「草」の威力がアンゴラの大地に広がった
2010年6月 7日
「農」と「食」を切り口にして、私が住んでいる沖縄や、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの途上国で見聞きすることを綴りながら、日本がこれから世界にどうリンクしていけるかを探ってみたい。東京発のメディアが気づかないでいること、見えないでいることをできるだけ書いていくつもりだ。今回は、そもそも私がなぜ途上国に行っているか、そこで何をしているか、少し説明することにしたい。
「草の効果はすごいことになってます」。アンゴラ南部のプロジェクト事務所で、身長180cmを超す助手役の現地スタッフが、腰をかがめながら、撮ってきた現場写真を興奮気味に見せた。確かに、草をすき込むように指示したA区の畑のトウモロコシの方が、化学肥料だけのB区のそれよりもはるかに生育ぶりがいい。小さなデジカメの画面でも、そのことははっきりと分かった。
サッカーワールドカップ開催で注目が集まる南アフリカ共和国から飛行機で北上すること3時間半。アンゴラは、アフリカ大陸の西部に位置する農業国だ。石油が出るため、オイルマネーがGDPを押し上げているが、そうした金は、社会のひと握りの上層部に落ちるだけで、貧富の差は大きい。長かった内戦の後遺症からは立ち直りつつあるが、農村部では毎日お腹をすかせている人々がまだたくさんいる。コレラやマラリアがまん延するなど、衛生状態もよくない。
私が従事していたのは、アンゴラ南部のある地域の農村開発計画を策定するプロジェクトで、日本の政府開発援助(ODA)だった。ODAの仕組みには後で触れるとして、冒頭の「草をすき込む」話の背景から。
畑の土には、有機質がたっぷり含まれていないと作物の収量が上がらない。熱帯の土の多くは、その有機質の含有量が少ない。赤茶色の固い土を想像してほしい。アンゴラの農民は、森を開いて、自然が培ってくれた森の土の栄養分を短期間利用するという素朴な焼畑移動農業を長い間続けていた。ところが、人口が増えてきて、森を次々に伐採する余地がなくなったため、次第に、移動せずに同じ場所で耕作せざるをえなくなっていった。
「土づくり」などという手の込んだ農業を、多くの農民はあまりやったことがない。だから、特に何もしないまま、毎年同じ場所に植えることを繰り返す。当然、収量は下がっていく。アンゴラ政府は化学肥料を入れるように指導しているが、化学肥料をまいただけでは、一時は収量が上向くが、土の微生物の活動が活発にならないので、土はさらに固くなり、やがて行き詰まる。
そこで、化学肥料をまく際に、周囲にたくさんある草を同時に土にすき込んだら、と提案した。草は有機物の代表選手。日本の農家ならまず「堆肥」と考えるだろうが、それを提案するのはまだ早いとみた。
農村開発計画づくりでは、その地域の農業のどこをどう改善したら生産性が上がるかを考え、農民や地域の行政、NGOといった関係者と話し合いながら計画案をまとめていき、最後に相手国に提出する。その際に、提案するアイデアが本当にちゃんと機能するかどうかを、小規模で実証してみることがある。これがパイロットプロジェクト。草を入れるという話は、アンゴラのある村で実施したパイロットプロジェクトのひとコマだった。
「草をたっぷり入れてみて下さい」。ワークショップで提案した時の農民の反応は、決して芳しいものではなかった。政府の宣伝もあって、化学肥料の効果は知れわたっていたが、草を入れるなんて話は聞いたことないよ、といわんばかりの、戸惑いのまなざしが返ってきた。草を入れるどころか、農民は、収穫後に残る茎などをきれいに燃やしていたのだ。
しかし、ここは頑張りどころ。ともかく現場でやってもらって、結果を見せるのが最も効果的だからだ。私が村に行くたびに「草、草」と言うので、草を意味する「カピン」という現地語が、いつのまにか私の呼び名になった。
現地にある未利用資源を見定めて、土づくりに違和感を持つ農民にもその意味を少しは分かってもらい、実際にお試しでやってもらって、短期間のうちに結果をだれの目にも見える形にし、それが行政やNGOの活動にも波及していくようにコトを運ぶ。このプロセスは案外、骨が折れる。私は公用語のポルトガル語ができないので、ワークショップでも2人の通訳を介して、英語とポルトガル語と現地語の3つの言語を行き来しなければならない。
幸い、この時は、「草」の効果が予想以上に早く現われ、技術が農民の口コミで次第に広まっていった。効果あり、と分かれば、そして、実行するのに特にカネがかかったりしなければ、農民はすぐ取り入れる。やがて地元のNGOが、この技術を広める活動を自主的に進めたいと言い出した。
私はいま、「二足のわらじ」をはいている。ひとつは沖縄の農場の仕事。スタッフとともに小さな養豚場をやっていて、そこで育てた豚で、味噌漬けや無添加ソーセージといった加工品を開発し、製造している。今は豚だけで手一杯の状態だが、かつては野菜栽培もやり、産直野菜として地元のスーパーに卸していた。
もう一つが、途上国農業開発コンサルタントの仕事だ。アンゴラでの業務もその一つ。途上国での農業開発の仕事は、沖縄の事業と深く結びついている。沖縄という日本で唯一の亜熱帯地域で農畜産の経験があるからこそ、同じく熱帯、亜熱帯のアジア、アフリカ、ラテンアメリカの農村で何が起きているか、何をすればよいか、ある程度の見当がつく。例えば、土の有機物分解速度のものすごさは、日本本土ではまず経験できない。日本の農業の教科書は、熱帯では使えないのだ。途上国での農村開発の仕事には、同じく亜熱帯の米国フロリダで学んだ熱帯農業技術や小農経営理論も活用している。
ODAプロジェクトというものは、世界各地でかなりの規模で展開されているにもかかわらず、少なくとも日本ではあまり知られていないように思う。かつては日本自身が、世界銀行という世界最大の開発援助機関から資金を借りて、東海道新幹線や首都高速道路を建設した歴史を持つのに、である。
なぜ知られていないかと言えば、内向き気味の日本のメディアがほとんど取り上げないからだろう。メディアに時々登場する青年海外協力隊もODAの一つではあるが、そのごく一部にすぎない。むしろ私が携わっているような普通の技術支援や資金協力のプロジェクトが圧倒的な比重を占めている。
日本のODAは主に国際協力機構(JICA)が担っているが、JICAがやるのは、プロジェクトの企画や予算管理という大づかみの部分になる。実際に現場に出向いてプロジェクトを実施するのは、途上国開発コンサルタントと呼ばれる、ソフト、ハードの専門技術を持った民間人材で、私もそのはしくれ。日本国内の公共事業でも、予算を確保して企画するのは役所だが、現場でその事業を実施するのは、多くの場合、技術やノウハウを持った民間企業だ。ODAもそれと同じ構図と考えればいい。
今後は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、そして沖縄で起きていることをお伝えしたい。食と農の話だけでなく、その国の動向や土地の面白いカルチャー、さまざまなビジネスの可能性、日本の力が世界のどんなところで発揮されているか、といった話も織り交ぜながら。ニッポンの人々が世界の中で生きていくためのヒントやきっかけをあれこれ提供できたらいいな、と思っている。
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