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[7600] りりかるとらは~ありきたりなお話~(習作)
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/19 16:57
このお話は、良くあるとらハとリリカルなのはのクロスなお話です。

主人公は恭也。話の本筋はリリカルですが、とらハの雰囲気のまま書くよう頑張ってます。

とらハ2、3のキャラが結構出てきます。

正直ご都合主義の塊だったり、設定がおかしいところが多いかもしれません。

作者は主人公最強にするつもりはありません。というか戦せるかもわからない。

それでも許せる、読んでもいい、という方はお進みください。


ご意見ご感想はいつでもお待ちしております。
読みにくい、読みやすい、誤字脱字があった、程度のものでもいいのでどうぞよろしくお願いします。



[7600] 一話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/19 17:07
 ……四月のその日。俺は、父さんの墓参りに来ていた。
 左手に花束を、右手に酒を持ち、美由希の皆伝の儀が終わり……俺と、父さんとの約束が一つ、終わったということを、報告をしに。

「……父さん、美由紀が、皆伝に至ったよ」
 
 そう言った時の自分の顔は、穏やかだったと思う。

「美由希は、もう、俺から教わるだけの弟子じゃない。これからは実戦も経験して、自分なりの戦闘方法を考え、身に付け、そして……すぐに、俺を追い越していくだろう」

 剣士として完成しない……できない自分と、完成できる美由希との間で、決して覆す事はできないそれは、決められた事実である。
 俺と美由希。追う者と追われる者。一見すればそれが変わるだけに見えるだろう。
 だが、違う。
 例えるなら自転車と車だ。乗り込むところから始めるなら、自転車の方が圧倒的に早い。サドルに跨って、ペダルを踏むだけで動き出せるのだから。
 対して車は、ドアを開け、シートベルトをし、エンジンをかけ、ギアを入れ、アクセルを踏むという手順が必要となる。
 そういう意味では、初速だけなら自転車の方が速いといえる。
 だが、一度車が動き出してしまえば?
 ……そうなれば、自転車などすぐに追いつかれ、抜かれる。そして、追い越されてしまえば逆転の余地などない。その後は差が開くだけだ。
 キュポン、と、右手に持っていた酒の蓋を開ける。酒の銘は、父さんが生前によく呑んでいたものだ。高町家の縁側での月見酒に付き合わされたから覚えている。……俺は、緑茶だったが。

「祝い酒だ。父さんは、花よりも団子の人だから、花はいらないだろう?」

 だから、この美由希の育てた花は、なのはの友人、アリサの墓へと供える。
 父さんのほうには、普段はかーさんが持ってきている。今日ばかりは、酒だけで我慢してもらおう。

「よく、味わってくれ」

 トクトクトク。
 酒を、自分の分は猪口に、父さんの分は墓石に上からかける。

「乾杯」

 酒が瓶の半分ほどになった辺りで、グラスと墓石を合わせ、そのまま自分の分を一気に煽る。普段余り飲まないからか、アルコールで喉が焼ける感覚に少し咽る。

「フィアッセも、ティオレさんの後を継いで頑張っているよ。毎日忙しいみたいで、家にはあまり来れないけれど。それでも、暇を見つけて、いや、作って来てくれる。そして、楽しそうに笑うんだ。……フィアッセだけじゃない、俺の周りは、皆前を向いて笑っている」

 晶はもう強さを見つけ、御神流を教わろうとしない。
 レンは手術を終え前以上に元気になった。
 月村も遺産を巡る問題が解決し、今はノエルさんを目覚めさせるために頑張っている。
 神咲さんは久遠の穢れを祓うのに成功し、今も退魔士としてお勤めを果たしている。
 他にもフィリス先生や赤星、さざなみ寮の耕介さん達も、俺が知り合った皆が……だ。
 皆、皆今を精一杯生きて、歩いている。

「美沙斗さんは、今も香港警防隊で働いているよ。今度は、龍への復讐の為だけではなく、誰かを守るために」

 忙しいから、あまり頻繁に顔をだしには来れないようだが。その分警防隊の仕事に誇りを持っているようだから、良い事なのだろう。

「美由希に母さんと呼ばれて、照れていたな。だけど、喜んでいたよ。とても」

 今では帰ってくるたびに美由希との仲の良い親子っぷりを見せてくれる。
 季節を感じさせる穏やかに優しい風が頬を撫で、桜の花が視界で舞う。
 俺は、目を瞑り花弁をやり過ごす。そして、目を瞑ったまま話を続ける。

「かーさんは、翠屋で、家で、大黒柱として頑張っているよ。なのはを2代目店長にするため張り切っているな」

 ただ、かーさんはやたらと恋人を作れと言ってくる。早く孫を抱きたいなぞと言っているが……そんなに御祖母ちゃんと呼ばれたいのか? そもそも、俺に恋人など早々作れるものでもない。

「なのはも満更でもないようで、最近はお菓子を作りを覚えている。中々の味だ」

 父さんなら、流石俺と桃子の娘! とでもいいそうな味だったな。

「……そうそう、なのはに恋人ができた。クロノ君といってな……彼になら任せても大丈夫と、そう、思えた」

 ……父さんなら、
『なのははやらーん!どうしても欲しくば俺に勝って奪ってみろー!』
とでも言うだろうな。安心しろ父さん。俺がもう、やっておいた。かなり筋が良い。二十回目にして木刀が服に掠ってきたから、あの様子ならもしかしたら五年以内に一撃、入れてくるようになるかもしれん。

「……最近は、色々な事が起こったせいで忙しくて来れなかったから、報告が長くなってしまったな」

 目を開ける。
 昼下がりに来たというのにいつの間にか夕方になろうとしていた。二時間以上は確実に此処にいたようだ。
 クリップ時計で時間を確認すると、5時半近くだった。

「……俺は、どうするべきなんだろうな。父さんのように、ボディーガードをするのだろうか……」
 
 しかし、それで、父さんに追いつけるのか? 背中を、追いかけ続けて……。
 それに……
 
「美沙斗さんからは、警防隊に入らないかと、誘われている。……でも、俺はやはり家で家族を守りたい」

 だが

「美由希がいる。今の美由希の実力ならば、もう少し地理的な戦い方や、守る為の戦い方を教えれば、俺が居なくて何かあっても対処できるようになる」

 そう、俺が、居なくても。
 美由希には、俺はもう必要なくなる。
 ……違う。美由希だけのことじゃ、ない。
 ――皆、もう、本当は、俺の助けなんて、要らないのでは、ないのか?


……俺が、居なくなっても、皆は大丈夫。

                             表情が、歪む

 そもそも、今までとて俺が一人で守ってきたわけじゃない。

                             泣くように引き攣る。

 皆が自分で頑張り、俺はほんの少し、手助けをしていただけ。

                             涙は出ない。

 皆、俺の助けが要らないなら、それは、とても喜ばしいこと。

                             悲しい訳じゃない。
              

       タダ、トテモ、サビシイ


「最近、よく思うんだ。……もし父さんが生きていたら、俺は、高町家はもっと、違う道を進んでいたんじゃないのか、と」

 その道が、今よりも良い、だなんて決まっているわけではない。
 それでも……そう考えてしまうのは、俺が弱いからなんだろう。
 父さんが生きていたら、この悩みの答えを、くれるだろうか。
 ……いや、違うか。
『甘ったれんな!そんなの自分で考えろ!』とでも言うのだろうな。

「フッ、まったく。昔の事を懐かしむのは、老いた証拠と言うに。……これでは若年寄りとも言われるか」

 言うのは主に妹一号と母、それに紫髪の親友である。……報復はどうしたものか。

「途中から、愚痴のようになってしまったな。……まぁ、しかしお蔭で少しは楽になれた。申し訳ない、不甲斐ない息子で」

 答えはわからない。なら、悩んで悩んで悩み抜いた末に答えを出そう。今のところ、他にできることは無いのだからな。

「俺は、父さんが死んだ時にこの八景に誓った。家族を守ると」

 八景を墓石の前に掲げ、幼い頃の誓いを口にする。

「だから……もう少し、考えてみるよ。色々と、な」

 この誓いは、絶対に破らない。

「さて、帰るとするか。では、そのうちまた来る。あぁ、酒は供えておくから自由に飲んでくれ。……次は、美由希や美沙斗さんと来るから」

 八景を背中に仕舞い、帰り支度をする。
 クリップ時計を見ると、六時を回っていた。帰ると丁度夕飯時だ。さて、高町家に帰るとしよう。



 ……などと思っていた矢先。俺は、突如八景から発せられた光によって気を失った。
 その時の俺はまだ知りえなかったが、この時、一つの事件の開幕と閉幕が同時に起こっていた……。



[7600] 二話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/06 22:40
「なのは、こっちから反応が!」
「こっちって、墓地? ……お化けがでそうだね。ユーノ君」
「……そうだね」
「うぅ、やだなぁ」
「ふふ、怖がりだね……っ!?  なのは! 誰か倒れてる!」
「え……? 本当だ! 大変、助けなきゃ!」
「あ、なのは、待って!」

 なにやら声が聞こえるが、ぼう、とした頭では何を言っているのかわからない。わかるのは、寒いこと。いつの間にか、雨が降り出しているようで、全身が重かった。
 晴れる事の無い、なにもかも覆い隠すような黒い雨雲。そんな天を見上げ、俺は、わずかに残っていた意識を完全に失った……。





「う……、こ……こは?」

 高町家の……客室? なんでここに……?
 目を覚ますとそこは、俺の知っている場所だった。そして、すぐに傍に人が居ること知る。

「あ、気がついた?」

 ……美由希?

「み……グッ、ゴホ!」
「ああ、無理しないで。今水とか持ってくるから」
「ま……き」

 どうなっているのかわからない。かけようとした声は掠れて聞こえなかったらしく、美由希は部屋から出て行ってしまった。
 俺は、墓場に居たはず……なんで俺の部屋ではなく、わざわざ客室で、おまけに美由紀に看病されている? …・・・何でこんなことになっているんだ?
 それに……美由希のやつ少し変だったような……? いや、アイツがへんなのは何時もの事だが。
 そこまで考え、鈍い痛みが襲ってくる。……駄目だ。頭が痛くて、考えることに集中できそうにない。しかも体もだるくて動かなく、風邪でもひいたのかのようだった。あまり経験がないからわからないが……実際にひいているのだろうか?

「お待たせー。薬持ってきたよ。ってどうしたの? そんなにびっくりした顔して。……あ、そっか、見たこと無い人がいたからだね。そりゃ驚くよね。でも大丈夫。怪しい人じゃないから。……でも、本人が言ってもあまり説得力無いかな?」
「……」

 確かに見たことが無い人がいたから驚いた。
でもそれは……美由希じゃない。

「美由希、何を漫才じみた事をやっているんだ。早く薬を飲ませてあげろ」
「あ、恭ちゃん。そうだね、ごめんね? はい水とお薬。あと、御粥ね? 熱いから気をつけて食べて?」
「安心しろ少年。この御粥は美味しいぞ。……どこぞの妹も随分と作れるようになったものだ」
「恭ちゃん、それ褒めてるの!?」
「いや、だって―」
「恭―」
「―。―」

誰だ。あれは。

     途中から、二人の会話なんて耳に入ってこなかった。

――知らない。美由希が恭ちゃんと呼ぶものなんて俺以外知らない。

    目に入ってくる光景はれっきとした現実で。

――あんな顔をしている奴なんて見たことが無い。

    でも、“アレ”が誰なのか、わからない。……わかりたくない。

――違う。見た事は……ある。でもそれは、鏡の中の話だ。……ああ、そうか。

    だからこれは、夢の中の事だと思い込み、俺は、再び意識を手放した……

 起きた後に、これは現実なんだと思い知らされるというのに。



「う……」

 ゆっくりと、布団から上半身を起こす。
 ここは……客室か?
 ……どうやら、あれは夢ではなかったらしい。しかし、どういうことなんだ? なんで俺は客室に寝かされている? いや、それよりも……

「何故、俺がもう一人居る?」

 そう。夢で無いなら確かに俺がもう一人居たはず。

「……くそ、何がなんだか……?」

 そして、感じる違和感。

「……ん?」

 今、声が少し変だったような…?
 まぁ風邪のせいだろうと俺は思い、とにかく起きてみることにした。動けるくらいには回復しているみたいだ。

「ふっ」

 スタン、と起き上がる。……そこで俺は、ようやくこの体に起こっている異変に気づいた。
 天井が、高い? ……いや、違う。こっちの目線が低いんだ。

「……まさか」

 身長が縮んだとでも言うのだろうか。そんなことがありえるのか?
 よくみて見ると、手なども小さくなっている。辺りを見渡し、鏡を見つける。掛かっていた布を取り払い覗いてみると、そこには……在りし日の、12歳前後の少年の顔をした、俺の姿があった。


 それからどのくらいの間、俺は立ち尽くしていたのかわからない。気がついたのは、美由希が俺を呼ぶ声が聞こえたからだ。

「おーい。起きてる?」
「……どうぞ」

 呆けていた意識をなんとかかき集めて返事をする。まだ、何処か夢を見ているような感覚を拭う事ができない。
 そんな俺のことを知ることなく、ドアを開けて美由希が入ってくる。そして俺が立っているのを見て、顔を綻ばせた。

「あ、よかった。立てるくらいには回復したみたいだね。でも無理はしちゃ駄目だよ。それで、これから夕飯なんだけど……食べれる?」
「……いえ、まだ物を食べられるものでは……」

 これは本当だ。気持ち悪いとまではいかなくとも、今何かを食べるような気分にはなれなかった。

「そっか。でも、何かは食べないと駄目だよ?」

 結局お昼の御粥も食べれてなかったんだし。という美由希の言葉に曖昧に頷きつつ、俺は、現状を把握するのに一杯になっていた。
 まず、墓場に居たはずの俺は何故か高町家の客室で寝ていた(しかも体調不良)。 おまけに身体は子供になっている。
 ……そして、なぜか元のままの“俺”がいる。
 …………駄目だ。断片的すぎてまとめてもさっぱりわからん。本当に、何がどうなっているんだか……。

「それじゃ私は夕飯食べに行くから、また後で。ちゃんと寝てるんだよ?」
「あ、待……行ってしまった」

 何故俺がここに居るのかなどを聞こうとした矢先、美由希は出ていってしまった。おのれ、美由希の分際で俺を無視するとは。
 しかし、もう夕飯の時間なのか。一体、俺はどのくらい此処で寝ていたのだろう。これも聞かなくてはならない。
 ……仕方ない。此方からいくか。
 また後で来るようだったが、それまでこの訳が分からない状況が続くのは嫌だったので、俺はこちらから会いに行くことにした。

 そして、居間まであと少しというところで、高町家の家族と、“あの声”が聞こえてきたのだ。

「それで、あの子の様子はどうなの? 美由希」
「大丈夫そうだよ? さっきは起き上がってたし。でも、まだ食事は無理みたい」
「仕方ないか。だいぶ疲れていたみたいだしな」
「でもまぁ、起きられるくらいにまで回復したのか。よかったな、なのは」
「うん。それで――」
「―で、―」
「――」

 今の……声、は、誰……だ?

 高町家に、こんな声の持ち主は……いない筈……いや、確かに“居た”。知っている。俺は確かにあの声と似ている……いや、同じといってもいい声の持ち主を知っている。忘れられるわけが無い。だけど、その人物はもうこの世に居ない……はずだ。

 その声の持ち主である……俺の父、高町士郎は、既に……死んで、いるのだから……

「ひっどーい! 私そんなにドジじゃないもん!」

 ビクッ! と、聞こえてきた大声に思わず肩を竦める。

「ッ!」

 しまった、呆けてしまったか。……今の声は美由希だな。
 ……取り敢えず、中に入ろう。色々と、確かめたい事がある。

 そうして、俺は居間に入っていった。何故俺がこの家の客室で寝ていたのか。……そして、死んだはずの人間がいる。そんな事が起こり得るのか、……確かめるために。



[7600] 三話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/29 18:26
 居間で(おそらく)夕食を食べている、高町家の団欒の中から聞こえてきた、今は死んでしまった人の懐かしい声。
 俺は、その声の持ち主が本当に父、高町士郎その人なのか知るために、意を決してドアを開けた。

ガチャ。

「失礼します」





 俺が居間に入ると、そこにはまさに典型的な家族の団欒といった光景があった。
 ……皆が笑いあっている、明るい食卓。それは、高町家では普通の光景だ。……なのに、何故だろう。
 何故、俺は、この光景に……こんなにも違和感を感じる?

「あれ、起きてきたの? なにかあった? やっぱり夕飯食べる?」
「いえ……」
「じゃ、どうしたの? あ、具合もしかして悪くなっちゃった?」
「……いえ、お礼を言いに……きました」

 美由希が此方に、声をかけてくる。俺が起きてここにやってきたことを疑問に思ったらしい。それに対して歯切れ悪く返答をしながら、俺は居間に居る人間をザッと見て把握する。
 美由希、かーさん、なのはに俺に……とう……さん。……やはり、父さんが……生きて、いるのか……。

「俯いちゃってどうしたの? やっぱり具合悪い?」
「……あ、いえ、大丈夫……です」

 かけられた声に俯いていた顔を上げると、心配そうな顔でこちらを見ている美由希と目が合う。その目から逃れるように視線を迷わした俺は、あることに気づいた。
 父さんが生きていることの驚きのあまり、気づくのが遅れたが……晶とレンが、居ない?

「あの、この家の人はこれで全員ですか?」
「そうだけど……なんで?」
「いえ……助けて戴いたようで、ありがとうございました」
「気にしないでいいのよ。困ったときはお互い様なんだし。ゆっくりしていきなさいな」
「……はい」

 かーさんの声に頷きつつ、考えを進める。
 晶とレンは、居ないようだ。そして、もう一つわかった事がある。……かーさんは、やはりかーさんのようだ。先ほどかけられた言葉、それだけでもよくわかる。

「そういえば、君の名前は?」
「……え?」
「あ、そういえば知らなかったね。なんて言うのかな?」
「……」
 
 予想外のことを聞かれて、一瞬思考が止まる。いや、冷静に考えれば、聞かれて当たり前なのだが。
 名前か……しまった、何も考えてない。
 さすがに、ここに“俺”がいるから高町恭也と名乗るわけにもいかないし……かといって、父さんがいるから不破や御神というわけにもいかないか? ……どうしたものか。

「言いたくないなら、無理にとは言わないぞ?」
「……いえ、申し遅れました。自分の名前は高町恭也といいます。」

 悩んだ挙句、結局そのまま名乗る事にした。考えてみれば、今の俺は子供の姿。わかりはしないだろう。……まぁ、かーさんとかとうさんが小さい頃の俺に似ているなぁとか思っても珍しい偶然で片がつく……と、思う。
 それに、俺は俺だ。偽りたくなんて無い。
 ……本音を言うと、このわけのわからない状況の中でこれ以上自分を構成する要素を失いたくなかったのだと思う。……我ながら、弱気になっているようだ。

「「「「「……」」」」」
「皆さん、どうかしましたか?」

 何に驚いているのか分かっていながらも、そんな事はおくびにも出さずに、しれっと問いかける。

「ん? ああ……俺の名前も高町恭也だから、驚いたんだよ」
「……そうですか」

 結構驚いていたようで、皆目を丸くしていた。美由希なんて口をあんぐりと開けている。はしたない奴だ。
 そのまま俺は、顔色を変えずに会話を続ける事にした。

「それで、皆さんの名前は?」
「あ、私は高町美由希だよ。で、こっちが兄の」
「ああ、さっきも言ったが高町恭也だ。で、隣が妹の」
「……高町なのはです」
「あら、なのは緊張してるの? あ、桃子さんは高町桃子。この子達の母親よ。で、私の夫の」
「高町士郎だ。一応、この家の家主だな。しかし、恭也の小さい頃に似ているだけじゃなくて、名前も一緒だとはなぁ」
「珍しい偶然ですね」
「そう、だな。偶然だよな」
「ええ、偶然です」

 父さんの方は多少訝しげにこちらを見ていたが、強引に押し通す。直ぐに納得してくれたようだ。我が親ながら単純でよかったが……かーさんは何故喜んでいる。
……聞こえない。子供の恭也で着せ替えなんて声は聞こえない! というか、美由希になのはまでもなにやら興味深げにこちらを見ているのは何故だ。
取り敢えずそれらは全て無視して、今最も聞きたい事を訊ねる。

「あの……俺は、どのような経緯で此処に?」
「なのはが倒れている君を見つけてな。一応病院にも連れて行こうとしたんだが……」
「待ってください」
「ん?」
「倒れていた……ですか」
「ああ、そうだ。この雨の中、な」
「……何処にでしょうか?」
「何処だったか……なのは?」
「えっと、墓地に……窓からユーノ君が飛び出しちゃって、探してるときに見つけたの」
「そう、ですか」

 ユーノ君というのが誰かはわからないが、やはり俺は墓地にいたらしい。それが、何故こんな状況の中にいるのかはわからないままだが。
 取り敢えず、一歩前進だな。後で墓地に行ってみるとしよう。元に戻る手掛かりがあるといいのだが……。

「それにしても……ぴったりね。さっすが桃子さん!」
「……はい? なんですか、いきなり」

 パン! なんて手を叩き、しかも笑顔でこちらを見やる。

「その服。恭也の子供の頃の物なんだけど、残しておいてよかったわ」
「あ……」

 今になって気づいた。そういえば、服が違う。もともと着ていた服は何処にいったのか……いや、それよりも八景や飛針は?

「あの、元の俺の持ち物は?」
「ちゃんとあるが……それについては、後で聞きたい事があるから。いいかい?」
「……わかりました」

 持ち物を聞いた時に、父さんの雰囲気が少しだけ硬質化した。
 仕方ない事だ。それはあんな物子供が持っていたら(というか子供でなくとも)怪しいに決まっている。……恐らくは、さっきの口ぶりからして父さんが預かっているのだろう。
 というか、よくもまぁそんな怪しい者を助けたものだ……この高町家も、適応力が高そうだな。

「それより、飯だ飯。」
「あ、すみません。食事中に「んなこといいから座れ」……は?」

 一瞬、何を言われたのか分からず、マネケな声を上げてしまうそんなこっちの様子はお構いなしに、父さんは俺の前の席を指差しながら話しかけてくる。

「だから、席に座れと言ってるんだ。そんだけ元気なら粥くらい食えるだろ。ずっと寝てたんだから少しでも食っておかんとな」
「しかし「しかしもかかしもなーい! ガキが遠慮なんてするもんじゃないとっとと座れ!」
「……はい」

 そういえば、こんな人だったな。
 渋々といった感じで席に座りながら、久しぶりの父、士郎の強引さに懐かしさを感じる。

「じゃ、これお粥ね。お代わりもあるから遠慮なく食べなさい」
「ありがとう、ございます」

 いつの間にか台所に行っていたかーさんから、お粥を貰う。
 その後仕方なく少しの間俺は、お粥を食べつつこの団欒に加わることになった。
……それにしても、さっきからなのはがじっとこちらを見ているんだが、なぜだ?

「あの、なのは……さん?」

 正直、さんをつけるのには(それを言うのなら丁寧に話している事自体もだが)違和感があるが……仕方ない。

「……え?」
「いや、さっきから俺をじっと見ていたので……なにか?」
「あ、ううん。なんでもないの! ただお兄ちゃんの小さい頃ってこんな感じだったんだと思って」
「ああ、なるほど」

 ようするに珍しいものを見た、って感じなのだろう。なのはは慌てて答える。しかも手まで振り回して。そこに、俺で無い恭也が訂正を加える。

「なのは、一つ違う点がある。……俺は小さい頃、こんなしっかりとはしていなかったぞ」
「うんうん。恭也君って、受け応えもしっかりしてるし礼儀正しいよね」
「いえ、それほどのことでもありません。この程度、普通だと思いますが」
「……下手するとうちの父母よりしっかりしていたりしてな」
「あはは。恭ちゃんそれありえるかもー」
「面白い事言ってるなぁ恭也? なぁ桃子」
「美由希もねぇ? 士郎さん」
((ビクッ!))
「「二人とも、後でおしおきな(ね)?」」

 そのまま少しの間震える高町兄妹。……一体、何をされるのだろうか。

「……」
「あはは……えっと、気にしないで。何時もの家族のじゃれあいだから?」
「……はい」

 苦笑しながら此方を気遣ってくれるなのはの言い分に、頷いておく。
 というか何故疑問系だ。なんというか、この家で一番しっかりしているのは、なのはなのではないかと思ってしまった。ああ、ここは向こうと一緒のようだ。


 その後も、高町の家族の団欒は続く。
 たまに振られる話題に適当に受け答えをしつつ、俺は特に自分から喋る事もなく、その光景を眺めることに徹していた。
 ここで感じる違和感は消えない。……それがなんなのかはわからない。
 はじめはレンや晶がいないことによるものかとも思ったが……それも違う気がする。
 でも、その中でもただ一つわかることは、この高町家は、俺の知っている高町家ではないが、この家族は確かに幸せに過ごしているだろうということだった。


「さて、じゃあ質問をしたいんだが、いいかな?」
「……構いません」

 正座をし、父さん――高町士郎と向き合う。
 美由希も、もう一人の俺もここには居ない。父さんとの一対一だ。
 今居るのは、道場だ。夕飯の後、父さんに俺の持ち物などの話しをしようと持ちかけたところ、ここに連れてこられた。
 ここの空気は、何時もと変わらずに静謐だ。瞑想をするにもよく使用していたので、俺が気を落ち着けるには丁度いい。
 ……これで父さんの質問がどんなものでも、動揺しないで答えられるだろう。

「まず始めに、何故墓地に倒れていたんだ?」
「……わかりません」
「わからない?」

 怪訝そうに眉を顰める父さんに頷き、続ける。

「ええ……俺は、あそこに墓参りに行っていました」

 貴方のだ、父さん。
 そういえば、確認はしていないが、あそこには、この人の墓はないのだろうな。

「そして、それを終えて帰路に着こうとして……そこから、記憶がありません。気がついたら、此処に」
「……そうか」

 腕を組み、少し考える間が空いたが、一応は納得してくれたようだ。

「では、次だな」

 父さんが、横に置いていた、衣服と布の包みを前へと押し出す。
 衣服とは俺の身に付けていた、今のみでは大きいであろうジーンズにGジャン、それに黒いシャツ。その上には、身に付けていた数少ない貴重品である財布が乗っている。
 そして、包みのほうからから出てきた物は、八景、飛針が数本、鋼糸が一リール……全て、俺が身につけていた物だ。

「……これが、君の持っていたものだが、見覚えがあるね?」
「……はい」

 本題が来た。

「では、どういう風に使うかも、分かっているということだな」

 父さんの視線が鋭くなる。
 こんなものを持っていた人物など、明らかな不審者だ。こちらの一挙手一挙動も見落としたりはしないだろう。
 父さんの洞察力を甘く見る心算はない。下手な嘘など、簡単に見破られる。
 だから、俺はこの人の聞く質問に、嘘偽りを混ぜることはしない。……答えられそうにもないことがあるのも、事実だが。

「……はい。それは、うちの流派で使う道具です」
「流派名は?」
「永全不動八門一派、御神真刀流、小太刀二刀術、略して御神流」

 お互いに視線を逸らさず、じっと睨み合ったまま時が過ぎる。
 そのままどの程度時間が経ったのかは分からない。先に動きを見せたのは父さんだった。

「……ふぅ、まさかとは思ったが、本当にそうだったとはなぁ」

 正座を崩しながら、一つ溜息を付くと、首や肩を回して動かして始める。

「あー、肩凝った。たく、慣れないことはするもんじゃないな」

 俺はといえば、父さんの行動に唖然とし、どういう対応をすればいいのかわからず固まっていた。

「……」
「よし、じゃ、これは返す。とりあえず俺からの質問は終わりだ、戻るとするか」
「……終わり、ですか?」
「なんだ、不満そうだな。君の素性とか聞いてほしいのか?」
「それは……ですが……」

 聞かれたら困るのも事実だが、開放されるのも納得がいかない。

「ま、気にはなるけどな。訳ありだろうし、別にいいさ。君が龍の工作員じゃないかとも思ったが、違うみたいだしな」
「……御神を、名乗ったからでしょうか」
「いや、違う。というか、御神なんて関係ないな。君の人となりで判断しただけさ」

 あまりこういう風に人を納得させるのは得意じゃないんだけどな、と前置きをして、父さんは続けた。

「目の色だ。君の瞳は、多少曇っては居たものの、濁っては居なかったからな。少なくとも俺たちに害為す者じゃないってことはわかった」
「……恐縮です」
「ま、結局は勘だがな」
「……そうですか」

 にやりと笑い、間髪いれずに答える父さんの姿に呆れ……次いで、自然と笑いがこみ上げてきた。
 そのまま道場の入り口向かう父さんの後ろについていき、

「ああ、そうだ」

 声をかけられた。
 父さんは、此方へと身体ごと振り返り、続ける。

「恭也君、最後の質問だ」
「……なんでしょう?」
「行く宛はあるのか?」
「……いいえ」

 そもそも、自分の置かれている現状すらも分からないのだ。帰るにしても、どうしたらいいのか分かるはずもない。勿論、元に戻ることを諦める心算もないが。

「ただ、伝手は辿ってみる心算です」
「そうか、なら、その間はあの客間を使っていいぞ」
「いいのですか?」
「行き場のない子供を投げ出すような真似はしたくないんでな。ただ、一つだけ約束してくれ」
「……はい」
「なのはには手を出すなよ?」
「……」

 子供にどんな心配をしているんだ、と突っ込みをいれたくなったが、身体が脱力してしまって、動く事ができなかった。



「さ、恭也君どうぞ」

 道場から戻った俺は、上機嫌なかーさん――桃子さんに捕まり、居間へと連行。席に着かされ、とある物と対峙していた。

「……あの、これは?」
「翠屋新メニューの、桃子さん特製ケーキよ。今日は試食してもらおうと思って焼いてあったの」
「桃子のケーキは美味しいんだぞー? 海鳴、いや、世界一だ」
「やだもう士郎さんったら」
「あはは……あ、翠屋ってお母さん達の経営してる喫茶店なの。大人気なんだよ」
「……はぁ」

 父さん――士郎さんとなのはが、幸せそうな顔でその物体を頬張りながら、解説をしてくる。
 目の前の物体は、柔らかそうにもこもことした、白いふわふわで覆われている。
 ――ああ、もういい。はっきりと言おう。
 ケーキだ。
 しかも、生クリームが、これでもかと、使われた。
 ……自分の額から、脂汗が流れているのを感じる。

「皆の評判はよかったんだけどね。やっぱり身内びいきって点はどうしても拭えないのよ」
「……それで、自分に?」
「ええ。美味しい、美味しくないだけでもいいからはっきりと教えてね」
「…………わかり、ました」

かーさんに紅茶を入れてもらい、手に持ったフォークで一口大に取ったそれを口に運ぶ。
 そうして、黙々と半分ほど食べ進め、一旦フォークを置いて紅茶で一息入れた。

「……」
「どう?」
「……美味しいです。ですが、スポンジに比べてクリームの割合が多く、重く感じます。それに、生地に軽く染み込ませたこれは……コアントローですか。少し香りがきつい。クリームについているバニラの香りがぼやてけしまっている」
「……恭也君!」
「はい?」

 興奮した様子のかー……桃子さんに、がっしりと手を掴まれる。
 のみならず、身体を抱え込まれた。……何事だ?

「凄いわ恭也君! この年でそんなにケーキのことが分かるなんて!」

 よくかーさんに頼まれていたから、自然とこの程度の意見は言えるようになっただけなのだが、なるほど、確かにこの外見年齢でなら珍しいのかもしれない。

「これからも頼んでもいいかしら?」
「あー……それは、その……できれば……」
「どうしたの?」
「その……実は、甘いものがあまり得意ではないので……」

 洋菓子の中でも、特にこういう生クリームが大量に使われているものが駄目だ。現に、半分程食べた今の状態で限界に近い。

「なんだ、甘いものが駄目なのか?」
「駄目と言うほどではないですが。……苦手、です」
「えー!」
「おにーちゃんは平気なのに」
「……そう、なのですか?」
「ああ、あいつも好んで食べるほどじゃないが、人並みには平気だな」

 ……些細な事でも、違いはあるものだな。
 結局この日は、気分が悪くなってしまったため、風呂を借りて早くに寝てしまった



 そして翌日の昼、俺は、なのはと共に藤見台墓地に来ていた。
 本当は俺一人で来たかったのだが、何故だかなのはが強情に案内すると言い張り、付いてきたのだ。

「……俺は、ここに?」
「うん、ここに仰向けで倒れてたの」

 辺りを見回す。相も変わらず、ここは、風と海がよく見える。
 この、高台と言っていい位置に存在する墓場は、一箇所を除いて俺が最後に憶えのある光景と同じだった。ただ、父さんの眠っている高町家と、なのはの友人の墓がない。それだけが記憶と一致しない。
 頭を振ってそのことを頭から追い出す。今は、そんなことよりも大切な事がある。なのはに、更にもう少し詳細にその時のことを尋ねる。

「……子供が、夜に一人でこんなところを出歩くものではない」
「にゃっ!? だって、ユーノ君が……」

 ユーノ君とは、今もなのはの肩に乗っているげっ歯類もどきの事か。……フェレットという動物らしいが、イタチとの違いが俺には良く分からない。

「だってじゃない。確か、窓からいなくなっていたと言っていましたか。確かに雨の中居なくなってしまって心配なのは分かります。しかしならば猶のこと、誰か家の者に手伝ってもらうべきだ」
「だってお父さんとお母さんはお仕事中だったの。おにーちゃんは忍さんの家にお泊りに行っちゃってたし、お姉ちゃんは読書してて、邪魔しちゃ悪いって思ったんだもん……」
「……読書はともかく、お泊り?」

 忍とは、月村のことか。そこに泊まりに行くとは……何時ものようになにかの実験だろうか。それともまさか、また何か事件にでも巻き込まれて――

「あ、忍さんってお兄ちゃんの彼女さんなの。とっても仲がいいんだよ」

 ………………そうか、高町恭也には、彼女がいるのか。
俺は月村の親友として誓いを立てたが……そうか、ああいや、うむ……そうなのか……。

「どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」

 少し世の不思議について考えに耽っていただけだ。
 だが、その当たり障りのない返事に、なのはは首を傾げた。

「そういえば、なんで恭也君は私にそんなに丁寧に話すの?」
「む……」

 馴染んでしまった感覚は、中々直らないものだ。
 あの高町の家は、俺の知っている高町の家ではない。だというのに、いきなり馴れ馴れしく話すのは問題だろう。
 そう思い、些細な事でぼろが出ないように、わざと意識して普段と違う口調を取っていたのだが……

「……なのはさんは、助けてくれた恩人ですから。後は……まぁ、単なる癖のようなものです。お気になさらず」
「うーん……普通に話してほしいなぁ。あんまり丁寧に話されるのって慣れてないし……」

 なのはは、一瞬躊躇したようだが、はっきりとこちらの目を見て続けた。

「なんだか壁があるようで、ちょっと嫌だな」
「……わかった。ならば、なのはと呼ばせてもらうぞ?」
「うん! あ、恭也君は恭也君でいいよね?」
「今まで呼んでおいて、なにを言っている」
「う……」

 なのはに君付けで名前を呼ばれる、か……。
 中々に複雑な心境だ……。新鮮と言うか……なんだか少しこそばゆい。

「……む?」

 その後、なのはと昨日のケーキの事など、当たり障りのない会話をしながら、俺が倒れていたとされる辺りを一周していると、クリップ時計が石の隅に落ちているのを見つけた。
 昨日荷物の中に見つけられなかったからなくしたと思っていたのだが、ここに倒れたときに落としていたらしい。長く愛用している品だけあって、それなりに愛着が湧いている。見つかってよかった。
 だが、これ以上は何も見つけられない。ここはそう広くはない。十分もすると、目に付く範囲は調べ終えてしまった。

「恭也君、どうするの?」
「……さて、どうしたものかな」

 クリップ時計に表示されている時間は、もう正午を回っていた。なので、結局この時は、手掛かりの欠片も見つけられずにこの場を後にする。
 俺がこの場所で真相を知るのは、もっと後のことだった。



[7600] 四話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/19 16:59
 お昼は翠屋に来るように、と言いつけられていたらしいなのはに手を引かれて、翠屋へと入る。
 ……少し前から思っていたが、この妹は少々積極的なようだ。

「はい、ランチセットをナポリタンとオープンサンドで、ですね。セットのお飲み物とデザートは――」
「エスプレッソ、アメリカン、それにダージリン入りました!」
「はーい! あ、お冷のお代わりですね。少々お待ちを!」

 扉をくぐった其処は、嵐に襲われていた。
 翠屋の店員は皆客席とカウンターを駆けずり回り、それでも減らない人の数。
 日曜日のランチタイムともなれば、混雑は当たり前。繁盛なのはいいことだが、これでは座れそうにもない。

「お手伝いしましょうか?」
「え?」

 慌しく動いている美由希に声をかける。
 流石にメニューを取るのは、この翠屋のメニューが俺の知っているものと同じ保証がないのでできないが、できた料理を卓に持っていくだけならば可能だ。

「恭也君、できるの?」
「よく近所の店を手伝っていたので、慣れています」
「うーん……とーさん!」
「聞こえてたぞ! 今は猫の手も借りたい!」
「じゃあお願いしてもいいかな? あ、無理はしないでもいいからね」
「……承知」

 見ると、なのはもウエイトレスとして動き回っている。
 ……よし。
 俺は、美由希の予備のエプロンを巻いて密かに気合を入れ、戦場へと向かった。

「……服、ですか?」
「そうよ。士郎さんから聞いたんだけど、恭也君、暫くうちにいるんでしょう? その間恭也のお古ばっかりになっちゃうじゃない」

 そうして客足も落ち着いてきた辺りで、休憩時間になった美由希も含め、三人でオープンテラスにて昼ごはんを馳走になる。一息ついたところにやってきた桃子さんが持ちかけてきたのが、この話題だった。
 型が古くなったのなんだのと桃子さんは言っているが、俺は服には機能性しか求めていない。

「……いえ、動きやすくて着られるならば、別に」
「駄目よ若い子がそんなんじゃ!」
「そうだよ。若いうちからそんなに枯れてちゃっ!?」

 ……失礼な発言をする美由希に、そ知らぬ顔で、しかしピンポイントに殺気を飛ばし黙らせる。発したのが俺だと気付かずにきょろきょろと辺りを見渡している、修行が足りない馬鹿弟……剣士は置いておいて、話を進める。

「しかし、そこまで御好意に甘えるわけにも」
「いいからいいから。今日お店手伝ってくれたでしょ? そのお礼も兼ねているから」
「恭也君、手際よかったよね。……正直、私より」
「うん。なんか格好よかったよ」

 なにやら落ち込んでいる美由希は放っておくとして、そんな心算で手伝ったわけじゃないんだがな……。

「ほんとは桃子さんがコーディネートしたいんだけど、お店が忙しいから、美由希、行ってもらえる? もうお昼のお客さんも捌けてきたし、抜けていいわ」
「うん、わかったよ」
「おねーちゃん、私も付いていっていい?」
「なのはも?」
「そうね、なのはも恭也君格好よくしてあげなさい?」
「うん! あ、でも私も男の子の服って良く分からないし、アリサちゃん達にも手伝ってもらおうかな」
「あらー、恭也君たら両手に花束ね」

 高町母娘の会話に、圧倒されて入っていけない。……これは、俺に拒否権などなさそうだ。
 ……しかし、今、なのははアリサと言ったか? ……謎が増えたが、今は聞ける状態じゃない。まぁ、呼ぶというのならその時に確かめればすむ事だろう。
 未だにはしゃいでいる……というか、更にヒートアップしている様子を横目に、こっそりと溜息を吐き、かーさんを迎えに松尾さんが怒鳴り込んでくるまで、俺は待ちぼうけをするのだった。



 待ち合わせた臨海公園の一角で待っていたのは、二人の少女だった。
 方や金髪、方や紫髪だが、どちらも腰まで伸ばした長い髪がよく似合っている。

「アリサ・バニングスよ。よろしくね!」

 金髪の少女は、此方に気付くと元気よく手を振り、駆け寄ってきた。
 左右を短くリボンで結ってあり、そこから受ける活発な印象そのままなのだろう。

「始めまして。月村すずかです」

 後から静かに歩いて近づき、頭を下げるのは、紫の髪の少女。
 こちらはリボンではなくカチューシャをしており、物静かなお嬢様と言った雰囲気によく似合っている。

「……どうも。高町恭也です」

 アリサが、なのはと同い年なのは若干の驚きですんだが、姓も変わっているのか。だがまぁ、別に、それは取り立てて問題なわけでもない。
 それよりも……月村すずか? 特徴的な髪の色といい、月村の親類なのだろうか。だが、俺がこういう状況になる前に会った覚えはない。彼女とは完全に初対面だ。
 そのまま簡単に自己紹介を進めていると、彼女――すずかさんは月村の妹なのだと教えてくれた。その時の紹介の仕方が『なのはちゃんの将来の義理の姉の妹です』だったのは……まぁ、目を瞑ろう。
 ……よくよく、この世界は違っていると見える。
 そして、俺が高町家に厄介になっていることも含めて自己紹介が終わる。名前はお互い好きに呼び合うことにした。
 そしてアリサは、なのはにチョイチョイ、と手で来るように指示を出す。そして、なのはが近づいてきたところをガバ、と肩に手を回して、半回転。此方に背を向けたところで、

「ねぇなのは。こいつおじさんの隠し子か何か?」

 本人は小声で言っているんだろうが、生憎と此方には確りと聞こえている。

「ア、アリサちゃん!?」

 なのはは慌てているが、俺はと言えば感心していた。
 ふむ……なるほど。そういう解釈もあるのか。

「いや、だって恭也さんそっくりじゃん」
「……確かに。恭也さんを縮めたらこうなりそう」

 三人がこちらに向き直り、じっと見詰めてくる。
 ……なんとも言えない居心地の悪さだ。

「あはは、実際に子供の頃の恭ちゃんの写真見たらそっくりだったけどね。流石にそれはな…………ない、よね?」

 ……美由希よ、何故そこで俺に振るうえに疑問系なのだ。

「……違います」
「そうだよね! ……よかった」
「なーんだ、ツマンナイのー」
「アリサちゃんたら……」
「あはは……」

 安堵で胸を撫で下ろしているのが美由希、何故だか残念がっているのがアリサで、なのはは溜息をつき、すずかさんはその皆の様子に少し苦笑していた。


 その後、服屋をはしごして回り、俺のだけではない大量の服を買い込んだ。
 ……その様子は、あまり思い出したくはない。女三人寄れば姦しい、などとは言うが……四人だからと言って、律儀に三割り増しにならなくても良いのでは……
 しかし、美由希がいてくれてよかった、というべきか。
 俺の身体は、鍛錬や仕事でできた傷の跡だらけである。
 それは今の縮んだ身体でも同じ事で、特に腕は傷が多い。それを隠すため、常に長袖を着ているのだが……その身体を小学生の女の子に見せるのは、少し躊躇する。
 だが、美由希ならその心配はない。実際、試着室の中で袖を捲くったら、すぐに察してくれ、なのは達に対してもフォローしてくれた。
 今はぐるりと一周して、集合場所でもあった臨海公園で休憩をしているところだ。美由希となのははたいやきを、アリサはたこ焼きを買いに行っている。
 そして俺はと言えば、海のよく見えるベンチを確保し、そこで荷物番だ。

「お疲れ様でした」
「……いえ、そちらこそ」

 何故だか、すずかさんと共に。

「すみません、今日は俺の用事に付き合せてしまったようで……」
「いえ、私もそろそろ春物の新しいの欲しいな、って思ってましたから」

 穏やかな物腰と受け応え。……なのだが、容姿が何処となく月村に似ているだけあって、なんだか違和感が。
 だが、すぐに彼女は忍び笑いをこぼし、こう言った。

「あ、でもなんだか、恭也さんと浮気しているような気分になってくるかも」

 ……訂正しよう。
 この子も、確りと月村の妹のようだ。

「昨日から言われていますが、そんなに俺は恭也さんに似ていますか」
「そうですね。隠し子説が冗談にならないかもしれない程度には」
「……勘弁してください」
「ふふふ、冗談です」

 暫くそうして、俺がからかわれているような会話をしていると、アリサと、なのはだけが戻ってきた。美由希は昼下がりの奥様方に対するヘルプに呼ばれたらしい。

「はい、恭也君は……カレーと、チーズ、でいいの?」
「……ああ」
「うぇぇぇ!?」
「……なんだ?」

 見ると、アリサが大げさなリアクションで驚きを表現していた。すずかさんも、声には出さなかったものの驚いているようで、口元に手を当ててこちらを見ている。

「いや別に! 買う人がいるとは、とか思ってないわ」
「そうか」

 二つのたいやきを重ね合わせ、一緒に頬張る。濃厚なカレーのルーと、蕩けるようなチーズのコクが合わさって、なんともいえない重奏さを醸し出している。
 自分の顔が緩んでいくのが分かる。うむ、相変わらず見事な味だ。

「し、幸せそうね……美味しいの?」
「ああ、好きな味だ」

 眉を引き攣らせて尋ねてくるアリサには、この美味しさがわからないとは……と言いたかったが、昔からこの味を食しているのは俺だけだったので、多分常人には理解されにくい美味しさなのだろう。

「そういえば、恭也君って何歳なんですか?」
「……む?」
「むってなに? もしかして自分の年齢わからないの?」

 わからない。
 いや、元の年齢は覚えているが、流石にこの外見でその年を言っても信じてはもらえないだろう。

「いや、そんなことはない。年ね……十二、かな」

 なので、適当に答える。まぁそう外れてはいない……と、思う。

「その微妙な間とか、かな、とか、なんか怪しいけど……ま、いいか。じゃあ恭也はあたしたちより上なんだ」
「……だからと言って、別に敬語を使え、とかいう心算はないから」
「ん? ああ、それなら大丈夫。元々こっちも使う気ないし」
「でも、それなら恭也君はなんで私に丁寧語を使うんですか?」
「……何故でしょう」

 すずかさんと揃って首を傾げる。
 自分でもよくわからないが……始めて会ったときの印象が、お嬢様というのが強かったから、かもしれない。
 ……そういえば、神咲さんに対する敬語も直らなかったな。

「なんとなく、です」
「私にも最初は丁寧だったよね」
「……まぁ」
「ということはなに? あたしにだけ恭也は最初からタメ口だったってわけ? なによそれ」
「いや、別に」
「なんか腹立つわね」
「先程も言ったが、なんとなく、だ。深い意味はない」
「じゃあ、私も普通に話して欲しいです」
「……努力はします」
「…………ねぇ、やっぱあたしたちとすずかで対応違わない?」
「だから、そんなことはない」

 その後もアリサはぶちぶちと文句を言っていたが、なにがそんなに気に食わなかったのかわからない。すずかさんとなのはに尋ねてみても、苦笑だけしか返ってこなかった。
 そうしてたいやきとたこ焼きを食べ終わり、二人と挨拶をして別れ、なのはと岐路に着く。
 臨海公園から高町家への道は地理的には何も変わらない。
 ただ、よく見ると細部が換わっている。
 例えば、家の表札。今通り過ぎた家は、俺の記憶している名前と一致しない。住んでいるいる人が違っているのだろう。
 他にも、標識の立っている場所だったり、あるいは街路樹で植えてある植物の種類だったり。商店街を回っているときにも見つけられたが、意外とこういった違いは多いようだ。

「……恭也君、年上だったんだ」

 ぽつりと、なのはが独り言のように漏らす。
 だが、その声量とは裏腹に、その視線は確かにこちらを捕らえていた。

「見えない?」
「え? ううん、納得してるの。落ち着いてて、確りしてて、大人びてるなー、って思ってたから」
「……そう」

 実際に精神年齢が大人なのだから当然なのだが。むしろ、そう見えない事の方が問題のような気もする。
 そのまま暫くの間、お互いに話すこともなく、夕日が徐々に染め上げる歩道を歩き続ける。家まであと5分程、という所で、赤い宝石のような石を弄っていたなのはが、急に足を止めた。

「あのね、恭也君。あとで聞きたいことがあるの」
「……聞きたいこと?」
「うん、いい……かな?」
「構わない」
「じゃあ、お夕飯の後私の部屋でお話しよう?」
「ああ」

 真剣な表情のなのはに、特に何も考えずに頷いたが……一体、なんの用だというのか。なのはが俺が倒れていたときの事で、なにか気になる事でもあったのだろうか。
 そして高町の家に帰り、夕飯まで何事もなく済ました後、俺はなのはに連れられるままに部屋へと足を運んだ。
 なのははベット、俺は座布団に座る。
 軽く見た全体図は、俺の知って居るなのはの部屋とは大分違うが……AV機器が多いのは同じか。このなのはも将来は映像監督になりたいと思っているのだろうか。
 驚かないでね、なのはは前置きをして、フェレットの寝ている籠を俺の前へと置く。

「こうやって話すのは初めてだね。僕はユーノ・スクライア」
「……高町恭也です」

名乗ってきたフェレットと向き合って自己紹介をする。握手のつもりなのだろう。彼が前足を出してきたのでこちらも右手を出し、確りと握り軽く上下に振った。

「よろしく、恭也」
「こちらこそ、ユーノ」
「うん。それで、君を呼んだ理由な――」
「ちょっと待って!」
「――なに? どうしたの、なのは」
「……なのは、今は夜中だ。静かに」
「ふぇ!? あ、ごめんなさい……」

 素直に謝ったなのはに一つ頷き、ユーノへと向き直る。

「待たせてすまない。それでユーノ、続きは?」
「ああ、うん……」

 歯切れ悪く続けたユーノは、フェレットの姿なのでよく分からないが、恐らくは苦笑したのだろう。なのはの座っているベットの方向へと足を差し向け、

「なんだかなのはが何か言いたいみたいだから、その後で」
「……なのは?」

 見やると、なのはが困惑した面持ちで手遊びをしていた。

「えっと……その、あの……恭也君、なんでそんなに冷静なの?」
「……む?」

 そう言われても、今起きている取り乱さなければならないような事態には、心当たりがない。

「なんのことだ?」
「いやだって、ユーノ君喋ったよね?」
「ああ。先ほど、自己紹介を交わした仲だが」

 それ! と、なのはは勢いよく身を乗り出し、

「おかしいと思わないの? ユーノ君、フェレットだよ? 動物だよ? 喋るんだよ?」
「……ああ、なるほど」

 確かに一般人の反応なら、慌てるか、驚いて取り乱す辺りだろう。
 だがまぁ……俺から言わせてもらえば、動物が喋る程度の事、今更だ。HGSを始め、退魔士に幽霊、妖怪、それに夜の一族と自動人形……一般外の存在なんて、どれだけ関わってきた事か。
 そもそも、驚かないでと言ってきたのはなのはだろうに。

「俺は、この手のことには慣れているもので」
「慣れてるって……」
「家の近くに、狐の変化の少女がいてな」
「……変化ってなに?」
「妖怪、というのが解り易いか」
「よ、妖怪?!」

 なのはが、驚きの余り両手を万歳するように挙げる。……ふむ、ユーノを見ている割に耐性がないな。
 この反応から察すると、なのはと久遠は出会っていないのだろう。あの二人は姉妹のように仲がよかったので、その事実に一抹の寂しさを憶える。

「他にも、猫の言葉が理解できる人がいたり……この近くにも、探せばそういうのはあると思う」

 確実に一つはある。なにせここは海鳴なのだから。
 だが、なのはは両手を振ってそれを拒否する。

「いい、いいです! 探す必要なんてありません!」
「そうか。まぁ……そういうことで、ユーノが喋る程度なら、特に問題にならない。納得したか?」
「うーん……どう納得させようかって悩んでたの、私のほうなんだけどな」
「手間がなくてよかった、とでも思っておくといい」
「……いいのかな?」

 まだ折り合いをつけられていないなのはは置いておいて、ユーノの話とやらを聞くことにした。
 そうしてユーノから語られた物語は、俺の予想の斜め上をいっていた。
 彼の一族。
 こことは違う、魔法世界。
 ジュエルシード、その顛末。
 そして、なのはに協力を求めた事。

「そうか……そんなことが」
「恭也君、信じてくれるの?」
「信じるも何も、本当のことなのだろう?」
「そうだけど……」

 魔法のことだなんて、普通なら信じられはしない。なのはの疑問も最もだと思う。
 だが、生憎と俺は普通ではない。

「さっきも言ったが……今更だ。常識外のことには、慣れている」

 先程聞いた話は、特に否定できる要素はない。それに、今までの経験で既知外の事態には慣れている俺の勘が、この話は本当だと告げている。信じてもいいだろう。

「恭也君……」
「よく、今まで頑張ったな」
「あ……えへへ。うん!」

 なのはの頭を撫でてやると、嬉しそうに顔を綻ばす。
 ……ああ、やはりこの子は笑っている方がいい。
 本当なら、そんな危険なことはすぐにでも止めさせたい。だが、言ったところで止めるような子では……困っている人を放り出してしまうような、そんな子ではないことは、よく知っている。……これも、教育がいい、と言ってもいいのだろうか。
 だから、その労をねぎらってやることにした。
 暫くそのまま撫でてやり、お互いに満足したところで本筋の話に戻る。

「恭也は、ジュエルシードに心当たりはない?」
「……いや、ないな。少なくとも聞いたことはない」
「そう……」
「もしかしたら見かけたことはあるかもしれないが、実物を見てみないことにはなんとも言えない」
「……ユーノ君、レイジングハートに封印してるの、出して平気?」
「ん……うん、そうだね。一つ出して見てもらおう」
「レイジングハート、お願い」

 帰り道でなのはが弄っていた赤い石が、光と共に杖に変わる。そして、そこから宝石のような輝きの、菱形で紫の石が出てくる。これがジュエルシードと言う物なのか。
 ……見たことはない。そう告げると、二人は残念そうに頭垂れた。なのはが杖に頼むと、ジュエルシードもすぐに仕舞われた。
 実際に見るまでは俄かには信じられなかったが……高町家で一般人の部類だったなのはが、魔法の使い手になる、か……この調子でいくと、もしかしたら桃子さんも何かしらの特異な点を持っているのかもしれない。あの容姿が何時までも若いままなんてことも、それならば説得力がある。まぁ……ないとは、思うが、言い切れない辺りが恐ろしい。

「それで、もしかしてなのはが俺を見つけたのは?」
「うん、あの晩、僕たちはジュエルシードの反応を察知したんだ。そして、駆けつけた先で……」
「俺が倒れていた……」

 その通り、とユーノが頷く。だが、続けた質問には首を横に振った。

「恭也が倒れていたのがジュエルシードの影響なのか、はっきりとは分からないんだ。ただ、その可能性は高いと思う」
「……そうか」

 どうやら、俺に起こった不可思議な出来事の手掛かりは、ジュエルシードにある、ということのようだ。
 今のところ、他にできることもないし……この家でただ燻っているのは、個人的に好ましくない。

「よければ、俺もそのジュエルジードの捜索を手伝いたいと思うのだが」
「……いいの?」

 なのはは喜び歓迎してくれたようだが、ユーノはここでも首を横に振る。

「でも、危険だ」

 その短い言葉には、魔法と日常的に接している身だからこそ込められる、畏怖があった。

「自分の身を守れる程度には、腕に憶えがある」
「恭也は魔法を使えないだろう? それじゃあ、ジュエルシードの反応を探る事もできなければ、封印をすることもできない」
「……む」

 それでも食い下がり、魔法を使えるようにならないか、と持ちかけては見たものの、簡単に使えるようになるような、そう便利なものであるはずもなく。
 それでも、何かあった時、サポートをすることはできるかもしれないと言う事で、一応探索についていく事はできるようになった。



[7600] 五話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/07 07:57
 早朝、高町の夫婦は翠屋の開店作業を、高町の兄弟は外での稽古を、そして、高町の末っ子はまだ夢の中にいる時刻。

「……フッ!!」

 俺は庭の道場を借りて、体を軽く動かしていた。
 ユーノの話を聞く限りでは、ジュエルシードが憑りつき、凶暴化した生物と戦闘になることもあるそうだ。今のうちに自分の身体がどの程度動けるのか、確かめ把握しておく必要があったからだ。

「…………セッ!!」

 裂帛の気合と共に、何千、何万と振るい、身体に染み込んだ型の通り八景を振るう。
 子供の姿になったせいで、最初こそ、刀の自重と遠心力、それに筋力による加減のバランスが取りにくかったものの、今はその調整もすんでいる。……それでも、剣速が落ちてしまったのは仕方ない……か。

「ほう……その年で、見事なもんだ」
「……士郎さん」

 入り口に視線を向けると、何時からいたのか、士郎さんが壁に寄りかかって俺を見ていた。……気配を感じとれなかった。注意力を散漫にした覚えはないので、わざわざ気配を殺して来たのか。……いや、例えそうでも気付けなかったのは俺が未熟だったからか。

「指導は誰に? なんか太刀筋とか、俺が知っているのによく似てる気がするんだよな……」
「……師は、いません。残された資料を基に、独学です」
「……独学? その年で、その技量でか?」

 士郎さんは驚いているが、それも当然だろう。俺にとて、この肉体年齢に十年はプラスして剣を振るってきた自負はある。

「はい。ですから……後で一手、ご指導願っても?」

 今はまだ俺も自分の状態を把握し切れていない。だから、今は一人で身体を動かす必要がある。
 だがそれを終えた後ならば、誰かと実戦形式の仕合はしたほうがいい。そのほうが、動きの調整をより良くできる。

「ああ、いいぞ」

 士郎さんはこの申し出に軽く頷き、だが、すぐさま肩を竦めた。

「と、言いたいところなんだがな。俺はもう現役は退いてるんだ」
「……それは、喫茶店のマスターが忙しいからですか?」

 尋ねておいてなんだが、そんなことはないと知っていた。あるとしたら、仕事において、剣が振るえなくなるほどの怪我をした……自分の知っているこの人が剣を置くとしたら、それ以外には思いつかない。
 そして、その予想はやはり的中する。

「それもあるけどな。本当のとこは昔に仕事で、一命は取り留めたものの……ってやつだ」

 その怪我をしたのが、俺の父さんの命を奪ったフィアッセの時の事なのかは分からない。ただ、剣士としての道が経たれた事は確かだ。
 ……かつて膝を壊した時、俺は、剣士としての道が閉ざされた絶望で視界が覆われた。この人も、やはり同じ気持ちを味わったのだろうか……?
 そんなことを考えていたからか、俺は気がついたらその質問を発していた。

「剣の道に未練は……ないのですか?」
「剣の道にはない。それは息子たちが継いでくれている」

 なんら力みなく、自然体で放たれたその言葉に、迷いは感じられなかった。

「あいつらはよくやっているよ。もうすぐに昔の俺なんか越していくだろうさ」

 そう言った時の士郎さんの顔は、嬉しそうで、誇らしげで……そして、ほんの少しだけ寂しそうで、口惜しそうで。
 ……その気持ちは、俺にもよくわかる。きっと、美由希が強くなっていくのを見守っていた俺も、同じ顔をしていたのだ。

「ま、守ってやりたいヤツラの力になれないのは口惜しいが……」

 士郎さんは唇をかみ締め、拳を固く握る。だが、それも一瞬の事。溜息を吐きそれを解くと、苦笑を浮かべて頬を掻く。

「すまん、つまらんこと話しちまったか」
「いえ…………ためになるお話でした。有難うございます」
「いや、そう大した話しはしてないと思うんだがな……」
「ところで、時間はいいのですか?」

少し強引に話題をそらした。
 翠屋は七時から開店だ。その開店作業もあるために、高町家の朝は早い。本来ならこんなことろで悠長に話をしている暇などないと思うのだが……

「…………しまった! 桃子すまん! 今行くぞー!」

 瞬間固まった後、血相を変えて疾風の如くその場を去る士郎さん。……なんだかんだで、身体を鍛えてはいるようだ。
 その後、中断していた一連の動作を、また初めからやり直し、今の自分の状態を確認する。
 筋力と体力は確実に落ち、それに伴い斬撃の威力は勿論、敏捷性も下がっている。体格が落ちた分、小回りだけは利くかもしれないが、方向転換などに使う瞬発力も落ちているのだ、あまり期待しないほうがいい。間合いも大分変わってしまっている。これはまた身体に覚えなおさせるしかないようだ。
 問題点は多いが、なによりも厳しいのは右の膝だ。ジクジクとした痛みは何時もの事ながら、今日は何時もよりも痛みが増す時間が短い。筋肉が落ちたせいで、膝の怪我に掛かる負担が増えたせいだろうか。
 なんにせよ、今これ以上動くのは得策ではなさそうだ。俺は、後片付けや掃除をしながら暫く休み、ある程度痛みが引いたところで道場を後にした。



 朝食を終えた後、俺は縁側でなにをするでもなくのんびりとしていた。
 今日は休日でもないので、昼間から子供が出歩くのは不自然だ。警察でもPTAの見回りでも、見つかると厄介なのは言うまでもない。なので、昼の間は高町家で待機することにしたのだ。
 本当は朝の続きの鍛錬をしたかったのだが、右膝の痛みがまだ引かない以上、今無理をしてあまり負担を掛けるわけにはいかなかった。

「……小飛?」

 そのままぼんやりと、緑茶を淹れた湯飲みを持って景色を眺めていると、子猫が庭を横切った。
 俺はその見覚えのある毛並みに驚き、思わず知猫の名前を漏らす。するとその三毛猫は此方を向き、俺たちはばっちりと目が合う。そうして暫く視線を交わした後、その猫は一声上げて、なんの警戒もせずに俺に近づいてきた。

「……よしよし」

 抱き上げて膝の上に座らせて頭を撫でてやると、機嫌がよさそうに喉を鳴らす。レンがいない以上、この猫が小飛と呼ばれているはずもないが……まぁ、俺が名付け親になればいいか。

 そうしながら俺は、初日に感じた違和感についての見当をつけていた。
 俺の知っている高町の家と、この知らない高町の家。
目に見える違いなら、簡単に見つけることができる。それこそ昨日見て回った商店街や住宅街のように。
 例えばテーブルと椅子の数。……住んでいる人数が違うのだ。これは当然だろう。
 例えば庭の池。あれは俺と晶が釣ってきた鯉を飼っていたのだが、どうやらその池自体がないようだ。
 例えば盆栽。……これに関しては、残念としか言いようがない。
 他にも今朝方にも使った道場の特徴的な傷のある場所など、細かい事も含めれば枚挙に暇がないほどだ。

 だが、俺が感じた違和感は、そんな表面的なことだけではない。
 あまり難しいことを考えるのは、得意ではない。結論だけ言うのなら、俺はここを、俺の家族と住んでいる高町家と認識しない。できない。
 人は、時を共に過ごし、想い出を共用し……そうして、絆で繋がって家族となる。少なくとも俺はそう思っている。だから、この家の人物を俺の知っている人達と完全に重ね合わせることなんて、できるはずも無い。
 俺が今、取り乱しもせずこの家に居られるのがそのお蔭なのは……皮肉、そう言うべきなのか。

 ようするに結局のところ、俺の感覚的には他人の家に厄介になっていて、それ以上でもそれ以下でもない……といった辺りなのだろう。正しく居候だ。

「居候ならば居候らしく、恩を返さねばな……」

 一応の手掛かりであるジュエルシードの捜索は、俺一人ではできない。ユーノと組んで二人で探そうとも考えたのだが、封印ができるのがなのはだけな上、俺の力量で発動したジュエルシードと対峙し、対処できるのかが不明なので却下された。
 仕方ないので、とりあえずは三時に翠屋へと顔を出そう。その時間ならば子供が出歩いていても特に問題はないし、丁度学校帰りの学生で繁盛し始める頃でもある。手伝いをするには絶好の時間帯だった。



 陽が暮れ、街灯の光によって照らされている道を、ユーノと二人で歩く。
 それがここ数日の、俺たちの日課になっていた。

「なのはは塾とかあるからね。恭也に手伝ってもらってよかったよ」
「まぁ、こうして歩き回る程度にしか役に立たないがな」

 人ごみを、縫うようにして歩く。
 なのはは色々しがらみも多いが、俺は心当たりを探すという名目でわりと好きに夜も出かけることができる。少なくとも、なのはが出歩くよりはましだ。

「そんなことないさ。発動しそうなジュエルシードの目星をつけられるだけでも大分違うんだ。発動した時に結界が間に合わないと、大変なことになるからね」

 ユーノは俺の肩に張り付きながら言う。
 ちなみにユーノとの会話は、俺は口を動かさず、ユーノにもぎりぎり届くだろう程度の声量でしか話していない。念話というのか? 魔法を使った会話ができないためだ。
 誰かに見られたところで動物が話すとも思わないだろうが、俺が動物と会話する寂しい奴と見られるかもしれない。
 ……流石に、そんな美由希のような役回りをするのは嫌だ。

「恭也? なんか失礼な事考えてない?」
「いや特に」
「うーん……なんか動物扱いされた気がするんだけどなぁ……」

 感じたのはそこか。

「動物扱いも何も、お前はフェレットだろう?」
「これは仮の姿! 僕はちゃんと人間だよ」
「……そうなのか?」

 てっきり喋るげっ歯類かと思っていた。魔法の世界なら、そんな存在もありだろう……と。
 そうか、久遠のような存在だったのか。いや、この場合はさくらさんか?

「しかし、俺はお前が人の姿を取ってるのを見たことがないからな。仕方ないだろ」
「あ、そうか。この世界に来てから、ずっとこの姿だったもんなぁ」
「ということは、人間の姿を見た者は皆無……。ふむ、ユーノの法螺話という可能性もあるわけか」

 腕を組み少し大仰に言ってみたところ、ユーノはその長い首を勢いよく振って否定する。

「いやいやいや! なのはは知ってるはずだよ。負傷したところを人間の姿で見つけてもらって、そのあとこの姿になったから」

 なら何故なのはは、ユーノを紹介するときにフェレットと紹介したのだろうか。
 ……まぁ、これは置いておく方が良いだろう。流石に真実を知らせるのは残酷すぎる。

「どうだ? 反応は」
「この辺りには……ない、みたいかな。少なくてもそろそろ発動しそうな感覚はしない」
「そうか」

 俺は探索に参加してから、ジュエルシードは一度も発見していない。多少の不甲斐なさは感じるものの、焦っても意味はない。
 ……今日はここまでにするとしよう。
 辺りを見回して電柱にかかれた番地を確認する。
 ……意外と遠くまで来ているようで、あと少し歩くと海鳴から隣の市に移動してしまうところだった。

「そろそろ戻るか」
「そうだね恭也。明日は出かけるんだろう?」
「……いや、特に用事はないが?」

 なぜユーノはそんな勘違いをしているんだ?

「へ? だって温泉に行くって言ってたけど?」
「……なんだって?」

 初耳だ。

「と言う訳で恭也君、明日は温泉よ!」

 ユーノと高町家へ帰宅するなり、玄関で放たれた第一声がそれだった。
 テンションの上がった桃子さんが、俺へと両手を差し出すように伸ばして突進してきたので身を翻して避難した。
 すんでで目標を失ってたたらを踏んだ桃子さんは口を尖らせ、不満を顕にしていたが気にしない。……全く、いきなり抱きつこうとするとは。
 とりあえず、すぐに動こうとした桃子さんを手で制し、きっぱりと言い放つ。

「行きません」
「え、なんで!?」

 その台詞は俺が言いたい。
 此方としては、何故断っただけでこうも驚かれるのかが不思議だ。

「なんでもなにも、家族旅行に俺が付いて行っていいはずがないでしょう」
「でもアリサちゃん来るよ?」
「忍とその家族もな」
「……付き合いの長い友人恋人と居候を一緒にしないように。それに、俺は明日用事があるので」

 周囲の横槍はさっくりと流す。ついでにユーノが何か言いたげに此方を見つめてきたので、睨み付けておいた。

「不安かもしれませんが、この家の留守はお任せください。二泊三日……でしたか。存分に羽を伸ばしてくるといいかと」
「留守を任せるのは構わないんだが……いいんだな?」

 士郎さんに深く頷く。

「あーあ、恭也君の背中流したかったなぁ」
「お断りします」

 とりあえずその戯けた発言は一蹴しておく。
 ……桃子さんよ、そんなことを考えていたのか。なんだか俺の母親よりも茶目っ気が多いというか、子供っぽいというか……あまり深くは考えないでおこう。


「ごめんね恭也君。気を使わせちゃって」

 今日の見回りの報告をしようとなのはの部屋へと向かった俺を迎えたのは、頭を下げて謝罪するなのはの姿だった。
 全く、母娘揃って唐突なものだ。

「……いきなりどうした?」
「だって明日用事があるって言うの、嘘なんでしょ?」

 ……ユーノのやつ、なのはに念話で話したらしいな。
 横目で睨むと、そっぽを向いていた。……いい根性だ。それで誤魔化している心算か。

「ジュエルシードは見つからないし、最近の夜の探索は二人に任せちゃってるのに……」

 なんだか勝手に沈んでしまっているようなので、少し強めに名前を呼んで遮る。

「なのは」
「はい!?」

 ……何故直立不動になる?
 まぁいいか。話を聞く姿勢にはなってくれた。

「頑張るのはいいが、あまり根を詰めすぎても逆効果だ。……ゆっくり湯に浸かって、骨を休めてこい」
「恭也君……うん、ありがと」
「それに、ジュエルシードが見つからないのはなのはのせいじゃない。勿論恭也のせいでもないけどね」
「それと夜の探索に関しては気にするな。俺はこの位しかできない。それに何時ぞやも言ったが……なのはのような女の子が、あまり遅くに出歩くものじゃない」

 ユーノもそれには賛成のようで、コクコクと頷いている。
 以前なら、確かになのはが夜遅くまで出歩かないといけなかったかもしれないが……今は俺がいるからな。

「それは大丈夫。レイジングハートとユーノ君がいるから」

 赤い宝石――己の相棒を手の平に載せ、自身満々に言う。
 なのははそれだけレイジングハートを信頼しているんだろう。それはいいことだ。
 だが俺は、首を横に振り強い口調で諭す。

「それでもだ。あまり魔法を過信するんじゃない。気配を完全に断たれれば、使う前に捕まってしまうぞ」
「そんな変質者は中々いないと思うの……」
「なのは?」
「……はーい。気をつけます」

 渋々とだが頷いたなのはの頭を撫でる。

「解ればよろしい。さて……夜も遅い。おやすみ、二人とも」
「おやすみなさい」
「おやすみ、恭也」



「それにしてもさ、恭也君って母さんのお気に入りだよね」
「だって可愛いじゃない」
「……本人はいい迷惑だろうがな」
「恭也? なにか言ったかしら?」

 小声でいらぬ事を言う息子を、笑顔で威嚇する。
 恭也は、いーやなにも、と肩を竦めて誤魔化すとジャケットを羽織り、美由希へと確認をする。

「美由希、今日の内容は解ってるな?」
「裏山まで走りこみで、その後実戦形式で鍛錬。もう用意できてるよ」
「それじゃ行くか」

 出て行った恭也の後を、慌てて美由希が追いかける。
 桃子がそんな二人の後姿をぼんやりと眺めていると、入れ違いに士郎が入ってきた。

「二人が行ったか」
「士郎さんは今日一緒に行かないの?」
「そろそろ恭也にも指導することを学ばせなければいけないからな。それに明日の準備もあるだろ?」
「そうね」

 確かに最近は士郎が鍛錬についていく事が減っていた。
 桃子としては一緒にいられる時間が増えて嬉しい反面、少しだけ悲しくも感じる。
 少し動いてソファーの隣を空けると、士郎が腰掛けてくる。
 それと同時に、桃子は軽く溜息を漏らした。

「ままならないなぁ……」
「恭也君のことか?」

 頷いて肯定する。

「恭也があの位の頃……私は何もできなかったから。なんだかついつい構っちゃうのよね」

 肩に手を回され、引き寄せられる。
 士郎の厚い胸板に頬をつけたまま顔を上げると、士郎が静かに微笑んでいた。

「気持ちはわからんでもないが、気をつけたほうがいい。向こうだって、出会って数日で家族旅行に誘われたって困るだろ」
「そうよね……」

 そのまま士郎に身を任せていたが、暫くして桃子は勢いよく立ち上がると、顔を天に向け、拳を握り締めて宣言した。

「うん! 恭也君には徐々に構うことに慣れてもらえばいいのよね! 背中流しは最終目標!」
「ああ、それでこそ桃子だ!」
「士郎さん……」
「桃子……」
「士郎さん!」
「桃子!」


 なのはの部屋から出て客間へと向かう途中、ふと水を飲みたくなり寄ったリビングは、桃色の空間で占領されていた。

「……」

 半開きになったままの扉を、そっと閉める。
 何も見なかったことにして、そこから早足に離れた俺の判断は、何も間違ってはいなかった。



[7600] 六話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/13 22:20
 玄関口から、小旅行へと出かける高町家一行を見送る。どの顔も溌剌とした表情を浮かべており、今日という日を楽しみにしていたのだとわかった。
 ノエルの運転する車で恭也さんを迎えに来たすずかさんも、俺が行くと思っていたらしい。留守番をしていると伝えると大層驚き、一緒に来ないかと勧誘してきた。そしてこれを機と見たのか桃子さんも便乗。まぁそちらはばっさりと無視して、すずかさんの説得に当たったんだが。
 大体、今からでは人数の変更など色々と面倒な事があるだろうに。……その場のノリで生きてるな。
 ただそのやりとりを月村が興味深そうに見ていたのが気になる。それに、一瞬だけ覗いたあの笑顔……何故か怖気が走ったな……。
 さて……どうするか。
 人気のなくなった高町家。その縁台で茶を飲み、何時かのように寄ってきた小飛を膝の上に乗せる。
 その温もりを感じながら、今のところの情報を整理する。
 ジュエルシードの探索にかこつけて、海鳴の街もかなり見て回った。
 だが、些細な違いはあれど、特に気になるような箇所は見つからない。
 ――ジュエルシードという存在を除いては。
 だがこれは俺だけでどうこうできる物ではない。
 と、なると……やはりこの二日間は、のんびりと過ごすのがよし、か。
 小飛の毛を撫でながら、軽く溜息を吐く。
 まさしく暇を持て余した状態、となるのだろうな。
 普段なら鍛錬をするのだが……右足の状態があまり良くない。痛みが中々ひかないのだ。
 無理なくというのなら、柔軟と基礎を3時間、といったところだろう。……考えてみると、湯治というのもよかったかもしれない。
 他には盆栽、釣り……昼寝と散歩か?

「……むぅ」

 暇つぶしの方法を枚挙して、その数の少なさに唸る。無趣味だ、枯れているとはよく言われたものだな。
 そのうえ盆栽も釣竿もこの家には無い。
 結局は身一つでできる、昼寝か散歩か。釣りなら糸さえあれば、なんとかならないこともないが……。
 見上げた空には適度に雲がでて、木々の葉がさわさわと揺れる程度の風が通り過ぎる。小春日和なこの気温は、散歩にしろ昼寝にしろ、とても気持ちがよさそうである。
 まぁそれも一汗流してからだな。
 寝ている小飛をそっと横に移し、俺はつっかけを履いて道場に向かった。



 鍛錬を予定時間より若干早めに切り上げ、道場の掃除まで済ませる。
 腹の空き具合からして、丁度昼の時間になっているようだ。クリップ時計を見ても間違いない。シャワーを浴びて冷蔵庫を覗くと、サンドウィッチをと共にメモが書き置いてあった。どうやら桃子さんが作っておいてくれたようだ。俺は勿論美味しく平らげる。食後にお茶を一服。一息ついたら戸締りを確認し、外へと繰り出した。



 特に目的もなく、海鳴の街をぶらぶらと練り歩く。
 商店街を抜け臨海公園を一周、次に藤見台へと向かう。墓地へ行くのではない。あそこは風がよく通り、海が見えるため、ベンチなどが多く設置されているのだ。
 そうして暫し海鳴を一望し、まだ行ってことのない場所に気がついた。



 山道を抜ける。すると大きな湖と、桜並木が姿を現した。
 確かここはさざなみ寮の管理下だった気もするが……まぁばれなければ問題あるまい。
 山道の途中で手に入れた、手頃な長さと太さの枝に鋼糸を括り結ぶ。浮き代わりに綺麗な羽毛。針は落ちていたヘアピンを失敬して作った。餌なんて岩を転がせばいくらでもでてくる。
 一分程度で準備は完了。なるべく水草のあるポイントに寄るよう、即席竿を振る。
 浮いた羽毛を眺め、この場所について思いを馳せる。
 高町家にとっては、お花見で馴染みの深い場所。
 そして、俺にとっては神咲さんに救われた、とても思い出深い場所だ。
 寄りかかっている桜を見上げる。残念ながら花は散ってしまっているが、青々として見事な葉をなしていた。
 高校で再会するまでは、桜の精と思い返していたのだったな。……我ながら、恥ずかしい覚え方をしていたものだ。
 そうして昔を懐かしんでいた。
 だから、その声が聞こえた時は、懐かしさのあまり白昼夢でも見ているのかと思った。

「こんにちは」

 聞き覚えのある声に驚いて顔を巡らし、その姿を見て更に驚く。
 在りし日の――俺と初めて会った、子供の神咲那美さんがそこにいた。

「……あれ? こんにちはー!」

 呆然としている俺に聞こえていないと思ったのか、神咲さんは少し声量を上げ、挨拶を繰り返す。

「……こんにちは」

 その声で我に返った俺の返事を聞いて、朗らかな柔らかい微笑みを浮かべる神咲さん。記憶と変わらず、紅白の巫女装束を身に纏っているその姿を見て、ふと思う。昔の俺の感性は、間違っていなかったのだと。

「釣りをしているの?」
「ええ、まぁ」
「……釣れる?」

 別に釣る事が目的じゃないのだが、その侘び寂びを子供の神咲さんに言ってわかるかどうか……。きっと分からないだろう。首を横に振って済ませた。

「そっかぁ……」
「……座りますか?」

 隣を指し示す。
 いいの? とおずおずと目で確認してきた神咲さんに、静かに首肯する。
 広げたハンカチに腰掛けた神咲さんと二人、樹に寄り添う。
 そのまま暫く、ぼんやりと光を反射する湖面を眺めた。

「ここで釣りをする人って、はじめて見たかも。どんなお魚が釣れるの?」
「ふむ……鯉とか、ですね」

 今回のしかけは鯉用ではない。雰囲気を楽しみに来たのだから、別に釣れなくともそれはそれでいいのだ。釣ったところで高町家に池が無い以上、放すことになるだろうし。
 その後も、他愛の無い雑談をして過ごす。
 穏やかな時が流れるのは早いもので、結局一匹も掛からないまま茜色の空になってしまった。

「釣れなかったね……。残念」
「……明日」

 自分で釣っていたわけでもないのに、肩をしょげさせる神咲さん。
 そんな姿を見た俺は、気がついたら片付ける手を止めて呟いていた。

「え?」
「明日なら、きっと釣れます」
「あ……うん! じゃあわたし、待ってるから!」

 弾んだ声を隠そうともせず、神咲さんは笑う。
 その後、姿が見えなくなるぎりぎりまで、神咲さんは手を振っていた。
 薄暗くなった山道を、枝と段差に注意して歩く。
 ……そういえば。
 別れてからふと気付く。
 自己紹介、していなかったな。
 俺は神咲さんを知っているからいいものの……神咲さんはあの場所に俺がいたことを、不信に思っていなかったのだろうか。
 今日の神咲さんの様子を思い返し……口元が緩む。きっと、全然疑ってなどいなかったんだろうな。
 何故神咲さんが子供の姿なのか……それはわからない。もしかしたら、これがなにか手がかりになるのかもしれないな。

 とりあえず、明日は自己紹介から始めるとしよう。









作者から一言。
 読んで下さっている方、結構長く放置してすみません。これからはもっとこまめに更新できるよう頑張ります。



[7600] 七話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/13 22:20
 翌日。
 目が覚めて最初に考えた事は、神咲さんとの釣りの時間を、何時からか決めていなかったな、ということだった。
 朝の鍛錬と朝ご飯をすませたら、すぐに荷物を纏めて湖へと出発することにした。
 流石にこんな朝早くからいるとは思えなかったが、万一があるからだ。
 これもかーさんも教育の成果、となるんだろうか……。
『女性を待たせるべからず』
 かーさんが口を酸っぱくして説いた心構えは、俺の体に染み付いている。



 山道を抜け、湖へと辿り着く。
 はたして万が一の予感は的中した。
 昨日別れた、樹の根元。俺がついた時、既にそこには神咲さんの姿があったのだ。
 早足に近づきながら、声をかける。向こうも気付いたようで、身体全体を使って手を大きく振ってきた。

「おはようございます! 今日は釣れるといいね」
「……おはようございます。ええ、そうですね」

 ぺこり、お互いに頭を下げる。
 昨日決めたとおり、挨拶の後に簡単な自己紹介をする。
 その時の神咲さんの反応は、思ったとおりのものだった。
 端的に言うのなら……まぁ以前と一緒だった、と言う事だ。

「えー! 恭也くんって年上だったの!?」

 一応は、と曖昧に頷く。精神年齢なら確実に上だと言える。しかし肉体年齢ははっきりとはわからない。
 だがそんな返答を、神咲さんは聞いているのかどうか。
 焦りが更なる焦りを生み出すようで、頭が上下に、休みなく動いている。

「ああぁあぁごめんなさいごめんなさいー! てっきり同い年だと……」
「いえ、別に気にしてませんから」
「ほんとに? ……ですか? 恭也く……恭也さん?」
「ええ。ですから、無理に敬語を使わなくても構いませんよ」

 なのは達に比べて、随分と礼儀正しいものだ。アリサなど此方が年上とわかっても、全く態度を変えなかったというのに。
 喋りにくそうに話す神咲さんに感心しつつ、助け舟を出す。
 だがそれは、同時に困惑を呼んだようだった。

「でも……ならなんで恭也くんは敬語なの?」
「……む」

 さて何故と言われても。……というか、前にもこんなことを聞かれた気がするな。高校で、お互いに気付いていない再開が神社の境内、しかも巫女さん姿だったから、そのままずるずると……なんだが。
 更には神咲さんが纏う雰囲気だ。なんとなく敬語がぴったりと思ってしまう。……そういえば、すずかさんからも似た感覚を受けるが……。

「まぁ気になさらずに」
「……うん。わかったよ」

 神咲さんの混乱も収まったようだし、釣りの準備を開始するか。
 樹に寄りかかり、青々と茂った草の上に座る。するとすぐに神咲さんも隣に座ってきた。興味深そうにこちらの手元を覗き込んでいる。
 昨日持ち帰った枝を小刀で加工し、重りもつけた。針もきちんと返しをつけてある。これなら食いつかれたら外れない。
 ばっと用意した撒き餌をする。さて、釣りを開始するか。



「では、朝ごはんを食べてすぐここに?」
「うん。だって昨日、時間決めてなかったし……楽しみだったから」
「それは……すみません。お待たせしたようで」
「そんな、全然待ってないから! 勝手に早く来たのはわたしだもん。恭也くんのせいじゃないよ」
「そう言ってもらえると……む!」

 羽毛が水面下に沈む。少し遅れて、竿を持つ指に引かれる感触。
 どうやらアタリがきたようだ。少し待ち、食いつきを深くする。
 再び羽毛が深く沈み……俺は竿を一気に引き上げた!

「わあ! すごいすごい!」

 水面から顔を出し、身体を躍らせる魚の姿に、神咲さんが歓声を上げている。
 その横で俺は小さく拳を握る。流石に昨日あんなことを言った以上、釣れなかったら恰好がつかない。神咲さんも喜んでくれているし、上々だ。

「これ、なんてお魚なの?」
「小振りですが、バスですね」

 釣った魚から針を取り、湖に放す。
 神咲さんは逃がすのかと不思議そうにしていたが、特に何かを言ってくることは無かった。
 その後も春の心地いい陽射しの下、神咲さんと緩やかに釣りに興じた。
 だがある時を境に、神咲さんからの生返事が目立つようになる。
 興味が逸れたのかと、ちらりとのぞき見る。すると神咲さんは山道の方向を見詰めていた。
 視線を辿ると、草むらの中に黄金色の体毛を持つ小動物の姿。
 あれは……もしや久遠か?

「……久遠」

 ぽつりと、神咲さんが呟いた。

「久遠?」
「あそこにいる狐。あの子、久遠って言うの」

 聞こえる声は硬質で、何時もの朗らかな柔らかさとは無縁。表情は強張り、そのままで固まっていた。
 俺が知っている二人の関係、そこからは想像できない様子だ。
 訝しく思いながらも、質問を続ける。

「飼い狐?」
「ううん。飼ってるとかじゃなくて……わたしの、友達」

 友達、という言葉に力が篭っていた。

「友達だから、わたしがちゃんといい子に育てないといけないの」
「……そう」

 その決意を聴いて、やっと理解する。
 神咲さんの年齢からして……きっと、神咲さんの家族が久遠に襲われたのはそう昔じゃない。
 神咲さんは立ち上がり、久遠の下へと駆けて行く。
 その後姿を見送り、目を瞑った。
 祟りとなった久遠と戦う途中、垣間見た記憶を思い出す。
 ……大丈夫。この神咲さんと久遠も、きっと乗り越えられる。
 神咲さんには、さざなみの皆さんがついている。それに俺だって、ほんの少しでも 手助けができるなら、その時は全力を尽くそう。……あの時の経験からして、避雷針程度の役にしか立たないだろうが。
 胸に誓い……感じた人の気配に目を開ける。
 どうやら神咲さんが戻ってきたようだ。
 しかし……ここまで全力疾走してきたのか? 手を膝につき、肩で息をしている。
 久遠は見当たらない。警戒心の強い久遠のことだ。俺がいるから近寄ってこないのだろう。
 息がある程度整うのを待ち、声をかけた。

「……何かありましたか?」
「はぁ……はぁ……あのね、昨日から言おうと思っていたこと、忘れてたの……!」

 神咲さんは一度大きく深呼吸する。
 そして真っ直ぐに此方を見た時には、俺の見慣れた、春の日向を感じさせる笑顔で。

「私、神咲那美です! 貴方とお友達になりたい!」

 勿論、返答は決まっていた。

「……高町恭也です。俺も、貴方と友達になりたい」













作者から一言
 ちょっと見ずらかったので6話をわけました。混乱した方すみません。
 那美さんがでてきたのは作者の趣味です。



[7600] 八話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/13 01:26
 俺の通ってきた山道。
 その反対側から姿を現したのは、神咲さんのお姉さんだった。

「おーい! 那美―!」
「あ、薫ちゃん!」

 神咲さんの呼び声に手を軽く上げ、ゆっくりと近づいてくる薫さん。
 やがて俺達の居る木陰にたどり着き……俺を見て、眉を顰めた。どうやらここに来るまで、俺の姿は樹に隠れて見えなかったようだ。

「君は?」
「……高町恭也です」

 薫さんは、つい最近俺が記憶した姿だ。凛々しい立ち姿で、長く伸ばした髪をストレートに流している。
 ……ということは、神咲さんの年齢と久遠の事件だけがずれているのか? 何故……と、頭を振る。考えてもわかるわけが無いか。

「こんなところで、なにを?」
「……釣りを」

 手に持った竿を、前に出す。
 それを見た薫さんは、見咎めるように目を細める。そして声質を固くし、注意をしてきた。

「……ここを私有地だと知っているのかい? 帰りなさい」

 ……まぁ、生真面目な薫さんなら……そう言うだろうな。
 ここ、桜台は大抵が私有地な上、自然保護区だ。あまり人の手が入らずにいるため、子供が一人で迷い込むには少し危ない。

「あ、あのね、薫ちゃん。恭也くんとはお友達になったの。だから……」
「那美」

 俺が叱られていると思ったのか、神咲さんが庇おうとしてくれる。だが薫さんが少し低い声で名前を呼ぶと、びく、と身体を揺らし、言葉を詰まられた。

「うー……」

それでも、神咲さんは薫さんの目を見据えたままだった。

「そげな顔しても駄目じゃ」
「……薫ちゃんのいじわる」
「ほんとだよ、薫はいじわるな姉だ。これはきっと那美に先を越された腹いせに違いない」

 薫さんの背後に、唐突に気配が出現する。同時、ハスキーボイスが耳に届く。
 陽光を受けまばゆく光る短い銀髪に、白いコート。
 ……リスティさんか。
 どうやら薫さんを驚かすためにテレポートしてきたらしい。この人も変わらないようだ。……色々な意味で。

「リスティ!? 仕事はどげんした!!」
「妹のデートを邪魔する横暴な姉を止めるためなら、仕事を抜けるくらいわけないさ」
「ようするにサボったんじゃろ!」
「まぁ固い事は言いっこなしさ。ほら、そこの那美の彼氏だって頷いてるよ」
「……別に俺は、神咲さんの彼氏ではありませんが」
「……!! ……!!」

 神咲さんも横でぶんぶんと頭を振っている。顔が赤いが……頭を振りすぎて、血が上ってしまったんだな。
 仕事については……触れないほうがいいか。

「ま、冗談はさておき」
「仕事をサボっているのは、冗談なのか?」
「……さておき、ここのオーナーは愛だよ。ゴミとかで汚さなければ、自由にしていい。そう言うに決まってる」
「それは……いや駄目だ。例えそうでも、愛さんにきちんと許可を取ったわけじゃない」
「ふぅん。まぁそれはそうだ」

 肩を竦め、あっさりと引き下がる……ように見えたリスティさん。

「というわけで……そこの少年、オーナーに許可を取りに行くかい?」

 此方へぴっと指を立て、差し出された提案。

「お願いします」

 俺は即座に頭を下げた。



 国守山山中。その山間の開けた場所に位置するのがさざなみ寮だ。
 管理人の手腕の賜物か、建築年数のわりに、小奇麗な外観を保っている。

「いいわよ」

 愛さんからの許可は、本当にあっさりと下りた。
 まぁ……予想はできたことである。
 おおらかと言うかなんと言うのか……懐が広い、でいいんだろうか。

「ところで、えっと……」

 台所から耕介さんが顔を覗かせた。相変わらず背が高く体格もいい。だから普通ならエプロンを着けた姿はミスマッチに映るはずなのだが、今日も不思議とよく似合っている。……これが年季、というものか。
 どうやら俺に用事のようだが……言いあぐねた様子にはてと首をかしげ、すぐに名乗っていないことに気がついた。

「恭也です。高町、恭也」
「じゃあ恭也君、お昼ご飯は? よかったら食べていかないか?」

 耕介さんに指し示された壁時計を見る。……正午を少し回ったところか。思ったよりも釣りに集中していたようだ。
 聞くと薫さんが神咲さんを迎えに来たのもお昼だったから、らしい。
 どう返答するか悩んでいると、袖を引っ張られる感触。
 見ると、神咲さんが控えめに、ちょこんと摘んでいた。

「耕介さんのご飯、とってもおいしいんだよー」

 笑顔で誘われる。厚意は嬉しいのだが……初対面の時から、何故ここまで親しく接してくれるのか。正直謎だ。
 と、そこで薫さんが手招きをしているのに気がついた。
 何かと思い近づくと、軽くかがんで耳打ちをしてくる。

「……すまんが、食べて行ってくれるかい?」
「か……神咲さんの、お姉さん?」

 薫さん、と名前で呼びそうになり、口ごもるようにして言い直す。だがそんなことは大して気にならないようで、薫さんは話しを続ける。

「那美は最近こっちに来てね。……まだ同年代の友達が居ないんだ」
「……そうですか」
「ああ、それと……さっきはすまんかったね。あんまり、融通が利かない性質なんだ」
「……いえ……気にしてませんから」

 姉としての思いやりに満ちた言葉。無碍にするのは難しいし、する心算もない。俺は軽く頷き、申し出を受け入れた。



 寮生の人と簡単に自己紹介を交わしながらの昼食。舞さんや奈緒さんがいる辺り、どうやら住人は俺の知っている通りのようだ。陣内さんバイトで……真雪さんが居ないのは、多分寝ているからだろう。嫌いではないんだが……少し苦手なので、ホッとしている。
 耕介さんの作った料理を美味しく平らげた後、ゆっくりしていけ、というお言葉に甘える。
 庭に出ると、足元にじゃれ付く毛玉が数点。色も茶に灰に白と黒。三毛もいるが、血筋的にトラとシャムが多いようだ。
 流石はさざなみ寮、猫の巣窟だな。
 俺は小動物に懐かれる体質を遺憾なく発揮。さざなみ寮の皆さんが驚くのがわかる。が、構わない。
 暫くの間、寄ってきた猫の喉を鳴らしたりしながら食休め。途中からは神咲さんや舞さんも加わり、青空の下、猫と戯れていた。
 時折品定めのような視線を感じたが……きっと、薫さんかリスティさんだろう。気にしないことにした。
 ある時、ぴくん! と耳を立て、何かに気づいた猫たち。寮から一目散に逃げていった。うとうとしていた猫も跳ね起きて、だ。
 ……俺はこの現象に心当たりがある。
 いや……正確には現象を起こせる人に、と言うべきだろうが。

「リスティが薬を取りに来ないから、こっちから届けに来たんじゃない!」
「ああ、そういえば」
「そういえば、じゃないでしょ! おかげでお昼休みに届けなきゃならなくなったじゃない」
「はいはい。ご苦労様」
「もう……」

 寮から響いてくる姉妹喧嘩に、心当たりが的中した事を悟る。
 顔をリビングに向けると、銀髪を靡かせる、白衣を纏った小柄な人物。

「あ……フィリス先生」
「あら、那美ちゃん……と?」

 気付かれたので会釈をすると、フィリス先生も微笑みながら返してくれる。

「高町恭也です」
「……え? 恭也君?」

 名乗りに返ってきたのは、既に体験した事のある反応。
 ……やはりフィリス先生も、恭也さんと知り合いらしい。
 わかっていたことではあるが……余り、面白くは無い。本来なら自分が居る筈の場所を、とられるというのは。何度味わっても慣れない、少々の苦味が胸の内に広がっていくのがわかる。

「……高町恭也さんなら、知っています。高町の家に……居候中の身なので」
「あら、そうなの?」

 フィリス先生が姿勢を正し、正面から向き合う形になる。
 今気付いたが……今の俺は、フィリス先生と目線が同じみたいだ。深海のように澄んだ、蒼い瞳が良く見える。

「私はフィリス・矢沢です。高町さんの家の……主治医、みたいなものかしら」

 御神流の激しい鍛錬で歪む身体。その整体でお世話になっているんだろう。俺もあの整体にはよくお世話になった。
 ぶるり、と身体が勝手に震える。……整体の過程までも思い出す必要は無かったな。
 どんな関係なのか、と聞かれ、無難に従兄弟のような者、と答える。
 隠し子も候補に入れていたんだが……一応、初対面ということになっている相手へする洒落としては、度が過ぎている。反応は楽しそうなのだが。

「うーん、なんて呼べばいいかしら。恭也君だと被っちゃうし……」
「……別に苗字でも名前の呼び捨てでも、構いません」
「それじゃ……恭也ちゃんって呼ばせてもらいます。私もフィリスって読んでね」
「……はぁ。わかりました」

 …………想定外だ。まさか、ちゃん付けでくるとは……。確かに好きに呼んでくれとは言ったが……こんな愛想の無い子供に、ちゃん付け……。どうやら俺は、フィリス先生を侮っていたらしい。
 普通ならこの後他愛ない雑談にでも移行するのだろう。
 だがここはさざなみ寮。茶々を入れる人物が存在した。

「なんだフィリス。いくら背が同じくらいだからって、子供をナンパするのはまずいんじゃないか? まぁ……」

 俺とフィリス先生をちらり見比べ、続ける。

「外見的には、お似合いかもしれないな」
「……リースーティー?」

 フィリス先生の威嚇に、おお怖い、と煙草をふかすリスティさん。……姉妹仲が良好なようで何よりだ。

「まったく……あ、そうだ。恭也君の従兄弟って事は、恭也ちゃんも剣を習ってたりするのかしら?」
「ええ……まぁ」
「やはりそうだったんか……」

 横合いから、薫さんが嘆息のような言葉を漏らした。

「薫?」
「ああ、すまんね。さっきから、立ち振る舞いに隙がなかったから、無意識に目で追ってしまったよ」
「へぇ……雰囲気が違うから、なにかやってるだろうとは思ったけど……」
「はぁ~……恭也くん、すごいねー」

 やはり先程の視線は薫さんだったか。薫さんの発言を聞きリスティさんも興味を持ったようで、改めて全身を眺められる。神咲さんに至っては何故か感心していた。
 一斉に視線に晒される。……少し、居心地が悪い。
 それを振り切るため、フィリス先生に話を振った。

「それがどうかしましたか?」
「ちゃんと病院、行ってる? 成長期なんだし、診察をちゃんと受けないと駄目ですよ」
「あー……まぁ、そのうち……」

 誤魔化していると、今度は高町家一行へと愚痴が流れ出した。……そうか、恭也さんも病院嫌いなのか。でも士郎さんはちゃんと通っているらしい。かなり意外だ。
 そのまま聞き流す事五分。一通り溜めたものを出してすっきりしたのか、笑顔を浮かべるフィリス先生。

「うん、決めた。恭也ちゃん、今診察しちゃいます」

 とんでもないことを宣言した。

「……は?」
「なんだか恭也君と同じ感じがするのよね。できる時にしちゃいましょ。リスティ、部屋借りるわよ」
「仕方ないな。ほら、鍵」
「ありがとう。あ、耕介さん、タオル貰えます?」
「了解。ちょっと待っててくれ」

 本人の意思を他所に、ちゃくちゃくと埋まっていく外堀。……こうなった女性陣には、勝てた試しがない。
 早々に諦めた俺は、大人しく引き摺られていくのだった。



[7600] 九話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/19 17:07
 俺が神咲さんと改めて友達となり、さざなみ寮に招待された連休。
 ……ちなみに、フィリス先生の診察(という名の整体)を受けた後、真剣な表情で『精密検査しましょう』と言われた。右膝を重点的に見ていたことから、多分古傷を察したのだと思う。
 保険証を持っていないだなんだと、その時は誤魔化せたのだが……『必ず病院に来るように』と念を押されてしまった。笑顔というもので、あそこまで凄みを出せるとは……フィリス先生、恐るべし。
 それだけならば、充実した休日を過ごした、で終われるんだが……高町家一行の小旅行は、そうもいかないようだった。

「……他の魔術師、か」

 夕日に照らされた臨海公園を抜ける。自然と人ごみが激しくなるのは、駅の方へと歩いているため。すれ違う人は私服よりもスーツ姿が多い。街は灯が輝き、何時の間にか空が暗く染まっている。仕事を終え、これから家族の下に帰るのだろう。
 そんな人々を羨ましく思いながら、見回りを続ける。

「……うん。使い魔を作れるほどの魔術師が、この世界に居るなんて……」

 相変わらず肩に乗るユーノの声は、何時もより低い。事態を重く見ているということか。
 黒い少女。
 魔導士の事を、ユーノはそう語った。年はなのはと同じ頃。使い魔の犬を連れているらしい。……使い魔というのはよくわからない。人にもなるというので、ユーノのような者かと聞いたら怒られた。……むぅ、まぁようするに二人組みということか。
 封印の最中、黒い少女と会ったのは二度目だという。……そして、二度とも敗北を喫し、ジュエルシードを持っていかれた、とも。
 駅前のネオン光量に目を細めながら、ロータリーを一周。特に問題は見つからず、今度は商店街へと足を向けた。

「それで今日はなのはを休ませたのか」

 肩は見なくても、気配でユーノが頷いたのがわかる。
 その判断には俺も賛成だ。温泉で休めなかったのなら尚更だろう。
俺達の中でジュエルシードの封印をできるのは、なのはだけだ。いざという時に動けないのでは困る。
 まぁ……肉体面より、精神面の問題が大きそうだが。
 最近のなのはは、明らかに様子がおかしい。
 食事時にぼうっとするのは当たり前。返事だって上の空。箪笥の角に指をぶつけたり、時に美由希かと思わせるほどのドジを踏む。
 無論、高町家の皆さんも気付いている。ちらちらと、窺うような視線を向けていた。
 それでも口にしないのは……きっと、信じているからだろう。
 なのはが考えているのは、きっとその黒い少女のこと。
 俺は会った訳じゃないから、特に言えることがあるとは思えない。だからそのことには触れず、何時もどおりの会話だけをしている。
 今日の見回りは、しなければならなかったわけじゃない。なのはが疲れているのなら、ユーノだって疲れている。一緒に休んだほうが後の効率だっていい筈だ。それでも俺を誘ってきたのは、なのはが一人で考える時間を作るためだろう。
 何時もよりゆっくりと、商店街の風景を見ながら歩く。
 商店街は駅前よりも明かりが抑えられている。だが暗いわけではなく、むしろ丁度いい。確か街路樹の関係で街灯を少なくしている、と聞いたことを思い出した。
井関さん、藤田ドラッグ、順繰りに視線を動かしていると、特に見慣れた外装が飛び込んでくる。
 看板は翠屋。
 シチューだろうか? 漂うホワイトソースのいい匂いに自然と喉が鳴る。
 そういえば……今日の夕飯は美由希が作るんだったか。……ここで、ご飯を済ませられないものか。
 これは居候しているからあまり手間をかけさせたくないからであって、決して断じて美由希が食べられるものを作ることに違和感があるからではない。
 ……だが店内は満席だ。ランチだけで無くディナーも好評らしい。
 そのまま通り過ぎようとし……ライトで照らされたオープン席に、知り合いの姿を発見。向こうも片方は気付いたようで、手を振り挨拶をしてくれる。

「恭也君、こんばんは」
「え、恭也? なにしてるのよ」
「……散歩です」

 俺は軽く頭を下げ挨拶をする。ついでに肩に乗ったユーノが背を伸ばし、腰を曲げた。……挨拶をしているらしい。……む、ユーノがいたら、どの道店内にはは入れなかったな。忘れていた。

「そういうそちらは、こんな時間になにを?」
「べっつに? 塾の帰りに、ちょっと翠屋の味が恋しくなったのよ」

 そっぽを向きながら、シュークリームにかぶりつくアリサ。横ではすずかさんが苦笑している。……なんともわかりやすい意地の張り方だ。
 勧められるまま椅子に腰掛ける。店員が注文を取りに来る様子はない。オープン席は中で注文して品を受け取り、自分で外に持ってくるからだ。
 同じ席に座ったはいいが、まだ知り合って日が浅い。当然共通の話題も少ない。最初は温泉の話をしていたのだが……服のことをつつかれたのは疲れた……。
 アリサは直接的に言ってくるからいい。飾り気の無い黒一色で、こうもりだの鴉だの……。その程度は言われ慣れているから気にしない。
 ただ、すずかさんの絡め手がきつかった。じわりじわりと、周囲から縮めてこられると……困る。選んだ服の着心地はどうとか、組み合わせは考えたのかとか、言葉を濁すしかない。ちなみに選んでもらった服は大事に持っている。ただ着ていないだけだ。
 かちゃん、とソーサーとカップの陶器の合わさる音が響く。中身は、とっくになくなっていた。
 最後の話題は、お互いの知っている人物についてだった。

「ねぇ恭也。なのは……さ、なにか様子がおかしいとか、気付いたことない?」
「……まぁ、あれで気付かない方がおかしいな」
「あたしたちと居たって上の空でさ……まったく、悩み事があるなら相談しなさいっての……!」
「アリサちゃん……」

 寂しさと苛立ちの混じった口調。悲しげなすずかさんが、気遣うようアリサの肩に、そっと手を置いた。ユーノも肩から降り、手の甲を舐める。

「……もう少しだけ、信じて待ってあげて欲しい」
「信じてるわよ! 信じたいけど……じゃあなんであの子はアタシたちに何も言ってくれないの!? それに、そんな風に待ってる間に潰れちゃうかもしれないじゃない! ……あたしは、そんなの嫌……!」

 テーブルから身を乗り出し、真剣な表情で詰め寄ってくるアリサ。すずかさんはそれを止めようとしているが、向けてくる瞳の色から、内心はアリサと同意見なのだろう。
 ……全く、あの子はいい友達を持った。
 不謹慎にもこみ上げてくる笑いを堪える。そして、順に視線を合わせながら誓った。

「潰れる前に、俺が必ず連れ出します。二人の前に」



 二人と別れ、高町の家に帰宅。
ユーノはなのはの部屋に戻らなかった。
 他の部屋よりも狭い客間。だが脇に畳まれた布団の他、殆ど物の無いこの部屋を狭く感じることはない。
 座布団を引っ張り出し、対面に座る。

「……なのは、大丈夫かな」

 俺は何も答えず、湯飲みに茶を淹れる。ユーノの分は牛乳を皿に盛った。
 静寂に茶を啜る音が響く。俺は言うべきことがなく、ユーノは続ける言葉が無い。
 こうなっては口よりも雄弁な箇所がある。
 その瞳に浮かぶ感情を察し、苦笑を一つ。ユーノが訝しむのがわかるが、気にせず口を開いた。

「あの子が一度でも、もう嫌だ、止めたい……そう言っていたか?」
「それは……ない、けど……」
「なら、精々心配な顔をして傍に居てやるといい」

 言い終え、茶を啜る。
 それはきっと、言わないでも、言えないでも無い。考えたことがないのだと思う。
 なのはは、俺の妹よりも遠慮が少ない。年相応……とまでは行かないまでも、子供らしい甘えを見せる。
 それはきっと家庭環境が大きい。
 父が居て母が居て、兄と姉が居る普通の家庭。その中で自分を抑えることなく育ってきた。……育つ事ができた。
 だから、きっと大丈夫。あの子は、人に頼る事を知っている。
 それは必要な弱さだ。
 勿論これは俺の憶測だ。
 ……違う。そうあって欲しいという願望なのかも知れない。
 俺の妹は……なのはは、よく我慢する子だった。それが誰のせいというのなら……きっと俺のせいだ。父さんの変わりを勤められなかった、俺の。
 だからと言って、なのはを比べてどうこう言う心算は無い。どちらも俺から見れば、いい子に育ってくれている。
 それでも……父さんの居るこの高町家なら、自分を抑えずに育っているのだと、そう思いたいのだ。
 だが……もしも知らなかったというのなら。
 その時は教えてやればいい。家の外に連れ出して、アリサとすずかさんと……心配している皆と、御対面させてやる。
 ……それが、きっと一番堪える。
 静かに右膝を摩る。
 未熟の代償に砕いた膝は、既に治療を始めて十年近い。担当を父親からその娘に変えるほどの長い付き合いだ。
 ……これはいい教訓だ。決して忘れてはいけない。
 父さんが死んだ。
 かーさんは幼いなのはを抱いて、堪える様に唇をかみ締めていた。それでいて、俺たちが話しかけると、どう見ても無理をしているのがわかるのに笑うのだ。美由希は泣いて、なのはは、何ひとつ知る事もできず父親を失った。
 俺は泣かなかった。……泣けなかった。俺まで泣いてしまったら、誰が家族を支えるのか。がむしゃらに自分を鍛えた。……悲しみにくれる家族を、見ていたくなかった。父さんと交わした約束。俺が家族を守るんだ。……もう、俺しか、家族を守れないのだ。
 その行為が、更に家族を悲しませている事にも気付かずに。
 と、俺が過去を振り返っている最中、隠す気の無い忍び笑いが聞こえてきた。
 ……発信源は、言うまでも無い。

「……なにを笑っている」

 半眼でユーノを睨む。

「はは、ごめん。恭也、なのはのお兄さんみたいだなって思って」
「……」

 笑いながらのユーノの言葉に、息を呑んだ。
 みたい……か。
 きっとユーノにとっては、何気なく出た一言だったのだろう。

「……俺にも、なのはくらいの妹がいるからな」

 誰に言うでもない。自身へと言い聞かせるため、ポツリと漏らす。
 そう、なのはくらいの……だ。ユーノが知っているなのは。……彼女の兄は、恭也さんだ。俺じゃない。

「へぇ……そうなんだ?」
「ああ。妹が二人に、妹的存在が二人だ」

 的? と疑問符を浮かべたユーノを見る。……ふむ、説明不足か。
 俺は言葉を続けた。
 美由希。なのは。晶。レン。かーさんにフィアッセも。話ながら、久しく見ていない家族の顔を思い浮かべる。
 ……突然消えた俺を、心配しているだろうか。……きっと、しているんだろう。月村も神咲さんも赤星も……きっとだ。皆、優しい心の持ち主だから。そのことが心苦しく……嬉しくもある。

「……」
「ユーノ? どうした?」
「いや、恭也の身の上話って、初めて聞いたなって思って」
「……そう、だったか?」
「うん。凄く楽しそうだった」

 自分の顔は自分で見ることはできない。だからユーノに指摘されるまで、自然と表情が緩んでいることに気付けなかった。

「……俺の家族には、他に母親と姉的存在、それに叔母がいてな……」

 俺はとうとうと話す。その間、ユーノは静かに耳を傾けてくれている。
 それから俺たちは、夜通しお互いについて語り合った。何故だか、心が軽くなった気がした。

 ……きっと、そんなことを話していたからだ。寝床につきながら、とりとめのないことを考えてしまったのは。

 ――なら。
 不意に思い至った考え。即座に首を振って打ち消した。そんな仮定の話をしたところで、過去が変わるわけじゃない。
 ――父さんが死ななかったなら。
 それでも、疑問が浮かぶのを止められない。
 ……何故なら、ここにはその答えがあるのだから。
 ――俺が強くなろうと思う理由は、多少でも変わってしまうのだろうか。








 作者はユーノが気に入ってます。



[7600] 十話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/06/28 21:26
 その日の朝は、お世辞にも爽やかな目覚めとはいえなかった。起きたばかりだというのに、泥の中で一晩中もがいたような倦怠感がのしかかる。おまけに寝汗を掻いたようで、服が肌に張り付き気持ちが悪かった。
 早々に寝巻きから着替える。手に取ったクリップ時計の数字は何時もと変わらない。刻まれた体内時計は、こんな時でも正確に目覚ましを鳴らしたらしい。膝をテーピングする他、鍛錬の準備を済ませる。寝ている人を起こさないよう静かに玄関に向かうと、先客に出会った。

「おはよう、恭也君」
「……おはようございます」

 玄関に居たのは高町兄妹だった。恰好を見る限り、今から鍛錬に出るのだろう。

「随分、朝が早いのですね」
「俺たちはこれから早朝鍛錬だからな。そういう君こそ早いと思うが」
「……俺も、似たようなものです」

 体を動かすのは、いい気分転換になる。……身体を覆う気だるさだって、ジョギングで朝の爽やかな空気を取り入れれば、なくなる筈だ。
 感覚を研ぎ澄ますが、二人の他に動く気配は無い。士郎さんは先に行ったのかと訊ねる。

「とーさんは翠屋の開店準備があるし、最近朝は私たちだけなんだ」
「それに、父さんも年だからな。若者についてくるのは大変らしい」
「……恭ちゃん、命知らずだなぁ」
「美由希、何か言ったか?」
「ううん、別に。ほら、急がないとシャワー浴びる時間なくなっちゃうよ」

 兄妹のじゃれあいは脇において置くとして……この世界の、父さんから教わった鍛錬の方法……か。
 前々から興味はあった。……今日はいい機会かもしれない。

「……すみません」

 玄関口に手をかけた二人を呼び止める。

「俺も、付き合せてもらえますか?」


 鍛錬の内容は、俺が普段しているものと特に変わりは無かった。
 庭先で入念なストレッチをし身体をほぐすと、ロードワークにでる。
 人気の無い道を黙々と走る。八束神社の裏山まで来ると、朝露が混じった森林特有の澄んだ匂いがした。木漏れ日に当たりながら、胸いっぱいに……とはいかないものの、十分に堪能する。気がついたら身体を覆う倦怠感はどこかにいっていた。予想通り、といったところか。
 先行する二人に着いていくのは難しくなかった。恐らく恭也さんたちが合わせてくれたんだろう。今の俺の……子どもの体力と筋力で、遅れず着いていけるはずがない。
 最後に坂道を上り下り。高町家の門を、出た時と反対側から入る。町内を一周した形だ。
 そのまま道場まで歩き、着くまでに息を整える。入り口脇に置いてある木刀を手に取ると、三人並んで基本の型をこなす。
 その最中二人から、特に美由希から視線を感じた。普段なら基本を疎かにするな、集中しろ、とでも注意をするところなのだが……俺も人のことは言えないな。二人の腕前が気になっているのは、俺だって一緒だ。ただ覗き見たにしろ、あそこまであからさまではない。……と、思いたい。

「来い、美由希」
「御願いします!!」

 互いの腕について何も言わぬまま、最後に模擬戦を開始。木刀も刃落しの練習刀に変えた。
 俺は今回参加を辞退。見学に回る。
 ……よく鍛えられている。それが模擬戦の感想だった。
 美由希の腕は、俺の弟子の美由希より、ほんの少し下だな。身体能力は変わらない。ただ判断が若干遅く、身のこなしと攻撃の連携が甘い。剣の振りが足りないのだろう。
 恭也さんは状況判断、身のこなし、連携と、俺が元の姿の時とほぼ同じ位だろう。自分をここまで客観的に見た事はないが、多分間違ってはいない。
 ただ刺突を使うのが苦手なようだった。斬撃中心のコンビネーションを多用している。その分抜刀の速さと切れは、俺よりも確実に一歩上をいっていた。
 ……長所を伸ばす形にしたのか。俺が選ばなかった成長の仕方だ。
 美由希が後ろに下がりながら飛針を投げ、距離を離す。そして取った構えは矢を射るよう。
 ……射抜を使う気か。飛針を弾く恭也さんには、突進前にとめることはできない。
 俺が思考した次の瞬間、美由希は身体のしなりを存分に使い、高速で突進する!
 必然迎え撃つ形になる恭也さんは刀を納め……一瞬の交差の後、美由希の首筋に刀が突きつけられていた。

「……ふぅ。ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました……!」

 一礼し、模擬戦が終わる。恭也さんは軽く息が切れた程度だが、美由希は息も絶え絶えといった様子。そんな美由希に恭也さんが近づき、何か言っている。
 指導しているんだろう、とはわかった。その様子を道場脇で見ているのに、とても遠くに感じる。
 ……先程見た光景が、俺の意識を捕らえて放さないからだ。
 模擬戦の最後。恭也さんの見せた薙旋を、何度も脳裏で反芻する。
 あれは……俺の記憶に残る父さんの姿、そのままだった。
 



 朝食を終え、家の中から誰もいなくなると俺は道場に篭った。
 両手に木刀を持ち、ただただ素振りを続ける。

「恭也? ここに居たんだ」

 ユーノの呼び声に気付き、素振りを止める。

「……ユーノ?」
「そろそろ頼まれた事の時間なんだけど……大丈夫?」
「ああ……問題ない。少し待っていてくれ」

 気付かぬうちに、かなり時間が経っていたようだ。
 タオルの脇に置いたクリップ時計を手に取る。モニターには正午の時間が示されている
 ……集中、できていたんだろうか。
 時間の流れを忘れるほど無心になる、といえば聞こえがいいが……単に気が入ってなかっただけかもしれない。
 汗を流した後、丁度いいと昼飯を持って縁台へと移動。ちなみに昼飯は、自分用に拳大のおにぎりを4つと漬物に緑茶。ユーノにはかるく蜂蜜を塗った食パンに牛乳だ。
 縁台のもはや定位置になっている場所に腰掛ける。そして何時ものように小飛が寄ってきたのだが……、

「きょ、恭也、助けてー!」

 ただ今、庭でユーノと追いかけっこの真っ最中だ。……ふむ。げっ歯類、という辺りが猫の本能を刺激したのだろうな。
 俺は茶を啜り、二匹のじゃれあいを微笑ましく眺めていたのだが、ユーノから救助要請が来てしまう。

「小飛」

 仕方なく名を呼ぶと、小飛はぴたりと足を止めた。身体ごとこちらへと向き直ってきたので、視線を合わせてお願いをする。

「そこのげっ歯類は俺の友人だ。……そのあたりで、勘弁してやってくれないか」

 言い終え、少しの間そのまま見詰め合う。やがて小飛は俺へ一直線に近寄ってくると、あぐらを掻いた膝の上へ乗ってきた。

「……よしよし」

 聞き分けのいい子で助かる。感謝を込めて丸くなった背を撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らした。
 フェレットなのに器用に肩を落とし、疲れた様子のユーノも縁台に戻ってきた。俺を見てなにかを言いたげにしていたのだが、

「……はぁ。じゃあ恭也、しっかり聞いててね」

 溜息を一つ吐くと、本題に入った。
 昼飯をつまみながら、ユーノによる魔法の講義が始まる。
 講師役だからなのか、小さい眼鏡を掛けているが……どこから持ってきたんだ。さっき追いかけられていた時は、掛けていなかったはずなのだが。……魔法か?
 ちなみに講義と言っても、そんな専門的なことではない。俺に魔力の変換云々なんて理解できるはずがないからな。……前に話されて、手を上げて降参した。

「……よろしく御願いします」

 見た目フェレットに頭を下げる少年(膝に猫つき)、というのは、中々におかしな構図ではなかろうか。……まぁ気にしないでおこう。
 基本中の基本の他、今回は実際に戦った時に気をつけるべきことを重点的に教わる。
 ようするに、攻撃、防御、移動の手段だ。
 聞いた話から冷静に判断するならば……HGSと戦う、というのが近いか? 前足でユーノにちょっかいを出す小飛を抑えながら考える。
 そうならば、俺が魔導士と相対して勝つのは、極めて難しい。
 ……防御手段と移動手段が、俺にはどうしようもないのだ。バリアを張られたらそれを破れないだろうし、空に逃げられたら追うことができない。飛針などの投擲武器はあるものの、殆ど一方的に攻撃されると思う。
 攻撃については……実際に戦ってみないと分からないな。杖を向けるなど予備動作が必要なら、どうにかなるだろう。来るとわかっていれば避けられる……と、思う。
 いつか見た、リスティさんとフィリス先生の姉妹喧嘩を思い出す。
……なんとも気が滅入る話だ。まさかあんな世界に足を突っ込まければならないとは。
 何気なく見上げた空は、憎らしいほどに晴れている。
 ユーノで遊ぶことに飽きた小飛が、完全に寝入る程度の時間で講義が終わる。
 その最後を締めくくったユーノの言葉は、魔導士に見つかったら逃げろ……だった。俺の考えがあっているなら、この指示は正しい。
 ……まぁ、結局は相手の力量次第だ。とりあえず慎重に様子をみて、臨機応変に行動するとしよう。
 再び遊び始めた小飛とユーノをよそに、俺はお茶のお代わりを淹れに台所に戻った。



 翠屋の、緑の看板が赤く染まる時刻。

「松ちゃんこれよろしく!  忍ちゃん、シュークリームあと何個残ってる!?」
「あと十個くらいです! あ、恭也レジよろしく!」
「ダージリン2、ブレンド2、ペコ1淹れたぞ!」

 桃子さんは追加の洋菓子を手際よく仕上げ、恭也さんや月村のフロアも、お客さんの対応に慌しく動き回る。勿論士郎さんの飲み物を淹れる手だって止まらない。

「お待たせしました。シュークリームとダージリンのお客様は――」

 俺も両手にトレイを持ち、注文をこなしていた。
 今日の見回りは、始めはなのはとユーノに任せた。翠屋が忙しそうだったので、少し長く手伝いをすることにしたのだ。夕飯の時刻になったらなのはと交代するつもりだ。
 店内には、見慣れた風ヶ丘や海中の制服が溢れている。ここが学業を終えた学生の憩いの場となっているのは、変わりないらしい。
 翠屋スタッフ一同、ひぃひぃ言いながら仕事をこなす。三十分ほど経ったら、お客の入りがなだらかになった。どうやらピークが過ぎたらしい。
 ここまでくれば大丈夫だろう。ざっと店内を見回し、特に問題がないことを確認。士郎さんに断りをいれ、あがることにした。
 エプロンを外す。これをバックにあるクリーニング用の籠に放り込んで、今日の手伝いは終わりだ。

「ねぇ恭也。なのはちゃんの事なんだけどさ」
「……ん?」

 軽くなった足でバックへ向かうその途中、ふと聞こえてきた声に立ち止まる。

「最近、何か悩みでもあるのかな? 私が見ててもそう思うし、すずかが結構気にしてるの」
「そうだなぁ。最近、夜はなくなったけど、夕方の外出は多いしなぁ」

 洗い場から聞こえてきたのは、月村と恭也さんの声。覗いてみると、二人は並んで食器を洗っていた。……ふむ、なるほど。恋人同士に見えないこともない。
 内容は……なのはのことか。まぁあの様子なら、誰でもおかしいことに気付くか。

「おせっかいかもしれないけどちょっとお話し聞いてあげてもいいかな」
「それはありがたいことだが、多分何も話さないと思うな」
「……私じゃ駄目かな」
「ああ違う、そうじゃない。忍には話さないってことじゃなくて、多分誰にも話さない。あれは昔から、自分ひとりの悩み事や迷いがあるときは何時もそうだったから」
「そうだったんだ……」
「ま、余り心配は要らないさ。きっと自分で答えにたどり着くから」
「……そっか」

 俺は無言でその場から離れた。
 ……流石、恭也さんはなのはのことをよく知っている。

「誰にも話さない……か」

 強い子なのは確かだろう。……けど、それでいいのか?







 作者はユーノがかなり気にいっています。



[7600] 十一話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2009/07/19 23:25
 裏口から翠屋を出ると、待ち合わせ場所にしていた駅前へと一直線に向かう。
 街灯が照らす道を、小走りの速度でぬける。人は多いがぶつかるようなまねはしない。

「なのは、ユーノ」

 幸い、二人はすぐに見つけられた。

「あ……恭也君」
「恭也、丁度よかった」

 巨大なスクリーンを見上げる一人と一匹。画面に映る時刻は、なのはのタイムアップを示していた。
 俺はあとの探索を引き継ぎからと、遅くならないようになのはの帰りを急かす。 一瞬だけ躊躇を見せたなのはだが、すぐに頷いてきすびを返した。

「……なのは……」
「いくぞ、ユーノ」

 なのはの背中から視線を外さないユーノを促し、先に歩き始める。
 ……ユーノには偉そうに言っておいてこれか。
 どんな言葉をかけるべきなのか……いや、言葉をかけてもいいのかもわからない。
 俺はなのはとどう接すればいいのか、今更に決めあぐねていた。
 先程の、月村と恭也さんの会話を思い出す。……今日家に帰ったら、話をするのもいいかもしれない。
 そんな風に考えた矢先の出来事だった。

「これは……!?」

 得体の知れない感覚が、全身を貫く。

「強制発動!? こんな街中で!?」
「発動……ジュエルシードのか!?」

 ジュエルシードの危険性は、よく教えられている。
 こんな街中でそんなものを……どうやら、なりふりを構うような輩ではないようだ。

「うん! くっ、広域結界! 間に合え……!」

 肩から降りたユーノの周りに、幾何学模様の魔方陣が浮かびあがる。同時にビルの、道路の、街の色が変わっていった。
 よくはわからないが、被害を抑えるための結界らしい。それを張り終えたユーノは、再び肩へと上ってきた。

「なのはも気づいてる。僕たちも行こう!」

 天を突くように伸びる光の柱へと向かうため、人気のなくなった道路を駆け抜ける。
 だがその途中、桃色と金色の閃光が迸った。
 あれが……なのはの魔法か?

「なのはとあの子が、同時に封印した!?」
「そうすると……どうなるんだ?」
「……わからない。とにかく急がないと!」

 ……全く、俺にはわからないことだらけだな。
 ともかく、現場へ向かう足を一段と速めることにした。
 光の柱が消えた場所には、既になのはが到着していた。服装が変わっている。あれがバリアジャケットというものか? 聖祥の制服を改造したようにしか見えないが……。
 その瞳の先には、宝石のような物体が宙に浮いている。あれが、ジュエルシードか。

「やった、なのは! 早く確保を!」
「あ、ユーノ君に恭也君……」

 なのはが振り向いたその時、頭上から、巨大な影が降ってこようとしていることに気付いた。

「そうはさせるかい!」
「危ない!」

 俺がなのはを抱えて横に飛び、ユーノが障壁を張り防ぐ。

「……無事か?」
「う、うん。ありがとうユーノ君、恭也君」

 巨体は地滑りとと共に着地。その横に、たなびく金髪と黒い服を纏った少女が舞い降りた。
 ……この子が、黒い少女か。
 なのはが俺の腕から離れる。
 その横顔に、今まで浮かんでいた迷い、悩みはなかった。

「この間は自己紹介できなかったけど……私、なのは。高町なのは! 私立聖祥大付属の三年生」

 呼びかけるなのは。
 だが黒い少女はそれに応えず、杖を向ける。
 なのはもレイジングハートを構え……二人は、空へと消えていった。
 ……向こうは、なのはに任せよう。
 降ってきた巨体を、改めて観察する。
 あれは……犬、なんだろうか。

「おい、ユーノ」
「なに?」
「魔法の世界の犬というのは、皆こんな感じなのか?」

 やたらと大きい。毛色も見たことがないくらいにカラフルだ。
 そんな常識外の犬にも、こちらの声が聞こえたらしい。ピクンと耳を動かし、豪! と吠えた。

「誰が犬だい! アタシはアルフ。狼にして、誇り高いフェイトの使い魔さ!」
「む、それは失礼した。このフェレットから犬だと聞いていたものでな」

 ちょいちょいと肩を指差す。
 目つきが先程よりも数段鋭くなるが、それを向けられるのはユーノだ。勝手に身を竦めて貰おう。
 その隙に、ほんの少しだけ空中へと視線を転じる。
 結界とやらの効果なのか、紫に染まった空の中に、白と黒、対照的な二人の少女が対峙している。
 フェイトというのは、察するにあの金髪の少女の事か。
 冷ややかになのはを見詰める、紅い瞳。
 あの瞳から感じた、彼女の感情は……


「あんた、何者だい。初めて見るけど……」

 意識と視線を正面へと戻す。

「単なる一般市民だ。魔法も使えないが……まぁ、あの子だけに任せるのも、心配なのでな」
「ようするに、アタシ達の敵ってことでいいんだね?」
「……さて、な」

 きっと、なのははこの子たちを敵だなんて考えていない。
 ……そうでないなら、あんなに悩む必要があるものか。

「……どうする?」

 向こうは、そんな煮え切らない答えが気に入らないようだ。犬歯を剥き出しにして低く唸り、威嚇をしてくる。

「逃げよう。僕たちじゃ、逃げて時間を稼ぐしかない」

 打ち合わせの通りという事だ。
 ……しかしまぁ、男が二人も揃って少女に頼るしかないとは……仕方ないとはいえ、情けないものだ。

「相談は纏まったのかい?」
「……ああ」
「じゃあ、いくよ!」

 次の瞬間、弾丸のような速度でその体躯が飛び込んできた。
 ……速い!
 なんとか初手を横跳びに避け、背中から八景を抜刀する。

「これは……逃げまわるのにも一苦労しそうだな……」

 獣の四肢は人間のそれよりも遥かに強靭だ。
 常に一足飛びで距離を詰められる……そう思ったほうがよさそうだ。

「ユーノ、肩から降りるか?」

 提案にユーノは首を振る。

「ここに居た方がサポートがしやすい。恭也は僕のこと気にしないで、全力でいって」
「了解した」

 そのまま、市外を舞台にした追いかけっこが始まった。
 鬼は狼。
 牙を避け、体当たりをかわし、爪を受け流す。
 アルフの攻撃は基本的に直線だ。そのおかげでスピードに差があろうとも、先読みがしやすい。
 相手の方が体格も力も上なため、決して組み合わないようにしながら、ひたすらに距離をとる。
 途中、何度かこちらからも攻撃はしたものの、成果は上がっていない。
 飛針の牽制は簡単に避けられ、隙を突いて振るった小太刀は、身体に届く前に障壁で阻まれた。
 わかっていたことだが……目の当たりにすると、やはり悔しいものだな。己の技が通用しないのは。
 それでも懲りず、小刀を三本、相手の目を狙い投げる。

「無駄だよ!」

 もうアルフは避けることもしない。どうせ突破はできないだろうと、障壁を張ったまま
 減速せずこちらへと飛び掛ってくる。
 そして小刀はアルフの前で火花を散らし弾かれた。勝利を確信したのだろう。アルフが唸り声をあげ、

「……判断が甘いな」

 すぐに悲鳴へと、とってかわる。

「なんだって!?」

 こちらには一匹、頼りになる魔導士がいるのだ。

「ハァー!」

 時間差で飛ばしたユーノの魔力玉が相手の障壁へぶつかり、眩い光を放った。
 その隙に路地裏へと隠れこむ。

「なんとかこのままいけそうだね。打ち合わせ、念入りにしておいてよかった」
「最近はユーノと居る事が多かったからな……時間はあった」
 
 何度かユーノの張った障壁に助けられたものの、今のところはうまく逃げられていると言っていい。

「時間を稼ぐ……か」

 この調子で、ユーノと二人で防戦に徹する。それならば、確かに凌ぎ切る自信はある。
 だが、俺達の目的はジュエルシードの回収だ。時間を稼ぐのは、なのはがジュエルシードを回収する邪魔をさせないための、手段にすぎない。
 ……それとて、なのはがあのフェイトという少女をなんとかできれば……だ。
 できればユーノを向かわせたいが、俺一人では足止めをできるか怪しい。かといって俺が行ったところで、空中に居る二人にできることなどない。
 ならば、

「仕掛けるか」
「え? でも、恭也の攻撃はバリアを突破できないだろ」
「俺の攻撃は、な。ユーノならどうだ?」
「僕、攻撃魔法は……ちょっと。防御とかなら得意なんだけどね」
「……そうか」

 防御とかなら……か。

「……ユーノ、アルフを捕縛することは可能か?」

 相手を制するには、別に叩きのめす必要はない。
 要は行動不能にできればいいのだ。

「そういう魔法はある」

 返答は期待していたものだった。

「でも彼女は速くて、その隙がないんだ」
「……なら、足を止めればいいんだな」
「え? でも」
「任せろ。必ず隙をつくってやる」

 言いながらも思考をめぐらせ、そのための策を組み立てていく。

「……できるの?」
「あまり御神流を甘く見るなよ」

 御神流は剣を振るうだけが能じゃない。
 先祖代々、永きに渡り蓄積された戦闘術。そこに真価があるのだ。
 考えた作戦をユーノに吹き込む。頷いたのを確認すると、路地から飛び出す。

「……あのねずみは何処に行った?」
「気にするな。そちらの足止め程度、俺一人で十分ということだ」

 途端、敵意が膨れ上がった。

「逃げ回るしかできないくせに、言ってくれるじゃないか!」

 ふむ……直情型だとは思っていたが、こうも上手く乗ってくれるとは。
 こうして、追いかけっこの幕が再び開かれた。
 俺の腕程もある爪が、前髪を掠めていく。
 今回はユーノの助力もない。前にも増して、全力を避けることに傾ける。
直線ではすぐに追いつかれてしまう。故に塀などを使い三次元に動くが……

「甘い!」

 相手も宙を蹴り、簡単に合わせてくる。
 ちっ……当たり前か。相手は普段から空を飛んでいるのだ。その程度の空間把握、できないはずがない。
 こうなっては空中で踏ん張りが利かない分、こちらが不利だが……。

「……そちらも、甘い」
「ち、ちょこまかと!!」

 鋼糸を使って動きのベクトルを変え、着地と方向転換を繰り返して突進をかわしていく。
……持っていたのが切断用の零番ではなく、強度の高い八番の鋼糸でよかった。これから途中で切れる心配はない。
 幸い、街中には鋼糸を巻きつけるのにうってつけな街灯やらが大量にある。
 これは子供の身体になったからできる戦法だ。小柄で小回りが利き体重が軽い分、移動が速い。

「ち、こうなったら」
「……魔法も使えないただの人間を、魔法を使わないと捕まえられないのか?」
「っ!!  すぐに捕まえてギタギタにしてやるから、覚悟しなよ!」

 さて、今のところは挑発も有効だが、最後までもつだろうか……。
 挑発の副作用、とでも言うべきか。完全に頭に血が昇ったアルフの攻撃は、一段と激しく、険しくなる。
 

 そして、とうとう頭からの突撃を食らってしまう。

「ぐぅ……!」

 八景が手からはなれ、からんと音を立てた。
 身体がくの字に折れ、息が詰まった。地面に叩きつけられる時に受身を取り衝撃を逃がすと、勢いのまま転がっていった。
 自分から後ろに飛んで衝撃を減らしたとはいえ……ほんの一瞬、意識が飛んだな……。
 そのまま倒れ伏した状態で、相手の様子を窺う。
 悠然とこちらを見下ろすアルフとの距離は、十メートルといったところか。……この程度、ないに等しい。
そして……位置も、いい場所だ。

「……ぬ」

笑う膝をなんとか押さえ込み、立ち上がる。

「気絶してなかったのかい?」
「生憎と頑丈でな。この程度、どうということはない」
「……そうかい、なら、これで寝させてやるよ!」

 強がりを吐いた俺へと、アルフはこれまでの最高の速度で迫ってきた。
 手に八景はなく、足も動かない。あと数瞬で、なすすべなく倒されるだろう。俺は観念し、迫ってくるアルフをただ見詰める――

「な、これは!?」

 ――はずもなく、腕を振るっていた。

「鋼糸でつくった網だ。そう簡単には抜けられん」

 なにも闇雲に逃げていたわけではない。鋼糸で陣を張っておいたのだ。

「く、この!」

 雲の巣のように張り巡らされた糸は、もがいた程度では解けはしない。
 障壁とて、常時纏っているわけではない。
こちらに武器がないと油断していれば、この程度の罠でも十分に機能してくれるようだ。満身創痍の演技はともかく、八景を手放したのは賭けだったが……勝てたみたいだな。

「ユーノ!」

 しかしいかに八番の鋼糸といえど、魔法を使われたらあっさりと切られる可能性もある。
 だからこそ虚を突かれ、混乱の抜け切っていない今のうちに勝負を決めなければならない!

「チェーンバイン――」


 街路樹の枝から現れたユーノが、魔法を使おうとした瞬間。

 キュゥア!!!!

なにかの収縮音に続く激しい轟音とともに、世界が閃光に呑まれた。



[7600] 十二話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2010/02/25 12:02
 昨日ほどではないが、目覚めは快適とは言えなかった。
 全身がきりきりと痛む。特に体当たりを食らった腹が酷い。鏡で見たが、あそこまで大きな蒼痣はそうそう拝めはしないだろう。
 ……だがまぁ、動きに支障をきたすほどでもない。普段どおりに行動できそうだ。

「恭也君、起きてる?」
「……なのは?」

 こんな時間に尋ねてくるには、意外な相手だった。
 何時ものなのはなら、この時間はぐっすりと寝ている。昨日は大変だったから尚更そうだと……ああ、だからか。

「恭也君、おはよう」
「おはよう、恭也」
「ああ、おはよう。なのは、ユーノ」
「ごめんね、こんな朝早くに」
「いや、構わない」

 普段から起きていると言ったら、痛く感心された。
 ……一応、なのはの兄姉もこの時間に起きているのだが。年が近く見えるから……か?

「そっか、これから鍛練に行くんだね」
「まぁ……日課だから」

 再び感嘆の声を受ける。
 ……少し、恭也さんと美由希さんが不憫に思えた。

「昨日は凄かったって聞いたよ。魔法を使えなくても、互角に戦ってたって」
「……ユーノ」

 半眼でユーノを見やった。……それは少し誇張が過ぎる。
 見られたユーノは、憮然とした声を出した。

「恭也は実際、あの使い魔を翻弄してたじゃないか」

 鋼糸を使った移動術のことだろう。

「あんなもの、次も通用するわけが無い」

 昨日の最後に見たアルフの速度なら、こちらが移動する方向を見てから先回りくらい、できないわけが無い。
 そもそも糸を切られたら終わりだ。
 魔法とやらがどこまでの破壊力を持っているのか知らないが、刀の一撃をやすやすと弾ける強度の障壁を張れるんだ。鉄の糸も紙の糸と変わらないと思ったほうがいい。
 昨日勝負の形になっていたのは、かろうじてだ。
 ユーノのサポートを受けた二対一で、相手がこちらを一般人と侮っていた。
 結果アルフは敗北しそうになり、主人は傷ついた。
 これで次も驕るようなら、単なる馬鹿だ。
 だからここからが本当の勝負。ユーノから知識を聞き、考えた対策が生きるのはこれからだろう。

「……で?」

 本題に入れと促す。こんな雑談、今する必要は無い。

「あの子の……フェイトちゃんのこと」

 ……まぁ、だろうな。
 昨日の閃光は、ジュエルシードに衝撃を与えた事により起こったものだった。
 その際なのはとフェイトのデバイスは破損。何時もならなのはの首にかけられているレイジングハートは、今はない。部屋で自己修復中らしい。
 ジュエルシードはといえば、フェイトが捨て身で封印。……自分の身を省みずに行動していた姿を見れば、余程の理由があるのだろうと想像できた。

「あのね……私、あの子の事が気になるの」

 だから、なのはが気にかける理由も、なんとなくわかる。
 なのははそのまま、一晩かけて考えたことを語りだす。
 なのは自身、どう伝えたらいいのか迷っているんだろう。言いながら自分の思いを確認し、整理しているように思えた。

「私、あの子と、お話しをしたいの」
「そうか」

 そう締めくくったなのはにわかったと頷き、布団を畳む。そのまま隅に運ぶ途中、何時ものように肩に乗ってきたユーノが、ついてきたいと言い出した。どうやら昨日俺の動きを見たことで、武術に興味が湧いたらしい。
 その件を了承し、運動着に着替えようとしたところで、

「……なにを突っ立っているんだ?」

 ほうっと、間抜けな顔で立ち尽くしていたなのはに声をかけた。

「え!? その、あの……いいの?」
「なにがだ?」

 主語を抜かれてもわからない。

「フェイトちゃんのこととか……」
「ああ……別に」

 そもそも俺はあの子のことは遠目で見ただけだ。実際に対峙し、言葉を交わしたなのはの意見を優先した方がいいと思う。
 それに、

「仮に止めたとして……意見を変えるのか?」
「……ううん、もう、決めたから」

 ……全く、美由希そっくりだな。

「だからそれで構わない」
「僕も勿論。こっちが協力してもらってるんだしね」
「……ありがとう、二人とも」

 ……笑えるようになったのなら、何よりだ。

「それにしても、ユーノ君と恭也君ってよく一緒にいるね?」
「む……」

 思い返してみると、確かに……。この家にお世話になってから、ユーノと一緒に居る時間が一番多いんじゃないのか。

「すっかり仲良しさんだ」

 ふとユーノと目があってしまい、揃って苦笑する。

「最近はこっちで寝ちゃってることあるし、ちょっと寂しいかな」
「あはは……」

 困ったように笑うユーノは、小さな手を伸ばし、ぽりぽりと頭を掻く。……器用だな。
 まぁ……ユーノも男だしな。
 しかし女性の方が早熟、とも言うし……なのは位の年齢でも意識はするのでは……。

「ユーノ君ってあったかいし、毛並みが気持ちいいよね」

 ……ああ、そうか。男以前に、フェレットか。ペットなのか。
 乾いた笑いに移行したユーノの声が、暫くの間部屋に響いていた。


 なのはと別れ、昨日と同じく高町兄妹と合流。今日は士郎さんも一緒に走りに出る。
 途中、美由希さんと士郎さんが違うルートを通る事になった。
 俺と恭也さんで遠出をしていると、唐突に話しかけられた。

「恭也君の妹は、どんな子なんだ?」

 はて……俺はこの人に、家族構成の話しをしただろうか。
 ……ふむ、まぁいいか。

「二人いるのですが……上は、一言で言うならドジです」
「……ドジか」
「ドジです。粗忽というか……ですが、人の痛みを知っている優しさと、折れない心の強さを持っています」
「成る程……うちの妹に通ずるところがあるな」
「いえ、美由希さんよりも酷い。なにしろ料理もできませんから」

 元の世界に戻れたなら、ちゃんと料理を仕込もう。……もしそれで婚期を逃してしまったら不憫だしな。
 ここに来て希望が見えた。やってやれないことはない。

「そこの部分で言った気はないんだが……」

 恭也さんは苦笑し、

「もう一人は?」
「小さいけれど頑張り屋で確りしてて、けどはにかみやで臆病なところもあるから多少人見知りするけど、明るく素直で純真無垢……そんな子ですね」

 俺は即答する。
 直後、忍び笑いが聞こえてきた。……二箇所から。

「いや、すまない」

 片方にデコピンを入れつつ、もう片方に目線を向けると、謝罪とは程遠い表情があった。

「君は大概兄馬鹿だな」

 ……まぁ、確かに誇張はしたが。
 コクコク、と頷く気配があったので、もう一度デコピンをいれておいた。直後しがみ付く力が増すのが伝わってくる。
 ……む、肩から落ちなかったか。

「貴方に言われたくは無い」
「そうか?」

 傍から見たら丸わかりだ。
 ……その対象が自分だというのだから性質が悪い。これでは美由希や忍にシスコンとからかわれるのも道理だ。
 自分の妹たちが一番可愛いくせに。
 まぁ、絶対に口にはしないだろう。俺だって言う心算は無い。
 今あんなことを言ったのだって、元の俺を知っている人に聞かれる心配がないからだ。
 万が一顔見知りに聞かれでもしたら……。

「……消すか」
「恭也、今すごい物騒なこと言ったよね?」
「気のせいだ」

 小声での確認に、きっぱりと返す。
 その後は雑談も無い。
 ただ黙々と、朝の空気を堪能して走り続けた。





[7600] 十三話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2010/02/25 12:02
 走り込みから戻ったとき、なのはは道場にいた。
 美由希の鍛錬を見ていたようだが……さて、何か掴めただろうか。
 朝ご飯の時間から少したった今、高町の家は全員出張っている。
 俺は普段、翠屋の手伝いの時間まで、家の中でできることしかしていない。ユーノと話したり、鍛練を続けたり、骨休めをしたり。若返ってしまった事は、意外と不便を強いてくる。
 しかし、今日は違った。

「少し、出掛けてくるか」

 なのはは、学校に行ったばかり。レイジングハートの修復もあと少しかかる。
 ……午前中だが、仕方ない。

「どこに?」
「心当たりを思い出したんだ。何故俺があそこに倒れていたのか、わかるかもしれない」


 俺が足を運んだ先は、さざなみ寮だ。

「槙原さん、こんにちは」
「え?」

 声に驚き、姿を見て更に驚く、愛さん。

「恭也君? こんな時間に、学校は?」

 ……まぁ、当然か。

「……少し事情がありまして」
「あら、その子」

 ユーノは肩に立つと、ピスピスと鼻を鳴らした。

「そう、元気になったのね。よかった」

 どういった経緯で知り合ったのか知らないが、今日はユーノの顔見せに来たわけじゃない。

「神咲さん……神咲薫さんは、いらっしゃいますか?」

 すぐ呼んでくるからと、居間に通された。
 薫さんは退魔士として忙しい人だ。さざなみ寮に居てくれて助かった。
 耕介さんがお茶を出してくれると同時、薫さんが現れた。
 お互いに軽く会釈をし、本題に入る。

「何やら事情があるようだが……どうしたのかな? 那美に会いに来た訳でもないだろう?」
「……ええ」

 耕介さんは台所に戻っていった。気を利かせてくれたのだろう。
 ……薫さんは、真っ直ぐに立っている人だ。下手に回りくどく言っても、効果はない。
 直球で勝負する。

「祓い士としての神咲薫さんの力を、お借りしに来ました」

 瞬間、辺りの空気がピリピリとした、張り詰めたものへと変貌した。

「君は、なにを言っている? いや、知っているんだ?」

 視線を険しくした薫さんから、顔を逸らさずに対峙する。

「少し、耳に挟んでいただけです。神咲一灯流の噂を」
「それで、すぐにうちと結びつける辺りが、既に怪しいんだがね」
「俺も裏に生きてきた家系なのです。その伝、という事にしておいて欲しいのですが……」
「裏に生きている、と言っておいて?」
「安心してください。既に廃れています」

 納得はしていないだろうが、これ以上問答をしても意味はないと悟ったのだろう。こちらの依頼がどういったものかを尋ねてきた。
 簡単に事情を話す。勿論魔法の事について、触れはしない。
 俺は墓地で倒れており、何故そうだったのかを知らなければならない、と。

「……霊魂というものは、未練のある場所に残るんだ。墓地というものは、供養され、浄化された肉体が眠る場所。居なくは無いが……」

 余り期待はできないらしい。
 それに、と薫さんは続ける。

「あまり霊との会話を期待しないほうがいい。さっきも言ったが、霊というものは生前の未練によって生まれるんだ。その事以外に関しては、反応しない霊も多い」

 余程力のある霊なら、人のように会話できる事もあるがね、と締めくくった。
 よく思い出せば、そんな話しを神咲さんから聞いた憶えもある。
 ……俺の見通しが甘かった、ということか。
 肩を落とす、とまではいかないものの、少なくない落胆が襲ってくる。
 だが、

「まぁ、行くだけ行って見よう」

 そんな落胆、すぐに消し飛んだ。

「……いいのですか?」
「確かに君の態度に邪なところはなかった。……けれど、正直、君の全てを信用できているわけじゃない」
「では、何故?」
「それでも君は、那美の友達だ。姉としては、無碍にはできんよ」

 そういうと、薫さんは恰好を崩した。
 俺は言葉の代わりに、深く頭を下げる。
 ……本当に、有難い。

「耕介さん。久遠のこと、お願いします」
「ああ、いいよ」
「おーい! 那美―!」

 薫さんは、二階へと呼びかける。

「はーい!」

 返答もすぐに返ってきた。……なに?
 階段の方から、軽い足音が近づいてくる。

「薫ちゃん、なに?」

 居間へと現れた神咲さんは、見慣れた巫女服ではなく、淡い桜色のワンピースだった。
 何故居るのだろうか……神咲さん、学校へは行っていないのか?

「ああ、少し用事ができたんだが……その前に、挨拶しておきなさい」
「え? あ、恭也くん!」

 こちらを認めた神咲さんの顔が、ぱっと綻ぶ。

「こんにちはー」
「……こんにちは」

 二人とも頭を下げ、挨拶を交わす。
 と、顔を上げた神咲さんの視線が揺れている。視線の先を辿っていくと……肩? ユーノか。

「えーっと、その子は……だれ?」
「フェレットのユーノです」

 へぇー、と目を輝かせる神咲さん。どうやら興味津々らしい。

「うちらはこれから出かける。経験を積むいい機会だから、ついてきなさい」
「うん、わかった……」
「……那美」

 生返事。
 ……薫さんの表情が、どんどんと怖いものに変わっていく。

「……」

 俺を見上げる瞳には、撫でてもいい? と大きく書かれていた。
 ……まぁ、いいか。
 ユーノの首筋辺りを掴む。じたばたと暴れたが、構わず神咲さんの掌に乗せる。

「わぁ……かわいいねー」

 そこからの神咲さんのはしゃぎ様を見て、薫さんはふぅ、と溜息を吐き表情を崩した。
……なんだかんだで、この人も甘い。
 墓地へと出立したのは、五分ほど後のことだった。

「ねぇ恭也、祓い士って?」

 道中、それまで一言も喋らなかったユーノが、囁くように訊いてくる。
 視線だけを横に向けると、輝いた目と遭遇した。
……未知への探究心が刺激されたか。

「……以前、妖怪の話はしたな?」
「ええと、狐の変化って言っていたかな。獣人みたいなものだと思っていたけど、違う?」
「……そこからか」

 妖怪という言葉は、日本独特らしい。英語等の言語には、該当するものがないのだ。もしかしたら、魔法の世界でもそうなのかもしれない。
 俺も精通しているわけではないが、一から説明すると長くなる。解説は、この件が終わってから、と納得させた。


 結論から言うと、事態は進展しなかったと言える。

「すまんね」
「……いえ。薫さんは、十分に力になってくれました」

 予想の通り、霊から話しを訊く事はできなかったからだ。
 ……前向きに行こう。わからない、ということが一つわかったんだ。こうして手段を虱潰しにしていけばいい。

「一応、祖霊にも訊いてみたんだが……」
「祖霊?」
「まぁ、守り神みたないものさ。厳密には違うがね」

 詳しく聞く必要は無いだろう。曖昧に頷いて説明を遮った。
 崖の辺端から、海鳴を見下ろした。
 翠屋。高町家。月村の家。風ヶ丘学園……俺が知っている海鳴の街と、まるで変わっていないように見える。
 実際には大きすぎて、変化が見えないだけなのだ。そのことが、寂寥感を増加させる。

「これから、どうする?」
「……そうですね」

 どうするかと考えていると、袖を引っ張られた。

「えと……恭也くん」

 振り向くと、神咲さん。心配だと、その顔一杯に語っていて。

「元気、だしてね……?」

 はっとして、顔に手をやる。
 ……気がつかないうちに、表情が強張っていたのかと思った。
 だが、違った。
 筋に力の入った様子はない。何時もどおり、愛想笑いの一つもしろといわれそうな、無表情のままなのだろう。
 ……敵わないな、神咲さんには。

「……大丈夫。ありがとう」

 頭を撫でて、心配要らないと伝えた。
 神咲さんが、不安そうにじっと見つめてくる。が、すぐ柔らかに笑ってくれた。
 ……流石、神咲さんの子供の頃。笑い方に面影がある。
それに、優しくて……素直だ。

「今日は、これで失礼します」
「ああ、わかった」
「すみません。お礼は後日、必ず」
「それなら、那美とまた遊んでやってくれ。今日は久しぶりに会えて、はしゃいでいたみたいだし」
「か、薫ちゃん!!」

 神咲さんが手を振りかざして怒っているが、微笑ましいほどに迫力がない。
 そういえば、神咲さんはこちらに友達がいないのだったか。
 …………ふむ。

「でしたら、今度翠屋にいらしてください」
「翠屋って……あの?」
「お礼を兼ねて、奢りましょう。ついでに、妹的な存在と、その友達を紹介しようと思います」

 高町夫妻に負担をかけるのは心苦しいが……先立つものを全く持っていない俺では、他に方法が無い。
 勿論、手伝いの時間を増やして埋め合わせはする。春先で、翠屋はバイトの数も揃っていない。
 特に朝は人手不足だから、歓迎されるはずだ。……外見が子供な以上、裏側の仕事しかできないのだが。

「用意が整ったら、追って連絡します」
「だってさ、那美?」
「はぇ!?」

 わたわたとしていた神咲さんだったが、状況が呑み込めたのだろう。ぺこりと頭を下げた。

「ありがとう、恭也くん」
「……いえ」

 ……お礼に、お礼で返すか。実に神咲さんらしかった。



[7600] 十四話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2010/05/22 02:36
 再度の邂逅は、思ったよりも早く訪れた。何せ次の日だったのだから。
 場所は夕方の海鳴臨海公園。既にレイジングハートは修復を終えている。
 結界により歪んだ空。海もその歪な色を写している。
 そこに、二人の少女の姿を認める。
 なのはと、フェイト。
 お互いに杖を突きつけ、既に封印したジュエルシードを挟んで対峙していた。
 そして、

「黒尽くめ。こないだの借りを変えさせてもらうよ」
「……」

 対峙しているのは、俺も同じ。意識を眼前に集中した。

「今度は油断なんかしない。全力であんたを倒す」
「……光栄な事だ」

 背負いから抜いた二刀を構える。
 街中ほどではないが、木々と街灯が豊富な海鳴臨海公園だ。鋼糸を使った移動法は使える。しかし、本気になったアルフに通用するはずが無い。
 故に、小細工は無用。全霊を持ってアルフの攻撃を受け止め、受け流し、時間を稼ぐ……!
雄!
 アルフが叫び、飛び出した。全身の筋肉がバネとなり、凄まじい突進力を乗せた弾丸と化す。

「……シ!」

 刃を寝かせ、爪を受け流す。半身反らした空間を、巨躯が駆け抜けた。
 決してかみ合いはしない。獣と人間では、膂力の差が圧倒的だ。組み敷かれたひとたまりも無いだろう。

「まだまだぁ!」
「ぐ……!」

 そんな攻防を、既に何度したことか。袖口や裾は爪や牙が掠めたせいで、ボロボロになっている。……段々と腕に疲れが蓄積してきた。鈍い痺れと引き換えに、柄を握る力が奪われていく。
 救いは、防御シールドを展開中は攻撃されない事。それに、なのはのような光球による攻撃がないことだ。

「そろそろ降参したらどうさ。限界が近いんじゃないかい?」
「……気遣いは有難いが、平気だ」

 今のアルフは、視野狭窄だ。
 俺を意識するあまり、決め手を持つユーノへの対応が散漫となっている。

「あのイタチに期待してるんだろう? そこの木の上にいることくらいわかってるさ」

 ……残念な事に、俺の思い違いだったようだ。アルフは本当に、一切の油断をしていない。
 奇襲は失敗。
 手を上げてユーノに合図を送る。木から降りたユーノは、昨日のように俺の肩の上に乗った。

「あんた、なんであの子に協力してるんだい?」

 俺とユーノに気を払ったまま、アルフが疑問を投げかけてきた。

「黒尽くめは魔法も使えない、この世界の人間だろう。何故こんな危険な事に首を突っ込むのさ」
「……強いて言うなら、成り行きだな。他に聞きたいことは?」
「別に。興味がわいたから、倒す前に少しと思っただけさ」
「ふむ、なのはがあの子と対峙し終わるまで、時間を稼ぎたいのだがな」
「ふん、稼ぐのは勝手だけど、フェイトは負けないよ!」

 俺の挑発をかき消すように、アルフが声を張り上げた。怒気と共に、こちらへと叩きつけてくる。

「あんなぬくぬくと育てられた甘ったれに、フェイトが負けるはずがない!」
「……甘ったれ、か」

 目を閉じ、頭で反芻した。
 甘ったれ。フェイトとアルフはその言葉を言えるような立場にいるということか……。
 俺たちが反論しない事に気をよくしたのか、アルフは嘲りの音を混ぜて続ける。

「言い返さないのかい? それとも、言い返せない?」
「それは、僕たちが言うべきことじゃない」
「……そうだな」

 ユーノの意見に軽く笑い、構えを直す。
 甘ったれだろうと関係ない。なのはは覚悟を決め、行動を起こしている。
 俺たちは、それを信じるだけだ。
 視界の片隅に映るなのはたちは、話を終えたのか。緊張が高まり、弾けようとしていた。
 ……恐らく、覚悟は語ったのだろう。

「決着をつけよう」

 時間稼ぎの役割は果たした。
 これはもはや、俺の好奇心の戦い。俺の剣が魔法にどこまで通用するのか、試したいだけだ。
 念のため、ユーノにはなのはを見守っていてもらう。……あの高さは、墜落したら危険だ。ユーノの魔法なら、海の方に堕ちても助けられる。
 八景を、背負いの鞘に戻す。
 ――ふと、恭也さんだったら、二刀差しなのだろうなと思った。
 腰を落とし、力を溜め……爆ぜた。
 合図も無い。だというのに、お互い示し合わせたように同時に踏み出した。
 放つ技は、最も信頼している奥義、薙旋。
 交差の瞬間、抜刀からの二連でアルフの爪を弾き、背後に踏み込み更に二連。
 ……その未来予想図は、見事に覆された。

「……敗け、だな」
「言ったはずさ。油断はしない。全力で倒すってね」
「ああ。流石は、魔法だ」

 苦痛に歪んだ口から出たのは、純粋な賞賛だった。
 爪を弾くまでならば、想像の通りだった。
 問題は、その後。
 こちらの刃は通らず、アルフに腹を痛撃された。咄嗟に後ろに飛び、衝撃は流したが……情けない事に、立ち上がることができない。
 向こうも体制は崩れていたから、満足な一撃ではなかったのだろう。でなければ、今頃、肋骨が折れ、肺に刺さっていてもおかしくない。

「そこで大人しく縮こまっているんだね。フェイトの邪魔さえしなければ、あたしはこれ以上攻撃しない」
「……止めを、刺さないのか?」
「そんなこと、僕がさせない!!」

 間に入ったユーノが、アルフを威嚇した。フェレットの小さな身体に、精一杯の力を漲ら、毛を逆立たせている。
 なのはを見ていてくれと頼んだのだが……不甲斐ない俺の方へ、回ってくれたらしい。

「……ふん、こいつを殺す必要なんてないさ。もうフェイトがあの白いのを――」

 アルフが、首を回した瞬間だった。

「ストップだ!!」

 杖を振りかざし、衝突しようとしていたなのはとフェイトの間に、黒い人影が現れた。
 あれは……あの子は、見覚えがある。
 両の手で二人を抑え、停戦を命じているのは、元の世界で、なのはと縁深い少年。
 クロノ。
クロノ・ハーヴェイだった。

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。詳しい事情を聞かせてもらおうか」
「……ハラオウン?」

 クロノは、鋭い目つきで俺たちを威嚇した。
 名前が、違う? ……これも、ずれの一つなのか。

「時空、管理局?」
「ユーノ、わかるのか?」
「ああ、うん……」

 聞き返していると、クロノが先導し、なのはたちが地上に降りてくる。
 なんとか動けるまでに回復した俺は、ユーノと共に三人に駆け寄り――

「上だ!!」

 アルフの移動に、気がついた。

「ッ!?」

 不意に上空から放たれた光弾を、クロノが魔方陣によって弾く。

「フェイト、撤退するよ!! 離れて!!」

 光弾の二陣は地面に着弾し、凄まじい煙塵を巻き起こした。
 半ば吹き飛ばされるようにして、俺たちは林へと退避する。
 そして、一足先に上空へと離脱したフェイトの手が、ジュエルシードに届こうとしたとき。

「うぁ……!」

 粉塵を突き破り、蒼白の光の粒がフェイトを叩き落した。

「フェイトー!!」
「ちっ!!」

 墜落する姿を見た瞬間、身体が動いていた。
 落下地点に先回りしたのだが、

「フェイトから離れろ!!」

 怒声と共に、高速でアルフが突進してきた。
 ……争うつもりはない。
 フェイトを受け止める役をアルフに任せ、背後へと向き直る。
 魔法を放った主――クロノは、追撃をしようとしているのだろう。杖が輝きはじめる。
 俺は、クロノから庇うように、間に立ち塞がった。
 ……違うか。
 俺たちは、だ。

「だめぇ!! やめて、撃たないで!!」

 割り込んだなのはに動揺したのか、クロノが困惑を顔に映した。
 その隙に、フェイトを背に乗せたアルフは、この場から離脱していく。
 残ったのは、現状を把握しきれない俺たちと、ジュエルシードを手に取ったクロノだけだった。




※やっぱり恭也が受け止めるの、なんか納得いかなかったので修正しました。



[7600] 十五話
Name: orczy◆176d9afe ID:0fff85c3
Date: 2010/06/06 14:58
 俺たちは事情聴取という名目の元、アースラという戦艦に転送させられていた。
 正確には次元航行戦というらしいが……流石魔法の世界だな。俺の常識は通用しない。
 なのはが気弱そうにクロノのあとをついていき、その間にユーノが知りえていることを説明する。
 ちなみになのはには念話で、俺には耳元で囁いている。……器用だな。
 管理局……か。警察とでも思っておくとしよう。いや、軍隊だろうか?
 それよりも気になったのは、“世界がいくつもある”ということ。俺の世界も、その何処かに……。
 そんな風に考え込もうとしていた時だった。クロノが、楽にしたらどうだと言ったのは。
 言葉に応じて、なのはがバリアジャケットを解く。次いでユーノがフェレットから人間に変身した。

「ほう、それがユーノの本当の姿か」

 男にいうのはどうかと思うが……まぁ子供だし、許容範囲だろう。恰好いいというよりは、可愛いという言葉がしっくりくる。
 優しげな風貌がそう認識させるのかもしれない。

「あはは、うん。恭也には初めてだね。でもなのはにこの姿を見せるのは、久しぶりになるのかな?」

 数瞬の後、アースラをなのはの絶叫が満たした。

「……君たちの間で、なにがあったんだ?」
「……さぁ? まぁ、少しそっとしておいてやってくれ」

 クロノと共に、呆れ半分で二人の遣り取りを見守った。
 混乱の只中でも、見解の一致をしたらしい。なんとかなのはが落ち着いた。
 待たせている艦長の下へと急ぐ道すがら、軽い自己紹介をしていく。

「それで君は?」
「この子の家の居候だ」
「……居候? それが何故ジュエルシード集めに関わっているんだ」
「一宿一飯の恩返し……と、保護者代わりだ」
「魔法は?」
「使えるはずがない」

 肩を竦め、軽く笑って見せた。

「無謀な事だ。これからはでしゃばらないように」
「……お前!」

 憤ったユーノを手で制し、落ち着かせる。

「止めて置け」
「だって、恭也!」
「内容は正しい。お前だって俺が始めに参加するといった時、似たようなことを言ったぞ」
「あんなのと一緒にしないでよ!」

 ……まぁ、確かに言い方の違いはあるか。
 だが、見ろ、と顔を動かさず、視線だけを後ろへ向けた。
 映るのは、どうしていいのかわからず、視線を俺たちの間で漂わせるなのは。
 その様子を見て頭が冷えたのか、ユーノは一歩下がってソッポを向いた。

「まぁ、肝に銘じておくとするさ。それより案内を続けてくれ」
「……こっちだ」

 その後は無駄話も無く、廊下を進んでいく。

「わ……」
「……盆栽」

 案内された一室は、何故か日本の茶室を連想させる設えだった。
 ……まさか、魔法の世界にも盆栽があるとは。後で見させてもらえないだろうか。

「まぁまぁ、三人ともお疲れ様。どうぞ楽にして?」

 翠の髪を後ろで束ねた年若い女性に、なんとも、軽い調子で労われる。どうやら彼女が艦長らしい。
 言葉の通りに畳の上へと座ると、茶と羊羹が用意された。

「ユーノ、魔法の世界にも和菓子があるのか?」
「いや、君たちに合わせたんだと思うけど……」
「ふふ、お気に召してくれたかしら?」
「……気遣い、有難く頂戴致します」

 軽く頭を下げる。視界の隅で、なのはまで慌てて頭を下げていた。
 その様子に微笑を湛えていた艦長だったが、

「さて、それでは話を窺っても、よろしいかしら」

 表情を引き締め、本題に入る。
 ユーノが、原因から今に至るまで、起こった出来事を報告していく。俺となのはは、ただ聞き役に徹していた。
 その後はジュエルシードの、いや、ロストロギアとやらの話になったが……俺が 明確に理解できたのは、危険物であるということだけだ。更には、それによって引き起こされる災厄の規模が、桁違いであるということ。幾つのも世界が滅ぶか……。
 そうしてクロノたちは、この件に関わるなと忠告してきた。
 反論しようにも、誰の口からも言葉が出ない。
 その様子を……特に落ち込んだユーノを見たからか。心の整理をつける時間をという名目の元、艦長によって返事まで一日時間を空けられる。
 そのまま、この場はお開きとなった。
 目の前には、夕闇に燃える水面。

「便利なものだな、魔法とは」
「そう、だね……」

 一瞬にして、臨海公園へと戻る。

「えっと、ユーノ君って、同い年くらい?」
「え、あ……うん。多分。その、恭也には話していたから、てっきりなのはにもと……ごめん」
「え、ううん。びっくりしただけだから、気にしないで」
「……ありがとう」
「それにしても、恭也君も教えてくれればいいのに」
「……俺は、ユーノから知っていると聞かされたから。元凶はユーノだ」
「う……そうだけど、酷いよ」
「まぁ、取りあえずは帰るか。そろそろ日も落ちる」

 二人が頷いた。
 普段はこっちのほうが便利そうだから、という理由でユーノがフェレットに戻り、なのはの肩へと駆け上った。

「ご飯を食べて、それから考えよう。これから、どうするのか」

 なのはが、そう呟く。
 ……なんとも、タフな子だ。俺は苦笑気味に頬を歪めた。



 夕食を食べ終わった居間で、桃子さんとなのはが話している。
 一見しただけで、二人の間には入れないと悟る。
 恐らく今回の事件について……濁してはいるんだろうが、話したんだろう。
 ……雰囲気を崩すような、野暮な真似もしたくなかった。
 桃子さんなら、俺なんかよりずっとうまくなのはの気持ちを整理させてあげられる。任せる事にして、その場を離れた。
 さて、どうしたものか。自室に戻ってもいいが、なんとなく縁側に足が向く。

「やぁ、恭也君」
「……恭也さん」

 そこには、先客が居た。涼みに来たらしい。隣に座布団を敷かれたので、好意に甘えて座らせてもらう。
 そのまま、月明かりに照らされる庭を二人で眺めた。朝はユーノも居たが……今は、自分と二人きり、か。……妙な言い回しだ。
 会話がなかったのは、特に話題がなかったからだ。いや……そうだ。朝聞けなかったことを、聞くとするか。何せ自分なのだ。遠慮をする必要は無い。

「一つ、訊ねたい事があるのですが」
「なんだい?」
「なのはさんが、誰にも悩みを言わないというのは、何故です?」
「……忍との話しを、聞いていたのか?」
「行儀が悪いとは思ったのですが……聞こえてしまったもので」

 隠さず、首肯する。
 恭也さんは、「まぁ、隠すような事でもないんだが」と、困ったように頬を掻いた。

「父さんが怪我をしたのは知っているかい?」
「……仕事の最中に、というのは聞き及んでいます」
「そう。一命を取り留めたものの、その怪我が原因で、父さんは剣を置いた」

 ……時期が、悪かった。
 過去を見る恭也さんの呟きと、俺の記憶が重なる。

「確かに父さんは命を取り留めた。でもそれは、助かった、よかったで終わりじゃない。入院費は仕事の依頼主の方が出してくれたんだが……かーさんは、父さんのお世話を人任せにするのを嫌った」

 勿論、病院のスタッフの人たちに頼った部分も多い。それでも、看護にリハビリの付き添いにと、時間さえあれば父さんの見舞いに行っていたらしい。

「どうみてもオーバーワークだったよ。思えば、かーさんも不安だったんだろうな。だから、どんなに忙しくても、父さんの見舞いを欠かさなかった」

 大怪我を負った痛ましい姿を見続けるのは、どれほど心に負担が掛かった事だろう。

「……美由希が料理をしだしたのは、この頃だ。幼いなりに、力になりたかったんだろうな。そんな美由希を見て、俺も剣の修行を緩めた」

 ……なるほど。美由紀の腕がほんの少し下なのは、このためか。きっと、父さんが退院してから始めたのだろう。
 恭也さんも、事故にあっておらず、入院とリハビリの期間がない。
 美由紀の指導をする必要もなし。
 その上父さんからの手ほどき、か。
 ……俺とは違う成長をするはずだ。

「……なにをやってるんだと思ったよ。守るための力を手に入れるために、守りべき場所を失うところだった」

 そう……か。
 恭也さんは、確かに自分だ。
 だが、同時にどこまでも他人なのだと理解した。

「そんな風に、皆が皆、自分のできることを精一杯にしていたから……なんだろうな。なのはは、わがままを言わなかった。我慢することが自分にできること。そう思ってしまったのかもしれない」

 苦い笑いを浮かべ、

「……全く、情けない兄だ」

 恭也さんは、そう締めくくった。

「……そう思うなら、これから甘えさせてあげればいい。なのはさんは、まだ子供だ」
「そうだな」
「なのはさんは、この家族が大好きみたいです。それは、間違いない」
「……ああ」

 まだまだだと。
 他人に『よくやっている』と言われる度、思っていた。
 だから俺は、そんなこと言いはしない。

「恭也さん、少し打ち合いませんか?」
「今からかい?」
「ええ、できれば刀で」
「……いいだろう。じゃあ、道場に行こうか」

 連れだって、道場へと向かう。
 俺の背負いと、恭也さんの二刀差。優劣を比べる心算はない。比べられるものでもない。
 ただこの人と、打ち合いたくなったのだ。







※今回独自設定かなりあり。
 りりかる高町家の過去を捏造。この作品では過去はこうだ、ということで。


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