昔はやった脱出ゲーみたいなSSが読みたいです……。
夢から目覚めればそこは、灰色にくすんだ石壁に四方を囲まれた小さな部屋だった。
「……あ……う」
声が上手く出ない。喉が張り付くような渇きがあった。私は周囲を見回した。壁。そして扉。そんな空間に私は仰向けに倒れていた。部屋の中央部に両手を広げて倒れている。自らの体を見ると、灰色のローブのようなものを着込んでいるのが分かった。それ一枚。寒い。
「……」
私は何故こんなところにいるのだろう。考えようとして、愕然とする。記憶が無い。何故此処にいるのか以前に、自分の名前から、親兄弟・友人・恋人の有無まで全て。自分は誰だ?そして此処はどこだ?
しかし殆どの記憶を失った私にも、常識と呼ぶべき知識は備わっていたようだ。この症状が"記憶喪失"と呼ばれるものだということは分かった。記憶を漁るたびにズキリと痛む頭を押さえて、私は立ち上がった。とりあえず自分の様態を確認する。触った髪はボサボサで、一本引き抜いてみると灰色。見下ろした体躯は痩せてはいるが筋肉も十分ついた引き締まった体だった。身長は170前後だろうか。股間は……生えている。男だ。纏ったローブは、頭からすっぽりと被る筒状のもので、高級品には見えない。物乞いの装いといった様相だ。
「……ぅあ」
声はやはり出ない。喋れないわけではなく、ひりついた喉が痛むためだ。
私は今度は部屋を観察することにした。四角い部屋。一辺三メートル程の正方形の部屋。隙間の無い部屋の中、唯一の光源の蝋燭の光が四方の壁から私を照らす。本来ならきっと安心感を覚えるはずのそれも、今はただ不気味な得たいの知れない魔物の舌先を思わせる。天井も壁も、一枚を覗いて代わり映えのしない石壁。一枚。陰鬱とした空気のわだかまる部屋の中、異彩を放つ壁。扉があった。赤い、赤黒い扉。新品の扉を無理やり錆付かせたような違和感を含有した、いいようのない不安を感じさせる扉だった。扉表面と同じく、赤黒い取っ手に手を掛けようとして、扉の中央上部に張り付いたプレートに文字が書かれていることに気付いた。
外に出ろ
苦しめ
死ぬな
黒い文字で、殴り書きされた文言。二行目に不吉さを感じながらも、私は(二行目以外)言われなくてもそうするつもりだった。目線をプレートから外して、再びノブに手を掛ける。力を込めると、ぎしっと音がしてノブが下がる。どうやら外開きのようだ。耳障りな金属と石の擦過音が響いて、思っていたより分厚い扉が開いた。
扉を開けた先には廊下があった。狭い廊下だった。室内と同じように、蝋燭の明かりが点々と先まで続いている。私は歩き出す。ああ、素足の私には冷たい石床の感触は答える。芯まで冷えるような凍え。思い立って、部屋から蝋燭を持ってきた。燭台は思ったより簡単に外れた。先程は不気味に見えたそれも手に持って暖かさを感じると、魔物の舌から神の与えたもう英知の指針に早変わりだ。
私は歩いた。数メートル、数十メートル。やがて曲がり角に辿り着いた。ふと覗き込んだ通路の先は、闇だった。もう蝋燭の標は存在しないらしい。私は壁の燭台ごと蝋燭をもぎ取ると、廊下の先に放った。鉄製の燭台と石の床との衝突音の後、暗闇だった部分が少しだけ灯りに切り取られた。パッと見は同じ廊下のように見える。進んでも大丈夫なのか。しかし、道は他には存在しない。私は先に投げた蝋燭の明かりを見つめながら、足を踏み出して――。
「……ッ!」
唐突に体がグラリと揺れた。正面から誰かに押されたような感覚。尻餅をついた。強かに打った尻の痛みは、それを上回る異常事態によりかき消された。胸に何かが刺さっている。黒い……矢。やじりの根元までぐさりと入っている。上から来たのか、やや斜めに傾いでいるそれを認識した瞬間、呼吸が速くなった。呼吸に合わせて胸部が上下し、同時に痛みが走る。
「あ、うぅ……!」
震える手で矢を掴むが、何も出来ない。心臓に達しているわけではないようだが、何らかの臓器に当たったのかやけに苦しい。どれだけ空気を吸っても、呼吸が安定しない。じわりと、ローブに黒い染みが浮き出た。浅くて速い呼吸が、段々と深い呼吸に取って代わる。
「ひゅー……ひぅ」
私は仰向けに倒れた。天井は代わり映えのしない薄呆けた石だったが、視線の先、先程渡ろうとした廊下の天井には妙なものがくっついていた。どうやら矢を射出する装置のようだ。一本撃ったら終わりなのか、既に何も番えられていないそれは哀愁を感じさせた。朦朧としていく意識に、ノイズのような残像が巡った。それは記憶のようなものだった。
自分と思しき視界の中に女性が写っている。顔は分からないが、楽しそうだった。元気よく歩き回っている。視界の端から端へ、時には視界から外れてどこかに行ってしまう。私はそれを必死で追った。女性が視界に入ると再び安定する。安定する視界。やがて、その視界も黒いベールに覆われてきた。私は彼女をいつまでも見ていたいと思ったが、そうは行かないようだ。最早痛みの類は感じない。ゆらゆらと意識が浮遊する感触。今まで感じたことも無いような不可思議な体験に、私は天国へゆくのだと思った。
そして私の視界が、黒一色に染まった。
夢から目覚めればそこは、灰色にくすんだ石壁に四方を囲まれた小さな部屋だった。
「……あ……ぅ」
上手く声が出ない。ひりついたような咽喉もとを押さえて、私は立ち上がった。
部屋と自分を検分して分かったことがある。私は記憶喪失だ。名前も出身地も職業も年齢も思い出せない。記憶にベールが掛かっているというよりは、記憶の仕舞ってある箱を、鉄の鎖で縛り付けて封印しているような、思い出すことを断念させるような喪失だった。
私は部屋を出ようとする。部屋にただ一枚の扉の表面にはプレート。文字が書いてあった。
外に出ろ
苦しめ
死ね
その文言に、私は妙な違和感を覚えた。どこかでこんなものを見たことがある気がする……。しかし思い出せない。しかし当たり前かもしれない。自分は記憶喪失なのだから。違和感を無視して、私は廊下に出た。部屋よりも気温の低い廊下に、私は部屋から蝋燭を持ってくる事にした。歩く。直ぐに曲がり角に着いた。角の先は暗い。何も見えない。思い立って、壁に付いていた蝋燭を投げた。少しだけ廊下の先が見える。
「……」
先に進もうと足を踏み出した私は、再び妙な違和感を覚えた。ふと、天井に目をやる。そこには罠なのか、黒い矢の番えられた装置があった。このまま下を通過していたら、あれが飛んで来たのだろうか。実験する気にもなれず、私は廊下の端に身を寄せながら進んだ。暗い廊下の途中にもこんな罠があるかもしれない。手に持った蝋燭で天井や壁を照らしながら、私は進んだ……。
暗い廊下にはそれ以上の罠はないようだった。廊下の突き当たりの黒い扉の前で、私はため息を吐いた。黒い扉の両脇には蝋燭がついていた。私は念のため、その蝋燭と自分の蝋燭を交換した。あちらの方が長く感じたのだ。
私は、黒い扉のノブに手を掛けた。力を込めると、ガチンと音がしてノブが途中で止まる。どうやら鍵が掛かっているらしい。鍵穴らしきものもあるが、形が妙だった。私の知っている鍵穴よりもシンプルな造りだ。長さ10センチほどの細い隙間があるだけだ。何かを差し込めばそれだけで開きそうだが、ここに入るような形状の物体を私は所持していない。燭台の蝋燭を刺してある部分も太すぎて入らない。指も当然駄目だった。途方に暮れて立ち尽くす私は、一つだけ要件を満たすものがあることに気付いた。矢だ。
暗い廊下を取って返した私は、周囲の燭台を取り外すと、矢の発射装置目掛けて投げつけた。一度目は外し、二度目は当たったが反応無し。三度目の投擲でやっと矢が発射された。結構な速度で射出された矢が、地面に当たる。金属音を鳴らしてぶつかったそれを回収する。先が少しだけ欠けていたが、どうにか使えそうだった。再び黒い扉の前に戻る。
金属の部品の擦れるような音がした。差し込んだ矢は、ピッタリと嵌っている。まるでこのためにしつらえた様だ。私は再びノブに手を掛けて扉を引く。錆付いた金属音とともに、扉が開く。中には何も無かった。入ってきた扉以外は、最初の部屋と同じ構造同じ広さ。とりあえず中に入った私の背後で、扉が重厚音を立てて閉まった。勝手に閉まるように出来ていたのか。直後、金属の擦過音。なんの音かと思って扉を開こうとしたが、開かない。
「……ッ!?」
ガンガンと扉を叩いたり、ノブを狂ったように動かしたが、扉はビクともしない。私はどうやら閉じ込められたようだった。扉を弄るのに疲れた私は、部屋の内部を調べる事にした。もしかしたら隠し扉があるかも知れない。
一巡り壁を調べた私は、扉から見て正面の壁に妙な隙間を発見した。隠し扉の仕掛けかなにかだろうか。しかし私は、直後に恐ろしいことに気付く。この隙間は縦10センチ、横は一センチ程度。この部屋の扉と同じような仕掛けなのだ。つまり……あの矢がないとここから出られない。
「!!」
私は気付いた瞬間半狂乱になって壁を叩いた。周囲の壁を床を叩いて回った。
何時間経ったろうか、あるいは一日過ぎたのだろうか。私は扉の前に腰掛けて、目の前の壁を見つめていた。もう暴れる気もおきない。ただじっとしていた。それでも腹は減るのか、私の腹部が鳴いた。しかし食べるものなど何も無い。私は我慢した。するしかなかった。腹は空っぽなはずなのに、老廃物は出るらしい。部屋の隅にした。
何日経っただろう。腹の空きすぎで、おかしなものが見える。目の前を老人が通り過ぎたり、体を蛇が這い回ったり。そのうちそれも無くなって来て、感覚が鋭敏に研ぎ澄まされてきた。……音が聞こえる。何かを叩きつけるような音。ずしん、ずしんとかなりの力で行われているようだ。気のせいか、"それ"の息遣いまで聞こえる気がした。
……。爪を食べた。爪はいい。伸びるから。足の爪も食べた。味があっておいしい。髪はぼそぼそとしていて食べづらいが、栄養はありそうな気がした。ローブを脱いで食べた。噛み切るのが大変だった。部屋の隅のも食べた。一番食べ物らしかった。また出てきたら食べられるのだろうか?
…………。目の前に幻覚が見える。女性が手招きをしている。私はそれに従って駆けたが、女性の足は速くて追いつけない。息苦しくなって立ち止まった。女性がこちらを振り向いて笑っている。私も笑って、視界を黒が埋めた。
夢から目覚めればそこは、灰色にくすんだ石壁に四方を囲まれた小さな部屋だった。
「……あ……ぅぅ」
声が出しづらい。乾いているのか。私は自分の記憶がない事に気付いた。何故此処にいるのかも、自分が何者かも分からない。とりあえず、目に付いた扉を開こうと手を伸ばす。ふと、扉についたプレートが目に入った。
外に出ろ
苦しめ
死ね
苦しんで死ね
物騒な文言に私は眉をひそめた。気にしても仕方が無いだろうと思い、扉を開いた。寒かったので部屋の中の蝋燭を持って出た。目前には長い廊下。左右の石壁に等間隔で並ぶ蝋燭が、音もなく揺らめく。その光景に私は、此処が得たいの知れない怪物の体内であるように錯覚した。途端、周囲の石壁がぬめりと湿ったピンクの肉に変質する……幻を見た。私は頭を振って妄想を払うと、廊下に一歩を踏み出した……。
山間の小さな町で事件は起こった。下らない事件だった。
町の女が一人殺された。町一番の金持ちの家の、町一番の器量良しだった。彼女は近々、町で二番目の富豪の息子に嫁ぐ予定だった。しかし結婚式の三日前に殺された。さんざん嬲られた後で殺されたらしく。酷い有様だった。彼女の両親は酷く悲しみ、同時に酷く憎んだ。富豪の息子も怒りをあらわにした。犯人はすぐに見つかった。町のはずれに住む、一人身の青年だった。証拠は無かったが、以前より仲良く話すさまを見ていた町のものも多い。それにつけ込んで彼女を呼び出して、陵辱の後に殺害したのだ……と婚約者である男は主張した。疑われた男はどこの馬の骨とも知れない男だった。町での評判は良くもなく悪くも無く。女の両親もそれに賛同した。すぐに町の若い衆によって男は取り押さえられた。男は犯行を否定したが誰も聞き入れなかった。
一体どんな殺し方をしてやろうか、と町の広場で女の両親と結婚相手が話し合っていると、突然妙な男が現れた。自らを旅人だと言った男は、気味の悪い薄ら笑いを浮かべて、馬鹿にしたような慇懃さで彼らにあるものを見せた。
「これは苦界の牢獄です。 この中に入った人間は永久の苦痛に囚われる。 いかがですか、そんなにその男を恨んでいるのなら、この牢獄を使って見ませんか?」
縛られて俯いた青年を一瞥して、男は手のひらに収まる小さな水晶玉を取り出して見せた。深い青を湛えた水晶が、日の光を受けて妖しく輝いた。胡散臭い男に、女の両親はそんなものはいらないと追い払おうとした。しかし女の婚約者は彼を引きとめた。
「まあまあ、お母さま。 一つ試してみてはどうでしょう。 善良な僕らの思いつく責め苦では、彼女の無念は晴らせないかもしれない……。 ですから、僕らでは思いも付かないような苦痛を、あれが与えてくれるというなら試す価値はあります」
婚約者の言葉に、両親も納得した。怪しい男はにやりと笑って、何度か確認を取った。
「本当によろしいのですか? これは一度使うともう止められませんよ?」
男の忠告に、両親と婚約者の男は頷いた。それをみると怪しい男は満足げに、水晶を跪いて俯いている犯人の男に向けた。一瞬、その場を白光が包んだ。光が晴れた後には、男の姿は無かった。怪しい男が、被害者連中に向かって水晶を放る。婚約者の男が受け取った。中を覗いて、驚きの声を上げる。水晶の中には、犯人の男が写っていた。薄汚い布切れを纏って、暗い石室に倒れている。
男の声に反応して、女の両親達もそれを覗く。丁度、男が目覚めた。それから男は、自分や周囲を調べて、扉を開いて部屋から出て行く。男を追って水晶の場面も入れ替わる。少しの間男が歩いて……そして死んだ。矢が胸に刺さって死んだのだ。
両親と婚約者はその死に様を嘲笑ったが、すぐに不満顔で怪しい男を見やる。視線を向けられた男は、薄ら笑いを貼り付けた顔に喜色を浮かべた。
「ご安心下さい。 それだけでは終わりませんよ、ほら」
男が顎で示した水晶を再び覗くと、場面が変わっていた。最初の部屋に犯人が倒れている場面だ。一体どういうことだと彼らが思っていると、再び矢の通路に場面が移る。しかし今度は、矢を回避してしまう。暗い通路の先黒い扉まで辿りついた犯人が、逆行して矢を回収する。被害者達が再び非難の目線を男に送るが、にやにやと水晶を指し示して言う。
「まだまだ、牢獄に終わりはありません」
言われた通り、しぶしぶ視線を向けた先で、犯人が黒い扉を開いていた。中に入ると、扉が閉まる。犯人は焦ったように扉を叩くが開かない。数分後、落ち着いたのか、犯人が周囲の壁を調べ始める。一巡、調べたところで突然男が暴れ出す。それからの映像は早回しのようだった。男が飢えて弱っていく様がまざまざと映し出される。
婚約者の男は愉快でたまらないといった風に顔を歪めた。両親は時々顔を背けたが、結局はその光景を見続けた。やがて男が動かなくなる。死んだのだ。数瞬後、場面が最初部屋に戻る。そこでやっと、両親と婚約者はこの水晶の真の効果に気付いた。これは閉じ込めたものを、死ぬことすら出来ない苦痛の中に置くものだ。そう考えると、女の両親は一瞬だけ身震いした。例え娘を殺した犯人とはいえ、これはあまりに酷いのではないか……と。しかし、人間の精神の防御機能か、二人の中の罪悪感は直ぐにサディスティックな感情に置き換わった。そうだ、当然の報いじゃないか……と自己正当化をすれば、もう罪悪感は感じなかった。婚約者の男は最初からそういう状態だったらしく、嗜虐心に歪んだ笑みで水晶を見ている。
「ははっ当然どころか、足りませんよ。 こいつが彼女にしたことを考えればね」
「おや……彼女を殺したのは彼ではありませんよ?」
突然。怪しい男がそんな事を言った。両親も婚約者も男を見つめた。何を言っているんだこいつは、という表情。男はその視線を涼しい顔で受け流す。
「ははは、むしろ逆です。 彼は殺された彼女と恋仲でした。 身分違いの……まあ大した身分の差ではないですが、とにかくそういう風に燃え上がったわけですね。 それを知った婚約者の……あなたが、彼女を殺した。 まあもともとあなたの事は好きではなかったようですね彼女。 微塵も」
男の発言に、両親が婚約者を見やる。焦ったように婚約者は弁解する。
「ち、違う! でたらめを言うなよっ! ぼ、僕が彼女を殺したって? 有り得ないよ!」
「なら町の人間に聞いてみればいいのでは。 彼女と彼の逢引は、町ではそれなりに有名でしょうからね。 まああなた達の……正確には婚約者の彼の報復を嫌って、誰もはっきりとは言わなかったのでしょう」
にやにやと、男が言う。婚約者は顔を真っ赤にして叫ぶ。その醜態に、両親も訝しげな顔になる。そういえば、彼女が殺されたと聞いたときも、婚約者は泣いたりしなかった。その時は自分たちの悲しみのあまり気にならなかったが、初めからどこかおかしい。と思考しながら、両親が婚約者と距離を取る。
「あ、あなた……本当に……?」
両親の反応に、婚約者が叫ぶ。
「ち、違う! 僕はやってない! だ、第一なんでそんな事する必要があるんだ! 僕と彼女はもう数日後にはけっこ……!」
「では証拠をお見せしましょう」
婚約者が言い切る前に、彼らの目の前に大きな板が出現する。突然の状況に全員がそれを見やる。板の上に映像が映る。
『いやっ! やめて! わ、私はあなたとは結婚しない! 彼と……彼が好きなの!』
『うるせえぇ! お前は僕のなんだよ! いいから言うことを聞け!』
映像は、婚約者の青年が、被害者の彼女に迫っている場面だった。はじめはもみ合っているだけだった二人だが、やがて、ぱしんと青年が女の頬を張る。倒れた女に青年が覆いかぶさる。馬乗りになって、首を絞めたり殴りながら、女に罵詈雑言を浴びせかける。服を破って、暴行を加える場面が克明に打ちしだされる。
女の両親が嗚咽を漏らして倒れる。婚約者の青年は、顔を青く変色させて叫んだ。
「ち、違う……こんなの作り物だ! 僕じゃない! 違うんだ、僕じゃない! そいつを消せよ……早く消せぇ!」
ついに激昂した青年が、男に掴みかかる。が、倒れる。何が起こったのか、倒れた青年本人も見ていた両親も分からない。男はにやにやとした笑いを浮かべた顔を呆然自失の体で座り込んでいる両親に向けた。
「その水晶は差し上げます。 まあ一人しか入れないので、もう使えませんが……せいぜい彼の死に様を愉しんで下さい」
言って、立ち去ろうとする男を両親が引き止める。
「ま、まってくれ! これから彼を出すにはどうすればいいんだ!?」
男は立ち止まって顔だけ振り向いた。にやにやとした顔から一転、無表情で告げる。
「最初に言ったでしょう……一度使ったら止められません」
地面に倒れた青年がそれを聞いて大声を上げる。
「く、ふは、ふははははははは! ざまぁ見ろあのクソ野郎! 俺の女に手を出すからだよぉ、ばぁかがぁ!」
狂ったように笑い出す青年を一瞥もせず、男は立ち去った。後には笑い続ける青年と、呆然とする夫婦だけが残された。