お立ち台で笑顔を見せる中田賢(左)と中川。プロ1号を放った中川の顔は真っ赤…
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井端が1500安打、森野が1000試合出場。ちょっとした“記念試合”となった5日のロッテ戦(ナゴヤドーム)。自らのバットで主役を奪ったのが7年目の中川裕貴外野手(25)。今季初スタメンで、値千金のプロ1号同点弾。この一発が打線に火をつけ、逆転勝ち。最後は岩瀬がヒヤリとさせながらも、250セーブに王手。きょう(6日)は守護神・岩瀬の記念試合?!
こんな日が来ると信じていた。初体験のお立ち台で大歓声を一身に浴び、ヒーローは興奮で顔を真っ赤にしていた。「ケガで休んでいましたが、これから名前を覚えてください」と初々しい自己紹介に万感の思いを込めた。ロッカーへ戻ると、チームメートが「おめでとう」と口々に祝ってくれた。「やばかった」。涙が出そうになるのを中川は懸命にこらえた。
1軍へ昇格したその日にスタメン抜てき。2点ビハインドの4回、「初球」に集中していた。「前の打席はみっともない三振(最後は見逃しで3球三振)だった。真っすぐ一本で思い切っていくと決めていた」。初球ストレートを振り抜くと、打球は左中間スタンドへ消えていった。
「まさか入るとは思わなかった。信じられない」。苦節7年。ようやく飛び出したプロ初本塁打が、値千金の同点2ラン。喜びに浸る余裕もなく、ほとんど全速力でダイヤモンドを駆け抜けていた。
これまでの道のりは長かった。03年、落合監督が就任直後のドラフトでいの一番に指名したのが「中川」。未来は“ばら色”のはずだったが、故障ですべてが狂った。07年に右肩を痛め、その年のオフに手術。2年近くを棒に振った。
ボールさえ握れないどん底からの復帰ロード。支えになったのは家族であり、スタッフだった。09年春には長男の羽琉(はる)君が誕生。「この子のためにもオレが頑張らないと」と意を強くした。「リハビリを支えてくださったトレーナーや病院の先生に感謝しています」と中川はしみじみと語る。
今季は打撃スタイルもがらりと変えた。きっかけは、昨秋のキャンプで落合監督から投げかけられた一言だ。「何でおまえは引っ張るんだ」。それまではレフト方向への引っ張りが中心。打撃練習では「飛距離にこだわっていた」と言う。
今は長打を捨てた。「センターを中心にシンプルに打ち返すことを考えています。センター前、ライト前、そういうヒットを打っていきたい」。練習でもコースに逆らわない打撃を心がけている。「『変わった』というところを見てもらいたい」と泥くさく白球に向き合った成果が、ホームランとなって現れた。
落合監督は「きょうのゲームはあの1本で変わった」と語った。中川の一発が勝利を呼び込んだと認めた。中川は「自分はもう後がない。これでまた次があると思うので、1球1球に集中していきたい」。セサルの離脱で再び混沌(こんとん)としてきた外野戦争に、7年目の苦労人が高らかに名乗りを上げた。 (木村尚公)
【中川裕貴(なかがわ・ひろき)】 1985(昭和60)年4月26日、滋賀県竜王町生まれの25歳。176センチ、76キロ、右投げ右打ち。岐阜・中京高からドラフト1巡目で04年に中日入団。高校時代は1年夏からレギュラー三塁手。甲子園には2年夏、3年春のセンバツと2度出場。1軍初出場は3年目の06年10月16日広島戦(広島)。初安打は09年6月27日広島戦(マツダ)で大竹から三塁内野安打。家族は妻と1男。今季年俸は650万円(推定)。
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