池田信夫 blog

Part 2

2006年05月

2006年05月31日 21:56
法/政治

改革の季節の終わり

通信・放送懇談会の最終報告書をまとめる会合があす開かれるが、NHKについて「3波削減」の方向が打ち出されるようだ。内訳は、BS2波とラジオ1波だという。こうなると衛星料金は半額に、ということになるが、NHKは飲まないだろう。結局、ラジオ(たぶん第2放送)以外に削減するのは、BSハイビジョンだけになるのではないか。これならNHKは、むしろ歓迎するだろう。つまり、何の改革にもならないということだ。

今日も、ある通信関係者が「NHKのコンテンツを買おうとすると、どっちが客かわからない」と嘆いていた。客のほうから出向いて行っても、NHKの担当者は、あれもだめ、これもだめで、まったく売る気がない、というのだ。これはNHKの「商業化」を批判されないように、内部の「ガイドライン」を設けているためだが、それがビジネスの実態と無関係な「公共性」を基準にするので、客からみると、わけがわからない。こんな状態でアーカイブのインターネット配信を解禁したって、ほとんど状況は変わらないだろう。

NHKを民営化すれば、子会社をいくら作ろうと商業化しようと、文句はいわれない。過去の番組という資産を有効利用すれば、今の何倍ものビジネスが自由にできるじゃないか――と元同僚にいっても「それは無理だ」という。「みんな自由にやりたくないからだ」。50年間、カゴに入れられていた鳥が、今さらカゴから放たれても、どう飛んでいいのかわからないのだ。

規制改革を官僚が妨害しているというが、本当に規制を求めているのは、こういう既得権者である。しかも規制改革も民営化も最後までまぬがれ、それでも政治家まで動員して「規制してほしい」と声高に要求しているのが、規制を批判してきたマスメディアだというのが皮肉である。

そういえば、新聞の特殊指定も維持することが決まったらしい。この問題についても、官邸からのバックアップはなく、「議員立法」の脅しまで出てきて、公取委は孤立していた。まるで一夜の夢のように「改革の季節」は終わり、自民党は昔の自民党に戻りつつあるようだ。

追記:ライブドアが特殊指定の問題を特集しているが、一足おそかった。ただ、阿川尚之氏が産経の「正論」で一律の新聞報道を批判しているのが、私の知る限り、新聞に掲載された唯一のバランスのとれた意見である。
けさの朝日新聞によると、内閣府の規制改革・民間開放推進会議は、通信・放送の改革についての答申を7月までにまとめるそうだ。主な柱は
  • NTT法を廃止し、持株会社も廃止する
  • アクセス網は機能分離
  • NHKの地上波2波を、報道など「基幹的サービス」と、娯楽番組など「それ以外のサービス」に再編成
  • 基幹的サービスは受信料収入で賄うが、それ以外のサービスはスクランブル化
というもので、通信・放送懇談会よりもずっとまともだが、おかしな部分も残る。

NTTの持株会社を廃止して「完全分離」するというのは、この分科会の主査である鈴木良男氏の20年来の持論だが、もう時代遅れだ。むしろ技術的には、NGNFMCなど「水平統合」の必然性がある(*)。だいたい、各社の完全分離とアクセス網の機能分離の関係はどうなっているのか。NTTを横にも縦にもバラバラにするのか。それにNTT法を廃止すれば、企業買収も自由だから、たとえばNTTドコモがNTT東西を買収することも可能になるが、それは許すのか。

NHKについても、こっちのほうが正論で、かつて島会長が打ち出そうとしていた「第1NHK」「第2NHK」構想に近い。しかし、コンテンツとインフラが分離されるインターネット時代には、インフラ(受像機)をもっている人がすべてNHKのコンテンツ(番組)を見ているとみなす受信料制度は廃止すべきだ。NHKの調査によれば、1週間にNHKの番組を見る時間が5分未満の人が4割にものぼる。こういう人々から毎月2000円近い受信料をとるのはおかしい。

ただ全体としては、こっちのほうが市場中心の改革という小泉政権の基本路線に近い。通信・放送懇談会も、これを見習って足並みをそろえてほしいものだ。

(*)ただしNGNの記事でも議論になったように、本当にこういう新技術が実現するのか、あるいは必要なのかはわからない。FMCは無料のスカイプと競争できるのか、QoSというのは「非問題」ではないか、NGNはインターネットに中央集権的な「門番」をつくろうとする電話会社の陰謀ではないか、などの批判もある。
2006年05月29日 19:35

開発主義の暴走と保身

開発主義の暴走と保身 金融システムと平成経済

池尾和人

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著者と最初につきあったのは、10年前、住専問題についての番組をつくったときだった。そのときから著者は、実質的に破綻した銀行は破綻処理し、国費を投入して早急に処理すべきだ、と主張していた。しかし大蔵省も銀行も問題を先送りしているうちに、傷口はどんどん広がり、「失われた10年」は「失われた15年」になってしまった。

今年3月期の大手銀行の決算は、軒並み史上最高益を記録するなど、不良債権問題が峠を越えたことで、金融業界には楽観論が広がっている。しかし、本当の勝負はこれからである。政府が民間企業を先導して特定分野に資金を配分する「開発主義」的な金融システムがまだ残り、資本市場による「市場型間接金融」サービスの質は、世界的にみてきわめて低い。デリバティブや企業買収などの新しい金融技術の分野では、日本の銀行・証券は大きく立ち遅れている。

「市場主義」を批判する人は多いが、その代わりにどういう制度がいいのか示さない限り、こういう批判には意味がない。Rajan-Zingalesも指摘するように、市場はそれを支える多くの制度的なインフラがないと機能しないのである。これからの日本経済に必要なのは、市場を否定することではなく、グローバルに開かれ、不公正や格差拡大などの弊害を最小化する「質の高い市場」を構築することである。
朝日新聞によると、NHKの定期人事異動で、「番組改変事件」の当事者だった永田担当部長が「ライツ・アーカイブスセンター」に、内部告発した長井CPが放送文化研究所に異動した。NHKの広報は、今回の人事は「処罰的なものではない」とコメントしているが、アーカイブスというのは、普通の会社でいうと「資料室」。文研というのは、愛宕山にあることから、別名「姥捨て山」ともいわれる。左遷であることは明らかだ。

しかし朝日新聞こそ、よその会社の人事をいちいちニュースにするぐらいなら、同じ事件の朝日側の当事者である本田雅和記者が、今年4月に「アスパラセンター」に異動した人事をちゃんと説明してはどうか。「取材メモ」が『月刊現代』に流出した事件については、編集担当常務が更迭されたが、流出ルートは不明のままだ。

本田記者は、差別問題に執念を燃やし、「反体制」を自称する問題記者。過去にも何度もトラブルを起こしており、社会部のなかでも、追い出すべきだという意見が強かったという。関係者によると、取材メモ(明らかに録音を起こしたもの)のコピーは当時、社会部内ではかなり広く出回っていたようなので、だれかが本田記者を窮地に追い込むために魚住昭氏(『月刊現代』の記事の筆者)に渡したのではないか。
2006年05月26日 15:52

フラット化する世界

フラット化する世界(上)

日本経済新聞社

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この本にリンクを張るのは、「おすすめ」するためではない。こういう本もあると紹介するだけである。もしもあなたが、「ブラウザ」とはどういうもので、「モザイク」というソフトウェアが世界をどう変えたかについて、10ページ以上にわたって懇切丁寧に教えてほしいとすれば、この本をおすすめする。それ以外の人にとっては、本書の記述は、その題名のように平板だろう。

本書の原著は、Freakonomicsと並んで、発売から1年以上たっても、まだAmazon.comのベストテンに入っている。たしかに、グローバリゼーションがいかに進んでいるかを、それぞれの現地へ行って取材し、具体的に記述したレポートとしては、本書にも一定の価値はある。コラムを書くという条件さえあれば、会社の経費で世界のどこへでも行けるジャーナリストは、限られているからだ。

しかし皮肉なことに、彼がNYタイムズの多額の出張旅費を使って取材したことのほとんどは、フラット化した世界では、グーグルを使えばだれでも知ることができる。今ごろ『共産党宣言』がグローバリゼーションを予言していたことを知って驚くのは、米国人ぐらいのものだ。
2006年05月26日 12:12
IT

日本はブログ大国?

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すでに多くのブログで話題になっていることだが、TechnoratiのCEO、Dave Sifryによれば、全世界の3700万あまりのブログの記事を言語別に分類すると、トップは日本語だそうである。英語が英米以外のかなりの国で使われていることを考えると、日本語=日本人の投稿がそれを上回るというのは、ちょっと信じがたいが、昨年9月から一貫して日本語が英語を上回っていることをみても、集計ミスではないだろう。原因としては、
  • 日本では、携帯電話から投稿する短い記事が多い。
  • 日本のほとんどのISPが無料でブログ・サービスを提供している(米国のサイトを見ると、AOLにもMSNにもYahoo!にも、トップページに"blog"というサービスは見当たらない)。
  • 米国ではブログが「草の根ジャーナリズム」として扱われているのに対して、日本では「個人の日記」という感じで気楽に始めるケースが多い。
といったところだろうか。しかしTechnoratiのベスト100ランキングをみると、日本のブログは4つしか入っていない。内容面でも、米国ではBoing BoingやEngadgetやDaily Kosなど「硬派」のニュース系サイトが多いのに対して、日本では「がんばれ、生協の白石さん」がトップで、あとは中川翔子や眞鍋かをりなどのアイドル系が続く。

どうやら、日本が「ブログ大国」になったのは本当らしいが、その位置づけは米国とはかなり違う。米国では、実名で主張するブログが多いのに対して、日本ではほとんどが匿名で、趣味的な内容が多い。ただ、2ちゃんねるなどの匿名掲示板に比べると、ブログの言説の質は上がっている。こうしてインターネットも、成熟してゆくのだろう。
きのうのICPFセミナーでは、新聞協会の後藤秀雄氏に話を聞いた。オフレコなので、くわしいことは書けないが、「再販制度があるのに、なぜ特殊指定が必要なのか?」という点については、「新聞の乱売合戦を防ぐため、昭和28年に再販制度ができたが、それでも乱売が止まらないので、昭和30年に特殊指定ができた」とのことだった。50年以上前のことだ。今でも特殊指定を廃止したら、終戦直後と同じ状況になるのだろうか。

「新聞の価格競争が始まったら、戸別配達網が崩壊するという根拠は何か?」という質問に対しても、あまり説得力のある説明はなかった。価格競争が始まったら、販売店の淘汰・再編は起こるだろう。それは、どこの業界でも起こっている流通の合理化であり、販売店の問題にすぎない。「活字文化」とは何の関係もない。

たとえ特殊指定や再販で価格を守っても、1世帯あたり1.1部という現在の購読率が欧米なみの0.7部ぐらいまで下がったら、戸別配達網は維持できなくなるかもしれない。それは斜陽産業の宿命であり、規制によって止めることはできない。むしろ今のうちに販売店を集約するとか、宅配便に業務委託するとか、いろいろな改革を試みる必要がある。規制を維持することは、効率の悪い販売店を温存して本質的な問題を見えなくするだけだ。

何よりも異様なのは、この問題をめぐる各紙の報道や論説が、まるで戦時中のように一致していることだ。「新聞協会としては各社に意思統一を求めていない」とのことだから、なおさら異様だ。「他の業界の規制についてはきびしく批判する新聞が、自分の業界については甘いダブル・スタンダードだ」と見られることが、新聞の信用を傷つけていることを自覚すべきである。
2006年05月25日 01:16

行動経済学

行動経済学 経済は「感情」で動いている

光文社

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きのうの記事でも少し言及した「行動経済学」の入門書。中心はKahneman-Tverskyのプロスペクト理論やフレーミング理論だが、多くの実例でわかりやすく解説されている。この種の理論は、経済学者はバカにしていた(2人とも心理学者)が、2002年にKahnemanがスウェーデン銀行賞を受賞して、にわかに注目されるようになった。

経済学、とくに消費者行動の理論は、本来は心理学の領域である。「限界効用が逓減する」などという事実は実証されてもいないし、そもそも一意的な「効用関数」が存在するかどうかも疑問だ。Kahneman-Tverskyは実証データによって効用理論を否定し、「感情」によって消費者行動が決まる「価値関数」を導いた。ゲーム理論を使った「実験経済学」でも、ナッシュ均衡が実現することはほとんどない。

しかし今でも多くの経済学者は、この種の理論に懐疑的だ。それはこういう理論が正しくないからではなく、正しいと困るからだ。消費者の主観的均衡が成立するには、効用関数が連続で凸であるといった条件が不可欠である。価値関数のように非凸だと、均衡がひとつに決まらず、経済学の体系全体が崩れてしまう。

これは実証科学では当たり前のことだ。理論が現実にあわないときは、理論を現実にあわせるべきであって、その逆ではない。行動経済学は、今のところは経済システム全体を説明する厳密な理論にはなっていないが、著者もいうように「厳密に間違っているよりは大ざっぱに正しいほうが役に立つ」。一方では「経済物理学」のように、市場データを正確にシミュレートする理論も生まれているから、そのうち現在の均衡理論とはまったく違う「21世紀の経済学」が生まれるかもしれない。
2006年05月24日 13:09
IT

日本発のOS環境?

先日の「日本発の検索エンジン?」については、あちこちのブログで(否定的に)話題になったが、今度は政府が「セキュアな次世代OS環境」を開発するそうである。内閣官房を中心として、総務省も経産省も加わり、大学やメーカーが開発に参加する。

まず不可解なのは、「OS環境」という耳慣れないことばだが、これは正確にいえばOSではなく、ひとつのマシンで複数のOSを動かす仮想機械(VM)である。具体的には、VMwareのようにx86マシンをソフトウェアでエミュレートするものだろう。しかしVMの用途は、いろいろなバージョンのWindowsをひとつのサーバでサポートするといった特殊な場合に限られる。ハードウェアにかかる負担が重くなり、マシンが複雑になってトラブルも起こりやすくなるので、一般にはあまり使われていない。

セキュリティについての問題はいろいろなレイヤーで起こり、その大部分はアプリケーションだ。VMでセキュリティを守っても、たとえばeメールに添付されるウイルスは阻止できない。OSのセキュリティ・ホールについては、WindowsもLinuxも発見され次第、パッチを発表しており、VMの出る幕はない。レイヤーが増えると、かえって原因の同定がむずかしくなるだろう。

最大の問題は、こういうプロジェクトを政府主導でやることだ。できたVMは「政府御用達」だから、国内では確実に売れるが、海外からは間違いなく無視されるだろう。その場合も、政府調達にはこのVMが入札条件になるといった形で、IPv6のように、必要もないVMがあちこちで使われてコンピュータの動作を重くするだけ、ということになりかねない。

驚くのは、この予算が3年で6億円(初年度2億円)だということだ。これは、霞ヶ関の常識では「調査費」である。まぁどうせろくなものはできないだろうが、とりあえず官邸の顔は立てておこう、という財務省の査定だとすれば、健全な常識である。「日本発の検索エンジン」についても、同様の常識を発揮してほしいものだ。
2006年05月24日 01:40

The Wealth of Networks

The Wealth of Networks: How Social Production Transforms Markets And Freedom

Yale Univ Pr

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著者には、レッシグと一緒に会ったことがある。「電波コモンズ」の提唱者としての功績は大きいが、それ以外のLaw Journalの論文は凡庸だ。本書についてレッシグは、当然のことながら裏表紙で
In this book, Benkler establishes himself as the leading intellectual of the information age. Profoundly rich in its insight and truth, this work will be the central text for understanding how networks have changed how we understand the world.
と絶賛しているが、率直にいってそれほどの本ではない。私の感想は、Publisher's Weeklyの
Though Benkler doesn't really present any new ideas here, and sometimes draws simplistic distinctions, his defense of the Internet's power to enrich people's lives is often stirring.
という書評に近い。

著者は法学者だが、本書のコアになる議論は、オープンソースやWikipediaなどのネットワークによる「社会的生産」が、市場に匹敵する自律的なメカニズムかどうかという経済学の問題である。著者は、Tiroleなどの議論を参照して、オープンソースが経済メカニズムとして成立することを説明し、行動経済学の文献を援用して、知的労働には金銭的な「インセンティヴ」よりも内的な「モチベーション」のほうが重要だと指摘する。

そこまではいいのだが、そのあとが続かない。「IBMではライセンス料よりもオープンソースの収入のほうが多くなった」といったアドホックな例がいろいろ出てくるだけで、論理が展開しない。本書が示しているのは、たかだか「市場とは別の情報生産・流通システムが存在する」ということまでで、そのメカニズムは明らかでないし、それが市場とどういう関係にあるのかもわからない。

しかし、これはないものねだりというものだろう。当の経済学者が、この問題を系統的に説明できないのだから、法学者にそれを求めるのは酷だ。おそらく、その答にもっとも近いところにいるのは、オープンソースについても行動経済学についても論文を書いているTiroleだろうが、彼でさえ決定的な答は出せていない。これは21世紀の社会科学にとってもっとも重要な問題のひとつだと思うが、21世紀のうちに答が出るかどうかもわからない。

追記:本書の中身は全部、著者のサイトからPDFファイルでダウンロードできる。ただし500ページもあるのでご注意を。
けさの朝日新聞のオピニオン面に「受信料『税金化』前面に」という1ページの記事が出ている。最初はNHKの民営化を検討するはずだった通信・放送懇談会の議論が、なぜ受信料の「税金化」に方向転換したのか、を追及する記事だ。

最大の疑問は、昨年12月22日の「2001年の閣議決定でNHKは特殊法人にすると決めた」という小泉首相の発言の背景に、どういう事情があったのかということだ。この記事には「メディア全体を敵に回してどうするんだ、という判断が官邸にあった」という「閣僚経験者」の推測が出ている。民放連もNHK民営化に反対していたから、というのだが、これは怪しい。

民放連の氏家元会長も、NHKについて「何らかの制度改革は避けられないだろう。分割して一部民営化する方向に議論が進むのではないか」(日経12/21)と民営化を許容するような発言をしていた。広瀬会長も、「朝生」の議論では絶対反対という感じではなかった。有料放送であれば、彼らの利権とはあまり競合しないからだ。

この記事には、NHKの川口元会長と私のコメントが並んでいるが、川口氏の話は、あいかわらず「視聴者の信頼」とか「良い番組を作り続ける」とかいう精神論だ。新聞の特殊指定を正当化するのに「活字文化」が出てくるのと同じである。メディアを産業として論じることを忌避し、「文化」や「公共性」を盾にとって現状維持をはかる古いレトリックは、もうやめるべきだ。

いずれにせよ、今のままでは通信・放送懇談会は、NHK改革に関しては後ろ向きの提言をするおそれが強い(チャンネルの削減や国際放送なんて改革の名には値しない)。それどころか、義務化や罰則の導入は、受信料を税金化してNHKを「官報」にしようという自民党のねらいにはずみをつける結果になりかねない。そんなことになるぐらいなら、思い切ってNHK改革に関しては白紙とし、「次の政権に引き継ぐ」と書いてはどうか。

追記:コメント欄にも書いたが、これは官邸内の権力闘争の一環という見方もできるかもしれない。最近、首相と竹中氏の距離が広がり、特に飯島秘書官が彼らが2人きりで話すのを妨害しているといわれる。しかし「2001年の閣議決定」なんて持ち出したのは飯島氏とは思えないから、財務省出身の丹呉秘書官だろう。竹中氏が「懇談会の結論を骨太の方針に盛り込む」としていたのを、経済財政諮問会議の主導権を奪い返した財務省がきらったのではないか。
2006年05月23日 00:44

フィッシャー・ブラック

金融工学者フィッシャー・ブラック

日経BP社

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いわずと知れたブラック=ショールズ公式の発見者、ブラックの生涯と金融工学の発展を重ね合わせて書かれたもの。伝記としては、よく取材していておもしろいが、ついでに金融工学の勉強も、というのはちょっと無理だろう。本書の柱になるCAPMやB-S公式については一応の説明があるが、初心者向きではない。これとは別に金融工学の入門書(*)を読んだほうが、本書のおもしろさもよくわかると思う。

ブラックは、スウェーデン銀行賞(通称ノーベル経済学賞)をもらう前に死んだので、受賞者はショールズとマートンだったが、本書を読むと、本当の発見者はブラックだったことがわかる。彼が公式を見つけたのは1969年だが、それを解くのに1年かかり、さらに論文が学術誌(JPEとREStat)に却下された。ミラーやファーマの口添えで書き直し、2度目の投稿でやっとJPEに発表されたのは1973年だった。

ただブラック自身は、オプション理論には大して関心がなく、主要な興味はCAPMを応用した「一般均衡理論」の構築だった。こっちのほうは、あらゆる学術誌に却下され、今日では忘れられているが、「実物的景気循環」の先駆ともみることができるようだ。ただ、彼は計量経済学がきらいだったので、理論モデルを計量モデルで検証するというマクロ経済学の「作法」に従わなかったことが拒否された理由らしい。

またブラックは、B-S公式も疑っていたようだ。この公式が一般に知られるようになってからは、すべてのトレーダーがこの公式を使って価格を計算するので、B-S理論は「自己実現的な予言」になってしまったのである。彼は、現実の市場が(B-Sの前提である)正規分布よりも裾野の広い「ファット・テール」になることを知っていた。彼は、マンデルブローとも付き合いがあったようだから、もう少し生きていれば「経済物理学」に近づいていたかもしれない。

(*)入門書といっても、「ブラック・ショールズ微分方程式」などと銘打ったものは、やめたほうがよい。野口・藤井『金融工学』(ダイヤモンド社)でも説明しているように、B-S公式は微分方程式なんか使わなくても、初等的な「2項モデル」で理解できる。ブラック自身も、このCox-Rubinsteinモデルを好んでいたようだ。
2006年05月22日 22:37
IT

日本発の検索エンジン?

高田さんからのTBによれば、経産省は「日本発検索エンジンでグーグルを超え目指す」プロジェクトに3年間で300億円の予算を要求するそうだ。ふれこみは「ネット上の画像や映像、音声情報などの検索機能を飛躍的に高める」といったものだが、これは当ブログで「産業政策の亡霊」と評した研究会の産物だろう。

こういうプロジェクトを計画しているのは、日本だけではない。欧州でも、Quaeroという"EuroGoogle"の開発が始まっている。こちらは初期の予算だけで17億ユーロ(約2400億円)と一桁大きいが、中身は映像・音声による「マルチメディア検索」など、似たようなものだ。だいたい官僚の考える(そして予算のつく)キャッチフレーズは、どこの国でも同じらしい。問題は、こういう官民プロジェクトが(特にITの分野では)成功した試しがないことである。

さらに問題なのは、このように政府が特定の企業に補助金を出す産業政策は、WTOで「不公正貿易」とみなされることだ。Quaeroの場合には、補助金ではなく無利子融資にしたり、学術研究費を装うなど、複雑なしくみでWTO違反にならないようにしているらしいが、経産省はどうするのか。WTOで補助金削減を唱えている貿易グループは、この季節はずれの「亡霊」をどうみているのだろうか。

追記:経産省の担当者が、この「情報大航海プロジェクト」について語っている。彼も質問する側も、過去の産業政策の失敗をまったく意識していないことに唖然とする。
米議会に「インターネットの自由保護法案」が提出された。その内容は、キャリアやISPがコンテンツを差別することを禁じ、違反した業者にはFCCが「改善命令」を出し、罰金を課すことができるというものだ。これは、この種の法案としては6本目で、議員たちも混乱している。

これまでの「ネット中立性」法案の提出者のほとんどは民主党議員で、これについての反応も党派によってはっきりわかれている。応援団は、グーグル、マイクロソフト、ヤフーなどのIT企業と、なぜかモービーやREMのマイケル・スタイプなどの芸能人。他方、批判的なのはWSJEconomistなど共和党系のメディアだ。

批判派の主張は、要するに「壊れていないものを直すな」ということだ。前に当ブログでも書いたように、インターネットではすでに差別が行われており、それが技術革新をはばんでいるという事実はない。FCCはすでに「ガイドライン」によって差別的な契約を禁じており、これで十分だ。FCCが個別の(キャリアと企業の)契約に介入して「差別」に罰金を課すというのは、きわめて強い規制である。また企業から割増料金をとらないとすれば、ネットワークを増強する設備投資の負担をすべて消費者が負うことになり、不公平だ――という主張は説得力がある。

しかし、現在のインターネットの自由が規制の産物だということは、あまり知られていない。FCCは、1966年から3次にわたる「コンピュータ調査」を行い、コンピュータ・ネットワークをどう規制すべきかについて検討した。その結果、FCCは電話などの「基本サービス」とデータなどの「高度サービス」を区別し、電話会社は高度サービスに介入してはならないという規制を行った。このため、電話会社の"VAN"よりもはるかに低コストでインターネットのサービスが広がっても、電話会社はそれを阻止できなかったのである。

だから問題は、規制するかしないかというall or nothingではないだろう。ネットワークの中立性を守ることは重要だが、行政が個々の契約に直接介入することは望ましくない。規制はゆるやかなガイドラインにとどめ、個別のケースについては民事訴訟や紛争処理委員会にゆだねてもよいだろう。日本でも、キャリアがコンテンツを差別する動きが現実化しているわけではないので、まだ立法措置を考える状況ではない。

追記:シスコシステムズ、3M、クアルコムなどのハードウェア・メーカーは、ネット中立規制に反対する手紙を議会に出した。たしかにルータでは、なんらかの「優先順位」をつけないでパケットを転送することはできないので、完全な中立性はありえない。
2006年05月20日 20:29
経済

新聞は公共財?

新聞の「特殊指定」をめぐる記事を検索していると、こういうインタビューが出てきた。
--新聞の特殊指定制度廃止を急ぐ公取委の動きをどう見ますか。
 ◆公共経済学の問題だと思いますね。公共経済学ってのは要するに、世の中には、市場原理にゆだねてはいけない公共財というものがあるんだってことを経済学的に勉強するんです。
--新聞は公共財だと思いますか。
 ◆もちろん、そう思っています。(毎日新聞4/19)
答えているのは、長尾龍一氏(日大教授)。法哲学者でよかったね。経済学者が公の場でこんな発言をしたら、学者生命を失うだろう。公共財というのは「非競合的」で「排除不可能」な財だ、というのは大学1年生の教科書にも書いてある。新聞は、競合的で排除可能な「私的財」である。

こういう人の頭にある「市場原理」というのは、公共性と無縁なエゴとカネの世界なのだろう。しかし経済学のもっとも重要な発見は、市場原理は公共的な意思決定を分権的に行うメカニズムだ、ということである。取引は一見、個人が私的に行う活動だが、それが一定の条件のもとで市場で集計されると、社会的にも(政府による集権的な決定よりも)効率的な結果をもたらすのである。

もちろん、分権的な決定の集計が非効率的な結果をもたらすこともある。道路や街灯のような公共財は「外部性」が大きいので、私的に取引することは非効率的だ。ところが、NHKが「公共放送」だとか、新聞が「公共的な使命」を果たしているとかいうとき、漠然と「多くの人がともに使う」という意味で使われることが多い。そう使うのは自由だが、それは「市場原理にゆだねてはいけない」ことと無関係である。電力もガスも、多くの人がともに使うが、私的財として従量料金を取っている。

経済学のトレーニングを受けた人とそうでない人の違いは、市場を意思決定や紛争解決のメカニズムととらえるかどうかにあると思う。これは現実の市場をみていてはわからず、それを「財空間」や「生産可能集合」のような抽象化されたモデルで考えないと理解できない。そういう点を系統的に書いた古典としては、T.C. Koopmans, Three Essays on the State of Economic Scienceがある(絶版だが、図書館にはあるだろう)。経済学の教科書を1冊だけ読むなら、私はこの本(の第1論文)をおすすめする。

来週のICPFセミナーでは、新聞協会の幹部に、新聞の「公共性」についてもじっくり話を聞く予定である
NTT系のISP、ぷららがWinnyによる通信を遮断しようとしたのに対して、総務省は「通信の秘密の侵害にあたる」として、この措置に待ったをかけた。

WinnyなどのP2Pトラフィックが、ISPの総トラフィックの半分以上を占める状態には、各社とも頭を痛めている。ぷららも、以前からトラフィックを制限するなどの措置をとってきたが、情報流出の被害も大きくなったため、全面的にWinnyを排除する方針を決めたという。しかし特定のアプリケーションを排除するのは問題があるし、実際にネットワークを流れる膨大なパケットのなかからWinnyのものだけをピンポイントで止めるのは非常にむずかしい。「誤検知のおそれがある」という総務省の判断は妥当だろう。

「ネットワーク中立性」の問題は、米国ではコモンキャリアの「ただ乗り論」に対する反論として出てきたが、日本ではアプリケーションに対する中立性が問題になってきた。しかしTim Wuもいうように、パケットを差別するよりも通信料金を上げるほうが簡単で無害な対策だ。また私が2年前にも指摘したように、ネットワーク間の「ピアリング」を原則無料とする慣習も改めるべきである。

USENのGyaOも「ただ乗り」として槍玉にあがっているようだが、今後、本格的なブロードバンド時代になれば、ネットワークにかかる負荷は、GyaOの比ではない。全国民がIPマルチキャストでテレビを見ることも想定してインフラを構築すべきだし、そのための投資をユーザー(消費者も企業も)が負担するのは当然だ。
高市早苗氏を中心とする自民党の有志が、新聞の「特殊指定」を維持するための独禁法改正案を議員立法で提出することになった。公取委が特殊指定を検討している最中に、それを検討できないように独禁法を改正するという異常な法案だ。

もっと異常なのは、この問題をめぐる各紙の「翼賛的」な報道だ。新聞だけ読んでいると、まるで特殊指定の解除に賛成している日本人はひとりもいないようだが、ウェブを見ると、逆である。グーグルで「特殊指定」を検索すると、トップは「新聞の再販制度と特殊指定はホントウに必要か?」と題するライブドアの記事で、当ブログの記事も第6位に入っている。その他のブログを見ても、新聞社の主張を支持しているのはほとんどない。

ちょっと前までは、新聞とテレビが「絶対反対」で足並みをそろえたら、国民にはそれ以外の情報は伝わらなかったが、今ではブログが「第2のジャーナリズム」の役割を果たし始めた。今回の問題は、古い寡占型ジャーナリズムと新しいブログ型ジャーナリズムの対決といってもいいかもしれない。そういう観点から、今月のICPFセミナーでは、この特殊指定の問題を取り上げることにした。

追記:自民党の「独禁法調査会」は、この改正案が「独禁法体系の中で異質な部分になる」として、保岡興治会長が公取委と協議することを決めた。公取委も「6月にはこだわらない」としているから、先送りするのだろう。
16日の通信・放送懇談会は、NTTの経営形態を「2010年までの中期的課題」として先送りし、当初予定していた最終とりまとめはできなかったようだ。NHKについては、「娯楽・スポーツ番組の制作の外部化」とか「子会社の削減」という話が出た程度で、チャンネル削減については結論が出なかった。

結果的には、通信・放送の融合にあまり関係のないNTT再々編問題に時間をかけすぎたと思う。これは郵政三事業なみに複雑な利害のからんだ政治問題で、半年ぐらいで結論を出すことは、もともと無理だった。他方、NHKについては、経営形態を見直す好機だったのに、官邸から「民営化しない」という縛りをかけられて、目玉がなくなってしまった。

結局、合意事項として出たのは、NHKアーカイブのブロードバンド配信ぐらいだ。しかし、これも通信・放送の融合の起爆薬になることは、とても期待できない。たしかに川口のアーカイブには、番組に換算して59万本のテープがあるが、そのうち閲覧できるのは5700本しかない。しかも、これはアーカイブの館内で見るという条件で権利処理をしているので、ネット配信となると、またやりなおしだ。

今はNHKのネット配信には「過去1週間以内の番組」などの規制があるが、これは撤廃されるだろう。しかし規制がなくなっても、NHKがBBCのように積極的にネット配信をすることは望めない。BBCは「クリエイティブ・アーカイブ」で無料公開しているが、NHKは有料ベースだ。BBCが無料で公開するのは、BBCに対しても民営化の圧力が強いのに対して、BBCの番組は「国民の共有財産」であることをを訴える戦略である。NHKも民営化したくないのなら、せめてBBCのように戦略的に対応してはどうか。

私が前から提案しているのは、政府がNHKのアーカイブを丸ごと買い取り、これをすべて無償で公開することだ。この際、NHK制作の番組については著作権処理はすべて不要にし、その代わりこのアーカイブを使ってつくったコンテンツも著作権は主張できない(料金はとってもよい)という特別立法を行う。これはKremerの提案した「特許買い取り」メカニズムの応用である。

追記:自民党の通信・放送産業高度化小委員会も、NHK受信料の支払い義務化を柱とする素案をまとめた。NTT改革は先送りし、地方民放のデジタル化には「公的支援」が必要、といかにも自民党的だ。専門家を集めた総務省の懇談会の結論が、自民党と「7、8割は一緒」(片山委員長)になるのでは、何のための懇談会だったのか。
2006年05月16日 00:33
IT

グーグルとネット中立性

総務省の「IP懇談会」についてのパブリック・コメントが公表された。やはり米国政府がコメントしているが、注目されるのはグーグルとスカイプが「ネットワーク中立性」についてコメントしていることだ。スカイプはわかるが、グーグルがこれほど中立性に強い関心をもっているのは意外だ。

グーグルの主張は、コンテンツの種類によって優先順位をつけたり超過料金を取ったりするunreasonable discriminationは許されてはならない、というものだ。ただし、ユーザーの通信速度に応じて料金を変えるなどの客観的な基準によるreasonable differentiationは許されるとしている(ちなみに米国政府は、中立性については「興味をもっている」だけ)。

現実のインターネットは、必ずしも中立ではない。AkamaiなどのCDNは、特定のコンテンツを優先するサービスだし、MPLSなどパケットを「差別」するシステムは現にある。グーグル自身も、全世界に1万台以上のサーバを置いた「グリッド」で負荷を分散している。ただ、今まではパケットが複数のキャリアを経由するので完全なコントロールはできなかったが、米国のキャリアが寡占状態になり、インターネットをコントロールしやすくなった。グーグルによれば、米国で電話会社とケーブルテレビ以外のブロードバンド接続は減っており、今はわずか0.5%しかないという。

日本も、DSLではNTT東西のシェアは40%ぐらいだが、FTTHでは60%を超えているから、コントロールしやすくなる。KDDIもソフトバンクも、FTTHではNTTとまともに競争する気がないようだから、このまま行くと採算性の高い都市部はNTTに押えられてしまうのではないか。ネットワークの中立性を守る最善の手段は、グーグルも指摘するように、設備ベースの競争である。

追記:よく考えると、中立性をめぐる議論は、グーグルのChief Internet EvangelistであるVint Cerfの主張で始まったものだから、グーグルが熱心なことは当然だ。
2006年05月15日 18:00
メディア

島桂次

昔、NHKの会長に島桂次(通称シマゲジ)という型破りな人物がいた。1991年に失脚し、96年に死んだので、いま放送業界を取材している記者も知らないことが多いようだが、彼のやったことを知っておくのは、今後の通信・放送融合時代にも役に立つだろう。

島は、池田勇人付きの「派閥記者」として頭角をあらわし、大平派では「派閥の序列No.2」として大平の隣に座ったといわれる。NHK政治部の主流からはきらわれ、報道番組部次長やアメリカ総局長に「左遷」されたが、彼はそうした経験を生かして、テレビの演出を変革した。アメリカ流の「キャスター」を使った「ニュースセンター9時」や、職域を超えたプロジェクトによる大型番組「NHK特集」をつくったのも彼である。

1989年に会長になってから島は、住友銀行の磯田一郎(当時の経営委員長)と組んで「商業化」路線を推進した。なかでもNHKエンタープライズの子会社として作った「国際メディア・コーポレーション」(MICO)は、NHKグループの中核会社として、放送法の制約を受けずに事業展開を行う予定だった。将来は、島はMICOの社長となって「日本のマードック」としてグローバルに経営を行い、NHKは逆にMICOの子会社にするつもりだった。その第1弾として、米ABCや英BBCと組んでグローバルにニュースを配信するGNN(Global News Network)という構想を正式に表明した。

島は他方で、NHKを抜本的にスリム化する構想も持っていた。彼は「NHKは波を持ちすぎだ」と公言し、教育テレビやラジオ第2放送を削減しようとした。また報道をのぞく番組制作部門はすべて外注すればよいという方針で、番組制作局の「部」を「プロダクション」と改称した。最終的には、NHKを24時間ニュース専門の「第1NHK」と、娯楽・スポーツなどを中心にする「第2NHK」に分割し、第2NHKは民営化する方針だったという。しかし、こうした構想は、島が失脚すると、すべて白紙に戻ってしまった。

いま思えば、島の構想は大風呂敷すぎたが、「半国営」で受信料収入に制約されたままでは自由にビジネス展開もできないと考え、民間資本を導入して企業としてのNHKを自立させようとした彼の見通しは正しかった。NHKを中心とする放送業界全体が政府に管理された状態では、日本の放送・映画・音楽産業の売り上げをすべて合計してもタイム=ワーナー1社に及ばず、国際的に通用しない質の低い番組を高コストでつくる体質は改善できない。

それなのに、現在のNHK経営陣には、良くも悪くも島のようなリーダーシップはなく、ひたすら既存の制度を守ることに汲々としている。通信・放送懇談会も、日本のコンテンツ産業の足かせになっているNHKと民放の「二元体制」による寡占状態を変えないことに決めてしまった。もしも島がいま生きていれば、懇談会に乗り込んでNHKの「全面民営化」をぶち上げたかもしれない。



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