元刑事で作家の北芝健氏の名前を表すドメイン名を使い、「北芝健公式ウェブサイト」と題するウェブサイトが2010年5月24日付でサイト閉鎖の案内を掲示した。これは現代的なサイバースクワッティング問題の複雑さを物語るものである。
サイバースクワッティングは不正な目的で著名な企業やブランド・個人の名前のドメイン名を登録・使用する行為である。典型的な動機は真の権利者への高値での売りつけである。それ以外にもドメイン名が表す企業やブランド・個人の公式なウェブサイトと誤認した訪問者を集め、広告サイトへの誘導や個人情報収集などに悪用される。
問題のウェブサイトは北芝氏の様々な写真と共に、北芝氏の活動(トークイベントなど)の告知や著書の案内などが掲載されており、文字通り本人の公式サイトのような外観を呈していた。これに対して北芝氏側はサイバースクワッティング被害を主張する。記者(=林田)は北芝氏ともサイト開設者とも面識があり、双方に取材して話を聞いた。
北芝氏は『まるごし刑事』などの漫画原作や犯罪学者の立場での講演、バラエティ番組出演など多方面に活躍している。サイト開設者は北芝氏のトークイベントを司会し、北芝氏との関係が悪化する前は北芝氏の仕事(編集者などとの打ち合わせなど)に同席し、北芝氏の主宰する空手道場・修道館の宴会に出席するなどしていた。
北芝氏はサイト開設者をIT専門家と名乗り、修道館に出入りした人物と説明する。様々な悪評を聞いていたが、更正の最後のチャンスと考え、仲間として待遇した。温情から食事を奢り、食品や衣料を買い与えた。様々なアルバイトを紹介したが、サイト開設者は時間にルーズで遅刻して、長続きしなかった。これに対し、サイト開設者は北芝氏のマネージャーだったと主張する。
「北芝健公式ウェブサイト」は2008年12月頃、サイト開設者の知人であるライターA氏のサーバを間借りして開設された。この頃に北芝氏はサイト開設者とA氏にホテルのディナーバイキングを奢っている。その後の2009年4月頃に独自ドメインを取得した。
「公式サイト」について北芝氏は依頼もしていないのに勝手に開設されたと説明する。その目的を、サイトで北芝氏への仕事のオファーを受け、サイト開設者が北芝氏の仕事をコントロールすることを狙ったものと推測する。
これに対し、サイト開設者は北芝氏に「ウェブサイトを開設すれば仕事が取れる」とアドバイスしたところ、仕事が欲しいとの回答だったために作成したと反論する。定額の報酬とウェブサイト経由で仕事が入った場合のコミッションをもらえるという話であった。しかし、北芝氏からは経費の一部と物品による報酬しかもらえなかったという。
北芝氏はサイト開設を依頼していないと主張しており、そもそも報酬支払い義務はないというスタンスである。但し、「公式サイト」は作りがチープで、安いサーバを使用しているため、温情からサイト開設者に渡した金銭や物品でお釣りが来るレベルであるとも主張する。これに対し、サイト開設者はサーバが最安価であるというのは風評であると反論する。
その後の2009年夏頃に北芝氏とサイト開設者の対立が表面化する。これについて北芝氏はサイト開設者の様々な悪事が露見したためと説明する。大きく3点ある。
第1にサイト開設者がインターネットの匿名掲示板で北芝氏を中傷していることが明らかになった。内容は北芝氏が女子大生と付き合っているという類の事実無根のものである。但し、具体的な大学名を挙げ、何月何日に一緒に歩いていたなどと細部にリアリティのある描写をしていた。当時、北芝氏は名前を挙げられた大学の女子大生と一緒に仕事をしており、それは仕事についてきたサイト開設者しか知らない事実である。これが匿名の書き込みをサイト開設者のものと判断した理由である。
また、「修道館が潰れかけており、それをサイト開設者が救う」という内容のサイト開設者に都合のよい妄想的な内容の書き込みもなされていた。これもサイト開設者が書き込み者と判断する裏付けとなった。
第2に修道館の女性門下生や取材に来た女性記者からの苦情である。サイト開設者がしつこく温泉旅行に誘い、セクハラメールを送っていたという。
第3に北芝氏が顧問を務める学会からの苦情である。北芝氏はサイト開設者の頼みによって、北芝氏の費用負担でサイト開設者を学会に入会させた。ところがサイト開設者は学会の教授達に「月50万円でネット上の誹謗中傷などから守る」などと言って金を要求した。北芝氏は教授達から「あのような人物を何故、入会させたのか」と叱責を受けた。
これらの問題が重なり、北芝氏はサイト開設者を修道館や学会への出入り禁止にした。北芝氏がサイト開設者に電話し、「何故、そのようなことをするのか」と尋ねたところ、「手前コノヤロー」と突然口調が変わったという。そこで言い争いになり、男同士の勝負をするという話になった。
サイト開設者が駒込に来ることを拒否したため、文京区千石で会うと話がまとまりかけた。しかし、サイト開設者は「出てくるが勝負はしない。黙って殴られるだけだ」と言い出した。北芝氏は「手を出させて暴行・障害とし、被害者に仕立て上げる罠である」と推測し、「気味の悪い奴だ」と評した。また、出入り禁止の言い渡し後は、サイト開設者が色々な人に「北芝は頭がおかしい」と吹聴したとする。
北芝氏の説明ではサイト開設者は北芝氏が対立する前から陰で北芝氏を中傷する書き込みをしていたことになる。その動機を北芝氏は空手道場の和気藹々とした雰囲気への嫉妬と分析する。アメリカからの女子留学生の送別会で、サイト開設者は記念品をもらえなかった。心の中で激怒し、憎悪したのではないかと述べる。
これに対し、サイト開設者は、公式サイトの報酬が未払いであることが原因と反論する。たまになされた現物支給の半分でいいから、金銭で頂けないかと思っていた。最後は諦めて北芝氏側に「無料で使っていいため、もう自分に関わらないで欲しい」と連絡した。その時から公式サイトのドメイン宛に送られたメールを北芝氏の個人メール宛に自動的に転送する設定にしたという。
北芝氏は2009年7月からサイト開設者に「公式サイト」の閉鎖を要求した。また、自ら開設したブログで2009年8月15日以降、「公式サイト」が勝手に作られたもので、非承認であることを明らかにした。
北芝氏の閉鎖要求にもかかわらず、「公式サイト」は存続し続け、反対に15万円でのドメインの買い取りが提示された。このドメイン買い取りについての北芝氏の証言は生々しい。
最初にA氏から電話で「サイトを消すには見返りが必要。30万円が相場」と告げられた。北芝氏は「金を払う必要はない」と答えた。A氏は再度の電話で「私が間に入るので、15万円でどうか。サイト開設者が非礼を詫びる一文も書く」と提示した。北芝氏は「サイトの削除が先。要求があるならば黙ってサイトを消してから言うべき」と拒絶した。
ところが後日、A氏から15万円を払っていないことを難詰する電話がなされた。北芝氏はA氏の認識違いに反論した。それ以降、サイト開設者から「約束したのに払わないのは汚い」「がっかりだ」というメールが繰り返し送られた。サイト開設者本人からもメールが送られたことから、北芝氏はサイト開設者とA氏が共謀していると判断している。
これに対し、サイト開設者は、A氏が仲裁のために「サーバ代、ドメイン代を含めて15万円で全てを買い取り、ドメインの権利も全部もらって、もうケンカやめたらどうです」と自発的に提案したものと説明する。それなのに北芝氏のブログで「A氏が恐喝犯でサイト開設者の手下」と書かれたと憤る。但し、サイト開設者は北芝氏本人への対立感情よりも、北芝氏のブレーンに問題があると強調した。北芝氏には「残念な気持ち」が強いという。
尚、A氏にもメールで質問したが、回答は得られなかった。
その後、北芝氏は「公式サイト」をホスティングするプロバイダにも内容証明郵便で閉鎖を要求した。北芝氏によると、サイト開設者はプロバイダに「本人の承認を受けているから消す必要はない」と回答した。プロバイダは「承認を受けていると言っている以上、どうしようもない」というスタンスであった。
この点についてサイト開設者は以下のように説明する。手紙の内容は北芝氏の著書のアフィリエイトが違法などと法的な誤りや嘘が多かった。プロバイダには誤りや嘘を指摘し、「北芝さんは間違った方向に進んでいる」と返信したという。
北芝氏は「公式サイト」への対抗策として、別のドメインで「北芝健公認公式ウェブサイト」を立ち上げた。「公式サイト」の閉鎖案内には「A氏の説明と説得で閉鎖」と書かれているが、北芝氏はサイト開設者が「公式サイト」を維持することの無意味さを認識したことが閉鎖の理由ではないかと推測する。
北芝氏は「公式サイト」により、大きな仕事上の実害があったと説明する。サイト開設者が「公式サイト」のドメインのメールアドレス宛に送付された仕事のオファーを好き嫌いでブロックしていたという。これに対し、サイト開設者はドメイン宛のメールを北芝氏らのアドレスに自動転送していると主張する。5月24日付の閉鎖案内では転送設定画面も掲載して証明している。記者もメールを送信し、転送されていることは確認した。
しかし、サイト開設者から実名を掲載された修道館役員は「メールは転送されるが、サイト開設者が勝手に返事を書いて送ってしまう」と指摘し、実害が解消されていないと主張する。閉鎖案内が出されても解決とは言えない状態である。
北芝氏とサイト開設者の主張はサイト開設者の住居をめぐっても対立する。サイト開設者は池袋のマンションから足立区の一戸建てに転居した。足を負傷していたK氏と一緒に居住し、そこを倉庫兼事務所としたネットオークションをしていた。その後、K氏は出て行き、サイト開設者が一人で居住している。
北芝氏は以下のように説明する。サイト開設者は現住居を不法占拠している。サイト開設者は建物所有者に、「K氏は足を負傷して体力もなく、仕事もない。ネットショップとして住まわせてくれないか」と頼み込んだ。建物所有者が了承すると、サイト開設者も一緒に住み着いた。その後、K氏はサイト開設者と仲違いして出ていき、サイト開設者が占有した。
K氏もサイト開設者も家賃を1円も払っていない。オークションの収益は会社の口座に入れていた。建物所有者が明け渡しを要求しても、「居住権がある。明け渡しを要求するならば退去費用を払え」と主張する。所有者が入れないように鍵も変更した。
また、家の中にある品物もサイト開設者が勝手にネットオークションに出品して売り払った。その中には建物所有者にとって大事な品物もあった。これは窃盗として2010年3月に被害届を出した。
所有者から話を聞いた北芝氏は2010年4月8日に編集者と空手道場役員の3人で物件の下見に行った。サイト開設者は留守であった。家の周りにいたところ、自転車で帰宅中のサイト開設者に鉢合わせした。互いにとって想定外の出来事であり、しばらく動かずに見つめていた。
3人ともサイト開設者には触れていない。自転車の防犯登録を見た編集者とサイト開設者の間で以下の会話がなされた。
編集者「この自転車はサイト開設者の所有物ではないだろう」
サイト開設者「8000円で購入した」
編集者「自転車の所有者は、自転車を勝手に乗り回されて困っている」
編集者が100番通報すると、サイト開設者が自転車で北芝氏に突進した。前輪が北芝氏のズボンにぶつかった。北芝氏は前輪の跡のあるズボンを証拠として保持している。北芝氏は身体をひねったためにサイト開設者は尻もちをついた。
警察到着後、サイト開設者は「持ち主から借りた」と主張を変更した。建物所有者が来て、「自転車を貸した覚えはない」と答えた。サイト開設者は「冷蔵庫に肉をしまいたい」と述べ、警官が同行した。自転車には盗難届けが出ており、サイト開設者はパトカーで警察署に連れられた。自転車は建物所有者が古物商として買い受けたもので、盗難届けが出された物を購入していたことが判明した。
この後、サイト開設者は北芝氏と関わりのある出版社やイベント会場に乗り込み、「もうすぐ逮捕される。取引を止めろ」と妨害行為を繰り返している。また、イベントの共演者にも会いに行っている。
これに対して、サイト開設者は建物所有者から平穏に鍵を受け取っており、不法占拠ではないと反論する。家賃はネットオークション収益管理口座に振り込まれた中に含まれている。家賃が含まれていることを示す資料も所有している。その口座を建物所有者側が勝手に解約したことが問題である。
建物所有者との対立は、建物所有者が家賃値上げを要求したことに起因する賃貸トラブルである。周辺地域の地価や建物自体の状況から家賃を値上げする根拠はない。建物は雨漏りや漏電があり、自分で修繕した。賃貸トラブルに北芝氏や編集者が介入することが異常である。実際、介入によって問題がこじれている。
インターネット黎明期に問題になったサイバースクワッティングはドメインの先願主義を悪用して、無関係な人間が著名なドメインを先に取得してしまう形態が典型的であった。それに対し、本件では現実の人間関係が絡み合っており、それが解決を困難にしている側面がある。インターネットが現実から離れた特殊な空間ではなく、現実の延長線上にあるものであることを示している。
本書(北芝健『元警視庁刑事・犯罪社会学者 北芝健のニッポン防犯生活術』河出書房、2007年12月30日発行)は元警視庁刑事で犯罪社会学者の著者が犯罪に対処する技術と思考を具体的に提示した書籍である。警察官時代に多種多様な扱った著者に相応しく、空き巣から悪徳商法、ネット犯罪まで幅広い内容を扱っている。一つのテーマが見開き2頁または4頁にまとめられており、イラストや表を多用しているため、非常に読みやすく分かりやすい。
本書の特色はテーマのカテゴライズにある。章立てを「家族に降りかかる犯罪」「子供に降りかかる犯罪」「娘が巻き込まれる犯罪」「両親に降りかかる犯罪」と想定される被害者別に分けている。その結果、「家族に降りかかる犯罪」という同じ章の中に「空き巣」や「家庭内暴力」、「交通犯罪」が入るなど、犯罪類型からすると奇妙なカテゴリー分けになっている。これは犯罪学的な分類ではなく、犯罪被害者となりうる読み手の立場を優先してまとめた結果である。読み手に有益な形で情報を提供しようとする著者の実践的なスタンスは評価できる。
また、本書は「投資詐欺」や「催眠商法」という悪徳商法にも独立した項目で説明し、防犯の観点からは軽視されがちな経済犯罪にも目を配る。東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずに新築マンションをだまし売りされた経験のある記者にとって大いに歓迎できる。
市民が巻き込まれる可能性のある犯罪を網羅した本書であるが、迫力があるのは暴力団に関する記述である。刑事警察・公安警察の捜査に従事し、組織犯罪に立ち向かった著者ならではの内容である。暴力団の怖いところは一度でも介入を許してしまうと、どこまでも追い回し、骨の髄までしゃぶられることにある。そのため、著者は「そもそも暴力団とは接点を持たないこと」と主張する(23頁)。
記者も上述のマンション購入トラブルで、地上げをしていたブローカーから圧力をかけられた経験がある。記者はブローカーを相手にせず、東急不動産に対して内容証明郵便を送付してブローカーの活動の停止を要求した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。
暴力団は少しでも弱みや妥協的な姿勢を見せれば、そこから一気に入り込んでくる。毅然とした対応を求める本書の主張は記者の経験からも納得できる。犯罪者の性向まで考慮して防衛策を紹介する本書は安全な生活を送るために参考になる一冊である。
本書(北芝健『「落とし」の技術』双葉社、2004年)は元警視庁刑事による取調べの経験をまとめたものである。著者は警察時代の経験を多くの本にしているが、本書は取り調べのテクニックに焦点を絞っている。詳細な心理分析を加えており、本書で書かれた内容は日常生活での交渉や人間関係の構築にも応用可能になっている。
刑事による取調べシーンは様々な作品で描かれているが、本書の特徴は「相手の尊厳を傷つけない」ことをモットーにしている点にある。志布志事件の踏み字のように被疑者の自尊心を打ち砕いて自白に導こうとするような取調べ手法が横行している中で本書は非常に新鮮である。
本書では「暴力や脅しによって自白を引き出すような方法は、あってはならない」と断言する(204頁)。帝銀事件などを担当した刑事・平塚八兵衛の取調べの実態も正直に記述している。「平塚刑事の取調べを受ける被疑者は、誰もが恐怖で顔面蒼白になって取調室に入っていった。そしてしばらくして部屋を出てきたときには、体のあちらこちらに殴られた痕を残していた」(200頁)。
日本の警察には過酷な取調べで被疑者を追い詰めて自白に追い込む傾向が強い。横浜地方裁判所による再審開始決定(2008年10月)で、横浜事件は神奈川県警特高課が拷問により自白をでっち上げたものであると認定された。近年でも鹿児島選挙違反事件(志布志事件)や富山連続婦女暴行事件のように冤罪事件は繰り返されている。
著者の主張は警察の戦前から続く旧態依然とした体質とは一線を画すものである。警察組織に属していた著者が先人の手法を批判することは小役人体質ではできないことである。著者は警察擁護派を自称し、内部告発者ではない。古巣の組織を批判することは、ある意味では内部告発者以上に勇気がいる。内部告発者ならば組織と完全に対立しており、これ以上関係を悪化させようがないため、かえって批判することに躊躇はない。
但し、著者の主張がどれだけ実体を有するものであるかは疑問がある。著者は別の著作において、被疑者に「徹底的に辱めを与え精神を崩壊させる」取調べの実態を物語っている(北芝健『スマン!刑事(デカ)でごめんなさい。』宝島社、2005年、167頁)。しかも、それを「刑事にとっては最高の“ストレス発散部屋”」と言っている。これでは個人の歪んだ正義感から被疑者に暴力を加えた平塚八兵衛と変わらない。
また、「相手の尊厳を傷つけない」と主張するが、本書で紹介されたテクニックは不利な立場に追い込まれたと相手に思い込ませて相手に喋らせようとするものである。真の意味で人間の人格を尊重しているわけではない。意地悪な見方をすれば被疑者を心理的に追い込んで自白を誘う従来型捜査手法と五十歩百歩である。
このように本書には疑問があるものの、一般の人々の日常生活においても全ての人間関係において相手の人格を尊重することはできない。私自身、東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実を説明されずにマンションを騙し売りされた経験があり、裁判にまで至る激しいやり取りがあった(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。そこでは友人や家族に対するのとは違った対応が必要になる。そのような場面において本書で紹介されたテクニックは大いに役立つものと考える。
本書(北芝健『スマン!刑事(デカ)でごめんなさい。』宝島社、2005年)は著者の自伝的な作品である。著者は警視庁元刑事にして、マンガ原作者もしているという異色の人物である。警察時代も交番勤務から刑事、公安警察まで勤めたという。
その幅広い職務経験に基づき、著者は多くの著作を世に出してきたが、その中でも本書は体系だった自伝的要素の強い作品である。警察に入る前の喧嘩に明け暮れた愚連隊の日々やロンドン留学でのロマンスについても語られており、北芝健という人間を知ることができる好著である。
本書において著者は実にメチャクチャなことをしている。タイトルの『ごめんなさい』には好き勝手に暴走してきたことへの懺悔の念があるが、本文では著者の「活躍」が武勇伝的に語られている。脚色された自慢話の羅列に辟易する向きもあるだろう。それでも痛快に読ませるだけのテンポと表現力が本書にはある。
本書に書かれた内容の、どこまでが真実かは分からない。現実に起きたならば大問題になる内容もある。たとえば刑事が被疑者を暴行し、怪我をさせても「暴れて自ら転倒。机のカドで胸部を強打」と報告書に記して責任逃れをするエピソードがある(169頁)。警察の不当な取調べや冤罪の経験がある人にとっては警察に対する怒りを増幅させかねない内容である。
しかも、被疑者への暴行を「良民を泣かす犯罪者には屈辱を与えるのがいちばんだ」と正当化する(168頁)。ここには犯罪者と被疑者を同視するという根本的な誤りがある。上記エピソードは日本の警察の遵法精神と人権意識の希薄さを示すものであり、近代国家の司法警察職員として失格である。
また、数々の警察不祥事で激しく批判された身内に甘い警察の体質を実証するエピソードもある。右翼団体に買収された公安捜査員を糾弾せず、匿い続けたという。その理由は「彼を挙げることで、ひとりふたりと同じようなことをしているヤツが出てきて内部で叩きあいが始まることを恐れた」からとする(52頁)。
このように本書は警察批判に活用することも可能な内容になっている。それは「警察絶対擁護派」という著者のスタンスとは対極に位置する。つまり本書は著者とは正反対の立場の人でさえ、得るものがある。それは脚色を加えていても芯の部分では著者がストレートで正直だからである。それ故に本書は単なる自己肯定・組織正当化で終わらず、警察に好感を抱く人も反感を抱く人も一読の価値がある一冊になっている。
本書(北芝健『やんちゃ、刑事。』竹書房、2007年11月30日)は元警視庁刑事で作家の著者が半生を振り返った自叙伝である。喧嘩に明け暮れた不良少年時代からヨーロッパ留学中のラブロマンス、ユーラシア大陸を横断する放浪旅、一念発起して警察官となり、公安警察に異動するまでを描く。
著者は自らの警察官の経験を元にした書籍を数多く出版している。本書で記載されたエピソードも類書(『警察裏物語』『スマン!刑事でごめんなさい。』など)と重なるものが多い。北芝作品はエンターテイメント性が強く、どこまでが真実で、どこからが誇張なのか微妙な話もあるが、別々の書籍でも繰り返し登場するエピソードは作り話と切り捨てられないリアリティがある。
類書と比べた本書の特徴は放浪旅の経験に紙数を割いていることである。著者は英国留学をしていたが、日本への帰途はバックパッカーとしてユーラシア大陸を横断する。安宿に泊まりながらギリシアやトルコ、イラン、アフガニスタン、インドを旅していく。
北芝作品の魅力は痛快な武勇伝である。それは警察官になる前の喧嘩エピソードにも警察官時代の殊勲にも共通する。一方、それを自慢話に感じてしまう向きもあり、好き嫌いは分かれるところである。記者は著者に好感を抱いており、エンターテイメント性を楽しむために本書を手に取った。しかし、本書には武勇伝に留まらず、含蓄ある言葉が存在する。
イギリス留学の箇所において著者は以下の述懐をしている。「当時は、人種差別は今よりもひどかったけれども、やっぱり相手の文化をしっかりと学び、尊敬の気持ちを示せばちゃんと分かり合えた」(74頁)。
また、警察時代についての箇所では警察内部の職種(交番勤務や刑事)で優劣を判断する傾向を批判する。
「仕事の優劣なんてまったくない。例えば警備の任務にしても、交通課の協力がないと交通整理もできないし、信号も変えられない。そのため、お互いの部署間の関係にはとても気を使うし、お互いを尊重しあっている。だから、一つの仕事に対して優越感や劣等感なんて内部的思考は全くない」(177頁)。
日本社会の悪平等主義に対しては以前から強く批判されている。一方で平等幻想の破壊後に出現した格差社会は「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」の語が示すように悲惨な状況である。ここには日本人の相違に対する未熟さが表れている。
日本人は異なる人に対して優劣をつけたがる傾向にある。正社員と契約社員、営業職と事務職、刑事と交番勤務など異なる立場の人が存在すると、どちらが上でどちらが下かというレッテルを貼らなければ気が済まない。相違が格差に直結してしまうために、格差に反対する側の論理も相違を否定する悪平等主義に陥ってしまう。
その点、著者の感覚は相違があることを認めた上で、相違があることを尊重している。ここには悪平等主義も格差意識も存在しない。著者の日本人離れした感覚は閉塞感に苦しむ日本社会において非常に貴重である。
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