行場を拡張したりした。
2/日本の独立後も占領が続いた
1951年にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本は独立を果たした。しかし、沖縄は本土から切り離され、引き続きアメリカの統治下に置かれた。中国での共産党政府の誕生(49年)や朝鮮戦争(50~53年)などを受け、アメリカは沖縄の基地を強化。土地を強制的に取り上げるなどして新たな施設を建設した。50年代に基地の面積は2倍に増えたとされる。東西冷戦のもとで、沖縄はアメリカ軍の重要な拠点になった。
・東西冷戦……アメリカを中心とした自由主義のグループ(西側陣営)と、ソ連を中心とした社会主義のグループ(東側陣営)との対立。実際に武力で衝突することはなかったので「冷たい戦争」と呼ばれた。
3/安保条約で基地の重しそのまま
日本とアメリカは戦後、日米安全保障条約を結び、日本はアメリカに基地を提供することを約束した。日本がよそから攻撃を受けた場合、アメリカは日本を守る義務がある。その中核となるのが沖縄だ。1971年に沖縄返還協定が結ばれ、沖縄の日本復帰がようやく実現。アメリカ軍の占領は終わったものの、安保条約の下で基地はそのまま残された。沖縄県民が待ち望んだ日本復帰だったが、基地の重しが取れることにはならなかった。
沖縄戦
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、激しい戦闘が全島でくり広げられた。6月23日に日本軍の司令官が自決し、日本軍の組織的な戦いは終わった。戦いの準備や戦闘に多くの住民がかり出され、約9万4000人が犠牲になった。日本軍約9万4000人、アメリカ軍約1万2000人を合わせ約20万人が死亡した。
日米安全保障条約
日本とアメリカが共同で日本を防衛することを定めた条約。1951年にサンフランシスコ平和条約とともに結ばれた。この時の条約は日本にとって不平等な内容だったため、60年に改定。アメリカに日本を防衛する義務があることや、在日アメリカ軍への攻撃には日本も共同で防衛にあたることなどが盛りこまれた。
沖縄返還協定
日本とアメリカ両政府は1969年に沖縄を日本に返還することで合意。71年6月に協定が調印され、72年5月に沖縄は日本へ復帰した。返還は「核抜き、本土並み」とされたが、基地負担は本土より重いままだった。戦争など有事の際に、沖縄へ核兵器を持ちこめるとするなどの密約があったことが問題になっている。
ニュースがわかる4月号
2010年4月2日