・どうしても、この話は、しつこくなっちゃんですが、
6月6日の矢沢永吉さんとの対談のときに、
こういうことを言いました。
「サイコロを振って、
ある数字が出るか出ないかの確率は6分の1だけれど、
出るか、出ないか、だったら半々だろう」と。
言い方がうまくなかったせいか、
あんまりおもしろがられませんでした。
なんか残念なので、夜になってからツイッターで、
さらに「その話が好きなんだ」ということを言いました。
もうちょっと話に立体感をつけようと、
「あのことがプロポーズを受け入れてくれるという
確率にしても、75%とか10%とかに関係なく、
答えはYesかNoなんだから」と付け加えました。
そうだよなぁ、という人もたくさんいましたが、
それは確率論としておかしいという意見も多かった。
そういう正しさのことを話しているわけじゃないので、
「サイコロのひとつの目が出る確率は6分の1で、
それが出ない確率は6分の5だということはわかってる。
だけど、6分の5のほうにならない場合というのが、
実際にあるわけで。
出るか出ないかは、どっちかの二択なのです。
そこに狭き門を選ぶ<決断>があるのです」
なんてことを書きました。
同じようなことを『爆笑問題』の太田さんが
テレビで言っていた、という情報ももらいました。
ぼくがこの話をしつこくしたがるのは、
「確率の高いほうを選ぶ」ことが、
「よい決断」とは限らないんだ、
というようなことが言いたかったからじゃないか、
と、気がついたのでした。
9割の確率で失敗するということを、
「やる」と決断して成功することもあるし、
9割の確率で失敗するということを考慮して、
涙をのんで「やらない」と決断することもある。
どっちも「決断」できることなんだということが、
どうやら言いたかったみたいなんですね。
確率の低いことを、捨てちゃうのはダメなんですよー。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
さぁ、とても明るいハラマキ、お待たせしてましたぁ。
6月6日の矢沢永吉さんとの対談のときに、
こういうことを言いました。
「サイコロを振って、
ある数字が出るか出ないかの確率は6分の1だけれど、
出るか、出ないか、だったら半々だろう」と。
言い方がうまくなかったせいか、
あんまりおもしろがられませんでした。
なんか残念なので、夜になってからツイッターで、
さらに「その話が好きなんだ」ということを言いました。
もうちょっと話に立体感をつけようと、
「あのことがプロポーズを受け入れてくれるという
確率にしても、75%とか10%とかに関係なく、
答えはYesかNoなんだから」と付け加えました。
そうだよなぁ、という人もたくさんいましたが、
それは確率論としておかしいという意見も多かった。
そういう正しさのことを話しているわけじゃないので、
「サイコロのひとつの目が出る確率は6分の1で、
それが出ない確率は6分の5だということはわかってる。
だけど、6分の5のほうにならない場合というのが、
実際にあるわけで。
出るか出ないかは、どっちかの二択なのです。
そこに狭き門を選ぶ<決断>があるのです」
なんてことを書きました。
同じようなことを『爆笑問題』の太田さんが
テレビで言っていた、という情報ももらいました。
ぼくがこの話をしつこくしたがるのは、
「確率の高いほうを選ぶ」ことが、
「よい決断」とは限らないんだ、
というようなことが言いたかったからじゃないか、
と、気がついたのでした。
9割の確率で失敗するということを、
「やる」と決断して成功することもあるし、
9割の確率で失敗するということを考慮して、
涙をのんで「やらない」と決断することもある。
どっちも「決断」できることなんだということが、
どうやら言いたかったみたいなんですね。
確率の低いことを、捨てちゃうのはダメなんですよー。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
さぁ、とても明るいハラマキ、お待たせしてましたぁ。