2010年06月07日

[新内閣]民族問題が増幅する一方で…!

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排外主義に基づき−、

外国人に奪われ続ける状況を即座に止めよ!

さもなくばさらに奪われ続ける状況を日本人が痛感するまで一気に加速させよ!

 最近、思うこと。
 言うまでもなく、異様な数の外国人が日本の社会形態まで著しく変容させてしまうことを肌身に感じる。

clip_image001 6月7日よりいよいよ新首相・菅直人による内閣が発足。
 しかし、民主党の誰が総理になるにせよ、また仮にこれが自民党政権であったとしても怒涛の如く雪崩れ込む外国人の流入には歯止めがかからないことは事実だろう。それが急速に進むか、やや緩やかになるかの違いはあるとして。

 先ごろ、毎日新聞の報道で定住外国人の増加に伴ない、日本の公立学校への外国人児童が増加していることが報道されていた。
 しかしながら、語学力に問題がある場合は下の学年への編入・留年を希望する外国人児童が多く、これを容認した文部科学省の基本方針や実際に編入・留年を認めた自治体・学校を例に、外国人児童の受け入れには慎重姿勢を崩さない自治体へ柔軟姿勢を求める同省の見解を掲載。

 まことに由々しき事態と言うべきだろうが、小中学校など義務教育課程でも既に義務教育年齢を超えた外国人児童が在籍している学校も実在するのだという。

 まず大前提として日本の政府および社会には何ら責任はない。
 それでも児童の権利とやらに配慮してか、何ら為す術を持たない日本政府(文部科学省)は最初から腰砕けでマスコミもそれに便乗、あたかも日本の公立校に通学そして卒業出来なかった外国人児童が被害者であるかのような前提で物事を伝えている。

 似たような問題として、支那人(中国人)留学生のケースが挙げられよう。
 奨学金から豪勢な留学生宿舎まで彼ら支那人が日本政府から手厚い庇護を受ける一方で、肝心の日本人苦学生が不況下で親がリストラや失業の憂き目に遭う中、何らの補償も受けられない。
 今や外国人留学生の中で最多を占める支那人だが、支那人留学生一人が来日することで日本人一人が進学・卒業までの学業継続を断念していると考えたほうが良いだろう。

 既に凄まじい数の外国人の日本社会への進出(侵出?)によってその概念は著しく変容させられているが、やがて日本社会に出るであろう外国人児童や外国人留学生によってさらにその傾向が強まることが今日の教育現場での混乱に示されているではないか。

 こうした状況下にあって本質的に日本国を日本国民、日本人、日本民族のものであるとの概念で捉え、国民生活を守ることを問わない既成政党が如何なるマニフェストを掲げて参院選を戦おうと、私は特段に肩入れする気にはなれない。

 保守再生の要と言われる政治家の街頭演説や集会に参加して厳正な外国人との区分け(排外主義)が説かれているか? 
 保守系オピニオン誌とされる『SAPIO』に拉致問題は書かれていてもその元凶であり問題解決の突破口とも言うべき在日朝鮮人(在日特権)問題が書かれているか?
 高名な保守系知識人の著書を読んで「行動」を起こそうという気になれるか?

 自身のブログを読み返していたほうが余程ためになる…とまでは思わないとしても、同志である極右ブロガーらがインターネット上で発進する情報を読んでいたほうが余程ためになると思える昨今だ。

為政者らの国家像を問う!

clip_image002 前置きがすっかり長くなってしまったが、そのような中で日本再生のキーワードとは何かを自問自答している。

 とりわけ大きなところでは外国籍のまま選挙権を認めたり、不必要に外国人の権利を増幅させる反日法案として、何かと「外国人参政権法案」「人権擁護法案」または「国籍取得の簡略化法案」などが取り沙汰される。
 これらはいずれも右派・保守派にとって断固阻止すべく共通のテーマと言えるだろう。
 
 だが現状、一つや二つの法案を阻止したところで怒涛の如く押し寄せる外国人の流入を塞き止めることは出来ないし、今、日本にいる不逞外国人が減るとも思えない。
 法案・立法とは凄まじく長い視点で見れば後から改正または廃止にすることはいくらでも可能なものであり、日本と日本人の将来にとって一つの世紀をかけて問うべき問題とは言えず、従って私は所謂反日法案というものにさほど拘りを持つべきではないと考えている。

 ところが、支那人はじめ外国人など人という問題は一たび受け入れてしまえばこれを追い出すことはもはや不可能に等しいことは移民問題に悩むヨーロッパ各国然り、在日朝鮮人という民族問題を抱えてしまった日本の今日の状況が物語っているではないか。

 そこに前述のような様々な法案・制度化による庇護が付随してくるものであり、この脅威を取り除くとすれば現行の法制度の運用を改め、排外的ナショナリズムに基づいた法制度の運用を行なう以外にない。

 詰まるところ日本人のナショナリズム再興は外国人に全てを奪われる(奪われた)、それを取り戻せとする国民・民族として根源的な欲求に基づくべきものである。

 勿論、そうした状況がまったく無いのであれば何も敢えてつくり出す必要はないが、既に現実のものとしてそうした事態が起きているのである。

 先例として挙げたように支那人留学生の存在があるが、近い将来、大学に進学・在学するのは支那人ばかりで、日本人は中卒や高卒止まりという構図さえ定着しかねない。
 東京都内の某所で新築の高級マンションへの入居が始まった。親子・家族で入居するのは欧米系外国人ほか支那人ばかりで日本人の姿は目立たない。そこら辺りでは食べるものも良いのか、恰幅が良いのも外国人ばかりである。

 こうした所々で表面化している構図は、そう遠くない将来の日本社会の縮図と言えるのではないか。

:お知らせ

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 昨今、特に近隣での不法滞在外国人問題の情報が寄せられています。

1a6d1f72 私どもNPO外国人犯罪追放運動はこれまで「警察や入管は敷居が高い」「時間的または状況的に行きにくい」という方々に代わって入国管理局への情報提供や行政相談に度々赴きました。
 今後こうした行動をより活発化且つ充実化させますので、皆さまの身のまわりで見聞きした素行不良な外国人に関する情報がありましたら氏名から国籍、年齢、犯罪歴、住居など可能な限り情報をお寄せ願います。

E-mail:tuihouundou@gmail.com

※ちなみに入国管理局への情報提供はこちらで
入国管理局 情報受付サイト
http://www.immi-moj.go.jp/zyouhou/index.html


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Posted by samuraiari at 00:45│Comments(3)TrackBack(0)この記事をクリップ!講座 排外主義 

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この記事へのコメント
●解国主義と亡国主義

今の日本政府とは、開国主義でもなく、国際主義でもなく、「解国主義」であり「亡国主義」である!

「解国主義」とは何か? といえば、国を解体したい(「解国」)と考える発想のこと、である。

そして、この「解国」はそのまま「亡国」(国の滅亡)へと至る道であるが、それが「開国」であり「国際化」である、と妄想しているのが現在の日本の政治を仕切っている政治家と、その政治家を選んでいる多くの「国民」という「GHQカルト=マッカーサー教」の信者たちなのであり、そのカルトの聖典こそが「日本国憲法」と題されている「解国教典」なのであり、それを未だに金科玉条のごとく護って滅亡への道をひた走っているのが戦後日本の政治なのである。

「非戦、平和、人権」という、その実「戦いません(独立放棄)、争いません(屈従)、何でも誰でも受け入れます(放任無秩序)」のお題目である「戦後思想・戦後教育というカルト信仰」から、未だに抜け出せないでいるGHQカルト・マッカーサー教の信者の群れ、のなれの果ての姿、がこれである。

しかり、池田「創価王国」のモデルこそ、「平和憲法」なる似非カルト教典で、占領体制を「非戦、平和、人権」の理想郷(ユートピア)と信じ込ませたGHQ「マッカーサー王国」であり、その教義こそ「解国主義」であった!
Posted by 松本英志 at 2010年06月07日 05:26
「いはゆる(保守系オピニオン誌)」なんて、アヘンみたいなものだ。





敵と闘わなければ、“一億総奴隷”になってしまう。
“行動する運動”とは、日本民族の生存闘争である。
であればこそ、日本人は強くあらねばならない!!
Posted by ナルセ at 2010年06月07日 08:59
だいたい、語学力欠如の外国人の存在自体は大なる問題です。日本に鎮座するのは向こうの勝手なんですから、外国人の方で自ら、そのように準備するのが当然でしょう。そんな事にまで公費を費やされなくてはならない筋合いがあるのでしょうか。
そうでなくても、連中の存在が我が国にとって不可欠な存在と言う訳でもありますまい。ただ、連中の側にとって日本が不可欠と言うだけに過ぎません。そう考えれば、連中の側から私費を投じてなさねばならない事くらいは常識でしょう。
国籍法改悪の時にも、不道徳をなしても得になると言う前提があるからこそ大問題なのであって、その他の諸問題に関してもいんちきや不道徳や怠慢をなしても得にならない厳しい内容であったならばと思います。
要するに、我が国は外国人受け入れに関して、いんちきや不道徳や怠慢に対して甘いです。まず受け入れありきで、そのためにはいんちきや不道徳や怠慢が見過ごされてきています。
Posted by DUCE at 2010年06月07日 10:15

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