■ 2010.06.06 (Sun)
メカニカル・ドーピング その2 / 報道の反応
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メカニカル・ドーピングという言葉を初めて聞いたのは、パラリンピックのときだったかと思う。
義足の性能の差で不公平が生じるということで、パフォーマンスがかなり向上する類いの義足を使った場合、ドーピングと見なされる危険性が指摘されていた。
でも、体の一部である義足にそうした違反行為の用語を結びつけることに違和感があって、個人的には、それはちょっと手厳しいな、と思った。
その一方で、確かに義足の優劣が結果に反映されることは十分あり得る話で、資金が限られている選手が不公平感を抱くことはあるのかもしれないな、とも。
但し、今回取りざたされているメカニカル・ドーピングは、また別の次元の話。
実際、こんな意見が届いている:
『機材のインチキはスポーツの精神に全く反します。(HNさん)』
彼は、薬よりもさらに機材ドーピングの方が、ある意味人の道にもとる、と指摘している。
”人間の潜在能力”を高める薬に対し、あくまで脇役である機材の性能を高めるのは、もっとタチが悪いというわけだ。
フランスのTV(TV5monde)を契約しているkzさんは、もしもパリ〜ルーベとフランドル一周で、カンチェッラーラがバイク交換をしていなければ、バッテリーがもつわけないから、と噂を否定する気持ちになれたものの:
『カンチェ、2回とも途中でバイク変えてるんですよね… でもエイプリルフールのネタのようにも感じるし、難しいんですが。』
というコメント。
うちのツーレは、あのYOU TUBEの映像で論じられている仕組みを見て、やっぱり信じられない、と言っている。
私は先に述べた通り、フランドルのパヴェをスイスイのぼっていくカンチェッラーラと、パヴェを得意とするボーネンのあの喘ぎ方の差を見て、どうなんだろう?という感じ。
ただ、プロトンの選手たちがあれだけの力の差を見ても、別になんとも思わなければ=才能ある人がトレーニングすればあのぐらいになることもあるさ的な見方をするのであれば、それはそれで傍観者がとやかく言うことではないのだろうけれど。
実際、現役ロード選手はあれを見て、別に普通、と思うのか、やや異常と思うのか、どっちだろう?
とりあえず、ものとして競技用モーター内臓自転車が完成していても、レースで使われた証拠はあがっていないのだろうから、すでにやっている選手がいる、いないの話はとりあえず置いておくことにして。 ただ、そういうことを考える製造業者がいることだけは確かなわけで。
となれば、将来のために手を打つことは必要だろうし、この騒ぎがきっかけでUCIが対策に乗り出すことで、抑止力になればいい。
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