高木マニア堂

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180:減量に泣かされた若き日の狂虎シン

スポーツ2010年06月06日 09:00 | フォルダ : 

関連キーワード :プロレス東スポアントニオ猪木ジャイアント馬場タイガー・ジェット・シン

<2008年12月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 どんな大物選手とて、一介の若手として、師匠から厳しく鍛え抜かれた時代がある。

 今回は、今もなお「インドの狂虎」として恐れられるタイガー・ジェット・シンが41年前、昭和42(1967)年12月22日付の本紙に、未来日の無名選手「ヒンズー・ハリケーン」として紹介された記事を発掘してきた。

 シンこと、ハリケーンは「カナダで育つ〝インドの飢えた虎〟ヒンズー・ハリケーンの正体」「〝闘聖ガマの後継者〟豪語」「アトキンスが飼育 大ボス、タニーもあと押し 二年目でカナダタッグ王座奪取」「前途洋々の25歳」などの見出しとともに大々的に紹介されている。

 インド相撲とアマレスで、みっちり格闘の基礎を身につけたハリケーンは単身でカナダプロレス界の大ボス・フランク・タニー氏のもとを訪れ「グレート・ガマ(インド伝説のレスラー)のような無敵のレスラーになってみせる」とタンカを切った。一目でシンの素質を見抜いたタニー氏は、友人であり、また厳しい指導者としても知られるフレッド・アトキンスにハリケーンを預ける。

 アトキンスは、言うまでもなくジャイアント馬場さんの海外武者修行時代の師匠。他にもアドリアン・アドニスの師匠としても知られ、マット界の名伯楽として名高い人物だ。時期的に考えると、アトキンスは馬場さんが日本に帰国した直後から、この若きインド人の指導をスタートしたことになる。

 タニー氏の事務所でハリケーンと初めて対面したアトキンスは「太り過ぎだ。ウエートは?」と質問。「132㌔です」と答えたハリケーンに対して「20㌔はゼイ肉だ。もっとスマートになるんだ」とピシャリ。

 出会ったその瞬間から20㌔の減量を厳命されたハリケーンは毎朝、クリスタルビーチの砂浜を13㌔以上も走り込み、さらに徹底したウエイトトレーニングと、週平均6試合にも渡る実戦をこなし続け、1年間で計10㌔の減量に成功し、123㌔となった。

 ところがアトキンスは甘くない。1年前の20㌔減量指令を全く忘れておらず「あと10㌔は余計だ」と、またもやピシャリ。翌日から、さらにトレーニング内容は厳しくなったとされる。結局、ハリケーンは計2年間でアトキンス指令を達成し、計20㌔の減量に成功。同時にプロレスラーとしての実力を高めた。

 この記事には、首から約40㌔ものプレートをブラ下げトレーニングに励む若きシンの写真が掲載。ボディビル系とは違う、実に実践的な格闘家として理想的な体型を誇っている。シンが生涯のライバル・アントニオ猪木を襲撃するのは、この記事から6年後のことだった。

 現在64歳。同世代の選手と比べて、明らかにシンが元気一杯なのは、この頃に鍛え抜かれた〝貯金〟がモノをいっているのだろう。

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高木圭介のプロフィル 昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
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