2006年05月
![]() | ヒルズ黙示録―検証・ライブドア朝日新聞社このアイテムの詳細を見る |
ライブドア問題を早くから追跡してきたAERAの記者が、ニッポン放送事件の前にさかのぼって、一連の出来事をひとつのストーリーとしてまとめたもの。「影の主人公」は村上ファンドで、その裏にはフジサンケイ・グループの骨肉の争いがあったという見立てだ。
東京地検の捜査には、著者も懐疑的だ。政治家などの「巨悪」は結局、何も出てこなかった。「偽計」や「粉飾」とされる容疑も、山一やカネボウのように経営破綻をごまかすために数千億円の不良資産を隠していたのとは違い、公判で争う余地はある。ホリエモンは、大鶴特捜部長の「額に汗して働く人が憤慨するような事案」を摘発するという「国策捜査」のスケープゴートにされたのではないか。北島副部長が捜査の途中で更迭された異例の人事も、何か見込み違いがあったことをうかがわせる。
ライブドア事件の影響で、資本市場の規制が強化され、検察のターゲットともいわれた村上ファンドも、シンガポールに本拠地を移した。これで「ヒルズ族」のお祭りの季節はひとまず終わったが、インターネットはこれからも世界を変えてゆくだろう。
けさの朝日新聞の1面に「米、NTT一体化懸念」という記事が出ている。米国政府が「通信規制の見直しを検討するための意見公募」(おそらくIP懇談会についての追加意見募集)に対して、NTTグループを一体化する中期経営戦略が「競争環境に有害」だという意見書を出したらしい。通信・放送懇談会がNTTの機能分離を主張している点にも「関心をもって注目している」という。
また始まったか、という感じだ。2000年にも、USTRが接続料をめぐってわけのわからない対日要求を出し、これに郵政省(当時)もNTTも振り回された。今度の要求も、また対日要望書に盛り込まれ、同じような騒ぎが再燃するおそれが強い。NTTの経営形態は国内問題だし、そもそも米国ではAT&Tがベルサウスを買収して「複占」状態に近づいているのに、米国政府が他国の一体化に口を出す資格があるのか。これも前回と同様、国内のNTT以外のキャリアがUSTRに「告げ口」したのだろう。
NTTの一体化には、技術的な必然性がある。NTTは今後、現在の「地域IP網」から、物理層でIPをサポートする次世代ネットワーク(NGN)への移行を進める計画だ。これは電話をすべてIP電話に転換するばかりでなく、固定電話と携帯電話を統合し、アプリケーションもIPで統一し、そのQoSも保証しようというものだ。今は、IP電話は地域IP網の例外として県間営業が認められているが、NGNになれば、コア・ネットワークは全国的に一体化されるので、現在の県内営業をベースにしたNTT東西の経営形態は実態にあわなくなる。
しかし、こうした抜本的なトポロジーの転換を、NTT法を変えないで行おうというNTTの姿勢にも問題がある。今のままNTT東西を一体化すると、米国のようにケーブルテレビとの競争もないので、光ファイバーもNTT独占になり、そこに他の会社がぶら下がる電話時代のような形になるおそれが強い。したがってNTTを地域的に一体化するなら、なんらかの形で階層的に分離することは避けられないだろう。
この場合、ボトルネック性が強いのは、加入者線の光ファイバー(まだ300万回線しかない)よりも電柱や道路占用許可などの線路敷設権だ。これは前回の日米交渉のときも議論になり、事務局が外務省に置かれたが、その後ほとんど進展していない。線路敷設権は、いろいろな省庁にまたがるので、官邸主導で開放しないと解決しないだろう。いずれにせよ、こういう問題に外圧がからむと、ろくなことにならない。NTTは、みずからNGN時代の競争ルールを提案し、政策論争を挑んではどうか。
また始まったか、という感じだ。2000年にも、USTRが接続料をめぐってわけのわからない対日要求を出し、これに郵政省(当時)もNTTも振り回された。今度の要求も、また対日要望書に盛り込まれ、同じような騒ぎが再燃するおそれが強い。NTTの経営形態は国内問題だし、そもそも米国ではAT&Tがベルサウスを買収して「複占」状態に近づいているのに、米国政府が他国の一体化に口を出す資格があるのか。これも前回と同様、国内のNTT以外のキャリアがUSTRに「告げ口」したのだろう。
NTTの一体化には、技術的な必然性がある。NTTは今後、現在の「地域IP網」から、物理層でIPをサポートする次世代ネットワーク(NGN)への移行を進める計画だ。これは電話をすべてIP電話に転換するばかりでなく、固定電話と携帯電話を統合し、アプリケーションもIPで統一し、そのQoSも保証しようというものだ。今は、IP電話は地域IP網の例外として県間営業が認められているが、NGNになれば、コア・ネットワークは全国的に一体化されるので、現在の県内営業をベースにしたNTT東西の経営形態は実態にあわなくなる。
しかし、こうした抜本的なトポロジーの転換を、NTT法を変えないで行おうというNTTの姿勢にも問題がある。今のままNTT東西を一体化すると、米国のようにケーブルテレビとの競争もないので、光ファイバーもNTT独占になり、そこに他の会社がぶら下がる電話時代のような形になるおそれが強い。したがってNTTを地域的に一体化するなら、なんらかの形で階層的に分離することは避けられないだろう。
この場合、ボトルネック性が強いのは、加入者線の光ファイバー(まだ300万回線しかない)よりも電柱や道路占用許可などの線路敷設権だ。これは前回の日米交渉のときも議論になり、事務局が外務省に置かれたが、その後ほとんど進展していない。線路敷設権は、いろいろな省庁にまたがるので、官邸主導で開放しないと解決しないだろう。いずれにせよ、こういう問題に外圧がからむと、ろくなことにならない。NTTは、みずからNGN時代の競争ルールを提案し、政策論争を挑んではどうか。
貧困の終焉―2025年までに世界を変える早川書房このアイテムの詳細を見る |
Time誌の「2005年の人」には、貧困に苦しむ途上国の「よき隣人」として、U2のボノとビル・ゲイツ夫妻が選ばれた。これまであまり「おしゃれ」な話題ではなかった途上国の貧困が、「ホワイトバンド」のような形でファッションになったのは、まぁ悪いことではない。そのボノが「教師」とあおぐのが、本書の著者ジェフリー・サックス(コロンビア大学地球研究所長)である。
著者は28歳でハーバード大学の教授になった秀才だが、その学問的な評価はわかれる。とくに彼が顧問として招かれたロシアの経済改革においては、エリツィン政権の経済顧問として、急速な市場経済化による「ショック療法」(彼はこの言葉をきらっているが)を提案し、ロシアを貧困のどん底にたたきこんだ張本人として知られている。
その後、著者は国連のアナン事務総長の特別顧問として、途上国とくにアフリカの貧困対策に努力する。本書の中心となっているのも、毎日1万人以上がエイズやマラリアで死んでゆくサブサハラ地帯の貧困問題だ。しかし、この問題に取り組む国連の「ミレニアム・プロジェクト」の予算は、イラク戦争につぎこまれた戦費の1/100にも満たない。彼は「援助は腐敗した政治家の隠し財産になるだけだ」というシニカルな意見に反論し、「よいガバナンス」は必要だが、成長率とガバナンスとの間には相関はほとんどなく、「地に足のついた援助」は効果を発揮すると説く。
著者の情熱とヒューマニズムには、だれしも脱帽するだろうが、途上国援助を批判する者がすべて「人種差別主義者」であるかのような一面的な主張には、いささか鼻白む。またブッシュ政権の単独行動主義を批判する一方、「反グローバリズム」のデモに一定の理解を示す姿勢には、党派的なにおいも感じるが、著者の扱っている問題が、テロや地球温暖化よりもはるかに重要であることは疑いない。
グーグルが、Desktopの新バージョンなど4つの新サービスを発表した(いずれも英語版のみ)。最近、グーグルの「多角化」が目立つが、株価のほうは下がっている。
今週のEconomist誌に「グーグルは第2のマイクロソフトになるか?」という記事がある。検索エンジンのシェアでみるとグーグルの独占的な地位は大きいが、OSのように「ロックイン」できないので、競争政策上は問題ないという結論だ。だから、トップでいるためには常に走り続けていなければならないのだが、最近の走り方は方向が定まらない。同じ号の特集では、最近グーグルの始めたサービスがみんな「凡庸」だと評し、アル・ゴアをロビイストに雇ってVistaの検索機能を牽制したり、中国では検閲したりして「普通の会社」になりつつあると指摘している。
今週のEconomist誌に「グーグルは第2のマイクロソフトになるか?」という記事がある。検索エンジンのシェアでみるとグーグルの独占的な地位は大きいが、OSのように「ロックイン」できないので、競争政策上は問題ないという結論だ。だから、トップでいるためには常に走り続けていなければならないのだが、最近の走り方は方向が定まらない。同じ号の特集では、最近グーグルの始めたサービスがみんな「凡庸」だと評し、アル・ゴアをロビイストに雇ってVistaの検索機能を牽制したり、中国では検閲したりして「普通の会社」になりつつあると指摘している。
・・・というテーマの取材を、今週だけで3社から受けた。「会合が開かれるたびに『合意』の中身がころころ変わるのはどうなってるんですか?」と私に聞かれても、「こっちが聞きたい」というしかない。
たしかに「NTTのアクセス部門を機能分離」するはずなのに、松原座長が「NTTグループ資本分離を」と自民党の会合で主張する。NHK受信料の支払い義務化や罰則化については「ただちに導入することは難しい」と述べたと思ったら、「不払い罰則化も検討」する。しかも、これが同じ5月9日のニュースだ。
松原氏も怒るように、いい加減な取材で「飛ばし」記事を書く記者がいることも事実だろう。9日の会見概要をみると、「即時の義務化、罰則化は難しい」とあるので、共同の「罰則化も検討」という記事はおかしい。NTTの「資本分離」も、共同以外の社は単に「組織の分離」としているので、共同の誤報かもしれない。
それにしてもNHKについては、最初に「受信料制度は見直さない」ということで「合意」してしまったため、電波の削減や受信料値下げなど枝葉の話ばかり出てくる。値下げの原資も、当初は「徴収業務の効率化」によって出すはずだったのが、「チャンネル削減」で出すことになった。これでは、NHKの橋本会長ならずとも「目的と手段がどっちにあるのか全く分からない」といわざるをえない。NHK改革の目的は値下げではなく、危機に瀕している受信料制度を見直し、経営を効率化することではなかったのか。
NTTについては、社長どうしがバトルを繰り広げている「IP懇談会」のほうが決着しないと、「骨太の方針」に具体策を盛り込むのはむずかしいだろう。NTTは、すでに労使で「一体化」を求めるロビイングを開始したそうだ。そういう政治力もないNHKこそ、弱体化した今が見直すチャンスなのに、これを見送ったら、しばらくチャンスは来ないだろう。松原氏は「政治家に受け入れられる案をつくらないと意味がない」というが、最初から政治的に妥協したのでは、懇談会の意味がないのではないか。
追記:NTTの和田社長は、松原氏のいう「BT方式」(卸売と小売の機能分離)について、「BTのアンバンドリングはメタル回線であり、光ファイバーまで分離するのはおかしい」と主張した。これはもっともだが、NTTも何も犠牲を払わずに一体化できるとは思っていないだろう。ドライカッパーだけでも分離してはどうか。
追記2:自民党では、NTT分割論に「国際競争力をそぐ」という反対論が出てきた。NTTと「国際競争」するって、いったいどこの会社? 唯一の外資系キャリアだったボーダフォンが撤退したというのに、何を空想的な話をしているのか。
たしかに「NTTのアクセス部門を機能分離」するはずなのに、松原座長が「NTTグループ資本分離を」と自民党の会合で主張する。NHK受信料の支払い義務化や罰則化については「ただちに導入することは難しい」と述べたと思ったら、「不払い罰則化も検討」する。しかも、これが同じ5月9日のニュースだ。
松原氏も怒るように、いい加減な取材で「飛ばし」記事を書く記者がいることも事実だろう。9日の会見概要をみると、「即時の義務化、罰則化は難しい」とあるので、共同の「罰則化も検討」という記事はおかしい。NTTの「資本分離」も、共同以外の社は単に「組織の分離」としているので、共同の誤報かもしれない。
それにしてもNHKについては、最初に「受信料制度は見直さない」ということで「合意」してしまったため、電波の削減や受信料値下げなど枝葉の話ばかり出てくる。値下げの原資も、当初は「徴収業務の効率化」によって出すはずだったのが、「チャンネル削減」で出すことになった。これでは、NHKの橋本会長ならずとも「目的と手段がどっちにあるのか全く分からない」といわざるをえない。NHK改革の目的は値下げではなく、危機に瀕している受信料制度を見直し、経営を効率化することではなかったのか。
NTTについては、社長どうしがバトルを繰り広げている「IP懇談会」のほうが決着しないと、「骨太の方針」に具体策を盛り込むのはむずかしいだろう。NTTは、すでに労使で「一体化」を求めるロビイングを開始したそうだ。そういう政治力もないNHKこそ、弱体化した今が見直すチャンスなのに、これを見送ったら、しばらくチャンスは来ないだろう。松原氏は「政治家に受け入れられる案をつくらないと意味がない」というが、最初から政治的に妥協したのでは、懇談会の意味がないのではないか。
追記:NTTの和田社長は、松原氏のいう「BT方式」(卸売と小売の機能分離)について、「BTのアンバンドリングはメタル回線であり、光ファイバーまで分離するのはおかしい」と主張した。これはもっともだが、NTTも何も犠牲を払わずに一体化できるとは思っていないだろう。ドライカッパーだけでも分離してはどうか。
追記2:自民党では、NTT分割論に「国際競争力をそぐ」という反対論が出てきた。NTTと「国際競争」するって、いったいどこの会社? 唯一の外資系キャリアだったボーダフォンが撤退したというのに、何を空想的な話をしているのか。
公正取引委員会は今、独占禁止法で「特殊指定」となっている業種の見直しを行っています。なかでも大きな論議を呼んでいるのが、新聞業界の指定です。これは値引き販売や「押し紙」などを禁じる規定で、公取委は「新聞には再販制度があるので、特殊指定は必要ない」としています。
これに対して、新聞業界は一致して反対を表明し、「特殊指定がなくなると戸別配達網が崩壊し、ひいては活字文化の危機をもたらす」と主張しています。今回の情報通信政策フォーラム(ICPF)セミナーでは、この特殊指定をテーマにして、マスメディアやジャーナリズムのあり方を考えます。
スピーカー:後藤秀雄(日本新聞協会 経営業務部長)
モデレーター:原淳二郎(ジャーナリスト)
日時:5月25日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F (地図)
入場料:2000円
ICPF会員は無料(会場で入会できます)
申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)
これに対して、新聞業界は一致して反対を表明し、「特殊指定がなくなると戸別配達網が崩壊し、ひいては活字文化の危機をもたらす」と主張しています。今回の情報通信政策フォーラム(ICPF)セミナーでは、この特殊指定をテーマにして、マスメディアやジャーナリズムのあり方を考えます。
スピーカー:後藤秀雄(日本新聞協会 経営業務部長)
モデレーター:原淳二郎(ジャーナリスト)
日時:5月25日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F (地図)
入場料:2000円
ICPF会員は無料(会場で入会できます)
申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)
![]() | ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する東洋経済新報社このアイテムの詳細を見る |
通信・放送懇談会の着地点がようやく見えてきたようだ。きょうの会合についての各社の報道を総合すると、
一番むずかしいのは、4である。NTTは、ドライカッパーなら資本分離もOKするだろうが、光ファイバーの分離には抵抗するだろう。NTTは、現在の地域IP網をやめ、ネットワークをオールIPのNGNに更新する計画だが、ダークファイバーを「土管会社」に分離され、開放義務と料金規制がかかったままでは、設備投資にも大きな悪影響が出る。また設備ベースの競争こそ真の競争だという観点からも、全キャリアが土管会社にぶら下がる変則的な競争は望ましくない。せめてドライカッパー+線路敷設権(電柱など)だけでもLoopCoに分離してはどうか、というのが山田肇氏と私の提言だ。
ただ、この場合にも「線路敷設権」をどう定義するかが問題だ。先月のICPFセミナーでは、ソフトバンクの嶋氏と筒井氏が「局内のE/O変換設備と終端のO/E変換設備も共用にしないと、他の業者の設備投資負担が大きい」と訴えていた。しかし、これはDSLよりも踏み込んだ設備開放を求めており、規制でここまで開放させるのは、NTTに「財産権の侵害だ」と訴えられる可能性もある(米国ではFCCは連敗)。究極の問題は、線路敷設権だと思う。
追記:毎日は、「営業費用の引き下げで受信料値下げ可能」という見解に疑問を示しているが、これは正しい。徴収コストが高いのは、払わなければ止めればいい電話料金などと違って、支払いを「お願い」しなければならないからだ。受信料制度に手をつけないで、NHKを改革することなんかできない。
追記2:放送法を改正するなら、NHK会長の兼職禁止規定を削除すべきだ。今のままでは、民間企業の経営者が会長になれない(かつて磯田一郎に会長就任を求めたときも、この規定が障害になった)。兼職可としたうえで、なるべく早く橋本会長を更迭し、民間からトップを選ぶことが、NHK改革の決め手である。
- NHK受信料の引き下げを求める
- NHKの電波を削減する。その対象はBSとラジオのなかから選ぶ
- 「マスメディア集中排除原則」は大幅緩和
- NTTについては、「最低でもアクセス部門の機能分離が必要」
一番むずかしいのは、4である。NTTは、ドライカッパーなら資本分離もOKするだろうが、光ファイバーの分離には抵抗するだろう。NTTは、現在の地域IP網をやめ、ネットワークをオールIPのNGNに更新する計画だが、ダークファイバーを「土管会社」に分離され、開放義務と料金規制がかかったままでは、設備投資にも大きな悪影響が出る。また設備ベースの競争こそ真の競争だという観点からも、全キャリアが土管会社にぶら下がる変則的な競争は望ましくない。せめてドライカッパー+線路敷設権(電柱など)だけでもLoopCoに分離してはどうか、というのが山田肇氏と私の提言だ。
ただ、この場合にも「線路敷設権」をどう定義するかが問題だ。先月のICPFセミナーでは、ソフトバンクの嶋氏と筒井氏が「局内のE/O変換設備と終端のO/E変換設備も共用にしないと、他の業者の設備投資負担が大きい」と訴えていた。しかし、これはDSLよりも踏み込んだ設備開放を求めており、規制でここまで開放させるのは、NTTに「財産権の侵害だ」と訴えられる可能性もある(米国ではFCCは連敗)。究極の問題は、線路敷設権だと思う。
追記:毎日は、「営業費用の引き下げで受信料値下げ可能」という見解に疑問を示しているが、これは正しい。徴収コストが高いのは、払わなければ止めればいい電話料金などと違って、支払いを「お願い」しなければならないからだ。受信料制度に手をつけないで、NHKを改革することなんかできない。
追記2:放送法を改正するなら、NHK会長の兼職禁止規定を削除すべきだ。今のままでは、民間企業の経営者が会長になれない(かつて磯田一郎に会長就任を求めたときも、この規定が障害になった)。兼職可としたうえで、なるべく早く橋本会長を更迭し、民間からトップを選ぶことが、NHK改革の決め手である。
磯崎さんのブログからTBが来て、グーグルには狭義の広告産業を超える可能性があるのではないかと書いてある。これは「朝生」で私も主張したことで、特定の客向けの「営業」と不特定多数向けの「広告」という分類を壊す可能性もあるだろう。そうすれば、客にとって必要もない情報を見なくてすむばかりでなく、広告主にとっても高い料金を払って大部分は買う気のない客に向けてメッセージを発する必要もなくなるわけで、うまく行けば狭義の広告をしのぐメディアになるかもしれない。
テレビ・コマーシャルというのは、20世紀の大量生産・大量消費社会を象徴するアイコンだった。そこでは規格品を大量生産することが目標とされ、広告もマスを相手にした無差別な大量宣伝だった。しかし社会が成熟するにつれて、規格品(ベキ分布のheadの部分)の市場は飽和し、人々は「自分のための商品」や「自分についての情報」などtailの部分を求めるようになる。ウェブやEメールは、こうした「個」の時代にあったメディアだったが、ブログや検索エンジンは、こうした個別化の傾向をさらに強めるものである。
いまウェブに本質的な変化が起こっているとすれば、磯崎さんもいうように、ブログやRSSによって、こうした個別化された情報がその送り手から受け手へ直接送られるようになったということだろう。これは、W3CがHTMLからXMLに移行する作業を始めたとき、Tim Berners-Leeが提唱した"semantic web"の実現でもある。ただ世界のウェブサイトのほとんどはまだHTMLで書かれているので、Timの考えた「機械が互いに意味を伝え、解釈する」世界が実現するのはまだ先だろうが、その走りは見えてきた。
もしも世界中のウェブサイトがすべてXMLで書かれれば、グーグルのように盲目的に全文検索してインデックスする巨大な検索エンジン(情報量は多いがS/N比が低い)は過去のものとなり、たとえば「モーツァルトの交響曲のうち短調で書かれた曲は何番か?」というふうに入力すると、XMLのメタデータで分類されたデータベースから検索エンジンが「意味」を読み取ってその曲名を表示することも可能になるだろう。
これは、20年ほど前に「人工知能」がめざした目標と似ている。当時は、すべての意味解釈をマシンにさせようとしたため、その自然言語処理エンジンと知識ベースが怪物的に大きくなってしまったが、今度はデータのなかに機械が解釈できる意味を埋め込むわけだ。こういう意味データが十分蓄積されれば、楽天や価格.comのようなサイトは「中抜き」され、必要な情報がユーザーに直接フィードされるようになるかもしれない。本質的な意味でWeb2.0と呼びうるのは、ウェブ全体がXMLで書かれるようになったときだろう。
テレビ・コマーシャルというのは、20世紀の大量生産・大量消費社会を象徴するアイコンだった。そこでは規格品を大量生産することが目標とされ、広告もマスを相手にした無差別な大量宣伝だった。しかし社会が成熟するにつれて、規格品(ベキ分布のheadの部分)の市場は飽和し、人々は「自分のための商品」や「自分についての情報」などtailの部分を求めるようになる。ウェブやEメールは、こうした「個」の時代にあったメディアだったが、ブログや検索エンジンは、こうした個別化の傾向をさらに強めるものである。
いまウェブに本質的な変化が起こっているとすれば、磯崎さんもいうように、ブログやRSSによって、こうした個別化された情報がその送り手から受け手へ直接送られるようになったということだろう。これは、W3CがHTMLからXMLに移行する作業を始めたとき、Tim Berners-Leeが提唱した"semantic web"の実現でもある。ただ世界のウェブサイトのほとんどはまだHTMLで書かれているので、Timの考えた「機械が互いに意味を伝え、解釈する」世界が実現するのはまだ先だろうが、その走りは見えてきた。
もしも世界中のウェブサイトがすべてXMLで書かれれば、グーグルのように盲目的に全文検索してインデックスする巨大な検索エンジン(情報量は多いがS/N比が低い)は過去のものとなり、たとえば「モーツァルトの交響曲のうち短調で書かれた曲は何番か?」というふうに入力すると、XMLのメタデータで分類されたデータベースから検索エンジンが「意味」を読み取ってその曲名を表示することも可能になるだろう。
これは、20年ほど前に「人工知能」がめざした目標と似ている。当時は、すべての意味解釈をマシンにさせようとしたため、その自然言語処理エンジンと知識ベースが怪物的に大きくなってしまったが、今度はデータのなかに機械が解釈できる意味を埋め込むわけだ。こういう意味データが十分蓄積されれば、楽天や価格.comのようなサイトは「中抜き」され、必要な情報がユーザーに直接フィードされるようになるかもしれない。本質的な意味でWeb2.0と呼びうるのは、ウェブ全体がXMLで書かれるようになったときだろう。
今週から、gooの「ブログアドバンス」を使っている。当ブログも、かなり分量が増え、バックアップを取っておかないと不安になってきたのだが、手作業で全記事をコピーするのは不可能だ。そこで、バックアップ機能のあるアドバンスを使ってみたのだが、それ以外にも便利な機能がある。月290円なら、お得だと思う(私はNTTレゾナントと利害関係はない)。
おもしろいのは、アクセス解析だ。ページビューや訪問者の数だけでなく、どこのリンクをたどって来たか、また何というキーワードで検索して来たかがわかる(訪問者のアドレスはわからない)。それによると、グーグルから「国家の品格」で検索してきたのがトップで、アクセスされたページでもキーワードでも「国家の品格」がトップだ(私の名前など自明なものを除く)。さすがに、ミリオンセラーの威力はすごい。
また、検索エンジンやブラウザの利用率もわかる。検索のトップはグーグルだが、ぶっちぎりというわけではなく、ヤフーもあまり変わらない。ただ、ICPFのサイトは訪問者がわかるので見てみると、グーグルのクローラーが断然トップだった。たぶんグーグルの強みは、こうして迅速に情報を更新するところにあるのだろう。だから、表示オプションに「日付順」がないのはもったいない。
おもしろいのは、アクセス解析だ。ページビューや訪問者の数だけでなく、どこのリンクをたどって来たか、また何というキーワードで検索して来たかがわかる(訪問者のアドレスはわからない)。それによると、グーグルから「国家の品格」で検索してきたのがトップで、アクセスされたページでもキーワードでも「国家の品格」がトップだ(私の名前など自明なものを除く)。さすがに、ミリオンセラーの威力はすごい。
また、検索エンジンやブラウザの利用率もわかる。検索のトップはグーグルだが、ぶっちぎりというわけではなく、ヤフーもあまり変わらない。ただ、ICPFのサイトは訪問者がわかるので見てみると、グーグルのクローラーが断然トップだった。たぶんグーグルの強みは、こうして迅速に情報を更新するところにあるのだろう。だから、表示オプションに「日付順」がないのはもったいない。
量子コンピュータについての会議が英国王立協会で開かれ、いくつかの異なった方向の成果が発表された。
コンピュータ素子の微細化は急速に進んでいるが、その極致が電子のスピンを使った量子コンピュータだ。普通のコンピュータが0か1かというbitの情報しか持たないのに対して、シュレーディンガーの波動関数であらわされる「純粋状態」の電子ではupとdownのスピンが一定の確率で重ねあわされている。この2値の状態ベクトルをqubit(quantum bit)とよび、これを利用して多くの計算過程を重ね合わせる超並列の高速コンピュータをつくろうというのである。このアイデアは1970年代からあったが、実際には電子を純粋状態におくことがむずかしく、実用化は不可能だと思われていた。今回の会議でも、いろいろな方法が提案されているが、実際に計算に使えるほど長時間、安定した純粋状態に電子をおくことはできていない。
こういう素子の開発は、物理学にとっても重要な実験である。純粋状態の電子が観測されると、波動の干渉が消えて「混合状態」の古典力学的な物質となるのはなぜか、という「観測問題」は100年近く物理学者を悩ましてきた。アインシュタインやシュレーディンガーは、確率的な波動に見えるのは電子の「真の状態」についての情報が不足しているだけだという実在論的解釈をとったが、ボーアやハイゼンベルクは確率的な不確実性は本質的なものだという立場をとり、この「コペンハーゲン解釈」がながく物理学の主流だった。
しかし確率的な波動が本質的な状態だとすると、観測によってそれが消えるのはなぜか。これについて現在の標準的な解釈では、電子が外界と相互作用することによってdecoherence(非干渉化)が生じ、混合状態以外の波(合成された密度行列の非対角成分)が極小化して見えなくなると考える。したがって非干渉化が起こらないように純粋状態を持続することができれば、チューリング・マシンを超える強力なコンピュータができるとともに、非干渉化理論が実証され、観測問題も解決するわけだ。
かつては実際の物理現象と関係のない神学論争だと思われていた観測問題についての理論が、最先端のコンピュータの原理になるというのが自然科学の不思議なところだ。最初は数学基礎論の奇妙なパラドックスにすぎなかったゲーデルの不完全性定理(の証明技法)が、チューリングによってプログラム内蔵型コンピュータの原理とされたように、本質的な理論は本質的な技術革新を生むということだろう。
コンピュータ素子の微細化は急速に進んでいるが、その極致が電子のスピンを使った量子コンピュータだ。普通のコンピュータが0か1かというbitの情報しか持たないのに対して、シュレーディンガーの波動関数であらわされる「純粋状態」の電子ではupとdownのスピンが一定の確率で重ねあわされている。この2値の状態ベクトルをqubit(quantum bit)とよび、これを利用して多くの計算過程を重ね合わせる超並列の高速コンピュータをつくろうというのである。このアイデアは1970年代からあったが、実際には電子を純粋状態におくことがむずかしく、実用化は不可能だと思われていた。今回の会議でも、いろいろな方法が提案されているが、実際に計算に使えるほど長時間、安定した純粋状態に電子をおくことはできていない。
こういう素子の開発は、物理学にとっても重要な実験である。純粋状態の電子が観測されると、波動の干渉が消えて「混合状態」の古典力学的な物質となるのはなぜか、という「観測問題」は100年近く物理学者を悩ましてきた。アインシュタインやシュレーディンガーは、確率的な波動に見えるのは電子の「真の状態」についての情報が不足しているだけだという実在論的解釈をとったが、ボーアやハイゼンベルクは確率的な不確実性は本質的なものだという立場をとり、この「コペンハーゲン解釈」がながく物理学の主流だった。
しかし確率的な波動が本質的な状態だとすると、観測によってそれが消えるのはなぜか。これについて現在の標準的な解釈では、電子が外界と相互作用することによってdecoherence(非干渉化)が生じ、混合状態以外の波(合成された密度行列の非対角成分)が極小化して見えなくなると考える。したがって非干渉化が起こらないように純粋状態を持続することができれば、チューリング・マシンを超える強力なコンピュータができるとともに、非干渉化理論が実証され、観測問題も解決するわけだ。
かつては実際の物理現象と関係のない神学論争だと思われていた観測問題についての理論が、最先端のコンピュータの原理になるというのが自然科学の不思議なところだ。最初は数学基礎論の奇妙なパラドックスにすぎなかったゲーデルの不完全性定理(の証明技法)が、チューリングによってプログラム内蔵型コンピュータの原理とされたように、本質的な理論は本質的な技術革新を生むということだろう。
きのうは、ゲーデルの不完全性定理をめぐって、当ブログで大論争(?)が行われたが、これほど数学と無関係に乱用される定理はないだろう。たぶん、その最初はホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だと思う。この本は、人工知能の限界をゲーデルと結びつけて論じるもので、読み物としてはおもしろいが、現実の人工知能は、そんな高級な限界のはるか手前で挫折した。
日本では、柄谷行人氏などがホフスタッターを受け売りして、「ポストモダン」の世界で流行した。ちょうどデリダが流行したころで、ゲーデルを「脱構築」と結びつけ、クラインの壷などのアナロジーで「自己言及性」のパラドックスを語ることが一種のファッションになった。事情は欧米でも似たようなものらしく、こうした疑似科学的な議論をからかったパロディが学術誌に掲載されるという事件も起こった。
ゲーデルの定理は、一般的な「論理の限界」を示すものではない。完全で無矛盾な公理系は、いくらでもある。不完全性が問題になるのは、その体系のなかでみずからを証明するような包括的な公理系を考えるときである。しかも、これは数学的なアルゴリズムの問題であり、「テクストにおける意味の決定不可能性」などの意味論的な問題とは何の関係もない。
こうしてゲーデルを安直なアナロジーに使う議論は絶滅したと思ったら、当の数学者がそういう議論を持ち出したのには驚いた。しかも「数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある」のだから、世の中は理屈では割り切れないのだ、という八つぁん熊さんレベルの話の枕にゲーデルを持ってくるのだから恐れ入る。
現代数学というのは、ほとんど神秘的な世界である。小川洋子『博士の愛した数式』は、そうした神秘性をうまく物語に仕立てており、ノンフィクションではサイモン・シン『フェルマーの最終定理』もおもしろい(一時はこの定理も、ゲーデルの示した「真だが証明できない命題」かもしれないと思われていた)。しかし、フェルマーの定理のワイルズによる証明の中身は、一般人には理解不能だ。ゲーデルの定理は、アナロジーとして使える最後の数学理論かもしれない。
日本では、柄谷行人氏などがホフスタッターを受け売りして、「ポストモダン」の世界で流行した。ちょうどデリダが流行したころで、ゲーデルを「脱構築」と結びつけ、クラインの壷などのアナロジーで「自己言及性」のパラドックスを語ることが一種のファッションになった。事情は欧米でも似たようなものらしく、こうした疑似科学的な議論をからかったパロディが学術誌に掲載されるという事件も起こった。
ゲーデルの定理は、一般的な「論理の限界」を示すものではない。完全で無矛盾な公理系は、いくらでもある。不完全性が問題になるのは、その体系のなかでみずからを証明するような包括的な公理系を考えるときである。しかも、これは数学的なアルゴリズムの問題であり、「テクストにおける意味の決定不可能性」などの意味論的な問題とは何の関係もない。
こうしてゲーデルを安直なアナロジーに使う議論は絶滅したと思ったら、当の数学者がそういう議論を持ち出したのには驚いた。しかも「数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある」のだから、世の中は理屈では割り切れないのだ、という八つぁん熊さんレベルの話の枕にゲーデルを持ってくるのだから恐れ入る。
現代数学というのは、ほとんど神秘的な世界である。小川洋子『博士の愛した数式』は、そうした神秘性をうまく物語に仕立てており、ノンフィクションではサイモン・シン『フェルマーの最終定理』もおもしろい(一時はこの定理も、ゲーデルの示した「真だが証明できない命題」かもしれないと思われていた)。しかし、フェルマーの定理のワイルズによる証明の中身は、一般人には理解不能だ。ゲーデルの定理は、アナロジーとして使える最後の数学理論かもしれない。
Gooのオフィシャル・ブログだった小倉秀夫氏の「IT法のTop Front」が閉鎖された。原因は、大量の「コメントスクラム」だという。たしかに、最後の4/27の記事などは632件ものコメントがついており、そのほとんどは同じ絵文字のコピペだ。
また感情的なコメントで「炎上」した例としては、吉田望氏がみずから雑誌に発表した事件もある。社会的な話題になったのは、経産省の部長のブログがPSE問題についての大量の怒りのコメントで炎上した事件だ。切込隊長のブログには、毎日「山本一郎履歴詐称疑惑問題」というコピペが何百もついている。まぁ経歴詐称は事実だから、これは自業自得か。
しかし、こういう事件はブログ一般の問題ではなく、コメントやトラックバックのアクセス制限で、ある程度は回避できる。ただgooのブログは、Movable Typeのようにコメントの表示を保留するなどの細かいオプションがないため、アクセスを制限すると、gooIDのない人はコメントできなくなる。
また感情的なコメントで「炎上」した例としては、吉田望氏がみずから雑誌に発表した事件もある。社会的な話題になったのは、経産省の部長のブログがPSE問題についての大量の怒りのコメントで炎上した事件だ。切込隊長のブログには、毎日「山本一郎履歴詐称疑惑問題」というコピペが何百もついている。まぁ経歴詐称は事実だから、これは自業自得か。
しかし、こういう事件はブログ一般の問題ではなく、コメントやトラックバックのアクセス制限で、ある程度は回避できる。ただgooのブログは、Movable Typeのようにコメントの表示を保留するなどの細かいオプションがないため、アクセスを制限すると、gooIDのない人はコメントできなくなる。
村上ファンドの阪神電鉄に対する株主提案が話題を呼んでいる。阪神側が反発する最大の理由は、村上ファンドが経営権を握ったら不動産事業などを「切り売り」するのではないか、との懸念だという。しかし、これこそ投資ファンドの存在理由だ。
1980年代の米国でも多くの投資ファンドが登場し、「多角化」で水ぶくれした企業をLBOで買収し、不採算部門を売却するなどして効率化した。その理論的支柱となったのが、Michael Jensenの有名な論文である。Jensenは、成熟産業の経営者は余ったキャッシュフローを「帝国建設」的な規模拡大や多角化に使う傾向が強いので、それを阻止して利益を投資家に還元する手法としてLBOは重要だと指摘した。
LBOの効果には、賛否両論ある。米国でも社会的には「拝金主義」として批判を受けることが多く、Barbarians at the Gate(『野蛮な来訪者』)やDen of Thieves(『ウォール街・悪の巣窟』)など、企業買収を批判するノンフィクションがたくさん出た。しかし経済学的には、米国の資本主義が80年代までの閉塞状況を脱却するうえで、こうした「企業コントロールの市場」が大きな役割を果たしたという肯定的な評価が多い。
日本では、企業は「共同体」という意識が強いので、いまだに藤原正彦氏のように企業買収そのものに嫌悪を示す人が多く、特に事業売却はよほど追い込まれないとやらない。しかし今回のNHKをめぐる議論でもわかるように、企業に「規模を縮小せよ」と説得するのは無駄である。市場の力で適正規模に縮小させるしかない。資本市場が機能していなくても、効率の悪い企業は最終財市場から退場させられるから、市場が最強のガバナンス装置なのである。
1980年代の米国でも多くの投資ファンドが登場し、「多角化」で水ぶくれした企業をLBOで買収し、不採算部門を売却するなどして効率化した。その理論的支柱となったのが、Michael Jensenの有名な論文である。Jensenは、成熟産業の経営者は余ったキャッシュフローを「帝国建設」的な規模拡大や多角化に使う傾向が強いので、それを阻止して利益を投資家に還元する手法としてLBOは重要だと指摘した。
LBOの効果には、賛否両論ある。米国でも社会的には「拝金主義」として批判を受けることが多く、Barbarians at the Gate(『野蛮な来訪者』)やDen of Thieves(『ウォール街・悪の巣窟』)など、企業買収を批判するノンフィクションがたくさん出た。しかし経済学的には、米国の資本主義が80年代までの閉塞状況を脱却するうえで、こうした「企業コントロールの市場」が大きな役割を果たしたという肯定的な評価が多い。
日本では、企業は「共同体」という意識が強いので、いまだに藤原正彦氏のように企業買収そのものに嫌悪を示す人が多く、特に事業売却はよほど追い込まれないとやらない。しかし今回のNHKをめぐる議論でもわかるように、企業に「規模を縮小せよ」と説得するのは無駄である。市場の力で適正規模に縮小させるしかない。資本市場が機能していなくても、効率の悪い企業は最終財市場から退場させられるから、市場が最強のガバナンス装置なのである。
先日の「朝まで生テレビ」の内容では、松原聡氏の話だけがニュースとして出ている。読売新聞によれば、「NHKのラジオとBSの電波が削減対象になる」という話と、「スクランブル化に否定的な見解を示した」という点がニュースになっている。
たしかに、後者には私も驚いた。彼が『Voice』2005年12月号に書いた記事では、「デジタル放送では、B-CASカードを介して個々の視聴者を特定して、放送を送ることが可能となっている」と書き、両論併記のような形になっていたのに、先週の話では、このB-CAS方式(スクランブル)を明確に否定したからだ。
その理由として、松原氏は「スクランブル化すると、公共放送としての根拠がなくなる」という点をあげているが、それが民営化というものだ。受信料制度が(彼も認めるように)公共料金として破綻しているのだから、公共放送をやめるしかないのである。これに対して「NHKの収入が減る」という心配を宮崎哲弥氏がしていたが、『週刊東洋経済』にも書いたように、視聴料にすれば捕捉率は100%になり、1台ごとに課金できるので、視聴者が半減したとしても採算は合う。そもそも有料放送にしたら視聴者が半減するとすれば、今は本来の視聴者の倍の人々に無理やり見せているということになる。
さらに問題なのは、前にも書いたように、不払いの視聴者は、個人・法人ふくめて最大2700万世帯もあると推定されるが、彼らからどうやって受信料を取り立てるのか、ということだ。これだけ膨大な数の催告状を裁判所から出してもらうには、印紙税だけで100億円ぐらいになるだろう。さらに毎月2000円程度の受信料の不払いでいちいち差し押さえに行ったら、そのコストが取り立てる料金を上回る。要するに、現在の受信料制度は、もうenforcementが不可能なのである。
もちろん民営化する最大の理由は、朝生でも出席者全員が認めていたように「NHKと政治の距離が近すぎる」ことである。これは番組の内容にかかわるだけでなく、経営陣がつねに政治家や役所のほうを向いて経営を行うため、放送ビジネスについて無知な「政治屋」が出世し、デジタル放送のようなナンセンスなプロジェクトが進められるという点でも弊害が大きい。少なくとも、NHK予算を国会で承認するしくみはやめるべきである。BBC予算はOfcomが承認しているが、日本にはそういう独立行政委員会もない・・・
追記:朝日新聞(3日)のインタビューで、NHKの橋本会長は、地上デジタルで「料金を払え」という横断幕を画面に出す方針を示唆している。通信・放送懇談会のいう「取り立て強化」という対策に効果がないことがわかっているからだ。改革の対象よりも後退した提言しか出せない懇談会って何なのか。
たしかに、後者には私も驚いた。彼が『Voice』2005年12月号に書いた記事では、「デジタル放送では、B-CASカードを介して個々の視聴者を特定して、放送を送ることが可能となっている」と書き、両論併記のような形になっていたのに、先週の話では、このB-CAS方式(スクランブル)を明確に否定したからだ。
その理由として、松原氏は「スクランブル化すると、公共放送としての根拠がなくなる」という点をあげているが、それが民営化というものだ。受信料制度が(彼も認めるように)公共料金として破綻しているのだから、公共放送をやめるしかないのである。これに対して「NHKの収入が減る」という心配を宮崎哲弥氏がしていたが、『週刊東洋経済』にも書いたように、視聴料にすれば捕捉率は100%になり、1台ごとに課金できるので、視聴者が半減したとしても採算は合う。そもそも有料放送にしたら視聴者が半減するとすれば、今は本来の視聴者の倍の人々に無理やり見せているということになる。
さらに問題なのは、前にも書いたように、不払いの視聴者は、個人・法人ふくめて最大2700万世帯もあると推定されるが、彼らからどうやって受信料を取り立てるのか、ということだ。これだけ膨大な数の催告状を裁判所から出してもらうには、印紙税だけで100億円ぐらいになるだろう。さらに毎月2000円程度の受信料の不払いでいちいち差し押さえに行ったら、そのコストが取り立てる料金を上回る。要するに、現在の受信料制度は、もうenforcementが不可能なのである。
もちろん民営化する最大の理由は、朝生でも出席者全員が認めていたように「NHKと政治の距離が近すぎる」ことである。これは番組の内容にかかわるだけでなく、経営陣がつねに政治家や役所のほうを向いて経営を行うため、放送ビジネスについて無知な「政治屋」が出世し、デジタル放送のようなナンセンスなプロジェクトが進められるという点でも弊害が大きい。少なくとも、NHK予算を国会で承認するしくみはやめるべきである。BBC予算はOfcomが承認しているが、日本にはそういう独立行政委員会もない・・・
追記:朝日新聞(3日)のインタビューで、NHKの橋本会長は、地上デジタルで「料金を払え」という横断幕を画面に出す方針を示唆している。通信・放送懇談会のいう「取り立て強化」という対策に効果がないことがわかっているからだ。改革の対象よりも後退した提言しか出せない懇談会って何なのか。