控訴を棄却すると言うのか、原審を取り消すと言うものなのか。私は東京高裁の傍聴席で裁判長の第一声に注目した。判決の瞬間にこれほど注目することはあまりなかった。 1958年4月、東京・墨田区の都立墨田産院で生後間もない時期に産院内で他人の子と間違えて母親に引き渡されてしまった事故の控訴審判決の法廷である。原告の男性が46才の時にDNA鑑定で育てられた両親は実の親ではないということが分かった。 現在は閉院しているが、都立の産院によって取り違えられたことで精神的苦痛を受けたとして、東京都に3億円の損害賠償請求訴訟を起こした。しかし東京地裁の判決は産院で取り違えられたことについては「真実の子を育てる機会を奪われ、また真実の親との関係を一方的に断ち切られるという重大なものであり、産院において決してあってはならない」と認めたものの、取り違えという不法行為による損害賠償請求権については、民法724条後段の不法行為から20年(除斥期間)の経過によって、その権利が消滅しているということで認められなかった。また産院は真実の両親に新生児を引き渡す契約に違反したという契約不履行についても、その損害賠償は時効によって認められなかった。 この判決が出た段階で、被告である東京都の石原知事は、定例会見で「都庁の責任者としてだけじゃなく、私は物書きとしても非常に興味ある問題だ。時効といえば時効なんだろうが、時効でも本人が納得できる問題ではないし、取り違えの相手が何処にいるか捜そうとすると、プライバシーの問題と言って、国がその求めに応じないのは問題があると思う。 特例として国がまじめに真摯に力を添えないと、つまり誕生日前後に生まれた人がどこにいるか調べたいということに、情報を持っている国が協力できないのはおかしいと思う。都がこの人の側に立って国に強く迫りますよ。この人の人生を賭けた問題だからね」と答えていた。取り違えられた男性にとっては、この上なく力強い発言だった。しかし東京都から原告の男性への積極的な協力はなかった。 男性側はこの裁判と同時に、都立墨田産院の所在地だった墨田区役所に対して、戸籍受付帳の開示を求めた。出生、結婚、離婚など戸籍に変更などがある場合に届出をしなければならない。当時、出生届は出生地にしか提出できなかった為、墨田区には受理した際に氏名、本籍地、受付年月日などを記録した戸籍受付帳が保管されている。 男性は自分の出生した昭和33年4月10日前後の人に協力を求める手紙を送ろうと、その開示を求めたが、墨田区の審査会は個人情報を開示できるためには、その保護よりも高い公益性が必要だということで、個人の特定につながる情報は非開示が妥当と判断し、公開できるのは受付日と本籍地の都道府県名だけで、それ意外はマジックインキで黒塗りされていた。 人を捜すのに都道府県しか分からなければ捜しようがない。これでは開示請求を拒否されたことと同じだ。裁判でも敗れ、男性は控訴することで、真実の両親を捜す手立てを東京高裁に求めた。この控訴審でも東京都側は、取り違えが認められた地裁判決が納得いかないようで、都立墨田産院では約36年間にわたって日々分娩が行われていたが、類似の事故は全く報告されていないこと。控訴人(男性と両親)らの主張はDNA鑑定の結果のみに基づくものであり、想像の域を出ないものである、などと主張した。 東京高裁はどのような判断をするのか。私は傍聴席の最前列で裁判長の顔をじっと見つめながら言葉を待った。 「原判決を取り消す」裁判長の声が法廷内に響き渡ったような気がした。私自身、東京地裁が認めなかったように、今回も難しいのではないかと考えていたから、男性側の逆転勝訴は血が逆流するような興奮を覚えた。代理人の大塚尚宏弁護士が顔を紅潮させていた。「我々の主張が認められた常識的な判決」としながらも「(判決の)前日までは勝てると思っていたけれど、今日になって五分五分という気持ちだった」と正直な心境を語った。 取り違えという不法行為を理由にした損害賠償は20年の除斥期間の経過によって認めなかったのだが、裁判長は「平成16年5月7日のDNA鑑定によって、真実の親子ではないことを知るまで、そのことを知らないまま46年も経過した。あまりにも期間が長く、精神的苦痛は大きい。そして、今後とも真実の親子を知ることは事実上極めて困難であることを考えると、精神的苦痛は継続するとみられる。取り違えは、産院として基本的な過誤であり、重大な過失によって人生を狂わされた」として墨田産院が誕生した新生児(原告の男性)を真実の両親に引き渡さなかったことによる損害賠償として、男性には1000万円、両親にも本当の子供が渡されていないということで1000万円の慰謝料が認められた。 東京地裁が認めなかった新生児を真実の両親に引き渡さなかったことに対する損害賠償請求権は、権利を行使することが出来る時をどの時点と考えるかによって正反対の結果になった。地裁は男性の出産した頃を損害賠償請求権の始まりとし、10年の時効が経過していると判断したのに対して、高裁は親子だと信じていた男性と戸籍上の両親が血液型によって本当の親子ではないと認識した1997年10月の時点だとして、時効は成立していないと判断し、都に慰謝料の支払いを命じた。 都立の産院によって新生児の取り違えが行われ、46年後にそのことを知った当人達が東京都を提訴した。その損害を請求する権利はどの時点から発生するのかということが大きな問題だった。その事実を知らなければ、この男性は未だに戸籍上の両親が本当の親だと思い込んでいることになるし、大きな被害を受けていることを知らないままになっている。取り違えというあってはならない事故があり、それによって被害を受けていることを認識したからこそ、損害の請求ができる訳だから、その時点を損害請求権の起点と考えるのが常識的な解釈だと思うのだが。 この判決後、石原都知事は会見で、この人のために力になるという姿勢に変わりはないという見解を改めて示した上で、お金で弁償しきれる問題じゃないことだが、(取り違えられた)もう一人を捜すことで、その人の人生が大きく歪んだり、影響を受けるということも斟酌しなければいけないという見解を示した。 そして、その翌週、東京都は男性の心情など総合的に斟酌して上告しないことを表明した。これは東京高裁の判決を受け入れるということである。男性側に合計2000万円の賠償金を払うと同時に、産院が新生児を真実の両親に引き渡していなかったことの責任を果たすということである。 東京都としては両親を捜すことについてどのように考えているのだろうか。会見で私の質問に対して石原知事は「開示請求の問題はこれまでもそうだったように、真っ黒に塗られた物しか出てこない。そんなものをその男性に渡したって、助けにもならないし、なんの意味もないでしょう」この黒塗りにされた物とは、墨田区が保管している戸籍受付帳のことだ。 東京都が墨田区に開示請求してもマジックインキで黒く塗られた物しか出てこないという。東京都としても、方策は尽きたということなのか。「これ以上しようがないよ。だから、責任をとって、賠償を払うしかないじゃないですか。それだけですよ」なんともがっかりさせられる答えだった。人生を賭けた問題であり、なんとも気の毒なことだし、金で済む問題ではないと言っていた石原都知事。その同じ人のこの言葉を男性はどんな思いでいるのだろうか。 |