きょうのコラム「時鐘」 2010年6月8日

 連載「うめめ日記」に、女の子を泣かせる悪さの思い出が書かれていた。今も昔も変わらない。泣き顔を見せたことのない級友が、一人や二人いた

人前でメソメソするな、と親や周囲は言うが、つい泣きべそをかく。見事に我慢を通す子がいると、それだけで面白くない。涙を見せない、というむちゃな理由で、数を頼んで泣かせる

首尾よくポロッとさせると、「やった、やった」とはやす。あいつも同じ泣き虫なのだ、と確かめる理不尽な悪さである。心がチクッと痛むが、相手が憎いわけではないから、翌日には忘れてしまう

大人でも、人前で泣くのはみっともない。子ども以上にこらえる。つい最近も、そんな光景があった。「一緒に辞めよう」と言った人と言われた人の、感極まった顔が紙面に載った。あと一声はやし立てれば、涙がこぼれそうな気配だった

こらえたのは悔し涙か、怒りの涙か。国政を担うエライ人だから、泣き顔は見せない。が、泣かされかけた恨みつらみも、簡単には忘れないだろう。子どもより大人の方が、ずっと賢い。ただし、そう言い切れないことが、最近は結構ある。