自由民主党東京都参議院比例区第七十七支部支部長 三原じゅん子 オフィシャルウェブサイト

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プロフィール

1964年9月13日生まれ。東京都出身。1971年、私立淑徳小学校に入学。
翌1972年、東京宝映テレビ・劇団フジに入団。入団まもなく、劇団フジ定期公演「青い鳥」に出演。
続いて「マッチ売りの少女」の主役に抜擢される。

1975年、第29回定期公演で「強制収容所の少女」の主役シズエを演ずる (ダブルキャストで大場久美子)
(4年後の第43回公演に於いて再びシズエ役を演ずる) 。

1977年、私立十文字学園中学に入学。『燃えろアタック』への出演が始まるが、学校が芸能活動を許していなかったため、2年2学期に自主退学し、板橋区立志村第一中学校に転校する。

1979年、『3年B組金八先生』に出演し、第13話以降「山田麗子」役で役柄からの「つっぱり」のイメージで人気が急上昇した。

1980年、明大中野学校定時制に入学。同年に歌手デビュー。ビーイング創設者の長戸大幸が作曲したデビューシングル「セクシー・ナイト」は売り上げ30万枚を超えるヒットとなり、 同時期の「マルベル堂・プロマイド人気」では第1位となった。当時は山口百恵引退直後だったため、“ポスト百恵”と言われた。 同期歌手デビューには『3年B組金八先生』で共演した田原俊彦のほか、松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、岩崎良美、浜田朱里、甲斐智枝美らがいる。

1982年には「だって・フォーリンラブ・突然」のロングヒットで第33回NHK紅白歌合戦に出場、「ホンキでLove me Good!!」で紅組トップバッターを務めた。

1984年、20歳の誕生日を機に本名の「三原順子」から現在の「三原じゅん子」へ芸名を改める。
また、JUNKOというアーティスト名で本格的なハードロックのバンドを組み、ライブ活動をしていた時期もある。

1987年から1999年にかけては、カーレーサーとしても活動。国際B級ライセンスを持つ。
レース中の事故による骨折も7回経験しているという。

2005年からはレーサー時代の経験を活かし、二輪レースチーム「weave×MIHARA PROJECT」のオーナー兼監督を務める。

2006年より「STB139」等でライブ活動の傍ら、バラエティ、女優業に幅広く活動している。
1999年のNHK『すずらん』を契機として、『ファイト』、『功名が辻』に出演し,2009年にはCX『非婚同盟』で三枚目的な役柄も好演しており演技の幅を広げている。

2010年3月に三鷹に介護施設を開所した。また、NPO団体において子宮頸がんの撲滅運動を行っている。