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■ 2010.06.06 (Sun)  メカニカル・ドーピング その2 / 報道の反応
メカニカル・ドーピングという言葉を初めて聞いたのは、パラリンピックのときだったかと思う。

義足の性能の差で不公平が生じるということで、パフォーマンスがかなり向上する類いの義足を使った場合、ドーピングと見なされる危険性が指摘されていた。

でも、体の一部である義足にそうした違反行為の用語を結びつけることに違和感があって、個人的には、それはちょっと手厳しいな、と思った。

その一方で、確かに義足の優劣が結果に反映されることは十分あり得る話で、資金が限られている選手が不公平感を抱くことはあるのかもしれないな、とも。

但し、今回取りざたされているメカニカル・ドーピングは、また別の次元の話。


実際、こんな意見が届いている:

『機材のインチキはスポーツの精神に全く反します。(HNさん)』

彼は、薬よりもさらに機材ドーピングの方が、ある意味人の道にもとる、と指摘している。

”人間の潜在能力”を高める薬に対し、あくまで脇役である機材の性能を高めるのは、もっとタチが悪いというわけだ。


フランスのTV(TV5monde)を契約しているkzさんは、もしもパリ〜ルーベとフランドル一周で、カンチェッラーラがバイク交換をしていなければ、バッテリーがもつわけないから、と噂を否定する気持ちになれたものの:

『カンチェ、2回とも途中でバイク変えてるんですよね…
でもエイプリルフールのネタのようにも感じるし、難しいんですが。』

というコメント。


うちのツーレは、あのYOU TUBEの映像で論じられている仕組みを見て、やっぱり信じられない、と言っている。


私は先に述べた通り、フランドルのパヴェをスイスイのぼっていくカンチェッラーラと、パヴェを得意とするボーネンのあの喘ぎ方の差を見て、どうなんだろう?という感じ。

ただ、プロトンの選手たちがあれだけの力の差を見ても、別になんとも思わなければ=才能ある人がトレーニングすればあのぐらいになることもあるさ的な見方をするのであれば、それはそれで傍観者がとやかく言うことではないのだろうけれど。

実際、現役ロード選手はあれを見て、別に普通、と思うのか、やや異常と思うのか、どっちだろう?


とりあえず、ものとして競技用モーター内臓自転車が完成していても、レースで使われた証拠はあがっていないのだろうから、すでにやっている選手がいる、いないの話はとりあえず置いておくことにして。
ただ、そういうことを考える製造業者がいることだけは確かなわけで。

となれば、将来のために手を打つことは必要だろうし、この騒ぎがきっかけでUCIが対策に乗り出すことで、抑止力になればいい。

■ 2010.06.05 (Sat)  メカニカル・ドーピング疑惑が取りざたされる中、あのシーンが語りかけるもの
--最初は、まさかカンチェッラーラに限って、とスルーしていたメカニカル・ドーピングの話題。

電動アシストモーターが中に取り付けられたバイクが存在するという。
そして、それをカンチェッラーラが使っていたのではないかと。

YOU TUBEで、実際にモーター付きの自転車を前にカッサーニが機能を紹介するシーンを見たけれど、それでも心動かされることはなかった。
市場に存在する、イコール トッププロが使う、ということではないのだし。

でも、これ(別のYOU TUBE映像)を見たら、自分の中で、もはや完全に否定することは難しくなった。


今年のフランドル一周。
ボーネンとの一騎打ちの場面。
カンチェッラーラがパヴェの上り前に確かに不穏なコントロール操作をしている。


このYOU TUBEでは、映像に付随して、下記解説が吹き出しに書かれている:

>>カンチェッラーラがハンドルバーを操作しているが、ギアコントロールの動きではなく、なにかボタンを押している

>>SRAMのギアコントロールにはボタンはついていない(図解付き)

>>カンチェッラーラ、いつもは薬指でギアコントロールするのに、今回の操作は人差し指と中指だった


というか、こういったボタンうんぬん、中指うんぬんよりも、喘ぐボーネンを置き去りにして、スイスイ電動自転車もどきの様子で上って行く姿。
このシーンを改めて見たら、疑念が払拭できなくなった。

余りに軽々上っている。
ボーネンに対し力の差が歴然といった感じの彼の後ろ姿。

過去、超人的な走り!と思ったものが、本当に人間の力だけで得た成果だったことって余り記憶にない。それだけに。

問題の個所は5分30秒から



■ 2010.06.04 (Fri)  〜自転車に魅了された人達〜 /フォトグラファー's 田中苑子さん、辻啓君、竹之内脩兵さん の写真展のお知らせ
新進気鋭のフォトグラファーたちのコラボ写真展のお知らせ!

(ちなみに、下の告知用写真を見るにつけ、クリスチャン・ハウスは個性的で、なかなかフォトジェニック。
まるで歌舞伎役者のよう、、というわけで私の中の彼のあだ名は今日からKabuki、あるいはUkiyoe)

以下リリースより。

======

PEDAL STORIES 〜自転車に魅了された人達〜

この度、田中苑子、辻啓、竹之内脩兵の3名で写真展「PEDAL STORIES 〜自転車に魅了された人達〜」を開催する運びとなりましたのでお伝えします。期間は6月23日〜27日までの5日間。場所は京都市国際交流会館。

メンバーはいずれも20代半ばの(迷える)フォトグラファー。現在インドネシアでツール・ド・シンカラを取材中の田中苑子、ジロ・デ・イタリアの取材から帰国直後の辻啓、そして、これまで精力的に海外を飛び回って撮影を重ね、5月のツアー・オブ・ジャパンでラファ・コンドルシャープに密着した竹之内脩兵の3名です。

「カッコいいレース写真に収まらず、その裏にあるストーリーまで写し出したい」「レースの喜び、過酷さ、美しさを伝えたい」。そんなシンプルな想いを胸に抱いた3人が意気投合し、今回の写真展が実現しました。入場は無料。是非会場に脚を運んでみて下さい。

PEDAL STORIES 開催概要
期間:6月23日(水)〜27日(日)
時間:9:00〜20:00(最終日は16:00まで)
会場:京都市国際交流会館(http://www.kcif.or.jp/
出展者:田中苑子・辻啓・竹之内脩兵

Photo below:告知用 Copyright@pedalstories
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■ 2010.06.04 (Fri)  Ivecoつながり
iveco_magirus[1].jpg 400×398 106K
昨日のエントリーに関連して。
リクイガスのチームバス IVECOは、おっと日本でも大活躍しているらしい。

(写真はウィキペディアから取られたそうだ。下記投稿LMさん経由)


最新記事の件ですが、昔、乗っていました

仕事でですけど・・・IVECO のはしご車(笑)

イタリアのIVECOの車体に
ドイツのグループ会社で消防車専門の
IVECO MAGIRUS社がはしご車を造っています

(LMさんから)



ちなみに、IVECOではないけど、横浜のトライアスロン大会では、海上消防車を見た。
(以前掲載したもの)





Diaryでも、こんな写真を掲載していた。
休日の大手町、消防訓練


ところで、エヴァンスのライディングスタイルはやっぱりみんな気になる模様。
あちこちの仲間内で、同じ声を聞く。
でも科学トレーニングとかして、効率性とか計測しているのではないのだろうか。

少なくともパワーデータとかはとっているのだろうし。
東大の学生さんたちだってやっているのだし。


ジロ終わりましたね。

個人的には(おそらく)クリーンなエヴァンスを応援していたのですが、やっぱり今一歩届きませんでした。

彼はどんなコースに対しても強いのだけれど、それ故か、誰にも負けない得意種目も無い、そんな気がします。

昔のロミンゲルやツーレみたいな感じ。

どれかひとつ、重点的に取り組むとしたらヒルクライムでしょうか。

完全にエラそうな意見を言わせて頂くと、
登坂での彼の全身に力の入ったフォームや大きく前輪を振るスタイルは、ちょっと効率が悪く見えます。

この辺を修正したらいかがかと。

ただ、いつもアシストも無く1人で粘り強く走る姿にはやはり心を動かされます。


で、新城。

余計なコメントは不要ですね。

今の本能、嗅覚を忘れずにどんどんステップアップして欲しい。それだけです。

(Sさんから)


■ 2010.06.03 (Thu)  ヴァポレットにリクイガスのバスでおなじみIVECO
左の写真を撮ったのにはワケがある。

昨年5月のヴェネツィア。

蒸気船ヴァポレットに乗った。車の乗り入れ不可という現地では、庶民の足となっている。

乗船して、目を引いたのがこれだった。

IVECOの文字。
リクイガスのチームバスでお馴染みのブランド。

2006年5月のトクダネには、こんな文を掲載した:


「リクイガスが ジロの場を借りて 新型のチームバスのプレゼンテーションを行うことが明らかになった。

リクイガスのHQの幹部とバスを提供したイリスバス
(ルノーとフィアット・イヴェコの合弁バス会社)の幹部も出席して、本格的に行う模様。

なぜ第5ステージに発表なのか?というと、イタリアでの最初のステージだから、という理由のようだ・・・・・・」


最近の中野喜文マッサーの投稿写真@movapic.com/yottanによると、
IVECO Massifなる4x4ジープもチームは所有しているという。

このジープ、WIKIによると、軍事需要が多い・・そうだ。
悪路にも半端でなく強いのでは、と想像する。


IVECOのサイト


そしてこれがヴァポレット。ランスが電話中。09年ジロ2日前。


ピンボケだけど、リクイガスのチームバスを初めて見たときの写真。


■ 2010.06.02 (Wed)  今年のツール、見るならピレネー?
せっせとツールの偵察を欠かさないコンタドールによると、「今年のツールはピレネーで決まり」だそうだ。

ASの記事

今年はツールマレ峠登場100年記念で2回この山を超える。

この峠の観戦方法についていくつか問い合わせがきたので、私の場合は、というと。。。


03年、バニエール・ド・ビゴールのスタートを見た後、すぐに車でツールマレ方面へ移動。
D935を走って、コースにぶつかる1kmほど手前で車を降り、沿道へ向かう。

コースをそのまま上っててっぺんまで行くことはせず。
早く帰りたかったので、麓から1km?ほどだけ上った地点で観戦。

それでも登りなので選手はじっくり見られる。
ただし、ツールマレ山頂ゴールでなく通過地点であったせいと、麓に近かったこともあり、この時点で本命によるアタックはなく。
彼らはプロトンの中ででおとなしくしていた。

選手が通り過ぎた後すぐに車に戻る。
千切れた選手を見ながらどんどん下ったおかげもあり、さっと車で脱出できた。
Pauの宿に戻ったのは、夕方5時前。
TVで続きを見ることができた。

この日同じ宿だったテレコムの選手らが帰ってきたのは9時頃。


今年はツールマレを西側と東側から攻める格好になる。
この峠がゴールの日に、上り切った逆側から帰ることをもくろんでいる人もいる。

私は残念ながらこのパターンで観戦したことはない。
うまくいけば、ゴールも見れて、そそっと帰れてよさそうなプラン。

もっとも、本当に渋滞が嫌なら、やっぱり国道がコースにうまくぶつかるところの手前で車を止めて、余り上に登らずにそそくさ車に戻る、というのが
早く宿に戻る手ではないかと。

もっとも03年と今では、混雑ぶりが違うかもしれない。
私の時はあの方法で、渋滞なしで帰れたけれど。


03年ツールマレの様子:

先頭はシルヴァン・シャヴァネルだった。
この逃げは、やがてこのランスにつぶされる。
ランスはシャヴァネルを抜かすとき、軽く肩を叩いて、よくやったジェスチャーを見せた。
後ろは売れないロックンローラー風に変身していたボテロ。




ランスのアシストとして、ランディスの姿も。今では言葉もないが。




ヘルメットのかぶり方(?)ですぐわかるヴィノクロフ。




ペッリツォッティはこのころアレッシオにいた。
リクイガスは例のバイオパスポートの値疑惑に際し、彼をサポートするといっているのだとか。
この辺はやはりベルトランのときとは偉い違い。

チーム内でちゃんと周囲から認められていた人と、
ベルトランのように、オーナーの一方的引き抜きでジョインしたものの異分子のまま過ごしていた人と。




上れるスプリンターツァベルの姿も。




ということで、レースを決定づける瞬間を見ることはできないものの、上りだから選手の様子は手にとるように見え、写真も撮れるので、
私はてっぺん観戦にはこだわらない。
帰ってからTVで最後が見られればいいや、という感じ。

ちなみにこのとき、Jスポーツの中継に我々が亡霊のように映って(ただし本人しか見分けられないほどボーっと塊のように)、
帰国後に一緒にDVDを見ていた仲間と盛り上がったのだった。

■ 2010.06.01 (Tue)  バルベルデにスポーツ仲裁裁判所(CAS)が2年間の出場停止処分 * 来季コンタドールのケスデパーニュ入りは果たして?
P1400904.jpg 630×348 178K
見よバルベルデの笑顔。
しかしこの地でのレースが仇になるとは、よもや本人も想像だにしなかっただろう。

写真は08年7月23日、ツールイタリアステージのバルベルデ。
何も知らずに、大勢の現地ファンからの声援に応えていた。

このときのツールレポートで私は:

「バルベルデの人気にも目を見張るものがあった。
バルベルデ!という歓声も(クーネゴへの声援に)負けていない。笑顔でサインをして、イタリアではもしかしてファンサービスNo.1だったかも」
などと書いている。


08年ツールはイタリアの地を踏んだ。

この際、イタリア五輪委員会CONIは、バルベルデの血液をその権限により採取。
結果、06年に勃発したドーピング事件オペラシオン・プエルト(OP)で証拠にあがった血液DNAと合致したことが判明。
バルベルデのドーピングが明らかになり、謹慎処分が叫ばれていた。

だが、スペイン自転車連盟は、競技界のプリンスにふりかかった火の粉を払いのけようと躍起になり、もみ消しに終始。

しかし、このほどその努力も世界的期間の調停により、一貫の終わり、となりそう。


Court of Arbitration for Sport (CAS/ フランス語ではTAS= Tribunal Arbitral du Sport)と呼ばれるスポーツ仲裁裁判所がバルベルデの2年間出場停止処分をくだした。

処分開始は今年の1月1日から。
ただし、CNによると、それ以前の成績を覆したり、否定するものではない。

あくまで、06年のOP一斉捜査で血液ドーピング用の袋から検出されたDNAとバルベルデのDNAが一致したことを認めたもの。


バルベルデ、チーム側がどう抗するかは不明だけれど、OPの捜査では、ウルリッヒ、ベロキが引退、マンセボ、セビーヤ、プラサらが社会的制裁を受け、バッソが処分を受け入れた。

なのに、血液ドーピング疑惑が濃厚だったバルベルデだけが、フリーで、批判の声が絶えなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

フエンテス医師主導で行われたとされる世界的規模の血液ドーピング事件 OP。

彼がアジトとして使用していた場所で押収された血液バッグを分析した後、警察は膨大な調書を作成。
その中で一番名前が挙がっていたのが、「Piti」と呼ばれる人物の血液バッグ。
Pitiとは隠語。バルベルデの愛犬の名前だった。

ある選手の弁護士が、この調書を読んだことがあるそうだ。
その時の感想をこう述べていた。

「調書はバルベルデの名前だらけだった」


やっと、制裁、という安堵の声が聞こえそう。
でも一方で、今頃、という反応の人もいるのでは。
イメージはブラックのままいたずらに長引かせて、4年後に処分となるのだろうか。

さっさとOPの処分を受けて、完全復活、ジロで栄冠を受けたバッソとの対比が鮮明。

さてこれで、コンタドールのケスデパーニュ入りは決定的??


============ アーカイブ ==========

● 09.9/8トクダネ

バルベルデはイタリアのレースには実質出られない。去年ツールのイタリアステージで行った血液検査の結果、彼の血液はオペラシオンプエルトスキャンダルで押収された血液と合致しており、CONIはバルベルデが領土を踏むことは許さない。


● 09年2月20日の小ネタ ついにバルベルデ御用か?

● 今年2月のNews OP年表

● 09/4/1 小ネタ

バルベルデに2年間の資格停止処分を要請 ー イタリア・オリンピック委員会(CONI)が動いた
去年ツールが国境を越えてイタリアの地を踏んだことが波紋を投げかける結果となった。堂々とバルベルデの血液サンプルを手に入れたイタリア当局は、オペラシオン・プエルトで押収した血液バッグと照合したという。それを受けて、このほどCONIはバルベルデに2年間の資格停止処分を求めるのだという。スペイン当局が棚上げして事実上本件の追及を中止する中、イタリアが業を煮やした感じもある。スペイン人選手の名前が大量にあがるにもかかわらず、正式に処分がくだったケースはゼロで、イタリアに飛び火してバッソが謹慎処分を受けた。どうもそんな状況に承服しかねるイタリア側がスペインに対抗した、そんな流れのようにも感じられる。

■ 2010.05.31 (Mon)  ジロ: 去年来日したGustav Erik Larsson  グスタフ・エリク・ラーションが最終日優勝
Photo: 2006年ツールで目撃したFDJ所属時代、御年23歳のラーション。




今年のジロ、個人的に悪くなかった。他を大差で引き離して圧巻・ダントツ、という選手がいなかった点も含め。

06年にバッソがジロで優勝した時、現地まで見に行っていた人が、
「バッソは他の選手に比べて楽勝なのがありありで、見ていて嫌だった。
あんなの普通あり得ないから」
と言っていた。
ドーピング疑惑が出る1か月前の話だ。

でもこの発言の主も、今回の彼の走りなら納得なのでは、と思う。


ところで最終日TTを制したラーション。
彼にまつわるあの話を聞いたのは、今月初め、永井孝樹さんからだった。
まだポジティーボが移転する前。
サイスポの記事のため、カンチェッラーラの話を聞きに伺ったときのこと。

あの話とは、ラーションがファッサボルトロに移籍した経緯。
当初、彼はトレイニー(=スタジエール)としてファッサに入る見こみだった。

けれど、チームメンバーのデニス・ザネッテが、歯科の検診中に心臓発作で急死。
一人欠員が出たので急きょ正式にファッサでプロ入りすることになったという。

あの頃は、カンチェッラーラがマペイから移籍して注目を浴びていたものの、ラーションも有望視されていたそうだ。

当時の彼はイタリア語は話せなかったけれど、今では問題なくOK、そんな話も。

永井さん、プロの世界をのちに席巻することになるカンチェッラーラや、ラーションのファッサ1年目を目撃している。


さらに多くの日本人が、去年彼を目撃している。
ジャパンカップで来日した。
==> 去年、ジャパンカップで来日したラーションの様子



-----
07年のラーション。所属チームUnibetがプロツールチームのはずが、
非国営オンラインギャンブルの会社だったせいでフランスを中心にプロツールレースに出場できず。
不遇の1年を過ごした。



■ 2010.05.30 (Sun)  ジロ、グランフィナーレでは、こんな光景が見られるかな?
arroyo.jpg 310×540 28KPhotocopyright@EFE (=スペインのNews Agent / 本写真が使用されているページはEl Mundo )



「パパ!頑張れ、頑張れ!」

つい先日、TV画面に写るパパの姿を見て、ダビ・アロヨの息子マルコスは、しきりにこんな声援を送っていたそうだ。(AS)

場所はトレドにあるカフェテリア。アロヨの一族郎党みんなで画面にくぎ付け状態だったという。

マルコスと、ママのパメラさんは、その後、決戦の地ヴェローナに向けて旅立った。

アロヨは現在総合2位。
表彰台を最後までキープできれば、←こんな写真のような光景が再現されるかもしれない。


これは08年ウルキオカのヒルクライムレースで優勝したときのもの。
アロヨはクライマーとして、この手のレースが得意。
このときは、やはり”山に自信あり”のコボを打倒しての優勝だった。


彼の好成績、実は超意外、というわけでもなく。過去、今回を除き2回ジロに出場し、実は

2007年10位
2009年11位

という成績を残している。
特に今年はホアキン・ロドリゲスがカチューシャに移籍して、アシスト陣を独り占めすることが可能に。

---

ジロは残すところ本日最終日、15kmのTTのみ。

距離がもう少しあれば、総合順位のシャッフルが大いに期待できるところ。
15kmとなると微妙。

現在の順位は下記:

1 Ivan Basso (Ita) Liquigas-Doimo 87:23:00
2 David Arroyo Duran (Spa) Caisse d'Epargne 0:01:15
3 Vincenzo Nibali (Ita) Liquigas-Doimo 0:02:56
4 Michele Scarponi (Ita) Androni Giocattoli 0:02:57
5 Cadel Evans (Aus) BMC Racing Team 0:03:47


もっとも、スペクタクルな大どんでん返しはなくていい。
2000年に入ってから、個人的にもっともエキサイトしたグランツールのTTは、03年ブエルタの最終日前日山岳TT。

エラスが総合首位のノサルを大逆転し、優勝を決定づけた。
このとき、TT前の2人の差は1分55秒。

スタートし、両者のタイム差が、時間の経過とともにどんどん縮まっていくのを手に汗握って見ていた。

結局ノサルは最終局面で大崩れして、万事休す。
でも、中間地点まではどうなるか予想もつかず、息をつめてレースを見守った。

結局2人はその後薬物使用でレース界から追放。
ノサルに至っては復帰後も再犯で、ジ・エンド。

なので、そんなにドラマチックでシュールレアリアリスティックな結果は、もう期待しない。

■ 2010.05.28 (Fri)  リクイガス * ニーバリ * クロイツィゲル * マシューズ
チームNewsによると、リクイガスが、スポンサードをさらに2年間延長したという。

バッソとニーバリがさっそく契約更新。
となると現在在籍しているロマン・クロイツィゲルは移籍か。

ニーバリとクロイツィゲルは、それぞれ84年、86年生まれ。
次世代を担うリーダーが同一チームに二人。
切磋琢磨はできるけれど、単独リーダーになりにくく、アシストを独り占めできない。

来年は、どちらかが出るだろうと噂される中、クロイツィゲルは、兼ねてから雑誌のインタビューで
他チームからオファーがあり、興味を示している、と語っている。
さて、去就に注目。

Twitter新人の彼は、
「@pvdploeg the japan people because my masseur Nakano have said in direct tv in japan from my account in twitter! 」
なんて、さっそくつぶやいている。

https://twitter.com/Roman86_K


クロイツィゲルの次の世代としては、オーストラリアの監督もお勧めのマイケル・マシューズ(TOJでポイント賞)の下馬評が高い。

彼は1990年9月生まれ。
かつて、東ドイツと西ドイツが存在していた、なんてことを全く知らない世代が、今後どんどん台頭していく。
(ベルリンの壁崩壊=1989年)


写真は07年ツール・ド・ロマンディ
ジャーナリストたちからインタビューを受け、このころすでに注視されていたことがわかる。
左のジャーナリストは元オンセ、フェスティナで活躍したアレックス・ツーレ。




■ 2010.05.27 (Thu)  2005年の" ニュースな人"がTOJで来日していた話
P1670219.jpg 300×283 54K2005年、英国ロードレース界を震撼させる出来事が起こった。
05世界選におけるチャーリー・ウェゲリウス事件、といえばピンとくる人もいるかもしれない。


あれは05年マドリードで開催されたロード選手権。

英国代表として選ばれたチャーリー・ウェゲリウス(当時イタリアのリクイガス在籍・現ロット)と
トム・サザム(当時イタリアと南アの混合チーム バーロワールドに在籍・現ラファコンドール)が
あろうことか自国のエース ロジャー・ハモンドのアシストではなく、イタリアチームに加担して走ったことが明らかになった。

ブレイスフォード英パフォーマンスディレクターは大激怒。
2選手は今後英国ナショナルチームへの選出権を永久喪失。
ナショナルコーチは引責辞任に追い込まれた。

表舞台から一旦姿を消したコーチの名前は、ジョン・ヘレティ。
今、ラファコンドールの監督を務めており、TOJでチームを引き連れ来日した。


自分を辞任に追いやったウェゲリウスやサザムに対しては心中穏やかならざるものがあるはず。
なのに、サザムは現在ジョンのもとで走っている。
(サザムもTOJで来日予定だったけれど、怪我で断念。)

7年間勤めたナショナルコーチの座からずり降ろされることになった、その戦犯の面倒を見ているなんて。。
その理由が知りたいと思った。


ジョン・ヘレティ ラファコンドール監督:

    『サザムもウェゲリウスも、2人とも被害者なんだ。
    イタリアから協力を要請されて、そうせざるを得なかった。
    彼らは、(イタリアチームで走っているという)弱い立場を利用されただけ。

    だからサザムに対してわだかまりがあるといったことは一切ないね。

    あのとき、僕自身は2人の造反を事前には全く知らなかった。
    でも、僕が責任をとることが事態収拾の最適な選択だと思ったんだ。

    引責辞任というのは、どちらかというと日本人的メンタリティだよね。
    そう、僕は、日本的なやり方で、この問題に決着をつけた、と言えるだろうね。』

話している様子から伝わる温和な人格者の素顔に、この人は英国のロード界をひっぱる立場として
もっともっと華々しい舞台で活躍してしかるべき人、そう思った。

でも、笑顔を見るにつけ、ラファというチームを率いることに、生きがいを感じている様子。

このチームを、走ってお金をもらっているだけの存在ではなく、レースや人間を思いやるハートのあるチームに仕上げている原動力的存在のようだ。

■ 2010.05.26 (Wed)  ダビ・アロヨの戦意喪失シーン
05年ツール。
サイスポにケスデパーニュの1日を追う記事を書くため、チームカーでレースを追った。

なんの動きもなく、後部座席のメカニックのフェルナンドは完全に昼寝モード。
のんびりと1日が終わろうとしていた、と、そのとき:
ラスト10キロほどでクラッシュ。

助監督のホセルイスが食い入るようにTVで落車シーンを確認。
ほぼ同じタイミングで、無線越しにチームのダビ・アロヨが巻き込まれたという一報。

前を走ってたウンスエ監督の車から、アロヨの怪我は問題ないけれど、ひとり取り残されたという連絡。

現場に急行した。

脇腹を押えて、「痛いよー」としきりに訴えるアロヨ。



車内の4人(あともう一人広報担当)は、シーンと静まり返る。
誰もとりあわない。



執拗に痛みを訴えるアロヨ。
が、フェルナンドがゲキを飛ばす。
「つべこべ言わずに行け!怪我は大したことないんだろ。タイムアウトになるぞ!」



ウンスエ監督から、怪我はOKという連絡が入っていたから大袈裟なアロヨの訴えは、冷やかな反応しか巻き起こさず。
アロヨ、観念。



が、しかし前には人影も見えず。
一人かなり遅れた。



応援の声が飛び始めると、やや元気を持ち直す。



上りになると、歓声も大きく、トップの選手を迎えるかのような歓待ぶり。
選手たちがあっという間に塊で走り去ってしまった後、まだ後からくる選手を応援することができて、
観客たちは、得した気分なのだ。

まるでヒーロー気取りで俄然奮起してこぎ出すアロヨ。
ゲンキンなもの。



が、車内のTV画面には、前を行くプロトンが映り、もうゴールシーン。
スプリント態勢に入っている。
アロヨの道のりは長い。



ホセルイスが、あともう少しだ、と話しかける。



へたれシーンを散々写真に収めていたら、アロヨが不満そうな視線を投げかけた。



でもそれどころじゃないんだよ。みんなゴールしてしまった。



あと数キロ、アロヨの孤高の旅は続く。




・・・ということで、ダビ・アロヨの走りをまともに初めて見たのが、このシーンだったものだから、
ジロでいくらマリアローザを着用して脚光を浴びても、アロンソから祝福を受けても、
私の中のへたれのイメージは、なかなか消え去らない。

■ 2010.05.25 (Tue)  福島晋一選手のコトバ * TOJにきていた元ランプレの選手
P1840113.jpg 550×412 106K
選手が引退するとき、よく「モチベーションが保てなくなったから」という理由を耳にする。

だから福島晋一選手が、現役続行し、さらにファイティングスピリットをみせつづける様子を見て、なにがスゴイって、やっぱり精神力、と思った。


先日東京ステージでモチベーションを保つその秘訣を聞いたら、こんな答え:

    「このままずっと選手が続けられると思ったら、きっと手抜きをして走ることもあると思うんです。

    でも、頭の隅にもう長くない、いつまで走れるんだろう、という気持ちがあるからこそ、
    今できるかぎりの走りをしなきゃ、と思うんです」

駆け出しの選手には思いもつかない理由が、濃密な走りの裏にあったようだ。




■ 元ランプレの選手

TOJに、元ランプレの選手が来日していたことを事後に知った。
それをメールで教えてくれた人がいて、どうやって知ったかというと・・・
私が以前エントリーした小ネタの記事で知ったらしい・・orz



私もTOJの東京ステージに行き、
雨でより一層迫力のあるレースを体感させて貰いました。

今年は、せっかくなので各国のチャンピオンジャージをカメラに収めるべく、
初めて日比谷公園をうろうろと。

西谷選手やクリスチャン・ハウス選手はもちろん、
クムサン ジンセン アジアの(笑顔が印象的だった)ロー・ジーウェン選手、
マックスサクセススポーツの中国チャンピオンらしき選手も撮影に成功。

中国チャンピオンの選手、
申し訳ないことに事前に調べた中では選手名の特定までは至らなかったのですが、
(TTチャンピオンはリー・フユ選手だという事まではたどり着きましたが…)
ゼッケンからシュー・ガン選手という事が判明。

帰ってからいろいろ検索していたのですが、
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20060803
こちらの記事にもたどり着きました。
ランプレのスタジエールだったのですね。

今年のTOJも、すっかり堪能です。

(おたうとさんから・以前Diaryのロバート・キャパの話でメールを下さった)


■ 2010.05.23 (Sun)  来日していたオーストラリアの若手育成担当者:「将来の一押し選手はこの人!」
TOJ 雨の東京ステージ メモランダム

TOJで来日中のチームジェイコ・スキンズの監督ブライアン・スティーヴンスと話をした。彼は知る人ぞ知るニール・スティーヴンスのお兄さん。

二ールは、オンセやフェスティナで走っていた元選手。未知谷から出版されている『ツール・ド・フランス物語り』の第9章「リタイヤ選手は語る」の主人公でもある。

さらにこの二ール、引退後は、リンダマッカートニー、リバティセグロスなどの監督を経て、現在ケスデパーニュの監督。オーストラリアナショナルチームのコーチを務めたこともある(写真は06年世界選の二ール。この時、オグレイディにインタビューをするため、同意を得るためにコンタクトしたのがこの人だった。)

兄ブライアンも元選手だけれど、90年には引退。以後、弟とは違い、表舞台とは無縁に、もっぱら若手育成に力を入れており、オーストラリアのエリート育成機関AISの指導者として、活躍中。

例えば、アラン・ディヴィスがプロ入りする前、世話になった人物として、彼の名前をあげている。

有名どころのチームを転々としている弟とは違い、

「ボクは若手を育てる方に惹かれるんだ。トッププロチームの監督とかには興味はない」のだそうだ。

そんな彼に現在一押しの推奨若手豪州選手の名前をあげてほしいと頼んだところ、躊躇なくこの名前をあげた:
「マイケル・マシューズ」

今回初日TTで優勝し、ポイント賞に輝いた選手だ。

では、過去10年ぐらいで、もっとも優秀という印象を受けた選手は?との問いには、

「うーん、難しいな。恐らくマイケル・ロジャースだろうね。でも現在の走りからいうと、カデル・エヴァンスも。彼はMTB出身で、ずっとAISで育ったわけではなく、在籍期間は短期間だったけどね。それからその次の世代でいうとリー・ハワードがピカイチだね。」

キャメロン・メイヤーの名前が出るかと思ったが、ハワードか。昨年TOJで3勝し、今年からコロンビアに在席している。

弟二ールはオンセ出身なのに、現在ケスデパーニュ監督というのに違和感があったが、奥さんがスペイン人で長年バスク地方在住。なので彼にとってはケスデパーニュという選択肢が好都合だったようだ。(ケスデパの拠点はバスク・ナバラ地方)

ちなみに、以前までAIS系列のチームを引き連れて来日していた監督のロドニー・マッギー(ブラッドリーの兄)は、弟とともにオープンした自転車店の店主をしており、AISの仕事には関わらなくなったそうだ。

たまに個人的に若手を見るだけだと。


下の写真は左からスティーヴンス監督、マシューズのバイク、マシューズとレイン(右)

マシューズはバイク・ピュアというアンチドーピング組織に賛同しており、
くまたろうさんが、そこまで強くアンチドーピングを打ち出す理由を知りたいと言っていた。

彼に直接聞いたところ、自転車界全体として大事なことだから、というプレーンな説明だった。
賛同すると小物を支給されるのか?と聞いたら、ソックス、ブレスレットに加え、ステムに装着するリングももらったと言っていた。

さっそくバイクを見に行ったら、確かにバイク・ピュアのマーク入り。

最後の写真右のパトリック・レインに関しては、こんなメールをもらっていた

    パトリックくんの経歴であれ?と思ったのが、
    「Occupation : Bike Sales and Mechanic 」。
    他の選手がみな「Student 」となっているだけに目を引きました。
    自転車屋さんにお勤め?

これまた本人に聞くと、
「もう勤めてない。100%ジェイコチームで走っている。
給料をもらっているといえばもらっているようなものだね。宿舎をあてがってもらったりして優遇されているから。
AISの特待生としてね。」

AISの特待生といえばエリートだよね、というと、
「うん、エリートさ」と胸を張っていた。

写真はそんなことをつらつらしゃべっているときのもの。
目がきらきらしていて、元気溌剌ぶりが小気味良い。

ツーレが大学生との合同トレーニングに週末励んでいる理由がわかる気がする。
これからどんどん芽が伸びて行く人独特のエネルギーがある。
それがこちらまで伝わって来る。

ちなみにパトリック君のアイドルは、「マイケル・マシューズ」なのだとか。
隣(にいるマイケル)をチラっと眩しそうに見ていた。


■ 2010.05.22 (Sat)  ツアー・オブ・ジャパン 伊豆ステージ
ツアー・オブ・ジャパン 伊豆ステージ レポート Part1


優勝したハウスの話は上記のレポートに譲るとして、そのほかに今日、胸にぐっとくる走りをしたのは福島晋一選手。

逃げグループを追走し始め、惜しくもハウスを捉えることはできなかったものの、
逃げていた残党を完全に追い越し、最後のスプリント。

38歳魂の走り、といったところ。
真理選手といい、晋一選手といい、ベテラン勢が気を吐いている。

晋一選手の走りを見ていて、体力レベルや肉体がスゴイ、というより、モチベーションを保ち続けるその精神力がスゴイと思った。



修善寺のコースへ行ったのは初めてだったけれど、起伏に富んでいて、幾重にも押し重なった構造。
地形の妙が楽しめるコースだった。

コースが見渡せる場所に行くと、目の前を選手が通過したあと、眼下のコースを走る選手が見えたり、
遠くかすんだはるか先を隊列をなして駆け抜ける選手たちが見えたりして、何度もプロトンが目に入って来る。

さらに緑が深い。






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