……四月のその日。俺は、父さんの墓参りに来ていた。
左手に花束を、右手に酒を持ち、美由希の皆伝の儀が終わり……俺と、父さんとの約束が一つ、終わったということを、報告をしに。
「……父さん、美由紀が、皆伝に至ったよ」
そう言った時の自分の顔は、穏やかだったと思う。
「美由希は、もう、俺から教わるだけの弟子じゃない。これからは実戦も経験して、自分なりの戦闘方法を考え、身に付け、そして……すぐに、俺を追い越していくだろう」
剣士として完成しない……できない自分と、完成できる美由希との間で、決して覆す事はできないそれは、決められた事実である。
俺と美由希。追う者と追われる者。一見すればそれが変わるだけに見えるだろう。
だが、違う。
例えるなら自転車と車だ。乗り込むところから始めるなら、自転車の方が圧倒的に早い。サドルに跨って、ペダルを踏むだけで動き出せるのだから。
対して車は、ドアを開け、シートベルトをし、エンジンをかけ、ギアを入れ、アクセルを踏むという手順が必要となる。
そういう意味では、初速だけなら自転車の方が速いといえる。
だが、一度車が動き出してしまえば?
……そうなれば、自転車などすぐに追いつかれ、抜かれる。そして、追い越されてしまえば逆転の余地などない。その後は差が開くだけだ。
キュポン、と、右手に持っていた酒の蓋を開ける。酒の銘は、父さんが生前によく呑んでいたものだ。高町家の縁側での月見酒に付き合わされたから覚えている。……俺は、緑茶だったが。
「祝い酒だ。父さんは、花よりも団子の人だから、花はいらないだろう?」
だから、この美由希の育てた花は、なのはの友人、アリサの墓へと供える。
父さんのほうには、普段はかーさんが持ってきている。今日ばかりは、酒だけで我慢してもらおう。
「よく、味わってくれ」
トクトクトク。
酒を、自分の分は猪口に、父さんの分は墓石に上からかける。
「乾杯」
酒が瓶の半分ほどになった辺りで、グラスと墓石を合わせ、そのまま自分の分を一気に煽る。普段余り飲まないからか、アルコールで喉が焼ける感覚に少し咽る。
「フィアッセも、ティオレさんの後を継いで頑張っているよ。毎日忙しいみたいで、家にはあまり来れないけれど。それでも、暇を見つけて、いや、作って来てくれる。そして、楽しそうに笑うんだ。……フィアッセだけじゃない、俺の周りは、皆前を向いて笑っている」
晶はもう強さを見つけ、御神流を教わろうとしない。
レンは手術を終え前以上に元気になった。
月村も遺産を巡る問題が解決し、今はノエルさんを目覚めさせるために頑張っている。
神咲さんは久遠の穢れを祓うのに成功し、今も退魔士としてお勤めを果たしている。
他にもフィリス先生や赤星、さざなみ寮の耕介さん達も、俺が知り合った皆が……だ。
皆、皆今を精一杯生きて、歩いている。
「美沙斗さんは、今も香港警防隊で働いているよ。今度は、龍への復讐の為だけではなく、誰かを守るために」
忙しいから、あまり頻繁に顔をだしには来れないようだが。その分警防隊の仕事に誇りを持っているようだから、良い事なのだろう。
「美由希に母さんと呼ばれて、照れていたな。だけど、喜んでいたよ。とても」
今では帰ってくるたびに美由希との仲の良い親子っぷりを見せてくれる。
季節を感じさせる穏やかに優しい風が頬を撫で、桜の花が視界で舞う。
俺は、目を瞑り花弁をやり過ごす。そして、目を瞑ったまま話を続ける。
「かーさんは、翠屋で、家で、大黒柱として頑張っているよ。なのはを2代目店長にするため張り切っているな」
ただ、かーさんはやたらと恋人を作れと言ってくる。早く孫を抱きたいなぞと言っているが……そんなに御祖母ちゃんと呼ばれたいのか? そもそも、俺に恋人など早々作れるものでもない。
「なのはも満更でもないようで、最近はお菓子を作りを覚えている。中々の味だ」
父さんなら、流石俺と桃子の娘! とでもいいそうな味だったな。
「……そうそう、なのはに恋人ができた。クロノ君といってな……彼になら任せても大丈夫と、そう、思えた」
……父さんなら、
『なのははやらーん!どうしても欲しくば俺に勝って奪ってみろー!』
とでも言うだろうな。安心しろ父さん。俺がもう、やっておいた。かなり筋が良い。二十回目にして木刀が服に掠ってきたから、あの様子ならもしかしたら五年以内に一撃、入れてくるようになるかもしれん。
「……最近は、色々な事が起こったせいで忙しくて来れなかったから、報告が長くなってしまったな」
目を開ける。
昼下がりに来たというのにいつの間にか夕方になろうとしていた。二時間以上は確実に此処にいたようだ。
クリップ時計で時間を確認すると、5時半近くだった。
「……俺は、どうするべきなんだろうな。父さんのように、ボディーガードをするのだろうか……」
しかし、それで、父さんに追いつけるのか? 背中を、追いかけ続けて……。
それに……
「美沙斗さんからは、警防隊に入らないかと、誘われている。……でも、俺はやはり家で家族を守りたい」
だが
「美由希がいる。今の美由希の実力ならば、もう少し地理的な戦い方や、守る為の戦い方を教えれば、俺が居なくて何かあっても対処できるようになる」
そう、俺が、居なくても。
美由希には、俺はもう必要なくなる。
……違う。美由希だけのことじゃ、ない。
――皆、もう、本当は、俺の助けなんて、要らないのでは、ないのか?
……俺が、居なくなっても、皆は大丈夫。
表情が、歪む
そもそも、今までとて俺が一人で守ってきたわけじゃない。
泣くように引き攣る。
皆が自分で頑張り、俺はほんの少し、手助けをしていただけ。
涙は出ない。
皆、俺の助けが要らないなら、それは、とても喜ばしいこと。
悲しい訳じゃない。
タダ、トテモ、サビシイ
「最近、よく思うんだ。……もし父さんが生きていたら、俺は、高町家はもっと、違う道を進んでいたんじゃないのか、と」
その道が、今よりも良い、だなんて決まっているわけではない。
それでも……そう考えてしまうのは、俺が弱いからなんだろう。
父さんが生きていたら、この悩みの答えを、くれるだろうか。
……いや、違うか。
『甘ったれんな!そんなの自分で考えろ!』とでも言うのだろうな。
「フッ、まったく。昔の事を懐かしむのは、老いた証拠と言うに。……これでは若年寄りとも言われるか」
言うのは主に妹一号と母、それに紫髪の親友である。……報復はどうしたものか。
「途中から、愚痴のようになってしまったな。……まぁ、しかしお蔭で少しは楽になれた。申し訳ない、不甲斐ない息子で」
答えはわからない。なら、悩んで悩んで悩み抜いた末に答えを出そう。今のところ、他にできることは無いのだからな。
「俺は、父さんが死んだ時にこの八景に誓った。家族を守ると」
八景を墓石の前に掲げ、幼い頃の誓いを口にする。
「だから……もう少し、考えてみるよ。色々と、な」
この誓いは、絶対に破らない。
「さて、帰るとするか。では、そのうちまた来る。あぁ、酒は供えておくから自由に飲んでくれ。……次は、美由希や美沙斗さんと来るから」
八景を背中に仕舞い、帰り支度をする。
クリップ時計を見ると、六時を回っていた。帰ると丁度夕飯時だ。さて、高町家に帰るとしよう。
……などと思っていた矢先。俺は、突如八景から発せられた光によって気を失った。
その時の俺はまだ知りえなかったが、この時、一つの事件の開幕と閉幕が同時に起こっていた……。