レスター・サロー教授が約30年前に出版し、日本でも1981年に邦訳が出ている「ゼロサム社会」という本に描かれているのは、その集団の中のある部分の利益がほかの人々の不利益によってまかなわれ、利益の総和がゼロとなってしまう社会のことです。今まさに低成長で富の分配のあり方にこれまで以上に注目が集まるのは、こうした時代背景ではゼロサム性がより強調されるからであります。 ユーロ圏も今の状況はバブル崩壊後の低成長の元、ある主体において生まれた損失をどこかの主体が埋め合わせることでしか均衡が保てなくなっているという問題であります。ゼロサムというかユーロサムというか。具体的に言えばギリシャの損失はドイツが埋めるしかない。ユーロと言う運命共同体を作ってしまった以上、当事者はそれについて文句を言ってはならないと思うのです。 埋め合わせる側の不満を抑えるにはその主体がよその主体の損を埋めてもなお大きな不利益が生まれないような流れを作ることです。第一に共同体全体の利得を大きし、第二にその中で「損を埋め合わせる側」の取り分を大きくすることです。ユーロ安はそうした目的にかなうものとなりそうです。 ただし、問題は世界的にもとりわけ先進国で成長が落ちているなかで、ほかの国がユーロ安による経済へのマイナス効果をどこまで許容できるのかという、より大きな枠組みでのゼロサム問題の解決となります。 レスター・サロー教授によれば、こうしたゼロサム社会における問題の「解」は「決意」以外ありません。つまり、その配分をどうするかを決める政治の決意ということです。たまたま今日お話を伺う機会があったフランス系の関係者もまったく同じ事を言っていて、「WILL」の問題だと言ってました。超低成長の時代が一般化したときに、経済に占める「政治の意思」の重みはますます増してくるという、まあ当たり前のことなんですけれど、これを今のヨーロッパに当てはめると、そういう「政治の意思」を欧州内の国境を越えて速やかに示し実行していくことができなければ、不安が高まり、いずれは仕組みの存続にかかわる問題になると思われます。欧州危機の真の解決はまさにそういう「政治の意思」を取りまとめられるリーダーシップが出てくるのかどうか、にかかっていると言っても過言ではないと思います。とはいえ、どういったリーダーを選ぶかは依然としてそれぞれの国民にかかっている。結局前に書いたこととほとんど重複してしまってますが、ユーロ圏におられる有権者の皆さんに、自分たちの置かれている社会がユーロを使っているという意味についてもう一度きちんと理解してもらう努力が必要なのだと思います。 (追記) 市場参加者としては、どうしてもユーロの仕組みについて懐疑的な立場を崩せないのですが、市場の要素を少し離れた立場(ワタクシも多少理想主義的なところがあるので)からはまだ希望を捨てていません。マズロー博士の欲求階層説によれば人間と言うものがもっとも優先する欲求が「生存欲求」ですが、EUなりユーロの仕組みの最も根源にあるのが大戦で多くの死者を出したことの反省、すなわち「生存」への希求であることは間違いなく、そこに立ち返れば、多少の経済や金銭面での妥協は成り立つし、現にこれまでの話し合いの中で多くの折り合いを成り立たせてきたわけです。 ただ、問題は時間が立てばたつほど、大戦の原体験の保有者が少なくなってきて、本来の強い動機に立ち返ることが困難になってきていることでしょうか。やっぱりだめかな・・・ |
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[ねた]ユーロサム社会
ヤフーの掲示板で、その当時はユーロの誕生から基軸通貨の行方がどうなるかといったことも話題になっていた。 ユーロ圏も今の状況はバブル崩壊後の低成長の元、ある主体において生まれた損失をどこかの主体が埋め合わせることでしか均衡が保てなくなっているという問題であ ...続きを見る |
ookitasaburouの日記 2010/06/02 23:13 |
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ギリシャってそんなに問題ですかね |
348ts 2010/06/03 16:39 |
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