金総書記、5回目の大規模粛清断行(上)
北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記は、1990年代に権力を握って以降、事あるごとに「血の粛清」で権勢を守ってきた。最近、貨幣改革失敗の責任を問い、朴南基(パク・ナムギ)前労働党企画財政部長を銃殺するなど約100人の幹部を粛清したのは、金総書記が行った5回目の大規模粛清となる。韓国の安全保障当局関係者は「これまで金総書記は粛清の恐怖を利用し、幹部を締めつけてきたが、今回は内部の反発も相当あるようだ」と指摘した。
金総書記は1992年10月、ソ連留学派の将校が体制を批判した事実を摘発し、約20人を粛清するとともに、留学派約300人を退かせた。粛清を主導した元応熙(ウォン・ウンヒ)保衛局長は中将から大将へと2階級特進した。当時、金総書記は最高司令官への就任(91年12月)直後で、ソ連留学派将校の粛清を軍内権力の掌握に活用した。
金日成(キム・イルソン)主席死去(94年7月)直後の95年4月には、いわゆる「第6軍団粛清事件」が起きた。第6軍団(咸鏡北道)の粛清をクーデター未遂事件とみる見解もあるが、対北朝鮮消息筋によれば、第6軍団政治委員と咸鏡北道党組織書記、貿易会社社長ら約20人が外貨資金を横領し、指揮系統を乱した事件とも分析が有力だという。当時金総書記は不審な動きを見せる第6軍団に金英春(キム・ヨンチュン)大将(現人民武力部長)を送り、関係者を厳しく罰した。処刑された軍人だけで数百人に達するとされる。その功績で、金英春大将は総参謀長に就任(95年10月)した。
金総書記による代表的な粛清は、97年に住民約100万人が餓死した「苦難の行軍」の時期に起きた。当時金総書記はソ・グァンヒ党農業担当書記を「米帝のスパイ」と決めつけ、平壌市民の前で公開銃殺した。食糧難の責任をソ書記にかぶせた格好だ。当時約2000人が粛清されたが、罪状は韓国戦争(朝鮮戦争)当時の行状を再調査したところ、スパイ容疑が浮上したというものだった。これはのちに「スパイ組織捏造(ねつぞう)事件」と呼ばれる。
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