池田信夫 blog

Part 2

2006年01月

2006年01月31日 01:31
経済

ライブドアの功績

今週の週刊東洋経済で、ライブドア事件を特集している。それによれば、ライブドアの「錬金術」は、今回の逮捕容疑だけではなく、MSCBなどの金融技術から、株価操縦やインサイダー取引に近いものまで、実に多様な手口でやっていることがわかる。しかし、それが違法かといえば、ほとんど前例がないので、よくわからない。

このように「法の抜け穴をつく」というのは、必ずしも悪いことではない。デリヴァティヴなどの金融商品でもっとも利益が上がるのは、規制が多く整合性のない市場である。たとえば債券の利子には課税されるがゼロクーポン債には課税されないという税制の穴があるとすると、ゼロクーポン債などを組み合わせて利付債と同じポートフォリオを複製して税金を逃れる、というように「制度的レント」の鞘取りをするのが投資銀行の大きなビジネスだ。

もちろん行政のほうは、そういう穴をふさごうとするから、やがて利鞘は縮小し、投資銀行は「焼畑農業」のように次の未発達な市場をねらう・・・といういたちごっこによって制度のひずみが是正され、市場が成熟してゆくのである。この意味で「行政の対応が後追いだ」というのは、どこの国でも制度を変更した直後には起こることであり、日本の当局だけがバカなわけではない。

「規制改革がライブドア事件を生んだ」というに至っては論外である。こういう事件を絶無にしようと思えば、昔の護送船団行政のように銀行・証券への参入を禁止し、役所の許可した金融商品しか扱えないという時代に戻すしかないが、それは不可能である。日本はもう金融自由化のルビコン川を渡ったのだから、「原則自由」にして、問題が起きたら迅速に法律やその運用を手直しする、という事後チェックで対応するしかない。

ただ、時には当局の追いつくスピードをはるかに超えて巨額の利益を上げるグレーな業者が出てくる。その意味で今回の事件は、1980年代の米国に似ている。当時、投資銀行ドレクセル・バーナム・ランベールのトレーダー、マイケル・ミルケンが開発した「ジャンク債」によって、ドレクセルはピーク時で年間40億ドル以上の利益を上げ、ミルケンの年収は5億ドルを超えた。これを司法当局がインサイダー取引として摘発し、ミルケンは逮捕され、ドレクセルは倒産した。

しかしドレクセルの事件とライブドア事件を比べてみると、金額のスケールが2桁ぐらい違うばかりでなく、ライブドアのやり方がいかにもせこいのが情けない。彼らはジャンク債のような重要な金融技術を生み出したわけでもなければ、それを使ったLBOのような新しい企業買収の手法を開発したわけでもない。ダミー会社で株を転がして帳簿をごまかす程度の手法しかないようでは、どのみち挫折するのは時間の問題だっただろう。ライブドアの功績は、むしろ日本の資本市場がいかに未熟で、東証のシステムがいかにお粗末かという実態を明らかにしたことだ。
2006年01月30日 10:01
IT

IP放送は放送だ

けさの朝日新聞によると、知的財産戦略本部がIPマルチキャストを「有線放送」と位置づけるように著作権法の抜本改正を提言するそうだ。この提言が実現すれば、「IP放送は放送ではない」という奇妙な状況が解消されそうだ。これはICPFでも提言し、拙著でも書いたことだが、気になるのは免許だ。まさかIP放送にも有線放送の免許を取れというのでは...

以前、知財本部のヒアリングを受けたときも、IP放送の差別扱いをなくすよう主張したら、意外に現場のスタッフ(文科省や総務省などからの出向)は賛成してくれた。彼らは特許については「プロ・パテント」だが、著作権についてはオープンだった。

ただ、IP配信に同意するかどうかは、最終的には権利者の判断である。テレビ局は、地上デジタルの行き詰まりを打開するために再配信を認めるだろうが、権利者の団体は反発しているようだ。所属タレントのメディア露出をコントロールしたい芸能事務所も、大きな「抵抗勢力」である。

しかし包括契約でも著作権料は入るのだから、彼らにとってもプラスになるはずだ。今のように著作権を個別に処理するコストが禁止的に高く、結果的に利用されないのは、消費者にとっても権利者にとっても不幸なことである。
2006年01月29日 10:58
法/政治

監査法人の責任

ライブドア事件の捜査体制が容疑に比べて大げさすぎるという意見は、専門家のブログにも少なくない。証取法158条違反は、懲役5年以下、罰金500万円以下で、過去の判例でもほとんど執行猶予がついているという。エンロンやワールドコムのように経営が破綻したわけでもなく、「偽計」の規模もはるかに小さい。

「風説の流布」というのは、嘘の記者発表で株価を吊り上げたような場合に適用されるもので、今回のように投資事業組合を支配しているという事実を開示しなかったという「不作為」を風説とするのは過去に例がない。同じ証取法でも、159条には「相場操縦」という具体的な規定があるのに、今回それを使わなかったのは、取引の手続きを違法とするのがむずかしいと検察が判断したためだろう。いわば158条は令状をとるための名目で、「ガサ入れさえやれば証拠は出てくる」と踏んで見込み捜査をやった可能性もある。

新聞にはしきりに「本体でも粉飾か」といった観測記事が出るが、これは検察のねらいを夜回りで教えてもらっただけのことで、証拠があがっているかどうかはわからない。少なくとも監査法人は財務諸表に適正意見を出したのだから、彼らが見落としたか、経営陣にだまされたか、それともグルだったのか、のどれかを立証しなければならない。

したがって、エンロン事件でアーサー・アンダーセンが消滅したように、監査法人の責任も追及されるだろう。ライブドアの監査を行っていた港陽監査法人も、家宅捜索を受けたもようだ。これは会計士12人という中小の監査法人で、その代表社員はライブドアの宮内元CFOと共同で「ゼネラル・コンサルティング・ファーム」(通称ゼネコン)という会社を設立した(この会社も家宅捜索を受けたようだ)。

ライブドア・グループの財務は、すべてゼネコンで会計処理され、それを港陽がチェックしていたというから、一連の会計操作を港陽が見落としたということは考えにくく、黙認していた可能性が強い。これはエンロンのときも問題になったように、コンサルティングと監査を同一人物がやるという「利益相反」の疑いがある。

こういう「なれあい」は日本の会社の監査のほとんどに見られることで、この意味ではライブドアもきわめて日本的な会社だったわけだ。今回の事件を「市場原理主義」の結果だとか論評する向きも多いが、粉飾決算は日本企業のお家芸だ。今回はそれが公になっただけ一歩前進である。
2006年01月28日 18:13
法/政治

自由のコスト

世間的には、もう「有罪」の判決が出たようなホリエモンだが、本人はいまだに全面否認で、検察は「100人体制」だという。弁護士や会計士にも「今まで出た話だけで公判を維持するのはかなり大変だ」という意見がある。今回の逮捕容疑である証券取引法第158条とは

何人も、有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引若しくは有価証券指数等先物取引等、有価証券オプション取引等、外国市場証券先物取引等若しくは有価証券店頭デリバティブ取引等のため、又は有価証券等の相場の変動を図る目的をもつて、風説を流布し、偽計を用い、又は暴行若しくは脅迫をしてはならない。

という総論的な規定で、何とでも解釈できる。「風説の流布」は、これまでにも株価操縦にからんで立件された例が多いが、「偽計」のほうはあまり聞いたことがない。検察としては、本来は家宅捜索で証拠を固めて粉飾決算(商法違反)のようなはっきりした容疑で逮捕したかったが、株式市場が動揺したので、早く事態を収拾するためにとりあえず「別件逮捕」したのかもしれない。

問題になっている投資事業組合についても、情報開示義務はないので、その実態を隠していたことは違法ではない。したがって、ニッポン放送株のときの時間外取引と同じように「グレーだが違法ではないと考えた」という主張は、論理的には成り立つ。

こういうホワイトカラーの犯罪でむずかしいのは、「意図」の立証である。単なる過失ではなく「偽計」だとするためには、「相場の変動を図る目的をもつて」行ったという故意の立証が不可欠だからだ。エンロン事件の主犯Skillingなどは、証拠固めに4年以上かかり、初公判はこれから始まるほどだ。こういうとき、英米法では司法取引で内部の協力者を使うが、日本ではそれはできない。

そもそも証取法違反ぐらいの事件に検察が出てくるのがおかしい。証券取引等監視委員会は何のためにあるのか。「日本の経済犯罪についての捜査の武器は、ダンビラ(刑事訴追)しかないので、執行するほうも慎重になるし、一罰百戒しかできないので、結果的に残りの九九は見逃されてしまう」と捜査関係者は嘆いていた。

本来は、米国のSECのように日常的に取引を監視し、徹底的な情報開示を求めるしくみが必要だ。SECのスタッフは証券監視委の10倍以上いるが、この分野だけは「小さな政府」の例外である。本質的な行政改革とは、人減らしではないのだ。Rajan-Zingalesも指摘するように、資本市場の健全性を守る仕事には膨大なコストがかかるが、それは必要な「自由のコスト」である。
2006年01月27日 21:11
IT

ボーダフォンの世界戦略

Economist誌によれば、かつて携帯電話で世界を制覇する勢いだったボーダフォンが、世界戦略の見直しを迫られている。これまで、固定網をもたないで携帯だけに特化してグローバルな「規模の経済」を追求してきたが、米国と日本でつまずいた。

米国ではVerizon Wirelessに45%出資したものの、その方式はボーダフォン(GSM)とは違うCDMAのまま。日本ではGSMが使えないので、日本向けの端末を開発するなど、規模の経済が生かせない。大口株主は、日米の現地法人を売却してGSM地域に特化することを求めている。日本から撤退するかもしれない。

また次世代のサービスの焦点が、トリプルプレイとFMCを合わせた"quadruple play"(固定電話・携帯電話・データ・映像)になろうとしているなかで、携帯のみに特化する戦略では展望が見えない。ましてこれらのすべてがIPになるとき、今の電話網ベースの技術では対応できない。

たぶん、これらの要求をすべて満たす技術の候補はWiMAXだが、これが実用化するには、あと3、4年はかかるだろう。W-CDMAなどという中途半端な技術にコミットしないで、しばらくはGSM(GPRS/EDGE)を延命させて様子を見よう、というのが現在のボーダフォンの方針のようだ。
2006年01月26日 13:12

Saving Capitalism from the Capitalists

Rajan-Zingalesの新著の訳本が出た。邦題の『セイヴィング キャピタリズム』では何のことかわからないが、原題は「既得権益を守ろうと金融市場への規制を求める資本家から自由な資本主義を守る」という意味である。

「グローバリズム」が伝統を破壊する、という類の議論は俗耳に入りやすい(『国家の品格』もその一例)。しかし実際の統計をみれば、自由な金融市場が機能するようになったのは、ごく最近(1980年代以降)であり、それも英米など一部の国に限られる。日本やドイツでさえ、自由とはほど遠い。国際金融市場は脅威どころか、むしろ努力して維持しなければ機能しない脆弱な制度なのである。

著者は2人ともシカゴ大学の教授(Rajanは昨年からIMF)だが、彼らはフリードマンのように自由な市場を前提とするのではなく、むしろ市場の基盤となる財産権の保護がいかにして成立するかといった「制度」の問題を理論的・歴史的に分析している。これはHartやShleiferなどのハーヴァード学派の立場に近い。「ケインジアン対マネタリスト」などという対立は終わり、制度の研究では学界全体にコンセンサスができつつあるように思われる。

また問題を市場と政府の二分法ではなく、既存業者との関係で論じているのがおもしろい。これまでの経済学では、政府は「市場の失敗」を補正するvisible handだが、本書では既存業者の意を受けて規制によって新規参入を妨害する(Shleifer-Vishnyのいう)grabbing handである。そして、こうした既得権益共同体を崩壊させる「蟻の一穴」がグローバルな市場からの圧力である。改革には「外圧」が一番だというのは、日本だけではないらしい。
2006年01月23日 23:51
IT

通信・放送懇談会

竹中総務相の懇談会の第2回会合が開かれた。松原座長によれば、「通信・放送のビッグバンをやろうとしている」のだそうである。その方針は結構だが、「NHKの業務範囲」とか「二元体制を守る」といった業界的な議論ばかり先行すると、このblogでも書いたように、不毛な垣根論争に迷い込みやすい。

ビッグバンに必要なのは、業界の縄張り争いではなく視聴者の立場から考えること、既得権をどういじるかという発想ではなくゼロベースで考えること、そして「原則規制」から「原則自由」に180度転換することだ。「公共放送」が必要だとしても、その担い手が「官営放送局」である必要はない。「民間にできることは民間に」という小泉政権の原則を忘れないでほしいものだ。
2006年01月22日 20:42
メディア

サーバー型放送

けさの日経新聞によれば、「サーバー型放送」が2007年度から始まるそうだ。不可解なのは、これがHDDレコーダーに番組を蓄積して見るのとどこが違うのかということだ。記事に出ている表でも、違うのは「メタデータ」をつけるかどうかだけである。

メタデータなんかなくても、今のHDDレコーダーがやっているように、テレビの番組表をデータとして持っていれば、番組予約も検索も容易にできる。すべての番組をサーバで一括して録画し、あとから再生するというしくみは、録画ネットやクロムサイズのシステムと同じだ。彼らを違法だと訴えたテレビ局が、みずから同じビジネスを始めるとはどういうことなのか。

しかも、またもや総務省の指導のもとにコンソーシャムをつくってメタデータを標準化し、「専用受信機」を開発するという。専用機なんか使わなくても、普通のHDDレコーダーで十分である。たとえば、ソニーのVAIO Xなどは1週間の全チャンネルの番組を蓄積できる。こうなればリアルタイムで「放送」する必要はなく、映像を圧縮したままインターネットでファイル転送してHDDに蓄積すればよいのだ。
2006年01月21日 17:13
経済

経営者のヘロイン

ライブドア事件は、米国のエンロン事件とよく似ている。企業買収→株価の値上がり→株式交換が有利になる→さらなる企業買収・・・という悪循環によって株価が過大評価され、最後はその株価に見合った業績を「創造的会計処理」で作り出す。その道具としてエンロンの利用したのがオフバランスの特別目的会社であり、ライブドアの場合は投資事業組合だったわけだ。

これは特殊な犯罪的企業だけの問題ではなく、株価が過大評価された企業には起こりがちな「エイジェンシー問題」の一種である、とJensenは論じている。こうした株価操作は、一度手を染めると、その結果として生じる株価の値上がりを正当化するためにさらに大きな嘘をつかなければならない「経営者のヘロイン」である。

この麻薬を撲滅することはむずかしい。それは古典的なバブルのように市場全体で起こるとは限らず、ライブドアのように特定の(株価を意図的に膨らませている)企業に限って起こることもあるからだ。しかし、それを見分ける方法はある。経営者がメディアの有名人になって「世界一の会社になる」などと大言壮語するのは、悪い兆候である。
2006年01月20日 18:06
IT

NHKのガバナンス

NHKの経営計画案が、来週発表される。その内容は、去年の「新生プラン」の延長上で、経営委員会のなかに「指名委員会」を作るなど、「企業統治」を強化するのだそうだ。民間企業の「委員会等設置会社」にならったものだというが、いくら委員会ばかり作っても、経営陣が劣悪だと役に立たないのは、ソニーをみればわかる。

肝心の受信料については、学生に割引するなど細かい話ばかりで、制度そのものを見直す気はないらしい。竹中懇談会のテーマになりそうな「電波の整理」についても、やめる方向で検討しているのはFMの文字放送だけだという。このように最初から枠組みをせばめてしまったら、思い切った改革などできっこない。問題は一部のCPの着服ではなく、見ても見なくても徴収される受信料という奇妙な制度への不信が高まっていることなのだ。

企業統治を論じるなら、まず検討すべきなのは、予算に国会の承認を得る「特殊法人」という経営形態である。これが変わらないかぎり、政治家に弱みを握られ、海老沢氏のような「国会対策」のプロが実権を握ることは避けられない。たしかに小泉首相のいうように、2001年の閣議決定ではNHKを特殊法人のままとすることになっているが、これは省庁の再編にともなって特殊法人を民営化したり独立行政法人に移行したりしたときのものだ。その省庁の再々編も議論するというのだから、わずか4つだけ残った特殊法人の形態を見直すのは当然だろう。
2006年01月17日 20:30
IT

シンポジウムのお知らせ

第2回ICPFシンポジウム「通信と放送の融合:その真の姿を求めて」

通信と放送の融合が話題になっている。地上波テレビのデジタル化が進むにつれて、通信網を通じて放送コンテンツを送信することが、計画の補完手段として注目されるようになってきた。一方、通信事業者を中心に、ビデオ映像のオンデマンド配信がビジネスとして動き出している。情報通信系企業と放送系企業の間で買収合戦も起きている。これらさまざまな動きを説明するキーワードが「通信と放送の融合」である。

しかし、この言葉は、語る人によって別の意味で用いられているようだ。それを反映するかのように、「通信と放送の融合」が作り出していくであろう未来の姿も、人によってイメージが異なっている。このシンポジウムは、各界の識者の意見を戦わせることで、「通信と放送の融合」の真の姿を明らかにすることを目的とする。

主催:情報通信政策フォーラム(ICPF)
後援:日本経済新聞社
場所:日経ホール 
   東京都千代田区大手町1-9-5 日本経済新聞社8F(地図
月日:2006年2月22日(水)
入場料:無料
入場希望者は、info@icpf.jpまで電子メールでお申し込みください。先着順で締め切ります。

プログラム:
12時40分:開場
13時05分:総合司会兼趣旨説明 池田信夫(ICPF事務局長)
13時10分:講演1 松原聡(東洋大学教授、通信・放送の在り方に関する懇談会座長)
13時35分:講演2 林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学副学長)「通信と放送の融合と法制度」
14時00分:休憩

14時15分:パネル討論
  モデレータ:山田肇(東洋大学教授)
  パネリスト:
   鈴木祐司(NHK解説委員 兼 放送文化研究所主任研究員)
   関口和一(日本経済新聞社産業部編集委員)
   中村伊知哉(スタンフォード日本センター研究所長)
   西和彦(尚美学園大学教授)
   藤田潔(情報通信総合研究所代表取締役社長)
   宮川潤一(ソフトバンクBB常務取締役)
  パネリストの発表(各8分)
  討論(各20分ずつ3テーマ程度)
   テーマ1:通信と放送の融合は誰のビジネスチャンスか
   テーマ2:通信と放送の融合の隘路は何か、どう解決するか
   テーマ3:通信と放送の融合と公共性、言論の自由
16時15分:閉会
2006年01月16日 23:10
IT

ロングテール

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CNETの森祐治さんのブログに、おもしろい指摘がある。Googleなどの広告は、従来のマス・マーケティングとは違い、「ロングテール」と呼ばれるカーブの裾野の部分を対象にしているのだという。これは、このブログでも取り上げた「ベキ分布」のことである。

ベキ分布の特徴は、横軸に商品を売れる順に並べ、縦軸にその売り上げをとると、裾野が長いということだ。左端のピークの部分がマス市場だとすると、裾野の部分はニッチ市場だが、この部分がきわめて長いと、その面積がマス市場を上回ることもある。この話題のきっかけとなったWiredの記事によれば、普通の本屋の在庫は最大でも13万タイトルだが、アマゾンの売り上げの半分以上は上位13万タイトル以外の本から上がっているという。

マス・マーケティングでは「20%の商品が売り上げの80%を稼ぐ」といわれるが、これはロングテールの途中で取引費用が売り上げを上回り、尾っぽが切れてしまうためだ。インターネットでは、取引費用が極度に小さくなるため、この尾っぽが果てしなく長くなり、その部分から上がる売り上げが大きくなるのだ。この尾っぽの部分に顧客を誘導するのがアマゾンの「おすすめ」である。

これがインターネットにおけるマーケティングがマス・マーケティングと決定的に異なる点であり、eBayやGoogleのAdSenceが成功した原因である。これから「通信と放送の融合」が進む際にも、インターネットではテレビのような大衆的な番組よりもマニアックな(少数の人に強く支持される)番組のほうが成功するだろう。
2006年01月15日 16:07

国家の品格

数学者の書いた国家論(?)がベストセラーになっているというので、読んでみた(新潮新書)。感想としては、これが売れる理由はよくわかるが、教えられることは何もない。「グローバリズム」を批判して日本の「伝統」を大事にすべきだ、という類の議論は、目新しいものではない。珍しいのは、数学者が「論理よりも情緒が大事だ」と論じていることだが、これも中身は「論理の無矛盾性は仮説が真であることを保証しない」という常識論だ。

この種の議論の弱点は、「市場原理主義」が悪だというなら、それよりよい制度とは何か、という対案がないことだ。著者が提示する対案は、なんと「武士道」だが、それは新渡戸稲造の近代版であって、現実の武士が武士道にもとづいて行動していたわけではない。

数学についての議論はおもしろいが、専門外の問題になると馬脚をあらわす。経済学を批判している部分などは、ハイエクやフリードマンを「新古典派の元祖」とするお粗末さだ。致命的なのは、タイトルに「国家」と銘打ちながら、国家についての考察が欠けていることだ。著者が理想化する「品格ある国家」とは、プラトン的な「賢人政治」だが、そんな国家は歴史上どこにも存在したことはない。

要するに、著者が数学者であることを除けば、フジ・サンケイ・グループの雑誌によくある「床屋政談」にすぎない。ただ著者は新田次郎の息子だけあって、文章は読みやすく、ユーモアもある。オジサンが電車のなかで読むにはいいかもしれない。

追記:この記事は、グーグルで「国家の品格」で検索すると、第6位に出てくる。反響にこたえて、4月3日8日の記事でも本書について書いた。
2006年01月12日 00:40

電波利権

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拙著が刷り上がり、アマゾンにもエントリーした。都内では、週末には本屋に並ぶだろう。タイトルは、ちょっと悪趣味かもしれないが、帯のキャッチフレーズ(私が決めたのではない)はもっとどぎつい。

店頭のポップには「NHKは民営化できる!」と銘打つそうだから、時節柄、数万部ぐらいは売れるかも知れない。『バカの壁』の1割でも売れてくれれば、今年は遊んで暮らせるのだが...
2006年01月11日 15:28
法/政治

1970年体制の終焉

「情報通信省」の話は、見る見るうちに中央省庁全体の再々編に発展し、来週出される自民党の運動方針案にも急きょ盛り込まれることになった。1999年に再編したNTTの再々編に和田社長が「時期尚早」だとかいっているのに、2001年の省庁再編をもう見直すというのだから、今や自民党のほうがスピード感がある。

これに対しては「朝令暮改だ」という批判も当然あるが、ドッグイヤーのIT業界では、朝令暮改を恐れていては何もできない。政治的にも、かつて橋本政権で行われた省庁再編を台なしにした郵政族が壊滅した今こそ、総務省を解体して津島派(田中角栄以来の利権集団)をたたきつぶそうというのは、郵政民営化の続きとしては一貫しているともいえる。

その再々編を実行することになるのは、下馬評によれば安倍晋三氏になる可能性が高い。彼が岸信介の孫であることは、偶然ではない。これは1970年代から旧田中派によって築き上げられた「大きな政府」路線を否定し、自民党を岸に連なる「保守本流」の路線に引き戻すことに他ならないのである。

「1970年体制」という見方は、かなり前から奥野正寛氏などの経済学者によって提唱され、原田泰氏は『1970年体制の終焉』(東洋経済)という本も書いている。去年、話題になった増田悦佐氏の『高度経済成長は復活できる』(文春新書)も、田中型の「弱者救済」政治が日本の成長率を低下させたという議論だ。

そしてバブルの崩壊とともに1970年体制が終わる、という見通しも彼らに共通している。しかし、それに代わる「2005年体制」(?)はどんな時代なのだろうか。まさか「高度経済成長」ではないだろうが...
2006年01月10日 15:14
IT

通信・放送のビッグバン

NTTドコモがフジテレビに出資した。といっても、その比率はフジテレビ全株式のわずか2.6%である。こういうのを出資というのだろうか。この原因は、NTT(グループ)が放送局に出資する比率を3%以下に制限する「3%ルール」があるからだ。ところが、この3%ルールは、総務省のホームページを検索しても見つからない。法令にもとづかない口頭の「行政指導」だからである。

この背景には「巨大なNTTが放送に進出してきたら、資本力の弱い放送局は呑み込まれてしまう」という放送業界の危機感がある。2001年末にIT戦略本部が「通信・放送の水平分離」を打ち出したときにも、民放連や新聞協会は「抗議声明」を出してこれを阻止した。通信と放送の「垣根」は守る一方、コンテンツとインフラの「分離」は許さないというのが、放送業界の主張である。

他方、NHKのインターネットへの配信にも「1週間以内のニュース・教育・福祉番組に限る」という(同じく法的根拠のない)「ガイドライン」がある。このため、NHKのアーカイブにある(オンラインで提供可能な)180万本もの番組のうち、インターネットで提供されているのは1%にも満たない。こいう規制を要求したのも、NHKと番組内容で競争できない民放連だ。

こういう話は、どこかで聞いたことがないだろうか。金融関係者なら、1980年代の金融制度調査会で似たような論争があったことを覚えているだろう。1984年に日米円ドル委員会で金融自由化が決まったあとも、業界は自由化を銀行と証券の「垣根問題」ととらえた。とくに証券業界は、巨大な資金量とメインバンクとしての強い影響力をもつ銀行が証券業務に進出するのを恐れ、「興銀証券」の名前に「銀」の字を入れるかどうかといった論争を延々と続けていた。

日本でそんな縄張り争いをしている間に、世界では金融技術の急速な発達によって、銀行と証券の垣根がなくなる一方、金融仲介機能と決済機能の水平分離(アンバンドリング)が進み、日本はすっかり取り残された。そのあげく、自由化された大口定期預金の高コスト資金を持て余した銀行は不動産融資にのめりこみ、バブルの発生と崩壊によってファイナンス(金融・証券)業界全体が沈没してしまったのである。

似ているのは、それだけではない。ファイナンス業界にこうした構造変化が起こったのは、オプションなどの派生証券(derivatives)によってすべての金融商品の機能が実現できるようになったからだ。通信・放送業界で派生証券に似た役割を果たしているのがIP(Internet protocol)である。コンテンツをIPのパケットにカプセル化すれば、どんなインフラでも通るので、通信と放送の垣根はなくなり、コンテンツとインフラは自然に水平分離されるだろう。

類比がここから先も続くとすれば、「竹中懇談会」でも3%ルールやNHKのインターネット配信規制などをめぐって不毛な垣根論争が繰り返され、通信も放送も世界の流れに取り残されるかもしれない。それを避けるには、規制を全面的に撤廃する「ビッグバン」を行い、行政は民間のビジネスに介入しないでルール違反を取り締まるだけの機能に縮小するしかない。

かつて英国では、サッチャー政権によって1986年にビッグバンが行われたが、橋本政権で「日本版ビッグバン」が始まったのは1996年である。この10年の差が、ファイナンス業界の競争力に決定的な差をもたらした。日本でも、必要なのは通信・放送の利害調整ではなく、ビッグバン的な抜本改革である。


2006年01月09日 14:21
法/政治

情報通信省?

冬になると出てくるお化けというのがあるのかどうか知らないが、昨日から話題になっている「情報通信省」という話は、ちょうど2年前の1月にも出て、すぐ消えてしまったものだ。これは、さらに1997年の行革会議にさかのぼる。「橋本行革」も、もとは通信と情報(コンピュータ)を別々の官庁が所管しているのはおかしいというところから始まったのだが、二転三転したあげく、官庁をまるごと合併して看板をかけかえただけで終わってしまった。今度は、その轍を踏まないように「官邸主導」でやろうということらしい。

たしかに、今の「勢い」のある小泉政権なら、「情報通信省」ぐらいはできるかもしれない。しかし、これは間違った方向である。私も2年前のコラムで書いたように、日本はもう発展途上国ではないのだから、情報通信を振興する役所なんていらないのだ。必要なのは、電波政策など最小限の規制だけで、これはFCCのように独立行政委員会にしたほうがよい。通信・放送を独立行政委員会で規制していないのは、OECD諸国のなかでは日本と韓国しかない。

各国で通信・放送の規制を独立行政委員会で行うのは、特に放送局を官庁が所管すると言論・報道の自由が制約されるという理由もある。日本でも、GHQの命令で1950年に「電波監理委員会」が独立行政委員会としてつくられたが、占領体制が終わると、1952年には廃止され、通信・放送は郵政省(当時)の直轄になってしまった。

最近でも、USTRの出してくる対日要求の第1項目は、ほとんど毎年、「通信・放送規制の独立行政委員会への移管」である。総務省はいつも、この第1項目は無視し、そのかわり第2項目以下の「NTT接続料の引き下げ」などの要求には一生懸命に対応してきた。しかし、郵政民営化で現業部門が切り離され、郵政族も「小泉劇場」で蹴散らされた今となっては、総務省もいつまでも抵抗していられないだろう。

率直にいって、今の郵政三事業を民営化するかどうかよりも、通信と放送が過剰に規制され、官庁が時代遅れの「産業政策」によって業界をミスリードしている問題のほうがはるかに重要である。アナログ人間の小泉首相は、この種の問題に興味がないので、これまで放置されてきたが、今や「影の首相」ともいわれる竹中氏がトップダウンでやれば、「日本版FCC」も可能かもしれない。
2006年01月07日 15:20
IT

Google Video

Googleのビデオ・オンデマンド・サービスGoogle Videoが始まった。まだベータ版で、アマチュア・ビデオしかないが、今後はCBSの番組やNBAのバスケットボール中継なども行うという。

おもしろいのは、そのビジネス・モデルだ。これまでのVODサービスは、プラットフォーム側が権利関係を処理し、料金を決める「卸し―小売り」モデルだったため、ややこしい著作権の処理がボトルネックになっていた。これに対して、Google Videoはサイトを提供するだけで、権利処理や料金設定は各コンテンツの提供者にゆだね、プラットフォーム提供の手数料でもうける「直販」モデルである。

これは、いわばeBayの動画版で、著作権者に「自己責任」で配信させることで、権利関係の問題を巧妙に避けている。日本でも、こういう方式でやれば、VODに意地悪しているテレビ局も動かざるをえなくなるかもしれない。
年賀状は(返事以外は)出さないことにしているので、このブログでごあいさつ。

去年の最大の収穫は、博士号をもらって論文が出版できたことだった。今年は、1月15日に『電波利権』(新潮新書)を出す。著述業としては順調な1年だったが、学問的にはあまり進歩がなかった。今年は、ちゃんと勉強して学術論文を書きたい。

政策的には、竹中総務相の懇談会で、ようやく通信と放送の融合が国家的なテーマになりそうだ。ただ小泉首相が「NHKは民営化しないと閣議決定した」と発言するなど、官邸の腰が引けているのが気になる。


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